スキルレベルしか上がらない一般身体能力学生が迷宮に挑んだら 作:石田フビト
翌朝、薄いカーテンから零れる日の光を浴びて目を覚ますと。
昨日の倦怠感はあら不思議。
綺麗さっぱり無くなって、代わりに爽やかな気持ちが溢れてくるようだった。
「うーん、んっ……」
両腕を上に伸ばして、体をポキポキ鳴らす。
寝起きの瞬間の伸びは何気に、人生トップクラスの気持ちよさだと思う。
やだ僕の人生薄っぺらすぎ?
ラノベとかの巻数で言ったら二巻で打ちきりぐらいの薄さだよ。
「……あれ続き出ないかなぁ」
打ち切りで思い出した、ちょっとダークな題材のラノベを懐かしむ。
確かに大衆受けするものではなかったし、仕方ないとも理解しているが。
彼、もしくは彼女が描く世界をもう少し楽しみたかったものだ。
そう一区切りをつけて、ベッドから立ち上がる。
安物のスリッパは今日もクタクタだが無いよりマシだった。
階段を降り、眠気覚ましの一杯をするべく冷蔵庫へ向かう。
「ふわぁ……あ、母さんもう行ったのか」
冷蔵庫から水を取り出して、コップに注ぐ間に。
何となくリビングを見渡していると食卓には朝ご飯と置手紙があった。
朝に弱い母さんにしては珍しい。
いやこの場合、僕が遅くに目覚めすぎたというべきか。
「ごく、ごく……ぷはぁ」
あぁ~寝起きに飲む冷えた水、最高。
僕の人生、寝起きの一幕が気持ちよさランキングのトップを独占しているんだけど。
果たしてこんな人生でいいのかね。
いいわけないだろふざけんな。
僕だって女の子とイチャイチャしたいよ!
「……いただきまーす」
頬をぺちぺち叩いて物理的に雑念を払いつつ。
椅子に座り、もそもそと朝食を取る。
今日はトーストとサラダ、あと目玉焼きである。
噛みしめるほどに覚醒していく思考。
朝ご飯を食べたほうがパフォーマンス上がるというのは真理の一つだ。
昔抜いてたからよく分かる。
ほんとに違うからね。朝何も食べてないって皆も嘘だと思って試してほしい。
僕は誰に話しているんだ……?
「もぐもぐ……ん。なんかテンションおかしいな、今日」
変な高揚感というか、何もしていないのにちょっと楽しいというか。
何でだろう。昨日メリアさんが会話の特訓をしてくれると言ったからかな。
それで浮かれてるんだろうか。
自分のチョロさ加減に二度見しそうである。
しかし冷静になってみると、僕結構やばいことしてるよね。
女性にデコピンして帰宅し。その後閉店ギリギリに戻って謝罪するとか。
今考えると、自分でも何であんなに後悔していたのか理解できない。
まるで人の人生を滅茶苦茶にしてしまったような。
そんな恐怖の感情を抱いていた気がする。
「……ほんと、不思議だなぁ」
デコピンって……うん、そんなに大したことじゃないよね。
全然力も籠めなかったし、メリアさんも許してくれたし。
まぁ、自分でも彼女に対してあんな願望を持っていたとか知らなかったけどさ。
今思えば……そんなに死ぬほど悩むことでも、なくない?
ますます不思議だ。
何故僕は、あそこまで気分が沈んでしまったんだろう。
今は何とも思わないのに。
「んー、まぁいいや」
よく分からんけど今日は調子いいし、このまま図書館にでも行こう。
過去を振り返ってばかりでも駄目だよね。
結局、今日はずっと図書館で調べ物をしていた。
その際にスキルレベルについて書かれた本を見つけて。僕の剣術レベルが何かおかしいことに気付いたところで。
その日は何事もなく終わった。
願わくば、明日もこんな風に元気でいられますようにと。
ベッドで願いを唱えながら。
しかし願いとは裏切られるのが本質である。
本日は最悪の金曜日。
学校への足取りは酷く重かった。いつも米俵背負っているぐらい重いが、今日は特に怠く、タンクローリーくらいはあったように思う。
まず、朝起きた瞬間から駄目だった。
目覚ましの不快な機械音を聞いた瞬間から、今日はもう無理だと悟った。
心がどうしようもなく沈んでいる。
何なら天気も曇りで、神様もこんなときぐらい気を利かせてくれればと恨んだ。
「はぁ……」
それでも眠気を振り払って、ゾンビのように登校したはいいものの。
こんな状態で真面に授業など受けられるはずもなく。
しかしいつもこんな感じなので、特に注意されるとかもなく。
電子化が進み使われなくなった黒板を見ながら、重い溜息を吐いた。
「……」
目に映るすべてが憂鬱だ。
ちらちらと僕を……正確には僕の左後ろに座っている桐生君を見つめる、朝比奈さんと水無瀬さんも。
それに付随して嫉妬の視線を向ける男子も。
意味不明な数式を吐き出す教師も。
全員が憂鬱だ。
どこかに行ってほしいとすら思える。
一人にしてほしい。ただ一人で、部屋に閉じこもっていたい。
そんな薄暗い願望が胸の中で騒めく。
「……はぁ」
昨日の元気はどこに行ったのだろう。
捜索願を出したら見つけてくれるんだろうか。迷子の元気を探しています。それだと近所の元気君が困るだろうな。
ただでさえ、僕は不審者と間違われるんだから。
……そう考えると。
やっぱり僕がメリアさんにしたことは、許されない行為なんだろう。
こんな気持ちの悪い男に肌を触られるなんて最悪のはずだ。
なんか罰とか言ってハグしたけど……いやあれは本当に意味わからないけど。
本当は許されてないんじゃないか?
全部嘘で、彼女に嫌われたんじゃないか?
あぁ、今すぐに謝りたい。
授業抜け出してもいいかな。いいわけないか。
というか僕は何を考えているんだ。
母さんが言ってくれたことを忘れたのか。母さんは僕を信じている。
僕は大丈夫なんだ。
自分勝手に生きればいいのだ。
そうしたら、こんな悲しい思いをしなくて済んで。こんな辛い気持ちを抱かなくてもよくて。
そうだ、気にしない。
僕は好きなように生きるのだ。他の誰に迷惑をかけようが関係ない。
僕は自由に……。
「……」
何度、そう思い込んだところで。
沈んだ心は浮かび上がることなく、沈殿している。
黒くて濁った心の水はいつ綺麗になるのだろう。
自分が世界で一番汚くて卑怯な存在だと思えて仕方がない。
今日はそんな感じだった。
ぐちゃぐちゃで、痛くて、膿んで、腐って。
何を考えても最悪だった。自分が生まれてきたのが間違いだと思った。
家に帰り、眠りにつくとき。
疲弊した思考の片隅で浮かんだ既視感。
なんかこの感じ……メリアさんにデコピンした時と、似てるな。
それだけ考えて、もう何もできなかった。
何もしたくなかった。
扉をノックする母さんの言葉すら無視して。
落ちた。
夢を見ていた。あるいは僕の記憶。
記録。
腕の骨が折れて、肉を突き破る光景。
内臓を潰されて呼吸困難になる光景。
血が流れて冷たくなっていく光景。
痛み、灼熱、絶望、恐怖、虚無。
青いスライムが僕を見ている。
震えている。
僕は弾け飛び、無様に死ぬ。
殺される。
命が終わる。
誰にも看取られず、誰の記憶にも残らず。
僕は終わる。
そんな光景を見ていた。
まるでスクリーンに映る映像みたいに。
映画館にでもいるような感覚。
客席には僕一人。
怖いはずなのに、嫌なはずなのに心は動かない。
ただ黙って死ぬ光景を見ている。
「……」
そこでふと、横を向いた。
視界の端に入った黒いモヤが何故か、無性に気になったのだ。
「……」
『……』
そこには黒い何かがいた。あるいは白い何かがいた。
形は捉えられず。されどそこに存在していることは確実だった。
僕は口を開き、君は誰だと聞こうとした。
言葉は出なかった。
『……』
気付けば僕も、白くて黒いモヤになっていた。
「……最悪、だね」
汗に濡れた顔を手で拭い、深い深い溜息をつく。
朝からこんな気分になるなんて最悪としか表現の仕様がない。
御多分に漏れず夢の内容は曖昧だし。
ただ恐ろしくて悲しかったということだけを、この腕の震えが教えてくれた。
「……あー、もう。なんなんのさ、まったく」
止まらない腕の震えを、もう片方の手で押さえる。
けれど両手が痙攣していたので少し滑稽な感じになってしまった。これじゃ隠し芸大会予選落ちだよ。
……うん、ボケも雑になってる。
ちょっと本格的にまずいな。
「休む……わけにもいかんしねぇ」
約束を守るのが僕に残された唯一の長所だ。
どれだけ怠くて死にそうでも、言葉にしたことは実行しなければならない。
それすらできなくなったとき。
僕はきっと、自分を許せなくなるだろうから。
「あぁ、起きたくにゃいぃ」
しかして人間は弱いもので。
寝起きの布団の魅力に抗いがたい引力が存在するのは、もはや公然の常識であって。
だからこそ、ここで二度寝をすることは何の不思議もない。
あと五分だけ。
五分だけおねんねしよう。
……まだ立ち上がれるほど、気力が戻ってないし。
「……」
体が動かない。布団の中に閉じ込められた僕は、恐らくゲームのヒロイン並みに悲壮感を漂わせているだろう。
実際、気分はそんな感じだった。
どうしようもなく心が悲しくて、辛くて、怖くて。
世界で自分だけが仲間外れにされているような、そんな感覚。
いつからメンヘラの仲間入りをしたのか。
あれかな、僕も常時カッターナイフとか持ち運んだほうがいいのかな。
力加減ミスって死にそうだけど。
別にいいか。
よくはないか。ごめんなさい。
「……ふぅぅ」
うん、起きよう。
このままじゃ駄目だ。永遠に落ち込んだ状態から抜け出せず、腐っていくだけだ。
重たい体を動かして、何とかベッドから脱出する。
かかった時間、なんと十分。鋼鉄で出来てんのか?
「よいしょ、よいしょ……」
病人の如く階段をゆっくり降りて、リビングへ顔を出す。
まだ母さんは起きていないようだった。
じゃあ朝食は……あー、めんどくさいな。
今日は食べなくていいか。
駅でエナジードリンクとか、ゼリーとか買えばいいでしょ。多少の出費には目を瞑ろう。
「……行ってきます」
素早く、とはいかない速度で着替え。
僕は力なく呟き家を出た。
履いている靴でさえ、囚人の……あれみたいな。足につけてる鉄球? 的な感じの重さであった。
こんなんで本当にスライムを倒せるのか、甚だ疑問だ。
あの暴虐の化身を……。
「……ぅ、ぷ」
何故か吐き気が込み上げてきた。
いつもご飯を食べている時間に空腹だから、体に異常があると勘違いしているのかもしれない。
やっぱり朝食抜かなければよかったかな。
でも、食欲湧かないし。気持ち悪いし。
……きっと、大丈夫だよ。
今は少し辛いけど。ちょっと時間が経てば、また元気になる。
「……」
下ばかり見てないで、上を向こうと思った。
空は見渡す限りの美しい晴天で。青々としていて。
それが無性に、寂しかった。