犬とお姫様   作:DICEK

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意外なことに、彼も轆轤を回せる

 

 

 

 

 そして約束の日の放課後。待ち合わせの場所に現れた八幡を見たいろはは絶句していた。 

 

 総武の制服を着ている。顔も八幡で、本人に違いはない。ないのだが、その顔には普段はないメガネがあった。八幡先輩の鬼畜メガネはすばらしいと姫菜から猛烈なアピールをされたことは記憶に新しい。メガネ一つでそこまで印象が変わるものかと思っていたのだが、実物を見てみるとなるほど、姫菜の言っていたことは間違いではなかったといろはは実感した。

 

 ただ、鬼畜眼鏡という印象ではない。普段はそれこそ顔が良いだけに目つきの悪さが際立って見えるのだが、今はそこまででもなく、それ所か柔和な印象さえ受ける。眼鏡一つで人間変わるのだ。はー、と溜息を漏らして感動しているいろはに、八幡は逆の意味で溜息を吐いた。

 

 最初は少しでも悪い目つきの印象をどうにかするためだったのだ。せっかくだから色々試してみようと言い出した陽乃の口車に乗り、彼女の趣味であるノンフレームの眼鏡に手を出したことでインテリヤクザという印象が関係者に知れ渡ることになった。

 

 陽乃や姫菜など一部には好評であるが、目つきの悪さを増幅しているというただ一点において、女性陣の評価は中の下、もしくは下の上という方向で一致している。中でもめぐりの反発は大きなもので、そんなに怖い顔をするなら一緒に歩くのも嫌! とまで言われてしまった。

 

 流石に校内ただ一人の友人にまでそこまで反発されては手段を講じない訳にはいかない。じゃあ何か手はあるかとそのめぐり本人に聞いてみたところ、これならはっちゃんにも似合うよ! と勧められたのがウェリントンである。

 

 海の向こうの全身青タイツに赤マントのスーパーヒーローが正体を隠せる程の一品はやぶ睨みの目にもそれなりの効果があったようで、ノンフレームの時にはインテリヤクザにしか見えなかった男が、ちょっと目つきの悪い少年に見えるようになった。

 

 なるほど悪くないと思う八幡に、これならデートくらいしてあげても良いとめぐりはご満悦だった。何様だよと叩いた軽口は照れ隠しだったことは誰の目にも明らかだったようで、やり取りをぼんやりと眺めていた陽乃はしばらく動けなくなる程の爆笑の渦に巻き込まれた。

 

 その後ちゃんとめぐりと映画に行った(デートもした)のだがそれはさておき。

 

 そういう経緯もあって視力は悪くないにも関わらず八幡は複数の眼鏡を所有している。見た目で押すか年齢を上に見せるのであれば迷わずノンフレームの眼鏡を選択したのだが、いろはの付き添いで来ている現状で見た目で圧をかける訳にもいかない。カンザスのジャガイモ野郎になるのも当然の選択と言えた。

 

「そんな眼鏡持ってたんですね」

「付き添いで迷惑かける訳にもいかないからな」

「来てくれただけで助かってますよ」

「だと良いんだがね。まぁ、できるだけのことはする」

 

 総武は進学校なだけあって、授業で使う書籍は多い。一部の教科書を全て持ち歩くタイプの同級生などは登山部かという程の大荷物を毎日持ち歩いていたりもする。そんな中、八幡の荷物はいつも少ない。片手で軽く抱えられる程の荷物しか普段は持ち歩いていないのだが、今日は彼にしては大きめの荷物を抱えていた。

 

「それなんですか?」

「プレゼン用の資料が入ったノートだ」

「でも、プロジェクターとかあるかは――」

「それは確認してある。クリスマス関連の会議は伝統的に同じ場所でやるからな。そこは普段は企業向けにもスペースを貸し出してる関係で、その手の設備は充実してるんだ」

 

 学生でも貸してくれと言えば貸してくれるのは、陽乃の時に確認済だ。今回も念のために確認したのだが、管理をしているのは八幡が現役だった時と同じ人物だったようで、陽乃の名前を出すとすんなり使用許可も下りた。あとは現場に行ってねじ伏せるだけだ。そのための資料も用意してある。

 

 これらの準備が全て杞憂に終わってくれれば良い。いろはが大げさに騒いでいるだけで、実は大したことないんじゃないかという可能性にも期待していたのだが、現場についてあちらの面々を見た時、それが淡い幻想であったことを八幡は悟った。

 

 見た目だけの印象であるが、二年前よりもむしろひどくなっている風である。何というのか……形から入ってそれで終わっている感が半端ではない。漏れ聞こえてくる単語も無駄にカタカナばかりであるし、バブル期の業界人のようなカーディガンを見た時には、本気で彼らがコントを演じているのではないかと疑った程だ。

 

 だが残念なことに、彼らは本気であるらしい。八幡がこの会議に出席したのは二年程前。同級生でない限り全ての面子は卒業している。そして選挙のタイミングは総武も海浜も一緒であるため、代替わりしてほぼ一発目の対外的なイベントがこれであることは共通している。

 

 つまり外部からメンバーを呼ばない限り、最高学年は二年生のはずなのだ。その中に三年生を、しかも経験者を連れてくることは見方を変えれば暗黙の了解に違反していると言えなくもないが、それが良くも悪くも方々に名前を知られ、一目置かれている人間であれば話は別だ。ここにいるのは実績に乏しい二年以下。実績のある三年生に、しかもその場で文句を言える人間などいるはずもない。どこの学校も、年齢から来る上下関係には厳しいものだ。

 

 定刻になったということで全員が着席する。海浜側の席に一つ空きがあるのが気になる所ではあったが、人数は少ない分には、気にすることでもない。

 

「今回同席してくれました。三年の比企谷八幡先輩です」

 

 名前を出すと、海浜高校の面々にもざわめきが広がった。女王の犬だ……という声も聞こえる。海浜高校とはそれなりに距離が離れているはずなのだが、未だ健在の悪名に八幡はひっそりとため息を吐いた。

 

「会議を始まる前に見てほしいものがある」

 

 いろはによる紹介が終わった後、義務的に行われた海浜側の自己紹介が終わると早々、八幡は切り出した。今回の最上命題はこれ以上時間をかけないことだ。一度流れができてしまうと、口を挟む機会も限られてくる。先手必勝。速さというのはあらゆる局面で有効な戦術の一つである。

 

 異論反論が生まれる前に、八幡はてきぱきと準備を進めた。借りてきたプロジェクターにノートパソコンをつなぐ。その動作だけでも淀みが全くない。その時点で海浜高校の面々は口を挟むという考えそのものを忘れてしまっていた。実際にはどうあれ、こいつは自分よりもデキる奴であると思わせてしまえば、後はどうとでもなるものだ。

 

「これまでの会議を元に現実的な案をまとめてきた。これからかかる時間とコストに見あったスケジュールを組んでみたのでまずは話を聞いてほしい」

 

 八幡のやったことは今までの身のない会議から生まれた案を拾い上げ、現実的なものに組み直し、それをパワーポイントでまとめただけだ。同じことはいろはも海浜高校の面々もやっているはずだが、それに気づいている人間がどれだけいることだろうか。

 

 方法を変えるだけで今までと全く同じことをしても説得力が生まれることはある。一昨年に苦い経験をしたことで八幡が編み出したのが、この手の高校生には手を出しにくい分野を使ったハッタリだ。このユビキタスにIT化が進んだグローバルな現代でも、高校生にペーパーレス社会というのは実現しにくいものだ。

 

 プレゼンに自前のノートパソコンを持ち出すということ自体、そうあることではないだろう。それを最初にやったからこそはったりとして有効なのだ。だからこそ真新しい意見を何も入れていない、ただ議事録を書き直しただけの、もし陽乃に見せたら説教では済まない低レベルな代物でも、これが最善なのだと錯覚させるだけの説得力を持っている。

 

 後は一押しするだけだ。こつこつとテーブルの下で椅子を突くと、早速いろはが切り出した。この方向で行く。ということが既定路線として進められていく。流れはできた。これで問題はないだろう。後は紙の資料を元に話が進められていくはずで、発案者の自分がいる間はその内容に手が加えられることはない。今日で話がまとまればスケジュール的には問題ないはずだ。

 

 ここまで有効な手があるなら何で去年出さなかったのはっちゃん! と脳内で小さなめぐりが蹴りを飛ばしてくる。後で大きい方のめぐりにも怒られそうではあるが、これはこれで欠点があるのだ。パワポを持ち出す人間が最初でかつ一人であるからこそ有効な手である。自前のノートPCを持つ人間は多数派ではないだろうが皆無な訳ではない。

 

 海浜高校の今の面々の中にもいるにはいるだろう。彼らの間では早速自分も、という考えが渦巻いているはずでその方法は一年かけてブラッシュアップされてくるに違いない。

 

 つまるところ、来年はもっと収拾がつかなくなるのが目に見えているのだ。初回限りのみ有効な手であり、かつ来年の難事については全く無視した方法論だからこそ、めぐりに提案することを見送ったのである。

 

 だが今年であれば問題ない。何故なら来年には八幡もめぐりも大学生になっているはずで、高校生ではないからだ。来年も続投の見込みであるいろはは来年、今年以上に苦労するはずだが、まぁそれも知ったことではない。

 

 ともあれ当面の目標はこれで達成した。お役御免だなと椅子にもたれて安心していると、ばたん、と無遠慮な音を立てて会議場のドアが開いた。

 

「ごめーん、遅れちゃ……った…………」

 

 悪びれた様子など全くみせず、笑顔さえ浮かべて会議室に現れたその女、八幡の同級生で知り合いでもある折本かおりは、居並んだ中に女王の犬がいるのを見つけると、この世の終わりを見たような顔でがくりと膝をついた。

 

 

 

 

 

 

 




何が酷いって前話と被る部分が大部分だったということ。
同じ部分を書き直していてそれが六千文字を超えていました。今回短いのはそのためです。申し訳ありません。
次回でクリパ編終了予定。今度こそ玉縄氏しゃべるはずですが、ルミルミやけーちゃんの方が目立つ気もします。

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