幕末のラ・セーヌの星 鴨川の星 快傑女天狗 作:koh1968
よろしければおつきあいください。
La Légende de Étoile de la Seine au Japon.
Elle s’appelle Étoile de la Kamogawa=Une femme Tenguh.
“Démasquée!”vol1
Quelque part en 1865 après JC.
A Kyoto à la finde la période Edo.
真っ暗な町屋、一段一段が高い箱階段を弾むように駆け上がる女の影があった。女は敷居際で一息ついた。
「ちゃっちゃと行かんとあかしまへん」
そう言って女が障子を開けて部屋に入ると、火打ち石で行灯に明りをいれた。
行灯の灯で障子には背の高い女の影が映った。
女は簪、笄(こうがい)を外して髷をほどき、髪を垂らした。次に影の女は帯をほどき、身に付けていた着物を畳に落として生まれたままの姿になると、風を切って外套らしきものを羽織ったようだ。
そして影の女は右手にめかずらのようなものを持つと、それを顔につけ。さらに刀らしきものを腰に差した。女は仮面の剣士なのだ。
「早く行かなければ!待っていてこの鴨川の星いま参ります」
「貴公はこの新選組を、会津中将京都守護職松平肥後守様御預の我らを愚弄されるのかな」
新選組局長近藤勇は、床の間を背にしてその四角く大きな顔を歪ませて言った。横の襖の前に座る役者のような顔の副長土方歳三は、その表情を涼しくしているが、決して機嫌が良くはないのは明らかだ。
「はっはっはっ!近藤先生、愚弄などとんでもござりませぬ。ただ、私は兵学者としてこのたび会津中将さまに召し抱えられ、京を騒がす二人の天狗、鞍馬の黒椿と鴨川の星を捕縛する手立てを考えるよう命じられたまでのこと!」
新撰組の局長近藤勇と副長土方歳三と向き合っているのは、紺色の着物と袴に趣味の悪い赤色の羽織を羽織った男だ。彼の名は雨森晴門(あめのもりせいもん)。肥前長崎で西洋流の軍事学を学び、この度新撰組を預かり京の治安を守る会津藩に召し抱えられたという。
(西洋兵学ねえ・・)
土方はそう心中で吐きつつ雨森を見据えた。
会津藩も遅まきながら、平静を西洋流にしようと模索していたところ、雨森が売り込んできたのか、江戸の幕閣から紹介されたのかは分らない。
だが、雨森は、藩主松平肥後守容保のお目通りが叶い、会津藩兵学指南並心得となったと土方は聞いている。そして本格的に藩の兵学指南をする前に二人の天狗、鞍馬の黒椿と鴨川の星捕縛作戦の立案を臨時の「参謀」として任されることとなったのだ。土方の視線に臆することなく雨森晴門は近藤に向き合っている。
「貴公の力を借りるまでもなく、鞍馬の黒椿と鴨川の星は我ら会津候御預の新選組が捕縛してみせる!必要なら斬ってみせる。だが鴨川の星、所詮はおなごよ。おなごごときのために兵学者の力を借りる新撰組でない」
近藤が姿勢を変えることなく、雨森を睨みながら言った。その雨森は近藤が言い終わるやいなや口を開けた。
「ですが、そのおなごを、新撰組が癸亥(きがい=文久三年・西暦1863年のこと)の弥生三月に浪士組として発足して以来二年以上になりますが、未だに鞍馬の黒椿も鴨川の星も捕らえられないでいるのは事実。とくに鴨川の星は何度も言いますが女ですぞ。女一人に新選組は何度も煮え湯を飲まされている、どうですかな」
近藤の歯ぎしりの音が部屋に響き、目を閉じて何かを考えているような土方の表情が行灯の明かりで見えたであろう。雨森は土方の顔を見、続けて近藤の方を伺った。
この年の閏(うるう)五月、第十四代将軍徳川家茂の上洛を前に、新選組は会津藩巡察隊と協力し、また犬猿の仲である見廻組とも合同して「天狗退治」なる二人の天狗の捕縛作戦を行ったが、失敗に終わった。その原因は色々ある。甲州長沼流兵学者の武田観柳斉の立案内容が稚拙だったこともあるが、鞍馬の黒椿、鴨川の星どちらを優先して捕えるか不明確で、見廻組との協同もうまく行かず、鴨川の星については、鴨の河原にてあと一息で捕らえるところまでいったのが、水泡に帰してしまったのだ。
今、将軍家茂は二度目の長州藩征伐指揮のため大坂城にいるが、近々再度入京する予定がある。正式に二度目の長州征伐を帝に奏上し、諸外国との間に取り決められた兵庫開港の勅許を得るためである。京都守護職松平容保はそれまでに何としても二人の天狗を捕縛、必要なら処刑しておきたかったのだ。そこで雨森晴門に白羽の矢が立ったのである。
そしてすでにその作戦は「赤塚の富士」と命名され、動きだしていた。
「この赤塚の富士にて鴨川の星を必ずや捕えて見せましょうぞ。その時は近藤先生、私に天晴れと言って貰いたいものですな。はっはっは!」
「雨森殿、鴨川の星をあまり甘く見ない方が身のためですぞ」
「女ごときに、ですかな。ふっふっふ」
フランス大革命の前夜、花屋の娘として育てられた美少女シモーヌはラ・セーヌの星と名のり、剣を取って戦った。シモーヌは、自分が王妃マリー・アントワネットの妹であることを知らないまま、その剣を弱き人々の為にふるった。
そして時代と場所は変わって幕末維新前夜、極東の島国日本の京。花屋の女主人お星(せい)も鴨川の星と名乗り、剣を取って戦う。
しかし彼女は、自分がシモーヌの曾孫であることと、後に徳川幕府最後の将軍となる一橋慶喜の妹であることを全く知らなかった。
幕末のラ・セーヌの星 鴨川の星 快傑女天狗
「落ちた仮面 Démasquée!」第一話
遠くで犬の遠吠えが聞こえ、呼び笛の音も聞こえてきた。近藤は外に気遣い、土方は目を開けた。そして雨森は何やら、にやついている。
(気持ちの悪い奴だっ・・・)
土方歳三は心中で笑った。それは目の前にいる兵学者に対してであり、女剣士を捕えられない自分達新撰組への、歳三が作り上げた組織への自嘲でもあった。
雨森晴門(あめのもりせいもん)、どこの輩か歳三には詳しくは分らない。江戸近郊の板橋宿で植木屋の四男として生まれ、成人して西国の石州(今の島根県)津和野藩の蘭方医林某に弟子入りをし、その後長崎に留学して西洋軍学を学んだらしいこの男を歳三は好まない。
(だが、この男が、雨森晴門の言っていることは悔しいが事実だな)
この二年、新撰組は二人の天狗、鞍馬の黒椿と鴨川の星に翻弄されてきた。何度も機会がありながら、斬ることも捕えることも出来ない。彼らは“公儀(幕府)に楯突く長州藩士”、土佐や肥後の浪士どもを何度も新撰組や見廻組、会津藩巡察隊が捕縛、斬殺せんとするところを助けている。
その反面、昨年、元治元年(1864)三月には大覚寺の観月の宴で将軍後見職だった一橋慶喜を長州派と思われる芝居の一座に見せかけた暗殺団から守っており、一概に反幕府とは言えないのも事実で、京を守る会津藩幹部達も戸惑っているようだ。
(安政から万延のころからこの京にいる覆面の剣士天狗鞍馬の黒椿、俺たちがこの京に来た前の年に現れた仮面の剣士女天狗鴨川の星、どちらも新撰組が束になってもかなわねえ。だが、あと一歩のところだったのさぁ)
例の「天狗退治」の事である。
近藤に言われ、長沼流軍学免許皆伝の武田観柳斉に任せたのがいけなかった。
黒の羽織袴、宗十郎頭巾に涼しい目が光る天狗鞍馬の黒椿。星印が縫い込まれた青い頭巾に紅緋色の目かずらのような仮面、身体の線が露わになる不思議な濃紺の装束に黒の外套と言った出で立ちの女天狗鴨川の星。二人の天狗の姿が脳裏に浮ぶ。とくに女である鴨川の星は、何としてもこの手で捕え、その謎めいた仮面をはぎ取ってやりたかった。
(それは近藤さんも同じだろうよ・・)
歳三がそう思い、近藤勇を見やったとき、縁側の廊下を静かだが急いでいる足音が聞こえてきた。程なく障子にうっすらと影が映った。
「申し上げます!」
歳三はその声が数ヶ月前に入隊した諸士調役兼監察の古村啓七郎だと分った。
「どうしたっ!」
「は、囚人護送駕籠が六角西桐院の辻で襲われました!」
「何者に?敵の人数は!」
「副長、女天狗、いや鴨川の星一人です。囚人どもは逃走中で・・・」
古村が言い終わらないうちに雨森が立ち上がった。そして言った。
「天晴れ!手はず通りですな!近藤局長、土方副長、この雨森晴門、ただちに鴨川の星捕縛の"赤塚の富士“の陣頭指揮をとりましょう」
(パレモンめ・・・)
土方は座布団を蹴って廊下に出た雨森を睨みつけた。彼はアッパレが口癖で、すでに隊内では「あっぱれセイモン」転じて「パレモン」とか「ハレモン」のあだ名がついていた。
(だが、赤塚の富士作戦、その狙いは当たっている。お手並み拝見といくか)
雨森晴門は、今回の捕縛作戦の対象を鴨川の星に絞っている。また、京に潜入し、捕縛された長州藩士らをこの西本願寺の屯所から六角にある獄舎に護送するという情報を、鴨川の星がよく出没するという寺町三条から四条にかけてと花街がある祇園界隈に流したのだ。そして今宵、狙い通り鴨川の星は現れた。
歳三は立ちあがった。すると近藤も立ち上がり、愛刀の長曾根虎徹を挿そうとしている。
「近藤さん、いや局長!あんたは良いぜ。俺が行く!」
「いや、歳ィ、今夜はおらぁも出る!あの男に手柄を独り占めされちゃあ、新選組の名がすたる。それに鴨川の星の素顔、見てみていもんだしなぁ」
近藤の四角い顔がにやりと笑った。近藤は鴨川の星の正体、寺町錦小路上ル円福寺前町にある花屋であり薬種商でもある楼蘭堂の女主人、お星(せい)こと下川星とは何度か会っているのだが、勿論気づいていない。
そしてそのお星は花街祇園で幻の芸妓と呼ばれる花星(かほ)でもあり、何度もお座敷を一緒にしているのだが、そのことも気がついた様子はなかった。
鴨川の星を捕えた自慢話を花星にしようとしているのか、と歳三は読んだ。
「そうかね。では行くとしましょうか。古村君、案内しろ!」
歳三も愛刀和泉守兼定を手に取ると、廊下に躍り出るのだった。
時に慶応元年(1865)八月十五日(太陽暦十月五日)、時刻は亥の下刻夜四つ半(午後十一時頃)、山城国の京。堀川通と大宮通に挟まれた浄土真宗の本山西本願寺にある新選組の屯所でのことであった。
時間は半刻(はんとき、約一時間)遡り、六角西桐院の辻。
「お待ちなさい!それらの駕籠の罪なき志士をもらい受けます!」
夜の京の街に不釣り合いな女の声が響いた。
「な、何者ぞ!」
囚人護送用の三つの唐丸駕籠を警備する新撰組の男達は声の方向に顔を向けると次々に鯉口を切った。駕籠かきたちは怯えるように空の方を見る。
「あなた達が束でかかっても勝てない剣士だとしたら?」
「ま、まさか、め、女天狗、鴨川の女天狗!」
「星!鴨川の星です!女に向かって天狗など失礼先般!」
そのようなやりとりの後、二階建ての町屋の屋根から黒い影が翼のようなものを翻して飛降りてきた。その影は月が明るいこともあって一目で女と分る。それも身体の線が露わになる不思議な装束(後の世で言うレオタード)、白い太腿が月明かりに照らされ、豊かな胸乳の形、その上の鎖骨あたり(後の世で言うデコルテ)もよく見えた。そのような成りの女など、この京には一人しかいないであろう。夜の京で弱き者の為に剣を取って闘う謎の仮面の女剣士鴨川の星である。
その鴨川の星が六角西桐院(ろっかくにしのとういん)の辻に降り立つと、風に舞っていた裏地が赤い黒の外套(マント)が彼女の背中を覆った。男達は彼女を最も特徴付ける白い顔を隠す紅緋色の目かずらのような仮面を目にした。仮面の下には円らだが涼しい目があって彼らを睨んでいる。頭には銀色の星印が縫い込まれた青いかきつばた色の頭巾(ベレー帽)があって、後ろに流した濃い栗色の髪を守っている。濃紺の不思議な装束には藤色の帯があって、そこには反りの少ない大刀と脇差が差込まれている。この三年、夜の京に何度も何度も現れ、公儀(徳川幕府)に楯突いてきた女の剣士、女天狗とも呼ばれる鴨川の星に間違いはないと新撰組の男達は悟った
「お、おのれ、鴨川の女天狗!皆共!何をしておる!すぐ成敗するのだ!」
と言って三つ縦隊の駕籠の一番後ろにまで下がったのは、この囚人護送の警備の任を請け負った新撰組五番組組頭武田観柳斉であった。武田に言われて真っ先に剣を抜いたのは伍長である森澤梅之助だ。この年の二月、先斗町で鴨川の星に敗れて峰打ちにされた森澤は、今度負けたら士道不覚悟で切腹ものだ、と顔を引きつらせて剣を平正眼に構えて前に出た。続けて二人の平隊士田沢興三と宮内太藏が女剣士の後ろに回って挟み撃ちにしようとしている。双龍剣と呼ばれる新撰組の集団殺法だ。この戦い方で数多くの志士が犠牲となり、京の土となった。森澤は山城の土になるまいと力んでいる。
「女天狗鴨川の星!今宵は負けぬぞ。この森澤梅之助、斬ってその赤い仮面を剥がし、月光の下にその素顔をさらしてくれようぞ!」
森澤が間合いを少しずつ詰めながら、仮面の女剣士に叫んだ。
「森澤殿!目を覚ますのです。新撰組だけがあなたの剣を活かす道ではありませぬ」
鴨川の星は大刀を抜かず、後ろの二人、田沢と宮内にも気を使いつつ森澤を諭すように言った。彼とは剣で対峙しただけでなく、彼女の表の顔である花屋の女主人として、もうひとつの顔である祇園の芸妓として何度も会っている。死なせたくはなかったのだ。
「黙れ!女のくせに生意気な!さあ、剣を抜け、抜かぬか!」
「仕方がありませんわね。この鴨川の星、あなた方を倒さねばならないようです。そして駕籠の中の志士の方々をもらい受けましょう」
いつの間にか駕籠かき達は居なくなり、武田観柳斉が早くしろ!とけしかける声が響く六角西桐院の辻、空には望月が輝いていた。
「森澤殿!目を覚ますのです。新撰組だけがあなたの剣を活かす道ではありませぬ」
仮面の女剣士鴨川の星こと寺町錦小路上ル円福寺町の花卉薬種商の女主人お星(せい)は紅緋色の仮面の下から円らだが涼しい眼で新選組五番組の伍長の一人である森澤梅之助に訴えた。森澤とは今年の二月に先斗町で対峙し、峰打ちで倒したことがある。表の顔である花屋の女主人として店頭で、そしてもう一つの顔、祇園の芸妓(げいこ)花星(かほ)としてもお座敷で何度か会っている真面目で国を想う青年だ。できれば倒したくない相手である。
「黙れ!女のくせに生意気な!さあ、剣を抜け、抜かぬか!」
「仕方がありません。この鴨川の星、あなた方を倒さねばならないようですわね。そして駕籠の中の志士の方々をもらい受けましょう」
鴨川の星は大刀を抜かず、後ろの二人、田沢と宮内にも気を使いつつ森澤を諭すように言ったが通じなかった。いつの間にか駕籠かき達は居なくなり、武田観柳斉の早くしろ!とけしかける声が響いた。
そして田沢の鯉口を切る音が聞こえるや、紅緋色の仮面の下の瞳が雷光のように光り、鴨川の星は刀長二尺三寸五分(約71.5センチ)の反りがない大刀陸奥守吉行を抜いた。田沢は少し下がって刀を中段に構えたが、女剣士の切っ先によって右手の親指を砕かれた。
「ぎゃぁ!」
田沢は痛みのあまり、辻を転がりだした。黒の隊服の羽織袴が土で汚れていく。続けて宮内も抜刀したが、何故か上段に構えて女剣士に立ち向かった。
「隙ありぃ!」
甲高い声で叫んだ鴨川の星は、宮内の右胴に打ち込むが、当たる直前で峰を返してやった。あばら骨が折れる音がした。
「む、むぅう」
宮内は唸りながら前に倒れた。鴨川の星は裏地が赤い黒のマントを翻しつつ、森澤に向いた。思った通り、彼は平正眼のままこちらへ向かってこようとしていた。鴨川の星は大刀を下段に構えると、振り下ろされた森澤の反りのある太刀を跳ね上げて宙に舞わせた。
「う、うわぁ!」
森澤はさっと下がり、唐丸駕籠に背を当てて、脇差を抜いた。その視線は上下に揺れ、鴨川の星の出方を見極めようとしている。
「さあ、どうします。続けますか。それともこの場を、いや京を立ち去りますか?」
「お、おのれ、女天狗!」
森澤梅之助は奇妙な出で立ちの女剣士を睨みつけつつ唾を飲んだ。
(な、何者なのだ?正面に銀色の星印が縫い込まれた青い頭巾、首のあたりを紫の帯で括られた長い栗色の髪、裏地が赤い黒の外套、胸乳やくびれのある腰を隠さない濃厚の忍びのような装束、白くて眩しい太い腿、黒い革張りの脚絆、何度見ても珍妙な格好だ)
鴨川の星は不敵に笑うと大刀を諸手上段に構えた。森澤を誘っているのだ。
(細面の白い顔、玉のような唇、そびえたつ鼻、そして赤い素顔を隠す目かずらのような仮面、その下の眼は大きく輝かしい!背は五尺五寸ほどででかいが良い女だ。このような女が何故、剣を取る?)
「森澤!何をしておる!臆したかぁ!」
後ろで五番組の組頭、武田観柳斉の声がした。武田は怖くはないが、鬼の副長土方歳三は恐ろしかった。今回仕損じれば士道不覚後で切腹は免れまい。そう思い、森澤は覚悟を決めた。
「うわああああ!」
絶叫を上げ、一尺六寸(刀長48センチ)の脇差を持って森澤は京を騒がす仮面の女剣士に突進した。
鴨川の星=お星は一旦、大刀陸奥守吉行を朱色の鞘に納めた。黒い長革靴のつま先には峰打ちされた森澤が倒れこんでいる。愛刀はお星の父で医師であり、剣術家でもあった下川楼蘭の形見でもあった。実は楼蘭はお星の実の父ではなく養父であるが、彼女はそのことに勘づきつつも確信をもてないでいるが今この場では余談である。
鴨川の星は一つ目の竹で作られた唐丸駕籠を、脇差を抜いて切り、中の囚人の男の猿ぐつわと両手両足を縛る縄を切った。男は総髪で明らかに武士であった。鴨川の星が続けて二つ目の駕籠を切ると、新選組五番組組頭であり副長助勤であり兵学指南役でもある武田観柳斉に向かっていき、彼に向かって大刀を抜いた。
「く、来るか!や、やるのか!」
武田はもう一人の隊士と一緒に西桐院通りをゆっくりと後ろへ下っていく。その間に一つ目の駕籠に載せられていた男が、鴨川の星から借りた脇差しで二つ目の駕籠の男の猿ぐつわと縄を解き、続けて三人目も解放した。
「武田観柳斉殿、貴方を斬ったところで剣の錆となりましょう!」
「な、なんだとお!女のくせに馬鹿にするかぁ!」
恐らく本気を出さずとも、鴨川の星は武田を倒せるだろう。だが、今はその必要はないと判断した。
「鴨川の星、かたじけない!」
男は長州訛りで礼を言った。女剣士は大刀を鞘に納めると、三人が待つ辻へと後ずさりした。
「皆さん!逃げられますか?」
三人が頷き、脇差しを受取った鴨川の星が仮面の下で微笑むと、六角通を東から提灯の群れが動いているのが見えた。夜目が聞く女天狗は「會」と提灯に書かれているのがわかった。
(会津藩巡察隊!そして北!)
西桐院通りを上がった方向からも会津藩の提灯が見える。ちなみに西桐院通りを上がっていくと京都守護職屋敷がある。
(南からも!)
そして武田観柳斉の向こうには「誠」と書かれた提灯の群れが見えていた。鴨川の星は知らなかったが、それは永倉新八率いる新撰組二番組だった。武田の五番組と違って手強い相手だ。
「一刻の猶予もありません。逃げるのです!」
鴨川の星は三人を促すと、敵が見えない六角通りを西に向けて駆け出した。その先には彼らが護送されるはずだった六角獄舎があるが、今はそこへ逃げるしかない。一年前、新撰組が長州派の志士を一網打尽にした池田屋の変に端を発する禁門の変の際の火災「どんどん焼け」で焼け野原になったものの、徐々に再建されつつある京の街を一人の女と三人の男が全力で走っていく。六角獄舎はそのどんどん焼けの際、多くの志士が解き放たれることなく斬首された悲劇の場所でもある。
「ははは!鴨川の星女天狗!今回ばかりは逃げられはせんぞお!逃しはせぬぅ!」
後ろで武田の負け犬のような叫びが聞こえた頃、横を走る長州藩士らしい男が息を弾ませながら言った。
「ハッ、ハッ、か、鴨川の星、貴方のことは聞いちょりました。と、とみ、富山美蘭殿から!」
「み。美蘭?あのお方無事なのですか?」
富山美蘭はお星の幼馴染み。寺子屋で子供達を教えながら医者を目指していた。だが、文久三年(1863)秋の長州藩からの使者と新撰組、会津藩巡察隊、鴨川の星との争いに巻き込まれ,成り行きで京を離れることとなったのだ。
「ええ、僕は・・・あ!」
長州の男が名乗ろうとしたとき、四人は六角油小路の辻に達していたが、西の堀川あたりから「誠」と書かれた提灯がいくつも見えた。沖田総司率いる一番組だ。さらに油小路の北側からは松原忠司(ただし)率いる四番組が迫る。
「あちらへ、南へ、油小路を下っていきましょう。そして一緒では危ない。途中で分かれるのです!」
鴨川の星は逃げながら言った。そして焦った。
(これは罠だわ。私を捕まえるための罠!)
五月のいわゆる「天狗退治」の時以上の本気度で、会津藩と新撰組は自分を狙っているのが女天狗鴨川の星=お星には徐々に分ってきたのだ。
お星として寺町通りを歩いていたとき、瓦版を生業とする読売の修郎からこの日に長州藩士の囚人を深夜に六角獄舎に護送するとの情報を聞いた。鞍馬の黒椿こと倉田典膳の忠僕である黒姫の 兵衛からも同じ情報を得た。
芸妓花星として座敷の席や道すがらでは同じ話を聞き、さらにその長州藩士らが六角獄舎に着き次第斬首されるとの噂も聞いた。
同志である鞍馬の黒椿こと倉田典膳は京を離れているが、自分一人でも彼らを救わねばと思い、今宵は鴨川の星の装束に身を包み、夜の六角通りを警戒していたのだ。
(すべて仕組まれた罠だった!私を捕える、あるいは斬るための罠!)
鴨川の星=お星は長州藩士の三人に申し訳なく思い、目を閉じ、下唇が前に出た口をキュッと締めた。
油小路通りを走る四人が西小路を抜け、四条通りに達しようとしたとき、久留米藩有馬左近衞少将屋敷から風を切る音がし、一番後ろを走っていたやや小太りの男が倒れた。放たれた矢が背中から心臓を突き刺していたのだ。後で分ったのだが、彼は小倉藩脱藩浪士小林某だった。二つ目の駕籠に乗っていた男中原某(肥後人吉脱藩)は左に折れて四条通りを駆けていったが、そこへやってきた永倉新八率いる二番組の隊士某に斬殺された。
「ここは綾小路通り。ずっと東へ駆けていけば、寺が並ぶ通り、寺町に出ます。どこかの寺に逃げ込むのです!」
「ありがとう!鴨川の星、僕は寺内勘助、ご無事を!また会いましょう!」
寺内の姿が見えなくなると、鴨川の星はマントを昼がして綾小路通りを西に駆け始めた。
「ええい!まだ鴨川の星は捕まらぬのか!」
錦小路通堀川の辻、津藩藤堂左近衞権少将の屋敷のそばで白馬に乗った近藤勇はいきり立っていた。
「山崎、確かにこの辺りに追い込んだのだな」
栗毛の馬に乗った土方歳三は、古村の上役で彼同様に行商人の姿に身をやつした諸士調役兼監察の山崎丞を見おろして言った。
「へい、この通りを駆け、堀川通を越えるの、見ましたんや。沖田先生の一番組、松原先生の四番組が追っていったさかい・・・」
「馬は?鴨川の星はどこからともなく現れる白馬に乗って逃げ去ることが多いと聞く」
「馬はおりまへん。長い足で走って行きましたわ」
歳三は月に照らされた甍(いらか)を睨んだ。堀川から西は昨年の禁門の変のどんどん焼けでも火が回らず、昔ながらの街並みが残っている。近藤、土方らを守るように五番組の隊士十二名と諸士調役兼監察の古村がいた。
(だから、隠れようと思えばどこにでも隠れることができるってワケだ)
そこへ綾小路通りの西側から、その昔ながらの街並みから駄馬に乗った雨森晴門がやってきた。西洋風のつばのついた奇妙な帽子、後に山高帽と呼ばれるそれを被った成りに歳三は失笑した。後ろには従者の可児半五郎が同じく駄馬に乗っているのが見えた。
(パレモンめ。どこをうろついていやがった・・)
そのパレモンこと雨森は自分が駆けてきた方向を振り返って言った。
「さすがは鴨川の星女天狗、上手く逃げおおせたものだ。まさに敵ながら天晴れ!」
そう言ってから雨森晴門は馬を近藤の白馬に並ばせた。
「じきに捕まりましょう。私の作戦赤塚の富士、近藤先生の新撰組の勇気ある隊士達によって・・」
「雨森殿、天晴れと言ってやりたいが、鴨川の星を・・・」
「甘く見ないほうがいい、のでしたな。心得ております」
そう言ってパレモンこと雨森晴門は馬上で山高帽をとると恭しくお辞儀をした。それは西洋式の礼儀作法のようだった。歳三が舌打ちしたとき、剣と剣が交わる音がかすかに聞こえ、絶叫も聞こえてきた。
「猪熊通か四条通あたりでんなあ」
山崎が言った。続けて雨森が言う。
「間違って寺にでも逃げられたら面倒ですからなあ、大宮通りには一番組、四番組を固めさせていますよ、近藤先生!」
雨森は先回りをして、西の大宮通りで指揮をしていたのだ。
「松原君はともかく総司の一番組ならし損じることはあるまい。なあ、歳よ」
近藤の言葉に歳三は頷いた。大宮通りを西に越えると、十以上寺院が立ち並んでいる。鴨川の星はかつて寺に逃げ込む事も多かった。非常武装警察である新撰組としては相手が寺だろうが社だろうが、捜査のためには踏み込めるが多少手続きが必要だ。歳三は雨森の手筈に感心した。
(やるじゃないかパレモン!悔しいが今夜こそ、鴨川の星の最後かもな!)
見上げると満月を黒い雲が覆い隠そうとしていた。
猪熊通りで沖田総司配下の一番組隊士と剣を交えた鴨川の星は左腕上腕部を抑えつつ、町屋の中を駆けていた。そして閉じられた木戸を乗り越えているうちに左の甲にも傷があるのに気がついた。どちらも深手ではないが血が止まれずに流れている。路地に落ちた血を追って新撰組がやってくるだろう。
(大宮通りに出れば、確か寺が並んでいる、そこへ逃げ込めば・・)
成円寺、専徳寺、休務寺、法雲寺、西方寺と言った寺院の名とその築地塀、山門等の映像が絵巻のように頭の中を流れた。だが、大宮通りに達したとき、そこには新撰組四番組の隊士達が群がっていたのだ。
(先を読まれているわ・・)
鴨川の星は気配を消して、後ろの路地に下がろうとしたが、転がっている桶に黒革のブーツの踵が当たって音をなした。
「し、しまった!」
「あ、いたぞ!女天狗だ!鴨川の星だ!」
鴨川の星は冷や汗を流しながら右手で左腕を抑えつつ狭い名もなき路地を駆け去るしかなかった。
どれくらい時間が経ったかしれない。
「こっちだ!こっちへ追い込んだぞ!」
「探せ、遠くには行っていないはずだ!」
「今夜こそ捕まえるぞ!」
鴨川の星は新選組隊士達の声がしたのを、聞こえなくなったところを見計らって通りに出た。そこは猪熊通で、もう少し南へ下れば、錦小路通に出る。錦小路を東に十二町五十間(およそ1.4キロ)行けば、家でもある花屋である楼蘭堂がある寺町通りに達するのだが、彼女にはここがどこだか今は分らなかった。
腕を押さえつつ歩いていると、とある町屋の戸が少し開いているのが見えた。中は真っ暗で人気がない。一瞬躊躇した鴨川の星だが、北と南両方に提灯の灯を認めると、意を決し中に入り込んだ。
暖簾を越え、ハシリニワ(台所)にでると棚の上に焼酎らしい壺があった。両手を合わせて拝んだあと、鴨川の星=お星はそれを取って、左上腕と左甲の傷口に垂らした。
「あぁう!」
あまりの痛みに叫んだ女剣士が、口を開いて吹き抜けの高い天井を見上げると、どこからともなくあまり嗅いだことがない匂いがしてきた。
「何かしら?油?いや違う」
鴨川の星は土足のまま、ミセニワにあがり、狭い箱階段をゆっくりと上がっていった。
二階に上がると畳六畳の“次の間”だ。その向こうにも六畳の“奧の間があるが、襖(ふすま)は開き、行灯の明かりが漏れていた。よく見ると次の間にはたくさんの錦絵、襖絵があった。
(これは絵の具の匂いかしら?)
一枚分開いていた襖を除くと、そこには長身の男がいて、乗り板に乗り床に置いた紙絵絹に何やら絵を描いていた。花の絵だった。それは西洋の花、赤い薔薇に見えたが、この時代その名はまだなく、花屋としてのお星はロセとかロゼと呼んで売っていた。そして今彼が書いている絵は西洋画だ。髷を結わず、縮れた髪を肩まで垂らした男は京雀たちが喝采を上げる女剣士が後ろにいるとも知らず、一心不乱に花を描いていたが、やがて気配に気づき、後ろに振り返った。そして持っていた筆を落とした。
「ああ、あなたは鴨川の星!」
銀色の星印が縫い込まれた青いかきつばた色の頭巾、首のあたりを紫の帯で括られた長い栗色の髪、裏地が赤い黒の外套、胸やくびれのある腰つきを隠さない濃厚の不思議な装束、白くて眩しい太い腿、黒い革張りの西洋長靴、そして腰に差された大小の刀。細面の白い顔、薄桃色の唇、そびえたつ鼻、そして紅緋色の素顔を隠す目かずらのような仮面。そのような女などこの京には一人しか居ない。
(噂には聞いていた、弱きを助け誠を貫く謎の女剣士。背は聞いていたとおり、女にしては高いが、こんなに若い女だったとは・・・)
「鴨川の星なのですね・・・」
男の言葉は関東のなまりがあった。お星=鴨川の星は知るよしもなかったが、男の名は太一と言った。元々は江戸の生まれ尾張徳川家の江戸勤番侍森家の次男で、四条派の絵画を学ぶ為に京に上がり、今は襖に絵を描くことで生計を立てていた。
京には様々な流派があったが、西洋の絵画も流入し、絵師達はその技法を取り入れていた。太一も四条派に飽き足らず西洋の画風の研究もしていたのだ。
太一の問いに、鴨川の星はこくりと頷いた。
太一はようやく外の騒ぎに気がついたようで、鴨川の星の前を通り過ぎ、次の間、中の間、虫籠(むしこ)の間と走り、虫籠窓から外の様子を伺った。
「確かにこのあたりに鴨川の星が逃げ込んだのだな!」
「はい、副長。間違いありません!」
「血が、あちこちに落ちています」
「よし、探せ、だが斬ってはならぬ。生け捕りにするのだ!」
新撰組の声を聞き、ようやく太一は鴨川の星が彼らに追われ、この家に逃げ込んだのだと知った。太一が振り返ると、鴨川の星は紅緋色の仮面の下の瞳を一瞬閉じて、悲しそうな表情をして階段を降りかけた。
「ま、待ちなさい!今、降りていけば捕まりに行くようなものだ」
そう言って、太一は鴨川の星の左手を掴んだ。太一の右手に血が付いた。
「でも、あなたにご迷惑がかかると・・・」
「いや、何とかなるはずだ。今あなたを捕まらせてしまえば、京に生きる人々に顔向けできない!」
弱者救済の為に剣を取る女天狗鴨川の星の活躍に京雀達は喝采をあげている。それなのに太一のために彼女が捕まればどうなるだろう。
太一は鴨川の星を奧の間に招き入れ、どこからか布を取り出してくると、傷ついた左甲に巻いてやった。
「お優しいのね」
一瞬照れた表情になった太一は、外の障子を少し開き、母屋と蔵の間の庭に目をやった。そこにはすでに提灯を持った黒の羽織袴の新撰組隊士が行ったり来たりしていた。
「ここから飛降りればと思ったが、無理だな・・・」
太一は床の間と反対の壁を見た。そこにも小さな障子がある。
「そうだ!あそこなら!」
太一は屋根に近い位置にある障子を開けた。そこはハシリニワの火袋とも呼ばれる吹き抜けで、炊事の時に発生する煙や熱を逃す天窓、その上に小さな屋根がある。言わば町屋の煙突だ。今、鴨川の星=お星と太一がいる二階奧の間と火袋の壁には太い梁(はり)があり、そこを伝っていけば逃げられるのではないか、と太一は思ったのだ。
噂では鴨川の星は剣だけではなく、身のこなしが軽業師のように敏捷だと聞く。よく京の街の町屋の屋根を駆けていく姿を目撃されてもいた。
「鴨川の星、あなたなら、あそこから逃げられるはずだ。あとは屋根伝いに。さあ!」
「ありがとう、何と礼を言えば良いか・・・」
「そんなものはどうでもいい。さあ、早く!」
鴨川の星は頷くと、壁の上の方にある小さな窓に身体を乗り出した。太一には大きな尻が見え、彼は一瞬喜んだことを恥じた。美しい尻だった。幸い、鴨川の星は太一の視線には気が付いていないようで、また、ハシリニワに新撰組はいなかった。太い梁に乗りかかり、ゆっくりと立ち上がった仮面の女剣士は柱に手をかけ、上に上がっていく。月の光が女剣士の身体の線を露わにした。そして、手が天窓にかかったとき、彼女の右こめかみあたりに小さな梁が引っかかった。
「あっ!」
ピンという音と一緒に、紅緋色の仮面が弾けて取れ、蝶のように下へと舞い降りていった。仮面は一階の土間に落ちていくと思いきや、風に乗ったように太一のそばに落ちた。
太一は手を伸ばして、それを掴んだ。仮面はとても軽く、太一が経験したことのない肌触りだった。
(これは、この目かずらのような仮面は一体何でできているのだろう・・・)
天窓のほうに目をやると、そこには素顔をさらした鴨川の星が呆然と下を見おろしていた。仮面が取れた鴨川の星は、白い顔を、それから円らな瞳を、憂いを帯びつつも輝かせていた。
「な、なんと美しい目なんだ・・・・」
仮面をはぎ取られ、女剣士は明らかに動揺していたが、外からは新撰組の声が聞こえてくる。
「土方先生、やはり、この家です。ここしか考えられません。血の跡もあります!」
「間違いないのだな!」
太一は一瞬外をうかがった後、天井の鴨川の星を見上げた。そして手を振って、早く逃げるように促した。鴨川の星は頷くと狭い、天窓にから外へと抜け出した。
次回へ続く
La Légende de Étoile de la Seine au Japon.
Elle s’appelle Étoile de la Kamogawa=Une femme Tenguh.
“Démasquée!vol1”
Suite la prochaine fois!