幕末のラ・セーヌの星 鴨川の星 快傑女天狗   作:koh1968

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ラ・セーヌの星といっても若い人は知らないでしょう。
いや、この画面を開いているのは、知っている人、あるいは同世代か。
子供のころ、夕方のアニメの再放送枠では何度も放送されており、教室でみんな話題にしていたものです。
幕末に剣を取って戦う鴨川の星の装束はほぼラ・セーヌの星と一緒で、時代考証としてはありえないですが、そのほかは可能な限り考証に気を付けています。
pixivに掲載したものを加筆しています。
今後はこちらで掲載できればと考えています。
よろしければおつきあいください。


鴨川の対決 ‐辻君殺し‐

La Légende de Étoile de la Seine au Japon.

Elle s’appelle Étoile de la Kamogawa=Une femme Tenguh.

“Tueur de prostituēes au coin de rue.

‐Colère sur les prostituēes!‐”

 

 時は幕末。時は文久三年(1863)の秋。

 ここは京の近郊にある壬生寺。

 陽も落ち、空には星が瞬き始めている。

つい先ほどまで遊んでいた童たちの歓声が聞こえなくなった境内、そこを藍色の着流しに大小二本の刀を差した若い侍があるいていた。

侍は五尺六寸余り(170センチ位)と長身で色黒、愛嬌のある顔だ。その若い侍は足を止めた。足下に何か手紙のようなものが風に吹かれ、本堂に続く石畳の上で舞っていたからだ。

「おやおや、何ですかね?む、瓦版かあ」

 若侍が拾ったのは手紙ではなく、瓦版だった。瓦版はSNSやインターネットはもとよりテレビもラジオも新聞すらない江戸時代当時の庶民の数少ない情報源だ。それは寺町通の修郎なる読売が書いたもので、挿絵を描いたのは三次郎だ。若侍は記事よりもまず挿絵に惹かれた。そこには白馬と鞍上の奇妙な成りの人が描かれていたのだ。

鼻息も荒く、四肢で大地を蹴って走る白馬に乗っているのは明らかに女だ。星印が縫い込まれた頭巾を被り、顔の上半分目かずらのような仮面で素顔を隠している。

 女は上半身を胸の膨らみや腰の括れといった身体の線を隠さない黒っぽい装束を着、右手に反りの少ない大刀を構えている。白馬の胴をしっかりと押さえる足は脚絆のようなものを履いているが、ふっくらとした太ももが露わになっている。白馬は早い速度で駆けているのか髷を結っていない髪と外套を風になびかせていた。

 迫力ある絵に描かれた、そのような女などこの京には一人しか居ないであろう。それは京で噂の謎の仮面の剣士女天狗鴨川の星(めてんぐかもがわのほし)の活躍を報じる瓦版だった。

「女天狗こと鴨川の星は、右手に持ちし大刀で女衒(ぜげん)と無頼の輩を牽制すと、駕籠に乗せられてゐし若き女達に逃ぐるように言ひき・・」

 記事を読むと若い侍は視線を空に泳がせ、空に輝く宵の明星を眺めた。

「へえ、仮面をした女の剣士かぁ。一度お手合わせ願いたいものですねえ」

 彼が独りごちると寺の西正門のほうで人の気配がした。

「総司!屯所へ戻るぞ!」

 総司と呼ばれた若侍は瓦版を懐にしまうと石畳を歩き始めた。

「はいはい、土方先生今行きますよ」

 その若侍の名は沖田総司、近頃京都守護職会津藩主松平容保に新撰組の名を与えられた官設浪士団の幹部で、天然理心流の達人だ。彼を呼んだのはその新撰組の副長土方歳三。土方も沖田と同じく天然理心流の遣い手である。二人とも今宵は非番なのだろう。沖田が土方に追い付くと二人は並んで歩き、壬生寺の西正門を出て左に曲がり、坊城通りを歩いた。土方は役者のようないい男だが、身長は沖田より一寸三分(四センチ)ほど低い。

「総司、何を読んでいたンだ?」

「何でもありませんよ。鬼の副長には興味がないでしょうね」

「誰が鬼だ?」

「みんな影で言っていますよ。ところで最近噂の夜鷹、いや辻君殺しの下手人、今夜鴨川辺りに出ますかね?」

十年前のアメリカ合衆国の東インド艦隊司令長官ペリー提督率いる黒船の来航後、西洋列強に対して開国をした尊王攘夷運動が激化する日本。諸国から流れ込む過激な浪人達によって京の都の治安は悪化する一方だった。そして、京の街角では辻君と呼ばれる娼婦達が刀で斬り殺された上、金を盗られる事件が続発していたのだ。昨日も鴨川西岸を仕切る辻君のお里須が七条橋西詰で殺害されたばかりである。

 

「さあな、今宵は小田銑十郎の組が夜の見回りだ」

「小田先生か、楽しみですね」

その頃、壬生寺より東へ半里(約二キロ)、歩けば小半刻(約三十分)の距離の寺町通にある町屋の二階では、女の細い手が行李の蓋を開けていた。中には銀色の星印が縫い込まれた頭巾、濃紺の装束、黒い外套に反りの少ない大刀、そして顔の上半分を瞳以外は隠す目かずらのような紅緋色の仮面がある。行灯(あんどん)の灯りによって障子に映る女の影が立ち上がり、帯を解くシュルシュルという音が部屋に響いた。背の高い女の影は身体の線を露わにすると右手で仮面をとって顔につけた。

 

 それから二刻(四時間)ほど経った頃。

 秋の鴨川、望月は雲に隠れているが、鴨磧(かもがわら)に女がいて二人の浪人らしき侍と対峙していることくらいはわかる。

 中段に構えていた浪人は刀を振り上げると、背後から女に切りかかった。だが、女は飛び上がり、彼の頭上を飛び越えて着地するや、上(かみ)の方向、五条の方に向かって駆け出した。女はこの時代としては長身の五尺(約150センチ)を超えるすらりとした肢体で、黒い縞木綿の着物、少し崩れた島田髷、ありふれた白い手拭いで頬被りをして顔を隠し、幅二尺(約60センチ)を超える筵(むしろ)を小脇に抱えて走っている。その身なりは京では辻君、江戸では夜鷹と呼ばれる街角に立つ下級娼婦そのものであった。浪人達は刀を鞘に収めると辻君の後を追った。

「に、逃げるか!」

「ま、待て、待て!」

 十間(約18メートル)ほど走ると辻君は立ち止まり、二人の方に向いた。雲が流れて、見えるようになった月が不敵に笑う辻君の顔を照らす。間合い八尺半(255センチ位)ほどはあったが、その表情は浪人達には容易に読み取れた。

「な、何だ。急に止まって!」

「そうだ、笑いおって!愚弄するか!」

 そう言いながら二人の浪人は再び抜刀した。

「止れと言ったから止ったまでのこと。京の都の夜を乱す無頼浪人ども、私はあなた達を許しませぬ!」

 京言葉ではなく東国の武家の娘のような口調の辻君は、そう言うと被っていた手拭い、抱えていた筵を空に投げ出した。 

 浪人達は、手拭いと筵が宙を舞うのに気を取られていた。その隙に辻君は着ていた黒い着物をあっという間に脱ぎ棄てるや、それも宙に舞わせた。白手ぬぐいと筵、着物が河原に落ちた時、空の雲が東の空に流れ、丸い望月の光が女を照らした。そこに立っていたのは珍妙な格好の女だった。

「き、きさま、な、何者じゃ!」

 女は銀色の星☆印が縫い込まれた濃紺の頭巾で頭頂部を、紅緋色の目かずらのような仮面でその美顔を隠していた。仮面の穴から覗く円らで涼しい瞳は力強く浪人二人をにらんでいる。そびえる高い鼻に艶っぽい少し前に出た下唇も魅力的だ。島田髷だった濃い栗色の髪は首の後ろで、帯で結ばれて腰あたりまで伸び、一部はもみあげのあたりから前に垂れている。身に付けているのは着物ではなく、身体の線がくっきりと露わになった謎めいた濃紺の装束で、豊満で形のよさそうな乳房、腰の括れが男たちの目を奪う。

 さらに、驚くのは、膝下は脚絆のようなものを巻いている、のではなく黒い革の長靴を履いているが白いふっくらとした太ももが露出していることだ。背中には裏地が赤い、黒いマントと呼ばれる西洋の外套をかぶっていた。女が身に付けている仮面、装束は先ほど寺町通りの町屋の二階の行李の中に見えた物だ。

「く、くノ一か?」

 つい先ほどまでは辻君の格好だった女の腰には二尺三寸五分(約71.5センチ)の反りがほとんどない太刀と一尺(約30センチ)の脇差が藤色の帯で挿されていた。くノ一かどうかはわからないが、娼婦ではないのは、引き締まった肢体からも明らかだった。白い腿もよく見ると筋肉質である。男達はわけが分からない。

「鴨川の夜の水面を照らす星 朝霧たちて消える儚き・・・」

 口をあんぐり開ける浪人達の前で、女は歌を詠んだ。そして名乗りをあげた。

「私の名は鴨川の星。暁の星が輝くまでしか闘えない、女の剣士」

 そういうと女は大刀を抜き、上段に構えて、仮面の下から浪士たちをにらみつけた。二人は体を振るわせた後、鞘を握る手に力を籠め、剣を中段に構えた。

「勤王攘夷の名のもとに、辻君たちから金を巻き上げ、あろうことか命まで奪う。武士(もののふ)の風上にも置けぬ奴、この鴨川の星が、決して許しませぬ。覚悟!」

 

 仏蘭西大革命の前夜、花屋の娘として育てられた美少女シモーヌはラ・セーヌの星と名乗り、剣を取って戦った。

 そして幕末維新前夜の日本の京、花屋の若き女主人お星(せい)は、鴨川の星と名乗り剣を取って弱き者の為に闘う。しかし、彼女は自分がシモーヌの血を引くこと、後に最後の徳川幕府の将軍となる一橋慶喜の妹であることを全く知らなかった。

 

 幕末のラ・セーヌの星 鴨川の星 女天狗

「鴨川の対決‐辻君殺し‐」

 

 鴨川のほとり、亥の刻(午後十時くらい)、月は雲に隠れているが、鴨の河原に女が立っていることが分かるくらいの明るさはあった。女はこの時代としては長身五尺を超えるすらりとした肢体だ。黒い着物、白い手拭いで頭を隠し、幅二尺を超える筵(むしろ)を抱えで川の流れを見ながら、腰を左右に振りながら猫背で歩いていた。とても艶っぽい仕種で商売女が男を誘っているかのようだ。女は西側の鴨の河原を上(かみ)の方向、北側へと向かって歩いている。

 彼女は寺町錦小路上ル西側の花卉薬種商楼蘭堂の若き美しい女主人であり、夜の京で素顔を真紅の仮面で隠し、艶やかな装束で剣を取って戦う鴨川の星となるお星(せい)こと下川星である。彼女は頻発する辻君殺しの下手人を今夜こそ成敗するべく、この夜辻君のおほしとして夜の鴨の河原を歩いているのだ。

 そんなおほしことお星を二人の侍、いや浪人がいやらしい目つきで見ていた。相州(今の神奈川県)浪人平井勘八郎、房州(今の千葉県)浪人火野平九郎である。平井は月代の剃り跡が青々としていて、火野は総髪にしている。身なりはお世辞にも綺麗とはいいがたく、いかにも食い詰めた浪人といった様子だ。だが、二人ともある程度剣の修行をしてきたのはその体躯と身のこなしから分るし、全身に殺気がみなぎっている。

「ふ、なかなか良いではないか。今夜はあれで決まりだな」

 鴨川にかかる七条橋を西に向かって歩いていた月代が青い浪人平井はそうつぶやくと、欄干に手をついて声をかけた。となりにいるもう一人の総髪の浪人火野は黙って腕を組んでいたが、やがて言った。

「あれはおほし、ではないか」

 お星は辻君おほしとして京の夜の辻に出ていた。それはあくまで下手人をおびき出す囮としてであったが、その艶やかな姿態が評判を呼び、幻の辻君として噂になっていた。彼ら二人は以前四条大橋の下でおほしに出会っている。抱こうとしたのか、殺して金を奪おうとしたのかはわからない。あるいはその両方かもしれない。

「そのようだな。おい、女!そこの夜鷹の女!」

 お星=おほしはちらりと橋の方に振り返ったが、そのまま歩き続ける。二人は橋を渡りきると河原を歩く辻君を追った。

「止らんか!客だぞ!」

 もう一人の総髪の火野が声を荒げて叫ぶと、お星は足を止め、浪人達の方に振り返った。そのとき、雲から隠れていた月が出てきて、その光が辻君のおほし=お星の白い顔を照らした。浪人達がゴクリとつばを飲む音が聞こえる。

 辻君、江戸では夜鷹、大坂では惣嫁(そうか)と呼ばれる最下層の商売女、普通、年増の女が多いが今、二人の浪人の前に立つ辻君おほしは、見たところ三十路には達してはいなさそうだった。背は高いが艶やかな雰囲気を漂わせていたし、目は涼しく、鼻はやや高い、下唇が少し前に出ているが、月明かりでも美しい顔であることが関東育ちの二人にはわかった。やはり噂以上だと彼らは思ったのだ。

「女、夜鷹の分際で、聞こえぬふりをしておったな?」

 夜鷹は、いや、辻君のおほし=お星は首を振ってから話し出した。

「へえ、えらいすんまへんなぁ。このところ、うちらのようなもんが、刀で辻斬りに殺められる事件がぎょうさんありましてなあ、うち、こわくなったんどす」

 最初に声をかけた月代を剃った平井が、上(かみ)の方向、辻君の背後に回って言った。

「無礼な!我らを辻斬りと申すか?」

「そ、そんなつもりやおへん。堪忍しておくれやす」

 平井は火野に目配せをしながら、怯えたように口を袂で隠しながら頭を下げたおほしの白いうなじが艶っぽく、尻の肉付きがよいのを目で追った。火野も女の手拭いの下の美顔と隠そうとしても隠せない胸の膨らみに視線を泳がせながら口を開いた。

「女、名は何という?」

「へい、ほしと申します」

 やはり、と浪人は察した。噂の幻の夜鷹が、辻君が目の前にいるのだ。

「そうか、やはりおほしか。では、おほしとやら、拙者どもがお主を守ってやろう。だが、それには先立つものが必要だな。なかなかの器量だ。かなり稼いでおろうな」

「けっこうどす。うちらのことは、うちらで守りますぇ。どうもあらしまへん」

 おほしは背後に立った月代の青い浪人平井をちらりと見、前の総髪の火野にも視線を泳がせる。拒んでいるのか誘っているのかわからない。だが、金を出す気は無さそうなのは二人にも分かり、ため息をつきながら首を振った。

「わかっていないようだな。金を出せと言っているのだ」

 平井が声を低くして言うと、おほしは首をかしげた。そして言い返した。

「お侍さまは、物取り、どすか?」

「物取りだと?言ったな、夜鷹の分際で!頂いた、いや、預かった金は天子様の御為、異国の者どもを打ち払う攘夷のために、その御用金として使うこととなる。悪いことは言わぬ。さあ、稼いだ金を出せ。さもないと・・」

 二人の浪人は刀の鞘に手をかけた。それを見て美しい辻君はフッと笑った。

「な、何が可笑しいのだ」

「そうだ、夜鷹のくせに!」

おほしはしばらく鼻で笑ったあと言った。

「夜鷹夜鷹って、京では辻君言うんどすぇ。そうやって、うちらのようなもんから金をせびり、言うこと聞かなんだら、刀で殺めはったんどすなぁ?」

「できれば手荒な真似はしたくない。さあ、金を出せ」

 否定はしない平井がそう言って刀を抜くと、火野も続いた。

「斬りたいのなら、かかってきよし。所詮は尊王攘夷を語る食い詰め浪人どすなぁ?」

 二人の浪人のつぎはぎだらけの着物を見ておほしは言った。かろうじて大刀と脇差は立派なもののようだ。平井と火野は一瞬自分たちの成りを見た。

「お、おのれ、辻君だか夜鷹だか知らぬが!言わせておけば。火野、手加減無用ぞ。いつものようにやるのだ!」

「平井、だが、この夜鷹、い、いつもと、ほかの女とは何か違うぞ」

 辻君の女おほしは腰に力を入れ、少し背をかがめた。背後平井、正面、南側に立つ火野どちらに対しても隙はなかった。浪人二人は戸惑った。おほしはうっすらと笑うと、交互に二人を見回しながら言った。

「いつも?やっぱり、お侍さま、ううん、さまなどいりまへんなぁ。あんたはんらが、辻君殺しの下手人なんどすなぁ。十日前は七条西洞院(しちじょうにしのとういん)、五日前の五条大橋、三日前は三条大橋・・・・」

 おほしは七条橋の方を見上げ、しばらくして続けた。

「そして昨日はそこの七条橋で・・・」

「よ、夜鷹ふぜいが言うな!」

「無礼ぞ!覚悟はあるのだろうな!」

「ふふふ、お侍はんらこそ、刀を抜かはったんは、それ相応の覚悟をお持ちどすかいな。いまなら、まだ、間に合いますぅ。剣を鞘に納め、この京から立ち去りよし。見たところ、身なりからして食い詰めて、辻斬りにまで身を落とした浪人はんや。会津中将様お預かりのみぶろ、壬生の浪士組に捕まりますえぇ」

 

 会津中将とは会津藩主松平左近衞権中将肥後守容保のことで去年の夏閏八月一日、京都守護職に任じられ、千人の精強な会津藩兵を率いて入京し、黒谷金戒光明寺を本陣と定めた。その配下には尊王攘夷の志のある浪士を集めた治安組織壬生浪士組があり、最近新撰組の名を与えられ、京に集まる浪士達を捕縛、必要なら切り捨てていた。京雀達は彼らを「みぶろ」と呼んで蔑(さげす)んでいた。

「辻斬りだと?無礼な。我らは勤王の志を持って京に来た志士じゃ。夜鷹め、な、何者じゃ!火野、こ、こ、こやつは・・」

「壬生浪、のことを、新撰組のことを言いおった。守護職の会津候か、所司代か、奉行所の手のものかも知れん平井どうする?」

「こうするまでよ!」

 中段に構えていた平井がそう火野に答えると刀を振り上げ、背後から辻君のおほしことお星に切りかかった。だが、お星は飛び上がり、平井の頭上を飛び越えて、着地すると上の方向、五条の方に向かって筵を持って駆け出した。二人の浪人は刀を鞘に収めると後を追った。

「に、逃げるか!」

「ま、待て、待て!」

 十間(約18メートル)ほど走ると辻君のおほしは立ち止まり、二人の方に向いた。満月が不敵に笑う辻君の顔を照らす。間合い八尺半ほどはあったが、その表情は平井と火野には容易に読み取れた。背筋を伸ばしたお星は先ほどより、ずっと高く見えた。

「な、何だ。急に止まって!」

「そうだ、笑いおって!愚弄するか!」

 そう言いながら二人の浪人は再び刀を抜いた。

「止れと言ったから止ったまでのこと。京の都の夜を乱す無頼浪人ども。私はあなた達を許しませぬ!」

 京言葉から東国の武家の娘のような口調になったおほしは、そう言うと被っていた手ぬぐい、抱えていた筵を空に投げあげた。 

 浪人は手拭いと筵が宙を舞うのに気を取られていた。その隙におほしは着ていた黒い着物をあっという間に帯をほどいて脱ぎ棄てるや、それも宙に舞わせた。白手ぬぐいと筵、着物が河原に落ちた時、空の雲が東の空に流れ、丸い望月の光が女を照らした。そこに立っていたのは珍妙な格好の女だった。それを見た平井が叫んだ。

「き、きさま、な、何者じゃ!」

 女は銀色の星印が縫い込まれた青い頭巾で頭頂部を、紅緋色の仮面でその美顔を隠していた。涼しい瞳は力強く浪人二人をにらんでいる。高い鼻に艶っぽい少し前に出た下唇も魅力的だ。島田髷だった栗色の髪は首の後ろで結ばれて腰あたりまで伸び、一部は前に垂れている。

 身に着けているのは着物ではなく、身体の線がくっきりと露わになった謎めいた装束を身につけている。豊満で形のよさそうな乳房、腰の括れが男たちの目を奪う。

 さらに、驚くのは膝から下は西洋風の黒い革靴を履いているが、白い太ももが露出していることだ。背中には内側が赤い外側が黒いマントと呼ばれる西洋の外套をかぶっていた。

「く、くノ一か?」

 つい先ほどまでは辻君の格好だった女の腰には二尺三寸五分(約71.5センチ)の大刀陸奥守吉行と一尺(約三十センチ)の無銘の脇差を身に着けていた。くノ一かどうかはわからないが、娼婦ではないのは、引き締まった肢体からも明らかだった。白いふっくらとした腿もよく見ると筋肉質だ。男達はわけが分からない。

「鴨川の夜の水面を照らす星 朝霧たちて消える儚き・・・」

 口をあんぐり開ける浪人達の前で、女は歌を詠んだ。そして名乗りをあげた。

 「私の名は鴨川の星。暁の星が輝くまでしか闘えない、女の剣士」

 そう言うと仮面の女剣士は大刀陸奥守吉行を抜き、上段に構えて、仮面の下から浪士たちを、平井と火野をにらみつけた。二人は体を振るわせた後、鞘を握る手に力を籠め、剣を中段に構えた。

「勤王攘夷の名のもとに、辻君たちから金を巻き上げ、あろうことか命まで奪う。武士(もののふ)の風上にも置けぬ奴、この鴨川の星が、決して許しませぬ。覚悟!」

 鴨川の星は長い右足を一足分、右前方に出し、目の前の浪人達の刀を鎬(しのぎ)で受け流すように構えた。気迫のこもる構えに平井と火野は動けなかった。

「さあ、浪人ども、勝負!」

「火野、こいつ、女天狗(めてんぐ)だ!鴨川の女天狗だ!」

「女天狗?あ、あの、鞍馬の天狗と並ぶ、女の剣士か?」

「ふ、ふん!しょ、しょせんは女よ、だが、容赦はせん!火野、やってしまえ!」

「ひ、平井、貴様から行け!」

「な、なにを、女ごときに貴様にくれてやるわ!」

「見苦しい!どちらからでもかかってきなさい。それとも、女であるこの鴨川の星に負けるのが怖いのかしら?」

「何が鴨川の星だ、天狗め、女天狗め!」

 安政末期から万延の頃(西暦で言えば1858年から1860年)、京都では「鞍馬の黒椿」を名乗る謎の剣士が現れるようになった。彼は全国から集まる浪士達により、治安が悪化した京都で苦しい生活を強いられた庶民たちを助け、また、公儀、つまり徳川幕府に追われる勤王の志士たちを助けるようになった。人々は彼を鞍馬の天狗と呼ぶようになったがその正体は謎である。

 そして、文久二年(西暦では1862年)春から、「鴨川の星」を名乗る女剣士が京に現れ、不逞浪士や権力を傘に着る役人達、暴利を貪る豪商たちから名もなき庶民たちを守るようになった。「鞍馬の黒椿」が「鞍馬の天狗」と呼ばれるようになったのに対し、「鴨川の星」は「鴨川の女天狗」とも呼ばれるようになった。

 鞍馬天狗は黒い宗十郎頭巾に紋付の黒袴と言った出で立ちの覆面の剣士だが、鴨川の女天狗は西洋人のドレスように体の線があらわになった装束にマントを身に着けて剣で戦った。星の印がある頭巾は、後の時代、ベレー帽と呼ばれるもの、装束はレオタードと呼ばれるものに酷似していた。

 紅緋色の目カズラのような仮面は明治の時代、鹿鳴館で催された舞踏会で使われた仮面と同じようなものだ。余談ではあるが、鴨川の星、女天狗に助けられた長州萩藩の勤王の志士前原喜八郎が、後年明治政府の高級官吏となり、鹿鳴館の仮面舞踏会で彼女と同じ赤い仮面を見て、京の謎の女剣士の活躍を語ったという。

 また、やはり鴨川の星に何度か命を助けられた渋沢栄一は、幕命で万国博覧会に参加するために渡ったパリで、仏蘭西大革命の渦中に「ラ・セーヌの星」と名乗った仮面の女剣士の主人公とする歌劇を鑑賞し、その成りが鴨川の星とそっくりであることに驚愕したとの伝聞もある。本人は鴨川の星を名乗るが、人々は鴨川の女天狗、いや単に女天狗と呼ぶようになった。 その女天狗は、奉行所や所司代の与力や同心といった役人、食い詰めた浪士、無頼の輩と刃を何度も交えたが、彼女に勝った者はいない。ただ、命を奪うことは稀で、峰打ちで気絶させられるか、指を切り落とすといった形で成敗をする。だが、素顔や正体を知ったものには容赦しないという噂もあった。

 

「女天狗・・・、そう呼びたければお呼びなさい。さあ、やるの?やらないの?」

「お、おのれ女天狗、馬鹿にしよって、うわあああ!」

 火野は中段に構えた剣を前について突進する。だが、上段から振り落とされた女天狗の剣は彼の刀を簡単に河原に落とし、続けて彼の腕を平打ちで叩きつけた。火野が前かがみになったところを、鴨川の星はさらに総髪の髷を切り落とした。

「うぎゃああああああ!」

 火野は右腕を左手で抑えて、髪を振り乱してのたうちまわった。

「ふん、この程度?弱すぎる!次!平井殿、でしたわね?」

「な、舐めおって、私は火野とは違う!」

 だが、中段から上段に構えなおした平井の剣は小刻みに震えていた。そして、少しずつ、後ろに南の七条のほうに下がっていた。それを女天狗鴨川の星はじわりじわりと追い詰める。

「来ないのなら、私から行きましょうか」

 鴨川の星は不敵に笑って言うと腰を落とした。紅緋色の仮面の下の円らな鳶色の瞳がキッと細くなった。やや時が経ってから、彼女は鋭ッと叫んで平井の左胴をめがけて刃を振ったが、以外にも間延びしているように見えた。

「ふ、隙ありだ!」

 平井は白刃を落とし、鴨川の星の腕を狙う。だが、彼女はそれを見透かしていたかのように剣の向きを変えて受け止めた。

「な、何?」

 火花が散り、銀の剣が夜の暗さを切り裂いた。パッと二人は離れて、にらみ合った。平井の息が荒くなっているのが聞こえたが、女剣士は平然としている。

「なんという女だ・・・だが、負けぬ」

 そう言った平井勘八郎は、中段に構えて女へまっすぐに突いた。女天狗鴨川の星はしなやかな舞動きでそれをかわす。平井は白い彼女の太もも、濃紺の装束の下の揺れる乳房に視線がつい惹かれてしまう。マントの裏地の赤色が、引き締まってはいるが艶っぽい肢体を浮かばせてもいた。だが、舞いのような剣技と身体の動きは全く隙がなく、平井が脱藩する前の家中、通った江戸の道場でもこれほどの腕を持つ者はいなかった。

(女だ、女ごときに俺は負けるのか?)

 平井は焦った。女など、男の政事の道具に過ぎず、抱きたくなれば金を出せばすむもの、つまらない存在だ。その女に火野は負け、いま、平井自身が翻弄されている。

「ふ、火野殿よりは使えるようね」

 鴨川の星は剣を右手に持ったままで、平井の突きに腰をくねらせながらかわす。時折、栗色の髪にあたるが、息も切れずにかわし続けた。

 先述したが、鴨川の星と同じような格好、真紅の仮面に濃紺の身体の線が露わになる装束、黒いマントを纏った女剣士ラ・セーヌの星がかつて欧羅巴(ヨーロッパ)の仏蘭西(フランス)国にいた。その女剣士もかの国の都巴里(パリ)にて政府の圧政、貴族の横暴に耐える弱き民を救ったという。だが、そんなことは平井には知るよしもない。つい四半刻(約十五分)前までは夜鷹、辻君のおほしと名乗っていた女天狗鴨川の星もそれは知っていて、ラ・セーヌの星のようにありたいと、日々剣を振るっている。彼女はそのラ・セーヌの星と名乗っていたシモーヌ・ロランの曽孫にあたるのだが、血のつながりについては知らないでいる。

「ば、馬鹿にしよってぇ!」

 三十を越えたくらいの平井の肩は上下に震え、息は切れている。頃合いをみて、女天狗はさっと後ろに飛ぶと下段に剣を構え、円を描くと平井の刃に火花を散らせた。

「うおお、ぬうう!女に、女には負けぬ!」

 草鞋を脱ぎ飛ばして素足になり、再び上段に構えて打ち込んできた平井を女天狗は受け止め、三度目の火花が散った。必死になって剣を構える平井は、美顔の女剣士のどこからこんな力が出るのか分からなかった。

 たまらなくなって剣を振り上げた平井だが、鴨川の星はその鞘を突き、彼の剣は宙に舞った。平井が視線を夜空にあげた時できた隙を、女剣士は見逃さなかった。彼の右親指も彼女によって斬られ、宙に舞ったのである。もう、剣は持てまい。

「ぎゃああああああああああ!」

 男の絶叫が河原に響いた。鴨川に沿って建ち並ぶ建物の中には灯りのついた家、店屋もあったが、巻き添えになるのを恐れたのか誰も出てこないし、障子すら開かなかった。指を抑え、膝をついて泣き叫ぶ平井の鳩尾を、鴨川の星は太刀の柄頭で思い切り突き、気絶させると、鞘に納めた。どこから出したのか、女天狗は懐紙を平井の親指に巻いて止血をしてやった。それくらいの情けはあったのだ。

「罪もなき辻君たちが、あなた達のような偽の志士によって命を奪われたのです。これで許されたことを、ありがたく思いなさい」

 だが、鴨川の星がそう言った時、無言で切りかかってくる者がいた。右腕を平打ちされた火野である。彼は左手で一尺二寸の脇差をもって突っ込んできた。女天狗も一尺の脇差を抜き、火野のそれを受け止めた。火花が夜の更けた京の鴨川の畔に飛んだ。火野は仮面の剣士鴨川の星女天狗に叫ぶ。

「女天狗、夜鷹ごときのためになぜそこまで必死になって戦う!」

「私はただ、弱き者を助けたいだけです。それに夜鷹、辻君と言えども人です。貴方は私たち女を物としか想っていないようですわね」

 そして、脇差を持ち上げるようにして火野の態勢をぐらつかせると、鞘から大刀を抜き、彼の左手を、肘から先を切り落とした。

「うぎゃああああああ!うわああああああああ!」

 平井にも負けない絶叫が鴨川に流れの音を消し去った。鴨川の女天狗、今度は峰打ちで彼の左胴を打って倒し、おとなしくさせた。

 本当なら二人とも袈裟懸けに斬って捨てたいところだが、彼らには死ぬよりもつらい法の裁きを受けさせようと考えたのである。

「ふう、終わったわ、ん?何?」

 七条橋で提灯が複数、動くのが仮面の下から見えた。提灯には黒字で「會」と書かれたものだったが、赤く「誠」と書かれていたものが追い抜いたようだ。

「奉行所?壬生狼ね。ちょっとやりすぎたかしら?」

 鴨川の星は懐紙で大刀陸奥守吉行の血を拭うと朱色の鞘に納めた。チンと音がすると同時にいつの間にか夜空を覆っていた黒い雲が晴れ、満月が光を垂らす。七条橋から河原に駆けてくるのは青い、朝葱色(あさぎいろ)の袖口を白い山形に抜いただんだら羽織に身を纏った一団だった。その羽織は京の非常警察官設浪士団新撰組の制服だ。

「やはり壬生浪、いいえ新撰組ね」

鴨川の星はマントの内側から笛を取り出して、音を奏でた。朝葱色の羽織の新撰組隊士は三人だった。六間(10.8メートル)ほどに迫ったところで、新撰組の三人は足を止め、うずくまっている平井と火野を見下ろしたあと、仮面の女剣士の出で立ちを見やった。彼らのすぐ後ろには「會」と書かれた提灯を持った追手、おそらく会津藩の巡察隊の一団、約十名がいた。

 先頭に立つ隊士が口を切り、同時に彼ら十数名が同時に鯉口を切る音がした。

「会津中将様御支配新撰組、副長助勤小田銑十郎である。女、だな。何者だ」

 苛立ちを隠せずに叫んだ小田銑十郎は、鴨川の星=お星のもう一つの姿である祇園の芸妓花星(かほ)として会っている。女を道具としてしか見ないことを公言するあまり賢くない男との印象が彼女にあった。

 

 先月十月十五日子の刻九つ(午前零時)、祇園の茶屋蓬莱では小田銑十郎、同じく新撰組の佐藤七馬、会津藩公用方山村友次郎、村西某らが酒を酌み交わしていた。

 そこで三味の音に合わせて舞いを披露する美しい芸妓がいた。京風島田の髪に黒い無地だが、裾に牡丹の花が縫い込まれた着物、赤い太鼓帯という出で立ち、白粉をし、円らな瞳にすらりとした鼻筋、少し前にでた下唇といった美顔の芸妓は花星(かほ)、祇園では幻の芸妓と呼ばれている彼女こそ、お星のもうひとつの姿である。

 会津藩の山村は頻発する辻君殺しの下手人、おそらく浪人であろう彼らを何とかするよう求めた。それに対し小田はこう言ったものだ。

「辻君殺しの下手人捕縛など、我ら新撰組の仕事にあらず。そんなことは町方、奉行所にさせればよい。王城を守り、攘夷の先駆けたらんとするのが我ら新撰組である」

「辻君たちが浪人達に斬られ続けているだと?女の命になんの価値があろうか。女などつまらない生き物だ。ましてや辻で春を売る薄汚い商売女ですぞ」

 花星=お星は剣舞のように舞いつつ顔を引きつらせた。会津の山村は新撰組の小田にさらに言った。

「女と言えば女天狗、鴨川の女天狗だが・・」

「あれも女のくせに食い詰め浪人共、コソ泥相手に剣を振るっていい気になっているだけだ」

 芸妓花星として舞うお星は、先述したように小田の言葉にはあまり賢くない男だと感じたのである。

 

 祇園での夜を思い出しながら、鴨川の星は笛を吹き続けた。小田の苛立ちも続いている。

「笛を吹くなど無礼であろう!やめい!やめんか!」

 鴨川の星は笛を止めて、マントの内側に納めると、小田をまっすぐ見て唄いだした。

「鴨川の夜の水面を照らす星 朝霧たちて消える儚き・・・私は鴨川の星。朝が来れば消える星空の下にて戦う剣士。たった今、辻君殺しの下手人、不逞浪士平井某、火野某を成敗。あとは新選組の諸君にお任せ致します。では」

 と言うと女天狗は黒いマントを翻し、北の方向に向けてゆっくりと歩き出した。

「貴様、め、女天狗、鴨川の女天狗だな。ええい、まてぇ!」

 今回は待つわけにはいかず、女天狗は鴨川の河原を駆け出した。新選組の三人、小田銑十郎、佐藤七馬、早川準之介が追いかけてくるのがわかる。佐藤は先月の祇園蓬莱の座敷に小田と一緒に居た隊士だ。会津藩士たちは平井と火野を捕縛しようとしているようで追ってこない。隊士三名に追われ、鴨川の星が百間(約180メートルほど)を走ると、方広寺につながる正面通りと正面橋が見えてきた。小田ら隊士たちとの差はどんどん縮まってきている。

(さすがは新選組、食い詰め浪人とは違うわ)

 その時、正面橋の上に提灯が踊るのが見え、その灯が消えたかと思うと橋から河原に朝葱色のだんだら羽織の侍が二人、駆けてくるのが見えた。

(ま、まずいわ!挟まれる!)

 北側、鴨川の上の方角に二名、南側、下の方角に三名、五人の新選組隊士に鴨川の星は挟まれる形となった。さすがに息の切れてきた鴨川の星は、足を止めざるを得ない。そして前の二人の隊士が刀を抜き、中段で構えてきた。後ろを追ってくる小田銑十郎も足を止め、白刃を抜く。女天狗は五人の新選組隊士に囲まれたのだ。

 正面橋からやってきた二人の隊士は実戦慣れしていないのか、剣が上下左右に小刻みに揺れていた。鴨川の星が仮面の下からにらみつけるとそのうちの一人が一歩前に出た。

「し、新選組隊士、猪口弥二郎だ、め、鴨川の女天狗、覚悟せい!」

 三条通の旅籠では鴨川の星として、花屋楼蘭堂では女主人お星として何度か、祇園では芸妓花星としてお座敷で出会った猪口であった。彼はある意味まっすぐな青年だが、剣の腕は鴨川の星の敵ではない。そして彼の後ろにいるのは塚本貞五郎で、一度猪口と一緒に楼蘭堂に来たことがある。

「剣先が乱れています。あなたに私は斬れないわ。鞘を納めなさい」

「な、なにを!」

 鴨川の星は続けて振り返り七条橋から追ってきた小田ら三名を睨む。小田が口を開いた。

「女だてらに酔狂な真似をしおって、鴨川の女天狗とやら、神妙にいたせ!鞍馬の天狗の居場所、吐かせてやるぞ。おとなしくいたせ!」

 鞍馬の黒椿こと鞍馬天狗は新選組の隊士を何名か斬っている。そして、目の前の女天狗も数名の隊士と対峙したが勝負はついていない。ただ、洛中警護の会津藩巡察隊、京都町奉行の同心、目明しらとは何度もやりあい、いずれも彼女が勝っている。その名は、鴨川の星女天狗の名は、鞍馬の黒椿=鞍馬の天狗同様すでに京に轟いていた。そして二人の天狗はおそらく仲間であろう、と幕府の京都所司代、東西京都町奉行所、会津藩そして新選組は見ていた。

「会津様麾下の新選組とあらば、相手に不足はありません。この鴨川の星、お相手いたしましょう」

 

 女天狗鴨川の星は鯉口を切り、五人の隊士たちを見回した。そして陸奥守吉行を右手で抜くと、左手で黒いマントを外して、北側の二人の隊士に向けて投げつけた。マントが猪口の上半身に被さると、鴨川の星は小田に向かって上段から剣を振り下ろした。

 濃紺の体の線があらわになる装束、後の世ではレオタードと呼ばれる衣服が、マントがなくなったことで再び雲が流れて見えるようになった満月の光もあって露わになり、隊士たちを戸惑わせた。小田はその体の動きからかなりの使い手であることはわかったが、鴨川の星の肢体に動揺したのか、防戦一方。そのうちに河原の石に躓き仰向けに倒れこんだ。

「小田銑十郎殿、覚悟!」

 鴨川の星が打ち込むと、小田は何とかそれを刀の樋で受け止めるが、無残にも真二つに折れた。小田の後ろから切りかかってきた早川には、女剣士は左手で脇差を抜き、彼に投げつけた。脇差は彼の右上腕に刺さり、早川から悲鳴があがった。

 小田銑十郎は徳川御三家のひとつ水戸家の脱藩浪士だった。同じ水戸脱藩で、九月十六日に粛清された(表向きは何者かによるや身内=暗殺)筆頭局長芹沢鴨とは、近い仲ではないが同じ水戸出身ということで、周囲の視線は冷たく、何か成果を上げなければ自分も粛清されるという恐怖があった。

 たちまちそんな小田からも悲鳴が上がった。彼の左太ももに鴨川の星の大刀の切っ先が刺さったのだ。すぐに抜いたところへ続けて切り込んできた佐藤に対しては、片手で刀を振り落とし、平打ちを見舞い、彼の刀を落とさせて自らの大刀は鞘に納めた。佐藤は河原にうずくまっている。

「お、おのれ女天狗!」

 痛みをこらえた小田が脇差を抜き、立ち向ってきたが、鴨川の星は素早く腰を落とし、左足に力を入れて、右足刀蹴りを彼の右手、さらに顔面へと続けて見舞う。黒革靴のつま先で打たれた小田はムウウンとうなりながら倒れこんだ。そして女剣士は右上腕を刺された痛みに前屈みになっている早川から脇差を抜くと、懐紙で鋒についた血を拭いた

「会津松平家の本陣を守る隊の名を受け継ぐ新選組、この程度なのですか?」

 鴨川の星は猪口に被さったままになっているマントを取りながら言った。風を切りつつマントを身に着けた女剣士に対し、猪口は剣を振り回し、わけのわからない言葉を叫んでいる。

「あなた、壬生浪には向いていない。国に帰って論語でもそらんじていなさい」

「め、女天狗、お、女のくせになぜ、そこまでできる。そして、その珍奇な成りは、な、なんだ!」

「天狗の下で剣の技を磨いたのです。それこそ、死ぬような思いで。そしてこの成りは、遠い異国で、弱き者の為に戦った女剣士の装束なのですが、あなたにはわかりますまい」

 だが、鴨川の星にも隙があった。機会を狙っていた五人目の隊士塚本貞五郎が突然背後に切りかかってきたのだ。彼は猪口とともにこの鴨の磧に川上から来たのだが、いつの間にか川下、南のほうに回っていたのである。

「何?」

 マントの赤い留め具を触っていた鴨川の星が振り向いたとき、すでに間合いは縮まっていて、塚本の鬼のような形相、息遣いが、白刃が迫っていた。柄をつかむが間に合いそうもなかった。

(しまった、一瞬の油断が!)

 だが、無言の鬼形相の塚本の後頭部をバタバタと音を立てながら黒い影が襲った。塚本は体の均衡を崩し、隙ができた。鴨川の星はパッと前に飛び出して大刀を抜き、倒れこんだ彼の首を峰打ちした。女天狗鴨川の星を救ったのは一羽のフクロウだった。それはお星が飼っている梟だった。

「コロ、助かったわ」

 鴨川の星が刀を納め、右手を伸ばすとコロと呼ばれたフクロウは羽ばたきながら彼女の手首に乗った。そして、コロが再び飛び立つと、五条の方向に向けて女剣士は駆け出した。

 五条通にまで達すると、五条橋のたもとには提灯を持った奉行所の同心、捕り手がいた。今の京都ではすでに無用の存在となりつつある彼らは、向かってくる女天狗鴨川の星に対し構えていた。構えるだけで、襲ってくる気配はなかった。彼らはこのところ、再び頻発するようになった辻君殺しを警戒するべく、警邏をしていた西町奉行所の面々である。

 

鴨川の星は右手の指を口に入れて指笛を吹くと、彼女の上を舞っていたフクロウのコロが先回りをし、奉行所の面々の上空まで飛んで行って彼らをけん制した。捕り方たちの悲鳴が響く。そして、清水(きよみず)の方向から、蹄の音がし、程なく立派な体躯の白馬が現れた。鴨川の星が吹いた指笛の音が呼び寄せたのだ。

「し、神妙にせい、め、女天狗だな!おとなしく縛につ、うわああ」

 奉行所の同心水原弥五郎の声がむなしく響く。捕り方たちが女天狗鴨川の星をとらえようとするも、フクロウのコロが彼らの頭をかわるがわる攻撃し、足並みは乱れた。鴨川の星は五条橋の欄干に飛び乗って綱渡りでもするかのように器用に駆けていく。

「白梅(はくばい)!こちらへ!早う!」

 女天狗は白馬の名を呼ぶと、屈伸して飛び上がり、たちまち鞍上の女(ひと)となった。白梅は逞しい体躯の白馬で、鞍は洋鞍だった。轡(くつわ)、手綱、鐙(あぶみ)等他の馬具もことごとく西洋風だ。嘶(いなな)きとともに白梅は欄干の方へと身体を寄せ、女主人を乗せたのだ。奉行所の捕り手たちが同心を先頭に橋の中央あたりまで駆け寄ってきた。刺又、突棒といった捕具が白馬の女剣士を取りまく。コロは健気に捕り手たちを攻撃し続けている。

「女天狗と呼びたいのならそれもよし、私は鴨川の星、夜空の下を駆ける剣士・・」

 そして、白梅は前足を挙げて役人達を牽制し、鴨川の星はどうどうといって諫める。

「京都西町奉行所同心水原弥五郎様とお見受けいたす。辻君殺しの下手人二名を成敗し、七条橋の袂で会津侯の家臣団に引き渡しました。また、新選組の面々と少々行き違いがあり、介抱されたし。では!」

 と叫び終わると、鴨川の女天狗は白馬白梅を駆り、フクロウのコロを伴って五条通の西の空に消えた。水原は茫然と謎の女剣士を見送った状態となった。

「鴨川の女天狗、いや鴨川の星。何者なのだ。それに何故私の名を知っている?」

 水原弥五郎は激動の幕末の京を生き抜き、明治になって『洛中同心諮問録』なる史料の編纂に協力して女天狗鴨川の星、天狗鞍馬の黒椿の記録を残し、後世に伝えた。それにより、この日、この時刻が十月十六日(太陽暦11月26日)亥の刻夜四つ(午後十時くらい)、望月がでていたとわかるのだ。

そして五条橋の上には、瓦版を生業とする読売の修郎と絵師の三次郎がいた。

「三の字!確かに見たぜ、女天狗鴨川の星がみぶろをやりやがった」

「修郎あにき、下のほうでも何かあったらしいですぜ。鴨川の星不逞浪士を・・」

「そこは聞き込みだな、行くぜ」

 修郎はもとは江戸の徳川家御家人波多野家の三男で、三次郎の同じく御家人長谷川家の三男である。彼らの瓦版は京では人気で、天狗鞍馬の黒椿と女天狗鴨川の星の活躍を報じるそれは特によく売れる。

そして五条橋の野次馬のなかには身長五尺(150センチ)の凛々しい総髪の武家風の男で着流しに二本の刀を差して腕を組んでいたが、やがて言った。

「女天狗鴨川の星、いったい何者なんや」

 

 女天狗鴨川の星が消えて四半刻(約十五分)になるかならないか経ったころ、鴨の河原に役者のような顔をした男が現れた。彼も浅黄色の羽織をまとい、二本の大小の刀を腰にさしている。新撰組の副長土方歳三だ。土方はうずくまったままの小田銑十郎達の前で立ち止った。

「小田君、情けないな」

「ひ、ひ、土方さん・・・」

 小田銑十郎の運命は定まったようだ。

 

次の日の朝、十月十七日寺町錦小路上ルを二軒分上がった円福寺前町にある町屋、そこには「花卉薬種取扱ひ楼蘭堂」と縦書きに書かれた看板が掛けられていた。かつて町医者下川楼蘭が医術所兼薬種屋として開いていて、(花も少し売っていたのだが、)五年前の安政五年(1858)に押込み強盗で妻倫とともに命を落とし、閉鎖されていたのを、昨年文久二年(1862)春に生き残った娘お星によって再開されたものである。

 その「楼蘭堂からは大店の若旦那といった風情の客が、木桶にたくさんの花を入れて上機嫌で出てきた。続いて暖簾をくぐって来たのは若い美しい女だ。

「ほなら、お星(せい)はん、また来ますよって、よろしゅうおたのもうします」

「へえ旦那はん、おおきに!またきておくれやす!」

 元気な声で客を送り、寺町錦の辻の雑踏に客が消えるのを確かめると、お辞儀をしていたお星はんと呼ばれた女は体を起こした。

 この時代では大柄な五尺五寸(約百六十五センチ、正確には五尺四寸)ほどの女は、濃い栗色の髪をつぶし島田に結い、浅緑色に白い紅葉が描かれた黒襟の小袖に前掛けをしていた。嫌味のない艶やかな雰囲気を出す娘は、目は大きくて涼しく、鼻筋は高い、口は小さく紅玉色で下唇が少し出ているが、浮世絵に描かれるような美顔だった。

「お星ちゃん!はようもどってんかぁ!」

 店の奥から少年らしい声がし、お星は呼ばれた。

「へえぃ!ちょっと待っておくれやすぅ」

 お星と呼ばれた女は空を見上げた。

「ええ、天気やなあ。今日も忙しゅうなりますぇ」

 娘の名は、お星。この店の主であった下川楼蘭の娘、下川星である。数え十八歳の娘盛り。いまは楼蘭堂の女主人であり、寺町通りの看板娘とも呼ばれていた。そして鴨川の星と名乗り、紅緋色の仮面をして剣を振るう剣士でもあるのはもうおわかりであろう。

「もう、お星ちゃん!忙しいのやで、はよ手伝ってやあ!」

 しびれを切らせたのか、暖簾の向こうから少年が飛び出してきた。十歳くらいの丸顔で目が小さく髪はボサボサの蓬髪で申し訳程度に結っている、団子鼻の彼はおせいの袖をつかんで中に入れようとする。

「もう、屯太、あて、疲れていますのや、昨日は夜遅うまで出歩いてたんどすぅ」

「出歩く?出歩くっちゅうもんやないやろ!そら、お星ちゃん、せっしょうや!わしも出歩いていたんどすぅうううう、や!」

 少年の名は、屯太。身長は三尺五寸(106センチ位)、団子鼻が特徴で周囲からはダントンと呼ばれていた。お星は夜の鴨川の星の闘いで疲れているとに言うが、実は屯太も辻君姿のお星を少し離れた位置から見守っていて、彼女が辻君から女剣士に変身した時に投げた筵、黒い着物を拾って持って帰ったのは他ならぬ屯太である。

屯太はお星を店の中に引き込んだ。そこにはたくさんの色とりどりの菊、秋桜、金木犀、柊、西洋の薔薇などの花が土間や畳の上に並んでいた。店の間には薬箱が並んでいる。

「さあ、はようせんと、もっとお客はんがやってくるんやで・・・」

 楼蘭堂は近くの農家から運ばれた花をはさみで切り、木桶に入れて水につけて町衆や僧侶と言った客や行商人、俸手ふりに売るのである。本来医術所であり、薬を売るのが生業だったこの楼蘭堂をお星はおそらく日の本では珍しい「花屋」にしようとし、それは成功しつつあり、店がある寺町通りのみならず、京雀達に評判であった。

 花切鋏(はさみ)で花の根を切り、慣れた手つきでお星と屯太は木桶に入れていくが、お星は時折足がふらつき、疲れは隠せない。

「なあ、お星ちゃん、きのうはたいへんやったなぁ?あのかっこうのままでねていたもんなあ、そやけど、あれ、片づけたほうがええんとちゃうかな。だれかに見つかったら・・・」

 そういうと屯太は二階を見上げた。二階のお星の部屋には裏地が赤い黒の外套(マント)、正面に銀色の星印が縫い込まれた青い頭巾(ベレー帽)、濃紺の身体の線が露わとなる装束(レオタード)が脱ぎ捨てられ、そばには父下川楼蘭の形見の大刀陸奥守吉行と無銘の脇差、そして紅緋色の仮面が置いてあった。それは鴨川の星女天狗の装束だった。女天狗鴨川の星の正体は花屋の女主人、お星こと下川星なのであるが、それを知るのはごく少数の者である。

お星が鴨川の星として駆け去ってから、一足さきに屯太は楼蘭堂に戻った。程なくして二階で物音がし、箱階段を駆け上がった屯太。そこには鴨川の星の装束をしたお星が倒れるようにうつ伏せに眠っていたのだ。仮面は枕のそばに落ちていた。腰の二本の大小の刀は藤色の帯にささったままで、白いふっくらとした太ももがまだ少年である屯太にもまぶしく見えた。屯太は黒い外套を布団代わりにかけてやってもお星は眠ったままだった。余程疲れる闘いだったのだろうと屯太は察した。

「辻君のみんなの仇とったんどす。悪うないのに斬られはったあの人らの苦しみに比べたら、なんてことあらしまへんぇ」

「そやけど、お星ちゃん、むりはあかんで、みぶろうあいてにあかんわ。あいつら、ぎょうさんの人数でかこんできよるんやろう」

 お星は黙っている。女天狗鴨川の星として戦った昨夜、二人の不逞浪士平井勘八郎、火野平九郎はともかく、小田銑十郎、猪口弥二郞ら五人の新選組隊士を相手にしたときは油断もあったが危うかった。

「でも私は戦う。相手が新選組であろうと、何だろうと、弱きものの為に、鴨川の女天狗は戦う」

 お星は鋏を止め、高い天井を見上げて言った。

「なあ、お星ちゃん、しゃべりかた、きいつけや。それに、じぶんで女天狗って、言ったで、あれほど鴨川の星やのにぃ!って言ってたやんか・・」

女天狗とは、鴨川の星の初陣にたまたま遭遇した読売の修郎が瓦版に「天晴れ、痛快なり、鴨川の女天狗」と報じたため、広まった名前でお星は納得していない。

「あ、ほんまや、あて、あかんわあかんわ。ダントン、いや屯太!堪忍ぇ」

「何があかんのやぁ?」

そういって暖簾をくぐって入ってきたのは身長五尺(150センチ)とお星よりは低いが、凛々しい総髪の武家風の男で着流しに二本の刀を差していた。

 

「まあ、美蘭先生、な、なんでもあらへんのどす」

 美蘭と呼ばれた男は二十三歳で寺町の東林寺で寺子屋の雇われ師匠をしながら医師を目指している富山美蘭。美蘭は号で通称敬次郎、諱(いみな)は親國(ちかくに)、お星の幼馴染でもある。彼はのちに鴨川の星と何度も関わり、土佐の坂本龍馬のもとで大きな仕事を成すのだが、この時は女剣士の正体同様知る由もない。

「お星ちゃんなあ、美蘭先生のことかんがえとって昨日ねられんかったんやで」

「と、屯太!なに言うてはりますのん!」

「ははは、これは光栄やわ。ところでお星はん、例の辻君殺しの下手人、捕まったらしいでぇ」

「まあ、やっとやわ。よかったわあ。奉行所の方らが捕まえてくれはったん?」

 もちろん鴨川の星が、自分が成敗したとの経緯を知ったうえでの問いかけだ。

「ちゃう。会津様の捕り方と、例の壬生浪士組、あ、新選組になったんやったな。あいつらがひっとらえたんやけど」

「そうどすかぁ、新選組が・・」

「これは表向きの話や」

美蘭は五条橋の群衆の中にいて、鴨川の星としてのお星の活躍を見ていたのだが、鴨川の星の初陣の時も少しかかわりがあった。それはまた別の話である。

「ほんまは女天狗なんや。鴨川の・・」

「星!」

「星?」

「星。鴨川の星どす。女天狗とちゃいますぇ。女にむかって天狗やなんて、そんなせっしょうやわ」

 屯太が思わず、おせいの右袖を引っ張るが気が付かない。

「お星はんがそんなにむきにならんでも、あれかあ、おなごにとってはうれしいんか?女剣士がばっさばっさと悪を切るのは?」

「斬ってへん!斬るのはほんまに仕方が無いときどす・・・・・」

「お星はん?」

お星は手で口をふさいだ。

「って、瓦版の、読売の修郎はんが、言ってはったわ」

 横で屯太は深いため息をつく。

「でも、女天狗、いや、鴨川の星は、そら、なんか珍奇な成りやけど、別嬪さんらしいでぇ」

「べ、別嬪さんやなんて、あて、照れますがな」

「お星はん?」

「な、なんでもありまへん、そやけど、美蘭先生、らしいって言わはりましたけど・・」

 美蘭はお星が鴨川の星として戦っている現場をすでに見ている。そのことはお星自身が知っているが、彼はお星が仮面の女剣士とは気づいていないようだ。その美蘭は頓太となにやら話し込んでいる。

(まあ、よろしいですやろ)

 

 しばらくすると寺町通がざわつきだした。何だろう?とお星に屯太、美蘭が外にでると囚人かごで二人の浪人が運ばれているところだった。前後左右をたくさんの役人が囲んでいる。おそらく六角獄へ連行されるのだろう。横には西町奉行所の水原弥五郎もいた。

 二人の浪人は店前に立つ、お星の視線を感じていたのか、少しだけ顔を傾けたが、憔悴しきっていて、すぐに目を閉じた。水原とは目が合ったので、お星は辞儀をし、水原はうなずいたように見えた。二人は旧知の仲である。

(辻君のみんな。みてはりますか。あてが、あてが鴨川の星としてあいつらを成敗しましたぇ)

 お星は囚人かごが見えなくなるまで目で追いかけた。

(まだまだどす。弱いひとを苦しめる不逞な輩がおる限り、あては女天狗、いや鴨川の星として剣を持って戦わんといかんのどす)

 お星は行列を見送ると仕事に戻ろうとしたが、背中に視線を感じたようで後ろを振り返った。だが、そこにはお星を見る者は誰もいなかった。

「なんどすかいなぁ・・」

お星は店に入った。美蘭が立ち去ったことを確かめてお星は言った。

「頓太、あては今夜、祇園にいきますよって・・」

 

 京の西を流れる堀川よりさらに西の壬生。そこに京都守護職会津藩主松平容保御預り、京の非常治安警察である新選組の屯所はある。奥の一室で局長である近藤勇は副長である土方歳三の報告を受けていた。近藤勇は元々江戸の牛込で天然理心流の道場試衛場を主宰していたが、この年の二月の幕府が募集する浪士団の一員として上洛した。今は新撰組の名を与えられた事実上の非常治安警察を率いている。

「相州浪人平井勘八郎、房州浪人火野平九郎、辻君殺し、寺社、商家への攘夷御用強盗の件、すべて自白したそうで西町奉行所より知らせがあったぜ」

「歳、ご苦労だったな」

「捕まえたのは我が隊士、副長助勤小田銑十郎とその隊士と言いたいが、女だ、鴨川の・・」

土方は沖田が持っていた鴨川の星の活躍を報じる瓦版を差し出した。近藤はそれに眼を一瞬だけ落とした。

「鴨川の星、通称女天狗、だな。小田はその女天狗に対し不覚を取った、のだな」

「ああ、女に負けるなど、武士の風上にもおけねえ。捨ててはおけない。小田の奴、        局長、処分だが・・・」

「歳、お前に任せる。鞍馬の天狗に、鴨川の女天狗、公儀に刃を向ける不逞な剣士、男だろうが女だろうが、そんな輩に敗れる奴は新選組には不要だ」

「切腹、ということで。他の隊士、佐藤、早川、猪口、塚本の四名は謹慎。それでよいですな、局長」

 土方の沙汰にうなずくと近藤は立ち上がった。

「どこへ?」

「ああ、寺町錦にな、花を水桶にいれて売る珍しい店があるそうだ。そこへ行って花を買ってくる」

「知ってるぜ。そこの女主人がなかなかの器量だとか。お星とか言ったな。さては惚れたな」

「そうではない。花を買うてくるのだ」

 文久三年の秋の京 時代はこれから回天の時を迎える。鴨川の星と新選組は、この後何度も刃を交えることとなるが、それはまた別の話である。

 

おわり

 La Légende de Étoile de la Seine au Japon.

Elle s’appelle Étoile de la Kamogawa=Une femme Tenguh.

“Tueur de prostituēes au coin de rue.

‐Colère sur les prostituēes!‐”

 

Finir!

 Histoire bonus!

 おまけの話! 

行灯の光に照らされた女の顔とうなじは白粉(おしろい)が塗られていた。化粧と着付けは終わり、鏡に映る寺錦小路上ル円福寺前町の花屋であり薬種商でもある楼蘭堂の女主人お星ではなく、豪華な黒い詰袖を身に着けた祇園の置屋光善の芸妓花星(かほ)が映っている。円らだが涼しい眼、筋の高い鼻、やや前にでた下唇という美しい顔だ。その後ろに同じ置屋の芸妓で一歳年下の墨染(すみぞめ)の白い顔が映った。

「花星姉さん、相変わらずお綺麗どすなぁ」

「何を言うてはりますのん。ほな、行きまひょか」

 花星は墨染、舞妓の小藤と小森に声をかけると立ち上がった。重さ四貫から五貫(約15~20キロ)もある衣装だが、慣れたものである。これでお茶屋の狭い廊下や階段を行き来、上り下りし、三味線を弾き、舞踊をし、客に酌をするのだ。

 もっとも一番動きやすいのは、彼女のもう一つの姿、鴨川の女天狗とも呼ばれる剣士鴨川の星の装束だ。星印が縫われた青い頭巾、身体の線が露わになる薄い生地でできた装束(レオタード)、脚絆のような黒い革長靴(ブーツ)に裏地が赤い黒の外套(マント)。そして素顔を隠す紅緋色の仮面だ。

 花屋の女主人が正業である彼女が祇園のお座敷に出るのはせいぜい多くてもひと月に数回で、光善の看板芸妓でありながら、幻の芸妓とも呼ばれている。光善の女将お藤はお星に対し、花屋稼業を止めて芸妓に専念するよう勧めているし、客である京の豪商の何人もが芸妓のスポンサー的存在の「旦那さん」になろうと名乗りを上げている。

「勿体ないことどす」

 そう言って花星=お星は深く辞儀をして断り続けている。

 その日のお座敷は祇園の一力亭での新撰組の会合だった。座敷の上座では局長近藤勇が上機嫌で決してあまり好きではない酒を飲んでいた。その横では副長土方歳三がしかめ面で杯を口に付けている。少し青い顔をした沖田総司、原田左之助、永倉新八ら新撰組の幹部が揃っている。

 彼らと剣を交えたことはないが、先日の鴨川での小田銑十郎らと鴨川の星の対決のことが話題に上がっている。花星ことお星は黙って酌をする。

(みなはん、うちが鴨川の星とは“夢にも”思いまへんやろうなあ)

 そう思うと花星は可笑しさがこみあげてきた。深草の三味線の音色が心地よく座敷に響き、舞妓の二人が踊りを披露している。そして花星は墨染と一緒に隊士達に酌をして回っていたが、近藤の熱いまなざしを感じていたお星は彼のまえに衣擦れ音をさせながら近づくと前に座り、三つ指をついて辞儀をした。

「花星どす、近藤先生、お楽しみいただいてますかいなぁ」

 今日も花屋の主人として近藤と話をしたが、目の前にいる芸妓と同一人物とは気が付いていないようだった。そして顔をあげると銚子をもって新選組局長に酒を勧めた。

「花星、お前も鴨川の星、同じ女として気になるか」

「そうどすなぁ・・・」

地方(じかた)の深草が奏でる三味線が心地よい音色を一力の座敷の中に流れていた。

祇園の夜は更けていく。

終わり!

FINIR!

 




子供のころに楽しんでみていたラ・セーヌの星。
長じてから時代劇、時代小説を読むようになり、ラ・セーヌの星を幕末の江戸か京都に登場させたら面白いのでは?と思い、形にしたのが今作であります。
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