鬼滅の刃ぎゆしの生存if

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1話完結です。


第1話

 「こちょ…。…のぶ。しのぶ。」

誰だろう、私の名前を呼ぶのは。そんな風に、慈しむような呼び方をするのは、両親と姉さんくらいなものなのに。声の主を確かめようとして、重い瞼をこじ開ける。そうして眼前に映ったのは、どこまでも澄んだ青い瞳に、短い黒髪。以前より随分と表情の柔らかくなった、冨岡義勇その人であった。

「しのぶ。もう朝だ、起きろ。今日は写真屋が来る日だろう。」

そうだった。昨日はそれが楽しみで、あまり眠れなかったのだっけ。

「わかりました、」

冨岡さん、といつもの癖で言いかける。慌てて言葉を飲み込み、言い直す。

「わかりました、義勇さん。」

 そう呼ぶと、満足そうな顔をした後、身支度に行った義勇さん。その姿を見送り、私もうつらうつらとしたまま、姿見の前へ立った。鏡に映る自分は、わざわざ化粧で隠す必要もないほど、血色がよかった。体調だって悪くない。袈裟斬りのように残る胴体の傷跡さえなければ、まるで普通の女の子みたいだ。

 これは全て、ひとときの儚い夢なんじゃないか、と一体何度疑ったことか。しかし、私はあの戦いが過ぎてなお、生きている。

 

 

 鬼殺隊全員が無限城に落ちたあの日、私は上弦の弐と交戦し、敗け、喰われた。死に際の指文字を、利口なカナヲはちゃんと読み取ってくれた。自らを仕掛けの起爆剤とした策は成功し、伊之助君とカナヲが頸を落とし斬ったのも見届けた。

 その後、愛だ恋だとのたまうあいつに、完璧な作り笑顔と、最高の侮蔑を吐いてやった。次に目にするのは、天国で待っている両親とカナエ姉さんの笑顔だろうと、そう、思っていたのに。呼びかけられている、と気づいて目を開けたとき、視界に飛び込んできたのは、慣れ親しんだ蝶屋敷の天井。そして、

「姉さん、姉さん!」

と、ぼろぼろ涙を流しているカナヲだったのだ。生きている自分にも、感情を全面に出したカナヲにも驚いて、しばらく呆然としていた。

 実は、私が摂取した毒は、藤以外にもあった。珠世さんが研究に加わった後に開発された、対無惨用の毒。先に毒を吸収するのは無惨の方だろうから、対策される危険性はない、と予備の毒を私にくれたのだった。藤の花と比べれば摂取期間も短かったために、万が一にでも作用すれば幸運、程度の心持ちだった。それが体内の藤と反応し、「栄養の吸収阻害」が予期せぬ効果としてもたらされたのだ。頸を斬られ崩壊するあの鬼から、栄養分である私の体だけが、再構成を経て分離された。毒はそのまま全て、向こうが持っていってくれたというわけだ。

 鬼の細胞によって再構成されていたために、私は鬼にかなり近い存在だったそうだ。その状態から私を人間に戻してくれたのは愈史郎さんだった。珠世さんの残した、三つ作ったうち最後の「鬼を人間に戻す薬」それを飲ませ、万一のことを考え、窓もない真っ暗な部屋に毎日、様子を観にきてくれていたと。多くの人の助けを得て、私は生き残ったのだ。

 決戦から一ヶ月。起きた時には全てが終わっていた。カナヲからすべて聞いた。柱は、私と冨岡さん、不死川さんしか残らなかったこと。大勢の隊員が、隠が、その身を持って無惨を足止めしたこと。炭治郎くんが鬼にされ、本当に間一髪だったこと。薬が効いて、なんとか人間に戻れたこと。無惨との決戦に自分が加われなかったことが、ひどく悔やまれた。大切な妹の片目から、光が永久に失われたことにも怒りが湧いた。もう少し上弦に毒が通用していれば。最後の戦いに参加できていれば。全ては後の祭り、もうどうしようもなかった。

 

 

 あの決戦が終わった後、皆はそれぞれの日常を穏やかに過ごしていた。カナヲの心はついに花開いた。あれなら炭治郎君と恋仲になるのも時間の問題だろう。

 私が驚いたのは、冨岡さんの変わり様だった。炭治郎君によると、「自分を恥じたり責めなくなった」らしいが、それだけではない。感情表現が随分と豊かになった。おまけに性格も素直になり過ぎて、幼子のようで眩しい。私は今まで冨岡さんを揶揄いながらも、裏でずっと好いていた。のだが、こうも真っ直ぐ好意を向けられると、なんとも歯がゆい心地がする。目覚めた後、私が回復して外を出歩けるようになってから、私の気持ちをわかっているのかいないのか、彼はいろいろな場所に連れ出してくれた。好きな人はいるのかとか、この後どうするつもりだとか。色々と踏み込んだ質問もされたものの、のらりくらりと、ひらひらと蝶のように躱わしては誤魔化した。

 そんな調子で個人的な交友関係が続いて二ヶ月ほど経った、四月のある日。急に「大事な話がある。二人きりで話したい。」

なんて、家に呼び出されて。もしや、と思ったら

「胡蝶、愛している。俺の妻になってくれ。」

と言い出すではないか。

「冨岡さん、私には務まりませんよ。もっと素敵な人がいるはずです。」

そうだ。こんなに憎しみと偽りに塗れた自分は、今の彼に相応しくない。

「代わりなんていない。お前だから選んだんだ。」

「おまけに私は、1番重要な戦いに参加できなかった役立たずです。誰かに愛される価値なんて、ない。」

「そんなことはない。お前は自分の戦場で、誓った戦い方で立派に自らの悲願を果たした。」

「私は今まで、姉さんの真似をして生きてきました。冨岡さんが好きなのはきっと姉さんの方でしょう。」

ひどいやつだ、私は。なんでこんな、貴方を突き放すような言葉しかかけられないんだろう。

「違う。お前の努力も、苦難も、身を賭した戦い方も、栗花落から全部聞いた。それを抱えてなお、明るくあろうとしたその気高さが、俺は好きだ。」

あれ、なんだか前がぼやけてよく見えないなあ。

「本当の私はずっとわがままで、幼くて、どうしようもない人なんですよ。あなたが思っているほど、美しくない。」

「そういうところも全て受け止めて、受け入れてみせる。それが夫婦というものだろう。」

春の暖かな青空の下、こんなにも縁側から見える桜が美しいのに。

「冨岡さんにはあと三年もないんですよ。短い残りの人生を、私になんか費やしていいんですか。」

「限られた時間を、愛しているお前と過ごしたい。」

想いを告げられて、言葉に表せないくらいほどに嬉しいのに。大好きなあなたの顔も、涙で歪んでちらちら白く光っている。

「私は半分人の道を踏み外したんです。残り短い時間、あなたとともに歳をとることすらできないのに。」

そうだ、愈史郎さんは私のことを、日の下を歩けるようにはしてくれた。だけど、鬼の特性である不老不死を、完全に取り除くことはできなかったのだ。私はこの姿から老いない上に、齢百二十まで生きなければならない。

「いつまでも美しくいてくれるのも、俺は嬉しい。」

「本当に私なんかでいいんですか。」

「お前がいいんだ。」

まばたきで、視界の靄が晴れる。真剣に、真っ直ぐとこちらを見据える群青の瞳が目に入る。

「改めて、胡蝶しのぶ。俺と夫婦になってくれないか。」

「…喜んで、冨岡さん。いいえ、義勇さん。私と夫婦になりましょう。」

そう答えた私の表情はきっと、涙でぐしゃぐしゃになった、満面の笑顔だったに違いない。かくして、冨岡義勇と胡蝶しのぶは、晴れて婚約したのだった。

 

 

 婚約の翌日、義勇さんに記念の贈り物として何が欲しいか聞かれた。しばらく悩んで、私は服を頼むことにした。普通の女の子としての人生を諦めてから、ほぼ持たなかった晴れ着。だから、思い出のある品で誂えた、冨岡家の奥さんとしての立派な和洋装が欲しいと思ったのだ。その上、思い出の品を探せば、嫌でも自分の過去も清算することになる。新たな人生を踏み出すための節目を兼ね、私は着物とスカートとを仕立ててもらうよう頼んだ。

 まず選んだのは、数少ない母さんの形見の一つ。淡い色の美しい着物は、箪笥の中に入っていたものの、鬼に襲われ家の中が乱れた際、血を被ってしまった。着物に付着した血は、どんなに洗っても染みが取れなかった。見る度に、吐き気がするような憎しみが湧き上がるから、箪笥の奥で長い間眠らせていた。染みの部分について、仕立て屋さんはある提案をしてくれた。一部分だけ切り取って別の布を柄として置き、元と同じように仕立て直すのはどうか、と。店にあるものから好きな柄を選んでいい言われ、私は迷いなく青に波模様の布地を選んだ。あの人が思い浮かぶ、美しい色と柄を。

 母さんの形見と同じく、ずっと目を背けていたカナエ姉さんの隊服。姉さんの羽織はいつも身につけていたが、最後の戦いで破れて着られなくなった。だから何か、姉さんを身近に感じられるものが新しく欲しくて、スカートに仕立ててもらうことになった。

 着物の襟にはカナヲのものを使った。何かしら繋がりがあるものを服に仕立てたい。そう彼女に伝えると、とても嬉しそうに桃色の着物を渡してくれた。最終選別で隊服支給前に着ていたそれは、まるで彼女の優秀さを示すように、汚れひとつなかった。

 千切れて原型を留めなくなった羽織も、裾だけは綺麗に残っていたから、内襟にしてもらうことにした。もう羽織として着ることができないなら、せめて服の一部に残したい。

 仕立てを頼んでから一週間。美しき装いは無事に完成し、私の手元へ届いた。

 

 

 そして今日。屋敷で、旧鬼殺隊の皆で写真を撮る日。私は初めてこの晴れ着に袖を通す。着物の襟ぐりからスカートの丈、何から何までぴったりだ。使う布を此方から持っていき、色々と注文もつけて大変だっただろうに。仕立て屋さんには、本当に感謝の念に堪えない。着終わって姿見の前に行く。母さん、姉さん、カナヲ、義勇さん。まるで皆が傍にいるみたい。これならたとえ1人残されても、寂しくはないだろう。

 「服、着ました。」

と義勇さんに見せに行くと、

「本当に綺麗だ、似合っている。」

と返されて、なんだか照れる。一通り褒められた後、

「実は折り入って渡したいものがある。」

と。打ち明けられ、言われるままに目を閉じる。

手に何かがそっと載せられた感触。目を開けると、そこにはあの羽織の臙脂色をしたリボンが、大小二つ。私はひどく驚いた。

「いいんですか。これ、大切なお姉さんの形見じゃないですか。」

戦いを経て、生地が綺麗に残っていた部分も少なかっただろうに。自分なんかがもらってもいいのだろうか。

「ああ。もうボロボロになって着られないし、しのぶがつけていた方がいい。」彼はことも無げに告げ、

「それに、俺がいなくなった後も、これがあれば多少は気が休まるだろう?」

と言葉を続けたのだった。

化粧台の前に座り、義勇さんにリボンを付けてもらう。驚くほど服と馴染んだ首元と頭の臙脂色は、朝の日差しを受けて柔らかく光っていた。

 

 

 手のひらからこぼれ落ちて、時には自分で手放して。それでも残った幸せを噛み締め、私は生きていく。百二十まで生きなければならないなんて、全く呪いのような運命だ。愛しい人は、後数年したら私の元を去ってしまう。それでも、生きているうちに結ばれたのは、とても幸せなことだ。

 私は、生き残ったことにすら罪悪感がある。幸せになるべき仲間達が亡くなって、どうして死ぬ計画だった私が生きているんだろう。でも、自死だけは絶対に許されない。この永い命を最後まで使い切る。それこそが生かされた私の義務であり、贖罪なのだから。仲間が目にするはずだった美しい景色を目に焼き付け、明日を生きたかった彼らの分まで、人生を謳歌しなければ。

 屋敷までの道のりで、美しい青空を眺めながら、そんな物思いに耽る。考え事で歩みが遅くなる私を、義勇さんが呼ぶ。

「行くぞ。こちょ…。しのぶ。」

まだ下の名前で呼ぶのに慣れていない彼は、照れつつもこちらに手を差し出した。その様子を見て、私はうんと久しぶりに、声をたてて、心の底から笑った。ああ、幸せだなあ。そして私は、

「はい、義勇さん!」

とその手を取る。

 姉さん。私、結局普通の女の子みたいな生き方はできなかった。しわしわのお婆ちゃんにはなれなくなっちゃったし。旦那さんとも、すぐ辛いお別れをするだろうし。

でも、それでもね。わたし、今、ほんっとうに幸せ!

 


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