幕末のラ・セーヌの星 鴨川の星 快傑女天狗 作:koh1968
古村の名前を新選組の名簿で調べないでください(笑)。
La Légende de Étoile de la Seine au Japon.
Elle s’appelle Étoile de la Kamogawa=Une femme Tenguh.
“Recherchez la véritable identité de cette épéiste!”
AD.1865
慶応元年(1865)五月の京。
新選組局長近藤勇は必死だった。一重まぶたの目尻がいつも以上に上がっている。浅黒い顔の表情は夜であることもあってよくわからないが。
「追え!逃がすな!今宵こそあの生意気な女天狗鴨川の星を捕える!」
近藤が追っているのは女だ。徳川幕府の失政により、苦しい生活を強いられている京の人々、新しい世を作るために戦う志士たちを救おうと戦う女天狗こと鴨川の星。
一方素顔を仮面で隠した鴨川の星も必死だった。
「今夜こそ、だめかもしれない」
鴨川の星は、長州派の志士たちすなわち長州藩士、長州に同情的な土佐藩、肥後藩の脱藩浪士、彼らをかくまう公家、市井の人々を救うために京の街で剣を取った女剣士である。その正体は花屋であり薬種商でもある楼蘭堂の女主人お星、また祇園の幻の芸妓花星(かほ)としての顔も持っている。
鴨川の星が剣を取って戦い始めて以来無敵と言えた。女でありながら、狼藉を働く浪人、彼らを狩る新撰組らを相手に縦横無尽に戦ってきたのだ。
だが、今宵は違った。今夜の闘いは鴨川の星を捕えようとする新選組の罠だった。王城の治安を守る京都守護職松平肥後守容保を藩主に頂く会津藩、その麾下の新選組、京都見廻組による「天狗退治」作戦が決行されたのである。
さすがの鴨川の星も多くの新選組隊士に囲まれ、彼らを直卒していた近藤の為に右腕に傷を受けてしまった。鴨川の星は、左手で右上腕を抑えつつ、裏地が赤い黒の外套、マントを翻して幅二間(約3.6メートル)の河原町通を南に走っていた。
紅緋色の目かずらのような仮面の下の円らな鳶色の瞳には焦りの色が見え、透き通るような白い肌の頬に冷や汗が流れる。少し下唇が前に出た小さな紅玉色の口からは白い息が吐かれ、父の形見でもある大刀陸奥守吉行を持つ右手は上腕の傷のこともあって疲れが見えてきている。マントが翻ることで、豊かな胸乳や腰の括れなど身体の線を隠さない不思議な濃紺の装束、後世レオタードと呼ばれるそれは胴のあたり、両腕も傷だらけで、黒い長革靴を履き、白いふっくらとした太ももが露わな両足も少しもつれかけている。銀色の星印が縫い込まれた青い頭巾、後の世にベレー帽と呼ばれるそれは栗色の長い髪を持つ頭頂部を辛うじて守っていた。
「ハアハア、今夜ばかりはいつもと違う!私を何としても捕らえようとしている?」
そう言った仮面の女剣士が振り返ると、狭い河原町通りを白馬に乗った近藤勇が大刀を右手で大きく掲げつつ必死の形相で追ってくるのが見えた。白馬の横と後ろには、局長近藤同様黒の羽織袴の隊服に身を包んだ隊士達が必死の形相で駆けていた。鴨川の星が醤油商近江屋の前を通り過ぎた時、南の四条通りと接する辻に無数の提灯が動いているのが見えた。
「しまった!挟み撃ちだわ」
鴨川の星は左手の路地に入った。入るやいなや水桶や棹などを倒して追手を阻み、河原町通より更に狭い路地を抜けると高瀬川のせせらぎが聞こえてきた。川に沿って走る木屋町通も北に会津藩巡察隊、南に見廻組の手勢が見え、少し南に下ってからさらに路地に入り、先斗町(ぽんとちょう)通に踊り出た。
「殺気は感じない。逃げられるかも」
とつぶやいた鴨川の星が先斗町通りを南に駆けだした時、突然「誠」と赤字で書かれた提灯が五つほど揺れているのが見えた。息を切らす仮面の女剣士は足を止めた。
提灯の前には男が立っていた。五尺六寸(約170センチ)位の長身の侍だ。対する鴨川の星は五尺五寸(約165センチ)とこの時代の女性としては背が高い。
「いやあ、女天狗鴨川の星殿、こんなところでお会いするとは奇遇ですねえ」
さわやかな声だった。それは新撰組一番組組長沖田総司であった。講武所風の狭い月代に涼しい顔立ち、愛嬌のある笑顔に似合わない剣の天才である。女剣士は反りのない大刀を八相に構えた。
「本当、お久しゅうございますわね・・・、大津以来かしら?」
「そんなところでしたかね。あれからお噂はかねがね聞いていますよ、相変わらずご活躍のようだ」
沖田の後ろには彼の一番組の隊士であろう男達が五人いた。ならば北側へと逃げようと考えた時、先斗町通りに白馬に乗った近藤が現れた。仮面の女剣士は一間半(約2.8メートル)の路上で前を沖田と後詰めの五人、後ろを近藤と五人と新撰組十二人に挟み撃ちにされる形となった。
町屋から、料理屋から芸妓一人が心配そうに顔を出したとき、沖田が二尺三寸三分の加洲清光を抜いて平青眼に構えた。
「出てはなりませぬ。中に入っていて!」
鴨川の星は芸妓に叫ぶと八相から上段に構え治して沖田を睨んだ。勿論背後近藤への警戒は忘れない。近藤は鞍上のまま、仮面の女剣士と天才剣士のやりとりを見まもっている。
「ほう、またも。あの時と、大津で会った時と同じだ。私を誘いますか。舐められたものですね」
と言うや否や、沖田が鋭く女剣士の喉をめがけて突いてきた。
「は、速い!」
と言って、何とかかわしたものの、沖田は続けて二度三度と突いてくる。さらに後ろの二人、近藤の直卒の隊士が奇声をあげて斬りかかってきたのを何とか交わしたが、黒いマントが少し斬れた。
下段から沖田の加洲清光を投げ払おうとするが勿論通じず、鴨川の星の態勢が前に崩れかかる。背後の二人がまたしても上段から斬りかかってくる気配を感じると、右肩から前受け身に転がり込み、料理屋の雨戸を背後にして二人の剣を受けかえした。
「やりますね!」
そう叫んだ沖田がまたも突いてきた。鴨川の星が後ろに下がろうにもこれ以上は無理だ。
(だめ、これ以上は・・・これまで?)
と鴨川の星が心の内で観念したとき、沖田の切っ先が揺れて止まった。そして、突然彼は激しく咳き込みだしたのである。止まらぬ咳と共に彼の剣も揺れ続ける。
沖田の組の隊士達が動揺し、隙ができた彼らの上を跳躍した鴨川の星は南の方、四条通へと駆けだした。飛び上がる前に大刀は腰の鞘にしまったのは言うまでも無い。
「総司!大事ないか!」
「こ、近藤先生、私に構わないで!追ってください、女天狗を、鴨川の星を!」
沖田が口をふさいでいた左手の袖は、たちまち赤く、いやどす黒く染まっていく。近藤は直卒の隊士に女剣士を追いかけるように命じた。
「沖田さん、大丈夫ですか」
声をかけたのは、先月一番組に配属されたばかりの信州浪人古村啓七郎(こむらけいしちろう)だ。
「ちょっと蒸せただけです。古村さん、あれが鴨川の星です。女ですが、甘く見てはいけませんよ」
「鴨川の星・・」
沖田を支えながら古村は女剣士が駆け去り、隊士が追跡した先斗町通を見つめた。
この後、鴨川の星は鴨川に逃れた。そこでも新選組と見廻組が待ち受けて居たのであるが、同志である天狗鞍馬の黒椿が駆け付けたこともあり、何とか彼らの手から逃れることができたのである。
幕末のラ・セーヌの星 鴨川の星快傑女天狗
「新選組古村啓七郎 鴨川の星の正体を追う!」
フランス大革命の前夜、花屋の娘として育てられた美少女シモーヌはラ・セーヌの星と名のり、剣を取って戦った。シモーヌは、自分が王妃マリー・アントワネットの妹であることを知らないまま、その剣を弱き人々の為にふるった。
そして幕末維新前夜の日本の京。花屋の女主人であり、祇園の芸妓でもあるお星(せい)も鴨川の星と名乗り、剣を取って戦う。人々は彼女を鴨川の女天狗と呼んで喝采をあげた。
しかし彼女は、自分がシモーヌの血を引くことと、江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜の妹であることを、全く知らなかった。
「何故だ!なぜ、女天狗鴨川の星を四年も経って捕まえることができないのだ!五尺五寸の大女なんてそう多くはいない。女天狗が現れるのは決まって夜だ。ならば市井の女の姿でいるであろう昼間に見つけて捕まえればよいではないか!」
時は流れて慶応三年(1867)七月。京都守護職松平肥後守容保麾下の新選組不動堂村の屯所。(今の京都市下京区堀川塩小路、リーガロイヤルホテルがある場所)
新選組諸士取扱兼監察の古村啓七郎(こむらけいしちろう)は「鴨川の星」を名乗る謎の女剣士のことを監察の記録資料を引っ張り出して調べていた。命じられていたわけではない。事実上の京の治安を守る非常治安警察である新選組は、女天狗とも呼ばれる鴨川の星のことを公式には相手にはしていない。古村が自分で探索を始めたのだ。
「所詮はおなごよ」
と新撰組局長近藤勇は言っているし、副長土方歳三に至っては鴨川の星の事を話題にするだけで不機嫌になる。その女剣士に新撰組が束になってもかなわないことを公私とも認めるわけにはいかなかったのかもしれない。
鴨川の星、鴨川の女天狗とも呼ばれる謎の女剣士が初めて京に現れたのは、奉行所の記録としては、新選組結成前の文久二年(1862)弥生三月十四日とされる。安政末期から万延の頃(西暦でいえば1858年から1860年)、京では「鞍馬の黒椿」を名乗る謎の覆面の剣士が現れるようになっていた。彼は朝廷に近づくなど不穏な動きを見せる長州藩の活動、「勤王」の志士、浪士共を助けたりして公儀(幕府)に楯突いてきた。彼は人々から鞍馬の天狗、鞍馬天狗とも呼ばれるようになったが、その正体は今でも謎である。
そして彼の後に現れた鴨川の星と名乗り、鴨川の女天狗と呼ばれるようになった女剣士の正体もいまだ謎なのだ。
「二人の天狗は夜にしか現れないのか」
古村は鴨川の星の活躍を報じる瓦版の手にとってつぶやいた。それは寺町に住む読売の修郎が書いた記事で、三次郎なる絵師の挿絵も添えられている。
「珍妙な成りだ」
天狗鞍馬の黒椿が黒い宗十郎頭巾に紋付の黒袴といういで立ちの覆面の剣士であるのに対し、女天狗鴨川の星は目の周りを覆う目かずらのような紅緋色の仮面をつけ、星の印が入った青色の頭巾(筆者注ベレー帽)を被り、肢体の線が露わになった奇妙な濃紺の装束(筆者注レオタード)、赤い裏地の黒い外套(筆者注マント)、黒の革長靴(筆者注ブーツ)を身に着けている。
仮面の下の眼は円らで涼しく鼻は高くて、小さな紅玉色の口は下唇が少し前に出ているがとても艶があるらしい。鴨川の星に対峙する者はどうしてもその艶めかしい姿態、白いふっくらとした太ももに目を取られ、心を惑わされ剣に集中できなかったという。剣の流派はわからないが、北辰一刀流に通じるものがあると副長助勤沖田総司が言っていたし、同じく副長助勤永倉新八は無外流ではないかと語っていた。
また、忍びのように手裏剣を使うこともあるようだ。元治元年(1864)三月に大覚寺にて将軍後見職一橋慶喜(当時)暗殺未遂事件があったが、それを阻止したのは意外にも鴨川の星だった。その時、彼女は手裏剣を使い、古村の上役である新選組諸士取扱兼監察の山崎丞がその一つを入手した。古村もそれを検分したが、金属ではあるが、鋭いがとても軽く、鉄でも銅でもない不可思議な材質だった。
「鴨川の夜の水面を照らす星 朝霧たちし消える儚き・・・・私は鴨川の星、人はまた女天狗とも呼ぶ。すべては弱き者の為、義の為、夜の京にて剣を取ります。さあ、覚悟!」
鞍馬の黒椿に比べ、鴨川の星は反幕府的な行動というよりは、攘夷御用盗など乱暴を働く不逞浪士、権力をかさに着る役人、暴利を貪る商人たちから庶民を守る弱者救済的な行動をとることが多かった。ゆえに新選組の取り締まりの対象とは言えないのかもしれなかったが、京都守護職、所司代、東西の京都町奉行所は女ながら世を騒がす不逞な輩と認識していた。
だが、その後、新選組が結成され池田屋事件、その後の禁門の変等を経て新選組の地位、組織が大きくなっていくにつれて、鴨川の星も「勤王」方の志士を助け、彼らに協力するようになった。言わば新選組の敵であることがはっきりしてきたのである。
鴨川の星は文久三年(1863)秋には、辻君と呼ばれる娼婦連続殺人の下手人である浪人二人平井勘八郎と火野平九郎を捕まえたが、その時新撰組隊士と恐らく初めて(少なくとも公式に)接触を持った。この時隊士を指揮していた副長助勤小田銑十郎は女に対して不覚を取ったとして士道不覚悟で切腹させられている。
その直後、長州から京都に潜入した前原喜八郎ら浪士二人を巡って、新撰組は鴨川の星と本格的に刃を交えた。その時は副長である土方歳三、副長助勤(当時)沖田総司、原田左之助らが鴨川の星を二条城前で追い込み、捕縛寸前までいったらしい。
「らしい」と言うのは、新撰組が彼女を取り逃がしてしまったその時、古村はまだ入隊していなかったからだ。
「二条の城から、まるで軽業師の一座のように天狗が鞍馬の黒椿が現れよってなあ」
上役である山崎丞がそう言ったのだ。
「あと一息やったんや」
古村が新撰組に入隊したのは慶応元年(1865)五月。副長土方歳三、参謀伊藤甲子太郞、斉藤一、藤堂平助らが江戸にやってきて隊士募集に江戸に来たときに応募し、上洛したのである。古村は信州松代藩を脱藩し、小野派一刀流の有馬元七郎道場で剣の修行に励んでいたところ、道場に来た土方に惹かれ、入隊を決めたのである。
翌々日六月(この年は閏五月があった)、新選組は会津藩、見廻組と協力し、「天狗退治」と銘打って鞍馬の黒椿・鞍馬天狗と鴨川の星・女天狗を捕縛しようとする大掛かりな作戦を行ったが捕縛は果たせなかった。女天狗を河原町通、先斗町通へと追い詰め、沖田総司の剣に屈するかと見えた。
「沖田はん、いや沖田先生が、喀血してなあ」
「知っております。私は一番組でしたから」
「そうやったなあ。あのあとこっちへ、諸士取締役兼監察になったんやったな」
沖田が作った隙を逃さず鴨川の星は南へと逃げた。局長近藤が追跡をさせ、鴨川の三条大橋と四条大橋の間の中州に追い詰めたのだが・・
「山崎さん、またしてもそこへ天狗鞍馬の黒椿が現れた、ですか」
「そのとおりや」
甲州流軍学者武田観柳斎の立案の中身がまずかったこともあるが、鞍馬の黒椿と鴨川の星、二兎を追って一兎をも得ずとのことわざどおり、作戦の最終目標が不明確だったのだ。見廻組との共闘も上手くいかなかった。徳川家の御家人の次男三男らで構成される見廻組。その隊士らは浪人や元々武士とは言えない身分の者から構成される新選組との共闘を面白く思わなかったことが原因かもしれない。
その後慶応元年(1865)八月、京都守護職松平容保の命で招かれた軍学者雨森晴門(あめ
のもりせいもん)指揮による鴨川の女天狗捕縛作戦「赤塚の富士」が新撰組と会津藩共同で行われたが、これも失敗に終わった。噂ではこの時に追い詰められた鴨川の星は、彼女の象徴でもある紅緋色の仮面をとある町屋に落とし、その後二階から屋根伝いに逃走した。
雨森晴門は、鴨川の星を助けた、つまり素顔を目撃した若き絵師であり襖絵職人でもある太一に仮面をつけていない素顔の女天狗鴨川の星の似顔絵を描かせた。その似顔絵を持って洛中を捜査したというが、そこまでしても捕縛することはできなかったらしい。
これも「らしい」である。と言うのもその似顔絵を新撰組の幹部、平隊士で見た者がおらず、あくまで噂だったからだ。
新選組隊士からはハレモンとかパレモンとかあだ名をされた雨森。彼は屯所のあった西本願寺に近い役宅に侵入した鴨川の星に殺され、似顔絵も落とされた紅緋色の仮面も行方知れずとなった。なお、その仮面は不思議な肌触りで、その材質は布でも紙も木でもなかったそうだ。これも噂である。
「その仮面、どこにいったのでしょう、山崎さん」
「し、知らんがな。ただの噂や、忘れるんや」
実はその仮面は一時的にだが山崎が持っていたのだ。
あの夜、新撰組の諸士取締役兼監察である山崎丞は薬売りの成りをしていた。山崎は軍学者雨森晴門が借りていた当時屯所があった西本願寺に近い役宅としていた町屋でその仮面を見つけたのである。山崎は紫色の袱紗(ふくさ)を見つけ、それをゆっくりと開いた。包まれていたのは紅緋色の仮面、謎の女剣士鴨川の星のものだ。
山崎は雨森が鴨川の星を捕縛すべく何やら動いていることは知っていたが、その詳細は分らなかった。彼自身に確かめるべく花屋町通に面した町屋に行くと、その袱紗が座敷の文机の上に置いてあったのである。
「鴨川の星の仮面やな。どこかで落としたのをパレモンは、雨森は拾いよったんやな」
仮面を手で触ると、それは不思議な肌触りだった。それは布ではなく、紙でもなく、陶器でもない山崎にとっては謎の材質であった。また、面は顔の上半分を隠すもので、目の部分に穴があって、仮面の下から外を見ることができるのは勿論、外からその仮面を被る者の瞳の大きさ、色を知ることはできるのだった。山崎はその赤い仮面を付けてみた。若い女の匂いとかすかだが、橘の花のような香りがした。
「あれと同じで不思議なもんやなあ」
山崎は袂から「あれ」を、銀色の星形の手裏剣を取り出した。それは鴨川の星が元治元年(1864)三月十六日の夜に洛西の大覚寺で、将軍後見職一橋中納言慶喜暗殺を図った長州の男を倒そうとして投げつけたものである。
この時、大覚寺に残された二つの手裏剣のうち、一つが一橋家家臣渋沢篤太夫(後の実業家渋沢栄一)の手に渡り、一つが新選組諸士取扱兼監察の山崎丞の手に残ったのだ。
金属ではあるが鉄でも銅でも、ましてや金でも銀でもないそれは色だけは銀色であった。重さは見かけ以上に軽いが、刃は鋭かった。
「そしてこの仮面や、布でも紙でもない、鉄でも焼き物でもない不思議な素材でできとる」
雨森晴門は猪熊通に住む絵描きの太一を拘束したようだが、彼の家でこの仮面は見つかったという。雨森は太一を鴨川の星の仲間とみているのであろう。
山崎は多忙である。隊士達の任務の遂行、日常を監視し、京に暗躍する長州派、勤皇派の公家、志士の動きを探索し、勘定方も兼務している。その合間を縫って新撰組の邪魔をし、長州派の息がかかった公家や浪士の味方をする天狗鞍馬の黒椿と女天狗鴨川の星のことを調べているのだ。それは副長土方歳三の命でもある。
「そやけど、大覚寺では一橋中納言さまの命を救い、必ずしも公儀(幕府)の敵とは言えへんようやなあ」
鴨川の星は、新撰組発足前は、攘夷御用盗などの無頼を働く不逞浪士や盗賊団を倒したり、捕えて奉行所に突き出したりもしていたようで京雀達からの評判もよい。そして大覚寺で危ういところを救われた一橋慶喜はこう言ったと伝わっている。
「女天狗鴨川の星、天下を騒がす悪女と聞きしも、さにあらず。余はあの女の面の下の素顔を見ることを切に願う」
(公儀に楯突くただの悪の女剣士とは思えへんなあ)
山崎は「大覚寺事件」の直後に嵐山の渡月橋北詰にいた白馬の鞍上の鴨川の星を木の陰に隠れて見ている。
(あれが女天狗鴨川の星か!)
心の中で叫んだ行商人の成りの山崎が、気配を消して近付こうとするのを知ってか知らずか、仮面の女剣士は立派な体躯の白馬の手綱を引き、マントを翻して駆け去って行ったのだ。その後、山崎は大覚寺へ行き、例の手裏剣を手中に収めたのである。
(その正体を知りたいもんや、パレモンこと雨森晴門はそれを掴もうとしているようやけど、先を越されないようにせんとなあ・・)
そうこうするうちに西本願寺の阿弥陀堂門をくぐろうとした山崎に声をかける者が会った。山崎は慌てて仮面と手裏剣を袱紗で包み、袂に入れた。
「山崎さん、何処に行っておられたのです!副長が、土方先生がお呼びです!」
それが先月七月に沖田の一番組から諸士取締役兼監察に配置換えとなった古村啓七郎であった。
「古村、ちょっと待ってんか。この薬箱を部屋に置いてくるさかい」
そう言ったことを山崎は後々後悔することとなる。
「あの時、鴨川の星は、屯所があった西本願寺に侵入してきたのですよね」
「そうやったな」
古村が山崎と一緒に土方の部屋にきて、その障子を開けたとき、外で馬の嘶(いなな)きが聞こえた。その後、銃声のような音がし、甲高い若い男の声が聞こえた。
「女天狗やああ!鴨川の星やああああああ!」
「ひぃ!あ、あかん!」
その声に町人風の髷を結った山崎が狼狽して叫び、声の方向に顔を向けたのを古村ははっきりと覚えている。
「山崎、古村、出るぞ!」
「へ、しかし」
山崎が土方のほうを向いたとき、さすがの鬼の副長は愛刀和泉守兼定を手にとって部屋を飛び出していた。
だが、あの日の夜、局長近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助、斉藤一、原田左之助といった古参の、伊藤甲子太郞のような実力のある幹部の多くが不在であり、屯所周囲の警備を担当している四番組、非番の隊士を含めても三十人も居なかった。山崎の狼狽の理由はそこにあったのだ。
甲高い声と銃声(実は爆竹の音)により西本願寺の阿弥陀堂門、御影堂門から多数の隊士が外にでていった。彼らの前を勢いよく駆けていったのは、鴨川の星を乗せた白馬だった。どうやらそれは陽動で、偽者(実は人形らしい)と分ったのはしばらく後である。
「おお、女天狗だ!出会え、出会えええええええええ!」
「鴨川の星だぁ!副長に報告だ!」
隊士達が叫び合う。西本願寺の境内の内外が蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。昼間であれば、それが人形であることは明白だったろうが、夜の闇にはそれが女天狗とも呼ばれる鴨川の星そのものにしか見えなかった。(最も鴨川の星が白昼に京に現れることはまずなかったが)長い髪と共に翻るマント、身体の線を露わにする濃紺の装束に白い足、それらを本物の鴨川の星と見間違えたとしても無理はなかったであろう。
ある隊士は走って追いかけ、ある者は屯所にいる土方歳三らに報告すべく境内を駆けた。
「出やがったか、鴨川の星め!」
そう叫んだ土方歳三が山崎丞と古村啓七郎らを従えて、西本願寺の阿弥陀堂の廊下を小走りでいると、門前で警備をしていた四番組の隊士が走ってくるのが見えた。
「何事だ!」
「は、土方副長、鴨川の女天狗、鴨川の星が馬に乗って門前を南へ駆けていきました!」
「すでに武田先生、松原先生らが追いかけています」
五番隊の組頭武田観柳斉は当てにならず、四番組の組頭松原忠司(ちゅうじ、ただしとも)はこの屯所の直衛である。永倉新八は二番組を率いて市中巡察に出ているはずだ。古参幹部の一人井上源三郎は、人はいいのだがあまり当てにはならない。そう思ったのだろう。土方は舌打ちした。
「馬でかね?」
「いえ、走ってですが・・」
七条通との辻で左へ、つまり東、鴨川のほうへと白馬が曲がったとの声が門外から聞こえてきた。あの二人は白馬に乗った女剣士に足で追いつけると思っているのだろうか。古村は疑問に思ったが、土方も同じ考えだったようで、再度舌打ちをしてから叫んだ。
「よし、馬を牽け!すぐに追いかけるぞ!今日こそあの生意気な女を捕える!俺ンに付いてこい」
屯所内外を警備していた七番組のみならず、非番で食事や就寝をしていた隊士全員が起こされ、屯所にいた幹部は馬に乗って西本願寺を飛び出した。この時屯所にいた隊士三十名のほとんどが鴨川の星を捕縛せんと、次々と出動したのである。鴨川の星が考えた陽動作戦に土方、山崎、古村ら新撰組は見事に引っかかったのだ。
鴨川の星は、軍学者雨森晴門の役宅の町屋を出た後、花屋町通を歩いて西本願寺の阿弥陀堂門をくぐったらしい。新撰組の屯所に侵入されるとは、舐められたものだが、屯所が壬生にあったときは、天狗鞍馬の黒椿が討ち入って隊士数人を斬ったことがあったという。
鴨川の星は屯所として使われている西本願寺の北集会所(きたしゅうえしょ)にあがりこんだのだろう。山崎の部屋に入って襖を次々と開け、箪笥、床の間の掛け軸の裏などを探し回ったはずだ。女剣士は行商人が背負う薬箱とその横の文机には紫色の袱紗を見つけ、中にある紅緋色の仮面を見つけたのだろう。(仮面の件は先述の通り古村は知らない)
北集会所の建物を出て、阿弥陀堂の前を歩く鴨川の星が星空を見上げているのを、寺僧達が目撃していた。
「何者だ!」
そんな鴨川の星に叫んだのは、僧ではなく、坊主頭で色白の体格が堂々とした男、四番組組頭副長助助勤松原忠司だったらしい。他に四人の隊士がいて、二つの門、阿弥陀堂門と御影堂門が閉められた。
その頃、鴨川に架かる五条橋から七条橋の間の河原では、新撰組の四番隊、五番隊の隊士らが右往左往していた。
「さ、探すのじゃー。鴨川の星はこの辺りにいるはずじゃー」
「鴨川の星」を乗せた白馬は、七条通を駆け、鴨川を渡ったのだが、そこで見失っていたのだ。五番隊組頭の武田の甲高い声が鴨川に響く。それを鞍上の土方歳三は苦笑して聞いていた。右横に井上源三郎、左横に山崎丞を乗せた馬がいる。山崎の後ろの馬の鞍上には古村がいる。
「さては図られたかな、山崎君」
歳三は町人姿ながら手綱を取る山崎丞に言った。
「俺らンを屯所から引き離して得られるものは何だ?」
「猪熊通の襖絵描きの太一ですかいな。パレモン、いや雨森晴門殿が町屋に拘束しとったけど・・」
「監察としての山崎丞に聞く。その太一とやらは、鴨川の星女天狗の一味とみていいのかね?」
山崎は雨森が鴨川の星の紅緋色の仮面を手にしていたが、それが太一の家で手に入れたものであることは知らなかった。太一について山崎も色々調べたが、怪しいところはなく、ただの絵描きであった。そして今はその仮面は山崎の「手中にある」ことは土方には伏せるべきと考えていた。
「いいえ、雨森殿の勇み足やろうな、いや、でしょうな、副長。鴨川の星の性格からして、自分の為に関係あらへん男が捕まっているのは、許せへんのとちゃいますやろか」
「では、あの雨森の町屋は?」
「襲われとるかもしれまへんな」
「ふふ、源さん、山崎君、戻るぞ!」
「武田はんはどないします?」
「放っておけ!」
土方歳三は井上、山崎、古村を連れ、屯所がある西本願寺に向かって手綱を引いた。
土方歳三、井上源三郎、山崎丞、古村啓七郎らが西本願寺に辿り着くと、阿弥陀堂門と御影堂門の二つの門が閉まっていた。山崎が阿弥陀堂門のくぐり戸を通って中から門戸を開くと、そこには驚くべき光景が広がっていた。
四番隊の組頭、松原忠司と隊士五名が倒れていたのだ。皆、峰打ちではあったが、痛みに身体を震わせていて、気絶している者もいた。
「しまった。源さん、屯所を調べてくれ!俺ンは雨森の町屋へ行く。山崎、来い!」
土方が山崎、古村と一緒に、雨森晴門が使っていた町屋の中に入ると多くの血の臭いがした。畳の上には二人の隊士が絶命していて、通り庭を通って土蔵が立つ座敷庭に入ると、そこには雨森晴門の跳ねられた首と胴体、袈裟懸けに斬られた可児半五郎、岩田佐兵衛ら四番組隊士らの遺体があった。土方はかがみ込んで手を出し、目が見開いた雨森の瞼を閉じてやると、胴体のそばに置いてやった。そして立ち上がると言った。
「鴨川の星を甘く見るなと局長が言ったんだがなぁ・・・」
「副長・・・」
「山崎君、四番隊組頭松原忠司君にはいずれ責任を取って貰わねばなるまい。このところ他にも色々あったからな」
「分りました。わしも屯所を見てきまわ!」
「頼む!」
古村は土方に命じられ、雨森、可児、岩田らの遺体を、筵を敷いた座敷庭に並べた。
「さぁて、局長には何て言うかだな。それにしても鴨川の星、女にしておくには勿体ねえな・・・」
土方は自嘲して目を閉じた。古村はちらちらと鬼の副長の顔を盗み見ていたが、
突然彼が目を開いて叫んだのには驚かされた。
「ふ、いつでも相手になってやらあぁ!待っていろよ!」
「副長?何か・・・」
古村が訝しんで土方に聞いた。土方は何でも無い、と言うかのように手を振って、雨森町屋を出ていった。そのころ、西本願寺境内の屯所では、山崎が自分の部屋が荒らされ、鴨川の星の紅緋色の仮面がなくなっていることに絶句していた。
さて、古村啓七郎の調べは続いている。
慶応二年(1866)一月二十三日には京都所司代松平越中守定敬の命を受けた伏見奉行所により、土佐浪人坂本龍馬捕縛が試みられた。長崎から潜入した坂本は不穏な動きをしていたのである。所司代はこの頃伏見に宿を取っていた禁裏御守衛総督権中納言一橋慶喜が一橋慶喜を襲撃するのでは、と睨んでいたのである。(薩摩藩と長州藩が同盟を結び、龍馬が仲介をしたことを幕府側は知らなかった)伏見奉行所は坂本と同席していた長府藩士三吉慎三、若州(今の福井県)浪人富山美蘭らを船宿寺田屋で逮捕寸前にまで追い込んだが、そこへ鴨川の星が現われ、坂本らを逃がしたのである。その後、伏見奉行所に助太刀しようとした新選組を、伏見の京町通において女天狗鴨川の星は一人で相手にし、伏見の街に入らせなかった。結果として公儀は坂本らを取り逃すこととなった。
「三十人以上の捕り方が寺田屋を囲んだのに、坂本某には逃げられ、またしても鴨川の星を取り逃がすとは・・」
古村は資料を閉じた。
「何故だ!なぜ、女天狗鴨川の星を四年も経って捕まえることができないのだ!」
古村は不思議でならなかった。鴨川の星の身長は五尺五寸(165センチ)、その腰まで届く髪は濃い栗色だという。
「五尺五寸の大女なんてそう多くはいない。女天狗が現れるのは決まって夜だ。ならば市井の女でいるであろう昼間に見つけて捕まえればよいではないか!」
だが、新選組はこのところ多忙で、今まで以上に誰も神出鬼没の女剣士の正体を探ろうとはしなかった。対外的にも忙しいのに、参謀伊東甲子太郎による分隊騒動、不動尊村への屯所の移転計画(その後移転)もあって女剣士のことなどかまっていられなかったのだ。
「ならば俺がやってやろうじゃないか。女のくせに剣を持って戦うなど許せん!」
ある日、非番の古村は錦小路の市場通りをぶらぶらと歩いていた。寺町通に入って北へ上がると、元気な女の声が聞こえてきた。
「おおきにどした!またきておくれやす!さあ、まいどまいど、綺麗な花どすえ」
寺町錦小路上ル円福寺前町に木桶に生花を活けて売る奇妙な花屋があるというのは古村も聞いていた。この時代の京の花屋というのは棒手振や、大原や白川から女が売りに来るのが普通だったのである。それは元々楼蘭堂なる医術所兼薬屋だったのが、文久二年、五年前に花も売るようになったという。そこには美しい女主人がいてなかなかに繁盛しているという噂だった。古村は声のする方向を見た。「花卉薬種取扱ひ楼蘭堂」と縦書きに書かれた 看板の横で呼び込みをする女は五尺五寸くらいの長身の美女で、深緑色の桜の花が描かれた小袖に前掛けをしていた。嫌味のない艶やかな雰囲気を出す、二十歳は越えているであろうその女の目は鳶色で円らで涼しく、肌は透き通るように白くて鼻筋が高い。小さな口は下唇が少し出ているが、紅玉色、浮世絵に描かれるような美顔で、島田に結った髪は濃い栗色だった。
「五尺五寸の女、栗色の髪、円らで涼しい眼・・・・・」
古村は直観した。この女主人こそ女天狗鴨川の星ではないか、と。着物に隠れてはいるがなかなかに鍛え抜かれたような身体に見えたし、桶を担いだ時に見えた腕は逞しかった。
「普通の女には見えない・・」
古村はしばらく楼蘭堂の前を行ったり来たりした後、不動堂村の屯所に戻り、調査を開始した。奉行所に出入りする顔の効く密偵数人を使った。また、屯所にある女天狗鴨川の星、天狗鞍馬の黒椿に関する記録、資料に目を通した。
女の名はお星(せい)と言った。楼蘭堂のかつての主人、医者である下川楼蘭の娘で本名は下川星、星子とも言うらしい。楼蘭が安政五年(1858年)に押込み強盗で妻女の倫共々命を落としてからお星は姿を消したが、文久二年に突如現れて楼蘭堂を再開し、先述したとおり生花の販売を始めたという。
「女天狗がこの京に現れた時と一致するではないか・・・」
それに楼蘭堂がある寺町通近くの河原町通、錦小路の路上、屋根上では夜更けや夜明け前に女天狗鴨川の星らしい女の姿が密偵たちによって目撃されている。
密偵たちによると、お星が女天狗鴨川の星では、との疑念はかつて何度かささやかれたらしいが、体格は立派で手先は器用なものの、おっとりした身体の動きが剣の使い手には見えないと言われ、その都度沙汰止みとなった。また楼蘭堂の常連の一人が他でもない新選組局長近藤勇で、妾になるように迫ったという噂もあるらしい。
「だが、寺町付近での目撃がほとんどなかった時期がある」
元治元年(1864年)七月、前月の池田屋事件に端を発する禁門の変で京は広範囲が焼け野原となり、二万七千軒の公家、武家の屋敷、町屋、寺社が失われた。楼蘭堂は幸い奇跡的に焼け残ったのだが、店がある円福寺前町の町屋、寺社の多くが焼失し、多数の得意先が被害を受けるなど商売が立ち行かなくなり、一年程、翌慶応元年(1865)秋頃まで店は看板を下ろしていたらしい。その時期、お星は寺町錦界隈から姿を消し、鴨川の星も付近には現れなくなったのだ。
かわって、その後の約一年、鴨川の星女天狗の目撃例が増えたのが、鴨川の東岸、芸妓や舞妓の置屋が多数ある祇園だった。
古村は祇園に足を伸ばした。その日、寺町の楼蘭堂は締め切られ、店を休んでいた。七つ半(午後五時)、舞踊や唄、三味線などの稽古を終えた芸妓や舞妓たち化粧と着替えを終えてお座敷へと向かう時間である。光善という比較的小さな置屋から四人の女と男が出てきた。
「芸妓の深草、墨染、舞妓の小藤、小森、その後ろを三味線などが入った箱を運んでいるのが男衆(おとこし)の文助!」
一緒にいた密偵の六次が言った。祇園などの花街なら見られる普通の光景が古村の目に映り、一瞬瞼を閉じたとき、甲高い声が聞こえた。
「ま、待っておくれやす!」
光善からもう一人芸妓が出てきたのである。他の四人よりも背が高い芸妓に古村は目を奪われた。
「そして幻の芸妓といわれら花星(かほ)でんな。これで五人揃いましたな」
舞妓は原則として自分で三味線を持ち運ぶが、芸妓は箱にいれたそれを箱屋の男に持たせることが多い。女達の着物は黒の紋付きだが、芸妓の三人の帯は太鼓帯に留袖、舞妓の二人はだらり帯髪に振袖、髪には花簪をつけているから見分けは容易だ。顔同様白粉を塗ったうなじが露出していて街を歩く男達の目を誘っていた。後から出てきた芸妓は先頭の深草の後ろに追い付いた。
「それより、あの前から二人目の芸妓・・・」
その芸妓は島田に結った濃い栗色の髪、白粉(おしろい)を塗ってはいるが、円らだが涼しい眼、筋の高い鼻、やや前にでた下唇が見えた。そして背丈は五尺五寸(約165センチ)。
「花星どすなぁ。古村さま、お目が高おすな。あれが幻の芸妓と評判の芸妓、どんどん焼け(禁門の変による京の火災)の後、一年くらいはここらで昼間もよう見かけ、お座敷の数もふえたんどす。そやけど最近はまた幻の芸妓に逆戻りどすわ。古村さまはまんがええおす(運が良い)な。ほてから・・」
六次の言葉が途中から頭に入らなくなった古村啓七郎。
(どうみてもお星ではないか・・・)
六次によれば、花星は祇園で各藩の京都留守居役らと会合を持つ新撰組局長近藤勇に気に入られ、「旦那さん」になろうとする両替商と火花が散らされてこともあるらしい。古村は局長の色好きに失笑した。この日、近藤は祇園で会津藩の用人らと会合を持つと聞いていた。
「今日は花屋を休み、芸妓としてお座敷に出るのか。様々な話が筒抜けになっているのやもしれぬ」
それはそうと、近藤は楼蘭堂のお星を気に入ってもいたし、鴨川の星とも何度か対峙したことがあると聞く。花屋の女主人、人気の芸妓、そして仮面をしているとは言え、謎の女剣士が同一人物であるとの疑念は持たなかったのであろうか。古村は不思議だった。
花星の座敷には鬼の副長土方歳三も出たことがあるらしい。
元治二年(1865年)二月、先斗町の瓢亭にて土方は長州藩の奇兵隊総督赤根武人、奇兵隊の剣客天堂晋助らと会合を持ったが、そこに花星ら光善の芸妓や舞妓らがいたとのことだ。その後、天堂を狙う謎の刺客の一団が現われ、そこへも鴨川の星が現れ、助太刀したという。光善の芸妓深草と墨染、舞妓小藤と小森は瓢亭から逃げ去ったが、花星は先斗町木屋町界隈から姿を消したそうだ。
「瓢亭の二階には、花星の着物と帯、襦袢などが残されていたそうだ」
とは山崎丞の弁。
六次によれば、慶応元年(1865)秋ごろには祇園での鴨川の星の目撃情報は少なくなった。それは楼蘭堂の再開時期と一致する。
その秋頃の話だが、鴨川の星が摂津西宮で目撃されたのである。大坂町奉行所西宮勤番所に侵入し、何かを探ったというのである。勤番所には武田観柳斉率いる新撰組五番組が駐屯していたが、武田は取り逃がしたらしい。五番組は坂本龍馬が畿内へ入るとの情報を得た副長土方の命で西宮に出張していたのである。
また、鴨川の星が摂海(大坂湾)に停泊していたフランスの軍艦サン=ルイに侵入したとの情報もあった。伊勢国藤堂左近衛兵権少将の津藩の船の情報だった。
(筆者注・津藩の警備船に鴨川の星の情報を伝えたのは副長助勤八番組組頭藤堂平助だった。藤堂は、土方に命じられ、伏見と大坂を結ぶ船便が発着する天満橋を警戒する任務についていたのだが、非番の夜に屋形船で海に出ていたのである。このことを藤堂は報告していなかったのと、津藩の役人も気を遣って藤堂から情報を得たことは黙秘したようだ。なおそれが、藤堂平助が津藩藤堂家三十二万四千石の落胤を自称したことと関係があるかどうかは分らない)
鴨川の星が大坂や西宮に出現した頃、寺町の楼蘭堂は店を閉めていたらしい。また、お星と”丁稚”である少年屯太が何度も目撃されている。ようで、大坂では天満橋八軒家浜で下船し、藤堂平助の八番組の尋問を受けたあと、二人は北船場、南船場の街中を歩きつつ、土佐堀川・越中橋にある薩摩藩邸・蔵屋敷へと入った。暫くして薩摩藩邸から出た二人は、野田村、北傳法宿、松平遠江守五万石の城下町尼崎を経て港町西宮に着いた。西宮では五番組伍長田井中源次郎が勤番所に連行して尋問したが、街中で発砲騒ぎがあり、解き放たれたとのことである。その後お星達は西宮の旅籠鳴門屋与兵衛方に泊まったそうだ。
街道を歩く時、渡し船に乗る時、長身で美しいお星はどうしても目立つ。杖を右手に持ち、三味線箱を背負い、鳥追い笠を被ったお星の目立つうなじ、すらりと伸びた四肢、色気がにじみ出る腰から膝にかけてを通りすがる旅人や百姓達が目を走らせたらしい。
すべて五番組、八番組から報告があがっているのである。なお、五番組組頭だった武田観柳斉は先月六月に二十二日、除隊騒動を起こした上に鴨川の細流にかかる銭取橋で粛清されている。
「鴨川の星、女天狗、九割九分、その正体はお星だな・・」
古村は確信した。
山崎にお星の監視を進言するも、あまり気乗りしない様子だった。
「おまさんがやりたいなら、やったらええ」
山崎は古村に応えた。早速、古村は息のかかっている密偵達に声をかけた。
「寺町円福寺前町の楼蘭堂のお星を張るのだ」
「な、なんでですの!」
古村は知らなかったが、以前も楼蘭堂を監視していた時期があったが、結局、中止されたということである。密偵たちは渋っていたが、古村に金子を与えられ楼蘭堂の周りを監視し始めた。だが、程なく二名は京から姿を消し、その一人燕の黒助は暇乞いを申し出た。黒助は鴨川の星が初めて京に現れた場に居合わせた者でもある。
「こればっかりは勘弁してえな、旦那!」
そう言って黒助は古村の前を去った。
ならばと古村は非番の日を使って楼蘭堂を監視し、お星を付けるようになった。
「この古村啓七郎が鴨川の星女天狗の正体を突き止めてお縄にしてやる!」
しばらく経ってから元上官であり、今も仲が良い一番組組頭の沖田総司が不動堂村の屯所の廊下で笑いながら近寄って言った。体調がよくない沖田はこのところ巡察に出ることは稀らしいが、その日は肌の色もよかった。
「古村さんにもいい女(ひと)ができたのですか。紹介してくださいよ」
「沖田先生、いずれ、そうなるでしょう。楽しみにしておいてください」
「先生はやめてくださいよ。それと古村さん、女天狗こと鴨川の星、甘く見ない方が身のためですよ」
「それは、どのような意味で?」
「今に分かります。私は言いましたよ」
このころになると監察の古村が女天狗鴨川の星を捕縛すべく動いているという噂が隊内で広がっていたのだ。ある夜、古村は乞食の格好をして寺町錦の辻で楼蘭堂を張っていた。
元治元年(1864)七月禁裏御守衛総督一橋慶喜に率いられた会津藩薩摩藩を中心とする幕府方と武力を背景に京都政界に復権しようとする長州藩との間で禁門の変が起こった。その時の火災「どんどん焼け」で京の大半、二万七千軒の家屋や寺社が焼けたことは先述した。楼蘭堂や近隣の町屋、寺町通りの向かいの寺院などこの辺りは幸い難を逃れ焼け残った。
「女天狗鴨川の星、花屋のお星、そして芸妓花星、運のいい奴だ。だがその運もまもなく尽きよう」
そして四つ(十時)になったころ、店の戸が開き、御高祖頭巾をかぶった長身の女の影が出てきた。楼蘭堂の若き女主人に間違いないだろう。
「お星だ。どこへいく?今宵女天狗として出るのか。それとも芸妓花星として座敷に出るのか。それにしては遅い時間だ」
お星は尻を左右に振りつつ寺町通りを南に歩き、四条通りに出ると東に向かった。四条大橋を渡り、伏見街道にでると南へと歩を進めた。さらに夜も更け、東福寺の近くに来た頃、少し退屈をし、考え事をしていた古村はお星の姿を見失った。
「し、しまった。疲れがでてしまった。不覚!」
古村は伏見方面か迷った末、東福寺の門前に向かって歩きだす。しばらくすると馬の嘶きと蹄の音が東の方から泉涌寺の方向から聞こえてきた。
古村は剣の柄に手を付けた。馬は夜目にも白馬だとわかった。女天狗鴨川の星は白馬に乗って現れる事が多いと聞いていた。三条河原町の辻で、嘶きをあげる白馬に屋根伝いにかけていた鴨川の星が飛び降りて鞍上の女剣士となり、そこから駆けて行くことも多いらしい。
「女天狗?お星が鴨川の女天狗になって出てくるのか?」
馬は瞬く間に古村の前に着いた。刀を抜いた古村は鋭と叫んで馬上の主に突いた。明らかに女と分かったそれは馬の鞍から飛び上がり、東福寺の築地の瓦に降り立った。光などないはずなのに、後光のようなものが「彼女」を背後から照らしていた。大きな外套と腰まで伸びた長い髪が風で揺れる。
「鴨川の夜の水面を照らす星 朝霧たちし消える儚き・・・・私は鴨川の星、人はまた女天狗とも呼ぶ。すべては弱き者の為、義の為、夜の京にて剣を取ります。さあ、覚悟!」
そういうと女天狗鴨川の星は築地(ついじ)を飛び降り、古村の前に立った。青い銀の星印が縫われた頭巾、身体の線が露わになる濃紺の不思議な装束、裏地が赤い黒の外套、筋肉質だが白くてふっくらとした太もも、黒い長い皮の西洋靴、そして彼女の最大の特徴である紅緋色の仮面とその奥の円らな鳶色の瞳、透き通るような白い肌にすらりと高い鼻筋・・・
(まさに、鴨川の星女天狗だ。はやり、お星なのか)
悩ましい若い女の匂いと橘の香りがした。息遣いも聞こえてくる。肢体が、とくに豊かで均整のとれた乳房の線が目に入り、古村は動揺する。そして次の瞬間、彼女は予想外の行動をとった。紅緋色の仮面を自ら取ったのである。濃紺の頭巾の下の顔は楼蘭堂の女主人お星そのものであり、白粉こそしていないが祇園で見た芸妓花星でもあった。
(だが、声はどうだ。分からぬが話し方は店にいたときのような京言葉ではなく東国の武家の内儀のようだ。違うのか?)
「新撰組諸士取扱方兼監察方古村啓七郎殿、私の正体を知りたかったのでしょう」
「な、なぜ私の名を、貴様は・・」
「せやけどなあ古村はん、あてはやめとかはったほうがえぇとおもいますぇ」
その声に古村の顔は恐怖で引き攣った。やはりその声は店で呼び込みをするお星の声そのものだったのだ。
「お前は、やはり、あの花屋の楼蘭堂の・・・・・」
そのあとの言葉は続かなかった。抜刀する間もなく鴨川の星、女天狗の大刀陸奥守吉行が彼の首を撥ねたのだ。首は門前に転がり、口は大きく開いたままだった。再び仮面をつけた女天狗ことお星は懐紙で剣の血を拭うと指笛を吹いた。すると十間(約18メートル)ほど西の方にいて、様子を伺っていた馬の白梅が近寄ってきた。
「さあ、行きましょう、白梅。今宵も志のある若い命を救わねば。それがこの日の本の未来をつくることとなりましょう」
仮面の女剣士を乗せた白馬は、お星=鴨川の星の言葉に嘶いて答えると、伏見街道に出て南へと、伏見のほうへと走り去っていった。
翌朝、乞食の格好をした古村の亡骸は東福寺の僧侶によって発見され、奉行所を通じ、不動堂村の新選組の屯所へと知らされた。僧侶は古村の顔を見知っていたのである。古村の死を知ると、体調がすぐれず臥せっていた沖田総司は深くため息をついた。
「女天狗を、鴨川の星を甘く見るなと言ったんだけどなあ」
沖田は天井を眺めながら思った。二条城の前、江州大津の生糸問屋の前、先斗町界隈、
直接間接を問わず、沖田総司は女天狗鴨川の星を倒すことができなかった。
天井のしみが古村に見え、その横に仮面をつけた女剣士が映ったように見えた。沖田は首を振って眼を閉じた。そして彼を蝕む労咳に良く効くという薬を売る花屋でもある薬種商楼蘭堂の若き女主人の美しい顔を瞼の裏に浮かべつつ、寝息を立て始めた。
山崎丞から古村啓七郎が鴨川の星によって東福寺近くで斬殺されたとの報告を受けた土方歳三は、火がついていない冷たい火鉢のそばで爪をヤスリで研ぎながら、謎の仮面の剣士女天狗鴨川の星と南禅寺で対峙したことを思い出していた。
『女天狗こと鴨川の星!新撰組副長土方歳三だ!覚悟しろ!』
南禅寺の三門前で白馬に乗っていた女剣士は、歳三のその言葉を聞くやいなや馬から降りて抜刀し、十段の石階段を駆け下りてきた。
『新選組副長土方歳三殿なら相手に不足はありませぬ!この鴨川の星、お相手いたしましょう』
京を“騒がす”仮面の女剣士は足を肩幅より少し広いくらいに広げ、右手に反りの少ない大刀を、左手に脇差を持って構えた。二刀流だった。その時より前に、先斗町で二刀流の使い手長州の天堂晋助と組んで刃向ってきたことがあった。天堂に学んだのだろうか。
女天狗とも呼ばれる鴨川の星は、天狗鞍馬の黒椿とともに何度も新撰組を翻弄し、
斬られた隊士も一人や二人ではない。京の事実上の非常治安警察である新撰組としては二人を捕え、必要ならば斬らねばならない。特にこのところ鞍馬の黒椿よりも女である鴨川の星の活動が目立ってきている。
だが、理由は分らないが、十五代将軍に就任した徳川慶喜公として会津藩からは鴨川の星の捜索に深入りしないようにとの指示も出ていた。
古村はそのことを知らされていなかったので、まっすぐ任務を果たそうとしたのだろう。
手を止めた土方は立上がり、局長近藤勇の部屋へと向かうべく、障子を開けた。
「おおきにどした!またきておくりゃす!さあ、まいどまいど、綺麗な花どすえ」
寺町錦小路上ル円福寺前町では「花卉薬種取扱ひ楼蘭堂」の看板の横でお星が呼び込みをしていた。深緑色の桜の花が描かれた小袖に前掛けをしていている姿を、寺町通りを歩く人々は微笑んでみていた。誰も、昨夜彼女が東福寺で新選組の監察の首を刎ね、その後伏見まで走って一戦交えたとは想像もつかないだろう。そこへ一見頼りなさそうな、月代を無精にのばした中年男がやってきた。手には手紙のようなものをもっている。
「あら文助はんやないの?手紙どすかぁ?」
祇園の置屋光善の男衆文助だった。お星は手紙を受け取って開いた。
「まあ、おかあさんやわ。またお座敷?明日?あてはこの楼蘭堂でいそがしいんどすぇ。あら、文助はん、まってぇな!」
そしてお星は辻で立ち止まり、空を見上げた。鳶(とんび)が空高く舞っている。
(そして夜は謎の仮面の女剣士、鴨川の星として戦わねばならぬのです!)
お星が心の中で決意すると、その高い鼻に白いものが落ちた。鳶の糞だった。
「まあ、かなわんわあ。でもお座敷もたまにならかましまへん。あては芸妓花星でもあるのやしなあ。あ、おこしやすぅ!屯太!お茶の用意おたのもうしますぇ!」
お星は近くの東林寺の住職覚然の姿を見つけると、手を振って彼を店の中へと誘った。
今日も忙しくなりそうだ。
おわり
La Légende de Étoile de la Seine au Japon.
Elle s’appelle Étoile de la Kamogawa=Une femme Tenguh.
“Recherchez la véritable identité de cette épéiste!”
Finir