きっと、私はこの子が嫌いなのだ。だから意地の悪い事ばかりしたくなるのだろう。

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性懲りもなく増やしていくスタイル。
皆MiliのSaikaiを聞いて欲しい(脳を焼かれた管理人)


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 人間が嫌いだった。

 虹を見て「虹色だ」と言えず、やれ世界では7色とは言われないだの光の波長がどうだのと小難しい事ばかりを並べてくる。虹は虹だろうなどと言うと、「簡単な頭で良いね」などと皮肉を吐かれる。

 星を見ればくだらない蘊蓄ばかり語って、ただそこにある景色を綺麗だということができない。星空が綺麗だという事実にだけ浸るのは、そんなに可笑しい事か。

 

 だから人間は嫌いだ。嫌いになった。

 物事を腑分けしなければ言葉が吐けない。ラベルを貼らないと物が言えない。自分が頭がいい生き物だと勘違いしている。あんな奴らと関わるくらいなら、私は莫迦のままでいい。

 そうしてひねくれていたら成績なんて下がる一方で、両親は私に勉強をしろ、良い人生を歩めとせっついてくる。

 

 大好きだった走ることすら苦痛に変わって、何もかもが嫌になって、逃げるように祖父の下へと越してきた。

 もう何もしたくないと泣いた私を嗤わなかった、たった一人の人。

 まともに話の通じる唯一の理解者。

 祖父が没した暁には私も死んでしまっても良いかもしれないと考えるくらいには、齢15の時にはもう厭世的になっていた。

 

 祖父の家は、やけに大きな屋敷だった。

 もともと宿か何かだったものを無理やり改造して家にしたような場所だ。今も一応民宿という体を取っているらしいが、クソと前置きたくなるほどのド田舎に態々泊まりに来たがる物好きなどそうそういない。しかし埃を被ってしまうといけないからという理由で週に一度は全ての部屋の清掃を行っている。ここ最近は祖父の腰の調子が悪いので、ほぼ私一人の仕事だが。

 

 正直なところ、掃除自体は大して苦でもない。私は元より趣味に欠けたウマ娘(にんげん)で、やることを探してウロウロする癖がある。老人である祖父から“徘徊老人そのものだ”とまで言われた挙動不審を晒すくらいなら、丸一日を掃除に費やす方が精神衛生的にも幾分良いというものだ。

 

 うんざりするくらいに鳴き喚く蝉の声を尻目に、埃を拭き取っていく。今に至るまで蟲や鼠の痕を見たことがないという事は幸いか。

 窓を開け、屋根に布団を放り投げて天日干し。夕暮れになったら一度叩いて取り込めば最低限使える程度にはなる。

 

 ふと、つい先日の珍しい来客を思い出した。

 子供と見紛う体躯の女性。聞けば、中央のトレセン学園を運営している理事長だという。夏場の合宿所としてここを使わせてはもらえないかという話だった。

 

 正直に言えば、私は嫌だった。人が居ない、外の情報も大して入ってこない場所だから好いていたのに、そんなことをすれば否が応にも世間と向き合うことになる。はっきり言って鬱陶しかった。

 そんな私とは正反対に、祖父は随分乗り気だった。元々トレーナーであったという話だが、だからと言ってここらで一つ返り咲いてやろうなどと考えるほど野心家だったかと言われると首を傾げざるを得ない。

 どういう魂胆なのかと話を聞いているうちに、どうにも此処が私と祖父だけの家であることが寂しかったのだという。祖父は根明でよく喋る人であったし、ただそこに居るだけの私では物足りない、もとい寂しさを増長させる原因となってしまったのだろう。それを申し訳なく思った。

 これでも人並には祖父に家族愛がある人間であるから、祖父の孤独を癒してやれなかったことは純粋に悲しかった。

 

 だが、そうではないと祖父は言った。

 

「俺がお前と2人きりなのが寂しいんじゃない。お前が俺と2人きりなのが、どうしようもなく寂しいのさ」

 

 その言葉の意味は、分からなかった。

 

 それから数週間が過ぎると、家には布団やら何やらのリネン類を取り換える業者や、食材を搬入する運送の方が出入りするようになった。

 色々と話すことが増えて、関わることも増えて。何やらよく分からない偉そうな格好をした者らが下見に来ることも増えた。

 

 鬱陶しくて忙しないし、下見の連中は無駄に格式張って気に食わない。しかし以前より充実した日々を過ごしているのは確かだった。

 何せ、暇と思う時間が無い。あくせくと働いているのが性に合っている。それを祖父に話したら“やっぱり俺の血筋だ”と笑われた。トレーナー時代の祖父もそんな調子であったらしい。

 

 

 そうして日々を過ごし、7月も末、梅雨明けを迎えたある日。祖父が私の従妹を家に誘っても良いかと言い出した。曰く、合宿所としての機能の先行体験という形で数名を招くことになったのだとか。そこに家主の特権で従妹を捩じ込んだのだという。

 

 私は渋った。一度も会ったことの無い親戚というのもある。だが、それ以上に遠縁とはいえ家族というものに拒否感が出てしまう。ウマ娘であることを知れば、またぞろ走りに引っ張り出そうとしてくるに違いなく、それが疎ましい。

 

 従妹は今をときめく競争ウマ娘で、しかも私より年下なのだというではないか。短期間かつこの広い宿とはいえ、レースに興味の一つもない私のような駄バと同じ屋根の下というのは悪影響なのではないか、手間であれば私は一度実家へ帰る。

 そう言ってどうにか顔を合わせずに済む方法はないかと説得を試みたのだが、“お前なら大丈夫だろう”とあっけらかん。

 何を以て大丈夫なのかと問い正したくなったものの、しかし居候しているのはこちらである。また自分で言い出した事であれど叶うのであれば家には帰りたくない。そんな思いも手伝って、嫌々ながらも了承した。

 

 それが、つい先週の事である。

 

「はーい」

 

 経年劣化で歪んだインターホンが鳴り、来客を告げる。従妹が来るのは夕方という話であったし、であれば近隣――と言っても徒歩なら30分は掛かる――の老人たちだろうかと引き戸を開けた。

 

「……」

「……?」

 

 果たして、そこに居たのはウマ娘の少女だった。赤と薄桃色の特徴的な髪。纏う私服は落ち着いた色合いで、どうにも年上に見える。しかし、その表情はまだあどけなさが残っていて……

 

 思考を中断して投げ捨てる。分析など何の役に立つか。

 ひとまず背後にいた友人らしき子らも含めて上がらせて、冷たい麦茶を飲ませておく。その間に祖父を呼びつけた。

 

「私の従妹はどれ?」

「“どれ”たァ酷ェ言い草じゃねぇの。せめて“どの子”とかだな」

「変わらないでしょ。それに……いや、何でもない」

 

 どうせ嫌われるのだからどうでも良い、とは言えなかった。昔祖父に向かって言ったときの悲しそうな顔が過ったから。

 

「……で、誰」

「赤い髪の子おったろ? あの子じゃ」

「私より年下だって言ってたじゃない」

「なぁにを言うかこ()“のんでり”が。どう見ても可愛らしい中学の娘やろうが」

 

 そう咎めるように言われて、素直に驚いた。最近の中学生というのはああも落ち着いているのか。

 もっとこう、男女問わず馬鹿騒ぎをしたくてたまらない年頃だとばかり思っていたから余計に面食らってしまう。

 

「まぁ、誰であれ変わないけど」

ほうけ(そうか)

 

 しかし、それもどうでも良かった。私は嫌われる。私が人間を嫌っているから。

 ウマ娘は聡い子が多い。きっと、普通の人間よりも早く私の本性を、嫌悪と悪意を見抜いて距離を置くだろう。故に愛や情をもって接する必要は微塵もない。精々宿としての評価だけでも上げるよう尽力はしよう。

 

 管理人室とは名ばかりの駄弁り場から彼女たちの部屋の鍵を拝借し、ロビーへと戻る。いつまでも客を放置するのはいただけない。

 

「ラヴミーラヴユー、ラヴズオンリーユーです!」

「こ、こんにちは、クロノジェネシスです……!」

「おはマイルー! グランアレグリアだよ!」

「こんにちは、カレンブーケドールです」

 

 私の従妹だという少女とその友人は、小型カメラを前に生放送を始めていた。

 

 別に屋内を配信で流すのは禁じているわけではないし、ああして特に許可を得ることもなく始めているというのは、例の理事長やら私の祖父やらは承知の上であるからだろう。私が知らないだけという可能性が高く、であれば口を挟むのは野暮というもの。

 

 何より、なんというかこう……面倒臭い。

 あの小さな端末の向こうに何百人もいるのだろうかと思うと、嫌な気分が込み上げてくる。

 

 どうせ賢しらになにやら言葉を書き込み続けているのだろう。想像するだけでも鬱陶しい。 

 

「鍵、渡して来んかったんか?」

「動画を撮っているようだったから後にした。変な声が混じるのは本意でもなかろうし」

ほうけ(そうか)。んだら向こうから取りに来るの待つかい」

 

 二人そろって椅子に腰かけ、ラジオの声に耳を傾けた。

 気象のニュースから時事へ移り、そして話はウマ娘のレースへ。殆ど覚えていないが、今年の有力候補について何だかんだと言っていた気がする。

 祖父はしきりに頷いたり新聞を片手に考え込んだりしていたが、私にとっては極めてどうでも良かった。

 

 ふと思い立って、鉛筆を手に取る。

 かりかりと紙に描いていくのは、港町を駆けるウマ娘。

 

「この間のドラマけ?」

「ああ。面白い話だった」

「短いが、力強い話だったよなぁ」

 

 すぐに食いついた祖父を尻目に、下絵を書き上げていく。精緻に描き上げる必要はない、伝えたいものをはっきり伝えきることが大事なのだから。

 とはいえ、それもまた自己満足でしかない。自己満足で良い。これを見返すのは私一人なのだから。

 

 水彩セットを持ち出し、絵具を絞り出して調製の準備をしていると、祖父は目を細めて此方を見ていた。鷹のような目つきは、かつてトレーナーをやっていたという時分を彷彿とさせる。

 

「お前さんよ、もう一度、走ってみる気は――――」

「ない」

 

 食い気味に否定する。それだけは絶対にない。

 心の裡で憎悪が燃え上がって、言葉尻はきつくなる。

 

「下らない批評に晒されるくらいなら、私は一生日の目なんて見なくていい。此処で朽ち果てるくらいが丁度いい」

「ほうけ。勿体ないのう」

「ごめん、お爺」

「いんや、謝るんは俺の方よ……歳は取りたくねぇな、欲が逸って傷を突っついちまった」

 

 祖父が私の才能を認めてくれているのは、素直に嬉しかった。期待に応えたいと思った日もある。でも、どうしても嫌だった。顔も知らない何処かの誰かが賢さをひけらかすための道具に私を使うと思うと、悍ましさで吐き気がする。

 

 私の走りは、私の事を知る人だけが知っていればいい。そう言うと、祖父は猛禽のように尖らせていた目を緩めて、困り眉で口を開く。

 

ほんだら(それなら)、ラヴズちゃんはどうだい。あの子は聡い子だ。無碍にはせんて(しないよ)

「従妹……」

 

 私の従妹。顔も知らなかった親戚。ちらりと横目で配信の様を見ていれば、不相応なくらいに落ち着いた声色で様々なことを話している。

 

「………………あまり、懐には入れたくないかな」

 

 正直に言えば、嫉妬を覚える。

 人を嫌うよりも先に愛することを覚え、愛の形を定義し、そしてその形に真摯に向き合っている。そんな生き方は私には出来ない。そうやって生きるには、あまりにも私は人を嫌い過ぎた。

 賢さも、流行の速度も、何もかも。私は嫌いになってしまった。

 

「私はもうこれ以上、人の世界を愛せないよ」

「……んなこたぁ、ねぇと思うんだがなぁ」

 

 蝉の声は、いつの間にかヒグラシが代わっていた。

 

 

 

 すっかり晴れて綺麗な夜空が見えていたから、食堂の窓からそれを眺めていた。

 何の星が目当てとか、流星群が見たいとか、そういう訳じゃない。ただそこにある星空が好きだからそうしている。そう言うとだいたいの相手はつまらないとか不思議ちゃんだとか、レッテルを張って何処かへ行ってしまう。だから、私には大した友達が居なかった。

 でも、もうそれでいいやと思った。苦痛だった。綺麗なものを綺麗というだけで笑われる世界は、私にとって地獄以外の何物でもなくて。何もかもが遠ざかっていく方が、ずっとずっとマシで。

 私の■は誰かに向くものではない。ただ“あるがまま”に向けられるのだろうと、自認する。

 

 眺めていると、意識が遠ざかっていく。羽織るものも持って来ているし、いっそ星明りを眺めたまま寝落ちてもいいかと落ちていく瞼に身を任せて……

 

 ぱたん、と音がした。

 

「――――ッ誰!?」

「ひゃあっ!?」

 

 急速に意識が覚醒する。同時に身体を跳ねさせて音の方向へと振り返れば、そこに居たのは……

 

「ええと、その、喉が渇いちゃって……」

「……ごめん。驚かせた」

 

 ラヴズオンリーユー、私の従妹だという少女。手には麦茶の入ったコップがあり、発言は嘘ではないらしい。邪魔をするなという苛立ちが募るが、わざわざここを選んで呆けていたのは私の方だ。怒りをぶつけるのはまさしくお門違いだろう。

 髪を掻いて毛羽立つ心を誤魔化しながら、椅子を片付けて寝る支度をする。ふと、背後から従妹に声を掛けられてもう一度振り向いた。

 

「その、何をしていたんですか?」

「教える必要があるか?」

 

 申し訳なさそうなその態度が宥めた心を再びささくれ立たせる。突き放したくてたまらなくなる。寄るな、触るな、私の■に関わるな。そんな意識が先走ってつっけんどんになってしまう。

 

 それに何を思ってか、従妹は悲しそうな顔をしていて。自分のせいでそうなっていると分かっていながら、どうしようもなく放っておけなかった。

 

「夜も遅い。君らはお試しとはいえ合宿で来てるんだろう。早く寝なさい……ほら」

「え?」

「私ももう寝るから、その前に案内くらいはさせてくれ。真っ暗の中で飲み物を零されても面倒だ」

「……はい♪」

 

 ちくちくと痛む心のままに、気が付けば手を伸ばしていた。

 初めて見た時はとても大人びた子だと思ったのに、今は年相応に見える。一挙一動がぎこちなくて、伝えたいことを口ごもる、思春期らしい人見知りをする子。初対面には誰でもこうなのか、あるいは私が顔も知らぬ従姉だったからこうなっているのか、それは私には分からないけれど。

 

 触れてきた手は、私より幾らか細く小さくて頼りない。私が女にしては厳つい手をしているのも原因かもしれないが、握ればあっという間に折れてしまいそうな、小枝みたいな手。

 

 だというのに、私よりもずっと暖かくて、柔らかい。沢山の人に愛されてきた手だった。

 

「配信はうまく行った?」

「見てて、下さったんですね」

「……さて、どうだろうね」

 

 あれを見ていたと言っていいのかは少し疑問だ。何せ遠目に監視していただけで、内容や発言まで把握していたわけじゃない。

 

 もっと言えば、私は従妹の配信を覗く気は毛頭ない。

 

「何処を撮っても咎められることは無いだろうが、最低限のプライバシーは守ってくれ」

「気を付けますね」

 

 あの笑顔。自然体の話し声。嬉しそうに揺れる尾や耳。誰かへ向ける優しい色。全部、私は捨ててしまったから。

 羨望と嫉妬でおかしくなりそうだった。これ以上近づけば私はきっと狂ってしまうという予感があった。

 

「その」

「なに」

「お名前……聞けて、なかったなって、思って」

「……」

 

 普通に言えば良いものを、どうにも言いたくなくて黙り込む。

 嫌だったから。この子に悲しんで欲しくはないけれど、それ以上にこの子に応えたくなかった。

 

 きっと、私はこの子が嫌いなのだ。だから意地の悪い事ばかりしたくなるのだろう。

 

「ほら、着いた」

「うん……」

 

 従妹の使う部屋に着いて手を離すと、途端に寂しそうな顔をする。これが今生の別れでもあるまいに、酷く辛そうだった。

 部屋は二人一組だから、独りになるわけでもあるまいに。そうでなくても、ひとたびカメラを動かせば孤独などとは無縁になる癖に。どうして私一人に突き放されたことをそうまで悲しむんだ、この子は。

 

「私一人居なくなったところで、君の人生に瑕は付かない」

「……」

「忘れなさい。君の心に、君を嫌う奴を入れる空白なんて必要ないよ」

 

 諭すように言葉を掛ける。

 一方的に嫌ってくるような奴のために、心に居場所を造る必要なんてない。

 君の事が何とはなしに気に食わないから攻撃してくる。先の尖った針金でつつくような真似をずっと繰り返してくる。そういう悪意の形があるんだ。それを知って、これからに活かすといい。

 

 そう、突き放してるはずなのに。

 

「じゃあ、おやすみ」

「……はい」

 

 ならば、どうして。

 どうして、この子が悲しむと、こんなにも胸が締め付けられるんだろうか。自分で突っ撥ねたくせに、いざそれで相手が傷ついているのを自覚するとどうしようもなくなる。

 中途半端だと自嘲しながら、それでもダメだった。どうしようもなく自分勝手なのだと、自分で自分に失望した。

 

「――――また明日」

「……!」

 

 たった一言を絞り出すのに、あまりにも多くの勇気が必要だった。

 会いたくないと思ってるのに、しみったれた顔が明るくなるなら自分を抑え付けたっていいかな、なんて思ってる。矛盾だ。自分の本意がどちらなのかまるで分かったもんじゃない。

 

 従妹は、目をきらきらさせながら微笑んでいた。

 花が咲くような、胃のむかつく笑顔だった。

 

 

 

 

「おはようございます」

「……おはよ、従妹」

 

 初めて会った従姉は、名前を教えてくれなかった。

 名前を知らないから呼び名に困ってしまって、口ごもる。

 

「朝ごはん。そこにあるから、自分で盛って食べな」

 

 ぴ、と音がしそうなくらい真っ直ぐに指さした先には、白米が湯気を立てる大きな土鍋や具沢山のみそ汁の入った寸胴鍋、これでもかと山盛りの肉野菜炒めが盛られた大皿が置かれている。

 ふと半分閉じていた目をしっかり開けて従姉を見れば、エプロンに三角巾を着けて、手にはお玉を握っていた。

 

「これ、もしかして……お従姉(ねえ)さんが?」

「悪い? 嫌なら食べなくていいよ。信用されてるとは思ってないし」

 

 思わず呼んだ“おねえさん”に、従姉は嫌そうに顔を顰めた。次いで放たれた言葉には強烈なまでの拒絶の気配が込められていた。それはわたしが初めて遭遇するもので、“お前に寄越す愛なんてない”って言われた気がして、なんだか悲しかった。

 

 同室になったブーケちゃんは緊張で昨晩寝付けなかったらしく、今もまだ眠っている。前もって理事長から話された内容では、今日は環境に慣れるために自由時間にして、トレーニングの開始はトレーナーと合流する明日からということだった。

 それもあって、今日一日はゆっくりするのも良いだろうと思って起こさなかったのだ。

 

 だから、今はわたし一人だけ。

 食器を取って、朝食を盛って、お盆に乗せる。すべての物音は当然一人分で、それがどうにも寂しい。胸がざわついて仕方ない。

 

 いただきます、と一言。みそ汁は出汁が効いていて、滋味という言葉を体に理解させてくる。続いて口に運んだご飯も柔らかすぎず硬すぎずの絶妙な加減に炊き上がっていて、ほのかな甘みがしっかりと味わえる。

 目覚め始めた食欲のままに野菜炒めを口にすれば、しっかり火は通っているのにシャキシャキとした食感が損なわれていなくて、塩と胡椒だけの味付けのはずが驚くほどに美味しい。

 

 メニューとしてはとてもシンプルなのに、一つ一つを丁寧に作っているのが伝わってきて。起き抜けだというのに胃が次を次をと催促して仕方ない。これを従姉が作ったのだと思うと、自然と胸の裡には尊敬の念が湧き上がってきて。

 でも、それを伝えようという想いはすぐに鎮火した。何をしてしまったのか見当もつかないままにつっけんどんな態度をとられているから、どう切り出したらいいのか躊躇ってしまう。

 

 そんな従姉は、私の想いを知ってか知らずか対面に座ってくる。手元にはマグカップ1杯のコーヒーだけ。

 朝はあまり食べない方なのだろうか。それとも、あの量を用意する間に済ませているんだろうか。栄養を得た脳がフル回転して状況を推理しようと動く。

 

 そんな中、従姉の声で思考は中断された。

 

「あのさ、従妹」

「え、あ、はい」

「敬語、ナシでいいから。ため口で良いよ。歳もそこまで開いちゃいない」

 

 拒絶の意志はそのままに、従姉は私に話しかけてくれた。

 その歩み寄りは矛盾しているようで、けれど一貫していて。“お前から受け取る愛なんてない”って手で制されながら行われたような気がした。

 

「昨日、どこで動画撮っても大丈夫とは言ったけどさ、私の事はなるべく映さないで。煩いでしょ、このご時世。色々と」

「は、うん、気を付けま……気を付けるね」

「敬語の方が喋りやすい?」

「ううん、そんなこと……!」

「良いよ別に。提案したのは私だけど、結局どっちでも意味なんて変わらない」

 

 これまでで、こんなにも強く強く拒まれたことなんて無かった気がする。

 パパとママがいて、架け橋さん――――トレーナー君がいて、そしてクロノちゃんやグランちゃん、ブーケちゃん達がいて、コミュメンのみんなが居て。

 沢山の愛を受け取って、沢山の愛を返してきたと思っていた。

 

 だから、分からなくなってしまった。

 仲良くなりたい。もっとたくさんの事をお話ししたい。けれど、もう初対面の時点で既に嫌われてしまっている。そんな矛盾を、どうやって解消すればいいのだろう。

 

 そう思っているうちに従姉はコーヒーを飲み終えて、席から発ってしまう。

 呼び止めようにも何を話題にすればいいのかわからなくなって、いつもみたいな調子が出せない。

 

「……そうだ、従妹」

「な、なに?」

 

 俯いていると、従姉は食堂の出入り口で私をじっと見ていて。

 ついで私の手元を見るように視線をずらしてから、口を開く。

 

「お昼は無理だけど、夕飯はある程度リクエスト受け付けるから。お友達にも伝えておいて」

「……うん」

 

 ぽかん、と間抜けな顔を晒してしまったような気がする。てっきりまた突き放すような言葉を掛けられるとばかり思っていたから、ほんの少し優しくされたことすら意外に思ってしまった自分が居る。

 そんな私を再び見つめて、何を考えているか分からない顔で従姉はキッチンを後にした。

 

 

 

「…………併走?」

「う、うん、気分転換にどうかな、って」

 

 仲良くなりたい。そう思って、では何をすればいいのかと悩んで。

 皆やまだ学園に居るトレーナー君とも相談して、選ばれた手段はありきたりだった。

 

 ウマ娘にとって一番身近で、かつ共通なもの。それは結局走ること。

 従姉はその提案を渋面と共に迎え入れた。一旦私から視線を離して、顔に手を当てて何かを考えている。きっと拒否する理由を探しているんだろうな、とほんの僅かな関わり合いの中でも分かってしまうくらいの顔をしていた。

 

 却下されるかなと思っていると、返ってきた反応はやはり意外なもので。

 

「……コースは一応整備されちゃったしな。いいよ。でも、正直付いていけるか微妙だから、遅くてもがっかりしないでよ?」

「しない! ありがとう、お従姉(ねえ)ちゃん!」

「……」

 

 おねえちゃん、と呼んだ時。従姉は朝と同じように、かつ先ほどの渋面とはまた違ったとても嫌そうな顔をした。お前にそんな呼び方されたくないって全身を使って表現しているようで、ずきんと胸が痛んだ。そんなに嫌わなくていいじゃないって怒りたくなった。

 

 従姉は溜息と共に立ち上がって、私の頭を鷲掴みにする。すわ今度は暴力かと身を竦めていると、待ち構えていた痛みはいつまで待っても来ることはない。

 

「……誤解招くから、外では呼び方変えなよ」

「わ、っわわ……」

 

 靴とってくる、と呟きながら私の頭をかき乱すように雑に撫でて、従姉は私室へ向かった。

 せっかく整えた髪がくしゃくしゃになって、また不満が胸の裡を満たしていく。どうしてこんなに意地悪ばっかりするのってむかむかして仕方がない。

 

 けれど、“やめろ”とは言わなかった。

 おねえちゃんって呼んでもいいんだ。そう思えただけで、なんだか全部許せそうなくらい嬉しかった。


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