幕末のラ・セーヌの星 鴨川の星 快傑女天狗   作:koh1968

7 / 8
『ラ・セーヌの星』23話「天使の黒い矢」を原作とする二次創作です。

本編ではマリー王妃を暗殺しようとする動きがあり、一人の少女とダントン、そしてラ・セーヌの星の活躍でそれは阻止されますが、さてどうなりますでしょうか。
pixivに投稿したものを一部手直しの上、ここに投稿します。
よろしければおつきあいください。


天使の黒い矢‐第一話 二組のきょうだい‐

La Légende de Étoile de la Seine au Japon.

Elle s’appelle Étoile de la Kamogawa=Une femme Tenguh.

“lèche noire d`angeⅠ”

 

 ここは京、空には星が瞬いていて東山三十六峰の稜線が甍(甍)の向こうに見えている。

 法観寺八坂の塔の下に倒れこんだ浪人は、五重塔を背景に立つ女に恐れおののいた。

「その程度ですか。浪人!」

 そう叫んだ女は銀色の星印が縫い込まれた奇妙な青い頭巾(ベレー帽)を被り、豊満な胸乳、括れた腰、が露わになる濃紺の奇妙な装束(レオタード)を身に包んでいる。装束によって両腕はすべて覆われているが、下半身は鼠径部(足の付け根)までしかなく、白くてふっくらとし、筋肉質な太ももが露わになっていた。装束の上には裏地が赤い黒の外套(マント)を羽織っていて、その後ろには紫色の帯でくくった濃い栗色の髪が風で北になびいていた。

 女は反りの少ない大刀の柄を右手でつかみ、左の親指と人差し指で物打を撫でていた。そして最も彼女を特徴づけるのは、白い瓜実のような顔の上半分を隠した紅緋色の目かずらのような仮面だ。仮面の下の円らで涼しい眼は、浪人を見降ろし不敵に笑っている。鼻筋はスラリと高く、額や頬など肌は白くきめ細かい。口は小さく紅玉色で、下唇が少し前に出ている。

 その仮面の剣士の名は鴨川の星。文久二年(1862)の春以来、夜の京で勤王の志士、幕府の開国政策による物価高などで苦しむ庶民など弱き人々を助ける謎の女だ。作州(美作国、今の岡山県)浪人の宮川は、先日手下を率いて、四条烏丸の両替商越中屋など数軒を襲い、今夜は清水寺の近くの産寧坂で座敷の帰りの宮川町の置屋湖舟の芸妓住吉と舞妓二人ら三名に大刀を向け、金をせびっていた。そこに鴨川の星が現れ、成敗されたのだ。

 宮川も一刀流の目録をもっていて、剣の筋は悪くない。だが、かろうじて鴨川の星の左の乳房の上あたり、左上腕部を切りつけ、“レオタード”に裂け目を作るのが関の山であった。

「た、頼む!ゆ、許してくれ!」

「さあ、私が許しても彼らが許すかしら」

 鴨川の星の視線が西の方向、鴨川方へと向けられた。そこには「誠」と赤字で書かれた提灯が多数揺れているのが見えた。京都守護職松平肥後守容保預かりの新選組だ。京の事実上の非常治安警察の一隊が八坂の塔に向かって坂道を上がってくるのだ。

「ひ、ひいいい!ゆ、許してくれ!」

 鴨川の星が剣を腰の藤色の帯に挿された朱色の鞘に納めると、彼女は指笛を吹き、産寧坂の方向から白馬を呼び寄せた。新選組はすぐそこまで迫っている。

「では、浪人殿!これにて!」

 鞍上の人になった鴨川の星は、浪人宮川を置いて暗闇の中へと消えた。

「ひぃ!ま、待ってくれぇ!」

 程なく宮川は多くの提灯に囲まれた。新撰組の隊士達は十人はいたであろう。

「会津中将様御支配新撰組副長助勤藤堂平助だ。貴公は何処の藩の方かな」

 そう言った藤堂と名乗った男は、宮川を平隊士達に任せると、馬が駆け去った清水寺の方向を見た。

「かすかに女の匂いがする、やはり女天狗、鴨川の星か」

 藤堂は隊士二人に、喜田勢次郎と青木仁郎太に後を追わせた。

 

フランス大革命の前夜、花屋の娘として育てられた美少女シモーヌはラ・セーヌの星と名のり、剣を取って戦った。シモーヌは、自分が王妃マリー・アントワネットの妹であることを知らないまま、その剣を弱き人々の為にふるった。

そして幕末維新前夜、極東の島国日本の京。花屋の女主人お星(せい)も鴨川の星と名乗り、剣を取って戦う。

しかし彼女は、自分がシモーヌの曾孫であることと、徳川幕府最後の将軍となる一橋慶喜の妹であることを全く知らなかった。

 

 幕末のラ・セーヌの星 鴨川の星 快傑女天狗!

 「天使の黒い矢‐第一話 二組のきょうだい‐」

 

「鴨川の女天狗はん、おおきにぃ!」

「星!鴨川の星です!では!」

 作州(美作国、今の岡山県)浪人宮川に脅された芸妓住吉と舞妓らに手を振って別れを告げ、仮面の女剣士鴨川の星は愛馬を駆って二年坂の十七段の石段を駆け下りていく。彼女は祇園社石段下近くの漬物商津島屋を襲い、さらに産寧坂でお座敷へ向かう芸妓住吉達を襲った宮川を八坂の塔の下で成敗して新選組に引き渡したのは先述した。

そこに居合わせたのは、鴨川の星を追って二年坂を歩いていた寺町通の読売(瓦版を作って売る者)の修郎だった。銀色のたてがみを靡(なび)かせる白馬の手綱を鞍上で引く女剣士は、白い顔の上半分を隠す真紅の仮面の下から修郎に微笑んだように見えた。小さな口は少しだけ開かれ、何かを言ったように思えた。

 銀色の星印を縫い込んだ青い頭巾(ベレー帽)によって守られた栗色の髪は、こめかみのあたりから前に垂れ、首のあたりで紫の帯で結ばれた後ろ髪同様、風に揺れている。裏地が赤い黒の外套(マント)の下には、濃紺の不思議な装束は両の胸乳、腰のくびれを露わにしていう、この時代の風俗概念とはおよそかけ離れたものだ。その腰には藤色の帯が巻かれ、反りの少ない大刀と脇差が差され、彼女が剣士であることを証明している。ふっくらとしながらも筋肉質は白い太ももが夜更けではあるが眩しく見え、膝から下の引き締まった脹脛(ふくらはぎ)は黒の革長靴(ブーツ)で隠され、そのつま先は鐙(あぶみ)にかかっていた。

 修郎と目が合ったのはほんの一瞬で、白馬を駆った鴨川の星は高台寺に向かって行き、その姿を消した。修郎はそばに居た絵師の三次郎に言った。

「鴨川の女天狗、一体その正体はどこの誰なんだ、それにあの珍妙だが、男をそそらせる装束!」

鴨川の星の装束は八十年ほど昔の欧州仏蘭西国で弱者救済の為に戦った女剣士、ラ・セーヌの星のものを受け継いだものだとは修郎は知る由もないし、鴨川の星が彼のよく知る寺町の花売り娘お星であることも想像すらできない。さらにはお星がシモーヌの曾孫にあたることなど夢にも思わないだろう。

「修郎兄貴、星!鴨川の星ですぜ。背が高いのが玉に傷だが、別嬪な女だ」

「よし、坂の上の辻にいるあの芸妓、舞妓らに話を聞こう。それから夜を徹して瓦版をするぜ。俺の名文、おまえさんの絵でな!」

「合点承知だ!鴨川の星の初陣を報じた我らの誇りにかけても、やりやしょう!花屋のお星ちゃんも楽しみにしていますよ」

やがて鴨川の星を桜追って新撰組の隊士二人喜田勢次郎と青木仁郎太が現れた。黒の羽織袴という新撰組に制服の彼らは「誠」と書かれた提灯を持って修郎らには眼もくれずに駆け去って行った。

 文久二年(1862年)の春の鴨川の星の初陣を目撃し、瓦版で「天晴れ!鴨川の女天狗!」と報じたのが他ならぬ修郎だ。そんな元江戸の御家人の波多野家の三男の修郎は二年坂を登りながら、高台寺の方角を振り返った。ちなみに三次郎も御家人長谷川家の三男である。

「みぶろどもに、新撰組に捕まらなければいいが。それと、どこかで会ったような気がするんだがなあ、鴨川の星、あの声もどこかで聞いたような気がするぜ・・・」

時に元治元年(1864)三月十二日、亥の刻夜四つ(午後十時)頃のことであった。

 

同じ頃、

京の葛野(かどの)郡梅小路村(今の京都市下京区)。かがり火が焚かれた原野に一体の等身大の人形があった。人形は武家の、それもかなり位が高そうな大名か旗本風の羽織袴で、顔はのっぺらぼうだが、頭には月代を剃った髷のかつらが着けられている。

 程なく風を切る音がした。それは弓から放たれた矢だ。それも漆黒の矢で暗闇に溶け込んでいて誰の目にも見えないだろう。その黒い矢は武家の人形の左胸を射貫くと後ろへと倒れ込んだ。どよめきがどこからともなく聞こえたが、矢が放たれた辺りからはすすり泣きのような声がした。それは子供の声であったが、やがて闇の中へと消えていき、かがり火も程なく消えた。

 

次の日の朝、時刻は巳の刻昼四つ(午前十時位)ごろ。雑踏の中、しわくちゃになった紙が舞っていて、程なくそれは地に落ちた。それを拾ったのは幼い少年だ。十歳にはならないだろう。彼が紙を広げると、それは瓦版と分った。

「天晴れ 快傑女天狗鴨川の星 悪を成敗!」

 と書かれたその瓦版は謎の仮面の女剣士で、女天狗とも呼ばれる鴨川の星の活躍を報じるものだ。罪なき真っ当な商売をしている商家に難癖をつけて押込み、大金を奪おうとした浪人の一団を彼女が成敗をし、駆け付けた京の事実上の非常治安警察新選組に引き渡したというのだ。また、浪人の頭目宮川某は東山清寺の近くで芸妓舞妓を襲ったとも言う。

 女天狗鴨川の星は、星印が縫い込まれた頭巾をかぶり、外套に隠れているとはいえ、身体の線が露わになった不思議な装束を身に着け、紅緋色の目かずらのような仮面で素顔を隠す謎の剣士だ。瓦版には白馬に乗って立ち去ろうとする鴨川の星、彼女に手を合わせる商家の主と番頭、芸妓と舞妓、縛られた三人の浪人、駆け付ける新選組の隊二名が描かれていた。

「かっこええなあ、かもがわのほし・・わしをたすけてくれへんかなあ・・・」

 両手で瓦版を握る少年の腹が空腹で鳴った。瓦版を懐に入れた少年は八百屋乙訓(おとくに)屋の軒先に並ぶ薩摩芋を取ると、東へ向かって走り出した。

「こら、待たんかい!どろぼうや!」

 もちろん少年は八百屋の主人の声は聞こえていたが、待たずに走り続けた。

 

京における徳川幕府の拠点、将軍上洛時の宿所でもある二条城の南側を二人の男が歩いている。一人は先述の鴨川の星の活躍を報じた瓦版の制作をした読売の修郎、もう一人は彼の元で働く絵師の三次郎だ。

「三次郎、ここが小浜藩主酒井若狭守様の京都における屋敷、通称若州屋敷だ」

「ていうと、修郎兄貴、将軍後見職一橋慶喜の住処ですなあ。慶喜公は周囲から二条城への居住を進められても断固拒否してこの若州屋敷に起居しているとか・・」

「慶喜公は三月九日、朝議参与を辞職することで、越前福井藩主松平春嶽公、薩摩藩国父島津久光公、伊予宇和島藩前藩主伊達宗城公らの三賢候からなる参与会議を瓦解させ、政局を公儀(幕府)側に取り戻そうとしているのだ」

「修郎兄貴、三月九日とは言えば、鴨川の星が攘夷御用金強盗等で京を騒がせていた下天党立志組をほぼ一人で壊滅させた日ではないですか?」

「そうさ。うむ?三次郎、なにか物悲しい笛の音が聞こえて来たぞ・・・」

 その音色の主は一橋慶喜である。慶喜は徳川御三家の一つ水戸徳川家三十五万石の第九代当主、烈公徳川斉昭の七男で、八代将軍吉宗が起こした御三卿の一橋家を相続した。

「三次郎、慶喜公は御三家の紀州藩主慶福公(よしとみ、後の第14代将軍家茂)と将軍継嗣を争ったんだが、いつかは旦那に、将軍さまになるだろうよ」

 慶喜は大老井伊直弼による安政の大獄で隠居謹慎に処された。文久二年(1862年)7月に謹慎を解かれた慶喜は将軍後見職に就任し、翌文久三年一月に上京した。慶喜は今年(1864年・元治元年)数えで二十八歳、官位は従三位中納言(じゅさんみちゅうなごん)。

 

 さて、屋敷の中では・・・

「相変わらず美しい音色でございますなあ」

 慶喜の側近平岡円四郎は笑いながら言うと慶喜がいる書院に入ってきた。書院の文机には西洋の赤い花ロゼが一輪飾られている。同じく側近の一人である原市之進も一緒だ。平岡は元々旗本で原は水戸徳川家の家臣だった。慶喜は笛を文机に置き、信頼する側近達に向いて涼しい顔で言った。

「少しばかり退屈していたものでな。円四郎よ。何か面白い話しはないか」

「はて、殿にとって面白い話しかどうかはわかりませぬが、原殿、あの話は?」

「面白くないはずがありましょうや」

「なんだ、二人して勿体ぶるではないか。円四郎、申してみよ」

 慶喜は頬笑みながら平岡に促した。

「はっ。先日、京を攘夷御用金強盗で騒がせた下天党なる集団が新撰組によって御用と相成りました。首領の土山玄悟、副首領格の熊田安兵衛ら四名が討たれ、十四名が捕縛、数名が逃亡しましたが・・」

 新撰組とは諸国から流れ込んだ「勤皇」の志士、浪士らによって治安の悪化した前年の京に設けられた事実上の治安警察的な組織で、京都守護職会津藩主松平肥後守容保御預(まつだいらひごのかみかたもりおんあずかり)の浪士集団である。

「その話なら聞いておる。新撰組が江州大津、京の大徳寺近くの高縄村、東福寺門前の旅籠、四条の祇園社前、松尾社前での大捕物、獅子奮迅の働きであったと聞いたが」

「それが違うんでさあ、殿」

 平岡は手を叩いて伝法な口調で言った。

「確かに四名の亡骸をあらため、十四名をお縄にして取り調べたのは新撰組ですが・・」

「円四郎、じれったいぞ。早う申せ。市之進、お前からも言え!何とかしろ」

 原は笑いながら平岡の肘をつついた。

「本当のところ、首魁らを斬り、他の者を打ち倒したのは京雀で人気の、なあ原殿」

「は、殿。天狗でございます」

 慶喜は一瞬、言葉を失った後頷いて言った。

「天狗!鞍馬の天狗こと、鞍馬の黒椿、覆面の謎の剣士であるな。余も噂は聞いておる」

鞍馬の黒椿とは安政末期から万延の頃、西暦で言えば1858年から1860年に京都に現れるようになった覆面の剣士だ。鞍馬の天狗、鞍馬天狗とも呼ばれる。 開国による物価高、幕府の威信低下によって京に集まるようになった無頼の浪士達により、苦しい生活を強いられる京の庶民を助け、新しい世を目指して活動する草莽、勤皇の志士達をその剣で助け、京雀たちからは鞍馬天狗と呼ばれ、喝采を浴びていた。

「それが違うんでさあ、殿。天狗は天狗でも女の天狗。鴨川の女天狗、いや、本人は鴨川の星と名乗っておりやす。その女天狗鴨川の星がほぼ一人で下天党を倒したのですよ」

「鴨川の星?」

 そう言うと慶喜は腹を押さえて笑った。

「なんとも可愛らしい名前ではないか。鴨川の星か。鞍馬の黒椿は京を騒がす悪人だが、義侠心に富んだ剣士であるとも聞く。その鴨川の星とやらも悪人と言われながら、女でありながら、いや女故にこの天子様がおわす京を騒がす輩を許せなかったのであろう。一度会ってみたいものだな、その女剣士の鴨川の星とやらに。ところで円四郎よ」

 は、と言って平岡は原とともにかしこまった。

「例の話はどうなっておるか?」

 例の話と言われ、平岡と原はお互いの顔を見やった。程なく二人は目を見開き、当主に向き直った。

「あの話ですなあ。いやあ、それがトンと進んでおりませぬ。なあ、原殿」

 例の話というのは、こうである。慶喜が安政の大獄で隠居謹慎となる前、江戸小石川の水戸徳川家の上屋敷に招かれた慶喜は宴の席で父斉昭にこう言われたと言う。

「七郎麿(慶喜の幼名)よ、余は男女合わせて“三十八名”の子をもうけ、男子十二人、女子“七名”が成人した。その一人がお前であるが・・・」

 斉昭は好色で知られた。それは家門繁栄に貢献はしたが、将軍家の跡継ぎをつくることが目的の江戸城大奥の女にも手を出し、不興を囲った。勿論慶喜は兄弟姉妹が“十八名”いることは知っており、何を今更と思いながら実父の話を聞いていた。

「実はまだ他にもおるのだ。つまりお前には兄弟が十九名はいることになる」

 斉昭の話によると、行儀見習い奉公に上がっていた背丈の高い水戸藩士の娘に手を出してしまったが、正室である有栖川宮家出身の吉子の逆鱗に触れることを恐れ、生まれた間もない弘化三年(1846)に生みの母とともに里に帰され、その後上方に養子に出されたという。

「して父上、その子とやらは男でしょうか。女でしょうか」

 と言ったときに吉子が二人の前に現れ、この話はそこで終わった。その後安政の大獄があり、父斉昭も謹慎となったから会うこともなく、間もなく世を去ったから、慶喜がまだ見ぬ兄弟の話の続きを聞くことはできなかったのだ。慶喜はその兄弟の消息を探すよう、平岡に申し渡していたのである。

 だが、分っていることは生きていれば今、数えで十九歳であること以外男か女かも分らない斉昭の忘れ形見の行方を調べるのは難渋を極めたのは言うまでも無い。

「渋沢らにこの件を調べさせておりますゆえ、今少しお待ちくださいませ」

 渋沢とは武蔵国榛沢(はんざわ)郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市)の豪農の長男渋沢栄一郎のことで、この頃名を栄一郎から篤太夫(とくだゆう)と改め、従弟の喜作こと成一郎とともに京で一橋家に仕官していた。慶喜の覚えも目出度い血気盛んな若者で、剣は神道無念流と北辰一刀流を修めた。彼は後に名を栄一と改め、明治日本の資本主義を牽引する実業家となる。

「渋沢か。うむ。急ぎはせぬが。もし男子で武家に養子に出されたのなら余を助けてもらうべく、ここに招いてもよいと考えておる。平岡、渋沢によろしく伝えよ。原、何か言いたそうな顔であるな」 

「は、恐れ入ります。ところで殿、来る十六日洛西大覚寺にて観月の宴がありまする」

「観月の宴?市之進よ、この季節にか?」

「はっ。是非お忍びで参られてはいかがでしょうか。こちらは沢尻竹五郎が持ってきました話で・・・・」

 

 さて、同じ頃・・・寺町錦小路の辻を二軒あがったところにある花屋であり薬種商でもある楼蘭堂では・・・

「勇太とわては兄弟どうぜんの仲やしなあ」

「きょうだい?」

「ああ、兄弟や。なあ勇太」

「う、うん」

 奧の居間であるダイドコで女主人であるお星(せい)は住み込みで働く団子鼻の屯太とその兄弟分だという勇太と膳を置いて向き合っていた。手には売り物の西洋の赤い花、ロゼが握られている。

 この日、近くの京の台所、錦市場で八百屋からサツマイモを盗んで逃げ回っている少年がいて、楼蘭堂の前まで逃げてきた。それは勇太という九歳くらいの少年で、昔屯太がいた旅回りの軽業師の一座北河内万歳一座でともに育ったと言う。お星は冷や飯と蕪の漬け物というささやかな食事を貪るように食べる勇太を頬笑みつつ見つめていた。その勇太が家族同然である屯太と“兄弟”だと言う。

 お星は濃い栗色の髪を娘島田に結った美しい女性で、少し前までは赤い鹿の子をかける結綿という髷だったが、より大人らしく見える今の髪型にして久しい。色白で肌はきめ細かい。眼はつぶらで涼しく、睫毛も長く、鼻は高くて彫りが深い顔立ちだ。口は小さく紅玉色で、下唇が少し前に出ている。背丈はこの時代としては高めで五尺五寸(165センチ位)だ。嫌みの無い艶やかな雰囲気を出す姿は浮世絵に描かれるような美顔で寺町通りの看板娘とも呼ばれている。

 数えで十九歳のお星は、白い星模様が描かれた黒襟の萌葱色(もえぎ・黄緑)の小袖に白の前掛けをして働いていた。屯太以外誰も彼女が京雀たちに評判の謎の仮面の剣士女天狗鴨川の星だとは知らないし、想像すらできないであろう。

 楼蘭堂は元々お星の父、下川楼蘭が開いていた医術所兼薬屋だったが、安政五年(1858年)に押し込み強盗により楼蘭が妻女の倫(りん)とともに命を落してからは閉鎖状態だった。事件の後、長い間姿を隠していたお星が、突如寺町に現われ、花屋兼薬種屋として一昨年の文久二年(1862年)の春に再開したのが今の楼蘭堂である。間口三間(薬5.4メートル)の店の玄関の横には「花卉(かき)薬種取り扱ひ楼蘭堂」と縦書きに書かれた看板が風に揺れている。

「ゆ、雄太やないか!」

「と、頓太兄やん!」

 お星は感動の再会をした屯太に泣きつかれたこともあり、八百屋乙訓屋の主人茂兵衛に芋の代金を払い、何度も頭を下げ、とりあえず勇太を引き取ったのである。

「お星はんの頼みならしゃあないわ。今回だけやで!」

「おおきに、茂兵衛さん」

 そんなやり取りの後、屯太は勇太を物心がついたころから軽業師の一座で兄弟同然に育ったと言い、再会を喜んだのだが、勇太は何かに怯えているようなのがお星は気になった。

 

 兄弟と聞いてお星は思い出すことがあった。お星の父と母は安政五年(1858年)に医術所だった楼蘭堂に侵入した押し込み強盗によって殺されたとは先に述べた。その父下川楼蘭がいまわの際に言った言葉がお星の兄弟についてのものだった。

「お星、お前にはきょうだいがいる。水戸家の・・・」

 そう言って楼蘭は息を引き取った。恐らく、お星は自分が幼い日に分かれた兄か姉がいて、水戸徳川家に奉公に出ていたのであろうか、あるいは水戸家の家臣に養子に出されたのではと考えていた。今となっては確かめる術(すべ)はない。

(でもいつかあてのお兄さんかお姉さんに会える日が来ますぇ)

 お星はそう信じていた。

 屯太の願いもあり、お星は勇太をしばらく楼蘭堂に置いても良いと考え、そのことを二人に伝えた。兄弟は抱き合って喜び合ったのだ。                      

 ダントンのあだ名がある屯太はぼさぼさの髪を結った丸顔で、団子鼻が特徴の三尺半(106センチ位)ほどの痩せた十歳の少年だ。勇太は、身長は同じくらいながら細顔で目も鋭く屯太とは似ても似つかぬ外観であるが、数年ぶりにであった屯太を兄のように慕っていることだけはお星には痛いほど分ったのだ。

 

 二人の幸福はほんの小半刻(三十分)くらいだった。勇太を探して辰吉という男が楼蘭堂に現れ、勇太を強引に連れ去ったのである。辰吉の背丈は五尺七寸(172センチ位)で年齢は三十代前半くらいに見える役者のような男前だったが、その目はとても冷たかった。

「こねーな所で油を売っちょったのか。帰るぞ勇太」

声を荒げる辰吉にお星が言った。

「待っておくりゃす。何があったのかはわからしまへん。とりあえずおまんまだけでも食べさせてやって・・・」

「娘さん、世話になったこたぁ礼を言うが、こりゃこっちの問題じゃ。自分は芝居の座長、瀬戸内巌流一座を守らないかんし、こいつらの親代わりや。ほっときなさんせ。さあ勇太!」

「いやや!屯太兄やんとはなれとうない!兄やん!」

「待ちいや!勇太を離すんや!」

 屯太は辰吉に飛びかかったが、床の三和土(たたき)に叩きつけられてしまった。その動きはただの町人には見えなかった。紺の紗綾形の着物の袖からは太い腕が見えた。お星は屯太を起こしてから辰吉を追いかけようと外に出たが、目つきの鋭い男が三人ほどいてあきらめた。月代を無精に伸ばした男、散切り頭の男、そして坊主頭の男達だ。おそらく女剣士鴨川の星でもあるお星が本気になれば倒すことなどわけないのだが、人目が多く憚(はばか)れたのだ。そして勇太は辰吉に連れ去られてしまった。床にはお星の父楼蘭が取り寄せた有田焼の茶碗が転がっていた。

 

「あの辰吉とかいわはった男はん、ただの芝居の座長やあらへん。瀬戸内巌流一座言うてはりましたなぁ。それにあの言葉、なまり・・」

 お星には疑念が残るのだった。

 お星が勇太を引き取り、食事等をした短い時間に分ったことがある。

 二年前の文久二年(1862年)の春。京で軽業師の一座北河内万歳一座は公演中にある事件に巻き込まれて解散をした。事件は鞍馬の黒椿と鴨川の星の活躍で解決をし、屯太は楼蘭堂のお星に引き取られ、昼は花屋の手伝い、夜は鴨川の星の闘いを支援することになった。

 一方、勇太は一座の元立師の男達に引き取られ、京を離れていった。その後紆余曲折を経て勇太は先ほどの辰吉率いる芝居の一団瀬戸内巌流一座に売られ、畿内各地を公演して回っているという。

 座長である辰吉は恐ろしい人間で、その弟で殺陣師の巳吉はさらに冷酷で毎日厳しい芝居の稽古をさせられているとのことだ。とくにここ数ヶ月稽古の厳しさは増し、さらに勇太は芝居だけではなく楊弓(二尺八寸・84センチ位の小さな弓)の稽古をさせられているらしい。弓を使う演目があるからなのだが、子供から見てもその稽古にはおかしい点がいっぱいあるらしい。屯太はお星に語った。

「何でも、勇太の役名は弓の名人の天使(あまつか)照助と言ってな、べっぴんなおねいちゃんに悪さをするあきんどをこらしめるんやけど、そのあきんどが照助を無実の罪でお殿様に訴えるんやって。照助物語っていうらしいで」

「照助物語?そんなお話ぃ聞いたことあらしまへんなぁ。それからどないなりますのん?」

「照助は弓の名人でな、照助の息子の頭に橙(だいだい)を乗せて、それを射ぬいたら許したるってお殿さまは言うらしいわ」

「それで勇太はんは弓の稽古を何遍も何遍もさせられたはるんどすなあ」

「ただ、稽古がきついだけやのうて、何か恐ろしいことをさせられるって言うてたで」

「恐ろしいこと?それは何やのん?」

「それを聞こうとしたときにあの辰吉が入ってきたんや。なあ、お星ちゃん。わしな、勇太を助けたいねん。なんかええ方法ないかいなぁ?」

「そうやなぁ・・・」

 お星は目を閉じて指を顎に当てて考え込んだ。しばらくして脳裏に行灯の明かりが灯り、眼を見開いて手を叩いたお星は屯太に言った。

「あてにええ考えがありますぇ。ほやけど屯太にその覚悟、ありますかいなぁ?」

 お星は悪戯っぽく笑った。屯太は胸を張った。

「わしはやるで、かわいい弟分のためや!」

「勇太はんがいる一座、瀬戸内巌流一座はどこにいるか、瓦版の、読売の修郎はんに聞けばわかりますやろ。屯太、あての話、よう聞いておくれやす」

 

 時刻は申(さる)の刻夕七つ(午後四時位)、京の郊外山城国葛野(かどの)郡梅小路村。現在は京都市下京区で鉄道の貨物駅がある辺りにある庄屋の前川庄兵衛の屋敷の離れに、二十坪(66平方メートル位)の道場風の古びた建物があった

 それはかつて念流の剣客萩本次郎兵衛が道場として使っていたもので、ここ数十年は前川家が倉庫代わりに使っているが、今は瀬戸内巌流一座が逗留している。

 道場では十数人の少年達が芝居の稽古をしていてその中には勇太もいる。勇太は楊弓(ようきゅう)を持って走り出ては止まり、的を狙うという動きの練習をしている。見所(けんじょ)には三十過ぎに見える男がいて、少年達の身体の動きを見ていた。男は巳吉と言い、座長の辰吉の一歳違いの弟である。

「勇太!そねーな動きで本懐を遂げられるか!」

 怒鳴られた勇太は弓を持っておどおどと元の場所へ戻ろうとしていた。そこヘ無頼の徒のような月代を無精に伸ばした男がやってきた。

「巳吉さま。客人が来ちょります」

「客人?誰じゃ」

「尼さまじゃ。それもたいそうな器量じゃ。小僧を一人連れちょる」

「うむ。居間に通せ」

 巳吉が少年達ににらみをきかせつつ道場を出、居間に入るとそこには黒の法衣に白の頭巾を被った若い尼僧がいて、横には十歳くらいの小僧がいた。勿論坊主頭で丸顔に大きな団子鼻が印象的だった。巳吉は頭を下げ、形通りの挨拶をした後頭を上げ、まっすぐ尼僧を見据えた。

「お初にお目にかかりますぅ。私は高台寺の尼僧、星雲尼(せいうんに)と申しまする。これなる小僧は三休(さんきゅう)と申します」

 巳吉は美しい尼の容姿に息を飲んだ。星雲尼と名乗った尼僧は、眼はつぶらで涼しく、睫毛も長く、鼻は高くて彫りが深い顔立ちで肌はとても白くきめ細かかった。年は二十歳から二十五歳くらいに見えた。

 高台寺とは東山にある臨済宗建仁寺派の寺院で、豊臣秀吉の正室だった北政所が高台院と称し、秀吉の冥福を祈るために建立した寺だ。巳吉は星雲尼が高台寺の尼僧だと信じたようだ。

「して、尼さま、今日はどねーな御用じゃろ、いや、ございましょう」

「はい。実はこの小僧の三休、いっこうに修行に身が入らぬので困っておりました。話を聞いてみたところ、なんと役者になりたいと申すのです」

 星雲尼は優しい目線で小僧の三休を見やった。三休なる小僧は巳吉を真剣な目で見上げているが、巳吉はどうしても美しすぎる尼僧の顔に目が行ってしまう。

「寺に入る前は旅回りの軽業師の一座に居たとかで団吉と名乗っておりました。最近この一座の噂を、子供達で芝居を披露する一団の話を聞き、ここにつれてきた次第。どうか置いていただけないでしょうか」

 星雲尼は三つ指をついて巳吉に頭を下げ、三休もそれにならった。

「わ、わかりました。と、とりあえず、身体の動きを見てみましょう」

「では置いていただけるのですね」

 星雲尼は身体を起こすと膝を進め、巳吉に迫った。甘い吐息が流れてくるのを受けた巳吉はタジタジとなった。

「い、いや、まずは稽古場へ行き、行きましょう」

「承知いたしました。三休や。さあ、立ちませぃ」

 そう言うと星雲尼と三休は立ち上がった。巳吉は尼僧の背が五尺五寸(165センチ位)はあることに驚いた。そしてその立ち姿、歩き方にもなんとも言えない上品さと色気があった。

 かつては剣術道場だったらしい稽古場で、巳吉は団吉に飛んだり跳ねたりするよう言い、踊りや見栄を切らせたりしていた。道場の端では稽古を中断する形となった少年達が居て、団吉の軽やかな動きに目を見張っていた。そして勇太は団吉をしばらく見ていた後、眼と口を大きく開けた。続けて背丈の高い美しい尼僧を見やった。

「どうでございましょう。三休は役者になれましょうや」

 仏に仕える身とは思えぬ艶っぽい声である。

「ま、まあ、顔はともかく身のこなしは敏捷じゃな。ええじゃろう。うちでよけりゃあ預かろう」

「ありがとうございまする」

 そう言うと星雲尼は言い巳吉の手を握った。巳吉は一瞬にやつき、すぐに顔を硬くした。

「三休や。よかったですね」

「は、はい!」

 

 勿論星雲尼は楼蘭堂の女主人お星こと下川星が変装した姿である。星雲尼は続けて言い、三休こと団吉いや団子鼻の屯太は頷いた。屯太はお星の考えで瀬戸内巌流一座に潜入することとなったのである。

(屯太、うまくやってくれはるやろうかいなぁ)

 お星は心配しつつも稽古場を出た。そして敷地内を歩き、辰吉らが過ごしているであろう離れ、納屋、蔵などを見まわしていた。少年達の踊りの稽古、檄を飛ばす巳吉の声がする。

「何をしちょります?尼さま?」

 それは昼四つ(午前十時位)頃、楼蘭堂に現れ勇太を連れ出していった辰吉であった。

「いえ、何でもありませぬ。寺でもてあましておりました小僧の三休、巳吉さまにお預けいたしました。よろしくお願い申し上げます」

 もう一度頭を下げ、上目使いに辰吉を見たお星=星雲尼は、辰吉の紗綾形模様の着物の下の鍛え抜かれた身体、面擦れの跡、言葉のなまり、などを見て確信した。

(この男、やっぱりただの芝居の一座の座長やあらへん。侍や、しかも長州はん?これは匂いますなぁ)

 長州藩はその尊王攘夷(天皇を敬い外国を打ち払う思想)派が台頭し、京で暗躍して朝廷を牛耳っていた。だが、昨年の文久三年(1863年)八月十八日の政変で、会津藩薩摩藩を中心とする公武合体(朝廷の伝統的権威と衰亡する江戸幕府を結びつける構想)派の策謀で京の政局から追放された。

 元治元年(1864年)三月現在でも河原町御池にある長州の藩邸は、最低限の人数と機能を有してはいるが、藩としては表だっては政治的行動を取れないでいる。お星は仮面の剣士鴨川の星として、何度も新撰組、会津藩など公儀治安当局から長州の志士を救っていた。

 お星は世の中の政治的な事を完全には理解しているとは言いがたいが、長州は国を憂い、御所におわす天子様を敬い、庶民が暮らしやすい世を作るために活動していると信じていた。鞍馬の黒椿=倉田典膳からもそのように教えられてきた。

(そやけど、あの人らが長州はんやとしたら、世のため人のために働いてはるとは思えへんのやけど・・・)

「尼様、どこかでお会いしたじゃろうか」

「いいえ、お初でございます、では寺へ戻ります」

 お星は尾行されていないことを確かめつつ梅小路村の庄屋屋敷を後にした。後をつける者こそいなかったが、辰吉の鋭い視線はずっと背中に感じていた。

 

 さて、三休こと団吉として瀬戸内巌流一座に加わった屯太、稽古の後の食事の時間に勇太は近くに寄ってきた。勇太は頭を丸めて寺の小僧に変装して潜入してきてくれた兄貴分の屯太に感激しているようだ。

「勇太、もうわしがいるさかい安心やで」

「おおきに屯太兄やん、あ、あかん、巳吉はんがこっちみてるわ」

 この一座の少年たちは、下は五歳くらいから上は十歳まで十三名いて、大人は座長の辰吉、立師の巳吉の他に舞台を作る道具係、衣装係などの大人が六人くらい、それとまるで成りは髷から着物まで町人だが、用心棒であり子供達の見張り役のような大人が五人はいた。全員が男だ。食事の世話は庄屋の前川屋敷の小女がやって来て用意してくれるようであった。

 一座の一員となった屯太は芝居の稽古よりも、道具係や小女の雑用の手伝いを命じられた。

「あの小僧、なかなかよく働くのう」

いつも楼蘭堂で忙しく客商売をしているだけに、手先が器用で敏捷な屯太は大人達から重宝された。座長の辰吉は坊主頭の効用か、団吉=屯太とは気づいている様子はなかった。もっとも楼蘭堂で屯太に会っているとは言え、記憶には残っていないのかも知れなかった。

 屯太は勇太と近寄って色々話をしたかったが、中々時間がとれなかったものの、二日目の十五日の昼頃になると大体のところは分ってきた。勇太は芝居の稽古に加え、楊弓の稽古をさせられている。二尺八寸(84センチ)ほどの小さな弓と九寸(27センチ)くらいの矢で七間(12.6メートル)くらいの的を射貫くのである。

 そして弓は白い先端が小さな鞠のような飾りが付いたものと、黒くて矢じりが鋭いものを二つ引いていて、まず白い矢で的を射ると、次は後ろに振り返り別の的を射貫くのだ。

 屯太はそれにどんな意味があるのか分らなかったが、十五日の夕刻申の刻七つ半(午後五時)位になって全てを理解した。その時通し稽古が行われたのだ。見所には辰吉と巳吉がいる。

 勇太は西洋の戯曲をもとにしたこの芝居「照助物語」で勇敢な武士で弓の名手天使(あまつか)照助を演じている。まず息子の頭に乗せられている橙(作り物である)に向かって先端が白い小さな鞠のような丸い矢が放たれた。これは命中した。そして後ろに振り返るとそこには月代を剃ったきらびやかな羽織袴姿の武人の人形が有り、その左胸、心の臓を射貫いたのである。

 稽古場はどよめきに包まれ、辰吉と巳吉は満足そうに頷いた。二つの矢を命中させた勇太は青ざめた顔をしている。

(わかったでぇ。これは芝居に見せかけて、どこぞのお殿さんかお公家はんを殺す、闇討ちにするはかりごとなんや!)

 屯太はもう一度勇太を見た。巳吉が駆け寄り声をかけている。一応褒めているようだ。

(勇太は、それを知って、闇討ちをしたくないさかいに一座を抜け出して京の町をさまよって錦市場で芋を盗んで寺町のわしらの店の前に来たんや!)

 屯太はここを抜け出し、お星に伝えねばと思った。

(そやけど、だれをどこで狙うんかわからへんし、勇太をこのままにはでけへん。もう一晩はここにいて探りをいれるしかないなあ)

 

 日が暮れた戌の刻宵五つ(午後八時)くらい、稽古場では子供達と道具係、衣装係の大人達が就寝をし、離れでは他の男達が酒宴を開いていた。巳吉と目つきの鋭い男達三人だ。

「ははは、これで守備良く行きそうじゃ。いよいよ決行は明日十六日。大覚寺じゃ。抜かりなさんなよ」

 離れの床下には屯太が頬被りをして聞き耳を立てていた。

「巳吉さま、いや、毛利大膳太夫家臣大林巳三郎様とお呼びすべきじゃったかな。で、狙うべき相手、豚一様は乗ってくるじゃろうか」

(ぶたいち?だれのことやろ?)

 屯太は左耳を床上に向けて必死に聞き耳を立てる。

「うむ、心配は無い。豚一の家臣たあ言うても元は水戸だが、沢尻竹五郎が上手う運んでくれちょる。観月の宴にお忍びで来ていただくんじゃ。まさか自分が最後の日になるたあ、英明で知られた豚一も思うまぁ」

(みと?ああ、水戸か。て言うたらぶたいちさまは水戸家にかかわりのあるお武家はん、お殿さんなんやな。きっとぶたのように肥えた殿さまやで)

「辰吉親分、いや、辰次郎さまは今宵は?」

「うむ。兄は最後の段取り合わせに沢尻と公家の中原家と石倉家を回っちょる。長州藩士大林辰次郎としてじゃぁ。公家のやつら最後の最後になって臆すると困るけぇなあ」

 屯太は愕然とした。弟分の勇太はなんと豚一という符帳で呼ばれるどこかの殿様を殺す役回りを演じさせられるのだ。そして座長の辰吉と立師の巳吉は兄弟で有り、一座を率いるのは仮の姿で、本来の姿は侍であり、長州藩士なのだ。長州と言えば難しい政治的なことは分らないが、御所におわす天子様のため、国の為に働く正義の志士達と思っていただけに屯太の衝撃は大きかった。

(大覚寺って言うてたな。お公家はんもからんでいる、はようお星ちゃんに言わんと!)

 屯太は床下から出ようと身体の向きを変えた。床上は静かになっていて、話も尽きて静かに飲んでいるのだろうと思ったその時、目の前を槍が落ちてきて屯太の団子鼻を掠めた。さらに後ろ足の一寸横にも槍が突き刺された。

「曲者じゃ!床の下じゃぞ!」

 頭上で声とバタバタと畳の上を走り廻る音が聞こえた。

(あかん!見つかってもうた!お星ちゃん、かんにん!)

 屯太は捕まった。

 

 古い剣術道場を改造した稽古場の外にある納屋の中で、団子鼻の屯太は柱に手を後ろに縛られ、竹刀や鞭などで巳吉達からの折檻を受けていた。

「さあ、言いんさい!誰に頼まれたのじゃ?」

 誰が言うものかと屯太は歯を食いしばった。昔、旅回りの一座北河内万歳一座にいたころはこのような折檻は日常茶飯事だった。これくらいの痛み、人殺しの片棒を担がれそうになっている雄太の苦しみと悲しみに比べたらなんともない。それに屯太には京で活躍する正義の剣士、女天狗鴨川の星=お星を公私とも助けているという矜持があった。

 姉のようであり、母のようでもあるお星=鴨川の星のためにもここは歯を食いしばらなければと思ったし、弟分の勇太を非道な行為から救う為でもある。屯太は夜が更けるまで責められ続けた。

 巳吉にすれば、屯太は子供ながら公儀(幕府)が放った密偵ではと思っていた。果たして新選組や見廻組、会津藩などが子供を使うかとの疑問の声も仲間たちから上がったが、ただの子供が床下に忍び込んで大人の話を盗み聞きするなど考えられない。

「ふん!だれが言うかいな!お前らは子供の勇太を使ってどこぞのお殿さまをねらうひきょう者や!」

「小僧!言わせておきゃあ!」

 巳吉は引き続き、屯太を責め続ける。だが、仮初めの姿とはいえ、兄とともに子供達を率いて一座をやっている彼は子供の事が嫌いでは無い。屯太の顔には極力手をつけず、鞭と竹刀にも少し手加減をしていた。そのようなこともあり、屯太は口を笑わず不敵に笑っていた。

 

 朝になって巳吉は柱に縛られた屯太の前に勇太を連れてきた。勇太は傷だらけになった屯太に衝撃を受けて駆け寄った。そして団吉=屯太はかつて同じ軽業師の一座で育った兄貴分であり、縄を解いて助けて欲しいと涙ながらに懇願した。そんな勇太に巳吉は言ったのである。団吉=屯太の命が欲しければ兼ねての手筈どおり、さる人物を弓で撃てと。

「あかん、そんなことしたらあかんで、勇太!」

 だが、勇太は巳吉に言ったのである。

「弓でおとのさまを打ったら、兄やんは助かるのやね」

「ああ、そうだ。助けちゃる。じゃけえ、今日までの稽古どおり、悪い大名を撃つんじゃ。こりゃ世のため、人のためじゃ」

「わるいだいみょうをうつ!わし、やるわ、言われたとおりにする。兄やん、まっていてや」

「あかんで、勇太!あぅ!」

 巳吉の手下が屯太の鳩尾を思い切り突き、さすがの彼も気を失ってしまった。

 午の刻昼九つ(正午午後十二時)、瀬戸内巌流一座は稽古場のある梅小路村を出て洛西の大覚寺へと向かった。深い眠りについていた屯太は見張り役一人を残し、納屋に取り残されたままである。

 半刻(一時間)ほどして丹波街道を歩いていた一行は、妙心寺の門前で座長である辰吉=長州藩士大林辰次郎と合流をした。辰吉は羽織袴を身につけてはいるが髷は小さく控えめ、鬢(びん)はたっぷり膨らんだ町人風である。気をつけて見ていなければ町人にしか見えないだろう。

 辰吉は巳吉に何か変わったことがないかと問うた。巳吉は高台寺の尼僧星雲尼が連れてきた三休=団吉が、離れでの自分たちの会話を盗み聞きしていたこと、団吉が実は屯太という名前で勇太の昔馴染みであったこと、何者であるか折檻して白状させようとしたが、頑固で口を割らなかったことなどを歩きながら話した。

 辰吉は寺の小僧が一座に加わったことは聞いていたし、小僧を連れてきた尼僧にも会ってはいたが、さほど気には止めていなかった。だが、巳吉の話が終わると足を止めた。

「その小僧、本当の名は屯太というのか。屯太・・・聞いたことがあるのう」

 辰吉は列の後ろの方、荷物を積んだ大八車のそばに立つ勇太を見た。一座を逃げだし、寺町錦の花屋にかくまわれていた勇太を連れ出そうとしたとき、それを阻止しようと飛びかかってきた少年を勇太は屯太と呼んでいた。その時、一緒に居た花屋の長身の女主人のことも思い出したのだ。稽古場の前であった尼僧も長身だった。

「いや、あの尼さま、なかなかの器量じゃったな。今度高台寺に会いに行くか」

「高台寺?・・・巳吉!おまえは馬鹿者じゃ。高台寺にあねーな尼などおるか。それと屯太はひどい団子鼻じゃったな。平吉!」

 辰吉は月代が無精に伸びた男を呼んだ。

「あの花屋に行ってこい。ほいであの女主人を捕まえてこい。おまえひとりやねえ。

三人くらいでかかるのや。おなごやからって油断はしなさんなよ!」

 

 申の刻昼八つ半(午後三時)位、平吉とよばれた月代を無精に伸ばした男は二人の手下を連れて、寺町錦小路の楼蘭堂に辿り着いた。平吉は店先に吊された看板をコツンと叩いた。

 そこにいるのはお星である。

 

つづく

La Légende de Étoile de la Seine au Japon.

Elle s’appelle Étoile de la Kamogawa=Une femme Tenguh.

“lèche noire d`angeⅠ”

Ǎ suivre!

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。