それはそれとして、どうせ彩葉はそのうち気づく
「ヤチヨ、今日も配信はお休みするのか……?」
「……うん」
「……分かった、またアーカイブを流しておく」
「ありがとう。……ごめんね、FUSHI」
私はツクヨミの管理者ルームの片隅で膝を抱える。
かぐやが月に帰ってから、もうどれくらい経っただろう。
あれからずっと、配信を休んでいる。FUSHIが過去のアーカイブを流してくれているから、すぐには騒ぎにならないだろうけど、長くは持たない。わかってる。わかってるけど。
今、配信したとして、いつも通りに振舞える自信がなかった。
笑顔で歌うなんて、きっと今の私にはできない。
かぐやが月に帰るまでは私にとって既知の出来事で、ただ運命に従って大切な思い出をなぞるだけでよかった。
でもその後は、これからは違う。私は自らの行動を選ばなければならない。
……彩葉に本当のことを言ってしまえばいい。私がかぐやだと言えば。でも、言えない。
八千年という時間は私を変えてしまった。あの頃みたいにわがままを言えなくなった。冗談も減った。彩葉が好きだったのは元気で破天荒な、あのかぐや。今の私は——。
この思考も数百回目だ。ぐるぐる同じところを回っているだけで、どこにもたどり着かない。
「……ヤチヨ……」
益体もない思考の檻に囚われた私は、いつの間にかFUSHIが部屋から姿を消したことに気づきもしなかった。
◯
FUSHIが彩葉を連れてきたのは、それから少し経ってからのことだった。私の様子を見かねたのだろう。
管理者ルームのモニターに映し出された現実世界の彩葉の姿を見て、あれだけ沈んでいた筈の気分が幾分、上向くのを感じる。我ながら単純なことだ。
アパートの一室に鎮座する筍、『もと光る竹』に困惑した様子の彩葉だったが、FUSHIに促されてツクヨミにログインした。
辿り着くのはいつもの鳥居でも、最終ログアウト地点でもない。私のいる管理者ルーム。
背を向けた私に、彩葉が呼びかけた。
「ヤチヨ……?」
私はゆっくり振り返る。もしかして、彩葉は気づいてくれたのだろうか。そんな身勝手で無責任な淡い期待は、間も無く泡沫のように弾けて消えた。
「……ヤチヨに相談したいことがあって」
「……なんだいなんだい?」
「かぐやのこと……なんだけど」
わかっていた。彩葉がここに来た理由。私に会うためじゃない。
「かぐやは、月は仮想世界と近いって言ってた……実際、月人はかぐやを迎えにここに来た。あっちからアクセス出来るなら、こっちからだって出来ると思うんだ。だから、何か手がかりになるようなこと、ヤチヨなら分かるんじゃないかって……」
「……何度か調べてはみたんだけれど、やっぱりアクセス元すら分かんなくて……多分、現行の技術じゃこっちからは通信出来ないんだと思う」
これは嘘じゃない。そもそも月の通信は技術体系からして地球のものとは違う。かぐやを連れ戻しにきた時も、向こうがわざわざダウンスケールした状態で規格を合わせたから通信が成立したに過ぎない。
「力になれなくてごめんね」
「ううん、ありがとうヤチヨ。おかげで私、やりたいことが決まったよ」
「え?」
「今の技術じゃどうにもならないなら、自分で作ってみせる」
彩葉の表情は真剣そのものだ。私の大好きな彩葉の顔。でも、その瞳に映っているのは私であって私じゃない。そんな顔に見惚れて、つい。
「ヤチヨじゃ、ダメかな」
「え?」
口が滑った。この先も言うべきではない。なのに、滑り出した口は今更止められなくて、続きの言葉が溢れだす。
「かぐやの代わりに、ヤチヨが彩葉の側にいるよ。それじゃ、ダメかな?」
こんなことを言ったら怒らせてしまうかもしれない。でも、もし頷いて貰えたのなら、その時は——
「ヤチヨ」
ビクリ、と私は肩を揺らす。
「ありがとう、慰めてくれてるんだよね。でも代わりとかじゃないんだ……私は、かぐやのことを諦めたくないからさ」
「そっ、か……」
そうだよね、やっぱり。
……あーあ、ドジっちゃったな、本当に。
いっそ全てを話してしまおうか。そんな衝動が喉元までせり上がる。私がかぐやなんだよって。八千年かけてここまで来たんだよって。ずっとあなたのことを想ってたんだよって。
でも、拒絶されることが怖い。八千年も経って変わり果てた私を見て、彩葉ががっかりした顔をするのが怖い。「あなたは私のかぐやじゃない」って言われることが恐ろしくてたまらない。
長過ぎる時の流れは、私をひどく臆病にしてしまった。
「出来ることがあったら何でも言って。ヤチヨも手伝うよ!」
「本当に? ヤチヨが協力してくれるなら心強い」
臆病者の私は真相を胸にしまって、いつもみたいな笑顔を浮かべた。
◯
彩葉がログアウトした後、私はしばらく動けなかった。
「……FUSHI。月との交信、できると思う?」
「……不可能だと思う」
わかっている。
かぐやは月にいる。でも月のかぐやと交信することは決してできない。それは何も技術的な問題だけではない。
私がここにいるから、だ。
もし今、月のかぐやと交信できてしまったら。彩葉の声が月に届いてしまったら。かぐやが月を出る理由が変わるかもしれない。出るタイミングが変わるかもしれない。そうなれば、八千年の旅路は消える。ツクヨミは生まれない。ヤチヨは存在しなくなる。
でもそうはならない。
私がヤチヨとしてこの世界に存在しているということは、かぐやが月を出て、八千年前の地球に降り立って、途方もない時間を経てここに辿り着いたという歴史が確定している。
一度決まった因果はもう覆らない。
逆説的に、因果を覆し得る事象は決して起きない。
だから、少なくともかぐやが月を出発するまでは月との交信は成功しないのだ。
私がここにいることが、彩葉の願いを不可能にしている。
私の存在そのものが、彩葉とかぐやの再会を阻んでいる。
こんなに皮肉なことがあるだろうか。彩葉の側にいたいと願った果てに辿り着いた場所で、彩葉の願いを叶えられない、それどころか欺瞞に満ちた私がいる。
「ヤチヨ」
「……うん?」
「辛いならやっぱり——」
「大丈夫だよ、FUSHI」
大丈夫。大丈夫、って言うのは得意なんだ。八千年も練習してきたから。
◯
それからの日々は、不思議なほど穏やかだった。
私は配信を再開した。前と同じように歌って、踊って、みんなを楽しませて。彩葉も前ほどの頻度ではないけれど、相変わらず配信に来てくれる。画面の向こうで笑ってくれている。それが嬉しくて、少しだけ苦しい。
やがて、大学を卒業して研究者となった彩葉は、月との交信についての研究経過を報告しにきてくれるようになった。
「ツクヨミのサーバーと月面の通信規格の互換性を調べてるんだけど、やっぱりかぐやが来た時に使われた帯域に特殊なノイズがあって……」
「ふんふん、なるほどねぇ」
「ツクヨミにも他に何かログは残ってない?」
「うーん、ヤッチョの方でももう一度確かめてみるよ」
確かめるまでもない。答えは最初からわかっている。でも彩葉が来てくれるなら、一緒に探すふりをする。彩葉の目が輝いているのを見ていたいから。
彩葉は賢い子だ。だから本当は薄々気づいているのかもしれない。何も見つからないことに。でも気づいていても止まれないのが彩葉なのだ。かぐやのためなら。
ある日、彩葉が少し声のトーンを落として言った。
「……あのさ、ヤチヨ。もうひとつ聞きたいことがあって」
「お、なんだい?」
「ヤチヨのデビュー曲にさ、その……私が昔作りかけてた曲と同じメロディがあって……」
「っ……」
一瞬、言葉に詰まった。
あの曲。彩葉がお父さんを亡くしてから続きを作れなくなっていた曲。私のために、もう一度ペンを取ってくれた曲。八千年の間に形を変えて何度も変奏して、ヤチヨのデビュー曲として歌った、あの曲。
同じメロディなのは当たり前だ。だって彩葉が作ってくれた曲なんだから。
打ち明けるとするなら、多分ここが最後のタイミングだった。
この一言で全部変わる。「偶然じゃないよ、彩葉が作ってくれた曲だよ」。それだけでいい。たった一言。
でも私は。
「すごい偶然もあるもんだねぇ~! ヤッチョ運命感じちゃう!」
笑った。いつもみたいに。百点満点のヤチヨの笑顔で。
「偶然……そっか、そう、だよね……」
「これだけ相性ばっちりな私達なら研究もきっと上手くいくよ! 一緒に頑張ろうね、彩葉!」
「……うん、ありがとうヤチヨ」
また来るね。そう言い残して、決意に満ちた表情でログアウトする彩葉を見送った。
私はその場にへたり込んだ。
彩葉はこれからも来てくれる。
でもそれはやっぱり私に会うためじゃない。かぐやと会うためだ。
叶わない夢を一緒に追いかける日々。答えを知っているのに知らないふりをして、見つからないものを一緒に探して、見つからないたびに彩葉を励まして。
彩葉が諦めない限り、私は隣にいられる。
彩葉が月を見上げるたびに、私はその横顔を見ていられる。
彩葉の一番にはなれない。彩葉の想いは月に居るかぐやのもので、ヤチヨはあくまでヤチヨで、支えてくれる優しいAIライバーで。それ以上でもそれ以下でもない。
でもいいよ。
これでいい。
痛覚なんてない筈の胸が、今日もじんわりと痛みを訴える。
感触も、暖かさも分からない今となっては、その痛みさえも彩葉を感じられる気がして、悪くはない。
もうかぐやには戻れないけれど。
彩葉が笑ってくれるなら。彩葉が前を向いていてくれるなら。たとえその視線の先に私がいなくても。
ヤチヨは彩葉の側にいられるだけで幸せだから。
例え人がそれをメリーバッドエンドと呼んでも。
ずっと一緒にいさせてね、彩葉。