転生モブ、ディストピア世界で指揮官になる 作:模範的アーク市民
アークへの帰還を果たすための輸送ヘリの機内には、ローターの轟音に混じって、静かな寝息が響いていた。
機内の中央では毛布にくるまれたマリアンが、イヴの肩にもたれかかるようにしてすやすやと眠っている。
「……信じられないわね。これが、あの一撃で山を吹き飛ばしたヘレティックだっていうの?」
アニスが複雑な表情でため息をつく。
先ほどまでの絶望的な死闘が嘘のような、穏やかな寝顔だ。
ラピは腕組みをしたまま、静かに口を開いた。
「あれほどのダメージを受けてなお、自己修復もせずに深く眠っています。あのピルグリムが使った特殊な弾丸の影響でしょうか……再び目を覚ました時、どうなっているかは未知数です」
「み、未知数って……いきなり起きてドカン、なんてことは?」
ネオンがびくびくとショットガンを抱え直すが、首を横に振って応えた。
(……無理もない。彼女たちはあれがNIMPHを破壊する弾丸だと知らない。原作通りなら、彼女の精神は完全に初期化され、幼児退行しているはずだ)
苦い事実を脳裏に留めつつ、部隊を安心させるように続ける。
「外部装甲も武装もすべて剥がれ落ちた。今のあいつは、ただのニケだ。……問題は、このニケが、中央政府にとって喉から手が出るほど欲しい『生きたヘレティック』だということだ」
その言葉に、全員の顔が引き締まる。
マリアンをアークの中央病院や研究施設に引き渡せば、待っているのは非人道的な解剖と実験だけ。絶対に渡すわけにはいかない。
イヴが、マリアンの頭を撫でながら静かに、しかし強い決意を込めて言った。
「マリアンは……やっと帰ってきたの。実験台になんて、絶対にさせない」
「わかってる。だから、誤魔化すしかない。前哨基地に連れ込んで、存在そのものを隠蔽する」
「隠蔽って、どうやって? アークの検問を抜けるのよ?」
アニスの尤もな疑問に、手元の通信端末を叩きながら答える。
「ミシリスのCEO、シュエンと裏取引をする」
「はぁ!? あのクソガキ……じゃなくて、CEOと!?」
アニスが素っ頓狂な声を上げた。
「このヘリは、ユニとミハラが手配したものだ。当然、彼女たちのボスであるシュエンには、こちらが『何か』を連れ帰ろうとしていることは筒抜けになる。どうせバレるなら、逆にそれを利用して隠蔽工作の共犯に引き込むんだ」
端末の暗号化回線を開き、ミシリス・インダストリーのトップへと直接通信を繋いだ。
数回のコールの後、不機嫌そうな少女の声が響く。
『……生きてたのね。それで? 何か面白い土産でも持ってきたんでしょうね?』
「ええ。最高の土産ですよ。……まずは、今回の作戦の本来の目的だったトーカティブの最新の戦闘データと追跡データ。これをミシリスに独占提供します」
『……ふうん。まあ、悪くないわね。でも、それだけ?』
「もう一つ。雪原で回収した、ヘレティック・モダニアから剥がれ落ちた外部装甲の破片です」
『……ッ!』
通信越しに、シュエンが息を呑む気配が伝わってきた。
エリシオンやテトラを出し抜き、アークの技術覇権を握るための決定的な素材。喉から手が出るほど欲しいはずだ。
「これらをミシリスに譲渡します。その代わり……今から持ち帰る『記憶喪失の量産型ニケ』のIDを、アークのシステム上で偽造してもらいたい。ミシリスの権限を使えば、造作もないことでしょう?」
沈黙。
やがて、シュエンの口端が歪むような笑い声が聞こえた。
『……いいわ。取引成立よ。ただし、そのポンコツの生態データは定期的にこっちへ回しなさい。もし裏切ったら、すぐに中央政府にチクってあげるから』
「感謝しますよ、CEO」
通信を切る。
シュエンの打算は明白だ。彼女は前哨基地を生きたヘレティックの非公式な隔離実験場として利用する気なのだ。もし中央政府にバレれば、こちらは反逆罪で粛清されるが、シュエンは知らぬ存ぜぬを突き通して逃げ切れる。
リスクは全て押し付けられ、自分は安全な場所からヘレティックの貴重な研究データを独占できる。
それに何より――ライバル企業であるエリシオンの部隊に対する、絶対的な脅迫材料が手に入るのだ。都合のいい手駒としてこき使い、用済みになれば切り捨てる。彼女の性格からすれば、これほど美味しい話はないだろう。
だが、今はその強欲な打算と、他者を意のままに操ろうとする悪意こそが、マリアンを守るための最高の隠れ蓑になる。
これで、検問の生体スキャナーはマリアンを「激戦で言語野を損傷した、記憶喪失のニケ」として誤認するはずだ。
「……指揮官。あなたは時々、悪魔のような交渉を平然とやってのけますね」
ラピが呆れたようにため息をついた。
「問題は、基地に持ち込んだ後だ。……副司令のアンダーソン、そして中央政府AI・エニックに、今回の作戦の顛末をどう報告するか」
それが最大の難関だった。
『ヘレティック・モダニアと遭遇したが、スノーホワイトの協力によって撃退し、死体は雪原の谷底へ消えた』
そう報告するつもりだ。だが、あの鋭いアンダーソンが、そうやすやすと信じるだろうか。
◇
数時間後。
無事に検問を抜け、前哨基地の指揮官室へと帰り着いていた。
シュエンの手配した偽装IDのおかげで、マリアンは完全に仮登録のニケとしてシステムに認識されている。
「……ん……。ここは……?」
ソファで目を覚ましたマリアンが、ゆっくりと身を起こした。
その落ち着いた声と、周囲を戸惑うように見渡す理知的な瞳。
「マリアン! よかった、気がついたんだね」
「指揮官、さま……。それに、アダム指揮官、ラピ、アニス……」
舌足らずな発音ではない。マリアンは懐かしい顔を見渡し、安堵の微笑みを浮かべる。そして、不思議そうにネオンの方へ首を傾げた。
「ええと……そちらの方は?」
「あ、はじめまして! 私はネオンです! 火力こそ全ての、新星カウンターズ部隊員です!」
「ふふっ。よろしくね、ネオン」
元気な自己紹介に、マリアンが優しく微笑み返す。
(……幼児退行、していない?)
呆然と、その光景を見つめていた。
直後、頭の奥に鋭い痛みが走る。
脳裏に、経験しなかった「別の歴史」の映像が流れ込んでくる。倒れるモダニア。そこに這い寄る、死に損ないのトーカティブ。奴が最期の悪意でマリアンの脳に侵食コードを打ち込み、助けるために強制的な脳洗浄が行われ……そして、彼女は記憶と知能を失った。
(……そうか。幼児退行の原因はアンチェインドの副作用じゃない。トーカティブの道連れだったのか……!)
介入によってトーカティブはあの場におらず、道連れは発生しなかった。歴史の改変が生んだバタフライエフェクトが、奇跡的に彼女の精神と記憶を守り抜いたのだ。
――だが、それは同時に背筋の凍る事実でもあった。
(完全に、原作のルートから外れた……)
マリアンが幼児退行しない。それはつまり、この先の展開が知る限りのNIKKEのメインストーリーとは全く異なるものへ分岐していくことを意味する。ただでさえ断片的にしか思い出せない原作知識が、これからは全く通用しなくなるかもしれない。
さらに言えば、フラッシュバックした原作知識の通りなら、この後アンダーソン副司令がマリアンを匿うための裏工作を手伝ってくれるはずだった。だが、それはマリアンが「無害な赤ん坊」だったからこそ成立した展開だ。知能と記憶を保った「元・人類最大の敵」である今の彼女を、あの冷徹なアンダーソンが見逃す保証はどこにもない。
(ヘリの中で、シュエンと取引する隠蔽工作を選んで正解だった……。今の状況では、アンダーソンからの信頼も足りないしな)
不確実な原作の味方に頼らず、あえて敵を利用した判断を再確認し、冷や汗が流れる。
先の見えない未知への恐怖。そして何より、心には拭いきれない泥のような葛藤が渦巻いていた。
あの日。地上任務で、ただ原作通りの悲劇をなぞるしかなく、彼女を見捨ててしまった。己の無力さと、原作という巨大な運命の前に屈したことへの強烈な罪悪感が胸を焼く。
(……これで本当によかったのか? また、取り返しのつかない選択をしたんじゃないか……?)
いや、待て。落ち着け。あの状況で他にどうしろって言うんだ。
イヴも危険に晒されていた。あそこでスノーホワイトにアンチェインドを撃ち込ませなければ、部隊は間違いなく全滅していた。原作の通りに話を進めるために、イヴを見殺しにするなんて選択肢があるわけない。
仕方がなかったんだ。あの瞬間、イヴもマリアンも両方救うには、アレしかなかった。
そうだ、間違っていない。間違っていないはずだ……。
知らず知らずのうちに、頭の中で見苦しい言い訳を並べ立てて、震える手を強く握りしめる。
そんなグダグダとした卑屈な思考を断ち切ったのは――
涙を流しながら抱き合い、無邪気に笑い合うイヴとマリアンの姿だった。
(……ああ、そうだよな)
あらかじめ決まっていた悲劇のシナリオをなぞって、誰かを見殺しにし続けるために戦っているわけじゃない。
「……よかった。本当に、元のマリアンに戻ったのね」
アニスが毒気を抜かれたように呟く。ネオンも嬉しそうに頷き、自分のおやつを差し出していた。
「お腹すいてませんか? これ、火力抜群の激辛キャンディです!」
「ありがとう。……でも、激辛はちょっと遠慮しておこうかな」
イヴが隣に座り、マリアンの手を優しく握りしめている。
「……平和ですね」
全身に包帯を巻きつけながら、ラピがぽつりと呟いた。
指揮官室のソファに寝かされ、骨折した肋骨や全身の打撲の応急処置を受けている。麻酔が切れてきて、息をするだけでも激痛が走る。
「ああ……。だが、薄氷の上の平和だ」
痛みを堪えながら、端末に届いた一通の通知を見つめる。
『中央政府・アンダーソン副司令より。イヴ指揮官およびアダム指揮官へ。帰還の報告を要求する』
「ダメです、アダム指揮官。まともに歩ける状態ではないでしょう。報告ならイヴだけで――」
「いや、同行する。あの副司令相手だ、報告をイヴ一人に背負わせるわけにはいかないからな。ラピ、お前たちはここでマリアンを守ってくれ。誰かが来ても、絶対に中に入れるな」
「……了解しました。無理だけはしないでください」
「行くぞ、イヴ。いいか、副司令の前では俺が全部話す。お前は適当に頷いていればいい」
「は、はい……わかりました」
「ガチガチに緊張するなよ。お前、嘘をつくのとか絶望的に下手そうだからな」
苦笑しながら鎮痛剤を何錠も水で流し込み、イヴを連れ立って前哨基地を出た。
◇
アーク中央政府、副司令室。
重厚なデスク越しに、アンダーソン副司令が痛々しい姿のアダムと、緊張で身を硬くするイヴを鋭い眼光で見据えていた。
「ひどい有様だな、アダム指揮官。本来なら中央病院の集中治療室に直行すべき状態だが」
「お気遣いなく。手当は済んでいます。……ご命令通り、参りました」
「――なるほど。ピルグリム『スノーホワイト』の介入により、ヘレティックは撃沈。その後の爆発で谷底へ転落し、生死および残骸は確認できず、か」
「はい。我々もギリギリのところで撤退するのが精一杯でした」
用意していた嘘を淀みなく口にする横で、イヴがビクッと肩を震わせてぎこちなく頷く。
全身の激痛のせいで元から心拍数も血圧も跳ね上がっているため、生体反応スキャナーから嘘を見抜かれる心配はない。怪我の功名というやつだ。
アンダーソンは手元の資料から目を離し、ゆっくりと指を組んだ。
「イヴ指揮官、アダム指揮官。君たちの部隊の生還は喜ばしい。……だが、不自然だ」
「何がでしょうか」
「君たちの生還そのものが、だ。……ヘレティックという人類最大の脅威と遭遇し、ピルグリムの介入があったとはいえ、君たちの部隊は誰一人欠けることなく無事に帰還した。しかも、都合よくヘレティックの残骸は猛吹雪の谷底へ消え、確認できないと来た」
鋭い追及に、隣でイヴがまたビクッと小さく跳ねた。
背筋にも冷たい汗が流れる。
「君たちは何か特別な手段を用いて、ヘレティックを『処理』し、それを隠匿しているのではないか?」
アンダーソンの目が、獲物を狙う鷹のように細められる。
鋭すぎる勘。彼はこちらが何かを隠していると確信している。だが、証拠はない。
「いえ。ピルグリムの最後の一撃による大爆発で、私たちも吹き飛ばされるのが精一杯でした。残骸を確認する余裕などありません」
「……そうか。ならば、そういうことにしておこう」
アンダーソンは深くため息をつき、資料を閉じた。
「君たちの部隊にはしばらく休養を与える。ただし、中央政府は今回の件から目を離さない。……くれぐれも、羽目を外しすぎないことだ」
「肝に銘じます。失礼します」
イヴと共に敬礼し、退室する。
分厚い扉が閉まり、死角に入った瞬間、イヴが「ぷはぁっ」と限界まで止めていた息を細く吐き出した。
「大丈夫か、イヴ」
「はい……あんな鋭い人の前で嘘をつくなんて、生きた心地がしませんでした。でも……」
イヴは小さく深呼吸をすると、ぐっと両拳を握りしめ、強い光を宿した瞳で見上げた。
「マリアンを守るためですから。これくらい、平気です」
気丈に振る舞う彼女の小さな背中を見つめながら、どっと疲労が押し寄せてくるのを受け止める。
なんとか誤魔化せたが、アンダーソンの疑念は完全に晴れていない。
前哨基地には、誰にも知られてはならない人類の敵が眠っている。
もしバレれば、アークの全てを敵に回すことになる。
小さく息を吐き、イヴと共に前哨基地へと続くエレベーターに乗り込んだ。