タイトルの通りの話。

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社畜OLが山へ行ったら異世界のエルフ村に迷い込んで文化の違いから無自覚にエルフ少女を口説きまくり照れ照れさせる百合

「ヴォエッ!」

 

 28歳独身OL早川ちとせは社畜業6年のウーマンである。

 営業職をつとめる彼女のスマホは三連休初日のウキウキ感溢れる日だろうと変わらず鳴る。勝手に動いた表情筋がしみったれた笑顔を作る中、ちとせは着信に出た。

 

「はいもしもし早川です〜。はい、はい、承知致しました。はい失礼いたしますー」

 

 取引先からの電話。内容としては喫緊の納期変更の旨である。ちとせは商社勤めなのでメーカーが動いていない土曜日に納期変更の話をされても困るのだが、そんなことは言えない。ちとせは電話を切ると重いため息を吐いた。

 

「山行くか……」

 

 ちとせの趣味は山登りである。電波の届かない山奥はちとせ憩いの場であった。三連休ということもあり野宿も見据えた登山装備に着替えたちとせは、半ばゴミ屋敷と化しつつあるワンルームの部屋を出た──。

 そして午前9時32分、見事に遭難した。

 

 

 

 最近のケータイは便利なもので山でも電波が届いたりする恐ろしい利器だ。なのでちとせは登山をするとつい、社用ケータイから逃れるために山奥へと足を進めてしまう。

 そうしてさっくりあっさり遭難したちとせだったが、そんな状況も気にならないほど不思議な少女が目の前に一人。

 

「どうしてお耳が短いの?」

 

 真珠のように真っ白な肌。柔らかそうな頬は血の気で咲く薔薇色の赤みが差していて、金糸の長髪に丸い青の瞳。そして……人間よりも細く長く尖った両耳。

 エルフ、であった。

 どう見てもエルフな少女が遭難先の山奥にいた。

 

「そういう種族だから、かなあ」

 

 エルフ少女の瞳が興味津々に輝いているのに圧されて、ついちとせは答えてしまう。エルフ少女がくすぐったそうに目を細めた。

 

「そうなの? 私、お耳が短い人を見るのは初めて。ね、お耳が短い方はどこから来たの?」

 

 エルフ少女は親しげだ。とんがり耳がぴくぴくと揺れている。

 見た目は可憐な西洋人形みたいだし耳も尖っているが、言葉は通じるらしい。ひょっとするとこの辺りに地図にも乗らない村があって、そこに住んでいるのかもしれない。

 ちとせはそう考え、まず名乗ることにした。ずっと『お耳が短い方』と呼ばれるのも変だろう。

 

「えっと、お耳が短い方じゃなくて私の名前は早川……」

「ひゃっ」

 

 すると急にエルフ少女が顔を赤くして身を強張らせた。かあっと赤面した少女の、動揺もあらわに揺れる瞳が上目にちとせを射る。

 

「なんで? なんで急に名乗るの? お耳が短い方はえっちなの?」

「えっち、かあ……えっちなのかもしれないなあ……」

 

 急にえっち呼ばわりされてちとせは愛想笑いを浮かべた。本人的には愛想笑いだが他者から見ればしみったれた笑顔である。

 

「もう、なんにも知らないの? あのね、誰かに名前を教えるのは求愛の儀式なのよ?」

「そんな文化聞いたこともないけどなあ」

「私、すごくドキドキしたんだから」

「それは大変失礼致しました」

 

 一瞬の早技でちとせは頭を下げていた。

 相手先が不機嫌そうだとすぐに頭を下げる対応の早さも社畜業6年の賜物である。

 反射的な動きにエルフ少女がぷくうっと膨らませていた頬を元に戻すと、ちとせはキョロキョロと辺りを探るように見回した。

 先程から見たこともない虫や動物、植物などがあちこちに見えるのだ。ちらと見上げた青空には巨大なコウモリ……ドラゴン? 的な飛行生物まで発見できてしまう。

 

「ねえ、ここって日本の何県のあたりなのかな?」

「ニホン? お耳の短い方が何を言っているかよくわからないけど……」

「この辺ってなんて呼ばれるの?」

「ここはアゥ#°ッェ地方のあたりよ?」

 なんて? 

「アゥ#°ッェ地方よ?」

「難しい日本語だなあ」

 

 ちとせは基本的に自分ではわからない事に関して思考を放棄するので(社畜業で脳をやられているため)、エルフ少女が口に出したアゥなんとか地方とやらを流してしまった。

 いまだに自分が異世界転移したなど想像もしないウーマン早川ちとせは、とりあえず近隣住民らしきエルフ少女の住む場所まで行くべきだと考えた。エルフ少女はちとせのように登山装備の一つも持っていないのだ。衣服とて不思議な文様の描かれた長衣一着だけなのだから、きっと近くに住んでいるに違いない。

 

「ね、よければあなたの住んでるところまで案内してくれないかな。ここがどこだか私じゃわからなくて」

「それは……だめだと思うわ」

「な、何故……」

 

 ちとせは思わずたじろいだ。エルフ少女は胸に両手を当てて、また頬を赤くしている。

 

「だって……お耳が短い人は私をドキドキさせたみたいに、他の皆もドキドキさせるんでしょう? そんなの、皆疲れちゃうもの。だからだめだと思うの」

 

 ──なるほど、よくわからない。

 まったく分からない理屈だったが、ここでエルフ少女と離れてはたぶん死ぬ。ので、ちとせは必死になって首を横に振った。

 

「わ、分かった。約束する。他の人にはドキドキさせるような事しないよ」

「え……? それって……」

 

 エルフ少女が困惑した様子でちとせを見上げる。ちとせも真剣な眼差しをしてエルフ少女を見つめた。すると、急にエルフ少女が俯いてしまった。

 金色の前髪に隠れてエルフ少女の顔は伺えないが、とんがり耳は真っ赤になっている。

 

「その、お耳が短い方は、なんだかすごく真摯な人なのね……?」

「うんめっちゃ真摯。私は常に本気だよ!」

「ほ、本気だなんてそんな……急すぎるわ……私達出会ってまだ少ししか経っていないのに……そ、それにお耳が短い方は女性、でしょう?」

 

 どこか期待のこもった上目遣いに、ちとせは社畜業のなかで培われた完全自動応答スキルを発動する。完全自動応答スキル──それは何も考えずに調子の良いことを言うちとせの技能である。

 

「性別も出会ってからの時間も、関係ないよ」

「ひゃわわわ……」

 

 自分が出会ったばかりのエルフ少女を口説いているなど考えていないウーマンちとせ。エルフ少女はコホンと咳払いして、くるりと体を回した。

 

「じゃ、じゃあ仕方ないから案内してあげるわ。こっちよ」

 

 ちとせは密かにガッツポーズをした。

 こうして早川ちとせは異世界でエルフの里へ向かう事になったのである。

 

 

 

 ──足が、もう、動かない。

 ちとせは平気そうに先を歩くエルフ少女に「ちょ、ちょっと」と声を掛けた。ふらふらな声音にエルフ少女が振り返る。そして苦笑した。

 

「少し休憩しましょうか」

「あ、うん……ごめんね。私体力なくて……」

「ふふ。お耳が短い方は気にしなくていいのよ、この辺は私歩き慣れてるもの。仕方ないわ、お耳が短い方は初めてでしょうし」

 

 ちとせとて登山歴は長い方だし、体力には自信もあった。けれど30㎞ほど山道を歩くのはちょっと人間の限界を超えている。平然と息切れもしないエルフ少女がこわい。

 プルプル生まれたての小鹿みたいに震える足を癒すため、ちとせは傍の木に背もたれて座り込んだ。そこへ冗談っぽくエルフ少女が飛び込んでくる。丁度、足を伸ばしていたちとせの太もも部分にエルフ少女のちいさなお尻が触れる形になり、

 ──ぶにょ、と。

 

「まあ……」

 

 無限に沈みこんでいくかのような柔らかさ。エルフ少女がぱあっと顔を輝かせる。

 

「お耳が短い方は、太ももがむちむちなのね!」

「……そっすね」

 

 太ももがムチムチなことを気にしてるウーマンちとせはぐいぐい太ももを揉んでくるエルフ少女を前に、虚無の顔をした。

 そんなこんなでエルフ少女とちとせは途中何度か小休憩を挟みつつ、山道を歩き続け──そして。

 

「ついたわ」

「や、やっとかー……」

 

 木々の茂りが突然開ける。小高い丘から見下ろすその里は、風情豊かな──とか、素朴な──とか、そんな言葉が似合いそうな静かな場所であった。

 木板を組み合わせて作られた家屋に、柵で囲われた中で暮らす馬や牛、小麦か何かが実る畑の風景。道を行き交う人々の数はまばらで──何より皆が若く、美しく、そして耳が尖っていた。

 

「美男美女しかいないっすね……お年寄りが一人もいない」

「そうね。10000歳を超えるような人はいないわ」

「いちまん……?」

「こっちよ。皆にあなたを紹介しなくちゃ」

 

 いちまんさいとか聞こえたが、深く考えるよりも先にエルフ少女が里へと歩き出すので、ちとせは慌てて後を付いていった。まあ、たぶん聞き間違いなのだ。たぶん。

 さて、エルフ少女が里中のエルフたちを集めるのにそう時間はかからなかった。ざっと数えても里に30人ほどしか居ないのだ。その30人が寄合所に集うと、美男美女パワーが炸裂してちとせの目が潰れた。うおっ、眩し。

 

「なるほど。迷い人とは珍しい」

 

 と、口を開いたのはダンディな白いお髭をたくわえた壮年の男性エルフ。顔に刻まれた皺から男気が溢れ出そうなくらいムンムンでカッコいいエルフだった。エルフ少女が言うには、彼こそがこの里の長とのこと。

 

「あの、迷い人ってなんなんでしょうか……」

 

 30もの美男美女エルフに囲まれ、ちとせの声は蚊が鳴くように小さい。今更ではあるが、ちとせは美形に弱い28歳独身ウーマンである。

 

「外界より来たる者だ。本来ならあり得ない現象ではあるが、数千年前にも似たように迷い人が現れたことがある」

「数千年前……?」

「村長さんは8000歳くらいなの」

「はえーすっごいスケールだあ」

 

 ちとせの聴覚は確かにエルフ少女が8000歳と言うのを聞き届けたが、ちとせの社畜脳はそれをあっさり聞き流していた。ちとせの脳は非常に出来がいい。

 

「それでお姫さんは一体どうしたいのさ」

 

 耳に羽飾りのピアスを付けた男がそう尋ねた。

 

「お耳が短い方は困っているの。だから助けてあげたいわ」

「ふむ……」

 

 隣で座るエルフ少女の言葉に、村長エルフさんが白髭を静かに撫でる。彼は青く鋭い眼差しを、周囲のエルフたちに向けた。

 

「司書はいるか」

「ここに」

 

 エルフたちの中で、若い女が手を挙げる。さっぱりとしたショートカットのエルフ女だった。

 

「蔵に帰還の呪いを記した書物があったはずだ。私の記憶が正しければな。それを探し、迷い人を元の場所へ返してやりなさい」

「承知した」

 

 頷き、短髪エルフ女が立ち上がる。さっそく仕事に取り掛かるらしい。そんな彼女に向けてか、艶やかな雰囲気のエルフ女が小首を傾げる。

 

「どれくらいかかるのかしら……」

「寵姫さま。蔵の書物は膨大です。そこから一つの書を見つけ、呪いを使うまでとなると……一月ほどかかるかと」

 

 なんだかよくわからないが、一か月後には元の場所に帰れるらしい。

 色々と無視してその事実だけを理解したちとせは「ありがとうございます」と頭を下げた。自分のために誰かが何かをしてくれるなら礼を尽くせという、ちとせの身に沁みついた条件反射だった。

 

「礼儀正しき迷い人よ」

「は、はいっ」

「幼姫が許すのだから我々から言える事はなにもない。帰るまで好きに暮らすといい。ただ、何もせず過ごすのも退屈だろう。耳が短い民でもできる仕事があればいいが……」

「なら私のお世話係になってほしいわ!」

 

 意気揚々とエルフ少女がそう提案した。

 おおっ、とエルフたちがどよめく。

 うおお、とちとせも調子を合わせて発奮した。

 

「お耳が短い方は、太ももがとってもむちむちなのよ! 私、お耳が短い方の太もも気に入ってしまったの」

「──へあっ」

 

 ちとせの口から変な声が漏れた。思わず周囲を見回すと、美男美女達の視線が一斉に自分の太ももに集中していて、

 

「太ももがむちむち……」

「むちむちの太もも……」

「耳が短いと太ももがむちむち……」

「耳が短い民は太ももがむちむち……」

「むちむち言うのやめて! 気にしてるのに!」

「……太ももがむちむちの耳短き者よ、では幼姫の世話係を頼んだぞ」

 

 そういう事になった。

 

 

 

 さて、そういうわけでちとせはエルフ達の厄介になることになった。お仕事はエルフ少女のお世話係。たぶんメイド的なあれだろうなとちとせは考える。ちとせは物事への順応性がとても高いウーマンである。

 

「じゃあこれからよろしくね、ええと……」

 

 と、そこまで言ってちとせは悩んだ。ううんと腕を組んで道を歩くちとせの疑問はただ一つ、エルフ少女をなんと呼べばいいかである。

 

「名前は……」

「メッ!」

 

 小ジャンプしたエルフ少女に額をぺちっとやられてしまう。ダメな子を叱る感じだった。そういえば人に名前を教えるのはえっちな事らしいし、たぶん名前を聞くのも同じなんだろう。

 

「じゃあ、さっき耳飾りつけてた人が言ってたみたいに、お姫さんで」

「んっ」

 

 とても満足そうにエルフ少女……お姫さんが頷く。柔らかそうな頬がにこーっと笑顔になるのは見ててとても暖かい気持ちになれる。

 

「でも不思議だね」

「なにが?」

「皆名前で呼び合わないのが変わってるなって」

「私達は名前をとても大事にするの。愛し合う間柄や家族とでないと、それも二人っきりでもないと、絶対に誰かを名前で呼ばないの」

「じゃあひょっとして、村長さんの名前とか知らなかったりするの?」

「ええ」

 

 すごい里があるものだなあとちとせは素直に感心してしまった。社会人として営業職として名刺を切らしたことの無いちとせには想像も出来ない世界だ。

 

「この里の外ってどうなってるの?」

「外界とは切り離されている、と聞いているわ」

 

 曖昧な答えだ。お姫さんを見ると、少女は「んと……」と小さな指で耳周りの髪を撫でながら説明しだす。

 

「昔ね。とーっても昔にね、私達は追われる身だったらしいの。それで他の種族と関わるのが嫌になって、不思議な力で里全体に膜を張ったんですって。とても古いことだから、誰も本当の理由を知らないの。ほら見て。よく見れば空が歪んでいるとわかるはず」

「あ、ほんとだ。あれが膜か」

 

 澄んだ青色の空をじっと目を凝らしてみれば、確かに薄らと油膜のようなもので揺れている。

 本来ならばあの膜のようなものが壁の役割をして、外界から来るものを拒むのだろう。エルフ的なとんがり耳種族がいるのだから今更そんな事では驚かない。

 

「じゃああれか、ワームホール的なアレを偶然私が通ってしまった的なやつか……ひょっとしてここは異界なのか……?」

「すぐにでも帰りたいの?」

 

 お姫さんが唐突にそんなことを訊いてきた。ちとせはきょとんとしてしまう。

 

「え? 別に……帰りたくはないです……」

「そ、そうなの? さっきは少し残念そうだったから」

「まあソシャゲのガチャ回せないのは残念だよね。あれが私の生きる活力だったっていうか。でもまあ仕方ないよね、電波通じないし。電波通じないってことは電話もかかってこないし?」

「早口だわ……」

「まあ帰れるってなったら、帰るけどね」

 

 ちとせは物事への順応性が高いウーマンであるが、それは何にでも流される意思の薄弱さも示しているのである。

 

「でもさあ、いくら自分たちがすらっとした脚してるからって、そんな私の太もも見なくていいよね」

 

 ちとせの太ももがむちむちしているのに深い理由はないが……。確かに、エルフ達の脚部をジロジロ見てみたが彼らの足はとても細い。ちょっとちとせは羨ましくなってしまった。

 

「私はお耳が短い方の太もも、ふかふかで好きよ?」

「ありがとう……」

 

 ちとせは優しい目をしてお姫さんの頭を撫でた。エルフ少女はニコニコしている。穏やかな少女を見ていると、そういえば、とふとした疑問が湧いた。

 

「でもなんでお姫さまとか幼姫とか呼ばれてるの?」

 

 先ほどの寄合所でのことだ。エルフ少女は皆から、「お姫様」とか「お姫さん」とか「幼姫」とか呼ばれていた。間違いなくエルフ少女の名前ではないだろう。あだ名、という事になるが。

 

「私はこの里で一番若いの。私達はとーっても長生きで、その分色々と淡白だから、子供もあまり生まれないんですって。だから一番子供の私は、皆の大事なお姫さまらしいのよ」

「へえー」

 

 確かに里には子供の姿が無い。エルフ少女はとても貴重な存在なのだろう。彼女からは、愛されて育ったのだと分かるほど穏やかな優しさが感じられる。過酷な現代日本の荒波に揉まれ続けるちとせには、沁みるほどにエルフ少女の笑顔が心地よい。

 

「ちなみに私は今年で32歳になるのよ。お耳が短い方は見た目からして100歳くらい?」

「28歳ッス……」

「まあ。じゃあ私よりも年下なのねっ?」

 

 お姫さんの顔がぱあっと輝く。

 どう見たって12歳くらいの少女なのだが、実年齢は32歳らしい。まあ耳が尖っていたりするので今更な事である。

 

「うれしい……。私、妹がずっと欲しかったの!」

 

 感激と言った様子の見た目年下お姉さんが小さな踵を浮かせて、背伸びする。ちとせはエルフ少女がしたい事を敏感に察し、腰を屈めた。エルフ少女の手のひらがちとせの頭をなでなでした。ちとせは良い子良い子されるがまま、人に頭を撫でてもらう感触に浸っている。ウーマンちとせは相手の欲求を叶える術に長けた社畜である。

 

「あ、でも、いい? さっきみたいに、あんまり他の人をじろじろ見ちゃだめよ?」

「なんで? 皆美形すぎてつい目に力が入るだけなんだけど」

「……さ、さっき約束したでしょう?」

 

 急にエルフ少女が俯いて、もじもじしだした。彼女のとんがり耳はほんのり赤い。

 

「私にしか、その、『そういうこと』はしないって」

「?」

 

 ちとせは既に自分が何を言ったかなど忘れていた。ちとせの脳はとても良く出来ているのだ。

 

「だからその──」

「ようお姫さん! 珍しいのを連れてきたなあ!」

 

 唐突な、明るい声音。男の声。ちとせは音源へと首を巡らせる。

 快活な笑顔をする耳長の男がいて、ちとせの口から声が漏れた。

 

「ヒェッ……すっごいイケメン……」

 

 涼しげな、という言葉の似合うさっぱりした顔つきのエルフ男である。肩に担ぐ槍が野生的で、ちとせは美男エルフをガン見した。舐め尽くすようないやらしい目つきであった。

 

「おいおい、初対面でそんなに熱っぽく見つめちゃいけねえよお嬢さん」

 

 28歳社畜OLが放つオヤジみたいな視線もカラカラと笑って流してしまうイケメンエルフ。ちとせはそんなにいやらしい目つきをしていたのかとも考えるが、目の前のエルフが美形なので気にせずガン見した。

 すると、ぐいーっと顔を真っ赤にしたお姫さんに服を引っ張られてしまう。

 

「ちょっと、お耳が短い方! そんなに狩人さんを見つめちゃだめ!」

「えーいいじゃん。あんなイケメン滅多にいないんだよ」

「とにかくだめなのー!」

 

 一体何をそんなに怒っているのだろう。

 とは言うが、お姫さんはちとせの胸辺りまでしか身長が無いので、全身で引っ張ってもちとせの体はびくともしない。あまりにお姫さんが必死なので、渋々ちとせはお姫さんに引っ張られるまま足を動かし、二人で家屋の裏手に回る。息を荒げたエルフ少女が腰に手を当てて怒っていた。

 

「まったく! お耳が短い方はまったく!」

「ヒヒーン……」

「お馬さんの真似をしても許さないわ」

「クゥーン……」

「それは…………お犬さんの真似ね? 他に何かできるのかしら……」

「ウキキーッ」

 

 ちとせに大人の女性としてのプライドはない。

 

「まぁっ……もしかしなくても、お猿さんね? お耳が短い方はものまねが上手なのね! って違うわ、私は今怒ってるの! まったく! お耳が短い方はそうやってはぐらかすのが上手なの?」

「ピュウ☆」

 

 ちとせがウインクをすると、むっとした顔のお姫さんにわき腹の肉をつねられた。痛い。

 ぷりぷり怒りながらも先を歩くエルフ少女がぼそっと言う。

 

「そうやって何もかもから逃げたって現実は変わらないのよ?」

「そういうシビアな発言はめちゃくちゃ刺さるからやめて……」

 

 まさに社畜からの逃避の末に遭難したちとせは心が辛くて泣きたくなった。

「えほん。……それでお姫さん、私は何をすればいいかな」

「今日はとても天気がいいわ。だから、日向ぼっこしましょ?」

 まあ確かに天気はいいが……。世話係とはそんな気楽でいいのだろうか。そう疑問に思う間もお姫さんは里を流れる小川の河原を指し示す。

 

「ここに座って」

「はい」

「そこに私が座るでしょう?」

「はい」

「太ももがむちむちで気持ちいいわ……」

 

 エルフ少女がぐでーと全力でちとせに寄りかかっていた。ちとせも脱力しているお姫さんをスケベオヤジの気分で抱きしめる。エルフだからか幼いからか、お姫さんの肌はすべすべで触り心地がよいのだ。

 

「お姫さんは体が細くて、柔らかくて、なんかいい匂いして、いいっすね……」

「くすぐったぃ……」

「うへへへ」

 

 お姫さんがきゃっきゃと身をよじるのでちとせの中に眠るスケベオヤジが更にお姫さんを力強く抱きしめた。決してやましい気持ちはないことをちとせはスケベェなニヤケ面で強く誓った。おまわりさんとかに。

 

「こんなんでいいのかなあ」

「私達はずっとこうやって暮らしてきたわ」

「日向ぼっこしたり、だらだらしたり?」

「ええ」 

 

 のんきだなあとちとせは呟いてしまう。河原に寝転がるちとせは、ふいに腕時計の事が気になってその画面を見た。

 まだ遭難してから数時間しか経っていない。

 時間の経過がおかしいのか、自分の感覚がおかしいのか──さて。

 少なくともこの里では、1秒の無駄を惜しむ現代社会の擦り切れた忙しさはないようだった。牧歌的とでも言えばいいのか。

 ちとせは急に、時間ばかり気にする自分が嫌になった。

 

「えいや」

 

 腕時計を外し、小川へと気軽に放る。放物線を描いた安物の腕時計はぼちゃりと水飛沫を上げた。

 早川ちとせが異界へと迷い込んだ初日はそうして終わった。一応エルフ的には成人のお姫さんは既にマイホームを持っていて、ちとせはその一室を借りる事になる。

 すげえ! 幼女のヒモじゃねーか! 

 

 

 

 早川ちとせの平均睡眠時間は4時間である。実に平凡な社畜的睡眠と言える。

 そんな彼女は、目覚まし時計など存在しないエルフの里ですやすやに眠りこけていた。その睡眠時間は12時間を優に超える。早川ちとせは社畜ウーマンから別のナニカ……幼女のヒモ……へと変貌しつつあるウーマンであった。早川ちとせはあと二段階の進化を残しているウーマン。

 さて。

 時刻にして既に10時を回ったところか。寝間着の裾を寝返りついでにめくらせて、へそを丸見えにするちとせ──そんな女の体に、バシッと痺れる衝撃が唐突に駆け抜けた。

 

「ふぐっ」

「起きろ」

 

 赤裸々に姿を見せるちとせのへそをベチィ! と叩く、その手の感触。ちとせはぼやけた目で慌てて体を起こす。隣に、ショートカットのエルフ女がいた。やけに厳しい目つきでちとせを睨んでいる。

 

「あ、あなたはええと……」

「司書と呼べ。皆はそう呼ぶ」

 

 そう、司書と呼ばれていたエルフの女だ。皆一様に美しい顔立ちのエルフ達の中でも、鋭い眼差しが印象的なエルフ女。司書はふんと鼻を鳴らして手短に告げる。

 

「お前の帰還方法を記した呪いの書を探している。手伝え」

「あ、は、はい」

 

 そういえばそんな話を村長さんがしていたなあ、とちとせはぼんやり思い出した。詳しくは分からないが、彼女──司書さんが帰る方法を調べてくれるらしい。司書さんがちとせの準備を待つこともなく部屋から出て行こうとするので、慌てて寝癖ボッサボサの頭で司書さんの後ろをついていくと、曲がり角の先から可憐な少女が姿を見せた。

 

「あら、司書さんだわ。それにお耳が短い方も」

「お、お姫さま」

 

 先ほどまで剣呑な態度だった司書さんがたじろぐ。とんがり耳がぴくぴくしていた。

 

「お耳が短い方に何か用事?」

「こやつにも手伝ってもらおうかと……」

「そうなの? 今日は耳が短い方と一緒に狩りをしてみたいのだけど、よかったらお仕事の後にでも司書さんもどうかしら」

「私には……やるべき事がありますので」

「そう。なら仕方がないわ」

 

 お姫さんが分かりやすくしょんぼりした。とんがり耳がしなしなに垂れている。

 

「でも司書さん最近私と遊んでくれないのね。ちょっとだけさみしい」

「……!」

 

 司書さんが「ハァン……!」とよくわからない呻き声を上げた。ちとせは感じる。この司書エルフからは同類の匂いがすると。

 

「い、いえっ、お姫さまの御用とあらば仕事など些事に過ぎません……! 行くぞ太ももむちむち女! お姫さまと遊ぶんだよ!!」

「ぐえー私を帰す方法探すんじゃないのかー」

「そんな事はどうでもいいのだ阿呆め!」

 

 そういうことになった。

 この里のエルフ達は、生活基盤を周囲一帯の森から採れる様々なもので成り立たせているらしい。森で行う狩猟もその一つだ。

 カシワラギとかいう木で作られた小弓を片手に、ちとせは茂みの奥から鹿を狙う。鹿とは言うが頭から生えているのはツノではなく樹木である。樹木ツノに成る実は非常に美味しい……らしい。

 そんなわけでちとせは弦にかかった矢を放つ。

 

「ていっ」

 

 ちとせが狙いをつけたはずの矢はあらぬ方向へと飛んでいき、その物音で鹿を逃げさせるだけに終わった。やれやれと隣の司書エルフがため息を吐く。

 

「力もない。狩りも下手。惰眠を貪る。お前は太ももがむちむちな以外何が出来るんだ」

「社畜業を少々嗜んでおりまして……えへ、えへ……」

「そのしみったれた笑い方をやめんか。見てるとこっちまで不幸になる」

「はい……」

 

 司書さんはまるでちとせの上司のようであった。上司に指摘された際もそうだが、悲しいかな何を言われても大抵事実その通りなのでちとせはいつもニコニコ笑うしかないのである。

 どうも、司書さんには好ましく思われていないらしい。厳しい追及は続く。

 

「ふん、太ももがむちむちな程度でお姫さまに気に入られるなど気に食わん。太ももがむちむちしてる事の何がいいのだ、こんな駄肉……」

 

 駄肉駄肉言われているちとせの悲しい脚部を、その駄肉加減を証明するために、司書さんは強く掴む。──ぐにぃ、と。

 

「……」

 

 司書さんの口があまりのむちむち具合にか、一瞬止まる。そしてやや危うい目つきでちとせの太ももを揉みだした。

 

「これが駄肉……」

「あの、揉みしだくのやめてください……」

「…………」

 

 もみもみもみもみ。

 もみもみ、

 もみ……。

 

「あ、あの……」

「…………ハッ。ふ、ふん。お姫さまのお腹程ではないが、まあまあの感触だな」

 

 触ったことあるのかよ。許せねェ。

 

「貴様は太ももだけは祝福されて産まれたらしいな!」

 

 太もも以外の存在価値を否定されてショックな太ももむちむちウーマンであった。

 その後、司書さんはさすがに仕事を放っておけないのか里の蔵へと戻っていった。ちとせの太ももをめちゃくちゃガン見しながら。

 

「はー」

 

 つい、ちとせはため息を吐いてしまう。好かれていない相手と話すのはやはり辛い。ソシャゲのガチャを回したくなる。

 

「司書さんにいじめられたの? 頭なでなでしてあげる」

 

 いつの間にか隣にいたお姫さんが、28歳独身女の頭をナデナデした。

 少女のしっとりした手のひらの感触を全力で感じながら、ちとせは苦笑いを浮かべる。

 

「昔からあんまり人付き合いが上手じゃなくてさ、まあ大した能力もないんだけど、輪に駆けて誤解されることも多かったなあ」

 

 山や森はいい。喋らないし、静かだ。電波も届かないし。

 この里を初めて見た時と同じ小高い丘から見下ろす緑濃い景色は、まさしくちとせが求めていたものだった。

 社畜街……オフィス街のビル群がちとせの脳裏を掠める。ちとせの目が暗く淀んだ。

 

「あーあ。日本に帰ったらどうしようかなあ。ていうか帰らないといけないかなあ、いっそのことお姫さんの椅子としてこのまま暮らそうかなあ」

 

 そもそも一月近く無断欠勤が続いたら普通はクビである。まあその辺はいいかとちとせは能天気に考えていた。ちとせは責任感のないウーマンだ。

 草原に寝転がるちとせの、エルフとは違う短い耳を、上から覗き込むようにしてお姫さんは観察している。そして微笑みながら言った。

 

「私はそれでも構わないけど?」

「ええっ」

 

 思わず体を起こす。お姫さんはどんな欲も受け入れるかのような母性マシマシの笑顔を浮かべている。マジらしい。

 

「年下の女の子のヒモ、か……ありか……ありか? いやありなのか……」

 

 ちとせは悩んだ。社畜ウーマンから幼女のヒモウーマンに進化すべきかを。

 脳内で悪魔ちとせは囁く。

 

「なっちゃえよ幼女のヒモに……今ならヒモになれる上、可愛い幼女のイスになれちまうんだ」

 

 そうか……。

 更に天使ちとせも囁いた。

 

「心身の健康を考えるとやはりニート、失礼ヒモの方が良いのでは?」

 

 そうなのか……。

 目を閉じてうんうん唸るちとせの耳を、姫さんの細い指がつまんだり撫でたり突いたりしている。控えめに言ってとても気持ちいいのでもっとやってほしい。

 

「生きていればきっといいことがあるわ」

「そうかなあ」

 

 とりあえず、ちとせは考えることを止めた。いま考える必要のあることでもないだろう。

 そして、その辺に咲いている野花を摘み出すちとせ。何本も摘んではそれらを結んでいく手際の良さに、お姫さんのとんがり耳が小さく揺れている。エルフ少女の瞳が興味津々といった様子でちとせを見た。

 

「……さっきからなにをしているの? イヨリキの花なんか結んで」

「まあまあ見てなって」

 

 ふふんと得意げになったちとせはその後も何本か野花──イヨリキの花とやらを結び続ける。やがて、ちとせの手の中には綺麗な白い花を咲かせる冠が出来上がっていた。

 

「まあ……これは冠ね? とっても素敵!」

「えへ、えへ」

 

 褒められてご満悦の笑みになるちとせ。心が満たされたちとせは上機嫌に、草冠をエルフ少女の頭にそっと載せた。

 

「お姫さんにあげるよ」

「えっ……」

「私を助けてくれたお礼ってことで」

 

 本心からの言葉だ。

 今度こそちとせは、しみったれた笑顔ではない、まっとうな表情で笑えた。

 お姫さんはどうしてか、カチンコチンに固まっている。

 

「やっぱエルフってこういうの似合うんだなあ」

 

 などと無邪気にちとせがお姫さんを見つめると、ぼふんっ! と音がしそうなほど急激にお姫さんの顔が真っ赤になった。エルフ少女は頭の草冠を両手で触れる。頭を抱えて隠すような仕草だった。

 

「…………~! こ、困るわそんなの。お耳が短い方はどうしてそう、情熱的なの……?」

「へえっ? なにが?」

「し、知らないの? イヨリキには『永遠』って意味が込められているの。それはこの植物が非常に長い寿命を持つからで……」

「つまり……?」

「だ、だからその、イヨリキを誰かに贈るっていうのは、その人に永遠を誓うっていうことで……!」

 

 『その人に永遠を誓う』。お姫さんが顔から火が出る思いで吐露した一言を噛み砕くと、つまり、

 

「もしかして愛の告白だったのか……」

「…………」

 

 早川ちとせは独身OLである。これまでロクな恋愛もしてこなかった自分の人生を鑑みても、誰かに告白などした事はない。それもこんな、可憐でお淑やかなエルフ少女になど一度もだ。

 

「……あ、あのね、そんなに見つめちゃだめよ? 狩人さんの時もそうだったけど」

 

 つい、視線に力がこもっていたかもしれない。エルフ少女は赤い顔のまま、窺うような上目遣いで見上げてくる。

 

「人の目を10秒以上見つめるのは、あなたを愛しています、という意味があるのよ? それもそんな、熱のこもった目つきをされると、どきどきしてしまうから……」

 

 だから昨日、エルフ男を凝視したのをお姫さんは怒ったのか。腑に落ちたちとせは自分が無自覚にエルフを口説きまくっていたことに愕然としてしまう。

 

「お耳が短い民の方はとっても積極的で、困っちゃうわ……」

 

 そう言うお姫さんの表情はしかし、あまり困ったようには見えなかった。頭に載せられた草冠を優しく撫でる手つきも、俯きがちに瞳を伏せるその表情も、照れの中にどこか嬉しさが見え隠れしていて。

 

「私、こんなにどきどきしたのは初めて」

 

 お姫さんの、なんらかの情で潤む青い瞳が、ちとせを試す。ちとせの心も鼓動を早める。

 

「あのね。私あなたの太もも好きよ」

「ありがとう……」

 

 いつもの調子良い言葉が何も出てこなかった。おかしい。社畜営業ウーマンとして口だけは達者になったはずなのに、開いた口から漏れるのは「あ」とか「う」とか声になれない呻きだ。

 

「……」

「……」

 

 そうやって二人して顔を赤くし、沈黙する事数十秒。唐突にお姫さんが立ち上がった。覚悟を決めた表情で「少し待ってて」と言うエルフ少女は、丘を下り自宅へと駆けていく。ちとせがぼうっとすること数分間。丘へと戻ってきたお姫さんの手には、見たこともない花が一輪ある。

 

「これ、あげるわ」

「? これはなんの花?」

「サ#;゛マグの花……」

 

 なんて? 

 

「──や、やっぱりだめ! 私達には早すぎるもの!」

 

 差し出された謎の花を受け取ろうとすると、お姫さんはそれを引っ込めてしまう。両手で顔を隠したエルフ少女は頭を振って何事かを呟いている。

 

「ああ私ったらなんてはしたないことを……告白の返事なんてこんな、こんな不埒な事をしてしまうなんて……」

「???」

 

 早口に言うからよく分からないが、お姫さんは顔を真っ赤にして走っていってしまった。

 一体何だったんでしょうかね~。ちとせはまたも思考を放棄して空に浮かぶ雲を数えだした。

 

「ああっ! あの雲上司の顔に似てる! うんざりですわ~」

 

 うんざりなのであった。

 

 

 

 エルフの里での生活20日目。その日早川ちとせはお姫さんの自宅で、鼻歌交じりに腕を動かしていた。

 

「今日はきな粉に似た謎物体をすり鉢でゴリゴリして、草の茎を茹でて作ったお餅に振りかけてしまうんだぜ~。それが終わったら昼寝して~お姫さんとゴロゴロするんだぜ~」

 

 下手くそな歌の内容が本日の予定である。

 驚くべきことに早川ちとせは幼女のヒモへの適性を遺憾なく発揮していた。

 すり鉢で粉をゴリゴリしていると、ガラリと扉が開く。居間へと入ってきたのは、顔を俯かせたお姫さんだ。

 

「あっお姫さんおはよう。いやあ最近寝つきがよくってさー、早起き健康!」

「……とてもだいじなお話があります」

「ヒェッ」

 

 ──20日ほど生活して培われた事だが、お姫さんが真剣な表情をするとちとせは反射的に正座をしてしまうのである。彼女の中に未だ眠る社畜スピリットの残滓がそうさせているのだ。

 

「そこに座って」

「はい」

 

 言われるまでもなくちとせは正座している。

 お姫さんも向かい合う形で正座する。

 エルフ少女はちとせに顔を見せないで、自身のほっそりとした太ももに両手を置く。一体自分はこれから何を言われるのかと、ちとせは喉を鳴らした。家から追い出されたりするんだろうか、最近調子に乗ってお姫さんのヘソの匂いを嗅ごうとしたのがマズかったか……。

 

「……」

「最近あなたの太もも、むちむちじゃないの」

 

 ……えっ? 

 

「それは単に、健康的な生活で痩せてきたということでは……」

「ちゃんと食べてないの? なんで?」

 

 早川ちとせはエルフ幼女のヒモとなり、エルフたちの食生活に身を寄せる事にもなり、山菜を中心とした彼らの食事は現代社会のコンビニ弁当で侵食されたちとせの贅肉……主に腹……を恐るべき速度で消していったのである。この里に体重計がない事が非常に残念でならない。

 そんな風にちとせ的には喜ばしい話だったのだが、毎日のようにちとせのムチムチィ太ももを楽しんでいたお姫さん的には非常にショッキングな出来事だったようだ。

 

「わっ、私のことっ、嫌いになったの……?」

 

 お姫さんの喉から、震えた言葉が溢れ出す。

 

「私がいつも膝枕とか、椅子にしたりとかするの、嫌なのでしょう?」

 

 実際、毎日朝昼晩と最低三回はお姫さんの椅子に従事している。ちとせ癒しのスケベタイムだ。

 

「ううーんそんなことないんだけどなあ」

「でも……きっと私が何度も椅子にしてしまったから、お耳が短い方の太ももがくたびれてしまったのよ。私のせいでお耳が短い方の良いところを……」

 

 どうもお姫さんは、ちとせのダイエットを悪い事と勘違いしているらしい。

 32歳のエルフ少女は、少々思い込みが過ぎる。やれやれとちとせは笑った。

 

「お姫さん、こっちこっち」

「ん……」

 

 手招きすると、お姫さんは素直に傍へ近寄ってくれる。てくてく近づいてきたエルフ少女の細くて小さな体を、ちとせは両手で抱き寄せた。

 

「ひゃ……」

 

 突然の動きにお姫さんが小さな悲鳴を上げる──が。

 だが、それだけだ。一瞬だけ強張ったまるい肩は、すぐにほぐれていく。はふぅと少女の口から落ち着いた様子のため息がこぼれた。ちとせはいつものように少女を膝の上で抱きしめる。

 

「太ももとか関係なしに、こうしてお姫さんを抱きしめると私はそれだけで幸せだなあ」

「わ、悪く、はない、わ」

 

 お姫さんがコクコク頷く。少女の白くて柔らかいにしっとり浮かぶ汗が散る。ちとせは訳もなく発奮した。

 

「で、でもっ、心臓がほんとうに張り裂けてしまうからこれ以上はだめ……」

「お姫さんは可愛いなぁ……」

 

 ちとせはお姫さんの可愛らしい反応にスケベ心を満たされてご満悦である。鎖骨まで赤くしたお姫さんにハアハアしていると、唐突にがららっと今の扉が開く。

 扉を開けた張本人──司書さんが、ちとせとエルフ少女の状態を確認して般若の顔になる。

 

「この変態が……」

「ちょっと待って欲しい。私は28歳でお姫さんは32歳、年齢的には何の問題もないのでは?」

 

 おまわりさん……里にいる警吏エルフ……の御用になりたくないちとせは脳をフル回転させてもっともらしい言い訳をした。ちとせは自身の保身のためなら天才になれるウーマン。

 

「開き直るな性犯罪者! 地獄へ堕ちろ!! いや私が堕とす……!」

「だが私は二段階の進化を残している……! 不死鳥の如く地獄より這い上がろうぞ!」

「キェーッ!」

「ピャーッ!」

 

 お姫さんをずっと見守ってきた女エルフVSぽっと出の社畜OL、ただ一人の幼女を奪いあう骨肉の争いが今火ぶたを切って落とされた……! 

 そんなこんなで二人が有酸素運動を終えてようやく、「それでどうしたの? 司書さん」とお姫さんがもっともな疑問を口にした。ゼェゼェと荒い息をつく司書エルフは言う。

 

「貴様との戦いは次までお預けだな……」

「フ。オレ好みの台詞だ……」

「一人称間違ってるぞ。……まあいい」

 

 いつもの調子を取り戻すように司書エルフはごほんと咳払いをひとつ。そして、ちとせとエルフ少女を交互に見つめてこう言った。

 

「呪いの書が見つかった。予定よりも10日早いがな」

「──」

 

 ちとせは息を呑む。

 呪いの書。それは、村長エルフさんが司書さんに調査を命じていた、早川ちとせを元居た世界へ返す帰還方法を記した書物だ。それが見つかったという事はつまり、ちとせは今からでも日本へ──しいては自宅へと帰れることを指す。

 

「……そうか。もう帰れるのかあ」

 

 つい、そんな言葉が漏れた。ちとせは少女の顔を見る事が出来なかった。

 

「ふん。存外寂しそうだな」

「そりゃあね。ここは居心地がよかったし、できればずっと居たいけど」

 

 でも、ここは私が暮らすには優しすぎる。──そういう言葉を口に出さない気遣いは、日本で学んだ。

 

「…………」

 

 けれど俯いたまま何も言わないお姫さんに投げかける言葉は、一度も習った事が無い。

 

「ねえ司書さん」

「なんだ」

「今までお世話になったことだし、村長さんとか、いろんな人に挨拶に回りたいんだけどいいかな?」

「……好きにしろ。貴様は異邦人ではあったが、悪人ではなかった。性犯罪者だったがな」

「まだ未遂じゃいっ」

 

 そうしてちとせは世話になった沢山のエルフに別れの挨拶を済ませ、司書さんが指定した帰還座標──森の中へと移動した時だ。

 

「あれ」

 

 さらさらとした金髪も、青い瞳も、すぐ笑う頬の柔らかさも、今日で全て見納めだと思うと名残惜しい。

 そこにお姫さんが居た。

 いつの間に、森の中へ動いたのかもわからない。

 ちとせは何を言えばいいのかわからなかった。恐らくこれが今後一生の別れになる。いつものおちゃらけた言葉も、何も出てこない。静かな風だけが木枯らしを鳴らしていた。そうして、少女がちとせの瞳を真っ直ぐに見つめる時間だけが過ぎて。

 

「……」

「……」

「……」

「……」

 

 沈黙は長い。毅然とした意志を感じるのに、何ひとつ話さないお姫さんに、堪えきれずちとせは声を上げた。

 

「あの?」

「──ジラーシャ」

 

 明確に聞き取れたその単語が何を意味するかなんてちとせですら分かる。

 エルフ少女はくすぐったそうに微笑んだ。

 

「ジラーシャよ。いっとう若き白木って意味があるの」

「私は、早川ちとせ」

 

 ちとせは今度こそ、自身の名を告げる。するとお姫さん……ジラーシャは、急に顔を赤くしておろおろしだした。

 

「あ、あのね? 話していなかったけど、相手の名前を知らない者同士が実名を明かすとね、その……」

「ひょっとして求愛を受け入れるとか?」

「! なっなんで知ってるの!? チトセはえっちなの?」

「ふふふ、早川ちとせはジラーシャにだけえっちなのだ……」

「……!」

 

 分かっている。自分が少女とどういう約束を交わしたかなんて理解している。ちとせはそこまで阿呆ではないのだから。

 それでもちとせは良いと思えた。具体的な理由なんか思い浮かばない。

 

「私がどれだけチトセを引き留めようとしても、きっとチトセは帰るのね」

「大丈夫。だって私が来れたんだから、きっとまた会えるよ。だから泣かないで」

「……そう、ね」

 

 気休めの言葉ではあったが、ジラーシャは何か静かな覚悟を秘めて頷いた。

 いつの間にか背後にいた司書さんが「おい、さっさと始めるぞ」とちとせの脇を小突く。慌てて振り向く。司書さんはやがて何やらよくわからない呪文を呟きだした。そんな司書さんをぼうっと見つめていると、ふいにお姫さんが呟く。

 

「ねえ、今度は私がチトセのお家へ行ってもいい?」

 

 そんな、小悪魔めいた悪戯っぽい囁きを最後に──ちとせの意識は一瞬だけぶつりと途切れて。

 そして。

 周囲には見慣れた森林が広がっている。──間違いなく、そこは日本の山奥そのものだった。

 咄嗟にちとせは周囲を見渡す。誰もいない。司書さんも、奇怪な自然も、ジラーシャも。

 本当に帰れたのかもしれない。ちとせはリュックサックの中から、バッテリーが残り僅かだったスマホを取り出す。電源を点ければ、ディスプレイに表示された時刻は『9:32』で──。

 

「え──あれ、全然時間が経ってない……?」

 

 一日も。一時間も。一分も一秒も。ちとせが確かに経験したエルフの里での二十日間を、電子機器は認識していなかった。

 

「全部夢だったのかな」

 

 独り言に反応を返してくれる者はいない。ちとせはもう一度だけ周囲を見回して、そこに誰もいない事をようやく把握して、一人下山を始めた。

 

 

 

 結局ちとせは仕事を辞めた。地元で農業を営む父親がぎっくり腰で身動きが取れなくなったからである。父には悪いがちとせはめちゃくちゃテンションが上がった。まあ父の腰が悪くならなくても辞めるつもりではいたが。結局、エルフの里での怠惰な生活から抜け出すことが出来なかったのだ。ちとせは社畜ウーマン、幼女のヒモウーマンを経てダメ人間ウーマンへと進化していた。

 さて、そんなこんなで帰省の数日前。土日も平日もクソもなくなったちとせは、もう一度だけ件の山奥へと足を運ぶことにした。

 目印も何もつけていないが、不思議とちとせは異界への入り口地点を覚えていた。その辺りまで来て、 ひょっとして……という淡い期待での登山だったが。

 

「やっぱ夢だったのかなあ」

 

 結局、そこにはただ日本の原生林が広がるだけだ。ちとせは小さな溜息をついた。あの時見て触れた、現代日本には絶対存在しないファンタジー物体たちはどこにもない。

 エルフも里も。ジラーシャも。あの笑顔も。

 夢だったのだろう。きっと、社畜業でおかしくなった脳が見せる幻だったのだ。

 そう決めつけて、地元に帰って野菜たちと結婚しよ……とショボショボ肩を落としながら下山の道を歩き出した、その時である。

 

「──チトセ!」

 

 声は唐突。心臓が、裂けるほどに強く波打つ。

 音源は背後だ。振り向いて──ちとせは泣きそうになった。

 そこに少女が居た。耀かんばかりに嬉々の色が乗った蒼い瞳。駆けたのか、少し崩れ気味の金の長髪。興奮で赤い頬。そして……長く細いとんがり耳。エルフ少女の名をジラーシャと呼ぶ。

 

「お、お姫さん……? あれ、幻? ついに脳が壊れた?」

「きちゃった」

 

 ジラーシャはしてやったりとご満悦に微笑んだ。

 

「きちゃった、て……」

 

 ちとせが何の根拠もなく言った言葉を、ジラーシャは真実にしてみせたのだ。それも、ちとせが偶然今日この時間にこの山奥へ辿り着けたからいいものの、もしそうでなければ再び巡り合える可能性などほとんどなかったはずなのに。 

 ──運命。

 そんな言葉が、脳裏をよぎる。だけどすぐにちとせは否定した。

 全てはジラーシャの熱量が生んだ現実だろう。会いたいという思いが結実した。それだけだ。

 

「か、帰れるの?」

「あのあと司書さんが調べてくれたの。“穴”はとても不安定で、周期的に大きくなったり小さくなったりするって。100年もすれば、人ひとり通れるくらいにまた穴は大きくなるって」

「ひゃくねん……」

 

 言い替えるならば、100年経たないと“穴”は異界へ繋がらないということ。

 エルフにとっての100年と、人の100年は重みが違う。だとしても同郷の者が誰一人いない地へ、たった独りで赴く勇気を、ちとせは労う言葉も分からなかった。

 それだけ愛してくれている。

 それだけ愛を成そうとしている。

 

「お姫さんは……」

 

 言葉が無限に溢れそうで、そんなちとせの言葉を、エルフ少女は今か今かと待っていて。ちとせは冬の山の中だというのに、少女以上に顔が赤くなった。

 どれほどの言葉もジラーシャの愛情に報いる事は出来そうにない。自分に何が出来るかを考えて、ちとせはそっと両腕を広げた。少女の耳がぴくりと跳ねる。

 ジラーシャは何も言わない。ただ、試すようにちとせを上目に見つめて、ちとせも真っ直ぐに見つめ返した。

 無言の時間が1秒、2秒、3秒、4秒、5秒……そして10秒経過して。

 

「えへ、へへ。これちょっと恥ずかしいなあ」

 

 ちとせが照れ隠しにはにかむと、少女は堪えきれない様子で走り出す。一直線にちとせの胸へと飛び込んできた少女を受け止め、誰もいない山奥で二人の体がひとつに交わる。

 早川ちとせは、呟いた。

 

「お姫さんは本当に可愛いなあ」

 

 

 

 さてその後の事である。

 早川ちとせ28歳二代目農家ウーマンはその日も実家で、愛しきフィアンセのへそにダイブしてオンオン泣いていた。

 

「の、農゛作゛業゛が辛゛す゛ぎる゛よ゛ぉ゛~!」

 

 社畜ウーマンから幼女のヒモへ、そして過酷な畑仕事ウーマンへと変貌を遂げた早川ちとせは生まれたての小鹿みたいに足をぷるぷるさせていた。クソ雑魚筋肉である。そんなちとせに、愛しきフィアンセことジラーシャが聖母の笑みを浮かべる。

 

「ほらほら、私のおへそにお鼻をすりすりしても何にもないのよ? お風呂入って、ぐっすり寝ましょ?」

 

 ジラーシャはすっかり日本の農家生活に適合していた。薄らと日焼けした小麦色の肌に、主婦業が板についたかのような以前より短く揃えた金髪。とんがり耳はめちゃくちゃ目立つが、実家はド田舎なので「都会にはこんな子もいるんだなあ」で近所のお年寄りたちは気にしてない。

 そして何より大事なのは、この家には今、二人きりということだ。

 

「うう。二人きりの時は、名前で呼んでくれないの……?」

「も、もう! どうしてそんなにえっちなのかしら?」

 ちとせの上目遣いにめっぽう弱いジラーシャは、きょろきょろと辺りを見回してから、背を丸めて女の耳元でこそこそと。

「ち、チトセ。好きよ」

「うう……まだ無理……」

「だ、……大好き!」

「おっやる気出てきたなこれ」

「明日も朝食にオミソシル作るわ!」

「よっもう一息! あよっこらせ!」

「け、結婚しましょう!」

「──うぉぉおんジラーシャ好き! わたじもあいじでる! 明日婚姻届け出しに行く!」

「鼻水垂れてるわ。よしよし、鼻をかみましょうねチトセ」

 ち~ん!


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