物書くリハビリの一貫として、思い付き下書きなしただの手癖で、ちょいとフライングで季節ネタを。

11月後半から先週ほどまで碌に書けない日々でした。仕事飲み会それにほら夜が深くて深度5が遠くてカンスト出来てないよ悔しいよとかあれでそれで。

変わらずゆるゆるペースではありますが、あれもこれも筆を折ることはないので、寛大なお心でお付き合いくださると。

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普通の夜を

「む、む、む……」

 アイズ・ヴァレンシュタイン。唸る。

「むむ、む、むむむむむ……!」

 超唸る。

「どしちゃったのアイズー? 便秘ー?」

「空気読みなさいよ馬鹿ティオナ。言いたくなるのもわかるけど」

「だったら馬鹿って言うことないじゃんかー! っていうかなんか変な匂いしない?」

 朝と昼の役割を終え、静まり返っていた黄昏の館の大食堂。アイズとティオネ、二人きりだった空間にティオナがやって来ただけで、この空間が知る最盛に届くような喧騒が突風宛らに巻き起こった。

「むぅ……うぅむぅ……」

 そんなティオナがやって来てもアイズは一瞥さえもせず、ただひたすらに唸っている。

「え、ほんとにどしたの? なんかあった?」

「…………ティオナ……」

「今気付いた!?」

「……ベルに……何が出来るかなって……考えてて……」

「へ? アルゴノゥトくんに?」

「ん……うん……」

 こくりと。ついでにもう一度こくりと頷くという、都市内外に知れ渡った『剣姫(けんき)』の二つ名の威光が微塵も滲んでこない、いやに幼い仕草をティオナに披露する金髪金眼の美少女。

 彼女の口から飛び出した名は、この都市の話題の先頭を走り続けている、一匹の勇敢な兎。

 その兎は、彼女たちと同じ派閥に属する多くの団員を。この都市に生きる多くの人々を救った、誰もが認める英雄候補。

「助けてくれたこととか……他にもたくさんのことで……ベルにお礼をしたくて……」

 単純な話である。

 オラリオに属する冒険者総出で敢行された、ロキ・ファミリア救出作戦。あの地獄から多くの冒険者たちが帰還して二ヶ月と少し。

 あれから今日まで、まあ色々とあった。

 アイズとベル、個人間で。

 ロキとヘスティア、女神間で。

 同時に派閥間でも。

 個人としても派閥としても確実に縮まった二人の距離。しかもそれが、あくまで両派閥の間ではあるが、公の関係になりつつある。

 だからと言って色っぽい関係値には届いていない。剣のお姫様も勇敢な白兎も得物を手にしていない時はえらく鈍チンが故。

 手を伸ばし合えば。いつもは言えないことをほんの少しでも言い合えば。二人だけの一つの起結へ辿り着くのは間違いないのに。

 そのもどかしい様に周囲の方がヤキモキしているくらいなのだ。

 そんな中、少しくらい話を進めろやと、業を煮やしてしまった者が現れた。

 惚れた雄に自分だけを見つめてもらうために己を磨き続け、己をアピールし続けているアマゾネスの少女、ティオネ・ヒリュテである。

 彼女の迂遠な働き掛けは、何かと訓練。何かのお礼にもやっぱり訓練。まだまだアオハル盛りであるはずの少女少年だと言うのに、どうにも可愛げがない展開ばかりを繰り広げていると判明した少女の思考のパターンに、確かな変化を齎した。

「要するに。これまでのことのお礼も兼ねて、バレンタインに何かをしましょう。ってこと」

「いいじゃんいいじゃん!」

「うぅ……」

 いつもと違う形で、ベル・クラネルに感謝を伝えてみたくなった。

 ティオネが投じた一石が、これまでのアイズならば思い付きもしなかった行動へと直結した。

 しかしどうにも頼りなく、希薄に映る意思だ。ならば熱いうちに打つ他ないと、ティオネがお節介を焼いている。そんな状況だ。

「それでそれで!? 何をどうするよてーなの!?」

「それを考えてたのよ。ベタと言えばベタだけど、アイズがチョコを手作りして渡すって言うのがまあ間違いないわよね」

「うんうん!」

「と思ったんだけど……」

「チョコレート作り……無理……すごくすごく……無理だった……」

 ティオナが乱入してくるまでの間に過ごした奇天烈な時間を思い返したティオネが額を抑え、アイズはしょんぼり顔で俯いてしまった。

「あー」

 大食堂全体になんだか甘いような香ばしいような何かが焼け焦げたような名称し難い匂いが漂っているのはその所為なのかーと納得しながらティオナは鼻を鳴らした。

「チョコの素材集めにダンジョン行って来るとかど真面目に言われた時に感じたあの頭痛が忘れられないわ……とはいえ、まだ入り口。絶対無理だなんて決め付けないの。剣の訓練は控えめで、こっちの訓練に精を出しましょう。何せ、アイズには優秀な師匠がいるじゃない。任せなさい」

「うん……ありがとうティオネ……」

 豊かに実った自身の胸をとんと叩いてティオネが笑うと、アイズの視線も上向きに。

「いいのよ」

 静かに呟いたティオネ・ヒリュテは、この気を逃せないと鼻息を荒くしていた。

 穢れた精霊との大騒動。多くの派閥を巻き込んでしまった死闘を経た今、アイズ・ヴァレンシュタインに小さな。しかし確かな、多くの変化が見えている。

 単独で訓練に明け暮れる日が少なくなった。派閥の団員たちと交流を図る時間が増えた。自室に篭っている時間が短くなった。鏡を見る時間が長くなった。彼女の笑顔を見られる瞬間がとても増えた。

 隠し事が下手なのは変わらないが、会いたい人がいること。

 その会いたい人が誰であるかを、近しい者たちに打ち明けられるようになった。

 アイズは変わりつつある。派閥の誰から見ても、良い方向へと進みつつある。

 その変化を加速させる。もっと言えば、決定的なものに出来るかもしれない少年の存在はティオネ然り、女神ロキの子供たちの多くが見過ごせないものとなっている。

 個人的な期待感もある。

 あの兎なら、アイズがまだ知らない何かを齎すことが出来る。

 それはきっとアイズだけではなく、当の兎や、ティオネたちにも多大な影響と充足感を与えることだろう。

 とはいえ。

 自分がしている後押し。その他の小さな積み重ねの数々が、予期せぬ修羅場の引金にもなり得るかもしれないのまた否定出来ない。

「そっかー」

 自分たちのやり取りを眺めていた誰かのニコニコ笑顔に、瞬きの間だけ微かな影が差したことを、双子の姉は見逃していなかった。

「とにかく、出来ることをやりましょう。いいわねアイズ?」

「うん」

「味見は任せてー!」

「食べたいだけでしょあんたは。まあいいわ。じゃあもう一度作ってみましょうか」

「よろしくお願いします……!」

 ふんすふんすと鼻を鳴らして両拳を握り込むアイズ。片手を挙げてぴょんぴょん跳ねるティオナ。胸の前で腕を組んで微笑むティオネ。

「水を刺すようで心苦しいですが」

「え?」

「へ?」

「うん?」

 前向きになっていた彼女たち三人の視線が、今し方大食堂に入ってきた誰かに集中した。

「ベル・クラネルは、甘いものが苦手だと聞いたことがあります」

「…………がーん……」

「うわぁ!? すごい顔になってるよアイズー!」

「それは知らなかったわね……」

 顎が外れたように大口を開けるアイズの肩を揺するティオナの図を横目に、入室から三秒で尊敬する先輩冒険者の心を半分くらい折ってしまった妖精の少女の姿を、ティオネの瞳は捕まえた。

「隠しておくのも違ったとはいえ……せめて私だけに伝えるとかでもよかったでしょう。伝え方が少し意地悪なんじゃない? レフィーヤ?」

「今のうちからノイズになり得る芽を摘んだほうが良いかと思っただけです」

 悪びれる様子などなく、レフィーヤは三人の先輩冒険者に合流した。

「隠し事の出来ない彼に甘いものを手渡したらありがとうと言いながらも内心困っているんですが表に出てしまうのは自明。それに気が付かないアイズさんではないでしょうから」

「まあ確かに……」

「アルゴノゥトくんなんでも顔に出るもんねー」

「ベルに我慢させちゃうのは……よくない……喜んでもらいたい……」

「振り出しに戻っちゃったわね……」

「他に妙案はあるんですか?」

「振り出しって言葉で察して」

「長い道のりになりそうですね」

「あぅ……」

 遠慮のない後輩レフィーヤの物言いに遠慮なくしょぼくれる先輩アイズ。

「はぁ……」

 その様を見て小さく溜息を吐いたレフィーヤの口元が。

「ふふ……」

 微笑の形を描いたのは間も無くのこと。

「喜ばせるのもいいですが、驚かせてみる。というのはどうでしょう」

「驚かせる?」

「身も蓋もない話ですが、アイズさんから何かしてもらえたらそれだけで喜びますよ、彼は」

「それはそうでしょうけど」

「え、そうなのー?」

「そうよ。アイズだって、いい加減その辺りの自覚は出て来てるでしょう?」

「そうなの、かな……」

「はあ……」

「まったく……」

 レフィーヤとティオネの溜息が重なる先では、都市で生きる多くの男性を虜にしている美貌を有する金髪美少女が、居心地悪そうに視線を彷徨わせていた。

「話を戻します。喜ぶのは勝手に喜んでくれるでしょうから、あくまで驚かせることに意識を向けてみてはどうでしょうか。アイズさんだからこその形で驚かせてみる、みたいな」

「それってどゆことー?」

「意識の外からの一撃、みたいなことです」

「なるほど!」

「うん……それは驚くし、避けられない……」

「驚くで済むヤツなのかしらそれ……」

「ベルが驚くこと……普段と違うこと……びっくりさせちゃうこと…………はいっ」

「どうぞアイズさん」

「ベルが私にじゃなくて、私がベルに訓練をしてもらう、とか……!」

「真面目に考えてください」

「ごめんなさい……」

 自信満々に挙手をしたアイズちゃん、レフィーヤ先生に怒られあえなく撃沈。

「だったら一緒に考えてみようよアイズー!」

「うん……」

 即座に飛び込んで来たティオナのお陰でしょんぼり顔は回避。二人仲良くあーでもないこーでもないと、ひたすらに的外れな作戦会議で盛り上がり始めた。

「真面目に考えてあげてるのね、レフィーヤ」

「当然です」

「『白兎の脚(ラビット・フッド)』……じゃないわね。『獅兎の光(レグルス・アルネ)』と普段はあんな感じなのに」

「私が止めたってアイズさんは止まってくれないとわかっていますから」

 こっそり近付いて、テンペストでドーンするとかどーお!?

 それは…………うん、いいかも。

 なんておバカトークが気になって仕方がないがそちらへ気を向けるのもそこそこに、レフィーヤはティオネへ静かに近付いた。

「それに……」

「それに?」

「誰にだって特別な日だっていうなら……誰にだって素敵な一日を過ごして欲しいですし……」

「本当、悪役に向かないわね、レフィーヤは」

「そんな役を受領した覚えはありません」

「敵に塩を送っている自覚はある?」

「そんなつもりもありません」

「ついでに言っておくけれど、最近のレフィーヤ、アイズ以上に何処かの兎と接している時の方が素直に話せてる感じがするわよ?」

「アミッドさんに目の具合を見てもらうことをオススメします」

 いつかの彼女ならば、そんなことないですーって怒りながら慌て倒していたであろうに。

 変わったわね。みんな。

 一文字に結んだ口がぷるぷると小刻みに揺れている様子を指摘したら流石に怒らせてしまいそうだからと、自身の琴線に触れる光景をアイズたちと共有することをティオネは控えることにした。

「ねーねー! レフィーヤもこっち来てよー!」

「私に力になれることは何もありません」

「そんなことないよ! レフィーヤって、アルゴノゥトくんのことすっごく詳しいじゃん!」

「そんなことはないと思いますけど」

「あるある! だってレフィーヤは……そう! 神様たちの言葉で言うとレフィーヤは、アルゴノゥトくんおたくだから!」

「……ティオナさんとはしばらく口利きません」

「なんでぇー!?」

「知りません」

「ある……」

 なんだかんだとちゃんコミュニケーションを取ってあげているレフィーヤの姿にティオネが微笑んでいると。

「ある……かも……ベルを驚かせられること……」

 とんでもない発見をしてしまった、みたいに両目をかっ開いたアイズが、ふるふると右腕を振るわせながら挙手をした。

「え、っと…………しゅ、集合……!」

 ただならぬ様子を見せるアイズの号令一下、震える右手の元へと集う三人の娘。

「あの、ね……!」

 改心の閃きの自負があるらしく、高揚を言葉に滲ませながら作戦を発表。

「バレンタインっぽくはないけどアイズらしいし、驚くのは間違いないわね」

「おもしろそー!」

「悪くないと思います」

「そう……かな……そうだよね……!」

 三者三様のポジティブな反応が貰えてご満悦な様子を見せる剣のお姫様。掲げたままの右手はいつの間にか握り拳の形に変わっていた。

「となると、私の役割は大して変わらないわね」

「ごめんティオネ……」

「いいのよ。そうと決まったら早速訓練といきましょうか」

「よろしくお願いしますティオネ先生……!」

「先生って何よ……アイズ、後ろ向いて」

「うん」

「動かないでね」

 言われるがまま背中を向けると、ティオネの両手が遠慮なしにアイズの金髪に触れた。

「はい出来た。お団子も似合うじゃない」

 いきなりやって来たムズムズゾワゾワザワザワ感に驚いている間に、重力に逆らわないでいたアイズの金髪は大きめのお団子となって、彼女の後頭部にちょこんと鎮座していた。

「さっきは失念してたけど、キッチンに立つならこうしないとね」

「あ、ありがとうティオネ……」

「いいのよ」

「可愛いー! こういう髪型も似合うねアイズ!」

「とても素敵です。本当に」

 出来たてホヤホヤのお団子を撫でたりペシペシしているアイズを真ん中に広がる小さな輪。

「…………」

 その輪を眺めながらティオネは、自分以外の誰もが見ていないものへとただ一人、意識を向けていた。

「ねえアイズ」

「うん?」

「今回のことはさておいて、時々でいいから、一緒に台所に立つようにしましょうか」

「どうして?」

 変化。

 どうしたって、アイズ・ヴァレンシュタインに付き纏ってくる言葉。

 しかしそれは、アイズだけのものではない。

 ティオナが変わった。

 レフィーヤが変わった。

 ティオネだって変わった。

 ティオネは、思い人との距離が縮まった。

 もしかしたら勘違いかもしれないその自負が、ティオネの人生に新たな色を加えている。

 無論、まだまだやらねばならないことばかり。余談を許さない状況に下界が置かれていることは何も変わらない。そんな世界で浮かれた未来ばかりを描いてなどいられない。北で待つ終末は、自分たちが心健やかに生きることを易々と許してくれないだろう。

 それでも。その先のことくらい考えてもいいと思えるようになった。

 より良い未来を考えられるようになった。

 それは今の自分が満たされている証であり、どうしても手中に収めたい未来が像を結び始めた証であるのだろう。

 平和、と言うのはどうにも面映いというか、自分には不似合いな気がするけれど。

 家族。仲間。友人。惚れた雄。

 喧嘩上等がデフォなアマゾネスの自分でさえ、彼女たちと過ごせる穏やかな時間が増えたらいいと思っている。

 惚れた雄との素敵な未来。

 家族たちの明るい未来。

 友人たちの幸福。

 穢れた精霊との大騒動を越えてからも確かな前進を続けるティオネは、そんなことを考える時間が増えていた。

「絶やさないようにしたいの。こういう時間を。何が起こったって、こういう時間にまた帰って来られるように」

「意味がわからないよ」

「そのうちわかるわよ。っていうか、あんたたちも見学していきなさい」

「言われなくても味見担当だもんねー!」

「折角の機会ですし、勉強させていただきます」

 これまでも。きっとこれからも。

 そういう時間をティオネと共に過ごしてくれるだろう家族たち。

「ねえ」

「うん?」

「何ー?」

「なんでしょう」

 彼女たちの瞳を順番に見つめて。

「もっと可愛くなりましょうね。私たち」

 強さへの渇望に負けない欲求を、ティオネは口にした。

「かわいく?」

「いきなりどしたの?」

「実は具合が悪いとか……」

 明るい未来を求め続けるアマゾネスの少女の瞳に映る少女たちは誰一人として頷かず、きょとんと小首を傾げるだけ。

 求めた反応とは違っていたけれど、その可愛らしい様は。

「……っふ……あははは……!」

 ティオネの可愛らしい笑顔を、一層輝かせてくれるものであった。

 

* * *

 

「話を纏めるっす。バレンタイン当日にとある人物に日頃のお礼をしたいけれど、何をしたらいいかわからない。もっと言えば、どんな風に誘っていいかわからない。ってことっすよね?」

「お恥ずかしながら……」

 市民、冒険者たちの賑わい満ちる焔蜂亭。

 その一席にて情けのない呻き声をあげる冒険者、ベル・クラネル。

「わかる……わかるっすよその気持ち……!」

 うんうん頷きながら彼に賛同する青年、ラウル・ノールド。

「ふざやがって……何が楽しくてこんななっさけねぇ話聞かされなきゃなんねぇんだ……」

 ラウルの隣にはベート。ベート・ローガなのである。

 ロキ・ファミリアのラウル。ベート。

 そこに何故か、ヘスティア・ファミリアのベル。

 まさか過ぎる三人で、一つの卓を囲んでいた。

「そもそもっすけど、神様たちの言うバレンタインって日は、女性から男性へチョコを贈る日っすよね?」

「そう聞いてます」

「だったらどうして?」

「女の子からってことばかりでもなくて、日頃の感謝を告げる日でもあるんだって神様が教えてくださって……それだったら僕も何かしたいなって……」

「待て」

「はい?」

「そもそもの話をするならそこじゃねえ」

「なんすかベートさん?」

「なんで兎野郎と俺らが同じ卓に着いてんだって話だろーが」

「ご、ごめんなさい……」

「もういいじゃないっすかその話は……」

 バレンタインほにゃららの方策が見つからず途方に暮れ、何か気付きとなり得るものを求めてオラリオ市内を徘徊していたベル。

 自派閥の下級団員を率いての経験値稼ぎ(レベリング)が主たる目的であった小規模遠征から戻ったその夜に、たまには野郎二人で飲むかと店を散策していたラウルとベートの二人。

「お、お願いします! 僕に力を……知恵を授けてください……!」

 そんな彼らが鉢合わせるなり、勢い良く頭を下げたベル。知らねえ行くぞと立ち去ろうとするベートを、まあまあこういうのもいいじゃないっすかと、ラウルがどうにかこうにか引き留め、とりあえず何処か入ろうとなった。

 そんな程度の単純な経緯を経て、ありそうでいややっぱないよなあ、な感じの三人の同席と相成った次第である。

「つーか。変に言葉を選んでんじゃねぇ。てめえが誘おうとしてるのは誰かじゃなくて」

「あ、ベートさんそれは」

「アイズだろうが」

「はぅわ!?」

「言わぬが花ってヤツっすよ……」

「最初からそう言えっつの。女々しい言い回ししやがって」

「だ、だってぇ……」

「けっ!」

 モジモジし倒すベルに唾を吐き捨てる代わりに、右手が掴んでいた杯の中身を空にするベートの目に怯える白兎。

「話を戻すっすよー」

 兎を狩る狼の図だあ。と思いながら、間違いなく今夜一番の重労働が確定している苦労人が軌道を修正。

「何をしたら云々はこれからとして、声を掛けるのはなんてことないんじゃないっすか? この際だから言葉選ばないっすけど、自分たちが知らないだけで、これまでにアイズさんと二人で出掛けたりとか色々あったんすよね?」

「えと…………訓練とかなら……はい……」

「わ、本当だったっす」

「へ?」

「てめぇ……フィンの良くねえ部分移ってねぇか?」

「今のは本当にそんなつもりで聞いたんじゃないっす。割と確信ありで言ってたっすから」

「ハッ、どうだか」

「えと……今の…………あっ!」

 ベートに突っ込まれても顔色を変えないラウルを見て、どうやら自分はカマをかけられたらしいとベルが気付くも既に遅い。

「あ、あの……このことは内緒に」

「わかってるっすよ。正直、これからは内緒にしていく必要はあまりないと思うっすけどね」

「そ、そうなのでしょうか……」

 全然ピンと来ていないベルの姿に苦笑いのラウルと、やっぱりつまらなそうに表情を顰めているベート。本当に自覚がないのかこの兎は、とでも言いたげである。

 身も蓋もない話になるが。

 ロキ・ファミリア救出作戦。その表面の最終局面。

 あの場にいた連中でこいつの好意が誰へ向いているかを気付かないヤツなんていねーだろ。

 とはベートの内心。

 自分でも気付くくらいなんすから、うちの派閥の面々も彼の派閥の面々も軒並み気付いているっすよね。

 表面の最終局面に立ち会えなかったラウルもそんな内心。

 詰まるところ。

 ヘスティア、ロキ、なんならフレイヤ。他にもヘルメスの所のアスフィなど、主要派閥の主力級は軒並み知っているのである。都市を賑わし続ける兎の矢印が向く先を。

 もっと言えば。彼女本人の自覚は薄いのだが、言葉にせずとも行動で示してしまっている、剣のお姫様の矢印の向きだって。

 しかもその関係を、なんだかんだとヘスティア、ロキの両派閥が大切にしている。

 だもんで、内緒にしていく必要はあまりない。ラウルがそう言いたくなるのもまあわかる、というお話。

「とにかく、いつものように声を掛けたらいいんじゃないっすかね」

「……それなんですけど……」

「なんすか?」

「思い返してみると……訓練のお誘い……いつだってアイズさんからだったなって……」

「あー」

「ヘタレ兎が」

「だ、だって! アイズさんは僕なんかよりずっとお忙しいし強い人ですし! 天と地ほども力の差がある僕から訓練してくれって言うのもなんか違う気がして」

「言い訳の時だけは饒舌になんのかてめぇは」

「……う、う……う……うぅ……!」

「ベートさん待つっす。酔っててもシラフでも男だけの輪の中で男に泣かれるのはキツいっす。抑えて抑えて」

「ふんっ」

「だっ、だからっ……今回くらいは僕からって思ってて……でもそういうお誘いの経験とか全然なくて……だから聞かせて欲しいんです! お二人ならどんな風にして女の子を誘うのかを!」

「急に声デカいっすね……」

「何で俺たちに聞くんだよ」

「ベートさんもラウルさんも間違いなくモテるでしょうから……それに、その……ラウルさんには……アナキティさんがいらっしゃるから……」

「自分とアキって他所の派閥でもその認識されてるんすね……」

「僕はそのことを知らなかったんですけど、この前ティオナさんに会った時、ラウルさんとアナキティさんが最近すごくすごーく仲良しなんだって言ってたから……」

「ティオナさぁん……ならちゃんと言っとくっすけど、自分とアキはまだそういう仲では」

「まだ?」

「まだ?」

「あ」

「本当は惚気てぇんだろてめぇ」

「すごく仲良しってやっぱりそういう……!」

「違うっす! っていうか息合いすぎじゃないっすかそこの二人ぃ!?」

「えっ? そ、そうですかね……!?」

「何でちょっと照れてんだてめぇ……!」

 ベルだけ酒を飲んでいない席であるが、なかなかどうして会話の回転が上がってきた。会話下手なりにそう感じたベルの踏み込みが強くなる。

「で、でもでもっ! ラウルさんとアナキティさんなら二人だけで食事とか……」

「あるにはあるっすけど……そういう時って大抵、直近の派閥の活動での反省なんかが主になるっすから、あまり参考には」

「とか言いながら、あいつと二人で朝帰りしたことあんだろ。しかも割と最近」

「そうなんですか!?」

「な、何で知ってるっすか……!?」

「いや、今知った」

「……身内にカマかけるの良くないっすよ……」

「てめぇが言うな」

「えとえと……ってことはつまり……ラウルさんとアキさんは……!?」

「さ! 話戻すっすよー! 自分の場合は素直に言うだけっすよー! 今夜ご飯どうっすかって……それで……」

「意外とやることやってやがる」

「そ、そういうのじゃないっす! 今のはそういう間じゃなくて恥ずかしくなってきちゃった系の間っすから!」

「それってつまり……!?」

「これ以上突っ込んだら自分はもう何も喋らないっす!」

「き、気になる……!」

「というか! 『獅兎の光(レグルス・アルネ)』だってデートの経験あるじゃないっすか! 女神祭で酒場の従業員さんとデートをしてたことは有名っすよ!?」

「うぇ!? や、あの、あれは確かにでっ、デートではあったんですが……直前に僕を魔改造してくださった方の掌の上と言いますか……え!? ち、違います違うんです! 僕なりに精一杯盛り上げようと頑張りましたしすごく楽しかったんです本当なんですだからヴァリアンもカウルスもヒルドしないでくださぁぃ……!」

「誰に何言ってんだてめぇは」

「顔色おかしなことになってるっすよ」

 何してんだあいつと周囲の目が集まる中、全方位に向けぺこぺこと頭を下げ始めるベル。何かが見えているのかただ感じているだけなのかは兎のみぞ知る。

「というか、その魔改造? をしてくれた方を頼れば良かったんじゃないっすか?」

「あの地獄みたいな改造の日々で叩き込まれたこと全て覚えていますけど……今回は……アイズさん……とのこと、なので……その……」

「名前を伏せたまま、あわよくばアイズの話題になったら話を広げてそこから使えそうな情報を抜き出そうって腹だったってわけか」

「あ……」

「意外っすね。そういうの出来なさそうなタイプだと思ってたっすけど」

「…………」

「こすい真似してくれるじゃねえか。あぁ?」

「……くぅ……!」

「あ、ベートさんストップっす。自分らが思うより効いちゃってるっぽいっす。これ以上突っ込んだら自己嫌悪で潰れるヤツっす」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

「めんどくせーヤツ……」

「その人に女性の誘い方は習わなかったんすか?」

「習ったと言えば習いましたし、実際後々に生きてくることも多かったんですけど、基本的には街娘さん特効って感じのレッスンでして……」

「よくわかんないっすけど、その方からの教えは今回あまり刺さりそうにないってことっすね。んーと……じゃあそれも踏まえて言わせてもらうっすけど」

「は、はい!」

「自分で考えて欲しいっす」

「……やっぱりこんな質問じゃあ取り合ってなんか」

「そうじゃないっす。ちゃんと考えた上で本心から言ってるっす。自分で考えて欲しいって」

「……どうしてでしょうか?」

「他派閥の団員が自分たちの派閥の仲間……しかも団員たちの憧れであるアイズさんを誘おうって言うんすから、ここくらい男を見せて欲しいっす」

 話は聞くし相談にも乗る。勿論、無責任且つ適当なことを言うつもりもないが、しかし彼に寄り添い過ぎることはしない。

 男性目線が基軸であり、アイズの仲間目線と家族目線も当たり前に混在している。多角的にベルを見ているラウルは、強固な決意と言うほど大袈裟なものではないが、彼なりの指針を胸に抱えてベルの前に座っている。

「仮にっすけど、例えば自分たちがああしろこうしろって何か入れ知恵をしたとして、それを悟らせずにいられる自信あるっすか? おくびにも出さず、一から百まで自身のアイデアなんすよって顔していられるっすか? そういうのが露見するのって印象悪いじゃないっすか。どうっすか?」

「……ムツカシイカモデス……」

「何でカタコトになってんだこいつ」

 何やら悪い方向に心当たりがあるのか、油の切れたブリキの絡繰のようになっているベルに、呆れたような目をベートが向けた。

「肩肘張り過ぎても空回りするだけっす。君はそのまんまがいいと思うっすよ。出来ることを出来る限りでいいんじゃないっすかね? その頑張りを察してくれないアイズさんじゃないっすよ」

 これは男性側の都合の良い解釈だとは思うっすけどね。

 そう付け足しながら、ベルがまるで飲み進めないもので右手の中で余暇を与えられている杯に自らの杯をかつんとぶつけにいく『超凡夫(ハイ・ノービス)』。

「この話、ここまででいいっすかね?」

「……はい……ありがとうございます……! あ、あの……!」

「っす」

 今度はベルから杯を合わせに行く。ラウルは笑いながらそれに応じた。ベートは我関せずで頬杖を付いたままである。

「じゃあもう一つの方の話にいくっす。バレンタインに何をしたらいいかって話。今の所、アイデアって何もないんすか?」

「一応あるにはあるんですけど……これは違うんじゃないかなあって思って……」

「聞かせて欲しいっす」

「そ、その……ですね……」

 なんだかんだ楽しそうにしているラウルと、不機嫌な眼差しを隠さないベートの二人だけにしか届かないような声量で、最初に浮かんだ自分のアイデアをベルは打ち明けた。

「いいじゃないっすかそれ」

「ま、あいつには刺さんじゃねーか」

「ほ、ほんとですか!?」

「まあアイズさんっすから」

「じゃあ……その方向でやってみようかな……」

「話は終わったな。帰る」

「ま、待ってください!」

「あ?」

 自分の杯を空にしてから席を立つベートからわずかに遅れて席を立つベル。そのベルに殺到する、苛立ちを隠さない狼の眼差し。

「別件でベートさんに尋ねたいことが……」

「ダチにでもなったつもりかてめぇは。なんで俺がてめぇと酒飲まなきゃならねぇんだ」

「まあまあ。ちなみに、ベートさんに聞きたいことってなんだったんすか?」

「おい。勝手に話進めんな」

「そ、その…………レナさんとのお子さんのこととか……色々聞いてみたくて……」

「…………は?」

「い、いつの間にそこまで!? 同じ派閥の自分も知らないおめでた話がふぅ!?」

「座れ。話せ」

「は、はいぃぃぃ……!」

 あ、あれー? 自分は何か怒らせるような話をしてしまったのかしらー?

 ごつんと快音響く拳骨を頭頂部に食らい突っ伏してしまったラウルの前でビクビク震える白兎の言葉がきっかけ。

 三人の夜は、割と長めの夜になることとなった。

 覚えている限りそのまま言いますけど。

 そう前起きをして。

「ベート・ローガからヤバいのもらっちゃった。私がしつこくせがむから大サービスでいつもより濃厚なヤツ。お腹の奥の方が疼いているのがわかる。なんなら纏めて六人くらいキちゃったかも」

 と、オラリオ市内でたまたま顔を合わせた何処ぞのアマゾネスの少女から聞かされたベルは、とってもおめでたい話じゃないですか! と一人で盛り上がっていたとのこと。

「あのガキ殺す。今夜殺す」

「え? あの、ご懐妊の話は」

「察しろクソアホボケ兎っ!」

「す、すいませぇん!?」

「それはそれとして、実際のところどうなんすか?」

「掘り下げるな殺すぞ!」

「ぼ、僕も聞きたいです……!」

 臆せず突き進むラウルの背に隠れて追従するベルの二人の猛攻の結果、付き合いの長いラウルでさえ、ほほーん!? と唸ってしまうような意外過ぎる言葉をベートから聞き出せたのだが、彼の沽券に関わるのでこれ以上は割愛させていただく。当然だが、ラウルはしっかりと殴られていた。

 散々突っ込まれて苛立ったベートがアナキティの名前を出すと、今度はベートとベルがラウルを弄る流れが出来上がった。

 ベルの知らないラウルとアナキティの情報を饒舌に語ってみせるベートにラウルがツッコミ及び訂正を繰り返し、ベルが蒸し返しては深掘りをしようとする。弄られたこともあって遠慮を知らないベートの猛攻の果て、つい最近だが、アナキティとなんとなく手を繋いでみたりしたらしいと判明。ガキかよと鼻を鳴らす誰かの横で、すごいすてき大人ぁ! と喧しかったのが誰であるかなど語るまでもないだろう。

 ベルの話にもなった。

 アイズとのあれこれは勿論、彼の派閥の団員たちとのあれこれに加え、ラウルとベートの共通認識である、女神フレイヤとのあれこれも結構ガッツリ弄られた。

 いつからアイズさんに惚れてるっすか? なんて直球なラウルの質問にも、辿々しいながらベルは答えた。というか答えさせられた。

 酔いが回って来たのか、一層攻撃的な口撃を乱発してくるベートの前でただの置き物で過ごすことなど許されるわけもなかった。

 十四歳のお子様から飛び出してくるエピソードのピュアっピュアっぷりに謎の面映さを感じながら、愉快そうにベルの言葉を引き出し続けるラウル。

 その抜けた初心っぷりに、こいつ大丈夫か? どうなってんだてめぇの頭は、なんて実際に言いながら、なんだかんだとその場を少しも離れることなく、飲み会ぼっちになり損ねたベート。

 余談になるが。何処かの金ピカ狐娘の話になった際。ベートの表情がいやに歪み、しかし彼の耳はぴーんと高く伸びていたことを、ラウルは気付かず、ベルは気が付いていた。

 ダンジョンの話。オラリオ情勢。北で待つ終末の話。

 少量ではあるが、ベルも酒を飲み始めたこともあってか、本当に話が弾んだ。多人数間内でのバランス感覚に優れているラウルが会話の潮目を見逃さないでいてくれたからこそ形を保てている席であるのは間違いないだろう。

 三人の夜が深まって行き、弾んでいた勢いが萎み始めた頃。

「神様に言われたんです。迫る終末を越えられた、その先を想像して欲しいって」

 鬼に笑われてしまいそうな話題を、アルコールに浮かされつつあるベルから切り出した。

「目の前の大問題は無視出来ないし、今はそこに全てを捧げる時なのかもしれないけれど、それより先のことだって大切なんだから。普通の未来を想像して、大切に温めておいてくれ。僕だって誰だって、その為に戦っているはずなんだからって」

「決着のその先っすか……」

「ふん……」

 下界に終末を齎す存在を、下界に生きる命たちが越えられたとして。

 その先、どうなりたいか。

 どんな未来が欲しいか。

 それを考え、大切に秘めていて欲しい。

 恐らく北の果てでも大暴れしてくれるだろうベル。彼が敬愛している慈愛に満ちた女神の言葉が、ベルの心中の割と広い所に、居場所をこさえていた。

「具体的な何かはあるんすか?」

「具体的と言えるほど場所を絞れているわけではないんですが、ファミリアのみんなや、オラリオで出会った人々と一緒に、世界を見に行ってみたいなって思っています」

「いいっすね!」

「実家に戻って村のみんなに会って、ずっと温めていた話をたくさんして、ファミリアのみんなを紹介して……そういうことを」

「そういうのはいいんだよ」

「え?」

「くだらねえ話だが、この際だから聞かせろ。本当に黒い蜥蜴をヤれたとしたその後。てめぇはアイズとどうなりてぇんだよ」

「…………はっきり言います」

 喧騒の中にあって、ごくりと息を呑む音がラウルとベートの耳にも聞こえてきた。横顔に汗さえ光らせている十四歳がいよいよ覚悟の決まった発言をしやがるのかと、二人の眦にも自然と力が入る。

「あ、アイズ……さんと……つ、つきっ、あっ…………いっ! いい感じになりたい……ですっ……!」

「玉なし兎が」

「くううぅぅぅ……!」

「先は長そうすっね……」

 唾を吐き捨てそうな勢いのベートに凄まれ背中を丸めてしまったベルを、呆れが滲んだようなラウルの言葉の追い打ちが逃してくれない。ベル自身、だらしのない言葉に逃げてしまった自分が情けなくてしょうがなくて、結構な自己嫌悪に包まれている。

「ま、君らしいっすね」

「捨てろ、そんならしさ」

「ダメっすよ」

「あぁ?」

「捨てずに貫き続けたからここまで来れてるんすから。きっと」

「ら、ラウルさぁん……!」

「甘やかすんじゃねえよ……」

 ラウルの右手にポンポンと肩を叩かれたベルの涙腺がポンコツになり、そんな姿にベートはふかーい溜息を一つ。

「自分たちのアイズさんを連れ出そうって言うんすから、もっと頼れる姿を見せて欲しいってのが本音っすけど……辿り着けるといいっすね。ヘスティア様が言うような、アイズさんとの普通の未来に」

「……背中を追ってばかりでしたけど……これからはそんなんじゃなくて……」

 落とさなかったけれどぶわっと溢れていた雫たちをぐしぐしと拭いながらベルは語る。

「アイズさんを守ってあげられるだけの力を付けて……もっと僕のことを知ってもらって……もっとアイズさんのことを教えてもらって……それで……それから先も……」

 恐らく、年相応。

 もしかしたらもっと幼くて、もっと向こう水かもしれない。

 それでも。彼のこれまで。彼のこれからをも支えてくれるだろう願いを。

 心に描いた普通の未来に思いを馳せ。尊敬している二人の先達に。

「ずっと……隣同士でいたい……です……」

 十四歳の少年の唇は、不器用な笑みを描いてみせた。

 

* * *

 

「あの兎野郎、本気で俺とお前のことダチだと思ってねえか?」

 ベルがいなくなり、いよいよ飲んだくれモードに移行した二人の席。顰面を晒し続けていた所為で表情筋の活動が怠慢になっているらしいベートが、ラウルに向けて呟いた。

「それはないと思うっす。少なくともベートさんをそう思うことはないっすよ」

「あぁ?」

「睨まないでくださいっす……ベートさんもわかってるくせに……」

 門限すぎちゃいました……!

 臆病かつ幼稚だった彼の言葉群を上回るお子様ワード、門限なんて言葉で二人の青年を驚かせてみせたベル。

 支払いはいいっす。さっさと帰れ。

 有無を言わせてくれない二人の先達に奢ってもらってしまった十四歳のお子様は、散々二人に頭を下げてから慌ただしく帰って行った。

 感謝してもしきれない。だから必ずお返しを。

 そう心に決めたお子様は存外にいい笑顔で本拠(ホーム)へ駆け戻り、事前通達無しで門限を過ぎたこと、アルコールの香りをもわぁっと纏っていることを詰められ怒られて、進行形にてちょっとした騒ぎに発展していることを、ラウルとベートは当然知らない。

「友達とは思っていないでしょう。ただまあ、信頼はしてくれてるんじゃないっすかね」

「信頼されるようなことした覚えはねぇよ」

「自分もっすよ。けどまあ、自分は彼を信頼してるっすよ。そこはベートさんと同じっすね」

「……っ!」

「痛ぁ!?」

 苛立ちの乗ったベートの左拳がラウルの額を強襲し、快音を響かせた。

「くだらねえ時間使わせやがって……!」

「いたた…………というか」

「あンだよ」

「なんだかんだ言いながら、身を引けとは言わなかったっすね、ベートさん」

「今更誰に何言われたって止まらねえだろ。あそこまでその気になってんなら」

「そうっすねぇ……」

 酒を飲んでも飲まなくても、一言目にはアイズさん。誰かの話から脱線してやっぱり辿り着くアイズさん。終いにはアイズさんとの未来がどうだの言い出す、臆病で夢見がちなお子様の純心っぷりを思い返してラウルが笑い、ベートが苛立ち露わに鼻を鳴らす。

「……雑魚じゃアイズさんには釣り合わない。でしたっけ」

「……今更なんだっつーんだ」

「言葉は悪いっすけど、自分もそう思います」

 この店の名物、真っ赤な蜂蜜酒を流し込んでふぅと一息。ラウルが言葉を続ける。

「アイズさんが安心して普通の女の子をしていられるように、アイズさんの前に立って、守ってあげられる強さを持っている人が必要だと思うんで」

「…………」

「けれど、強いだけじゃきっと足りないっす。女性に寄り添える優しさとか、あの不思議系女子のアイズさんを包んであげられるだけの大らかさとか」

「回りくどいのはいらねぇよ」

 舌がノってきたラウルに待ったをかける狼ありけり。

「要するにてめぇは、兎野郎ならイケるって思ってんだろ?」

「そうっすよ」

「…………」

「見る目ないっすかね?」

「知るかよ」

「大丈夫っすよ、彼なら。なんてったって、アイズさんを助け出した男なんすから」

「……ふんっ!」

 今日一番の苛立ちの発露。

「はは……」

 そんなベートの姿に笑みで返す凡夫が一人。

「何笑ってんだてめぇ」

「なんか急に、ベートさんが抱えてる『傷』の話も聞かせて欲しいなって思っちゃったっす」

「話すかよ。自惚れんな」

「ケチ」

「殺すぞ」

「いたっ」

 Lv.5の冒険者を殺すにはとても届きそうにない軽い音の蹴りがラウルの太ももに炸裂。痛いアピールをしながらしかし、被害者の口角は高いまま。

「そろそろ帰るっすか?」

「まだいい。付き合え」

「……ツンデレ」

「殺すぞっ!」

「ぁぐふぅぇぇ!?」

 Lv.5の冒険者でさえしっかりばっちり殺せそうなアッパーを炸裂させた狼と、ブレない芯の強さで多くの人々から信頼を集めている青年の夜は、まだまだ明けそうにない。

 

* * *

 

「いよいよね」

「…………」

「何なのよ、その不景気な顔は……」

 疲労感が表情に出ている気がしないでもないティオネの目の前で、ゆらゆらと金髪が踊る。美しい彼女の美しい象徴の一つであるブロンドは、主人の動揺緊張ちょっとの羞恥だ諸々に揺らされ、不恰好な舞を披露していた。

「そ、の……」

「うん?」

「喜んで……くれるかなって……」

 今日までずっと秘めていて、ずっと名前を付けられていなかった不安を言語化することが出来たのだが、音に乗せ耳が拾ってしまった所為で余計にネガティブが大きく育ってしまい、アイズの表情が更に曇ってしまった。

「身内贔屓抜きでもちゃんとしたものになってる。そうなるまで徹底的に鍛えたんだから。もっと自信持ちなさい。それにレフィーヤが言ってたじゃない。アイズに何かしてもらえたらそれだけでって。私もその通りだと思う。心配することなんて何もないわよ」

「うん……」

 こくりと頷く姿のなんと弱々しいことか。これがあの凛々しく美しく、一騎当千を体現したような剣のお姫様の姿とは。

「ほんと……なんなのかしらね……」

「ティオネ……怒ってる……?」

「怒ってないわよ、これっぽっちも。ただ、そういうことだったんだなって、ね」

「?」

 不安と言う名の化粧を纏ったアイズが小首を傾げる愛らしい姿にティオネが向ける笑みは、不安など隔絶した爽やかなもの。

 何かをしたい。お礼をしたい。

 アイズにそう言われてから今日までの日々で、ティオネは知った。

 上向きでも下向きでも。アイズが変調を見せた時。必ずと言っていいくらいに、彼女の近くに件の兎の影があったことを。

 アイズと二人きりになった時。ティオネはアイズに尋ねていた。きっと今なら、少しくらいは聞かせてくれるだろうと思ったから。

獅兎の光(レグルス・アルネ)』こと、ベル・クラネル。

 これまで、彼との間にどんな出来事があったのかを。

 トマト野郎とベートに笑われるような姿だった彼とダンジョンで出会ったこと。

 その時のことを謝りたかったのになかなか謝れずにいたこと。

 これは本当に意味がわからなかったのだが、リヴェリアの助言を受け、ダンジョン内で彼に膝枕をしたこと。

 ごめんなさいで終わるはずが、訓練をする話になったこと。

 早朝の市壁の上。本当は彼の成長速度の秘訣を聞き出す為に用意した時間だったはずなのに、着実な成長を可視化してくれる彼と過ごす一時が楽しかったことも。

 それからのこと。これまでのこと。

 楽しかったこと。嬉しかったこと。

 たくさんあった。

 辛かったこと。苦しかったこと。

 こちらもたくさんあった。

 詳細は聞かせてもらえなかったが、もう二度と顔を合わせることも出来なくなるんじゃないかと思うような出来事もあったらしい。

 辿々しいながら素直な言葉たちを用いて、ティオネ的にはかなり意外なことに、内に秘めている多くをアイズは打ち明けてくれた。

 だから。なんなのかしらね、なのだ。

 知らぬ間にこの少女のとんでもなく深い所へ、恐らく本人は割と無自覚に踏み込んでいたあの少年はなんだ。

 いつの間にか、追いかけていたはずの女の子に追いかけられているあの男の子は本当になんなんだ。

 アイズと何年も共に過ごしていながら自分たちには出来なかったことの多くをドタバタと駆け抜けながら果たしてしまったあのお騒がせな兎はマジで何?

 少しだけ沸いたイラッ。しかし圧倒的に上回る感謝の念がそれを押し潰して一つに混ざり、ティオネの心身に定着していく。

 これからずっと、この気持ちを抱えて生きていくことになるのだろう。

 いい方向にも悪い方向にも、私たちをヤキモキさせ続けてくれるのだろう。

 なんだかねえ。けれどまあ、大歓迎だ。

「ううん……なんでもない」

 ティオネは、時々だけれど妹のように思ってしまう瞬間を見せてくれる少女に微笑みを見せて、もう少しだけ深掘りをしてみることにした。

「ただ、アイズにとってあの子はどんな存在なんだろうなって思っただけ」

「…………ベル……は……」

「うん?」

 え。マジ? 話してくれちゃうの? 押し過ぎたくらいだと思っていたのに。いいの?

 しかしこいつは乗り掛かった船だ。帆を押す風など吹かずとも、船頭さん自身が風を纏っているのだ。彼女に任せてしまえばいいだろうと、ティオネは黙ることにした。

「ベル、は…………私の知らないことをたくさん知っていて……私にできないことがたくさん出来て……レベルは私の方が上だけど……私にない強さを持っていて……尊敬してる……」

 ティオネと二人きりの厨房に『剣姫(けんき)』の呟きが落ちていく。

「私がどうしようもなくなりそうだった時……もうダメだって思った時……私に手を伸ばしてくれて……助けてくれた……」

 辿々しい言葉の裏から滲み出す静かな熱に染まった言葉たちが、誰あろうアイズ自身に確かな気付きを与えていく。

「戦うこと抜きでも……ベルは……特別で……優しくて……兎みたいで……かわいくて……おひさまみたいで……白くて……とっても……」

「とっても?」

「……大切な……人…………なの……」

 アイズはもう、気付いている。

 気付いていて、わかっていて、認めている。

 大切。

 この言葉が、リヴェリアたち家族に向けられた時。

 彼だけに向けられた時。

 それが似通っていて、しかし間違いなく一線を画したものになる言葉であることを。

「すごく……すっごく……なの……」

 十六歳の少女の嘘のない真っ直ぐな想いは、まるで何かの始まりを祝うかのような明るい赤で、少女自身の頬を彩っていた。

「……そっか……」

「うん……」

「彼と一緒にしてみたいこととか、何かある?」

「……また……訓練をしたい……」

「他には?」

「お話したい……たくさんしたい」

「まだある?」

「えっ、と…………ジャガ丸くん屋さん巡りとかしてみたい……それと、ヘスティア様がラキアの人たちに攫われた時に行った、エダスの村にまた一緒に行きたい……それ、で……それから、も……」

「うん」

「ずっと…………隣にいて欲しい……」

「それ、本人に言ってみたら?」

「え?」

「きっとすごい顔するわよ」

「…………あ、の……わ……!」

 スローペースで喋り倒しておいて今更、なかなかにお恥ずかしい話をしてしまったー? と、ようやく気付いたアイズの頬が、より深い赤へと染め直されていく。

「今日なんていい機会じゃない?」

「んんんっ……!」

 首が取れちゃうんじゃないかくらいにぶんぶんぶんぶんと首を横に振りまくるアイズ。綺麗な金髪が暴れる暴れる超暴れる。

「しないの? 向こうも満更じゃないかもしれないのに?」

「く、うぅ……」

「なら、いつか言えるといいわね」

「あ、ぅ……」

「それより先に向こうから言ってくるかもね。アイズが伝えたがっているようなこと」

「はうっ!?」

「その時はどうするの?」

「い、ぁ、そ!」

「こういうのに年齢差なんてオマケだと思ってるけど、向こうはかなりの奥手だし、歳上のお姉さんのアイズから色々話をした方が」

「い! いってっ! きまっ、すっ……!」

「あ」

 ティオネ先生の指導の賜物。それなり以上の仕上がりとなった少年への贈り物をしっかり手にし、風よりも速く。二人きりの空間から飛び出して行ってしまった。

「逃げられちゃった」

剣姫(けんき)』の敗走。明日のオラリオが激しくざわつくこと間違いなしなビッグニュース。ティオネが独り占めだ。

「で。これは怒っていいヤツよね。アイズの代わりに」

 実際はそうではなく。

「盗み聞きしてた馬鹿共。出て来なさい」

「はーい……」

「はいっす……」

「はい……」

 ティオナ。ラウル。そしてレフィーヤ。

「あんたたちねぇ……」

 厨房に隣接している大食堂から姿を見せた三人は、揃いも揃って申し訳なさそうに背を丸めていた。

「話の中身が中身なもので飛び出すタイミングも身を引くタイミングも逸してしまったっす……」

「私もです……」

「がんばれー! ってアイズに言うつもりだったんだよお……」

「言い訳無用。乙女の秘密を知った罪は重いわよ。特にラウル」

「反論出来ないっす……」

「それにしても……アイズが気付かないなんて相当よ。どんだけ緊張してんのよあの子……」

 浮かれてる、も含まれているんでしょうけどと付け足しながら、ティオネは深めの溜息を吐き出した。

「まったく……誰よ、あんな可愛い子を人形なんて呼んだバカは。先見の明がないにも程があるでしょ」

「いいじゃないっすか、終わったことなんて」

「終わったこと?」

「人形なんて呼ばれてた女の子がここまで来た。それが全部っすよ」

「……たまにはいいこと言うじゃない」

「いたぁ!?」

 ティオネの放った鋭いジャブが右肩にズドンと突き刺さり、弱々しい呻吟がラウルの声帯から引き摺り出される。

「それで、ラウル? あんたは単に見送りに来たわけじゃないんでしょ?」

「余計なお世話かもっすけど、出発前に耳寄りな情報をアイズさんにと思ったんすけど……」

「聞く権利が私にはある。聞かせなさい」

「彼、脈しかないっす」

「知ってるわよ、そんなこと」

 アイズ本人だって、わかってる。

 そこまで込みで、ティオネは知っている。

「っていうか、あんたはあの子のこと気にするよりアキとのことをどうにかしなさい。手を繋いだくらいで浮かれてる場合じゃないわよ」

「な、なんで知ってるっすか!?」

「本人から聞いたのよ。そういうの絶対されないと思ってたからすごくドキドキした的なことをね」

「アキぃ……!」

 両手で顔を隠して疼くまる凡夫。指の隙間から覗ける頬は何処かのお姫様が見せたそれに劣らぬ赤を宿していた。

「あら?」

 頼れるお姉さんポジを確立しつつあるティオネ姐さん、気付く。

「どうしたっすか?」

「……うだうだと恥ずかしがっていないでちゃんとしなさい、ラウル」

「……あ」

 ラウルも気付いた。

「ねえ、ラウルを見な……あ」

 四人の場にひょこっと姿を見せた、黒猫の存在に。

「…………忙しいなら後でいいから」

 本当は全然後じゃあよくないくせになんでもないフリを装う黒猫。彼女の長い尻尾がぷらーんと元気なく垂れてしまっていることに気が付いていないのは、きっと彼女本人だけ。

「もう用事は済んだから返すわ。ごめんなさいね、アキの所有物を勝手に持ち出して」

「な!?」

「ティオネさぁん!?」

「いいからさっさと行きなさい。あんたたちのバレンタインはこれからなんでしょっ」

「ぐへぇ!?」

 しゃがみ込んだ姿勢のままティオネに尻を蹴り飛ばされたラウルは、常日頃より凛としている彼女にしては珍しく、表情仕草耳の立ち具合尻尾の揺れ具合等々とにかく端々に至るまで、緊張の色をこれっぽっちも隠せていない黒猫の足元にまですっ飛んでいった。

「何やってんのよラウル……」

「きょ、今日のティオネさん遠慮なくてヤバいっす……」

「はぁ……ほら」

「……っす……」

 無様に転がるラウルに黒猫が手を伸ばし、その手をラウルが掴んで立ち上がる。

「っ……!」

「くぅ……!」

 二人の視線が重なった瞬間、二人の手は自然と離れてしまった。何か気恥ずかしい記憶に脳を刺されでもしたのだろうか。

「あら、勿体ない」

「ティオネっ……!」

「い、いいから行くっすよアキっ! お邪魔したっすー!」

「ちょ、ちょっとラウル……!?」

 繋いでいられなかった両手で黒猫の背を押して、ぎゃいぎゃい言い合いながら二人はフェードアウトしていった。

「世話が焼けるヤツばっかりね」

 その残響さえ心地良いのか、見事なくびれを有する腰に両手を置いて、ティオネは微笑んでいた。

「ねーねー、ティオネはフィンにばれんたいんのなんとかしたのー?」

「日付変わった瞬間に私室に飛び込んだ」

「何をしているんですか……」

「ティオネらしいねー!」

 まだ床に就いていなかったフィンの寝込みは襲えず軽く遇らわれたこと。

 そのフィンにティオネお手製のチョコ系統の諸々を目の前で食べてもらったこと。

 偶にはいいかなと、二人きりの私室で晩酌をしたこと。

 気付けば外の景色が白み始める頃まで話し込んでしまっていたこと。

 夜の終わりと朝の始まりの狭間。

「もう少し良識のあるサプライズにして欲しいところだけれど、楽しい夜を齎してくれたことには感謝しているよ。いい夜をありがとう。感謝の印に、少しだけサービスをしておこうか」

 最強無敵の勇者スマイルに加え、フィンの小さな右手に、頭を撫でてもらって送り出してもらったこと。

「皮算用はしない主義なんだが、来年はもう少しお手柔らかに頼む、と言っておこうかな。おやすみ、ティオネ」

 詳細を語ろうとしないティオネだが、彼女的にはだいぶ満点な夜を過ごしていた。

 ちなみに彼女、一睡もしていない。小さなおててにナデナデされてキマりにキマりまくってしまい眠気など超爆散したからである。

「ティオネもアキもがんばってて、アイズもなんだなー」

「何か言いたそうね?」

「や、すごいなーって! すごいよね!?」

「アイズが?」

「アイズもそーだけど、アルゴノゥトくんが!」

 ぴかーっと輝く笑みから飛び出した名前に微かな引っ掛かりを覚える姉。しかし、彼女から見た妹はいつも通りであった。

「アイズがあんな感じになったのって、アルゴノゥトくんのお陰だよね!」

「それはそうでしょうけど、あの兎だけじゃないでしょ」

「そうなの?」

「私たちがいてこそのアイズ。そうでしょ?」

「だね!」

 にぱーっと笑うティオナも。妹の弾ける笑顔に微笑みで返すティオネも。言葉数の少ないレフィーヤも。

 驕りだ自惚れだなどと誰も言わず思わず躊躇わず。美しい娘たちは、仲良く頷きあった。

「それで、何を難しい顔してるのよレフィーヤは」

「気に入りません」

「何が?」

「アイズさんと……あのヒューマンがなんて……」

 ぷくー、だ。

「確かに彼は力を付けました。そこは認めていますよ? これまでのことに感謝だってしています。けれどおかしいです。だってそうじゃないですか。正直に言えばアイズさんとだなんて釣り合っていないと思いますし。強さ云々ではなくて……その……そ、存在? 的な部分とか……しかも彼は他派閥の団員じゃないですかっ。私たちのアイズさんとだなんて……やっぱりおかしいですっ……!」

 ぷくーっと、レフィーヤが頬を膨らませているのである。

「……なんだか懐かしいわね」

「やっぱレフィーヤはこうだよねー!」

 人は変われる。いくらでも変わってしまう。

 しかし、いくらレベルが上がろうと立場が変わろうと容姿に変化が現れようと、根っこの部分は、易々と変わらないみたい。

「何を盛り上がっているんですか……!?」

 その盛り上がりのど真ん中にいる自覚のない短髪の妖精が見せた、憧れの先輩冒険者の背後をチョロチョロしてばかりいた何処かの妖精さんのような姿が、ヒリュテ姉妹に確かな気付きを齎していた。

「あたしはいいと思うなー! アルゴノゥトくんとアイズ、すっごい仲良しだし!」

「アイズさんは勿論ですけど、派閥の団長を務めているあのヒューマンだって、仲がいいから全て良しとは言えない立場なんです!」

「それよりもまずは二人の気持ちを尊重してあげるべきじゃないの?」

「そ! れは……そうかもです……けどぉ……!」

「もう少し寛容に……大人になってあげなさいよ、レフィーヤ」

「少しくらい利口にはなれたって、いきなり大人になんてなれませんっ……!」

「レフィーヤが大人になるのを待ってくれそうにないわね、今のアイズは。あの子が戻ったら、大人の階段の踏み心地はどうだったか聞いてみましょうか」

「せ、せくはらです!」

「おとなのかいだんってなにー?」

「ティオナさんにはまだ早いですっ!」

 精々が、出来た子供。

 視点を変えれば、青過ぎる大人。

 そんな評価が似合いそうな、きゃっきゃと騒がしい子供たちの喧騒は、しばらく収まることはなかった。

 

* * *

 

 誰からも注目されたくない。誰にも見られない。というか、誰にも邪魔をされたくない。

 それが叶う、そんな都合のいい場所を探した。然して、直ぐに見当が付いた。

 というか、最初から頭にあった。

「久し振りに来た……気がする……」

「そう……ですね……」

 市壁の上。

 アイズ・ヴァレンシュタインとベル・クラネル。二人が共有している思い出、そして秘密。その多くに寄り添ってくれた、大切な場所。

 昨日。

「あ、明日っ……! しゅこっ、しだけでいいので! ほんとーに少しだけでいいのでっ! おおおじおお時間をっ! ひただけないでしょうかっ……!?」

 黄昏の館の前にて、みっともないくらいに噛み倒し、声を裏返しながら、憧れの少女を誘い出した少年が選定した待ち合わせ場所であり、ゴール地点。

 気持ち的には丸一日デートとやらをしてみたくて仕方がなかったしそのつもりでお誘いをかける予定だったのが、いざ憧憬を目の前にした途端に、彼の踏み込みはクソ雑魚なものとなってしまった。

 彼女と丸一日ご一緒したかったのに、本当に少しだけでいいのでぇ、なんて文言を彼の口が勝手に用意してしまった以上、引っ込みなど付くはずもなし。

 だってアイズさんはお忙しい人だしぃ。

 紙の盾のような脆い免罪符である。

 しかし、自己嫌悪を覚えるのもそこそこで事足りた。

「い、いい……よ……」

 こくんこくんこくんと、何故か三度頷いてくれた彼女の姿にめちゃくちゃに浮かれた瞬間に、そういうの割とどうでもよくなったし。

「緊張するっ、けど……楽しみだなぁ……! あーでもやっぱ緊張しちゃうなーっ!」

 どっちなんだお前はと相棒には突っ込まれ、同時に、気に入らないだの浮気だの金髪美少女マジ許せないだのご武運をだのお戻り次第夜伽をだのその夜でしたら私も予定は空いていますねだのそっかあ先輩はそういう感じの人なんだあなどなど、あーだこーだと主神に団員に迫られ詰られ邪魔されアピールされてもまーったくブレなかったベル・クラネル。

「私……から……お誘い……しようと……思ってた……のに……」

 器の昇華を幾度か果たした冒険者でも聞き取れないだろう、弱々しいながら気持ちの乗っていた文言を飲み込んだアイズ・ヴァレンシュタイン。

 少年少女、待望の夜の到来である。

「えっ、と……」

「はい……」

 人の拳三つ分くらいの付かず離れずで、隣り合って座る二人。距離こそ近いのに、会話の入り口がやけに遠いと感じる中。

『おねーさんからがんばるべき!』

『きんちょーかんぽいすてしてあげよー』

『たのしいおはなししたいでーす』

 アイズに負けじとこの時を待ち侘びていた心中の幼女(ちびアイズ)たちに煽動されて。

「寒い……ね……」

 やってやるぞぉえいえいおー。の気持ちで、アイズから口火を切った。 

「あ、っ……うぅ……! ごごごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 気が利かなくてごめんなさいっ!」

「ち、ちが! そういうつもりで言ったんじゃないよ……!」

 んで、いきなり事故った。

 今日はいい天気ですね、くらいのノリで寒いと口にしたアイズ。

 しかし彼女の隣に座りますは妄想力、被害妄想力も押し並べて妙に逞しいベル・クラネルである。

 いやマジ寒いんだけど。もっと他に場所なかったわけ? ないわー。

 的なことを言われたのだと決め付けたベルくん、涙目、

「や、やっぱり今から何処か他の場所に行きましょうかっ!」

 アイズの心中のおチビさんたちが、へたっぴーだのやっちゃったーだのくーきをよむってそゆことじゃないよだのと喧しい中、アイズの隣で挙動不審を貫き続けるベルが、勢いよく立ち上がっていた。

「何処か暖かいご飯屋さんとか」

「ここっ!」

「へ?」

「ここ、で……いい……から……!」

 一人で話を進めようとするベルに待ったを掛けたのは、ベルの左手の指先を捕まえたアイズの右手と、今だけ二人きり以外をはっきりと拒んでいる、アイズの言葉。

「ここがいい……よ……」

「……わ、かりました……っ……!」

「ん……」

 するりと、自らの指先を包んでくれた温もりが遠退く様を見つめながら、持ち上げたばかりの腰をゆっくり落とし、アイズの隣にベルが戻って来た。

「……じゃあ……えっ、と……あ! きょ、今日は! 来てくださってありがとうございますっ……!」

「ううん、いいの。私も……ベルに会いたかったから……」

「え゛っ゛!?」

「ベルに……渡したいもの……あって……」

 アオハル戦闘力は高めなれど、アオハル耐性が高いわけではない思春期男子の心臓に極大な負荷を掛けてしまう文言を放った自覚皆無の天然さんが、今度はベルを待たずに話を進めていく。

「今日は……ばれんたいん……だから……」

「…………ぅ。あ、ぅ……なる……ほどっ……」

「……そうだ。ベルに聞きたいこと、ある」

「ら、らんれひょーかっ!?」

「私が聞いたばれんたいんって……女の子がいろんなことをする日だって聞いてたのに……どうしてベルから……その……」

「しょっ、しょれ……んんっ! それは、ですね……バレンタインは何も女の子だけが特別なことをする日ってわけでもなくて、男の子から感謝を告げたり贈り物をしたり……そういうことをしていい日なんだよって、神様が教えてくれて……だから……」

 どうにかこうにか立て直しながら、それでも頼りない言葉がアイズの耳朶を撫でる。

「だから?」

「アイズさんに……日頃の感謝を……形にして届けたい……って思って……」

 ベルとアイズ。主語を入れ替えても、これは成り立つ。

 言葉にはそれなりにしてきたつもりだ。

 だから、特別なことをするのが当たり前な日があると言うのなら、これまで碌に出来なかったことで、日に日に積み重なっていく感謝の思いを伝えたい。

 特別な日をどう使うか。ベルとアイズは、少しも迷っていなかった。

 ちなみにだが。

 ベルにバレンタインの諸々を吹き込んだその神様は、バレンタインに託けて日頃の感謝を告げられたりあわよくば二人きりになってあれこれする為の土壌作りの一環としてバレンタインなる日の知識をベルに吹き込んだのだが、植えた種は彼女の目論見から大きく乖離した萌芽を果たしてしまった。残念。

「だからですね……アイズさんに……お渡ししたいものが……ありまして……」

「……じゃあ……せーのにしよう?」

「え?」

「せーのがいい……よ」

「わ、わかりました……じゃあ……!」

「うん」

 それぞれが持参していた荷物に手を伸ばしてかざがさゴソゴソ。

「ふーっ……」

「ふぅ……」

 深呼吸を挟むタイミングに加え、後ろ手に贈呈品を隠す仕草もそっくり重なる二人が、視線まで重ねて睨めっこ。

「じゃあ……せーの、ね?」

 均衡を崩してくれたのは、歳上のお姉さん。

「いくよ?」

「はいっ!」

「……せーのっ」

「……せーのっ」

 アイズの唇の動きを注視。無理矢理にタイミングを合わせにいって。

「はい」

「はいっ」

 二人仲良く、二人の間にそれぞれの贈り物を差し出した。

「え?」

「あ」

 二人の困惑が言葉の形を得て、互いの間をするりと落ちていった。

「ジャガ丸くん……?」

「ジャガ丸くんだ……」

 アイズ・ヴァレンシュタインと言えば?

 ベルやレフィーヤを筆頭としたガチ勢たちに語らせたらこの夜が終わってしまいそうなので割愛するとして。

 ジャガ丸くんは外せないでしょう。

 とは、ベル・クラネル。

 だったら、アイズにジャガ丸くんを手作りして贈ってみるなんてどうだろう。

 ラウルとベート。特に後者からはお墨付きと言えるか怪しいが、一応はアリと頷かせてみせたこの作戦で行くと決めて以降ベルは、同し派閥の仲間である主神や団員たちを頼り、この時の為の鍛錬に明け暮れていた。

 一方のアイズ。

 いつもジャガ丸くんを食べてばかりの自分からジャガ丸くんを貰ったら、ベルは驚いてくれるんじゃないかな。

 家族たちにドヤ顔で披露し、驚くは驚くだろうと満場一致を得たこのプラン。そこまでは良かったのだが。

「アイズって……戦闘以外は本当にダメね……」

 頼れるティオネせんせーが匙を投げたくなるようなポンコツっぷりを、厨房内にてこれでもかと発揮。

 しかしティオネせんせーも生徒のアイズも折れることなく戦い続け、アイズ立案、ベルをびっくりさせよう計画が形になったのは、本当についさっきのこと。

 ベルの手元には紙皿。そこには、個別に包装された三つのジャガ丸くんの姿。

 アイズの手元には底の浅い、木製のボウル。そこには、少々歪な成形を果たしている気がしないでもないが、三つのジャガ丸くんの姿。

「…………」

「…………」

 少し冷めてしまったそれぞれの贈呈品を更に冷ましてしまうような、なんとーく気不味い感じの沈黙が、二人の間に降りて来た。

「……ふふ」

 しかし、生まれたての沈黙は、剣のお姫様の微笑み一つで即座に両断された。

「同じこと、考えてたね」

「みたいですね……」

「じゃあ、交換、しよ?」

「は、はいっ!」

 ポジティブな緊張感に背を押してもらい、偶然触れ合ってしまった指先の感触に二人揃って驚きながら、贈り物の交換は完了した。

「えっ、と……いつも、ありがとう……ベル……」

「こちらこそ! 何から何までいつもありがとうございます! アイズさんっ!」

 もう一つの目標。ありがとうの交換も出来た。まだ硬さは抜けきれていないが。

「うん……」

「はい……」

 笑顔で、伝え合えた。

「……じゃあ……食べる時もせーの、だよ?」

「わかりました……!」

「……せーの」

「……せーの」

 先よりも滑らかに重なったせーので互いのリズムを同調させ、二人仲良くパクリ。一口の小さな二人の歯形が互いの贈り物に刻まれる。

「ん!」

「うん……」

 目を丸くしたベル。小さく頷くアイズ。手元に集中していた二人が瞳を上げて、細やかな感動をくれた誰かの存在を探し、そして直ぐに発見された。

「美味しい! 美味しいですアイズさん!」

「ベルが作ってくれたの、美味しい……ヘスティア様が作るジャガ丸くんの味に似てる……」

 素直な賛辞がベルの口から。調理者たるベルの想像よりもポジティブな感想がアイズの口から、互いの耳へと運ばれる。

 ジャガ丸くんに関して妥協を知らない人だからボロッボロに言われるんだろうな。

 このやり方で行くと決めて以降、ベルの心に根を張ってしまっていた、少しだけ下向きな未来図。

 その通りにならなかったことを、誰よりもベル自身が驚いていた。

「正直に言いますと……神様にも指導してもらいましたから、その影響かと」

 素直過ぎるあまり、なかなかにポイント低めである、第三者の介入をさらりと口にしてしまったベル。先日のラウルが口にしていたベル評は正しかったと言わざるを得ない有様だ。

 そんなベル。これ余計なこと言っちゃったかなあと思う傍らで、彼はちゃーんと気が付いた。

「うん……そうだね……」

 アイズさん、本音隠してるヤツだ。

 その通りである。

「すごく……美味しい、よ……」

 もっとあーしたらこーしたらここはこうでうんたらかんたらなんとかかんとか。

 ジャガ丸くんソムリエたるアイズちゃん十六歳にしかわからないあれこれがあり、細部にまで目の届いているコメントも出来るのだが、それを言うのはよくないと思いお口にチャックをしたのだが、口だけ塞いだとて伝わってしまうものなどいくらであるもので。

「もっと上手くならないと……!」

 今回はもうダメだけど、今度はもっと喜んでもらえるようなものを作ろう!

 あまりにもわかりやすい彼女の様子から言外の思いをキャッチしたベルは、それでもポジティブな姿勢を貫いた。

「その……私のはどう、かな……? 食べるのは得意だけど……作るのは得意じゃなくて……」

「美味しかったです! ジャガ丸くんって少し冷めちゃったら美味しさが弱くなりがちですけど、アイズさんのはちゃんと美味しかったです! 寧ろどうやって作ったんですか!?」

「え、と……ティオネと……色々……いっぱい考えて……みたから……うん……」

 こちらも第三者の介入を隠さず。瞳を輝かせて感情の昂りを示してくれるあまりにも素直なベルの前で、小さな秘密を隠したままにしておくことを良しと出来なかったから。

「それで…………喜んでくれたら……嬉しい……」

「すっごく美味しくてすっごく嬉しいです! ありがとうございます! これ、本当に残りの二つも僕が食べていいんですか!?」

「うん……」

「ありがとうございます! あーでも勿体無いから少しずつ食べようかな!」

「好きにしていい……から……」

 何処ぞの鬼畜眼鏡に折檻されそうな真っ直ぐな大声に、アイズさん、照れる。

「その……食べながら……お話をしよう……」

 しかし照れてばかりもいられない。ここはお姉さんが頑張るべきと、話の流れを停滞させない言葉をどうにか用意した。

 それは、今日のアイズになら出来ても、いつかのアイズでは出来なかった。

 そもそもしようとすらしなかったことかもしれない。

「はい!」

「ふふ……」

 口の端に贈り物の一欠片を付けているベルの幼い姿が、アイズの頬からも心からも、微かな強張りさえ取り去っていった。

 先ず、アイズの身体の具合の話になった。

 深層での救出作戦から帰還して以後、しばらくの間アイズが寝たきり状態だったこともあってか、すっかり元気になったと言っているのに、今でも顔を合わせる度に過敏なくらいにアイズの身を気遣ってくれるベル。今日も変わりなく、ベルはお医者さんなのかってくらいにあれこれと聞かれてしまった。

「大丈夫。私は元気。ベルのお陰だよ?」

「……そ、です……か……!」

 ベルに貰ったジャガ丸くんをはむっと齧りながら微笑むアイズの姿にベルくんドッキドキのあまり咽せたりもした。

 あの事件から今日までのこともたくさん話した。

 アイズの興味を強く引いたのは、ベルの身に起きたつい先日の出来事。

 オラリオ市内で偶然出会った流れでラウル、ベートと食事をしたことを伝えたら、アイズはとても喜んで、しかし直ぐに頬を膨らませてしまった。

「やっぱり……時代はベートさん……ぐすん」

 とかなんとか。

 何ですかそれとベルが尋ねても。

「ベルは私の生徒……浮気は……やだ……よ?」

 と言われてお終い。

 ベルの困惑は超加速。アイズはこれ以上何も語ってくれそうにないし、いつかベートに聞いてみようとベルは密かに決意。聞かせてもらえる気はあんまりしていない。

 それから、互いのこと。互いの派閥内の変化も。

 互いに纏わることだけでなく、二人の話は世界にまで広がった。

 世論、世界情勢に鈍チンであるベルでも、オラリオ全土を筆頭に、足並みを揃え北の最果てへと挑もうという気運の高まりを感じている。それに伴い、徐々にではあるが、有力派閥間に存在していた壁が取り払われていっているのもわかる。

 派閥間での小競り合いが日常茶飯事であったオラリオの空気が、確かに変わった。

 いよいよ北へと向かう日が来るんだと、アイズもベルも感じている。

 それがわかっているからこそ、こんな風に過ごせる時間が残り少なく、掛け替えのないものであることも。

 気付けば、二人の話は過去をなぞっていた。

 始めて出会った日の話になった。

 誰かから聞いたトマトってワードで、笑い合えるようになった。

 初めてこの場所で訓練した話も。

 先生が強過ぎてどうしていいかわからなかった生徒。

 生徒にしてあげられることってなんだろうって悩みまくって空回りしていた先生。

 互いの目を見て上手にお喋り出来なかったことも。

 今では全てが笑い話だ。

 そこから、互いの足跡を確かめ合うようあんな過去。こんな過去。どんな過去にだって思いを馳せ、その存在を確かめ合いながら、脳内時計を現在へとアジャストして行った。

 思えば訓練ばかりで、二人で重ねた二人だけの思い出って、意外と多くなかったのだと思い知らされもした。

 それでも楽しい。

 何もないことなくて、何かがあり続けてきた今日までが楽しいものになっていたんだなって、今更かも知らない実感と、楽しいを分け合えていたんだという手応えが二人の心を優しく撫でた。

 今なら話せるからと、苦しかった時の話を。刃を向け合い、互いの尊厳、命だって賭して、刃で言葉で互いを傷つけ合った話にもなった。

 苦しかった。もう終わったこと。そんな風に蓋など出来ない、これからも二人が抱えていかねばならない心の切り傷に触れて、少しずつ癒やし合うことが出来た。

「まだ、あの願いは変わらない?」

「変わりません」

「……そっか」

「はい」

 妥協点なんてものが存在していない、ベルが抱えた目標。約束。

 振り翳し方を間違えれば何度だって傷付け合い、何度だってすれ違ってしまいそうな、遠過ぎて危険過ぎる願い。

 その願いの一助となることも、危うい道へ進もうとするベルの背中を押すことも、アイズには出来ない。

「無理……し過ぎないでね」

 彼女に出来ることは精々、彼の身を案じることくらい。

「ありがとうございます……ありがとう……」

 怪物への憎しみに人生を支配され続けてきた少女の内心を慮る少年は、出来ることを最大限にしてくれたことへの感謝を告げた。それだけしか出来なかったけれど、それだけでいいのだとも思えた。

 その話はそれで終わり。

 決して下向きな理由ではないけれど。その後しばらく、二人の間でこの話が交わされることはなくなった。

「ベルは、いつまで十四歳なの?」

 思い出話の在庫が怪しくなって来た頃。素っ頓狂な物言いが、話の向かう先を過去ではなく、まだ知らない先へと捻じ曲げた。

「え、と……誕生日ってことですよね? それでしたら割ともう直ぐで」

「そうなの?」

「へぁ!?」

「そうなのっ?」

「は、いっ……ち、近いぃ……!」

 ベルの言葉を食いながら身を乗り出す歳上のおねーさん。弱風に背中を押されただけで互いの鼻先が触れ合うような距離感のバグり具合に、十五歳予備軍の男の子は慌て倒した。

「じゅーよーじょーほーげっとだ……」

「あ、アイズさーん……?」

「……ベルは、誕生日……どうするの?」

「どうするって……ああ、どう過ごすのか、みたいなことですね」

「ふんふん」

「ぅ、わ……!」

 コクコク頷いたアイズの前髪がベルの鼻先を撫でた。思わず身を引いてしまったベルとは対照的に、アイズはベル目掛けて身を乗り出したまま。

「ど、どうでしょう……オラリオで初めての誕生日だからどうなるか……多分ですけど、僕の家族たちにそうしたように、本拠(ホーム)でお祝いを開いたりはあるかもです」

「……そのあとは?」

「そのあと?」

「ファミリアの人たちとお祝いをした、そのあとは、どうするの?」

「……どうって…………部屋で寝る……とかじゃないですかね……?」

 アイズの問い掛けの意味が見えて来ず、ベルの言葉は迷子気味。

「だったら」

 ベルとは対照的。これっぽっちの迷いを抱くことなどなく。

「おやすみなさいする前に……私と……会って欲しい」

 特別な日の一部分を自分と過ごして欲しいと、アイズは口にした。

「…………あぇ?」

「いや……だった……?」

「ち! 違います違いますいやほんと何もかも違います絶対違いますすーぱー違いますはいぱー違いますうるとら違いますっ!?」

「意味がわからないよ……?」

「え、と……今のは……」

「ベルのお誕生日……私もお祝いしたい……から……」

「……いいんですか?」

「うん……すっごくいい……と思う」

「…………だ! だったら!」

「え?」

「時間! 作ります! 絶対作ります! アイズさんと会います! あっ、会いましょうっ!」

「……約束?」

「約束します!」

「じゃあ……約束、だね……」

「はいっ…………や、やったっ……!」

 何が何だかわからぬままではあるが、誕生日の約束を取り付けられたことが嬉し過ぎて、憧憬に背を向けガッツポーズを決めているベル。その様子に首を傾げ、しかし何処か満足気に、アイズは微笑んでいた。

「じゃ、じゃあ! 逆も!」

「逆?」

「アイズさんのお誕生日! を! その……僕、と……なんて言うのは……」

「お祝い……してくれるの?」

「もももも勿論です!」

「……そう、なんだ……」

 いつの間にかジャガ丸くんが一掃されていた紙皿を脇に置いて体育座り。そのまま背を丸め、抱えた両膝の間に顔を埋めてしまったアイズ。

「こっちも……約束……でいい?」

「約束でいいです! どっちの約束も絶対守りますから!」

「……嬉しい……」

 両膝の間から顔を上げたアイズの頬は、真っ赤に染まっていた。

「はぅっ……!」

 またいつか。特別な夜を共に過ごせる瞬間の到来を喜んでくれているんだと、割と鈍チンなベルでも一目でわかるくらい。

 今日まで見たことあるようでなかったかもしれないと思わせるほどに眩しい笑顔が、ベルだけを見上げていた。

「……もう少し、お願い、いい?」

「なっん、でもっ、言ってくらさい……!」

「ベルと……ね? お祭りとか……一緒に行ってみたいなって……」

 神月祭とか、女神祭とか、聖夜祭とか。

 欲張りにも、パッと思い付いた全ての祭の名前を付け足したアイズの金眼には、表情筋がとっても忙しそうなベルだけが映っている。

「それで……一緒にジャガ丸くんのお店に行ったりしてみたい……」

 世間知らずのお嬢さんが思い付いたあんなことも、どんなことだって。

 一人じゃなくて、ベルと一緒したいと、アイズは語り続ける。

「わ……ぁ……ぅ……だ……」

 間抜けにも、口をパクパクすることしか出来ないベルの前で。

「それ、と……来年のバレンタインも……」

 来年。

 この程度の尺度ならばまだ、鬼も神も笑わないでいてくれるだろうか。

 しかし、北の地に根差した黒竜は、そんな時が訪れることを歓迎してくれないだろう。

 そんなこと、アイズだってベルだってわかっている。

 下界の命運が決する日は、来年の今日など待ってくれるわけもないと。

 しかしアイズは。ベルだって。願うことを捨てない。

 願ったような日々を過ごしたいから。

 思い描いた未来が欲しいから。

 二人は、諦めないことを諦めない。

「あ! のっ!」

「うん?」

 真っ赤に染めた頬を隠すことも出来ず、ほとんど置物状態だったベルが、人間らしい活動を数分振りに示した。

「すごく……すっごくものすっごく……嬉しい約束をたくさんしてもらえましたけど……ど、どうして、なのかな……というか……」

「どうして?」

「だ、だって……えと……!」

 野暮言った? 言っちゃったな!?

 口が滑ってしまった自覚があるポンコツくん、盛大に慌てる。今言ったの全部なしー! って訂正したいくらいなのだが。

「どうして……」

 しかしこちらもなかなかのポンコツちゃん。彼女はベルの懊悩に気付くことなどなく、至極真面目に言葉を探した。

「……わかって……きた……のかな……」

「へ?」

「ううん……わかった……みたいなことが……あって……」

 要領を得ないアイズの言葉が少しだけ冷静さを取り戻させてくれたのか、小首を傾げてみせるベル。

「私、は……ベルが……」

「え?」

「ベルのこと、が……」

「えっ……えぇ……!?」

 リヴェリアたち、派閥の家族には言える。

 当然、ジャガ丸くんにも言える。

 彼らになら言える、同じ音の集まり。

 ありふれた言葉。

 文字ならば、たったの二文字。

「やっぱり……ないしょ……」

 言えなかった。

「うぅ……!」

 両膝の間に顔を隠してしまったアイズ自身、どうしてかはわからないけれど。

 その二文字を並べてこの少年に手渡すことはとっても難しくて、とっても怖いことだって思ってしまった。

「な……いしょ……?」

「うん……内緒……」

「そ、です……か……」

 ベルの声は、何故か掠れていた。それが気になったアイズがチラリと彼に目を向けると、誰かに魂を抜かれ掛けでもしたのか、あんぐりと口を開けたまま、両手足を投げ出して固まっていた。

「…………でも」

 アイズの瞳が、市壁を撫でている誰かの左手が、自分の直ぐそばで動きを止めているのを発見した。

「はぇ?」

「いつか……この内緒は……内緒じゃなくするから……」

 顔を上げたアイズの右手が、彫刻のように固まっている、思春期ど真ん中の少年の左手の甲を、ゆっくりと包んだ。

「っ……!?」

 剣のお姫様が、勇敢な白兎に救われた日。

 二人の指先が捕まえていたのは、互いの薬指と小指だけ。

 それからの日々で、少なくとも指三本分は前に進んだらしいとたった今判明したこの二人。

 しかし足りない。

 もっとがいいと認め合い、求め合う。

 だから、指三本分からもっともっと。

「待ってて……ね?」

「は、ひ……はひぃ……!」

 重ねた掌で冬空の冷たさを溶かし合う、隣り合わせの二人は、違う歩幅で足音を重ね、まだ知らない夜へと生き急ぐ。

 特別な夜を、共に過ごせる。

 なんてことない普通の夜を、共に越えられる。

 今日みたいな特別な夜が、いつかの二人には当たり前の夜になる。

 それが、二人だけの普通になる日まで。

「……あ。やっぱり、こっちは言うね」

「こっ、こっち?」

「言ってみたらって、ティオネに言われて……私も……今なら言えそう……言いたいって、今、すっごくすっごく思って……だから…………ベル?」

「は、はいっ!」

 大人の階段は踏まずとも。

「ずっと……私の隣にいてね?」

 二人の為だけに生まれた階段が、少し音痴気味ではあるけれど、初めて二重唱を奏でた、そんな夜。

 


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