転生したら博麗霊夢(自殺未遂)だった件 作:敵ゆん
数日が経った。
正確に言えば、そう感じるだけの時間が流れた、というべきかもしれない。
永遠亭での生活は、日付や曜日といった概念を必要としない。
朝になれば起こされ、決められた時間に食事を摂り、体調を確認され、軽い雑務をこなし、夜になれば布団に入る。
それが、淡々と、滞りなく繰り返される。
変化はない。
あるとすれば、『治療戦線異状なし』という事実のみである。
廊下の掃除に、薬草の仕分け、あとは簡単な配膳の手伝い。
最初の頃は、それら一つ一つが新鮮だった。
体をガッツリ動かすこと自体が久しぶりで、役割を与えられている感覚が、少しだけ気を紛らわせてくれた。
だが、人は慣れる。
箒を動かす手は迷わなくなり、薬草の札も自然と目に入る。
間違えない。
躓かない。
問題を起こさない。
――良い兆候だ。
そう評価されているであろうことは、なんとなく分かる。
誰かが明言したわけではない。
だが、検査の"圧"が減り、視線の緊張が僅かに緩んだのを、俺は見逃していなかった。
代わりに、退屈が戻ってきた。
何も考えなくても手が動く時間。
先の見える一日。
今日と明日の違いが、ほとんど存在しない感覚。
ぼんやりと廊下を拭きながら、思う。
――この生活は、いつまで続くのだろう。
いや、違う。
本当はこうだ。
――"終わる"とは、誰が決めるのだろう。
その疑問は、すぐに意識の底へ沈めた。
考えすぎは良くない。
そう教えられてきたし、実際その通りなのだろう。
今は回復に専念する時期だ。
余計なことを考えず、今日をきちんと終わらせる。
それが最善だと、皆が言う。
俺も、そう振る舞っている。
箒の先が、畳の隅で小さく止まる。
埃は、もうほとんど残っていなかった。
俺は一度だけ深呼吸をしてから、何事もなかったように作業を続ける。
今日もまた、問題のない一日が始まっていた。
一通り清掃を終えると、今度は鈴仙と共に薬庫へ向かう。
今日は鈴仙が里へ薬を卸しに行くため、調薬を整理するのだ。
必要な材料を揃え、分量を確認し、箱に詰める。
何度も繰り返してきた流れだった。
永遠亭の薬庫は広い。
されど雑然としている印象はない。
棚の前に立ち、木箱を引き寄せ、札を確認し瓶を並べ替える。
淡々とした作業の中で、薬が放つ独特の臭気に囲まれながら、意識だけが別の方向へ逸れていく。
棚の奥に手を伸ばした時、指先に紙の感触が触れた。
瓶でも、布でもない。
明らかに書類の束だ。
俺は一瞬動きを止め、鈴仙の位置を視界の端で確認する。
彼女は別の棚で作業をしていて、こちらを見てはいない。
そっと、紙束を引き抜く。
それはなかなか薄い冊子で、表紙には簡素な文字で何かが記されていた。
内容までは分からないが、いつもの薬品の札とは違う。
格子状に線が引かれてて、枠組みの中に所狭しと文字が詰め込まれているそれはまるで――
――名簿?
心臓が、わずかに跳ねた。
直感だった。
確証はない。
だが、これは"見せたくない類のもの"だと、身体が先に理解している。
俺は反射的にそれを細かく折り、さらしの内側へ滑り込ませた。
作業はそのまま続行された。
何事もなかったかのように、いつも通りに振る舞った。
だが、心の内では別の時間が流れていた。
早く、夜になれ。
それだけを考えていた。
――
―
――
そして迎えた夜、部屋は静かだった。
障子越しに、淡い月明かりが差し込んでいる。
布団に入ってから、どれくらい経っただろうか。
呼吸を整え、眠っているふりをする時間が、やけに長く感じられた。
鈴仙の寝息が隣から聞こえる。
規則正しく、穏やかで、乱れがない。
――寝ている。
そう判断して、ゆっくりと体を動かす。
布団の脇に置いてある巫女服。
そこに、昼間忍ばせた紙束がある。
音を立てないように、慎重に手を伸ばす。
指先が布に触れ、内側を探る。
あった。
名簿を引き抜き、そろりそろりと布団の中に引き入れる。
紙の感触が、やけに生々しい。
だが、すぐに問題に気づく。
――暗すぎかぁ……!
灯りはもうとっくのとうに消している。
かといって、今火を点ける訳にもいかない。
仕方なく、月明かりを頼ることにした。
障子の方へ体を向けようとして、寝返りを打つ。
その動きで、自然と鈴仙の方を向く形になる。
そして。
目が合った。
鈴仙は、起きていた。
赤い、完全に覚醒した目で、一切の揺れなくこちらを見ていた。
驚きはない。
寝起き特有の曖昧さもない。
最初から、そうであったかのように。
「……霊夢さん」
小さな声。
だが、逃げ場を完全に塞ぐ響きだった。
俺は咄嗟に名簿を襟の下へ押し込む。
「それを、どうするつもりでしたか?」
責める口調ではない。
問い詰めてもいない。
ただ、確認するような声音。
「な、なんのこ――」
鈴仙視点から見れば、俺は掛け布団の下でもぞもぞやってただけだから、ここはしらばっくれて乗り越えようと判断した。
だが予想に反し、言葉を言い終えるよりも前に鈴仙は起き上がり、俺の掛け布団を勢いよく引っ剥がす。
そして勢いそのまま俺の上に馬乗りすると、寝間着の襟元を掴んではだけさせ、露わになった名簿を手に取った。
「波長がずっと違っていましたから、もしかしたらと思ったら……」
鈴仙は片手で俺の胸元を抑え、もう片手で名簿をゆらゆらと見せつける。
逃れられない!
「……勝手なことをしてしまって、すみませんでした」
捻りだした声は、あまりにもか細かった。
俺は布団の中で身動きもせず、ただ目の前の鈴仙を見つめる。
逃げ場も、誤魔化しもない。
ここまで来て、取り繕う意味もなかった。
「……全部、共有されてるんですよね」
静かに問う。
問いというより、確認だった。
「私の行動も、言動も。今日どの棚を触ったかとか、誰とどれだけ話したかとか。全部」
鈴仙はすぐには答えなかった。
名簿を俺の胸の上に置き、指先で縁をなぞる。
「……全部、ではありません」
慎重な言い方だった。
「でも、"必要だと判断されたこと"は、共有されます」
必要。
その言葉が、やけに重い。
「それなら、私は今、どのように判断されてますか?」
鈴仙の指が止まる。
視線が、一瞬だけ伏せられた。
「……警戒、ですね」
正直な答えだった。
「回復傾向にはある。でも、不安定。予測不能な行動を取る可能性がある」
淡々とした口調。
まるで、診断結果の読み上げだ。
「誰が敵で、誰が味方か分からない」
ぽつりと、思わず漏れる。
「紫さんも、華扇さんも、永琳さんも……あなたも」
いざ言葉にしてみると、想像以上に冷たい響きだった。
「私が何かしようとすれば、誰かが止める。止められなかったら、別の誰かが来る。そういう仕組みなんでしょう?」
鈴仙は、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと頷く。
「……はい」
否定はなかった。
「それでも」
鈴仙は名簿を布団の脇に置き、自分の布団の上に帰る。
「私は、霊夢さんの味方です」
はっきりとした声だった。
揺らぎはない。
だが、覚悟の重さが滲んでいる。
「こうやって監視していることも、追い詰めていることも、分かっています」
目を逸らさない。
「でも、それでも。霊夢さんが壊れないようにするために、私はここにいます」
俺は唇を噛む。
反論も、皮肉も、何も浮かばなかった。
「……なら、教えてください。それは、いったい何の名簿なのかを」
鈴仙は、一瞬だけ視線を落とす。
「今は、見ない方がいいものです」
断定だった。
「少なくとも、霊夢さんがここにいる間は」
ここにいる間。
その言葉に、わずかな救いと、確かな期限を感じる。
「もう少しで、この生活は終わります」
鈴仙は静かに言う。
「だから、どうか、こういうことはもうしないでください。私も、これ以上、霊夢さんを"止める側"にはなりたくないんです」
その一言で胸の奥が軋んだ。
鈴仙は名簿を手に取り、立ち上がる。
「気を取り直して、今日はもう寝ましょう」
そう言って、障子の方へ向かう。
「これは元あったところに戻しておきます。おやすみなさい、霊夢さん」
いつも通りの挨拶。
だが、その背中は、ほんの少しだけ重く見えた。
障子が閉まり、部屋に再び静寂が戻った。
よろしければ、高評価・感想・お気に入りをお願いします。モチベーションの回復に直結します!
読者年齢層調査
-
10代以下
-
10代
-
20代
-
30代
-
40代
-
50代
-
60代以上