幕末のラ・セーヌの星 鴨川の星 快傑女天狗 作:koh1968
La Légende de Étoile de la Seine au Japon.
Elle s’appelle Étoile de la Kamogawa=Une femme Tenguh.
“Démasquée!”vol2
Quelque part en 1865 après JC.
A Kyoto à la finde la période Edo.
「確かにこのあたりに鴨川の星が逃げ込んだのだな!」
「はい、副長。間違いありません!」
「血が、あちこちに落ちています」
「よし、探せ、だが斬ってはならぬ。生け捕りにするのだ!」
「はっ!」
黒い隊服の羽織袴に身を包んだ新撰組副長土方歳三は猪熊通で隊士達に檄を飛ばした。歳三は髪を総髪にし、身長は五尺五寸一分(約167センチ)位の役者のような凜々しい顔をした男だ。
(最も、今夜女天狗鴨川の星を捕えれば、パレモンこと雨森晴門の手柄になるが・・)
遠くで犬の遠吠えが聞こえた。
(まぁ、致し方あるまい)
女ごときにこれ以上翻弄されれば京都守護職会津中将松平肥後守御預の新選組の沽券にかかわる。歳三は腕を組みつつ頷くと、何度か対峙したことがある女天狗こと鴨川の星の姿を脳裏に思い浮かべた。
『新選組副長土方歳三殿なら相手に不足はありませぬ!』
南禅寺三門前の石階段の下、月明りに照らされて抜刀し、叫んだ鴨川の星を歳三はまじまじと見つめたものだ。背は女としては高く五尺四寸から五寸(164~167センチ)くらいはあった。
銀色の星印が正面に縫い込まれた青い頭巾、紅緋色の目かずらのような仮面で眼の周りを隠された、透き通るような白い肌を持つ顔の輪郭、濃紺の身体の線を露わにさせた装束に身を包んだ上半身、顔同様に白さが露わになった太もも、黒い脚絆、いや西洋風の革のブウツを履いた引き締まった脹脛(ふくらはぎ)へと視線を泳がせた歳三。
反りの少ない大刀の柄を右腕でつかみ、左手で脇差を握り、左足を前に出し、肩幅ほどに足を開いていた。少し隙があるようだが、新選組を誘う計略であるとみた歳三。
二刀流は以前仮面の女剣士のために取り逃がした天堂晋助の影響だろうか。何度か対峙したが、以前に増して大胆となり、気迫が増したように見えた。
(女天狗こと鴨川の星・・・)
風が吹き、裏地が赤い黒の外套が靡(なび)いていた
赤い仮面で素顔は分からないが、長身だが思っていたより若くていい女であることは間違いなかった。年齢は二十歳前後だろうか。仮面の下の円らな瞳は強い意思を感じさせた。身体の線が露わになった衣装のおかげで、豊満な欲情を駆り立てる両の乳房、括れた腰つき、ふっくらとした太ももが悩ましくもはっきりしている。胸の先端は前に垂らされた濃い栗色の髪で隠されているのが残念だった。
(それにしても珍妙な格好だ。それにあの身体の線を露わにした軽そうな装束、生地は何でできている?)
濃紺で模様の無い、後世レオタードと呼ばれるものに酷似しているその装束は良く伸びるようで、下腹部にむけて左右から斜めに皺がはしっている。剣をさばいたときには伸びるのだろう。それに軽そうでもある。黒くて牛の皮で出来ているであろうブウツは、野を全力で駆けることができるし、外套は雨露、冬の寒さをしのげ、防具にもなる。
(身軽そうだ。天狗のように飛んだり舞ったりできるのもあの装束のおかげだろう)
今は事実上の京の非常軍事警察に甘んじているが、歳三は本来攘夷(外国を打ち払うこと)を第一の目的としている新撰組の副長ではある。それでも西洋の装束は理にかなっていると感心もした。
何年か後、歳三は髷と和装を捨て、西洋風の頭髪と洋服を身に着けるのだが、この頃の鴨川の星の装束が影響を与えたのかどうかは分からない。だが、その一因となった可能性はあるだろう。
(そして女だ。俺好みというわけではないが、とっとと始末して味見をしたいものだ)
鴨川の星の噂は京の街に轟いていた。新撰組だけでなく攘夷御用盗などで治安を乱す浪人、強欲な商人らを相手に剣を振るい、京雀たちからは義賊のように思われているようだ。それが歳三には面白くない。
(女のくせに生意気なやつだ!だが、それも今夜で終わりさ!)
歳三は歩きつつ叫んだ。
「逃すなよ!鴨川の星こと女天狗、今宵こそ引っ捕らえるのだ!」
フランス大革命の前夜、花屋の娘として育てられた美少女シモーヌはラ・セーヌの星と名のり、剣を取って戦った。シモーヌは、自分が王妃マリー・アントワネットの妹であることを知らないまま、その剣を弱き人々の為にふるった。
そして時代と場所は変わって幕末維新前夜、極東の島国日本の京。花屋の女主人お星(せい)も鴨川の星と名乗り、剣を取って戦う。
しかし彼女は、自分がシモーヌの曾孫であることと、後に徳川幕府最後の将軍となる一橋慶喜の妹であることを全く知らなかった。
幕末のラ・セーヌの星 鴨川の星 快傑女天狗
「落ちた仮面 Démasquée!」第二話
時は慶応元年(1865)八月十五日(太陽暦十月五日)の夜更けである。
鴨川の星こと女天狗が思わず逃げ込んだ猪熊通に面する町屋の二階。ここに住む襖絵職人であり、絵描きでもある若き男は、今は紅緋色の仮面で素顔を隠し、女剣士鴨川の星となっているお星(せい)の前を通り過ぎて、通りに面する虫籠(むしこ)の間の窓から外を伺っていた。
乗り板に乗り、絵絹に一心不乱に絵を描いていたので分からなかったが、その男は、鴨川の星が新選組に追われて、この家に逃げ込んだことを理解したようだった。
(いずれ新選組はここに踏み込むでしょう。そうなるとこの絵描きさんも捕まってしまう)
お星=鴨川の星はこの時知るよしもなかったが、男の名は太一と言い、元々は江戸の尾張徳川家の江戸勤番侍森家の次男として生まれ、長じて四条派の絵画を学ぶ為に京に上がり、今は襖に絵を描くことで生計を立てていたことは先述した。
太一がお星=鴨川の星の方を振り返ると、彼女は仮面の下の眼を一瞬閉じて狭い階段を下りようとした。
「ま、待ちなさい!今、降りていけば捕まりに行くようなものだ」
鴨川の星はそう言った太一に左手を掴まれた。その時太一の右手に女剣士の血が付いた。
「でも、あなたにご迷惑がかかると・・・」
「いや、何とかなるはずだ。今あなたを捕まらせてしまえば、京に生きる人々に顔向けできない!」
そう言って鴨川の星は奧の間に招き入れられた。太一はどこからか布を取り出してくると、傷ついた左甲に巻いてくれた。
「お優しいのね」
一瞬照れた表情になった太一が、外の障子を少し開き、母屋と蔵の間の庭に目をやった時、床の間に女の似顔絵のようなものがあった。西洋の人物像のように写実的に描かれているその女は、しもぶくれで受け口の典型的な京の女であったが、絵とはいえ描いた太一を信頼し、微笑んでいるかのようだった。
障子を覗いていた太一が首を左右に振った。母屋と蔵の間には新撰組隊士が行ったり来たりしているのだろうと鴨川の星には容易に想像できた。逃げ場はなく、今夜こそ最後だと覚悟を決めようとしていた時、東国の絵描きが言った。
「ここから飛降りればと思ったが、無理だな・・・」
太一は床の間と反対の壁を見た。鴨川の星もそこへと視線を走らせた。壁に小さな障子があった。
「そうだ!あそこなら!」
太一は屋根に近い位置にあるその障子を開けた。そこはハシリニワの火袋とも呼ばれる吹き抜けで、炊事の時に発生する煙や熱を逃す天窓、その上に小さな屋根がある。言わば町屋の煙突だ。
「鴨川の星、あなたなら、あそこから逃げられるはずだ。あとは屋根伝いに。さあ!」
今、鴨川の星=お星と太一がいる二階奧の間と火袋の壁には太い梁(はり)があり、そこを伝って逃げよと太一入っているのだ。鴨川の星はよく京の街の町屋の屋根を駆ける。家である花屋であり薬種商の楼蘭堂から鴨川の星の姿になって外に出るときは、ほとんど屋根伝いに走って、寺町界隈から出るのだ。
(何とかなるかもしれないわ)
鴨川の星は頷いてから言った。
「ありがとう、何と礼を言えば良いか・・・」
「そんなものはどうでもいい。さあ、早く!」
鴨川の星は頷くと、壁の上の方にある小さな窓に身体を乗り出した。大きな尻が太一に見えたかもしれないので一瞬羞恥を覚えた。太一の視線も痛かった。下を見ると幸いハシリニワ(台所)に新撰組の姿はなかった。
(いける!逃げられる!)
小さな障子から出た鴨川の星は、太い梁に乗りかかるとゆっくりと立ち上がった。彼女は柱に手をかけ、ゆっくりと上に上がっていく。月の光が洩れている天窓に手がかかった時だ。彼女の右こめかみあたりに小さな梁が引っかかった。
「あっ!」
ピンという音と一緒に、紅緋色の仮面が弾けて取れ、蝶のように下へと舞い降りていった。仮面は一階の土間に落ちていくと思いきや、風に乗ったように小さな障子から覗いている太一のそばに落ちた。彼は手を伸ばして、それを掴んでくれた。
せっかくここまで登ってきたが、仮面を取りに降りなければと思った時、障子から顔を覗かせる太一と目が合った。
(しまった!顔を見られたわ)
鴨川の星として戦う時は絶対に素顔を見られないよう、常に仮面をして気を付けていた。何度か新撰組等と戦って仮面を落したことはあったが、その時素顔を見た相手は必ず命を取っていた。
(この人を斬らねばならない?そんなことは・・)
もし今宵逃げおおせても、太一が新撰組に捕まり、鴨川の星の素顔を、お星としての人相を拷問などで吐いてしまえばどうなるか。
(私は終わってしまう。私のことを知る全ての人達も)
女剣士が動揺した時、外から新選組の声がした。
「土方先生、やはり、この家です。ここしか考えられません。血の跡もあります!」
「間違いないのだな!」
(あの声は副長土方歳三!)
『新選組副長土方歳三殿なら相手に不足はありませぬ!』
そう言って南禅寺の三門前で剣を交えたことを思い出す。あの時は辛うじて引き分けとなった。今戦えば危ないだろうと鴨川の星は思った。そんな彼女に太一は見上げて手を振って、早く逃げるように促していた。
(今は逃げなければ・・・)
鴨川の星は頷くと狭い天窓から外へと抜け出した。通りを新選組の隊士達が駆けている足音が聞こえたが、こちらには屋根の上の女剣士には気が付いていないようだ。先斗町(ぽんとちょう)で長州の天堂晋助と一緒に屋根上で恐らく幕府の手の者と思われる謎の敵と戦ったときも、彼らは気がつかなかった。
(大丈夫!逃げられるわ。絵描きさんのご厚意を無にしないためにも何としても逃げ切りましょう!)
空の月が黒い雲に隠れたとき、鴨川の星=お星は屋根上を北へと走り出した。
「土方先生、やはり、この家です。ここしか考えられません。血の跡もあります!」
最近入隊した若い隊士の声に歳三は頷いてから言った。確か村上喜十郎と言ったはずだ。
「間違いないのだな!」
「はい」
そう言うと村上は引き戸に手をかけて緊張気味に叫んだ。
「ご、御用改めである。会津中将松平肥後守様御預新撰組である!」
歳三が中に入ろうとしたとき、馬の蹄の音が南の方から聞こえてきた。それは雨森晴門(あめのもりせいもん)、会津藩主京都守護職松平容保によって取り立てられた西洋軍学者で、最初の任務として女天狗鴨川の星捕縛作戦「赤塚の富士」を参謀格ながら事実上執っているのである。ちなみに赤塚の富士とは、雨森が生を受けた江戸近郊板橋にある赤塚諏訪神社にある駿河国の富士山に似た富士塚から来ている。富士塚は富士山に登って拝むのと同じ御利益があると言う。
雨森晴門、詳しい経歴は不明だが、江戸近郊の板橋宿で植木屋の四男として生まれ、成長して西国の石州(今の島根県)津和野藩の蘭方医林某に弟子入りをし、その後長崎に留学して西洋軍学を学んだらしいと言うことは局長近藤勇以下新選組の幹部は知っている。
とにかく雨森晴門は駄馬に乗ってやってきた。西洋風のつばのついた奇妙な帽子、後に山高帽と呼ばれるそれを被り、紺色の着物と袴に趣味の悪い赤色の羽織を羽織っている。身長は四尺七寸(約142.4センチ)で小太りの男だ。
後ろには従者の可児半五郎が同じく駄馬に乗っている。歳三は舌打ちをした。
「土方先生、このあたりに追い込んだのですかな」
「そのようですな」
「天晴れ!さすがは新選組、いや土方先生!」
天晴れが口癖で天晴晴門、転じてハレモンとかパレモンが新選組隊内ではあだ名されている雨森は、そう言うと可児とともに馬を下りた。
「では入りますかな、パ、いや雨森殿」
「パレモンでも結構ですぞ。そう呼ばれていることは承知しております。ハッ、ハッ!」
歳三は村上にここで待つように指示をし、雨森と可児を誘って太一の町屋へと入った。土間には所々血が落ちている。暖簾をくぐり、ハシリニワ(台所)にでると棚の上に「せいちう」と平仮名で書かれた紙が貼られた壺があった。壺には焼酎が垂れていて、つい先ほど誰かが壺から焼酎を出したことが分かる。土間も少し濡れていた。
歳三は自身が二条城近くの堀川通で長州派と思われる敵と斬り合った時、逃げ込んだ町屋で傷を焼酎で消毒したことを思い出し、女剣士がここで傷を消毒したと考えた。
吹き抜けの高い天井を見上げると、どこからともなくあまり嗅いだことがない匂いがしてきた。鼻をヒクヒクと動かした雨森が言った。
「これは絵の具の匂いですな」
新選組の副長土方歳三と雨森晴門そして可児半五郎は土足のまま、ミセニワにあがり、狭い階段をゆっくりと二階へと上がっていった。
「絵の具の匂い、そして獣のような臭いに、柑橘の香りもしますな」
歳三の後ろの雨森は言った。そう言えば、以前対峙した時、鴨川の星は身体から汗の匂いに交じり、橘の花を思わせるお香の匂いと獣肉のような匂いがした。女天狗だから獣肉を食べるのか、と思ったものだ。
歳三は知る由も無く余談となるが、鴨川の星ことお星が天辻平七郎のもと鞍馬の山奥で剣の修行に明け暮れた頃、鹿や猪などの獣肉を好んで食べたのである。そのせいもあって彼女はこの時代の女としては長身の五尺五寸(約百六十五センチ)までに成長した。
二階に上がりきると畳六畳の「次の間」だ。その向こうにも六畳の奧の間があるが、襖(ふすま)は開き、行灯の明かりが漏れていた。よく見ると次の間にはたくさんの錦絵が散乱したり、壁に貼られたりしていた。
一枚分開いていた襖を覗くと、そこには大柄の男がいて、乗り板に乗り床に置かれた絵絹に何やら絵を描いている。花の絵だった。それは西洋の花ロセ、薔薇だったが、この時代その名はまだ知られていない。歳三も一度訪れたことがある寺町錦小路上ル円福寺町にある花屋であり薬種商でもある楼蘭堂には木桶にそれら西洋の花が活けられていた。そこの女主人お星は笑顔で花を歳三に勧めてきた。身長五尺四寸から五寸くらいの背が高いはんなりした女だったことを歳三は思い返した。
そして今絵描きの男が描いている絵は西洋画に見えた。髷を結わず、縮れた髪を肩まで垂らした男は京雀たちが恐れおののく新撰組の鬼の副長がいるとも知らず、一心不乱に花を描いている。
(いや、気づいているはずだ。と言うよりも俺ンが来るのを予期していたな)
やがて気配に気づいたのか、気づいたふりをしたのか分らないが、彼は後ろに振り返った。持っていた筆を置くと立ち上がって言った。歳三よりも長身で五尺八寸(176センチ)はあった。顔つきからして武家の出と思われたが、剣の覚えはないに等しいと見た歳三。
「な、何の御用でしょうか」
「ここに女が逃げ込んだはずだ。仮面をした女の剣士、お前も知っているだろう女天狗鴨川の星だ」
「か、鴨川の星・・め、女天狗・・あ、ああ、瓦版に書かれていましたね」
歳三の後ろにいた雨森が身体を乗り出してきた。
「ここに来たはずだ。お前さん、気が付かなかったのかね」
「さ、さあ、私は絵描きで、一心に絵を描いていたものですから・・・」
歳三は鯉口を切り、腰の和泉守兼定を抜くと絵描きの男、太一に切っ先を向けた。
「小僧!嘘を言うと為にならんぞ。俺ン言う事が分かるなッ?」
「ほ、本当に知らないのです!」
太一が身体を震わせて答えたとき、外で声がした。
「女天狗だぁあ!鴨川の星がいたぞおおお!」
歳三は大刀を鞘に納めると、後ろを振り返った。階段の下から歳三を呼ぶ村上の声がしたからだ。
階段を降りようとする土方歳三はパレモンこと雨森晴門が付いてこないことを訝(いぶか)しんだ。
「雨森殿?」
「土方先生、私はもう少しここにいます。絵が好きなものでしてなあ」
「勝手にしろ!」
捨て台詞を吐いて、歳三は階下へと消えた。
「鬼の副長土方歳三、怖かったでしょうな。名は?」
「た、太一と言います」
「江戸の方ですな。まあ、絵の続きをどうぞ」
太一は安心したように膝を床の畳につくと身体を屈ませて筆を持った。そんな様子を見まもる雨森の眼が光った。
実は彼は、床の畳上に散乱する絵の間に赤いものを見つけていたのだ。それは鴨川の星=お星が落としていった仮面だった。また、絵のほとんどは花や草木、山や川などの風景画だが、人物を、それも女を写実的に描いたものもあったことを雨森は把握していた。
「私も絵が好きでしてなあ。それも西洋画です。軍学を学んだ肥前長崎では絵も勉強しようとしたのですがなあ、いっこうに上手くならないのでやめてしまったよ」
雨森は絵を覗き込むようにして言った。
「うまいものですな、天晴れ!」
屈みこむ太一の頬に冷や汗のようなものが流れていた。
「だが、あなたは嘘をつくのは下手ですな」
そう言うと、雨森は絵と絵の間に挟まっていた紅緋色の目かずらのような仮面を取り出した。
「これは何ですかな?」
「そ、それは・・・その!」
「ふふふ、可児!この男を縛り上げろ!女天狗鴨川の星を匿い、逃がした疑いがある。お縄にさせてもらう!」
「ま、待ってください!な、何のことかさっぱり」
雨森は脇差を抜いて、太一に突きつけた。
「話は屯所で、いや、私の役宅で聞かせてもらうよ」
絵描きの太一は彼よりも小さい可児に両手首を後ろ手に縛られた。眼を閉じてうなだれているので実際よりは小さく見えてしまう。新撰組に捕まった者は過酷な拷問にさらされるとの噂だ。弱き者を助ける仮面の女剣士を助けたことに後悔はないが、太一は自らに迫る過酷な境遇に恐怖した。
雨森は鴨川の星が落としていった紅緋色の仮面を両手でつかみ、重さと肌触りを確かめた。
「それにしても軽い。そして不思議な肌触りだ。一体なにで 出来ているのか・」
雨森はこの仮面を手に入れたことを、素顔を見たかもしれない絵描きの男を虜にしたことを新選組局長近藤勇副長土方歳三ら幹部達には内密にすることとした。
猪熊通に立ち並ぶ家々の瓦屋根の上を、人の影が軽やかに且つ力強く跳びながら北向きに動いていく。今夜は望月だが、今は雲に隠れているために姿ははっきりとは見えないが、その影はあきらかに女である。
その女は勿論お星こと鴨川の星であったが、いつもとは違っている。正面に星の印を縫い込まれた濃紺の頭巾を被り、腰まで伸びた栗色の髪は首の後ろで藤色の小帯で結ばれている。身につけているのは着物ではなく、身体の線がくっきりと露わになり、豊満で形のよい両の乳房とそれが形作る峡谷、腰の括れが目立つ、この時代にはあり得ないかのような濃紺の装束、後世レオタードと呼ばれるものだ。さらに裏地が赤くて黒い外套、マントをまとっており、それは跳躍のたびに風をうけてひらひらと舞う。膝から下は黒色の革長靴、ブーツを履いていて、膝から上は白い太股が露わになっている。そしてその身長はこの時代の女性としては大柄で五尺五寸(164~165センチ)くらいある。ここまではいつもと同じである。
だが、今夜は、彼女を最も特徴づける紅緋色の仮面が顔になく、透き通るような白い肌の素顔を完全にさらしている。円らで涼しげ且つ優しさと知恵を兼ね備えた瞳、鼻筋がとおった高い鼻、赤玉色の下唇が少し前に出た艶っぽい口を知っている人が見れば、京の寺町錦小路の花屋であり薬種商でもある楼蘭堂の女主人お星こと下川星だと容易に分るだろう。仮面は新撰組の追っ手から逃れる途中、絵描きの太一の家で落としてしまったのだ。
鴨川の星は寺町通り沿いの家々の屋根から屋根へとまるで鳥のように飛んでいく。いや、彼女は鴨川の女天狗とも呼ばれるが、まさに天狗と言えるかも知れない。外套を翻(ひるがえ)しながら、人が歩いたり走ったりするには不安定な瓦屋根の上を、彼女は小さな歩幅で音を立てぬよう駆けていく。所々屋根の上に火の見用の櫓があるが、それを巧みにかわしていくのだ。
屋根の切れ目に掛かると速度を速めて一間(約1.8メートル)ほど跳躍する。そして路地や小さな通りのあるところでの屋根の切れ目は二間ほどあるが、それも軽々と跳躍し、瓦の上に「着地」する。
瓦にかかる体重で割れてもおかしくない状況だが、屋根上を駆けることに慣れているのか、そのようなこともない。そうこうしているうちに鴨川の星は三条通りに達した。これ以上北に向かえば、京風に言って上がっていけば、京における徳川将軍の居城二条城の堀に達してしまう。警戒も厳しくなるだろう。三条通りを東へ行けば、お星の家でもある楼蘭堂がある寺町通に達する。
(ここで降りましょう!)
そう思って仮面を付けない鴨川の星が三条通へと舞い降りて、ブーツの踵が地に達したとき、龕灯(がんとう)の明かりが彼女を照らした。
「何者だ!」
新撰組の隊士らしい男の声がした。聞き覚えのある声だった。彼は横にいるもう一人の隊士共々ベレー帽の下、右手で光を遮ろうとした女剣士の素顔を彼は見てしまった。
「め、女天狗、か、鴨川の星!そ、その顔は、は、花屋の・・・」
驚愕している隊士の表情がはっきりと見えた。名前こそ知らなかったが、楼蘭堂に花を買いに来てくれたことが何度かあった隊士だった。内緒にして欲しいが馴染みの島原の女に贈りたいと恥ずかしげに語っていたのを思い出した鴨川の星は、腰の刀長二尺三寸五分(約71.5センチ)の反りがない大刀陸奥守吉行に手をかけた。
(殺したくはない、でも素顔を、正体を知られた以上、仕方が無いわ)
だが、彼女が手をかけるまでもなかった。風を切る音がするとともに矢が飛んできて、二人の若き平隊士二人の左胸を貫いたのだ。ドサリという音とともに二人は驚愕の表情のまま前向きに倒れて絶命した。
「ひどいことを・・」
鴨川の星はつぶやいた。彼女が油小路通りを六角獄舎へ護送されていた三人と共に西小路を抜け、四条通りに達しようとしたとき、久留米藩屋敷から矢が放たれ、一番後ろを走っていた小倉藩脱藩浪士小林某の背中から心臓を突き刺した。その時は新撰組か会津藩の手の者の仕業と思ったが、別の敵の仕業だと直感したのだ。
「ひどいだと?我らが手を出さねば、貴公が斬っていたはずだろう」
黒い雲が晴れ、月の光が辻を照らしたとき、男の声がした。
仮面をしていない鴨川の星は声の方向を見た。三条通に面する町屋野屋の上に忍び装束のような男が二人、身体の線から女と思われる者が一人居たのだ。
「さ、山岳党!」
三人は三条通に飛び下りた。
「覚えていてくれたようだな、鴨川の星よ。いや、仮面をしていない貴公、お星殿と呼ぶべきかな。約束通り戻ってきた。今度、会うときは貴公が我が同志となる時と言った」
頭目らしい男は言った。忍び装束の背中には編み笠が背負われてあった。彼は何度か鴨川の星と剣を交えた。女は市と名乗っていた。
山岳党とはかつて、一年半ほど前元治元年(1864)の春、下天党なる下部組織を使い、京や大津で攘夷御用金を働かせるなどして世を騒がせた徒党だが、その詳細は分らない。だが、一時、鴨川の星=お星は醍醐の山奥にある山岳党の隠れ家に捕われたことがあるし、松尾社の前では下天党の幹部熊田安兵衛を斬殺するところに居合わせもした。彼らはお星=鴨川の星に対し、仲間になれと言って漆黒の仮面を渡したのだ。今でもその仮面は楼蘭堂のお星の部屋に置いてある。
「仮面ならここにある。さあ、これをつけて我らの同志になれ。ともにこの国の為に戦おうぞ」
山岳党の首領らしい編み笠の男はあの時と同じように言った。
「お断りします!」
鴨川の星は声を荒げて、大刀の柄に手をやった。
「そう言うと思っておった、市、あれを」
続けて市と呼ばれた女が進み出てきて手を差し伸べた。手のひらにはあの時と同じ漆黒の仮面があった。顔につけると自分が自分でなくなってしまう恐ろしい仮面だ。
「鴨川の星、いやお星どの。行きましょう。我らと共に戦いましょう。山岳党は男も女もない。力ある者が思う存分戦えるところです。さあ!」
鴨川の星はお市の手を払いのけてかぶりを振った。編み笠の男はさらに何かを言おうとした市に手をかけて制止した。そして言った。
「まだ、その時ではないようだな。今宵は引き下がるとしよう。幸い、ここから東、三条通は隙がある。急いで逃げられるがいい。だが、我らはいつでも貴公を待っておる」
そう言うと山岳党の三人の男女は屋根に飛び上がり、月が雲に隠れると同時に姿を消した。黒い革長靴を履いた鴨川の星=お星の長くて白い脚が微かに震えていた。
足下には彼らに殺された新撰組の二人の隊士が動かないでいる。山岳党が鴨川の星の下に現れなければ、二人を倒していたのは自分であり、手を下さずにすんだとの安堵と後ろめたさ、自分を仲間に加えることを諦めない彼ら山岳党への恐怖がない交ぜになって鴨川の星の心を乱した。
「駄目。気持ちを切り換えなくては」
鴨川の星はマントを翻し、身体を東の方へと向けた。
「ここから寺町錦小路の楼蘭堂までは半里(約2キロ)はある。急がないと・・」
その時、南の方向から声がした。
「いたぞおおお!女天狗だぁあ!鴨川の星だぁ!」
新選組の追手だ。鴨川の星は三条通を東へ駆け出した。堀川を越え、稚児薬師の前を通ったころ、馬の蹄の音が聞こえて来た。油小路通の辻で止まった鴨川の星は、愛馬白梅が、楼蘭堂に住み込んでいる少年、ダントンこと団子鼻の屯太の手綱でこちらへ駆けてきたのだ。厳しい表情を少し緩めると彼女は油小路通を駆けだした。
「鴨川の星!遅うなってかんにんやでぇ!」
十三歳の少年屯太は鞍上から叫びつつ手を振った。鴨川の星は頷くと跳躍をし、宙で一回転すると白梅の背中に舞い降りた。
「助かったわ、だんとん!」
屯太に変わって手綱を持った鴨川の星は、愛馬を三条通の東に向けた。「誠」と書かれた提灯を持った男達が辻に現れたので、女剣士はマントの裏から星の形をした銀色の手裏剣を投げつけ、提灯を持つ隊士の右手首に投げつけた。続けて横にいた抜刀しようとしていた隊士にも手裏剣を投げつける。
彼らの絶叫を後にして、二人を乗せた白馬は鴨川の方向へと駆け続けた。
「おせ、いや、鴨川の星!仮面は、仮面はどうしたんや?」
「誤って落としました」
「落としたやってえ。顔、見られへんかったんか?」
屯太の問いには答えずに視線をまっすぐ東へと向けた。
(あの絵描きの方、何もなければいいけれど。今夜は危なかった)
新選組副長土方歳三を呼ぶ声、彼自身の声も聞こえた気がした。鴨川の星は命の恩人の無事を祈りつつ手綱を持ち続けた。
次の日、八月十六日(太陽暦十月六日)。巳の刻昼四つ(午前十時くらい)。
「おおきにどした!また来ておくりゃす!」
菊の花を抱えて、暖簾をくぐった商家の隠居らしい老人にこの時代としては長身の女がお辞儀をして見送った。笑顔で、と言いたいところだが、表情は曇っている。ここは寺町錦小路上ル円福寺前町。「花卉薬種取扱ひ楼蘭堂」の看板の横で女は顔をあげた。深緑色の桜の花が描かれた小袖に前掛けをしていている姿を、寺町通りを歩く人々は微笑んで見ていた。前掛けの上に重ねられた両手のうち、左手の甲のあたりには怪我でもしたのか“さらし”が巻かれている。
彼女の名はお星。本名は下川星。年齢は二十歳(満年齢十九歳)でここ楼蘭堂の若き女主人である。寺町通を行きかう誰もが彼女が女天狗とも呼ばれる謎の仮面の女剣士鴨川の星だとは夢にも思わないだろう。左手の甲の傷は昨夜の新選組との戦いで受けた傷だ。
「お星はん、手ぇどないしはった?それに顔色も悪おすなあ」
「へえ、ハサミの先できりつけてしまいましてなあ」
「相変わらずやなあ。まあ、気いつけえなあ」
そんな会話を客や通行人とかわすお星には気になることがあった。
(昨日の絵描きはん、ほんまに大丈夫どしたやろうか)
お星の顔は面長で肌は雪のように白い。眼は円らで涼しく且つ優し気で、睫毛は長い。鼻は高くて唇は艶っぽく、下唇が少し前に出ている。彫りが深い顔立ちだが嫌みのない艶やかな雰囲気を放つ。栗色の髪はつぶし島田に結われていた。いつもほがらかな美しい顔を、先述したように、今日は朝から陰気な表情にして思案をしていた。
(新選組は、副長土方歳三は、あの後間違いなくあの家に踏み込んだはずや、それと・・・)
お星は両手をこめかみに当てた。昨夜、絵描きの太一の家から逃げるとき、紅緋色の仮面の縁を梁(はり)に当ててしまい、落としてしまったことが悔やまれる。仮面は太一が掴み、取りに戻ろうとするお星=鴨川の星に早く逃げるよう促した。新選組が太一の部屋に入った時に仮面が見つかれば、幕府にたてつく女剣士の逃亡を助けたとして罰せられるかもしれない。
(それと絵描きはんは、あての顔を見はった。どんな顔しとったんやと鬼の副長土方はんに責められたら、拷問にでもかけられたら・・・)
ガラリと戸が開き、反射的におこしやすぅと言ったお星が水の入った手桶を土間に落とす。
『鴨川の星こと楼蘭堂の主人お星!会津中将松平肥後守様御支配新選組である神妙にいたせ!』
たちまち踏み込んできた黒い隊服の新選組隊士達に両手を縛られ、土方の冷酷な顔がお星の視界に入った、
と言った光景がお星の頭によぎった。
「お星ちゃん、心配してもしゃあないで。今は店をやろうや」
「へぇ、そうどすなあ」
お星は屯太に感謝しつつ気持ちを切替えるのだった。
牛の刻昼九つ(正午十二時)を過ぎたころ、お星は屯太と軽く食事を済ますと店を屯太らに任せ、風呂敷を持って外に出た。大宮錦小路の辻付近にある休務寺に所用があって向かったのだ。そこは昨夜、お星が鴨川の星として新選組を相手に戦った場所にほど近い。
(あの絵描きはんがどうなったのか、あて自身の眼で確かめまひょ)
そう思ってお星は錦小路通を西に向かった。着物の裾が足を制約する。鴨川の星の装束ならもっと早く走れるのに、とお星はもどかしかった。
お星が堀川通と錦小路が接する辻、津藩藤堂左近衞権少将の屋敷のそば(昨夜近藤勇がいきり立っていた場所でもある)まで来ると、そこに顔なじみの男がいた。紐眼鏡をかけた小柄な男、瓦版を作って売る読売の修郎だった。ちなみに修郎は、元は江戸の御家人波多野家の三男で、お星の鴨川の星としての初陣に遭遇し、
「天晴れ 痛快也 鴨川之女天狗」
との見出しで瓦版を売り出した読売だ。その瓦版は売れに売れたという。
「あ、修郎はんやわ、しゅ・・・」
お星が修郎に声をかけようとした時、思わず言葉に詰まった。彼は堀川に架かる小橋の上で若い女と話していた。女はお星が知らない顔だったが、彼女は「知っていた」。
しもぶくれで受け口の典型的な京の女、太一の部屋にあった似顔絵に描かれていた女だった。女は修郎に礼を言ってお辞儀をすると堀川通を南へと駆けて行った。お星は橋の欄干に両手を置く修郎に駆け寄った。
「修郎はん!若い娘はんと何をしゃべってはったん?隅におけまへんなぁ」
「ああ、お星ちゃん。そんなんじゃないぜ。あの娘はおしんちゃんと言ってなあ。襖に絵を描く職人の太一といい仲なんだがぁ、あ、太一も俺と一緒で江戸育ちの元二本差し(元武士)でねえ、何でも昨日、このあたりで我らが女天狗鴨川の星と新選組との大捕り物があってさ」
絵描き、鴨川の星、新選組と聞いて、お星の太ももあたりがキュッと締まった。
「何でも太一は鴨川の星の逃走に手を貸したとかで、新選組にお縄になったって話だぜ」
「え!新撰組に!」
そう言ってお星は思わず、風呂敷を落した。
「ありゃ、お星ちゃん、大丈夫かい?それに何か顔色も悪いぜ」
修郎は風呂敷を拾い、お星に渡した。
「へえ、おおきに。な、何でもありゃしまへん。で、その絵描きはん、太一はんて言うんどしたかいなあ、太一はんは、その・・」
「ああ、おしんちゃんは西本願寺の新撰組の屯所にまで行ってくるそうだ。もし、本当に壬生浪に捕まっていたにしても、会わせちゃくれねえだろうがなあ。そうだ、鴨川の星と新選組の大捕り物、おいらと三次郎で作る瓦版に書くからを楽しみにしておいてくれよ」
修郎は取材をしていたのだろう。お星は手を振って西に歩いて行く修郎を見送ると不安な気持ちを抑えようとするかのように風呂敷をギュッと胸に押し付けた。
一方西本願寺境内にある新選組屯所にたどり着いたおしんは太一のことを聞くも、何も知らない隊士達はおしんを相手にせず、追い返そうとしていた。
「太一はん、太一はんに会わせておくりゃす!」
「そのような者はおらぬ。帰れ帰れ!」
「おたの申します、太一はんに・」
「どうしたンだぁ!」
隊士二人とおしん達に声をかけたのは副長土方歳三だ。
「襖絵描きの太一?知らんなあ」
歳三は言い、おしんはさらに落胆した。
「む?待てよ。ひょっとすると・・・」
歳三はおしんを花屋町通りに面するある町屋へと案内した。そこは雨森晴門が役宅として借り上げている建物である。
土方がおしんを連れてトオリニワを通り、奥の蔵に行くと、そこには背の高い男が両手を縄で縛られ、吊るされていた。着物は脱がされ、褌一枚の男は雨森が持つ鞭に打たれたのか、全身傷だらけだった。
「太一はん!太一はん!」
おしんは脇目もふらず太一に駆け寄り、彼の足にすがると嗚咽し始めた。おしんに気が付いた太一は目を開け、かろうじて微笑んだ。そんな様子を見ていた歳三は一瞬だけ雨森をみやると、身体の向きを変え屯所に戻って行った。
従者の可児半五郎が、歳三が町屋から出たことを確かめると、雨森は鞭を両手で伸ばしつつ言った。
「ふふふ、太一!こんなに可愛い娘に慕われているとはな・・・」
「た、頼む、おしんちゃんは関係ない。な、何もしないでくれ!」
「ふふふ、何も言ってないが、私の考えは分かっているようだな」
「お前は女天狗鴨川の星の素顔を見た、そうだな?」
おしんが顔を上げ、太一を見上げた。
「やっぱり、そうやったん?太一はん、鴨川の星はんを匿おうて・・・」
「し、知らぬ!俺は知らん!」
「では、これは?これはなんだね?」
雨森は懐から紅緋色の目かずらのような仮面を取り出した。鴨川の星が落としていった仮面である。
「そ、それは・・・・」
「おまえは絵師だ。元は尾張徳川家の江戸勤番侍森家の次男で、四条派の絵画を学ぶ為に京に来た。そして今は襖に絵を描くことで生計を立てているが、独自に西洋画も学んでいる。似顔絵も得意だ」
可児が紙を持ってきた。そこには色は塗られていないが、おしんの似顔絵が描かれていた。鏡に映したようにそっくりだった。
「ふふふ、鴨川の星の似顔絵を描くのだ。さもなければ、この娘に傷がつくこととなる」
おしんはハッとして雨森を見上げると、太一から離れ、蔵から出ようとしたが、可児に両肩を掴まれた。離しとくりゃす、との叫びが蔵の中に響く。
「頼む、おしんちゃんは関係ない。何もしないでくれ!」
「何もしない。ちゃんと返してやる。お前が鴨川の星の顔を、京を騒がす謎の仮面の女剣士の顔を書いてくれさえすればな」
太一は口をキュッと締め、おしんの方を見てから眼を閉じ、しばらく考えていたようだったが、やがて眼と口をゆっくりと開けた。
「描きます。鴨川の星の似顔絵を、書きます、だから・・」
「よおし、可児、降ろしてやれ。それと水を飲ませてやれ。昨日の夜から何も口にしていないからな」
着物を着せられた太一は蔵からだされ、町屋の居間に通された。そこにある文机にある白い紙に向かって、太一は筆を走らせた。小半刻(約三十分)が過ぎようとしたころ、太一は筆を置いた。雨森は絵を取り上げた。
「ほう、これが鴨川の星の素顔か・・・」
そこに書かれていたのは星印が縫い込まれた頭巾をかぶり、髪を後ろに流し、一部はもみ上げから前に垂らしていた女だ。細面の顔に円らな瞳、細い眉と長い睫毛、筋が通った高い鼻、下唇が少し前に出た艶やかな口、京に多い顔ではないが美しい女がそこに描かれていた。
「美しい女だ、だが、これだけではだめだ。全身像も描け!」
さらに小半刻が過ぎたころ、太一は鴨川の星の全身像を描き上げた。それを見て雨森と可児は息を飲んだ。背は女としては高く五尺半(165センチ)くらいはあるように見えた。星印が正面に縫い込まれた頭巾、透き通るような白い肌を持つであろう顔の輪郭、大きな瞳、身体の線を露わにさせた装束に身を包み、外套を羽織った上半身、露わな引き締まっているがふっくらとした太もも、黒い西洋風の革長靴へと二人は視線を泳がせた。
刀を持っているかのように右手を開け、左手、左足を前に出し、肩幅ほどに足を開いている。左手の甲には布が巻かれていた。怪我をして止血をしたのだが、律義な太一はそこまで正確に描いてしまったのだ。
「やはり怪我をしていたのか。それとまるで西洋の女のようだ。鴨川の星は西洋人の血をひいておるのか」
背が低い雨森は長身の女剣士の全身像に嫉妬し、征服欲に駆り立てられた。そしてもう一度、顔を描いた紙を取り上げてまじまじと見つめた。色がついていないにも関わらず、その美しさ、艶っぽさに思わずため息が出る。おしんも鴨川の星の素顔を見て大きく口を開けている。
「でかしたぞ、太一!」
「では、おしんと私を御解き放ちくださいますな」
「駄目だ!」
「な、何故です。ちゃんと描いたではありませぬか!」
「この絵をもとに京の街に出て、市井の女として過ごしている鴨川の星を見つけ、ここに連れてくる。そして太一、お前に引き合わせる」
「な、何と・・」
「そして本物の鴨川の星と断じることができたら、お前たちを自由にしてやる!」
「そ、そんな!」
雨森晴門はもう一度、鴨川の星に似顔絵をみつめ、ため息をついた。
「ふう・・・」
鏡に映る自分の姿を見て、お星はため息をついた。そこには島田に結った濃い栗色の髪、白粉(おしろい)を塗ってはいるが、円らだが涼しい眼、筋の高い鼻、やや前にでた下唇が見えた。正確にはお星ではない。鏡に映るのは祇園の置屋光善に籍を置くが、めったにお座敷にでないので幻の芸妓と言われている花星(かほ)であった。お星のもう一つの顔である。
「どないしはったんや花星姉さん・・」
そう声をかけてきたのは同じ置屋の芸妓墨染(すみぞめ)だ。彼女はお星、いや花星の肩に手を置き、優しく言った。花星は新選組に捕まったらしい絵描きの太一のことが心配だったのだ。さらに彼によって自分の正体が露わになるころも恐れていた。
「今夜のお座敷が最後かもしれまへんなあ・・」
「な、何を言うてますの姉さん。お母さんは花屋はやめて芸の道に専念してほしいと思ってはりますんぇ、そんなせっしょうなことを・・」
「違いますぇ。今日が最後になっても悔いのないよう、一所懸命に踊らんとあきまへんなあ、そういう意味どす」
墨染は、花星は花屋であり薬種商でもある楼蘭堂の女主人お星であることは知っているが、彼女が芸妓や舞妓の間でも評判の女剣士鴨川の星であるとは夢にも思っていない。お座敷のあと、鴨川の星に危ないところを助けられ、その直前に花星姉さんが姿を消したことも何の疑問も抱いていなかった。
「なんや、そうどしたか。うちぃびっくりしましたわ」
七つ半(午後五時)、化粧と着替えを終えてお座敷へと向かう時間となり、置屋光善から芸妓の深草、花星(かほ)、墨染、舞妓の小藤、小森、三味線などが入った箱を運ぶ男衆(おとこし)の文助が出た。
女達の着物は黒の紋付きだが、芸妓の三人の帯は太鼓帯に留袖、舞妓の二人はだらり帯髪に振袖、髪には花簪をつけているから見分けは容易だ。顔同様白粉を塗ったうなじが露出していて街を歩く男達の目を誘っていた。その中に雨森晴門と可児半五郎の姿もあった。
「む、あの前から二人目の芸妓・・・」
島田に結った濃い栗色の髪、白粉(おしろい)を塗ってはいるが、円らだが涼しい眼、筋の高い鼻、やや前にでた下唇が見えた。そして背丈は五尺半くらい。そして左の甲にはさらしのようなものを巻いている。
「あの芸妓ではないのか、祇園の芸妓が鴨川の星!」
人混みのなかに置屋光善の芸妓と舞妓たちの姿が消えた。だが、雨森は焦っていなかった。
「ふふふ、これは思ったよりも早く見つかるかもしれんなあ。待っていろよ鴨川の星!」
ほどなくして、何も知らない幻の芸妓花星は剣舞のような踊りを、舞妓たちが奏でる三味線の音に合わせて踊りつづけるのであった。京の夜は過ぎていく。
La Légende de Étoile de la Seine au Japon.
Elle s’appelle Étoile de la Kamogawa=Une femme Tenguh.
“Démasquée!”vol2 À suivre!
「落ちた仮面 Démasquée!」第二話 続く!