小林宅のキッチンに、メイドが一人。
心地よいリズムで包丁が食材を刻み、分厚い肉に火が通り、肉汁が溢れ出ている。
「〜〜♪」
トールは上機嫌だった。
とても、上機嫌だった。
「………?」
そんな様子を見て、テレビを観ていたイルルが不思議そうに首を傾げる。
「なんだ?今日はやけに機嫌がいいな?」
「小林、今日帰ってくるの早い。さっき連絡来た」
イルルの疑問に、リビングで宿題をしていたカンナが顔を上げずに答える。
「トール様、嬉し過ぎて封印された一品を作ってる」
「封印……?ああ、尻尾か」
これまで何度も挑戦してきた、ドラゴンの尻尾焼き。
皿に出される度に小林は拒絶してきたが、今度こそ食べてもらえるかもしれない。
そんな事を思いながら、トールは嬉々として己が尻尾を切り落としたのだった。
「今日のは一味違いますよ。改良に改良を重ね、私の尻尾はあらゆる疲れを吹き飛ばすのです!!」
キッチンからひょっこりと顔を出して自信満々な様子を見せるトール。
「いいなぁ、それ。小林喜ぶんじゃないか?」
「喜ばない」
「なんで?」
「きっと道徳的に嫌がる。授業で習った」
「んん? ドウトクってなんだ?」
「道徳は学校の授業の一つ。物語を読んでみんなで感想を言い合う」
「それとトールの尻尾焼きに何の関係があるんだ?」
「……たぶん良くない、かも?」
「なんでだ……?よく分からないぞ」
「………道徳ってなんだろ?」
二人揃って首を傾げた、その時だった。
ガチャッ。
玄関の鍵が開く音。
「あ、帰ってきた」
カンナが玄関の方を見る。トールは料理の手を止めてキッチンを出る。
「おかえりなさ〜いっ♡ 小林さ〜んっ♡」
るんるん、と玄関へ駆けていくトール。
扉が開く。
「おかえりなさいっ! トールにします? お風呂でトールにします? 夕飯はトールにします? そ・れ・と・も……トールですかぁ?♡」
トールは身体をくねらせながら満面の笑みを浮かべる。
しかし、その笑顔の先にいたのは──
エルマだった。
「………」
「………」
次の瞬間、トールから笑顔が消えた。
「キサマァッ!!今日トイウ今日ハ滅ボシテクレルゾッ!!」
炎を纏い、鬼の形相で鋭い爪を剥き出しにするトール。
「な、なにぃ!? とうとう本性を表したなトールッ!!いいだろう!! 勝負だっ!!」
対するエルマも、負けじと愛用武器である矛を構えた。
「やめなさい」
そして、後から入ってきた小林が二人の間に割って入ると、途端に諍いは収まる。いつもの流れであった。
しかし、爪は収めても不満は収まらないトールは、本気で嫌そうに小林に耳打ちする。
「小林さぁん……なんでエルマなんか連れて来たんですかぁ?」
「なんかって何だ!」
当たり前のように聞こえていたエルマが頬を膨らませる。
「すみません……夜分に押しかけてしまって」
小林の後ろから、申し訳なさそうに東条が顔を出した。
「東条さん……?」
東条の姿を見て、なんとなく把握したトールは諦めたようにため息を吐いた。
「もう、小林さん。お客さんを招くのなら事前に言ってくださいよ」
そう言いながら、膝を付いてさっと東条へスリッパを差し出すトール。
「どうぞ、東条さん。せっかくですし、夕飯などいかがですか?」
「あ、いえ、お構いなく。用件を済ませたらすぐ帰るので……」
そんな自然なやり取りをしてる二人について行けず、エルマだけが取り残される。
「お、おい! 私と対応が違いすぎやしないか!?」
「さ、上がってください」
「無視かぁぁ!!」
不満を訴えるエルマを無視して、トールはリビングへ戻る。
「お、なんだなんだぁ。今日は大勢いるな?」
「エルマ様、ジョースケ。こんばんは」
「お二人とも、こんばんは」
リビングで過ごしていたイルルとカンナが反応する。
「どうしたんだ?なんかあったのか?それとも遊びに来たのかぁ?」
「!! ジョースケ、ゲームやる?」
遊びという言葉に反応したカンナは、すぐさまゲーム機を起動させる。
「ダメですよ、カンナ。もうすぐ夕飯です」
ピシリと注意しつつ、トールはキッチンへと戻っていく
——その直後だ。
「あああああ!?!?」
キッチンから、大きな声が響いた。
「え?!トールが悲鳴上げたのか!?」
「うそっ」
「トール!?どうしたの!?」
とんでもない出来事に、全員が慌ててキッチンへ入った。
すると、
『ガチュガチュガチュガチュッ!!』
白いネズミ、アルジャーノンがステーキへ顔を突っ込み、信じられない速度で肉を食い散らかしていた。
「やめなさい下等生物!!それは小林さんのために焼いた尻尾です!!」
「トール?」
また焼いたのかと非難する小林の視線に気付かず、トールは声を荒げる。
「このネズミっ!!ギタギタにしてエルマの晩ごはんにしてやりますよっ!!」
「え!?私のために作ってくれるのか!?」
ちょっと嬉しそうにするエルマを完全に無視して、トールは目にも止まらない速さで飛びかかった。
バチン、とアルジャーノンを潰すように叩かれる手。
しかし、トールが手を開くと、そこにネズミの姿はなく、代わりに紙がそこにあった。
【不味い】
「……」
呆然と手元を見ていたトール。そして——
グシャアッ!!
万力で紙が潰された。
「くぁwせdrftgyふじこlp!!!!!」
「お、落ち着けトール!?ここでドラゴンになるのは不味い!!不味いぞッ!!」
「退避っ!退避ーッ!!」
・
・
・
「で、どういうことなのか説明はあるんですよね?」
「はい……本当に申し訳ありません」
「なぜ私まで……」
正座する東条とエルマの前には、冷静になったトールが同じく正座で対面している。
周囲では小林達がことの成り行きを見守っていた。
「東条さん」
「……はい」
トールに促された東条は、手のひらをトールに向ける。
「「「「「?」」」」」
それを見ていた周囲が不思議に思っていたその時、東条の手のひらの上に白いネズミが
「え、あれ、んん??」
「な、何これ……」
「認識阻害……いや、違う……」
「最初からそこにいた——のに忘れてた?」
全員が困惑から立ち直ったところで、東条は改めて紹介する。
「こいつはアルジャーノンと言います。記憶を失う前の僕を知ってる、スタンド使いです」
東条の言葉に、信じられないと言わんばかりにアルジャーノンに視線が集まる。
もしそれが本当であるならば、これまで謎だった東条の過去が分かるかも知れない。
だが、それに対し、アルジャーノンは興味なさそうに欠伸をし、更には丸くなって寝ようとしていた。
「………ほんとに?」
カンナは思わず口に出してしまう。
無理もない。たった今、不思議な現象に出くわしたばかりだというのに、目の前にいるのがあまりに普通のネズミ過ぎた。
「まあ、スタンド使いではあるんでしょうけど、所詮はネズミです。大した知能もないでしょうし、期待は出来ませんね」
バカにしたように告げるトール。すると、アルジャーノンは顔を上げ、東条の手のひらから消えた。
「——イッタァァアアア!?!?」
飛び上がるトール。メイド服からはみ出ている尻尾の先にアルジャーノンが齧り付いていた。
「この下等生物——イタタタタッ!!!」
「ああっ、ダメですトールさん!!下手にプライドを刺激すると噛み付いてきますよ!?」
「早く言ってあげて」
それから、東条がアルジャーノンを、小林がトールを宥める。
「ふーっ!!ふーっ!!」
「チュウッ!!」
睨みあう両者。小林と東条はそれぞれ相手を撫でて落ち着かせる。
「どーどー、落ち着いてトール」
「なんでそう気が荒いんだ、アル」
ようやく話が出来る程度には両者が冷静になったところで、東条は一つ息を吐き、ゆっくりと顔を上げた。
「……では、話します」
東条は、自分に起きた出来事を順を追って話し始めた。
数日前からアルジャーノンが接触してきたこと。
会社で謎の女――金切レイコに襲われたこと。
スタンド能力によって、死ぬ寸前まで追い詰められたこと。
そして、アルジャーノンの能力によって窮地を脱したこと。
最後に、自分がこの街へ来た理由。
「僕は……ディオという男と、『黄金の矢』を探していた、そうです」
話を聞き終えた全員は沈黙し、考え込んだ。
「ディオ……ですか」
トールが呟く。
「変わった名前ですね。少なくとも、商店街にはいないでしょう。会ったこともありません」
「黄金の矢っていうのも気になるな」
イルルが首を傾げる。
「スタンド能力を目覚めさせる矢なんて、そんな都合のいい道具があるのか?」
「ある、そうですよ。少なくとも、アルジャーノンはそれでスタンド能力に目覚めたそうです」
東条は掌のネズミを見る。
「そうだ。仗助君を襲った敵――金切レイコ」
小林が口を開く。
「何か知ってた?」
「いえ、なにも。本人も誰かに命令されて動いていただけみたいでした」
「そう言えばそいつ、結局どうしたんだ?危ない奴なら私が処理しようか?」
イルルの言葉に東条は首を振る。
「いえ、もう悪さは出来ないと思います。それにしばらく動けないでしょう。身も心も重傷なので」
なんとも言えない表情でアルジャーノンを見つめる東条。対して、アルジャーノンは不遜に鼻を鳴らして見せた。
「直接トールに金切レイコの記憶を読み取ってもらうのも手だと思ったけど……時間の無駄で終わりそうだね……」
「チュ」
小林の言葉に、アルジャーノンも首を縦に振る。
「そういえば」
イルルが興味深そうにアルジャーノンを覗き込む。
「アルジャーノンは仗助のことどこまで知ってるんだ?」
東条が視線を向け、紙を差し出す。
アルジャーノンは迷いなく書き始めた。
【東条仗助】
【スタンド使い】
【ディオを追っていた】
【黄金の矢を探していた】
それだけだった。
「……それだけ?」
イルルが拍子抜けする。
【以上】
「少なっ!」
【仗助はあんまり自分のことを話さなかった】
「それで相棒を気取ってるんですか?」
トールがバカにするようにクスクスと笑う。アルジャーノンは今にも飛び掛かろうと身構える。
「やめなさい、トール」
「落ち着け、アル」
再度二人が間に入ることで喧嘩を収めた。
その横で、カンナは難しいそうな表情で首を捻っている。
「これからどうすればいい?ディオって悪い人を探してぶっ飛ばす?」
「ドラゴンなら気配とかで分かるけど、ディオってのはただの人だろ?探すってなると骨だぞ。黄金の矢の方が探しやすいんじゃないか?」
「いや、確かに矢の方が特徴はあるが、やはり探すとなると困難だ。この街は広いぞ」
そこで、全員が沈黙する。知ったところでどうにも出来ない状況だった。
すると、さっきまでアルジャーノンといがみあっていたトールが動く。
「東条さん」
「はい?」
トールは東条を振り返り、真剣な表情で告げる。
「記憶、取り戻しましょう」
「え?」
そう言ってトールは隣の部屋に行ったかと思えば、本やら道具やらをたくさん持って戻ってきた。
バンッ!!
テーブルに置かれた怪しいそれらを前に、一同は黙っている。
「いい機会です。今、私達に出来ることをやりましょう。それが一番の近道です!!」
そう言って、パラパラと本を捲るトール。
「世界中からあらゆる事例を集めておきました。片っ端から試せばきっと思い出せます。小林さん、そしてカンナ、イルル、ついでにエルマも、そしてここにはいない皆さんにも、全員に協力してもらいますよ!!」
「わ、私に出来ることなら……」
「頑張ってお手伝いする」
「任せろ!!」
「ついでは余計だ!!」
全員が一致団結したところで、トールは勢いよく東条を指差した。
「それでは皆さん!! 東条さん記憶喪失克服大作戦、開始です!!」
「「「「「おーーーっ!」」」」」
賑やかな声が部屋いっぱいに響いた。