〈スクラップビル〉をクリアした数週間後。
深い夜の森で目覚めた私・幽鬼の目の前にはドッペルゲンガーの幽鬼がいた。
容姿も言動も同じ偽幽鬼に困惑する死装束の私。何だこいつ、どうして私を真似るんだ。運営が仕込んだNPCか、それともプレイヤーか。
謎は解けぬうちに肝試しゲームがスタートし、私はドッペルゲンガーと二人ペアを組んで協力することになる。闇に隠された本当のルールとは、それで割と優秀なこいつの正体は……?
私たちは今日も――死亡遊戯で飯を食う。

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『死亡遊戯で飯を食う。』の二次創作です。公式とは一切関係ありません。
原作二巻まで既読の前提です。

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pixivとのマルチ投稿です。

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第1話

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 大きな鏡の前で、幽鬼は目を覚ました。

 

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 ずいぶんぼろい天井だった。

 雨漏りが似合うというか、今にも頭の上に何かぽたぽた垂れてきそうな。

 湿って腐り始めた木材からカビの臭いがうっすら漂っている。齧られたようにあちこち空いた隙間からは夜の星がいくつも瞬いていた。

 部屋の中では、壁にかかったランタンが唯一の灯りだ。キャンプ用品として売っているようなプラスチック製。野晒しの廃墟に後付けで設置されたのだろう。頼りない光量ではあるが、他の光源が無いものだから朽ちた室内を力強く照らしている。

 ぼろいベッドの上で上半身を起こした。背中が少し痛い。ベッドが硬すぎたのだ。低反発とかではなくて、バネが完全にへたり切っている。

 固まった腰を左右に軽く捻ったとき、板同然のベッドはキイと鳴りすらしなかった。マットレスが役割を放棄した代わりに、ベッドの足と床が同時に軋んだ。

 

「……」

 

 幽鬼は白く大きな着物を着ていた。

 染み一つない綺麗な純白。装飾は何一つないが、布質だけはやたらによい。頬ずりしたくなるほど触り心地の良い柔らかな布が、腹の帯一本で留められていた。

 そして、右肩から左腰にかけて襟のラインが走っていた。いわゆる左前というやつである。

 その意味を理解できた自分を褒めたくなる。一般常識を付けるためのネットサーフィンが実を結んだ。数学や地学の参考書と格闘するばかりではなく、地道な努力が目に見える瞬間はやはり嬉しい。

 これは死装束だ。死体に着せるための衣装。

 一昨日に目を通したマナー紹介サイトには「絶対にしてはいけません」と書いてあった着方だが、人が死ぬゲームで不謹慎も何もないだろう。

 頭には小さな三角の白い布が乗っている。帯状の紐を頭に一周させて結ぶことで固定されていた。こっちは死を思わせるシリアスなアイテムというよりは、ちょこんと可愛らしい印象だ。

 

「……良いんじゃないか? これ」

 

 自分の口から漏れた言葉に自分で驚いた。

 珍しいことに、今回に限って本当に珍しいことに、幽鬼はゲームの衣装をはっきり「良いな」と思った。

 ゲームのたびにさせられるコスプレはいかにも若い娘さん向けにキャピキャピして小っ恥ずかしいものばかりだが、これは例外的に良い。身体のラインが無駄に出ないし、肌に触れる布が気持ちいい。足元の草履も涼しげで軽やかだ。

 それより何より、死装束は明らかに幽鬼に似合っていた。

 幽霊女に白装束。豚に真珠、猫に小判、と頭に浮かんでからそれは意味が違う気がして打ち消すが、とにかく幽鬼には白装束が似合う。

 幽鬼の貧相な雰囲気を揶揄うような華美さが一切なく、一緒に色白く青ざめていてくれる衣装。自分にマッチする服装のジャンルというものがこの世に存在することを初めて知った。

 死者の衣装という意味付けも悪くない。殺し殺される覚悟を決めた殺人ゲームの参加者として、これほどふさわしいものは無いだろう。もちろん死んでやるつもりはさらさらないが、死地に赴く気合が入る。

 ところで、幽鬼は自分の身体を見下ろしたり、ぺたぺた触ったりして衣装を確認したのではなかった。

 自分自身の姿ではなく、目の前の大きな鏡に映る姿を見ていた。ベッドに横向きに腰かけた幽鬼の前には鏡が一つあって、そこには当然座った幽鬼が映っていた。

 とてつもなく大きい鏡だ。端の方に目をやるが、縁が見えない。

 よく磨かれていて曇り一つなく、室内に舞う塵の一つ一つまでクリアに反射していた。この廃墟につい最近設えられたことは明らかで、ゲームでの重要アイテムという可能性も低くない。

 鏡面を触ろうと右手を伸ばしてみる。鏡の中の幽鬼の身体に触れた。

 むに。

 

「むに?」

 

 思わずオノマトペを復唱する。いま何が起きた?

 

「うわ! なんだいきなり」

 

 自分の声がした。

 それが自分の声帯から出たものではないことを理解するまで、三秒くらい固まっていた。

 続いて、自分は鏡の国にアクセスしたのだと思った。鏡に映っている幽鬼に触れて、鏡の中の幽鬼が喋ったのだと思ったから。運営は遂にそんな技術を作り出したのか。いやそんなわけあるか。

 よく見れば、自分は目の前の幽鬼に右手を伸ばしているが、目の前の幽鬼はこちらに左手を伸ばしていない。

 つまり真相はこうだ。

 幽鬼と全く同じ外見の少女が目の前に座っていた。鏡なんて最初から無かった。

 

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「まず手をどけてくれるかな」

「あ、ごめん」

 

 そこでようやく気付いた。

 鏡を触ろうとした右手は目線の少し下くらいに持ち上げていた。つまり目の前の少女の胸を鷲掴みにしていた。慌てて手を離す。

 初対面の他人様の胸をいきなり触るなんてとんでもないことをしてしまった、と思ったがすぐに思い直す。言うほど初対面か? 言うほど他人様か? 同じ外見だぞ。

 ふと右手を挙げてぶんぶん振ってみるが、もちろん相手が同じ動作をすることはなかった。怪訝な顔をして、やはり同じ声で聞いてくる。

 

「何してるの」

「いや……なんていうか、けっこう似てるよね、私たちは」

「まあ、そういうこともあるだろ」

 

 無いだろ。という言葉が喉に引っ込むほど同じ顔だった。改めて正面の相手をしっかり見る。

 幽鬼にそっくりよく似た、いや、それどころではない。自分で見る限り見分けが付かない。緩い死装束を着ているために体格まではわからないが、少なくとも背丈や肩幅は一致しているように見える。

 冷静になって見渡せば、別にこの部屋は左右対称に出来ているわけでもなかった。

 ただ単にベッドが二つ並んでいるというだけで、他の設えはまとまりがない。ランタンは中途半端な位置に一つあるだけだし、中身が飛び出した棚や錆びた蝋燭立てもその辺に雑然と散らばっている。

 目の前にいる人物があまりにも自分と同じ顔だから、無意識のうちに「目の前に鏡がある」と誤認していたのだ。他の整合を全て無視して。寝起きであることを差し引いても、脳の呆れた自動補正に感嘆する。

 まじまじ見ているうち、目の前の幽鬼が右手首に小さな黒い腕時計のようなものを付けていることに気付いた。

 自分の右手首を見ると同じものが付いていた。

 スマートウォッチのような液晶画面、その隣には小さな鍵穴が一つ。金属製のバンドで硬く固定されており、試しに引っ張ってみてもびくともしなかった。

 目の前の幽鬼も腕を持ち上げてみせた。

 

「たぶんゲームに使う端末だろうね」

「うん。見たことある」

 

 これは、刻々と変わる情報を各プレイヤーに伝える用途で使われる端末だ。例えば残り時間とか残り人数とか。

 死装束とは世界観がだいぶ違うが、小さく目立たないためゲームを問わず使える汎用デバイスとしてゲームによく登場する。

 鍵穴が付いているバージョンは初めて見たが、使い方はだいたい予想が付く。たぶんどこかで入手した鍵をここに差し込むことで新たな情報が表示されたりするのだろう。

 脱出型ゲーム向けの装置ではあるが、今回のゲームが脱出型とはあまり思えない。ぼろく穴だらけの壁や天井はその気になればすぐ壊して出られそうだからだ。

 

「……うーん」

 

 ゲームについて考えているうち、思考力が少しずつ戻ってきた。

 よく考えてみれば、同じ外見の人物がいるくらいは有り得ないというほどおかしな事態ではない。

 何せ、プレイヤーに〈防腐処理〉を施したり千切れた手足を容易く繋げたりする運営のことだ。見た目が同じドッペルゲンガーを用意するくらいは不可能ではないだろう。普段ゲームに登場するNPCはモブっぽい役回りが多く、ここまで露骨にプレイヤーに寄せたキャラが登場する例は知らないが、それをしてはいけない理由もない。

 結論を出すための情報はこれから集めればいい。それも含めてゲームを続行する。

 ベッドから立ち上がって部屋を見渡す。よくあるように、スタート地点の部屋には外に繋がる扉が一つだけ付いていた。

 

「とりあえず外に出よう」

 

 この呟きは完全にハモった。

 

  (3/24)

 

 二人揃って部屋を出る。

 あばら屋のような部屋から一転して、階段付きで吹き抜けがある大広間に出た。肖像画やくすんだ調度品がそこらに置かれ、床には擦り切れたカーペットが敷かれている。ただしやっぱり木の壁は朽ち気味で、鼻を鳴らすとうっすらカビ臭い。

 階段の上側には五個の扉が並んでいる。幽鬼たちは右端の扉から出てきたところだった。

 他の扉も開けて確認しようかと思ったが、もう階段下の方から大勢の話し声が聞こえる。このまま下の広間に向かうことにした。

 幽鬼たち二人の足音を聞いて、広間にいる八人の目が一斉にこちらを向いた。たぶんどのスタート部屋も同じ設計で、それぞれ二人分ずつベッドが置いてあったのだろう。扉五つかける二人で合計十人。

 いつも通り幽鬼は最後に起きてきて、これで全員揃ったわけだ。

 

「どうも、幽鬼といいます。ゲームは十五回目。いつも眠りが深くて遅れました。よろしく」

「同じく。よろしく」

 

 偽幽鬼が雑すぎる挨拶を繋ぎ、突っ込むべきか迷う。

 他のプレイヤーたちは挨拶に応じることも忘れ、困惑の混じった目でこちらをじっと見ていた。その目線は右に左に忙しく揺れる。

 あまりにも似ているものが二つ現れたら、見比べて違いを発見しようとするのは自然の摂理。それが人間ならなおさらだ。もし見つかったら教えてほしいと思いつつ、幽鬼もゆっくり見返すことにする。

 いつものことではあるが、華やかで見目麗しい娘さんたちが広間に並んでいた。

 椅子や机はないので、皆地べたのカーペットにだらりと足を崩して座っていた。全員揃って幽鬼と同じ白い死装束を着ていたが、顔の整い方こそ各々で多様なれど、若い顔と体躯は瑞々しく活力に満ち、触れれば弾けそうな生気が漲っているのは皆同じ。

 つまり、死装束は全く似合っていなかった。やっぱり一番似合うのは自分だな、と内心で妙な優越感を抱く。

 しかし意外なことに、同じ見た目のプレイヤーのペアは他には特にいなかった。

 オリジナルとドッペルゲンガーの二人ペアが五組で合計十人みたいな構成を予想していたのだが、それは完全に外れた。ただ幽鬼一人だけがドッペルゲンガーを引き連れていて、他の八人はそれぞれに違う外見なのだ。

 その中に、見知った顔を一つ見つけた。

 

「言葉」

「あ、お久しぶりです」

 

 図書委員じみた眼鏡の娘がぺこりと頭を下げた。幽鬼にとっては十回目のゲーム、〈スクラップビル〉で出会ったプレイヤーだ。

 たしかアーリーリタイアを目指してゲームに参加していると言っていたから、まだ資金を積み立てている最中だろうか。この中では死装束が似合う方だが、それでも幽鬼に比べれば全くだ。

 

「御城は元気にやってる?」

「実は御城さんとはもう会ってないです、毛糸さんとも。もうグループって感じでもなくて」

「あの意地悪お嬢様にはもう見切りを付けたかな」

「そういうことになるかもしれませんね、別に袂を分けたってほどでもないんですけど。ただ、御城さんは御城さんで随分頑張っているみたいですよ。すごいペースでクリアを重ねているとか、弟子……というか手先? を増やしてるみたいな噂はよく聞きます。まあ、私は私で地道にコツコツ頑張ろうかなと」

「おお、頑張るね」

 

 言葉は軽く拳を握ってみせ、そこに健全な自信が宿っていることに少し驚く。

 驕りでも慢心でもなく、彼女らしい慎重さに裏打ちされた力強さ。〈スクラップビル〉で初めて会ったときに比べると、おどおどした雰囲気も払拭されている。

 そういえば言葉は両足を失っていたはずだと幽鬼の視線が下がると、言葉は気を悪くした風もなく応じた。

 

「今は義足です。感覚が無いことは不便ですが、けっこうよく動きますよ。もしかしたら元よりも」

「そう、それは良かった……でいいのかな」

「ええ、もちろん。生きてるだけで御の字ですから。これも幽鬼さんに救って頂いたおかげです」

 

 言葉は再び頭を下げる。

 かつて幽鬼が言葉の命を救ったのは百パーセント事実なので謙遜するわけにもいかず頰をかく。それはゲームをクリアするための打算だったが、だからといって事実が変わるわけでもない。

 今は好意的な知り合いがいるのは都合が良い。隣にいる偽幽鬼の頬をつつきながら言葉に聞いてみることにした。

 

「同じ顔してるよね?」

「そうですね」

「あんまり驚いてない?」

「驚きはしましたけど、まあ、ゲームならそんなこともあるかなと」

「何か違いに気付くことはない? 目の大きさとか肌の色とか、何でもいいけど」

「うーん……いえ、特には……すいません」

 

 言葉は申し訳なさそうに三度目の頭を下げ、幽鬼はいや気にしないで、と手を振った。言葉とも一度出会ったきりではあるし、幽鬼自身がわからない違いを見つけられるとそこまで期待していたわけでもない。

 言葉と話している間にも、他のプレイヤーたちからの視線は集まったままであることに気付く。単なる物珍しさだけではなく、何かを促すような期待感がほんのり込められている。

 ああなるほど、と合点がいく。他のプレイヤーは、幽鬼たちのことを何か運営から特別な役割を言い含められたプレイヤーか、もしくは運営のキャラクターだとでも思っているのだろう。二人だけ同じ顔で最後に現れればそれも自然なことだ。

 少し居心地の悪さを感じつつ、皆に向き直って誤解を解くことを試みる。

 

「ええと、同じ顔のやつがいる理由は私にもよくわかりません。運営からの説明とかは受けてませんし。とりあえず今の段階ではただのプレイヤーで、このゲームのキーパーソンみたいな感じでもないと思います」

 

 それで皆が信じたようにはあまり思えないが、ゲームが始まるまでは糾弾のしようもない。まあとりあえずそういうことにしておくか、という雰囲気の中で順番に軽い自己紹介を済ませた。

 聞いた感じ、程よく経験がばらついていてバランスが良いメンバーだった。クリア回数は一番少なくて八回、一番多くて十七回。右も左もわからない初心者はいないが、かといって〈三十の壁〉を超えたベテランもいない。

 自己紹介が終わったあたりで、幽鬼たちに対して「見分けが付くようにしてもらってもいいですか」と声が上がった。幽鬼自身が取り違えることはないが、他のプレイヤーからすると紛らわしいことこの上ないのだ。

 いつも幽鬼が左の前髪に付けている髪留めを偽幽鬼だけ右に移してみたが、それではまだ紛らわしいということで、三番目に自己紹介したプレイヤーが手を上げた。

 そのプレイヤーは特に華やかな髪型をしていて、死装束が本当に全く似合っていなかった。後ろ髪をカラフルなヘアピンでいくつもの房に分けて束ねていた中から、赤と青の髪留めを分けてもらう。幽鬼は赤いヘアピンを右の前髪に、偽幽鬼は青いミニリボンを左の前髪に付けた。

 

「それでゲームについて何かわかっていることはある? ヒントだけでも」

「ヒントも何も、そこに全部書いてありますよ」

 

 言葉は壁際をついと指さした。

 その先を目で追うと、蔓で編まれたぼろい屑籠のような円筒が床に置かれている。その中には角の立った紙が丸めて何本も放り込まれていた。偽幽鬼が二つ取ってきて、幽鬼に一つ手渡した。

 それはコート紙で出来たチラシだった。

 表面にてらてらとした光沢があり、建物の朽ちっぷりには全くそぐわない。カラフルな紙面の安っぽい鮮やかさからは、ゲームのためについ最近刷られたことが窺えた。

 やたらポップな字体で書かれたチラシの文章を偽幽鬼と交互に読み上げる。

 

「納涼肝試し大会のお知らせ……」

「二人一組で協力して夜の暗ーい道を進もう」

「ランダムにペアを組んで二人一組ずつスタート」

「ゴールにある成仏のお札を持ち返ろう」

「夜道ではお化けや仕掛けに注意してね」

「……スプーキーフォレスト町内会より」

 

 チラシの下部にはかなり簡素な地図が記載されていた。

 細長い直線の道が並行に二本並んでいるだけだ。片方の端にはスタート地点、もう片方の端にはゴール地点と書いてある。ゴール地点の側には「ここにお札があるよ」という吹き出し。

 

「なるほど、協力型のゲームかな」

 

 と幽鬼。偽幽鬼が頷いた。

 

「なんか、ぬるそうなゲームだね」

 

 と偽幽鬼。幽鬼が頷いた。

 もともとゲームじみた肝試しをモチーフにしているだけに、やることがわかりやすい。ゴールからお札を持ち帰るだけ。

 たぶん道中にトラップだかお邪魔キャラだかがいて、それをペアで力を合わせて突破していくのだろう。変則的な脱出型とも言えるかもしれない。

 これで服装が死装束であったことにも納得がいった。肝試しのお化けをイメージした衣装だったわけだ。こうなると真剣な弔いというよりは、可愛い悪ふざけの仮装のようなイメージになってくる。

 

「それでペアの決め方は……」

 

 と幽鬼が言いかけたとき、安っぽい電子音が部屋中にピピピと鳴り響いた。同じ音がいくつも重なっている。それは全員の腕から同時に鳴っていた。

 皆一斉に腕にはまった鍵穴付きの液晶端末を見た、小さな液晶が点滅していた。

 徐々に音の間隔が長くなっていく。ピ、ピ、ピ……ピ………ピ。音が止まった直後、ピッピピーンという当たり音声が続けて鳴ったのは二人だけだった。

 幽鬼たちに髪留めをくれたプレイヤーと、目つきの鋭いポニーテールのプレイヤーだ。二人の液晶には〈40:00〉というタイマー表示、そして他のプレイヤーの液晶は暗い状態に戻っている。

 この広間に一つだけある、大きな門のような扉がウィーンと音を立てて開き、生温い外の風が吹き込んできた。扉の上に付いた大きなモニターにも〈40:00〉の数字が浮かぶ。

 

「なるほど、この端末でペア抽選と残り時間のカウントをするわけだ」

 

 肝試し一組目のペアが軽く共闘の握手をして外に出ていくのを見送った。

 扉が閉まると同時に、モニターがカウントを開始した。

 

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 一組目のペアが出発してから四十分が経過した。

 扉のモニターは〈40:00〉から〈00:00〉まで減ったあと、今度はすぐに〈20:00〉からカウントが始まった。

 それが〈00:00〉になると再び手元の端末から抽選が行われ、別の二人が送り出されていった。そしてまた〈40:00〉の表示からカウントが再開される。

 言葉が幽鬼に問う。

 

「肝試しの制限時間は四十分っぽいですけど、その後の二十分は何なんでしょうか?」

「肝試しのセッティングじゃないかな。トラップを仕掛け直すとか……死体を片付けるとかの」

「ああ、なるほどです」

 

 つまり肝試しは一組あたり合計六十分かかるということだ。プレイヤーは全部で十人いるので五組分、最大で四時間待ちの計算だ。

 既に最初の出発から一時間ちょっと経過しており、何もない部屋に閉じ込められているのはそこそこ退屈だ。肝試しは二人ずつというゲームの性質上、待機時間にやるべきことは特にない。

 広間の隅にはウォーターサーバーが一台と、ちょっとした駄菓子がいくつか籠に放り込まれている。暇を持て余したプレイヤーたちは飴やチョコを齧りながらぽつぽつ駄弁り始めていた。

 直近で参加したゲームについてとか、今まで肝試しをしたことがあるかとか。こういう情報交換の時間は意外と大事だったりするものだ。

 幽鬼も偽幽鬼と言葉の三人で固まって座っていた。他愛ない雑談も交えつつ、偽幽鬼の素性を掴むための質問を色々と試みる。

 

「そっちも幽鬼っていう体なんだよね」

「そうだね」

「得意な武器は?」

「だいたい何でも使えるけど、鈍器とか刃物みたいな直接襲う武器が取り回しやすくて楽かな。故障しないし応用も利く」

 

 これは幽鬼も同意見だ。もう少し個人的な質問を続けてみる。

 

「昨日コンビニで買って、いま冷蔵庫で冷えてるはずのジュースの味は覚えてる?」

「いや全然」

「〈スクラップビル〉で会った御城のことは覚えてない?」

「忘れた」

「すげえ髪型とか変な喋り方とか、忘れる方が難しくない?」

「でもまあ、忘れた」

「幽鬼なのに?」

「うん」

 

 こんな調子だ。意外となりきりが雑なことがわかってきた。

 確かに、幽鬼とゲーム中に会ったことがある人が知っていそうな程度のことは正しく答える。幽鬼が得意とする武器とか、幽鬼の戦績についてはざっくり知っている。

 だが、幽鬼しか答えを知らない事柄については「忘れた」「覚えてない」「そうだっけ」と来る。もし自宅の冷蔵庫や段ボールの中身まで答えられたら別の意味で怖くなってくるが、そこまで把握しているわけではないと知って少し安堵する。

 結局のところ、こいつは自称幽鬼の誰かさんでしかないのだ。

 しかもそれを隠すつもりもあまりない。隣にいる言葉も、もう赤いピンの幽鬼が本物で青いリボンの幽鬼が偽物だと把握している。

 

「……うーん」

 

 よくわからないことになってきた。

 最初にベッドで遭遇したときは、これは運営側の仕込みだと思っていた。ゲーム自体がドッペルゲンガーをテーマにしたものとかで、進行上で必要なギミックNPCだと思っていた。

 だが、その線はもう薄そうだ。ドッペルゲンガーがいるのは幽鬼だけだし、幽鬼は運営から特に何も言われていない。ゲームによってはプレイヤーごとに役回りが異なるケースもあるが、その場合は最初から告知されるのが普通だ。

 今回は暗黙のうちに幽鬼にだけ何か特別な役割が与えられていて、それに気付くこともゲームに含まれていると考えられなくもない。しかし、お互いに騙し合う頭脳系ゲームならともかく、ただ二人ずつ肝試しをするだけのゲームで同じ外見だからなんだというのか。

 

「……」

「……」

 

 偽幽鬼にぐいと顔を近付けてじっと見つめてみた。

 自分の顔に見惚れるナルシストではないが、自分の顔を見続けることに抵抗はない。青白くて表情に乏しい顔は何を考えているのかわかりにくい、という感想が全て自分に跳ね返ってきた。

 そんなことをしているうちに三回目の抽選が始まり、幽鬼と偽幽鬼の液晶から当たりの音が鳴った。

 じゃあまあ行くか、と頭をかいて立ち上がった幽鬼も、頑張ってください、と手を振る言葉もすっかり見逃していた。

 幽鬼に至近距離で見つめられ続け、ようやく解放された偽幽鬼の頬が僅かに赤く染まっていたことを。

 

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 深い森だった。人工ではなく、天然の。

 穴開き天井から僅かに覗いていた星空。遮る物のない屋外で見上げると、あまりの星の多さに眩暈がしてくるほどだ。

 しかし地上に目を戻せば一面の闇夜。単に光が遮られた屋内ではなく、開けた自然に特有の全てを塗り潰す力強い闇色。夜目の利く幽鬼でも視界は十メートルもない。

 犬の吐息のように生暖かい風が肌をゆっくり撫でて身震いする。そのまま背後に流れた温風は、立ち並ぶ木々にぶつかって複雑に蛇行し、腹を鳴らすように低く呻いた。

 

「ここがスタート地点なんだろう」

 

 幽鬼は死装束の襟に挟んだチラシを取り出した。

 地図と同じように、細い道が二本並行に伸びている。二本の道を隔てるのは腰ほどの高さの茂みだけだ。人気のない山奥でこの道だけはきっちり草木が刈り込まれており、ゲームのために整備されたのは明らかだった。

 道に沿ってランタンが点々と置かれていた。室内にもあったものと同じ、キャンプ用のランタンだ。闇に伸びる光の点線は飛行機の滑走路に似ている。おかげで足元だけは明るいが、腰より上あたりからはもう闇に呑まれてほとんど見えない。

 スタート地点を探索しておくべきかと一瞬考え、すぐに却下した。この暗さでは効率が悪いし、手元の端末はこれ見よがしに時間制限を示している。素直に提示されたルールに従って進むべきだろう。

 ゴール地点から札を取ってきて、スタート地点に戻ってくる。ただそれだけ。協力型のシンプルなゲームだ。

 偽幽鬼が二本の道を指さした。

 

「どっちにする?」

「どっちも大して変わらなさそうだけど」

 

 幽鬼は足元の小枝を拾って軽く放る。左に角度が付いて斜めに落ちた。

 一応じゃんけんをした結果、偽幽鬼が前、幽鬼が後ろで左の道を歩き出す。幽鬼の体格ならギリギリ二人並べる道幅ではあるが、手を繋いで身を寄せ合って悲鳴を上げるための肝試しではない。

 歩き始めてすぐ、偽幽鬼が立ち止まって告げた。

 

「ストップ。二メートル先にワイヤートラップ」

 

 幽鬼も頷く。実は三秒くらい前から気付いていたが、偽幽鬼の反応が知りたくて黙っていた。

 道を横切って不自然にランタンの光を反射する細いラインがある。闇の中では見えにくいが、経験を積んだプレイヤーなら誰でも見つけられる程度のものだ。

 少し道を外れたところから偽幽鬼が握りこぶし大の石を拾った。

 

「動作を見ておいた方がいいと思う」

「そうだね。とりあえず作動させてみよう」

 

 十歩ほどの距離を取り、ワイヤーに向かって石を投げる。

 石がワイヤーを踏む。森の闇の中からプチンという小さな音、張り詰めた張力が解放される音だ。

 そして現れたのは大きく重い鎌だった。ぶおんと勢いよく風を切って道を横切る。農作業にはとても使えなさそうな重量感で、他のゲームでも武器かギミックだったものを流用しているような気がした。

 大鎌は数度左右にスイングすると、もう最初に溜めていた位置エネルギーを使い果たしてぶらぶら揺れるだけになった。

 

「ベタなトラップだね。予想を一歩も出てないというか」

「肝試しらしいと言えばらしいけど」

 

 この罠からは絶対に殺すという気概を感じない。よほど当たり所が悪くなければ即死はないし、踏んでからでも回避が間に合いそうだ。

 

「トラップ全部を慎重に回避するっていうよりは、多少は踏みながらでも急ぐっていうゲームデザインなのかもしれない。単に突破するだけじゃなくて、制限時間内にお札を持って帰るっていうゲームの趣旨もあるしね。二人ペアで協力しながらっていうのも、二人でカバーしながら強行しろってことかな」

 

 偽幽鬼の分析に内心驚きながら頷く。

 いま幽鬼が自分で考えたこととそっくりそのまま同じ内容だった。もし偽幽鬼が喋り始めるのがあと三秒遅れていれば、きっと自分が一言一句違わないことを言ったと思う。

 

「賛成。もちろん油断させておいてからいきなり致死トラップっていう可能性もあるけど、少し急ぎ気味の方がいいかな」

 

 偽幽鬼が頷いた。

 

  (6/24)

 

 ただ歩くよりは少しだけ遅いくらいのペースで道を進んでいく。

 予想通り、仕掛けられているトラップはどれもだいぶ温い。

 基本は大量のワイヤートラップ。バリエーションは高さや角度の違いくらいで、潜ったり飛び越えたりで簡単に回避できる。落とし穴やトラバサミも少しあったが、それも被弾するほどではない。

 思えば、肝試しのセットアップが二十分というのもヒントかもしれなかった。運営が何人で待機しているのかは知らないが、二十分で再セットできる程度のトラップしかないというメッセージとも取れる。

 すると幽鬼にとって問題になってくるのは、トラップよりも前を行くこの偽幽鬼のことだ。

 

「……」

 

 十分ほどではあるが、偽幽鬼の振る舞いを見て幽鬼は一つの確信を固めつつあった。

 偽幽鬼は普通に優秀なプレイヤーだ。だいたい幽鬼と同じようにトラップを探知し、幽鬼と同じようにトラップに対処する。プレイヤーに特有の冴えた勘を持ちコツを熟知している。

 リスクとリターンを意識した身体運びは、明らかに身体に染み付いた類のものだ。幽鬼のプレイヤーとしての直観がこいつは同業だと主張していた。

 偽幽鬼は運営側が仕込んだNPCという線はもう切ってしまっていいと思う。プレイヤーが死にうるゲーム本編がもう始まっている以上、今から「実はこういう役割のキャラで……」と後出しするのはもう遅い。

 ただ、偽幽鬼がプレイヤーだとしたらそれはそれで重大な問題がある。プレイヤーではない方がまだましだったかもしれない。

 しかし何度考えてもこの結論しかない。信じがたく頭の痛いそれに呻き声が漏れる。

 

「……まじで?」

 

 偽幽鬼はただ頭がおかしいだけのプレイヤーだ。

 個人的な趣味によってゲーム開始前から幽鬼と全く同じ外見をしている狂人。今回のゲームとは特に関係なく、運営とも全く無関係に。そうとしか考えられない。

 このゲームにおいて、武器の持ち込みは禁止だが人体改造は自由だ。実際、小さなものは義手や爪研ぎから、大きなものは内臓や骨格まで、自分の身体に手を入れているプレイヤーは無数にいる。首に金属プレートを埋め込むような連中に比べれば、見た目の整形なんて可愛い方だ。運営側からも禁止する理由は特に無い。

 偽幽鬼は通常通りにゲーム参加者として集められ、通常通りにゲームがスタートした。そしてたまたま幽鬼と同じ部屋でスタートし、たまたま同じペアに割り当てられた。ただそれだけの話。

 もし何か一つでも介入があったとすれば、スタート地点が同じだったことは運営の遊び心かもしれない。絵的にも面白いし、どうせ何でもいいなら隣に寝かせてみるかというくらいの判断は有り得る。

 ただ、その後のペア抽選が恣意的だったとは考えにくい。ペアがランダムであることはチラシにも明記してあった。「ランダムという体で実は操作している」という類の不誠実な操作は運営が最も嫌うところであると幽鬼は認識していた。

 偽幽鬼がドッペルゲンガーをやっている動機がこのゲームとは特に関係ないなら、これはゲームの攻略ではなくゲーム外の人間関係に属する問題になってくる。

 しかし幽鬼のドッペルゲンガーをやる理由なんてわからなさすぎる。

 幽鬼は〈利他〉のプレイスタイルとはいえ、殺人ゲームに長く参加している以上は恨まれる心当たりはいくつかある。とはいえ、こんな特殊で遠回しな嫌がらせをする動機がさっぱりわからないのだ。

 素性の手がかりも全くない。何せ、相手は幽鬼と同じ容姿で同じような発言しかしていないのだから。

 考え事をしながら歩いていると、急に立ち止まった偽幽鬼にぶつかった。偽幽鬼はそのまま黙って地面にしゃがむ。振り返って唇に指を当てるジェスチャーから声を出せない事情があると察し、幽鬼も黙ってそれに従った。

 頬を寄せた偽幽鬼が息だけの小声で耳打ちしてくる。

 

「向こうから誰か来てる、反対側」

 

 地面に耳を当てると、確かに足音が二つ聞こえた。

 

  (7/24)

 

 幽鬼と偽幽鬼はスタート地点から見て左側の道を進んでいた。その反対側、つまり低い茂みを跨いだ右側の道から、幽鬼たちとは逆向きに進む二人分の足音が聞こえる。

 足取りは引き摺るように濁っていて進みもだいぶ遅い。大丈夫かな、もう少し急いだ方がいい、と会話する小声も聞こえる。

 向こうがこちらに気付いている様子はない。茂みを跨いだ道は意識して目を凝らさなければ闇に紛れてしまう。幽鬼たちが先に気付いて足音を消したため、一方的に認識できているという状況だ。

 二人組が正面を通過していく。顔は暗くて見えないが、足元だけはランタンに照らされて茂みの隙間からはっきりと見えた。

 色鮮やかな浴衣の裾だ。ピンク色の桜柄と、空色のアジサイ柄。死装束とは全く違って、ちゃんとこの年頃の華やかな娘さんに似合う服装だった。

 そのまま二人が立ち去ったことを確認してから顔を上げた。顎を抑えた偽幽鬼が小声で呟く。

 

「別の肝試しペアかな。死装束じゃないから先にスタートした人たちでもない。グループ自体が違う?」

「他の場所からスタートして同時進行してるゲームのグループがある?」

「他のグループがあるなら、このゲームは対戦型って可能性もあるかもしれない。さっきのグループとお札を奪い合うとか」

「無いとは言えないけど、まだわからない。向こうが他のグループを気にしてる感じもなかったし」

「同時進行しているとして、そもそもクリア条件が衝突してるのかどうか気になるね。もしかしたら向こうとも協力できる設定かも」

「何にせよ、少しスピードを上げた方がいいな。不確定要素が増えたことだし、急ぐに越したことはない」

 

 言いながら、目の前にいるやつも不確定要素なんだけどなと幽鬼は内心溜め息を吐く。

 敵と確定しているならともかく、そうではないのが性質が悪い。さっきの二人組も、目の前にいる偽幽鬼も。わかりきっている敵と対立するより、敵か味方かわからない相手を警戒する方が神経を使う。

 違うところがあるとすれば、ゲーム内の敵か、ゲーム外の敵か。厄介なのは後者の方だ。

 幽鬼はゲーム内の利害分析に関してはそれなりに自信があるが、ゲームでない人間関係については得意ではない自覚がある。今のところはゲームの設定に乗って協力しているが、いつ手の平を返されるかわかったものではない。

 ふと端末を見ると、タイマー表示は〈26:15〉だった。

 

  (8/24)

 

 再開した歩みは早歩きに変わっていた。

 トラップは完全回避を目指さず、多少の擦り傷や切り傷は受け入れる方針に切り替えた。最初のトラップにしたって、よほどクリティカルヒットしない限り死にはしない。

 被弾前提でも二人で協力すれば、それぞれに警戒するよりかなり早く進めることもわかってきた。前を行く偽幽鬼が踏み込んでワイヤーを踏む、幽鬼がその肩を後ろに引く。そうやって降ってくる鎌を回避すればスピードと安全を両立できる。

 まだ疑念は捨てないようにしているが、偽幽鬼に裏切りの素振りは感じられなかった。振る舞いの端から滲む不信感みたいなものも全く見受けられない。

 むしろ、急造のペアでこれほど鮮やかに協力できているのは初めてだった。判断も動作も幽鬼とだいたい同じなのでとにかく楽だ。それこそ、自分が二人いるように。

 順調に道を進み、すぐにゴール地点が見えてきた。

 この手のゲームはゴールが見えたあたりでプレイヤーを嵌める危険なトラップを仕掛けている傾向がある、そう一言注意しておこうかとも思ったが、別にいいかと引っ込めた。そんな基本中の基本は偽幽鬼も当然わかっているはずだ。

 お互い、ゴールが見えたくらいでハイタッチするような初心者ではない。今まで通りの緊張感とテンポを維持しつつ進む。

 そしてそれは突然に発生し、後ろの幽鬼だけがそれに気付いた。

 

「!」

 

 前を行く偽幽鬼の左側頭部。こめかみのあたりに、赤く光るレーザーポインターが当たった。

 何だこれは。決まってる、トラップだ。今までの感じからすると、たぶん飛び道具の着地点。

 偽幽鬼の反応は。気付いていないし、気付きようがない。今までの物理トリガーのトラップとはわけが違う。

 回避しなければ。偽幽鬼の肩を掴んで引っ張ろうとしたが、レーザーポインターは側頭部を追尾していることに気付く。これでは避けようがない。

 不可避の即死トラップか。そんなはずはない。ゲームのトラップである以上、回避方法は必ず用意されているはずだ。

 

「ああ、なるほど」

 

 幽鬼は自分の左手を伸ばした。偽幽鬼のこめかみを守るように被せて覆う。これが正解のはず。

 直後、森の中から何かが発射された。幽鬼の手の甲に突き刺さって貫通する。閃光のような痛みが走るが、来ることがわかっていれば歯を食い縛って耐えられる程度のものだ。

 手の甲から手の平にかけて三センチほどの棘が貫いていた。先端が鋭く尖った金属製。

 しかし、幽鬼の手がしっかり庇ったために偽幽鬼の頭は無傷だ。振り返った偽幽鬼は目を見開いた。

 

「……ありがとう。全然気付かなかった」

「気にしないでいい。これが想定解だろうし」

 

 幽鬼は手に刺さった棘を引き抜いて投げ捨てた。

 〈防腐処理〉によって血の代わりに白いもこもこが吹き出す。軽く手を振って確かめるが、やはりこのくらいのダメージなら大した問題はない。

 

「ペアでクリアする前提のトラップだろうね。一人なら致命傷を避けられないけど、二人なら相方が防御できるトラップ」

 

 棘が頭に突き刺されば即死だが、相方が気付いて手か何かでガードしてやればダメージは最低限で済む。

 偽幽鬼は僅かに眉根を寄せ、口を開きかけてすぐに紡いだ。同じ動作をもう二回繰り返す。

 相方が何が言いたいのか幽鬼は分かった。ここまでして幽鬼が自分を助けたのは意外だと、言いたいが言えないのだ。幽鬼はそんなことを言わないから。

 

「協力型のゲームだし、ペアが死んだら私のクリアも難しくなるからね。腕が千切れたりするのに比べれば、こんなの痛いうちに入らないし」

 

 そこまで喋って、自分が取り繕っていることを自分でも感じる。そんなことは偽幽鬼だって最初から分かっている。今すべきことはそんな話ではない。

 さっき逡巡していたこと。それを伝えるべきか迷ったが、このまま薄い膜を挟んだような会話を繰り返す方が面倒臭いという思いの方が勝った。

 

「ああもう、この際だしはっきり言っておくか。確かに私は同じ顔のプレイヤーがいるのは訳がわからないと思っているし、もし二人とも生き残ったら今後のゲームにも差し支えるんじゃないかとも思っているよ。でも、いくら殺人ゲームをしてるからってゲームの趣旨に反してまでプレイヤーを殺すのはなしだ。それじゃただの殺人だから」

 

 ただの殺人を避けるべき理由はただ一つ。プレイスタイルに例外を作らないためだ。

 幽鬼のプレイスタイルは〈利他〉である。なるべく他のプレイヤーを助けたり協力したりしてクリアを目指す。それはうっすら協力関係のプレイヤーを増やすことで長期的に見てゲームを有利に進めたいからだが、逆の発想でも問題ないと言えばないのだ。

 つまり、少しでも厄介そうなプレイヤーはなるべくゲーム中に殺して間引いていく〈利己〉のプレイスタイルもあり得る。そうやって他のプレイヤーの平均レベルを下げ、後のゲームでも自分が有利に支配して立ち回れるようにする。そういう方針でも筋は通っているし、実際にそういうことをしているプレイヤーも知っている。

 どちらが良いというわけではない。殺人ゲームに参加している時点で倫理の問題はもう踏み越えている。

 ただ、どちらかにははっきり決めておくべきなのだ。

 〈利他〉でいくと決めたのであれば、一度でも例外を作るべきではない。例外を作ったという記憶はいずれ必ず判断を狂わせて迷いを生む。極限の状況ではコンマ一秒の迷いが生死を左右する。

 だから幽鬼は偽幽鬼を殺さない。協調すべき設定なら協調する。幽鬼は殺人を厭わないプレイヤーではあるが、プレイヤーを兼ねた殺人鬼ではない。

 

「もし決着をつけるならゲームじゃなきゃダメだ。それは次回以降のゲームかもしれないけど、いずれ敵になったときは絶対に負けないよ」

「……望むところだね」

 

 偽幽鬼はうっすら歯を光らせて応じた。自分は好戦的な表情も意外と似合うのだな、と幽鬼は他人事のように思った。

 いや、他人だし他人事ではあるのだが。

 

  (9/24)

 

 ゴール地点に付いたとき、端末の表示は〈19:32〉だった。往路でおおよそ半分、悪くないペース配分だ。

 ゴール地点には大きな扉の付いた建物があった。スタート地点の幽霊屋敷とよく似ているが、扉には大きなモニターと鍵穴が付いている。モニターには手元の端末とちょうど同じ残り時間が表示され、鍵穴も端末に付いているものと同じサイズであるように見えた。

 

「あとはお札を持ち帰ればクリアのはずだけど……」

「無いね、どこにも」

 

 肝心のお札が無い。全くどこにも見当たらない。

 チラシを見て確認する。確かにゴール地点には「ここにお札があるよ」という吹き出しがある。

 ここまではっきり書いておいて実は別の場所というのはあり得ない。肝試しというゲームモチーフから考えても、お札は隠すようなものではないはずだ。

 扉の中にあるのかとも思ったが、外からは開かない。鍵穴があるということはここに何かの鍵を差して開ける可能性もある。しかしその鍵も見つからない。

 ひょっとして道中のどこかに鍵があったのか、それにしても今から暗い道を戻って探すのは容易ではない。

 

「さあ、参ったぞ」

 

 ゴールに着いてから既に八分が経過していた。

 残り約十一分。復路の時間も考えるとあまりぐずぐずしてはいられない。

 そろそろ方針を決めなければならない。

 鍵かお札が見つかるまでここに留まって探すか、ここでは見つからないと割り切って別のアクションを起こすか。

 先に口火を切ったのは偽幽鬼だった。

 

「やっぱり、さっきのペアが先に来てお札を持っていったんじゃないかな」

「それはゲームとして不自然な気がする。後発のこっちが不利すぎるから」

「さっきのペアはどこからスタートしたんだろう?」

「道に分岐はなかったから、この扉から出てきたんだと思う。そうじゃなきゃここに扉がある意味がないし」

「さっきのペアがここから出てきたんなら、私たちから見てのスタート地点にお札を回収しに行ったことになるかな?」

 

 相手の言葉に被せ合うようにして会話が進む。

 それは全く不愉快ではなく、セッションのようなテンポの良さが気持ちいい。思考の内容もスピードも似通った相手と議論していると、自問自答がクロックアップしているような感じ。

 

「全部あべこべってことだ。こっちにとってのゴール地点が、向こうにとってのスタート地点」

「こっちにとってのスタート地点は、向こうにとってのゴール地点」

「参加者によってお札を回収する場所が違うのはおかしくないか」

「そうだね。肝試しはそういうゲームじゃない」

「じゃあそもそも、私たちとさっきのペアが同じように肝試しをしてたって考えるのが間違い?」

「肝試しじゃないってことはないと思うけど。違うとしたら陣営とか」

「肝試しに陣営なんて……」

「あ」

 

 そこで同時に結論に達する。幽鬼たちは同じ顔を見合わせた。

 

()()()()()!」

 

 この一言で全ての謎が氷解した。すれ違ったペア、見つからないお札、ゴール地点の扉。

 とんでもない勘違いをしていた。全てが逆だったのだ。

 二人揃って踵を返し、全力で逆走を開始した。

 

  (10/24)

 

 幽鬼たちが達した結論。このゲームは協力型ではない。二対二の対戦型だ。

 設定は〈お化け〉対〈人間〉。幽鬼たちが〈お化け〉側、さっきすれ違ったペアが〈人間〉側。

 肝試しのチラシは〈人間〉に向けたもので、〈お化け〉に向けたものではなかった。肝試しをするのはお化けではなく人間なのだから当然だ。

 思えば、すれ違った時点で気付くべきだったのだ。お互いに着ている服が最大のヒントだった。こっちは死装束を着た〈お化け〉、向こうは浴衣を着た〈人間〉。衣装の違いが陣営の違いをわかりやすく示していた。

 〈お化け〉と〈人間〉は細長い道の両端から同時にスタートした。肝試しで人間は夜道を進む一方、お化けは最初から夜道の最奥に潜んでいるということだろう。直線の道を逆方向に進むから、道半ばで必ず遭遇するようになっている。

 だから〈人間〉にとってのゴール地点は〈お化け〉にとってのスタート地点。

 つまり、お札があるのは幽鬼たちが三十分前にスタートした場所だ。早く進もうと探索を怠ったのが裏目に出た。

 

「これは〈人間〉と〈お化け〉がお札を奪い合うゲームのはずだ」

 

 〈人間〉側の勝利条件はチラシに書いてあった通り。

 本来の肝試しと同じだ。制限時間内に危険な夜道を往復してお札を持って帰る。チラシに「お化けや仕掛けに注意」と書いてあったのは雰囲気作りではなく、敵陣営の存在を示唆するヒント。

 たぶん〈お化け〉側の勝利条件も制限時間内にお札を手に入れることだが、〈人間〉側とは違うのはどれだけ早く真相に気付けるかがキーになること。

 すれ違った時点で、〈お化け〉は〈人間〉の衣装と進路を見ればスタートとゴールが逆であることに気付けるはずだ。そのままUターンしてお札を取りに戻るのが正着の行動だった。今まで進んできた道を引き返す分には〈お化け〉側に地の利がある。

 チラシに書いてあるまま目的を達成すればよい〈人間〉側に対し、〈お化け〉側は推理が要求される代わりに気付いてしまえば有利というゲームバランスだったのだろう。よくできている。

 

「うおー!」

 

 幽鬼たちは大声で叫びながら細い道を全力疾走する。

 赤と青の髪飾りはもう外して死装束の内側に留めていた。このゲームが対戦型だった以上、むしろ相手には混乱してもらった方が都合が良いからだ。

 それにしてもゲームの真相に気付くのが遅すぎた。ドッペルゲンガーとかいう大きすぎる外見の問題があったせいで、ちょっとした衣服の違いに鈍くなっていたのかもしれない。

 きっと〈人間〉側のプレイヤーはもうお札を回収して道を引き返しているところだろう。お札を奪わないといけないが、ゆっくり静かに闇に潜む時間なんて残っていない。バレないように闇討ちするのはもう無理だ。

 

「うあー!」

 

 だったらもう逆に叫んでビビらせた方がいい。そういう判断だった。森に響く謎の雄叫びを警戒し、足を止めてくれれば御の字だ。

 トラップなんか気にしている場合ではない。記憶だけを頼りにダッシュし続ける。

 幽鬼は大鎌に左腕を抉られたし、偽幽鬼は脇腹の肉を吹き飛ばされたが、足が動けば問題ない。白装束の上に白いもこもこが加わるが、白同士で混ざってよく見えない。

 

「恨めしや!」

 

 偽幽鬼の声を聞いて幽鬼は吹き出した。〈お化け〉として〈人間〉を襲う肝試しゲーム、確かにこの台詞が一番しっくり来る。

 幽鬼も笑いながら「恨めしや!」と叫んでみた。生温い風と森のざわめきが味方になった気がして、やたら気持ちよかった。

 

  (11/24)

 

「いた!」

 

 その姿を先に捉えたのは偽幽鬼だった。

 幽鬼は茂みを飛び越えて素早く前方に回り込む。地面に並ぶランタンを蹴り飛ばし、追い付いた〈人間〉の姿をライトアップした。

 

「ひっ……」

 

 桜柄の浴衣を着た方の娘さんが一人だけ。実に哀れで可愛く可哀想な姿だった。

 いきなり囲まれて怯え切った目は赤く充血し、涙が薄く滲んでいる。綺麗な浴衣はところどころ破れてほつれ、被弾を示す白いもこもこがファーのように浴衣を彩っていた。汗だくの髪がうなじに貼りつき、何か夏の過ちというか、とてつもない色っぽさを感じる。

 そして胸には朽ちた板を大事そうに抱えている。三十センチくらいの、ぼろぼろで虫食いだらけの大きな板。表面には筆で何か呪文のようなものが書きこまれていた。

 たぶん相方をトラップで失い、傷心の中で何とか一人で木札を確保したというところだろう。あんなトラップに引っかかっているあたり、幽鬼たちよりは経験が浅そうだ。

 

「そのお札を渡すなら見逃してもいい。あまり時間もないから、三秒以内に決めてくれるかな」

 

 哀れな娘さんは黙って涙を拭い、木札を握り締めて偽幽鬼の方を向いた。重心を下げ、僅かに右にステップする。

 お札は諦めない。この場を切り抜け、偽幽鬼の横を走り抜けて帰還してみせる。そういう姿勢。

 なら仕方ない。

 

「オーケー、じゃあ恨みっこなしだ」

 

 手負いの初心者が一人、こちらは幽鬼が二人。

 虐めているようで気が引けないこともないが、現実的な話、十秒も保てば御の字だろう。

 もちろん、浴衣の娘さんが粘れる秒数の話だ。

 

  (12/24)

 

 結果は三秒だった。

 

「なるほど、お札イコール鍵だったわけだ」

 

 桜柄の浴衣を着た死体の傍に転がるお札。その裏側に小さな鍵が埋め込まれていた。

 特徴的な形の鍵だった。捻って回す持ち手の部分がない、短い直線型の鍵。

 これは鍵穴に押し込んで開錠すると、もう取り出せないタイプの鍵だ。要するに使い切りである。鍵穴が複数あるが鍵を使い回してほしくないケースで使われるもので、他のゲームでもたまに見る。

 浴衣の死体も、手首には黒い端末を付けていた。ただし、そちらには鍵穴が付いていない。小さな鍵穴が付いているのは〈お化け〉側の端末だけ。

 使い回しの利かない鍵。〈人間〉側はこの鍵をスタート地点まで持ち返り、大きな扉の鍵穴に差し込めばゲームクリアだったのだろう。だったら〈お化け〉側は鍵を自分の端末に差せばゲームクリアと考えるのが自然だ。

 お札を挟み、幽鬼は偽幽鬼に向き直った。

 

「さて、やろうか」

 

 何を? 鍵の奪い合いを。

 ここに鍵は一本しかない。残り時間はちょうど二分。

 今からスタート地点まで戻って追加のお札を探すのは無しだ。元々お札が二枚以上用意されているかどうかもわからないし、〈人間〉側が紛失しているかもしれない。時間もぎりぎりであることを考えると賭けるに値しない選択肢だ。

 しかし鍵が一つしかない以上、鍵を拾ってガチャガチャやるのを〈お化け〉の相方が見逃してくれるはずもない。今ここで相方をぶっ飛ばし、ゆっくり鍵を拾って使うのが一番確実なクリア方法だと判断した。

 

「オーケー、じゃあ恨みっこなしだ」

 

 偽幽鬼も一歩前に出て軽く腕を伸ばした。すり足で距離を詰める。

 正直なところ、相手が偽幽鬼でなかったら同じ判断をしたかどうか、幽鬼は自信がなかった。例えば相方がぽっと出の初心者だったりしたら、とりあえず二人でスタート地点に戻って、どうしても鍵が見つからないとなってから奪い合うのでも遅くないと判断していたかもしれなかった。

 だが、今の相方は偽幽鬼だ。

 こいつと白黒付ける機会を待っていなかったといえば嘘になる。もしかしたら、冷静にゲームを判断している振りをして、それっぽい対立の動機を後付けているだけなのかもしれない。

 いまや幽鬼は偽幽鬼のことを自分と同じくらい優れたプレイヤーだと認めていた。ほぼ同列、そして同じ顔だからこそ疼くものがある。それを確かめて思い知らせてやりたいと思った。

 こいつと私、どっちが格上か。

 もうドッペルゲンガーごっこは終わりだ。

 そろそろ格付けをしよう、プレイヤー同士として。

 

  (-2/24)

 

 ゲームスタート。夢女は推しの隣で目を覚ました。

 

  (-1/24)

 

 ぼろい天井だった。

 コスプレイヤーの撮影場所みたいな部屋だなと思いつつ、夢女はとりあえず身体を起こして横向きにベッドを降りた。

 

「!!!」

 

 瞬間、心臓が飛び上がった。それはもう天井まで。上昇する心臓が一気に肺を押し潰し、中身の空気が声帯まで押し出された。喉から勝手に叫び声が出そうになる。

 自分の首を思いっきり絞めて耐えた。窒息寸前まで抑え続け、ようやく心臓を押し戻す。何とか無音で収まったと信じたい。

 今何が起きたのか。いきなり見てしまったのだ。

 幽鬼の寝顔を。

 完全な不意打ちだった。確かにエージェントには「幽鬼様と同じゲームに参加したいですねえ~」などと事あるごとに伝えていて、その願いは叶ったり叶わなかったりしていたが、並んだベッドでスタートするのは初めてだった。

 慌てて両手で目を覆い、幽鬼の寝顔は隙間でちらと見るに留める。人間は太陽を直視してはいけない。迂闊に見ると網膜が灼き切れてしまう。

 刺激をなるべく抑えつつ、ゆっくり身体の方に目線をずらしていく。そこで幽鬼が纏う死装束が目に入った。

 気付けば無意識に拝んでいた。風に揺れる柳のように掴みどころがない幽鬼の魅力の全てが、白く儚い着物によって完全な調和を見ていた。

 人類の文化が一つ終わる現場に居合わせてしまったことに気付いて身震いする。今後の人類史において、幽霊をモチーフとしたあらゆる芸術作品は死装束を纏う幽鬼の下位互換であることが確定したからだ。

 可愛いな綺麗だな素敵だな華奢だな端麗だな珠玉だな明眸だな、ありとあらゆる賛辞が頭の中を駆け巡る。

 この距離で幽鬼を見たままでは何も考えられなくなってしまうので、一旦天井を仰いだ。

 その途端、現実的な問題が頭の中に降りて来た。

 いや、この状況はけっこうまずいのでは。

 今の自分は幽鬼と同じ見た目をしていることを思い出した。これはちょっとした変装やコスプレではなくて、もう髪から目元から唇まで容姿の全てが同じだった。化粧とかカツラでもなく、もう不可逆に同じになってしまったあとだった。

 今までの経験からすると、自分と幽鬼が目覚める時間差は二十分くらいだ。それまでにはどうするか考えなければいけない。

 まず、包み隠さず事情を全て話してしまうのはどうか。たぶん幽鬼は怒りはしないだろう。別に敵というわけでもないのだし、ゲーム攻略と関係ないことには怒らないと思う。ちょっと困惑したあとは「まあ、区別はしやすいようにした方がいいね」とか言ってくるだけのような気もする。

 いや、逆に「気持ち悪いね」と蔑みの目を向けてくる幽鬼の顔も脳裏に浮かんでくる。それをはっきり考えてしまうと、一時間のフリーズは免れない。何とか手を振ってかき消した。この妄想は自宅に帰ったときの楽しみに取っておこう。

 ただ、幽鬼の反応が何であれ、正直に話すわけにはいかない理由があった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 オタクが推しに接触するのは禁忌である。幽鬼という奇跡を自分の干渉で乱してしまうからだ。

 夢女自身は一切の影響力も持たないその辺の草木として、幽鬼の素晴らしい人生を見守る。この構図を死守しなければならない。そういう自分ルールがあった。

 ならばどうするか。別人を装うしかない。誰を?

 すぐに答えが出た。幽鬼をだ。

 このゲームの間は幽鬼のドッペルゲンガーとして振る舞えばいいのではないか。幽鬼の姿で幽鬼の言動をしていれば、それは夢女ではなく幽鬼だろう。幽鬼が幽鬼のことを見る分には、夢女が認知されたことにはならない。幽鬼を幽鬼への隠れ蓑にするわけだ。幽鬼の全ては可能な限り脳に焼き付けている、真似ることには自信がある。

 そうと決まれば、今のうちに幽鬼を近距離から目視することに慣れておかなければならない。姿勢を正し、幽鬼が起きるまでの間は幽鬼の寝顔を見つめていることに決めた。

 その修行の間、時間感覚は完全に崩壊していた。一滴の雨粒が地面に落ちるまでの時間しか待っていないかもしれないし、宇宙が一度滅びて再生するまで待ったかもしれない。

 とにかくその時は来た。

 

「……」

 

 遂に幽鬼が起きた。目を開けて身体を起こし、少し腰を捻ってからこちらを向いた。

 じっとこちらを見ていた。寝起きだからか、たぶん無意識に口がほんの少しだけもにゅもにゅ動いていた。また全存在の可愛さランキングが更新されてしまったのではと世界が心配になったが、それは最初から幽鬼がトップなので大丈夫だった。

 幽鬼は視線だけでこちらを上から下まで見て、良いんじゃないかこれ、とかなんとかゴニョゴニョ喋っていた。第一声をこちらから話しかける勇気はさすがになく、幽鬼が何かはっきりとアクションを起こすのを待つ。

 幽鬼はなぜか機嫌良さそうに一つ頷くと、驚くべき行動に出た。

 いきなり手を伸ばしてこちらの胸を鷲掴みにしてきたのだ。

 流石に大声が出た。

 

「うわ! なんだいきなり」

 

  (13/24)

 

 こいつ強い!

 思ったより強い、遥かに強い。何なんだこいつは。

 振り抜いた左ストレートを紙一重でかわされながら、幽鬼は自分が苦戦していることを認識せざるを得なかった。

 正直なところ、まあ格下だろうと思っていた。プレイヤーとしてはそこそこやるようだが、直接戦闘となると話は別だ。格闘において他人の猿真似が強いことはなかなか無い。相手がオリジナルならなおさらだ。

 だが、偽幽鬼はまさしくコピーだけで幽鬼に善戦していた。スピードやパワーに優れているわけではない。基礎ステータスは幽鬼と鏡写しのように同じだ。

 

「くそっ」

 

 二重フェイント込みで放ったハイキックを本当にギリギリの間合いで避けられる。

 偽幽鬼の僅か一ミリ頭上を幽鬼の蹴りが通り過ぎ、逆にカウンターの蹴り上げを見舞われる。姿勢を崩しながらのバックステップが何とか間に合い、薄皮一枚挟んだ胸元を草履が鋭く掠めていった。

 とにかくやりづらい。何をしても常にほんの少しだけ上を行かれる。手札の悉くが見切られていた。

 切り返しを予測して僅かに上回るように動こうとするが、それもまた上回られる。実力が拮抗しているというか、無理やり拮抗させられている。

 この戦闘には仕切り直しがない。

 つまり、軽く攻撃を食らってから距離を取って立て直すみたいなフェイズがない。これは鍵の奪い合いであり、鍵から離れることはそのまま敗北を意味するからだ。

 超至近距離の間合い。お互いにほんの僅かずつ上を行くせいで一発も当たらず、ペースダウンもない。フルスロットルでの組手をずっと強要されているような、寝技でマウントポジションを取り合うようなギリギリの仕掛け合いが終わらない。

 身体も頭も一瞬だって止められない。

 まだ十数秒しか経っていないというのに、身体が悲鳴を上げる予感が既にしている。疲弊の蓄積が早い、このままでは保たない。

 じゃああれでも試してみるか、と思い付いた技があった。

 顔が触れるほど近付くタイミングで、脈絡なく頭を下げた。幽鬼の長い髪が前方に舞う。

 御城の得意技、髪による視界封じだ。幽鬼の髪は縦ロールではないから威力は半減だが、御城のことを知らない偽幽鬼はこの技も知らないはずだ。

 幽鬼の長いストレートが綺麗に広がり、偽幽鬼の視界を奪った。

 

「取った!」

 

 いける、と大きく踏み込み、低い姿勢から肘鉄のフェイクを交えてローキックを打った。確実に見えない位置とタイミング、経験の全てから直撃を確信する。

 

「ん」

 

 偽幽鬼は右足を軽く持ち上げて応じた。

 熟練のゴールキーパーがサッカーボールを蹴られる前に飛び始めるように、当たる前から素早く防御の構えに移行する。幽鬼のローキックは草履の裏できっちりブロックされた。

 

「これでもダメか」

「ちょっと驚いた。でもそれだけだ」

 

 これで確信した。偽幽鬼はただ肉弾戦が得意なプレイヤーではない。

 幽鬼対策に特化している。それも凄まじく。見なくても幽鬼の行動を確信できる水準で。

 もしかしたら〈模倣〉みたいなプレイスタイルなのかもしれない。師弟関係の一方通行版というか、特定のプレイヤーを完全に模倣することで生き残ろうとするプレイヤーがいてもおかしくない。

 何にせよ、人並外れた才能か、人生を投じた準備か、揺るぎない強い思想か。何かそういうスペシャルなものを根っこに持っている。

 俄然気になってきた。こいつは何故こんなに異質な強さを持っているのか。そして何故幽鬼を真似るのか。

 結局、戻ってくるのは一番単純な疑問。

 ()()()()()()

 

  (14/24)

 

 本来のプレイヤーネームは夢女(ユメ)と言った。

 昔から夢みがちな女だった。

 とにかく顔の良い女が三度の飯より好きで、生配信への投げ銭やらグッズの大量購入やらで貯金が二十円しかなくなった。推し活の資金を稼ぐために知り合いのツテで殺人ゲームに参加したら、顔の良い若い女がたくさんいたので嬉しかった。

 二回目に参加したゲームで幽鬼を初めて見たとき、夢女の全身に電流が走った。

 比喩ではなく、ゲームのペナルティか何かで電撃を受けたのだと思った。脳が芯から揺れ、幽鬼以外の視覚が遮断され、周囲の音も何も聞こえなくなった。それがただ幽鬼に〈沼った〉だけだということに気付くまで、一分くらいその場で立ち尽くしていた。

 顔の良い女たちの中にあって、幽鬼の美しさは異質にして傑出していた。

 華美さや豊満さを足していくのではなく、むしろそれらを引き切ったあとに残る美しさそのものを完璧に備えていた。色彩や曲線で飾り立てた華やかさなど虚飾に過ぎず、削ぎ落とされた幽鬼のような容姿を本当に〈顔が良い〉と言うのだと初めて知った。

 幽鬼の外見はもう完成しているものだから、あとは幽鬼のことを知れば知るほどあらゆるギャップが底知れない魅力をブーストした。意外と声が低くてハスキーなところ、意外と面倒見がいいところ、意外と身長があるところ、意外とやばいときは焦るところ。

 こうして夢女の目的と手段は綺麗に逆転した。推し活の資金を稼ぐためにゲームに参加したはずが、ゲームで幽鬼に会うことが推し活になっていた。

 ゲームのことは口外厳禁なので、幽鬼の魅力を語る相手はエージェントしかいなかった。堅物そうなエージェントに会うたびに最低三時間は幽鬼の魅力を語っていた。それが考慮されたのかされなかったのかはわからないが、幸いにも夢女は何度かゲームで幽鬼と同席できた。それも、二十人以上が参加する比較的大人数のゲームで。

 夢女は幽鬼と個人的な交友を持とうとはしなかった。むしろ逆で、個人として特定されないことを目指した。夢女は推しには認知されたくないタイプだったからだ。

 だから髪を染めたりカラーコンタクトを入れたりして、ゲームのたびに微妙に容姿を変えた。ゲーム内で嘘のプレイヤーネームを名乗ってもペナルティは無いし、幽鬼は人の顔の覚えがそれほど良くないことも幸いした。

 立ち回りも影の薄さを心掛けた。

 なんかよくわからないけど隅っこで最後まで生きてたやつ。特に活躍はしないがヘマもしないやつ。喋ったところで誰でも言えそうなことしか言わないやつ。テストで言えば六十五点くらいのやつ。意図的にそういうやつになろうとして、実際になった上でゲームをクリアできる程度には夢女にはゲームの才能があった。

 転機が訪れたのは十二回目に参加したゲームだ。幽鬼がいない外れ回だったが、ゲームに負けると死んでしまうので面倒臭いなあと思いながら一応クリアを目指していた。

 それは廃工場が舞台のゲームで、色々あって夢女は頭からガソリンを被って着火する羽目になった。「どうせ死ぬなら死に方くらいは選ぶか」くらいの気持ちでやったのだが、それがギリギリでゲームクリア判定となり、奇跡が十個くらい重なって一命をとりとめた。

 ゲームが終了してすぐ運営傘下の治療施設へと搬送され、マネキンのような酷い状態から身体を再建することになった。息も絶え絶えの夢女に「元の外見に戻す感じでいいですかね」と一応確認が入ったらしい。

 これは後から聞いた話だが、夢女はほとんど焼き切れた声帯で「幽鬼が世界で一番可愛い」と呟いたらしい。

 言った気もするし、言ってない気もするが、エージェントがそんなことで嘘を吐くとも思えないので、まあ言ったのだろう。そんな誰でも知っている当たり前の事実を外見の希望だと解釈して、夢女を幽鬼の姿にしてしまった運営もどうかと思う。

 幽鬼の姿が映る鏡を見たとき、気分はあまり高揚しなかった。

 もちろんかなり嬉しかったが、それは宝石とか花を見て綺麗だねと思うのと同じ類の感情だ。

 顔の良い推しを見たときのブチ上がる感じは全くなかった。夢女は別に幽鬼の容姿だけが好きなわけではなく、幽鬼という存在全てを愛していたから。

 三秒くらい悩んだ末、ゲームにはこのまま参加し続けることにした。幽鬼を推すにはそうするしかないからだ。

 細かいことはまあ、スタートしてから考えればいいさ。

 

  (15/24)

 

 割といける!

 思ったよりいける、遥かにいける。けっこうやるな私は。

 幽鬼の左ストレートを紙一重でかわしながら、夢女は自分が意外と善戦していることを正しく認識していた。

 正直なところ、まあ格下だろうと思っていた。ゲームの流れで交戦することになってしまったが、記念受験くらいのテンションではあった。夢女はクリア回数にしては肉弾戦にはそこまで自信がある方ではないし、いくら幽鬼に詳しいからといって直接戦闘で通用するとは思っていなかった。

 だが、夢女はまさしくコピーだけで幽鬼に善戦していた。スピードやパワーに優れているわけではない。基礎ステータスは幽鬼と鏡写しのように同じだ。

 

「よっと」

 

 二重フェイント込みで放たれたハイキックをギリギリの間合いで避けた。

 夢女の僅か一ミリ頭上を幽鬼の蹴りが通り過ぎ、逆にカウンターの蹴り上げを見舞う。幽鬼は姿勢を崩しながらバックステップし、薄皮一枚挟んだ胸元を草履が鋭く掠めた。

 とにかくやりやすい。幽鬼が何をしても常に何をしようとしているのかわかる。手札の悉くを見切っている。

 その理由にはいくつも心当たりがあった。

 夢女は推しのグッズを買い集めるタイプのオタクだったが、当然ながら殺人ゲームのプレイヤーのグッズなどどこにも出ているわけがない。

 しかし幸いだったのは、夢女はクリエイティブな才能に満ち溢れたタイプのオタクでもあったことだ。だから全てを自作できた。

 幽鬼の素晴らしい身体を目に焼き付け、幽鬼のフィギュアをフルスクラッチで作った。自分でパテをこねて造形して塗料を吹いて筆で塗った。

 殺人ゲームは毎回衣装が変わるのでバリエーションにも事欠かない。自宅にあるアクリル製の飾り棚には幽鬼のフィギュアが今は八体置かれている。

 フィギュアを作っているうちに動くコンテンツも欲しくなってきたので、BlenderやMMDを使って幽鬼のCGアニメを作った。幽鬼の身体運びをなるべく再現した戦闘モーションを作り、自宅で幽鬼のアニメを上映して一人でペンライトを振るという奇行を毎晩やっていた。

 最近ではゲーム制作にも着手した。幽鬼のモデルは自作アニメから流用し、行動ルーチンは機械学習で設計した。つまり、幽鬼の戦い方を再現した幽鬼の戦闘AIを所持していた。

 どれも戦闘を分析するためではなくコンテンツを自己供給するための行動ではあったが、何であれ夢女は幽鬼の戦闘には誰よりも詳しかった。夢女には知る由もないことだが、師匠の白士や一方通行ライバルの御城より、そして幽鬼自身より。

 幽鬼が髪を使った目潰しを仕掛けてきたが、その狙いも手に取るようにわかった。自作アニメの第二十三話で似たような技を使うシーンを作っていたからだ。サラサラの髪に包まれるのは夢見心地だったが、〈防腐処理〉のせいでいい匂いがしないのが勿体ないと思った。

 驕りも慢心もなく、一プレイヤーとしての客観的な感想が口を突く。

 

「まあ勝てるわ」

 

 そのとき、夢女は自分が「幽鬼が負けるはずはない」という類の信仰は特に持っていないことに気付いた。

 幽鬼は殺人ゲームに真剣に臨む立派なプレイヤーだ。夢女はその志を百パーセント尊重する。勝ったり負けたりするのがゲームなのだから、幽鬼だって強敵が現れれば負けることもあるかもしれない。

 もし幽鬼が負けたところで夢女は失望したりしない。ゲームで死ぬなら、そこが幽鬼の死地なのだろう。幽鬼が負けて死んでも変わらず推し続ける自信があった。推しの人生の終幕を見届けられるのはオタク冥利に尽きるとさえ思った。

 だから、勝ちたいな、とはっきり思った。

 ここで幽鬼を殺して、亡骸をちょっと頂戴したい。自宅のグッズに幽鬼の聖遺骸を加えたい。それを拝んで朝を始めることができるなら、夢女の人生はどんなに輝くだろうか。

 小声で呟く。

 

「勝たせてもらいますよ、幽鬼様」

 

  (16/24)

 

 いま偽幽鬼が妙なことを口走った気がする、何とか様とか、祈りの言葉か?

 いや、どうでもいい。幽鬼は急いで無駄な思考を打ち消した。そんなことを検討している余裕はない。

 激しい応酬は未だ続いている。危惧した通りに消耗が早い。脳も身体も使い続けて体力がゴリゴリに削れているのがわかる。そろそろ決着をつけないとまずい。

 一か八かだ、と相手にもわかりやすく伝わるように大きく踏み込んだ。

 その勢いを乗せて上げた足を前に押し出す。全体重を乗せた前蹴り、いわゆるヤクザキックで幽鬼は勝負に出た。

 

  (17/24)

 

 幽鬼の息が切れ始めているが、夢女はまだ余裕がある。

 持久力では夢女の方が勝っているらしい。夢女は推し活は身体が資本だと思っており、地道なジョギングやジム通いでのスタミナ作りに余念がないタイプのオタクだった。そのおかげで深夜バスで三徹しながらツアーを強行したことも一度や二度ではない。

 幽鬼が大きく踏み込んできた。今まで一番強気で大振りな前蹴りだ。体力が切れる前に賭けに出たのだろう。

 確かにそれは幽鬼がまずやらない動きで、予想外と言えば予想外ではある。だが、こんなものは予想していなくても避けられる。

 夢女は横に軽く避け、今度こそカウンターを合わせるべく前に出た。崩れた幽鬼の身体を弾く、多分それでゲームセットだ。

 その瞬間、夢女の右足が滑って草履が宙を舞った。何が起きた?

 

  (18/24)

 

 偽幽鬼がチラシを踏んだ。

 あのテカテカして光沢のある、カラフルな紙面がいかにも滑りやすそうなチラシだ。

 さっき御城の真似をして髪で視界を奪ったとき、幽鬼の死装束の襟から肝試しのチラシが滑り落ちた。

 狙って地面に仕掛けたわけではなかったが、それだけに偽幽鬼も気付いていない。暗い森の中、苛烈な格闘戦をこなしながら足元にまで気を払う余裕はない。

 だから幽鬼は前蹴りでわざと大隙を作ってカウンターを誘い、チラシの位置まで誘導して踏み込ませた。

 格闘は見切られているかもしれないが、こういう小さなテクニックは幽鬼の方が上だ。

 

  (19/24)

 

 ああチラシを踏んだのか、いつの間に、と他人事のように思う。

 回り始めた視界。もう夢女の身体は転倒モーションに入っていた。

 もし自分が幽鬼なら、これでもうゲームセットだ。幽鬼はアクロバティックな姿勢制御に優れているプレイヤーではない。ここまで綺麗に滑った身体を回復するほどの体幹は持っていない。

 だが、夢女なら。夢女ならまだ返せる。

 それは幽鬼の模倣を諦めることを意味するが、夢女はそれをやることを即決した。

 まあ、負けたくないしね。

 

  (20/24)

 

 自分ならここからのリカバリーはできない。

 転倒する偽幽鬼の身体を見て、幽鬼はそう判断して追撃をかけることを決めた。

 偽幽鬼は幽鬼と同じくらいの強さなのだから、幽鬼が無理なら偽幽鬼も無理だろうと無意識に考えた。

 だが、相手は自称幽鬼の誰かさんであって、決して幽鬼自身ではない。戦いに集中するあまり、そんな当たり前がすっぽり頭から抜け落ちていた。

 偽幽鬼は滑っていない方の足で強く地面を蹴った。更には指先で地面を弾き、回転する身体を更に加速させる。転ばないように踏み止まるのではなく、逆に勢いを増してくるりと一回転した。

 幽鬼が知らない、偽幽鬼だけの動き。思わず叫ぶ。

 

「なんだそれ!」

 

 そのまま偽幽鬼の足が高く跳ね、追撃しようと前に出ていた幽鬼の顎を捉えた。

 この戦闘で初めてのクリーンヒット。一回転分のエネルギーが乗った蹴り、その直撃を受けた幽鬼の身体は大きく吹き飛ばされた。

 

  (21/24)

 

 夢女の蹴りをまともに受けた幽鬼は地面を派手に転がっていき、木に当たってうっと声を立てて倒れた。あの感触だと脳震盪も起こしているかもしれない。

 推しを倒したという未知の状況にとても複雑なマーブル模様の感情が押し寄せるが、余韻に浸っている暇はない。

 この戦闘の目的は相手を再起不能になるまでぶちのめすことではない。鍵を拾って使う時間を確保することだ。端末に移るタイマーの表示は〈00:10〉、残り十秒。

 夢女は急いで地面のお札を拾って鍵を取り出し、自分の端末に差した。残り一秒、端末からピッと音が鳴って確かに鍵が認識されたことを伝えた。

 

「グッドゲーム」

 

 呟いて振り返った。幽鬼はまだ仰向けに倒れたままだった。

 この端末は内側に針が仕込まれており、毒や薬を装着者に注入する機能が付いている。制限時間を超過してもクリア条件を満たせなかった幽鬼の身体にはもう毒が回り始めているだろう。

 あっけない気もするが、こんなものだ。

 幽鬼というプレイヤーの終わりを見届けることが出来て本当に幸せだと思った。この場には他のプレイヤーがいないのもいい。夢女だけの思い出として、いや、とりあえずエージェントには語り継ごう。

 夢女はこれからどうするか。幽鬼を超える推しに出会えるとは思えなかったし、プレイヤーも推し活もこれで引退してもいい。

 そうなると、残りの人生を幽鬼の姿で過ごすことについてもちゃんと考えた方がいい。

 幽鬼に成り代わろうとは思わないが、幽鬼の尊さを人類が知らないのは大損失だ。劇団でもアイドルでも配信業でもいいが、幽鬼の素晴らしさを世界に伝える活動をしてもいいかもしれない。

 そうだ、幽鬼の伝道師になろう。幽鬼の姿と夢女のオタク力があれば何でもできるだろう。

 そう決意を固めたときだった。

 

「!」

 

 手首をチクリと刺す感触。そして体内を異物が流れる感覚。

 途端に全身から力が抜けていき、夢女は仰向けに倒れた。慌てて手首を捻って端末を見る。

 モニターの表示は〈NIRVANA〉。ニルヴァーナ、涅槃? なんだそれ。

 

「やっぱりそうか」

 

 ようやく幽鬼が上体を起こした。そして自身の端末を外して夢女に向かって投げる。

 幽鬼の端末には〈CLEAR〉の文字が浮かんでいた。

 

  (22/24)

 

「違和感はあったんだ。制限時間がちょっと長すぎるんだよ」

 

 幽鬼は蹴られた顎を抑えながら口を開いた。軽い脳震盪で頭がガンガンするが、激しく動かなければじきに回復する。

 

「〈お化け〉側の想定解は、たぶん〈人間〉とすれ違った時点で真相に気付いて即座に引き返すことだ。それなら二十分もあればお札を回収できるはず。逆にそこで気付けなかった場合、ゴール地点に付いたあたりでお札が見つからずに困り果ててゲームオーバーになるべきなんだ。だから制限時間は長くても三十分くらいが妥当だと思う」

 

 口を開くたびに顎もじんじん痛むが、我慢して喋り続ける。

 

「ところが、実際にはかなり余裕があった。私たちはゴールまで歩いてしまった間抜けな〈お化け〉だが、道をかなり引き返した上でこうして内輪揉めする時間まで余ってた。ちょっと長すぎる、だから何かもう一つくらいはギミックがあるはずなんだよ。余った時間にやるべきことか、余った時間にやってはいけないことがある。正解は後者だったわけだ」

 

 幽鬼は地面に落ちたチラシを拾ってランタンの傍に掲げた。さっき夢女が踏んでスリップしたチラシだ。

 そしてお札について説明する一文を指さした。「ゴールにある()()()()()を持ち返ろう」。

 

「チラシにはっきり書いてある。このお札は〈成仏のお札〉なんだ。〈人間〉が〈お化け〉を倒して成仏させるためのお札。わざわざ〈お化け〉が自分で自分にお札を使うのは設定的にも不自然だよね」

 

 夢女は身体を起こせない。四肢が麻痺している。筋弛緩剤か何か、運動を封じるタイプの薬剤が混ざっている。

 

「この鍵穴自体が最後のトラップだ。〈お化け〉側の勝利条件は、〈人間〉側がお札を持ち返るのを阻止するだけでよかった。お札を自分に使うところまでやってしまったらアウトなんだよ。鍵を差してしまった〈お化け〉には、四十分経過と同時に致死毒が打ち込まれる。成仏させて、涅槃に飛ばすために」

 

 夢女の爪の隙間から白いもこもこが吹き出した。出血毒だ。

 

「正直に言うとさ、バトルは私の完敗なんだ。わざと負けたわけじゃない。本気で戦ってたよ。お札の設定がチラシに書いてあったのを思い出したのは、チラシを踏ませたときにようやくだから」

 

 夢女の血管と皮膚があちこち破れていく。身体の節々から白いもこもこが滲み出てきていた。

 幽鬼はしゃがんで夢女の顔を覗き込んだ。戦闘に負けたが、ゲームには勝った。

 正直、これで格が付いたかは微妙なところだ。ほとんど運だけで逆転したようなものだし、総合的には微負けかもしれない。

 

「もし良ければ、最期くらいは普通に話してくれないかな。君はいったい誰なんだ?」

 

 偽幽鬼は二秒だけ目を瞑り、そしてにへらと笑った。

 頬を緩め、目を細めて顔全体で笑う。それは幽鬼が絶対にしない笑い方だった。

 

「あー、最後の最後にオタクの悪いところ出ちゃいましたね。幽鬼様と戦うのに夢中になっちゃって、勝利条件のこととか全部忘れてましたよ」

「様?」

「私、幽鬼様推しの夢女(ユメ)っていいます。幽鬼様とは何度かゲームで御一緒させてもらったんですが、変装アンド詐称してたのでわからなかったと思います」

「ええと、つまりファンの子ってことかな。どこかで助けたりしたんだっけ。悪いけどあんまり覚えてないな」

「推しってそんな理由でなるもんじゃありませんよ。推しがこの世で一番尊いからなるんです」

「……ごめん、尊いってどういう意味?」

「顔が良いの最上級みたいなものですかね? 存在そのものの顔が良い、みたいな。ちゃんと説明するのは難しいですけどね」

「うーん……青白くて幽霊みたいだとはよく言われるけど」

「もしそれが褒め言葉でなければ、神様が間違えてビー玉でも入れてしまったんでしょうね、そいつの目玉に。あと頭に入ってるのも脳味噌じゃなくて塩辛とかだと思いますよ。まともな目と脳のどっちかでもあったら有り得ませんから」

 

 幽鬼は反応に困っていた。

 正直なところ、幽鬼だって別に自分が醜いとまでは思っていない。

 このゲームは見目麗しい娘さんが集められるゲームではあって、そこに何度か参加してまあまあ賞金が貰えているということは、まあ少なくとも自分の容姿は平均よりは若干良いのではないかと思っていないわけではなかった。

 ただそれでもごくニッチな層に向けた枠というか、貧相な見た目を好む客のために用意された特殊な枠であるという前提だが。

 

「まあなんだ、こういうのが好きな人もいるのかな……」

「違いますよ、そんなしょぼいこと言ってるんじゃありません。誰が何を言っても、常に絶対に宇宙で一番尊いんです。いいですか? 古今東西過去現在未来、人類全ての中で幽鬼さんが一番綺麗で可愛いんです。それは不変の事実なんです」

 

 夢女は仰向けのままで信じられないくらいぐいぐい来る。

 滅茶苦茶に褒められて全く嬉しくないとは言わないが、やはりどう答えたものか迷う。別に幽鬼は容姿とか尊さでは勝負していないので、そこで評価されても困るというか。

 幽鬼が追い求めているのはゲームに勝つことだけだ。尊さとかいうのがゲームに利用できるのか一瞬考えるが、いま現に厄介な相手を生み出したというマイナスの方が大きいようにも思われた。

 幽鬼自身についてはともかく、夢女について知りたいことが一つあるのを思い出す。幽鬼の真似をしている誰かさんではなく、この夢女という娘さんが見せた輝きが一つだけあった。

 

「あのさ、最後のやつってどうやったの? チラシを踏んだあとにくるんって縦に回ったやつ。どう動いたのか全然わからなかった」

「ああ、あれはブレイクダンスの応用ですよ。地面でクルクル回るやつ。昔ちょっと、そういうアイドルにハマって練習したことがあるんです。バトルにもけっこう使えますよ」

「なるほど、それはすごいね。私も練習してみようかな」

「あ~、けっこういい気分ですね、推しに褒められるのって。私って推しには認知されたくないタイプだったんですけど、もしかしたら、普通に友達になったりしても良かったのかもですね」

「そのくらいなら、なってもいいけど」

「え? 今からでも間に合います?」

「間に合ってるかは微妙だけど……ダメってことはないんじゃないかな」

「じゃあ名前を呼んでください。幽鬼ちゃん」

「夢女」

「ちゃん付けで」

「夢女ちゃん」

 

 それを聞いた夢女はやはりにへらと笑う。

 

「アイ・ラブ・ユー」

 

 最期に綺麗なウィンクを一つ飛ばし、そして次の瞬間、全身が白いもこもこに覆われた。

 

「グッドゲーム、夢女ちゃん」

 

 幽鬼は遺体を包む白いもこもこに手を突っ込み、青いミニリボンを回収した。

 幽鬼と夢女を区別するしるしを。

 

  (23/24)

 

「お疲れ様でした。その怪我ですと、処置はどうしましょうか」

「骨まで届くような怪我はないですが、ちょっと抉られてはいます。治療を受けてから帰りたいです」

「承知いたしました。ではとりあえず病院の方に」

 

 いつも通り、幽鬼は迎えに来たエージェントの車に乗り込んだ。

 身体に欠損はないし、ゲームの怪我としては軽い方だ。入院までは要らないだろう。

 ゲームの感想を聞いてくるエージェントに適当に答える。エージェントだって本気で気になるわけではなく、とりあえず場を保たせるだけの薄い会話だ。

 当たり障りのない発言があと二、三往復もすれば心地よい沈黙が訪れるはずだったが、今日に限ってはそうはならなかった。

 ここから続く台詞を、普段の幽鬼なら絶対に言わなかった。

 いやそれどころか、この世に輪廻転生などというものがあったとして、どんな人間に生まれ変わろうと、虫や犬になろうとも、これだけは永劫に言わないと断言できた。

 だが、このときだけは何かがおかしかった。きっと顎を蹴られたときに頭の歯車がズレてしまったのだ。そうとしか考えられない。

 最悪なことに、その呟きは疑問形で口から飛び出した。

 

「私ってそんなに可愛いですかね?」

 

 数秒の沈黙が続き、幽鬼は首を傾げた。

 いま何か他愛もない疑問を発したような気がするが、エージェントが一向に応えようとしない。

 あれ今何を言ったんだっけと振り返り、すぐに何をやらかしたのかを自覚した。やべえと思った。ほんの一言で自分の尊厳を何割か削り飛ばした。

 ここからリカバリーする発言はあるのかと考え始めたとき、ようやくエージェントが口を開いた。

 

「大変可愛らしいと思いますよ」

 

 語尾に(笑)が付いていた。それでぷつんと糸が切れた。

 幽鬼は早口で全てを説明した。今回のゲームではこんなファンに遭遇してこんな展開で、こんな顛末でついつい疲れ切った自分は迂闊な質問を口にしてしまったのだと。エージェントには一言も挟ませず、後部座席で見えないのに身振り手振りを交えて必死に喋った。

 やけくそだった。それは傷を広げるだけかもしれないが、思春期特有の容姿への驕り高ぶりを見せたとか、恋をして色気に目覚めたとか誤解されるよりはマシだという判断が勝った。

 幽鬼の息が切れたところでエージェントはゆっくり頷いた。

 

「なるほどですね。いえまあ、正直に申し上げると、さっきは私に告白してくる前振りだったら困るなと思いましたけど」

 

 そんなわけねえだろと言いたくなるが、今ここにおいて言い返す権利はない。迂闊なことを言った幽鬼に全ての責任がある。

 

「長くゲームに参加していれば、ファンのプレイヤーが出てくるのも珍しい話ではないですよ。ゲームでは殺し殺されるのと同じくらい、救い救われることもあるわけですから。しかも大抵の相手は見目麗しいですし」

「そんなもんですかね、今回の相手はそういうのとはちょっと違う気もしましたけど。何にせよ、今回みたいのはもう二度と御免です」

「そうですか? これからもゲームを続けるなら避けては通れないと思いますよ。強く好かれるプレイヤーの方が当然に生存率は高いでしょうし、幽鬼さんの〈利他〉のプレイ方針にも沿うと思いますが」

「それは何となくギブアンドテイクみたいなことが出来れば良くて、疑似恋愛みたいなことは別に求めていないというか……」

「その二つってそんなに違いますかね。経験もない癖に断言するのは感心できません。どうせ学校に恋人どころか友達もまともにいないのでしょう? まあ、その辺りはゲームとの兼ね合いもあるのでこちらも悪いとは思っていますが」

「うっ……」

 

 痛いところを突かれた。

 社会性を身に付けようと通っている夜間高校ではあるが、対人能力についてはいまいち怪しいところがある。幽鬼は基本的に同級生との接触を避けているからだ。

 それは殺人ゲームのプレイヤーという後ろ暗いプロフィールを隠すためではある。しかし、もし幽鬼にもっと柔軟なコミュニケーション能力があれば、友達を百人作った上でプレイヤー稼業については隠し通すという離れ業を成し遂げているのかもしれず、守りに入った判断をしているという自覚はあった。

 だから幽鬼は悔し紛れに食い下がった。その無駄な抵抗が果てしなく面倒な方向に転がるとも知らずに。

 

「そういう経験は……気軽に練習できるものでもないですし」

「いや、練習くらいは出来ると思いますよ。要するにシミュレーションすればいいわけですから。例えば、恋人シチュボとか」

「シチュ……何て言いました?」

「恋人シチュエーションボイス。特定の状況下において、恋人同士という設定の下で甘い言葉を囁いたりする音声のことですね」

「それはさっきまでの話と何か関係が?」

「シチュボの収録をするんですよ」

「誰が?」

「幽鬼さんが」

「なんで?」

「好意のシミュレーションとして」

「いや、嫌です」

「いや、やりましょう。やりなさい。台本と機材はこちらで全て用意します。特別手当も支給しますから」

「……」

「これもゲームのためです。まず手始めに、恋人同士で一日デートして帰宅したシチュエーションから収録しましょうかね」

「そんなもの録って何に使うんですか?」

「特に何に使うわけでもありませんが。でもまあ、もし仮に万が一いずれ、何かの間違いでこのゲームが表でマネタイズするようなことがあれば、特典として付けたりしたら良い販促になるかもしれませんね」

「絶対にやめてください」

「冗談ですよ」

 

  (24/24)


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