幕末のラ・セーヌの星 鴨川の星 快傑女天狗   作:koh1968

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鴨川の星、初陣の話です。
1862年、文久二年、まだ新選組は誕生していません。
アニメ『ラ・セーヌの星』第五話「ラ・セーヌの星」に相当します。
以前pixivに投稿したものを修正したうえで投稿します。
よろしければおつきあいください。


鴨川の星誕生

La Légende de Étoile de la Seine au Japon.

Elle s’appelle Étoile de la Kamogawa=Une femme Tenguh.

``Première mission de Étoile de la Kamogawa``

 

 時は文久二年(1862年)弥生三月十四日(太陽暦四月十二日)山城国京。

 夜更けの京を十三夜月に照らされて走る白馬、乗っているのは異形の女だ。銀色の星印が正面に縫い込まれた頭巾、後世にベレー帽なる名で呼ばれるものを被り、頭を守っている。栗色の髪は、長くて首の後ろで帯にてくくられているが背中まで伸びていて、今は風にのって後ろに流れている。着ている装束は豊かな胸乳の形、腰のくびれが露わになっており、後の世にレオタードなる名で一般化するものである。袖は長く、頭巾同様濃紺の不思議な生地は腰の付け根までしかなく、白い太ももを風にさらしている。鐙(あぶみ)にかかる足は黒の長い西洋風の革長靴を履いている。そして裏地が赤い黒の外套、つまりマントを羽織っていて馬の速度から身体が冷えるのを守っているが、それは髪同様、風になびいていた。

 見るからにこの時代の日の本にそぐわない異形の成りだが、それをもっとも特徴づけるのは白い瓜実の顔の上半分を隠す、肌に張り付いた紅緋色の目かずらのような仮面だ。その仮面の奥の円らな鳶色の瞳は涼しいが、強さと優しさを兼ね備えている。鼻はスラリとして高く、その下の薄桃色の下唇は少し前に出ていて、微笑むときは優しくなるが、相手を蔑(さげす)む時はとことん冷たくなりそうな口元だ。その口から言葉が漏れた。

「早く行かなければ!白梅(はくばい)、頑張って!」

 馬の名は白梅と言うらしい。女は艶っぽい声で愛馬を励ました。女の腰には藤色の帯が巻かれていて、大小の刀がさされている。そう、彼女は女でありながら刀を振るう剣士なのだ。そう言えば長い袖の下の腕は筋肉質で、一見ふっくらとした太ももも引き締まっているではないか。

 遅い時間ゆえに町行く人はほとんどいないが、それでも時折、千鳥足で歩く酔った男、街角で春を売る辻君と呼ばれる娼婦たちは、驚いて彼女を避け、茫然と見送った。

 彼女は「鴨川の星」または「鴨川の女天狗」という通り名で後に京雀たちの喝采を浴びることになる女剣士だが、この日が「初陣」であった。

 

 幕末のラ・セーヌの星 鴨川の星 女天狗

「鴨川の星誕生」

 仏蘭西大革命の前夜、花屋の娘として育てられた美少女シモーヌはラ・セーヌの星と名乗り、剣を取って戦った。

 そして時は流れ、極東の島国日本、幕末維新前夜の京。花屋の若き美しい女主人お星(せい)は鴨川の星と名乗り、剣を取って弱き者の為に戦う。

 だが、彼女がシモーヌの血を引くことと、後に徳川幕府最後の将軍となる一橋慶喜の妹であることを、全く知らなかった。

 

 空に十三夜月が輝くなか、一人の若い女が鴨川から賀茂川へと名を変えたせせらぎの上にかかる葵橋を渡ろうとしていた。橋を渡れば下鴨村であり、糺(ただす)の森、下鴨社がある。

 この時代では大柄な五尺五寸(約165センチ)ほどの女は、栗色の髪をつぶし島田に、赤い鹿の子をかけた結綿(ゆいわた)に結っていて、浅緑色に桜の花が描かれた黒襟の小袖に白い前掛けをしていた。びろうどのような滑らかな肌の瓜実の顔、瞳は大きくて涼しく、芯の強さと優しい性格を思わせる。鼻はスラリとして高く、その下の薄桃色の下唇は少し前に出ているが愛らしい。その愛らしい口から白い息と声が漏れた。

「はあはあ、早ういかへんと、えらい(大変な)ことになりますぅ」

 黒襟の小袖に白い前掛け、草履という出で立ちは、彼女が箱入り娘ではなく、店に立つ女であることを思わせる。彼女の名はお星(せい)。弘化三年(1846)年丙午(ひのえうま)生まれで数え十七歳の生娘だ。

 彼女は先月、寺町錦小路を二軒上がったところに、花卉(かき)商であり薬種商でもある「楼蘭堂」を開業させたばかりだ。いや、正確には再開させた、だろう。楼蘭堂は医師だったお星の「父」下川楼蘭が開いていた医術所兼薬屋で、その妻の倫が申し訳程度に花を売っていたが、安政五年(1858年)に押込み強盗で夫婦共々命を落とし、閉鎖されていた。それをお星が「先月再開させたのだ。

 よく見るとお星は白い風呂敷に覆われた長いものを持っている。それは剣士でもあった父楼蘭の形見の太刀で、反りがすくない刀長二尺三寸五分(約71.5センチ)の陸奥守吉行である。灰色の帯には一尺八寸(約55センチ)の脇差が差されているがこちらは無銘だ。

 お星は足を止めた。橋の北詰にて少年が二人の侍にいたぶられているのが見えたのだ。

「屯太はんやわ、やっぱり屯太はん!」

 お星は幅二間(約3.6メートル)の橋を左手で裾を巻きながら渡った。丸顔で団子鼻、髪をボサボサに伸ばした蓬髪の屯太は、軽業師の一座北河内万歳一座の一員だったが、一座を解散に追いこむ事件に巻き込まれ、故あって彼女の店楼蘭堂に住み込みで働くようになったばかりであった。屯太は京で草莽の志士や貧しい貧民を助ける謎の剣士、天狗こと鞍馬の黒椿に助けられた。その黒椿の「同志」である浪人「倉田典膳」の依頼で、屯太は楼蘭堂に住むことになったのだが、お星は働き者で機転が利く彼を弟のように可愛がっている。その屯太は侍に袖を捕まれ、今まさに賀茂川に投げこまれようとしていた。

「お侍さま、堪忍ぇ、待って、待っておくれやす!」

 女の声に、侍というより浪人の一人は屯太を道端に落とし、三尺五寸(約106センチ)の少年は呻き声をあげてうつ伏せに倒れこんだ。侍は二人とも五尺(約165センチ)くらいの背丈だ。

「何だ女!」

「よく見ればいい女ではないか」

「少しばかりでかいのが玉に傷だが」

「いい身体をしておるな」

 二人の浪人はお星の前で、彼女の髷にかかる紅い鹿の子からふくらみを隠せない胸、足元の草履の紅い鼻緒までいやらしい目つきで見まわした。お星は少し後ずさり、刀を持ちながら胸を隠したが、浪人たちを睨みつけて言った。屯太に駆け寄りたいが、二人はそれを許さないようだ。

「お侍さまが、そないな子供をいたぶるやなんて、せっしょうな真似、せんといておくれやす!」

 お星の言い方に頭に来たらしい、頬に傷のある浪人が睨みつけてきた。もう一人の鉤(かぎ)鼻の浪人はお星の後ろに回り、尻を撫でた。娘は悲鳴をあげた。

「な、何しはりますのん。か、堪忍しておくりゃす!」

 うずくまっていた屯太が立ち上がって言った。

「お星ちゃん、そないな侍、やってもうてや!」

 頬傷は後ろに振り返り、屯太をちらりと見てから言った。

「ふん、こんな女に何ができると言うのだ」

 そう言うと頬傷は鯉口を切り、鉤鼻も続いた。

「女、なにを持っている。金目のものなら渡せ!」

「そしてそこの森で可愛がってやろう」

 頬傷、鉤鼻が続いて言う。己丑(きちゅう)以来、つまり嘉永六年(1853年)のアメリカ合衆国のペリーの黒船来航以来、江戸の徳川幕府の権威は失墜し、京の朝廷の勢威がにわかに高まった。朝廷を利用しようとする諸藩の活動家が京に駐在するようになったたが、それとともに尊王攘夷(天皇を敬い、異国を打ち払おうとする)思想にかぶれ、一旗揚げようとした諸国の浪人(主家を持たない武士)が洛中に流入し、京の治安は乱れ切っている。このような食い詰めた無頼の浪人に、公家、商家、庶民たちは恐怖していた。

 京の治安を担う京都所司代、東西の町奉行所は無力となっている。会津藩主松平肥後守容保が京都守護職に任じられ、その下に新選組や見回り組が設置され治安は劇的に改善されるのだが、それはあと一年後のことだ。

「あては先を急いどりますのや。その子と一緒に立ち去らせてもらいますぇ」

「うるさい!黙れ!」

 そう言うと頬傷は太刀を抜き、お星に切りかかった。お星はさっと後ろへ下がるが、頬傷はなおも上段から切りかかる。

「仕方ありまへん!」

 そう言うとお星は風呂敷から、朱色の鞘を取り出し、大刀陸奥守吉行を抜いた。そして頬傷に向かって走り出て、腰を沈めて下から切り上げた。お星の大刀が頬傷のそれを打って宙に舞わせ、さらに追い込んで切っ先を喉先で寸止めした。頬傷はあまりのことに声も出ない。

 そこへ鉤鼻が背中ごしに切りかかってきたが、お星は二尺も(約60センチ)跳躍するや、振り返って鉤鼻の大刀を打ち払った。安物らしい鉤鼻の刀は真二つに割れ、彼は茫然とした。着地したお星は二人に向けてかわるがわる脇構えで対峙する。

「な、なんだ、この女は!」

「き、狐女だ!」

 頬傷、鉤鼻はそう叫ぶと、なおもお星に飛び掛かろうとするが、女ながら全身からあふれる覇気に圧倒された。

 お星はただの女ではない。安政五年に両親(先述したように実は養父母)を惨殺されたお星は、葬儀のあと寺町から姿を消した。彼女は親の仇を取るべく洛北鞍馬の山奥に入り、大天狗ともよばれた剣の達人天辻平七郎のもとで三年剣の修行に励んだのである。だが、今だ人を斬ったことはないし、人前で、娘の姿で剣を抜いたのは初めてだ。

 しばらくにらみ合った三者だが、やがて二人の浪人は捨て台詞を吐くと糺の森の方向へ向けて駆け出し、姿を消した。

「ふう、屯太はん、大丈夫かいな」

「お星ちゃん!」

 お星の優しい声に屯太は叫びながら抱きついた。

「さあ、早くせんと、石見屋の旦那はんが危のうおす。天狗さま、ううん、鞍馬の黒椿さまのところへ行かんとなあ」

「やっぱりお星ちゃん強いなあ」

 お星は少し笑いつつも小刻みに身体を振るわせながら言った。

「強いことなんてあらへん。あて、こわかったし、ふるえていますぇ」

「そうかあ?そうや、わし、お星ちゃんを迎えにきたんやで。こっちや」

 元気を取り戻した屯太に導かれ、大刀を鞘に納めて風呂敷に包んだお星は道を急いだ。

 「石見屋(いわみや)の旦那」とは京の四条烏丸上ルに店を構える両替商、石見屋幸右衛門のことである。幸右衛門は昔病に倒れたとき、お星の父下川楼蘭が懸命に治療をして命を取り留めた豪商だ。楼蘭の葬儀には駆け付けてくれたし、お星が楼蘭堂を再開するときには資金面で援助を惜しまなかった。

 そんな幸右衛門は、無頼の浪人の一団に誘拐され、身代金一千両を要求されているという。兼ねてから身の危険を感じていた幸右衛門は、万一そのようなことがあった場合は決して応じてはならない、と家族や番頭たちにきつく申していたらしい。十日経っても身代金が支払われないとき、幸右衛門は首を斬られるという。今日がその十日目にあたるのだ。

 このままでは幸右衛門の命が危ない、そう危惧していたお星を陽気な浪人倉田典膳が励まし、幸右衛門を探し、救うと言ってくれた。その倉田もここ数日連絡がとれなくなった。

 そんな時、倉田らしい手紙が楼蘭堂に届いたのだ。それは、京で弱きを助ける謎の剣士として京雀たちの喝采をあびていた「鞍馬の黒椿」を頼れとの内容だった。

 鞍馬の黒椿は長身で涼しい眼をした黒紋付の着流しに、宗十郎頭巾という黒覆面の剣士で、世間では「鞍馬の天狗」の通り名で呼ばれることの方が多かった。お星も何度か危ないところを助けられたものだ。

(石見屋はんを助けられるのは鞍馬の黒椿さましかおへん)

 空には月と星々が輝き、雲はほとんどなかった。

(倉田はんはも美蘭先生も頼りないしなあ・・・)

 

 倉田典膳はお星が剣の修行をした奥鞍馬の剣術家天辻平七郎の門弟で、お星にとって兄弟子である。もっとも一緒に修行をしたことはほとんどない。倉田は身長六尺(180センチ)位、鼻筋がとおり、中肉で色白、目もとが涼しいが陽気な男だ。安政五年(1858)にお星が両親を斬殺されたとき、鞍馬の黒椿が医術所楼蘭堂に駆けつけくれたのだが、その時はすでに両親は事切れていた。葬儀の時、父楼蘭と鞍馬の黒椿の同志として倉田典膳が現われたのだ。

 孤児となったお星は、両親の葬儀の後、倉田により楼蘭の旧友でもある天辻平七郎のもとに連れられ、いつか両親の仇を取るために、女ながら剣の修行をすることになったのである。

 倉田は山奥で剣の修行をするお星の様子を時々見に来てくれた。山を下りてからも色々世話になっている。だが、一刀流の目録以上の腕を持ちながら、剣を抜いたところは見たことがない。無頼の徒や食い詰め浪人に絡まれると笑いながら、逃げてしまう。その後は決まって覆面の剣士、鞍馬の黒椿が現われるのだ。実は倉田典膳こそが謎の剣士鞍馬の黒椿なのだが、お星は知る由もなかった。

それと「美蘭先生」だ。お星が兄のように慕う幼馴染の富山美蘭は全く頼りにならなかった。寺町の東林寺で寺子屋の雇われ師匠をしながら医師を目指す美蘭は、正義感は強いが剣の心得はないに等しく、奉行所に訴えても無駄、石見屋に身代金を払ってもらえと言うばかりだった。お星は二人の男に深く失望した。

 

 松ヶ崎村野乃本の森の中にお星と屯太は着いた。そこには小さな平屋建ての家が二棟あった。庭の向こうには馬小屋もあり、そこには鞍馬の黒椿が乗る黒い馬がいて、その横には白馬がいた。その白馬はお星を見ると嘶(いなな)き始めた。

「白梅(はくばい)!白梅やないの!」

 お星は思わず駆け寄った。奥鞍馬の天辻平七郎は馬を飼ってもいて、お星が入門してすぐに生まれた白馬は白梅と名付けられた。お星は白梅を可愛がり、天辻からは馬術も教わることとなった。山を下りて京に戻るとき、白梅はお星と別れがたく鳴き叫び、お星も涙を流したが、まさかこんなところで再会するとは思わなかったのだ。

「お星ちゃん、早う行こ!こっちやで!」

 白梅の顔を何度も撫でてやったお星は頷くと、何度も振り返りながら、屯太に連れられ平屋の中へと入った。

 座敷には鞍馬の黒椿がいて、行灯(あんどん)の灯りでもすぐにわかった。正座ではなく、畳の上に置いた床几に座っていて、覆面から見える目はお星をやさしく見つめていた。お星は土間に土下座をして叫んだ。屯太も横で続けて土下座した。

「鞍馬の黒椿さま、石見屋の旦那はんを、幸右衛門はんを助けておくれやす!」

 宗十郎頭巾に小袖、袴に刀を二本差した覆面の武士、鞍馬の黒椿は静かに首を振った。その成りは頭巾、小袖、袴、足袋に至るまで黒一色だ。彼は京の街で勤王や憂国の志士、権力に蹂躙される弱き庶民を助ける覆面の剣士として安政五年(1858)ごろから剣で戦っていて、「鞍馬の天狗」の通り名で京では評判になっていたのは先述した。

「な、何でですのん。あなたさまなら、出来るはずどす。ここに父の形見の刀がありますぅ。これで、これで思う存分戦こうておくれやす」

 だが、その鞍馬の天狗は、石見屋を拐(かどわ)かした浪人たちとの闘いで傷つき、脚を痛めたことでさらに剣を振るうことができなかったのである。彼は立ち上がると土間のお星に歩み寄った。足を引きずりながら覆面の剣士は言った。

「お星殿。あなたは自らの力で、大事な人を助けることができるではないか。奥鞍馬では剣の修行をしたのはご両親の仇を取るためだけでなく、正義の為ではなかったか」

「そ、そうどすけど、あ、あてが、あてにそないなこと、でけしまへん」

 お星が顔を上げて言うと、黒椿の横の襖が開き、二人の男女が入ってきた。

「そのようなことはありません。お姫(ひい)さま」

「そうです。お姫さまならできます」

 お星はその男女に見覚えがあった。いや、よく知っていた。家族のようにだ。

「多助(たすけ)、勢和(せわ)!な、何でここにいますのん・・・」

 二人は夫婦で多助は元々お星の父下川楼蘭のもとで番頭格として働いていて、今は三条西洞院で薬種商那賀川屋を営み、勢和はその妻である。多助と勢和はお星のことをお姫(ひい)様と呼んでいた。先月の楼蘭堂再開の際は、夫婦で公私ともお星を助け、那賀川屋からは手代や丁稚を交代で送り込んでもいるのだ。

 さらに白髪の老婆が現われた。養久(やく)という下女で、彼女のこともお星は良く知っている。養久は土間迄降りてきて、お星を奥へと誘(いざな)った。鞍馬の黒椿、多助、勢和も頷いている。お星は立ち上がり、頷いた。その時、彼女の目が光ったと後に多助は語っていたという。

 小半刻(30分位)後、お星の成りは見違えるように変わっていた。その時の恥じらいをお星は後に何度も思い出し、屯太に語ったものだ。

 楼蘭堂の若き女主人は、平屋と馬小屋の前で、鞍馬で共に三年を過ごした白馬の白梅に乗せられ、正面に銀色の星印が縫われた青い頭巾、後世で言うベレー帽を被っていた。裏地が赤い黒の外套、マントを羽織り、その下には豊かな胸乳や括れた腰つきなどの身体の線を隠さない、袖が長い不思議な濃紺の装束、レオタードを着させられていたのである。白くふっくらとし、且つ筋肉質な太ももは露出しており、膝から下は黒い革の西洋風の長靴を履いていた。藤色の細い帯を巻いた腰には父楼蘭の形見、反りがすくない刀長二尺三寸五分(約71.5センチ)の陸奥守吉行と一尺八寸(約55センチ)の無銘の脇差が差されている。お星は名実とも自分は剣士になったのだと悟った。それも顔の上半分を紅緋色の目かずらのような仮面で素顔を隠した女剣士だ。

 鞍馬の黒椿はお星の姿を見て満足そうに頷き、そして言った。

「今日からその姿をしたお星(せい)殿のことを“鴨川の星(かもがわのほし)”と呼ぶことにしよう」

「鴨川の星・・・・」

「そうだ、鴨川の星だ」

「鴨川の星、かっこええでえ、お星ちゃん!」

 屯太が飛び上がって歓声をあげ、多助、勢和、養久らも頷いている。

「な、なれど、何故このような珍妙な恰好をせねばならぬのです?」

 そう言ってお星はうつむいた。言葉は自然と京言葉ではなく、関東の武家言葉が出た。白い頬から首筋までが火照ってきている。胸乳や腰のくびれなど身体の線が露わになっており、太ももの白さが夜でも眩しい。それに白梅の轡(くつわ)、手綱、鐙、鞍など馬具も欧州式だ。京に流入する攘夷を叫ぶ浪人たちが見たら、西洋かぶれだと発狂しかねない。そんな羞恥心を隠さないお星に鞍馬の黒椿は答えた。

「七十年ほど昔、西洋仏蘭西国の都巴里(パリ)で弱き者を助け、新しい世を作るために戦った仮面の女の剣士がいた。その名はエトワール・ド・ラ・セーヌ。和訳すればラ・セーヌの星、いやセーヌ河の星というべきかな。セーヌ河とは巴里を流れる美しい川のこと、この京で言えば鴨川にあたるだろう」

「えとわーるどらせーぬ?らせーぬのほし?かもがわのほし・・・」

「その装束は、そのラ・セーヌの星が身に着けていたものを日の本に甦らせたものだ」

 そのような女剣士がいたことは、剣の師匠である大天狗とも呼ばれていた天辻平七郎がよく話してくれた。天辻からは西洋式の剣レイピアを使った剣術も教わった。平七郎は友人の娘でもあるお星にそのような女剣士になってほしかったのかもしれない。ラ・セーヌの星はフランス絶対王政ブルボン王朝の王族、貴族、宗教界の圧政、増税、物価高に苦しむ庶民、世を正しい方向へと導こうとする革命運動家らを剣で助けたという。

 実はラ・セーヌの星の正体であった花屋であり、王妃マリー・アントワネットの妹でもあるシモーヌ・ロランは、お星の曾祖母にあたるのだが、そのことを彼女は全く知らなかった。

シモーヌの息子の一人ジュリアンは医師となり、オランダ海軍軍医大尉の地位を得てオランダの商船に乗り、極東の島国鎖国下の日本の長崎へと渡った。そこで丸山芸者のお春と恋仲となり、娘お夏が生まれたのだ。お夏は長崎に留学していた医師、剣術家でもある下川楼白の養女となって江戸へ移った。成長したお夏は小石川にある水戸徳川家に侍女奉公に出たが、そこで第九代藩主徳川斉昭の手が付き、生まれたのがお星である。お星は諸事情で楼白の弟楼蘭が引き取って養女とされた。楼蘭は京に移って寺町錦小路上ル円福寺前町に医術所楼蘭堂を開くと、お星を下川家の一人娘として慈しんで育てたのである。つまり、お星はハプスブルク=ロードリンゲン家と徳川家という二つの高貴な血を引いていることとなる。

「では、行け。鴨川の星よ。世のため、弱い者の為、その剣を振るうのだ」

「はい。鴨川の星、行ってまいります。行きましょう、白梅!」

鴨川の星となったお星は白馬で駆けだした。鞍馬の黒椿、頓太、多助、勢和、養久らは女剣士が見えなくなるまで見送った。

 仮面の女剣士鴨川の星の初陣だ。その日は文久二年(1862年)三月十四日。時刻は子の刻夜九つ(午前零時)だ。ちなみにこの時代、日付の変わり目は明け六つ(午前六時)である。

 

 石見屋幸右衛門が捕らえられているのは、七条橋付近鴨川の西岸にある打ち捨てられた屋敷、公家広林家の別宅跡だと分かった。鴨川の星は白馬を駆って幅三間(約5.4メートル程)の河原町通を南へと駆けていた。松ヶ崎村から七条の橋のあたりまでは二里(約八キロ)ほど離れている。

 ベレー帽にレオタード、マントを翻した仮面の女が白馬に乗って走って行くのだから、いくら夜とは言え目立つのは仕方がない。飲んだ帰りの男たち、春を売る娼婦らは目を見張った。

「何だ!今のは?」

 四条河原町の辻で、異形の白馬の女にひときわ大きな驚きの声をあげたのは、深い編み笠をかぶり、眼鏡をかけた読売(瓦版製作者であり販売者)の修郎である。修郎は寺町通に住む徳川家の元御家人波多野家の出で、お星とも仲が良かった。

「なんだかわからないが、面白いネタができそうだ!」

 修郎は鴨川の星を追い、南へと河原町通を走り出した。

一方、七条大の西詰、小さな社、松明殿の少し南に古い屋敷だ。かつて公家の広林修理大輔が別宅としていたとは先述したが、十数年前から打ち捨てられた屋敷だ。最近、浪人の集団がここに陣取り、隠れ家としているのは近所の者なら皆知っていたが、奉行所に訴えたところで気休め程度にしかならず、通報はされていなかった。

 その屋敷内で、石見屋幸右衛門は無頼浪人の頭目、三島重七の前で覚悟を決めていた。彼は柱に両手首を後ろに縛られている。背中越しに縛られているのは、この屋敷を探っていた京都町奉行所に仕える目明し、ではなくその下の密偵、燕の黒助だ。

そしてその横にはお星が兄のように慕う富山美蘭も縛られていた。彼はお星にはあきらめるように言っていたが、石見屋幸右衛門が捕らわれている場所を突き止めると、何とかしようとこの屋敷に潜入したのである。残念ながら捕らわれてしまったが。

(お星ちゃんに恰好ええとこ見せたかったけど、あかんわ。ここで終わりやな)

美蘭は自嘲した。

(無念やけど、下川さまの娘さまの楼蘭堂再開を見届けられたのやから良しとしよか)

 そう、心の中で思っていたのは幸右衛門。

「どうやら石見屋の番頭は千両が惜しいらしいな」

 腹を空かせた狸のような顔をした重七が叫んだ。屋敷内には他に九人の浪人がいる。幸右衛門は目を閉じ、何も言わない。美蘭が口を開いた。

「このようなことをして何になる!いずれお前たちに天誅が見舞われるぞ!」

「す、すぐに東御役所(ひがしおやくしょ。江戸と違い、京では町奉行所を御役所と呼んだ)のお奉行様がく、来るでええ!」

 黒助がつばを飛ばしながら叫んだ。重七は美蘭と黒助を順番に殴った。

「ああ。来るだろうよ。お前らの首がはねられ、我々がここを離れてからな。奉行所も所司代も死体の片付け屋にすぎぬ」

 そう言うと、重七は黒助の縄を太刀の切っ先で切った。そして肩を蹴とばすと、両手を後ろについて震える黒助に刀を振り上げた。

「おまえの首から先に落としてやる!」

「ひいいいい!お、お助けを」

 と黒助が叫んだ時、屋敷の雨戸が突き破られ、何者かが中に入ってきた。

「く、曲者だ!皆、抜け!灯りを」

 重七は叫んだ。

 

 白梅を松明殿に待たせ、鴨川の星は崩れかけた広林屋敷の塀を越えた。屋敷の雨戸の向こうから声が聞こえる。

「おまえの首から先に落としてやる!」

 一刻の猶予もない、と仮面の女剣士は雨戸に肩から体当たりをし、中に躍り込むやすぐに立ち上がった。

「く、曲者だ!皆、抜け!灯りを」

 首領らしい声がし、鯉口を斬り、太刀を抜く音がした。がん灯の灯りが眩しい。梁に当たらないよう気を付けながら、鴨川の星はお星としての父の形見、陸奥守吉行を抜いて脇構えをした。

「何者だ!」

 首領の声のあと、鴨川の星は仮面の下から目を凝らした。蝋燭や行灯の灯りでも敵が十人と分かり、石見屋幸右衛門も無事だ。奉行所の密偵らしい小男共々女剣士に驚いている。

「鴨川の星!」

 と名乗るつもりだったが

「鴨川のおおお、夜の水面を照らす星ぃ、朝霧たちて消える儚きぃ・・」

 と初陣の緊張のあまり震えながら思わず歌ってしまった仮面の女剣士だった。二人の浪人が打ち込んできたが、鴨川の星は左に出て、彼らの右胴、左胴を峰で打った。

 続けて三人がかかってくるが同じようにまず右胴を打ち、続けて左脛を打ち、右手から切り込んできた三人目は左胴を打った。既に五人が峯打ちで倒したことになる。鴨川の星は思った。

 (着物と違い、この装束は身体が軽く、動きやすいわ)

 柱にくくられている幸右衛門の縄を切っ先で切った鴨川の星は思わず言った。

「石見屋幸右衛門殿。ご無事で何より!え?」

「な、何でわての名を・・」

幸右衛門が言うのを聞きながら、美蘭がここにいることに鴨川の星としてのお星は戸惑った。戸惑いながらも美蘭の縄も切ってやった。

「そんなことより、鋭!」

 さらに一人が下段で打ち込んできたので、彼の右籠手を打ち、さらに右首を打つと彼は前に倒れてきた。どこからか尿の臭いがし、匂いの方を見ると、密偵の燕の黒助が小便を漏らして腰を抜かしている。

「美蘭先生、黒助どの、石見屋さまを連れてお逃げなさい!」

「なんで名前を・・・」

「な、なんでわいの名まで・・・」

 美蘭の名を叫んだのはまずかったが後には引き返せない。黒助は開店準備をしている楼蘭堂のお星にちょっかいを出してきたことがある。縄張りでもないと言うのにうるさかったものだ。その時、近所の商家のご隠居から「燕の黒助」の通り名を聞いたのだ。

「そんなことより早く!」

 突如現れた女剣士にかなわないとみたのか、三島重七は残った手下三人を連れて、鴨の河原へと逃れた。鴨川の星もマントを翻して後を追う。月明りのもと、川で水しぶきを上げながら、仮面の女剣士は一人、二人と倒していく。後の二人を、頭目の三島ともう一人を七条大橋の下へと追い込んでいった。

「たああ!」

 と叫んだ鴨川の星は跳躍をして、最後の手下の肩に乗り、飛び上がりざまに革長靴の踵で彼の後頭部を蹴ると、狸顔の三島の前に着地し、かれの喉元に陸奥守吉行の切っ先を

寸止めした。

「な、何者だ!お、女のくせに…」

「私は鴨川の星、暁が輝くまでにしか戦えない女の剣士、ですが暁を待つまでもなかったわね」

 そう言うと鴨川の星はいったん下がり、隙ができたとみて橋の下へ駆け出した三島の首を、跳躍して太刀の峰で強打して倒した。どさっと音がした後、橋の欄干から声がした。

「天晴れ!痛快なり!快傑、鴨川の女天狗!」

 それは読売の修郎だった。お星としての鴨川の星がよく知る男である。

「修郎殿!星、鴨川の星です。女に天狗はひどいわ!」

「な、なぜ、名前を?」

 鴨川の星は答えず、指笛を吹いて愛馬白梅を呼び寄せた。鴨川の星は五間(約九メートル)ほど下がると再び向きを変えて駆け出し、跳躍をして七条橋に飛び上った。修郎は驚き、尻餅をついた。そんな彼に手を差し出して立ち上がらせた鴨川の星は、鞍上の女(ひと)となった。

「読売の修郎殿、また会うこともあるでしょう。では!」

 そう言うと、鴨川の星は白馬の腹を蹴り、七条通りを西へと駆けて行った。

「強いだけでなく色っぽい謎の仮面の女剣士、これは売れるぞ。それはそうと、どこかで聞いたような声だぜえ」

 程なく京都東町奉行所の与力森脇慎吾、同心鈴木新次郎ら捕り方達が駆け付け、十人の浪人は捕縛された。勿論幸右衛門はしばらくして無事に石見屋に戻ったのである。富山美蘭もだ。密偵燕の黒助は褒美を与えられた。

 鴨川の星の活躍はたちまち京雀たちの噂になり、読売の修郎が書く瓦版によって「快傑!鴨川の女天狗」として報じられた。

 剣を口にくわえてマントを翻して橋の上から鴨川の河原に飛び降りる、仮面の女剣士気鴨川の「女天狗」が描かれている。修郎の相棒三次郎が描いた挿絵の鴨川の星も評判だった。

鴨川の星は鞍馬の黒椿を支え、時には共に闘うようになるのである。そしてその闘いの中でいつしか鞍馬の黒椿が倉田典膳だと知ることとなったが、それは少し後のことだ。

 

数日後の朝、寺町錦小路上ルを二軒分上がった円福寺前町にある町屋、そこには「花卉薬種取扱ひ楼蘭堂」と縦書きに書かれた看板が掛けられている。かつて町医者下川楼蘭が医術所兼薬種屋として開いていて、(花も少し売っていたのだが、)安政五年(1858)に押込み強盗で妻倫とともに命を落とし、閉鎖されていたのを、文久二年(1862)春に生き残った娘お星によって再開されたものである。

「修郎はん、いややわ。鴨川の女天狗なんてなあ。鴨川の星やのに。それに橋の上から刀咥えて飛び降りる?そんなことしてへんわ」

 寺町錦小路上ルの楼蘭堂の女主人お星は、店の奥座敷で修郎が刷り上げた瓦版を手にため息をつくのだった。

 二階のお星が就寝する部屋の行李には、鴨川の星の装束一式と父の形見の太刀陸奥守吉行、他に師である天辻平七郎から与えられた無銘のものが三振、西洋式の剣が一振り、脇差が四振しまわれていた。

「でもあては戦いますえ。弱きもののために。そしていつか父上、母上の仇をとりますのや」

 店の表の方から人の気配がした。

「おはようさんどす、今日はええ花あるかいなあ」

「あ、お客さん、ご隠居はんやわ。今いきますえ」

 お星の一日が始まった。そして仮面の女剣士、鴨川の星の戦いもこれ以後続いていくのだ。

 

 おわり

La Légende de Étoile de la Seine au Japon.

Elle s’appelle Étoile de la Kamogawa=Une femme Tenguh.

``Première mission de Étoile de la Kamogawa``

 FIN

 

 おまけの話

 小半刻(こはんとき、約三十分)ほどして、楼蘭堂からは大店のご隠居といった風情の客が、木桶に菊の花を三本入れて上機嫌で出てきた。続いて暖簾をくぐって来たのはお星だ。

「ほなら、お星(せい)はん、また来ますよって、よろしゅうおたのもうします」

「へえ旦那はん、おおきに!またきておくれやす!」

 元気な声で客を送り、寺町錦の辻の雑踏に客が消えるのを確かめると、お辞儀をしていたお星は体を起こした。

そんなお星を、少し離れた辻から富山美蘭は瓦版を手にもって見ていた。

 この時代では大柄な五尺五寸(約百六十五センチ、正確には五尺四寸)ほどのお星は、濃い栗色の髪をつぶし島田の一種結綿に結い、浅緑色に白い紅葉が描かれた黒襟の小袖に前掛けをしていた。嫌味のない艶やかな雰囲気を出す娘は、目は大きくて涼しく、鼻筋は高い、口は小さく紅玉色で下唇が少し出ているが、浮世絵に描かれるような美顔だった。

(今日もお星ちゃん、きれいや。でもきって俺のこと、あきれてるで)

お星の幸右衛門救出の願いを、美蘭はかなえることができなかった。意気込んで幸右衛門が捕まっていた屋敷に飛び込んだが捕まってしまい、そこを謎の女剣士鴨川の星に助けられた。情けない限りだ。

「お星ちゃん!はようもどってんかぁ!」

 店の奥から少年らしい声がし、お星は返事をして中に入っていった。

「へえぃ!今行きますぇ」

 お星のその声を聞いた美蘭は

『鴨川のおおお、夜の水面を照らす星ぃ、朝霧たちて消える儚きぃ・・』

 と歌を詠んだ女剣士の声を思い出した。彼女はそのあと美蘭先生!と呼んだのである。

「なんであの女剣士は俺の名を知っているんや。それにどこかで聞いたような声・・」

 美蘭は瓦版を握りしめると寺子屋がある東林寺へと向かうのだった。

 おわり

 

 

 

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