おにまい曇らせ(仮)   作:Unus negotiator

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第19話 変わっても、変わらないもの

まつりの案内で、かえでともみじは緒山家のリビングへ通された。

久しぶりに入ったそこは、前に来た時となにも変わっていない。

けれど、漂っている空気だけがまるで違う。

誰も口を開かず、何かが起きた直後のような重苦しい気配が、部屋全体を包んでいた。

 

最初に目に入ったのは、泣き腫らした顔のみはりだった。

二人の姿を認めると、立ち上がり何か言いかけるように唇を動かした。

けれど結局、かすかに会釈をしただけで、視線を落としてしまう。

 

その隣にいた小さな男の子も、静かに立ち上がった。

やわらかく跳ねた髪。

幼げでかわいらしい。そして、どこか見覚えのある顔立ち。

ただ、その表情は妙に大人びていた。

初めて会う相手を見るような警戒もなく、まるでずっと前から二人を知っているように、静かにこちらを見つめている。

 

玄関先で、まつりに言われた言葉がふと頭をよぎった。

――驚かせてしまうと思うけど。

 

男の子を見つめたまま、もみじは考える。

もしかして、この子のことなのだろうか。

 

「……えっと」

 

かえでが戸惑ったように、まつりを振り返った。

 

「親戚のお子さん、ですか?」

 

まつりはすぐには答えなかった。

みはりも黙ったまま。

その妙な沈黙に、かえでの表情が曇る。

 

そんな姉の隣で、もみじは男の子の顔を食い入るように見つめていた。

 

目元も。

髪の感じも。

こちらを窺う、その表情まで。

知っているあの子に、あまりにも良く似ていた。

 

「まひろちゃんに……そっくり」

 

ぽつりとこぼれた声に、男の子がわずかに反応した。

その目が、もみじを捉え、一瞬だけためらうように揺れた。

 

「二人とも……来てくれたんだ」

 

驚きで、もみじの肩がぴくりと跳ねた。

 

「え……?」

 

聞き間違いかと思った。

声そのものには覚えがない。

まだ変声期前の、幼い男の子の声。

それでも、話し方も、こちらに目を向ける仕草も――知っている。

 

かえでも、何かに気づいたように小さく息を呑んだ。

 

「……まさか」

 

男の子は困ったように眉尻を下げた。

 

「……久しぶり。もみじに、かえでちゃん」

 

その瞬間、もみじの頭の中は真っ白になった。

差し入れの入った紙袋が、するりと指から抜け落ちた。

ぱさり、と軽い音を立てて床に落ちる。

 

「…………まひろ、ちゃん……なの?」

 

何も考えられないまま、ようやく口からこぼれたのは、その名前だった。

目の前の男の子――まひろは、こちらを見たまま静かに頷いた。

 

「……うん」

 

「ずっと心配かけて、ごめん。それに……」

 

その先を言いかけて、まひろは口をつぐんだ。

言葉に詰まり、困ったように目を伏せるその仕草にも、確かな見覚えがあった。

 

姿も声も違う。

それでも、もみじの知っているまひろが、少しずつ目の前の男の子に重なっていく。

 

「……えっと、ちょっと待って」

 

かえでは目の前の男の子を見つめたまま、困惑したように眉を寄せた。

 

「どういうことなんですか?この子は……本当にまひろちゃんなんですか?」

 

「ええ」

 

まつりが頷く。

 

「今はこんな姿になっているけど……二人が知ってるまひろで間違いないわ」

 

「でも、この姿って……いったいどうして……」

 

かえでがもう一度、まひろを見る。

 

中性的で愛らしい顔立ちの、小さな男の子。

言われてみれば確かに似ている。

いや、似ているというだけではない。

目の動かし方、困ったときにする今の表情も、さっきから何度も見覚えのあるものが重なっていく。

それでも、一番大きなところがどうしても噛み合わない。

 

「だけどこの子、男の子……だよね?歳だってもっと下に見えるし……」

 

誰に確認するでもなく、かえでは呟いた。

 

「ええ……驚くのも当然よね」

 

まつりは少し言いにくそうに間を置いた。

 

「ただ、それには少し事情があるの……」

 

みはりの肩が、わずかに強張る。

まつりは一度そちらへ目を向けてから、二人に戻した。

 

「まず、……まひろは本当はみはりの兄なの」

 

「……お兄さん?」

 

もみじが反射的に聞き返す。

 

「そう。年齢も、本当はあなたたちより上で、元々は成人した男性だったの」

 

「…………え?」

 

かえでの口が半端に開いたまま止まった。

もみじも、まひろとみはりを交互に見る。

 

「成人……って」

 

「大人ってこと?」

 

「そうよ」

 

あまりにもあっさり返されて、今度こそ二人とも言葉を失った。

 

まひろちゃん。

みはりさんのお兄さん。

大人の男の人。

そして今は小さな男の子。

 

情報が多すぎて、理解がまったく追いつかない。

 

「じゃあ……」

 

かえでが慎重に口を開く。

 

「私たちが今まで一緒にいた、まひろちゃんは……?」

 

まつりは一瞬、みはりを見た。

みはりは何も言わない。

顔を上げることもできず、唇を固く結んでいた。

 

「みはりが作った薬で、女の子の身体になっていたの」

 

「…………薬?」

 

「ええ……」

 

「なんで……そんな……」

 

かえでは額に当てていた手を、そのまま髪の中へ滑らせた。

 

「いや、ちょっと……待って。待って待って」

 

当然の反応だった。

 

一緒に遊んだこと。

買い物に行ったこと。

服を選んだこと。

家に泊まったこと。

何気なく触れ合って、同じように笑っていたこと。

 

その相手が、本当は成人した男性だった。

理解した途端、これまでの記憶が一斉に別の角度から浮かび上がってくる。

 

「じゃあ……私たち、ずっと……」

 

そこまで言って、かえでは言葉を止めた。

 

まひろを見るその目には、これまで一度も向けられたことのない色が混じっていた。

確かめるような、どこか探るような目。

 

その視線を受けて、まひろの表情がわずかに曇る。

その変化にもみじは気づいた。

 

「……まひろちゃん」

 

呼ぶと、まひろがゆっくり顔を上げる。

さっきまでとは違って、その目にははっきりと怯えがあった。

 

「……ごめん」

 

まひろが先に言った。

 

「ずっと黙ってて」

 

「……」

 

「今さら言い訳にもならないけど……騙すつもりはなかったんだ。でも……結果的には、そう思われても仕方ないと思ってる」

 

声は静かだった。

けれど、膝の上に置かれた小さな手は、きつく握られている。

よく見れば、その脚もかすかに震えていた。

 

「もみじや、あさひ、みよちゃん……みんなと一緒にいた時間は、本当に楽しかったんだ。ずっと家に閉じこもってたオレにとって、あの時間は……本当に救いだった」

 

思い出すように、ほんのわずかに口元が緩む。

けれど、その表情はすぐに消えた。

 

「だから……余計に言えなかったんだ。勝手な言い分だってことは分かってる。でも、本当のことを知ったら、もう今までみたいにはいられなくなるって……」

 

もみじは何も返せなかった。

分からないことだらけだった。

 

それでも。

 

今、目の前で怯えているこの子を見ていると、さっきまで胸の中に渦巻いていた戸惑いや混乱とは別の感情が、少しずつ浮かんでくる。

 

「……でも」

 

もみじが小さく声を出した。

まひろの肩がわずかに揺れる。

 

「まひろちゃんは……まひろちゃんなんだよね?」

 

まひろが目を見開いた。

 

「いまの姿とか、本当は大人だったとか……まだ全然分かんないけど」

 

もみじは困ったように眉を寄せた。

 

「でも、一緒に学校に通ったのも、遊んだのも、みんなで笑い合ったのも……まひろちゃんだったんだよね?」

 

「……うん」

 

「私が知ってるまひろちゃんは……人見知りで、ゲーム好きで、朝が弱くて、ちょっとだけ、ぐうたらで……」

 

もみじは、ひとつずつ思い出すように続ける。

 

「最初の頃なんて、変なところで無防備で隙だらけで、男子がいるのに平気で着替えようとしたりして……」

 

「う……」

 

「褒められるとすぐ調子に乗るし、いいところ見せようとして失敗することもよくあるし」

 

まひろが気まずそうに目を逸らす。

 

「なのに男子には妙に人気があって。なんか、男子が喜ぶことが自然に分かってるみたいで……」

 

そこで、もみじは少しだけ頬を膨らませた。

 

「正直、それはちょっと面白くなかったけど」

 

「え…」

 

「でも、とっても優しくて。臆病なくせに、誰かが困ってると放っておけなくて……いざってときは、誰かのために一生懸命になれる」

 

もみじはまっすぐにまひろを見つめ、やわらかく微笑む。

 

「そういうところも全部ひっくるめて……私の知ってる、まひろちゃんなんだよね?」

 

「う……うん。一部よく分かんなかったけど……ずっと、もみじと一緒にいたのは、間違いなくこのオレだよ」

 

もみじは少しだけ考えるように黙った。

 

「……そっか」

 

そのまま、まひろをまっすぐ見つめる。

もみじの表情が、少しだけ緩んだ。

 

「じゃあ、私はもう、それでいいよ」

 

「……え?」

 

もみじは少し困ったように笑った。

 

「だって、一緒にいたことも、楽しかったことも……ぜんぶ本当のことでしょう?」

 

「私にとっても、ちゃんと全部、本当の……大好きなまひろちゃんと過ごした、大切な時間だったよ」

 

「もみじ……」

 

まひろの目に、みるみる涙が溜まっていく。

 

「ありがとう……そんなふうに思ってくれて、本当に……」

 

まひろが、もみじの方へ一歩踏み出しかけた。

けれど、すぐに足が止まる。唇をきゅっと結び、こみ上げるものを堪えるように俯いた。

そんなまひろを見て、もみじの方が先に動いた。

 

「まひろちゃん!」

 

駆け寄って、その小さな身体をぎゅっと抱きしめる。

 

「わっ……」

 

今のまひろの身体は、もみじよりずっと小さい。

抱きしめられると、すっぽりと腕の中に収まってしまう。

 

「も、もみじ……」

 

「会えてよかった……」

 

もみじの声が震える。

 

「ずっと心配してたんだよ」

 

「また会えて……ほんとによかった……!よかったよぉ……!」

 

最後の方はもう言葉にならなかった。

もみじはまひろを抱きしめたまま、堪えきれず声を上げて泣いた。

 

「……うん」

 

まひろも頬を伝う涙を拭おうともせず、縋るようにもみじの背中へ腕を回した。

 

「ごめんねぇ……心配かけて」

 

「ううん、もういいよ」

 

もみじは涙で濡れた目を細め、 嬉しそうに笑う。

 

「それより、まひろちゃんにまた会えて、うれしいんだ。ほんとに、うれしいよ」

 

まひろは返事をしようとした。

けれど、声にならなかった。

それまで必死に堪えていた感情が、一気にあふれ出した。

 

「……っ、もみじぃ……」

 

もみじの背中に回した小さな手に、ぎゅっと力がこもる。

胸元に額を押しつけたまま、とうとう嗚咽まで抑えきれなくなった。

まひろもつられるように声を上げ、しがみついたまま泣き出した。

 

その光景を、かえでは呆然と見つめていた。

 

(――うちの妹、ちょっと器が大きすぎない?)

 

本気で、そう思った。

自分だって、まひろのことは大切に思ってきたし、もう一人妹が増えたようなつもりで接してきた。

この数か月、本気で心配もしていた。

だからこそ、簡単に飲み込めような話ではなかった。

 

自分たちは何も知らないまま、ずっとまひろを同年代の女の子だと思って接してきたのに、本当はみはりのお兄さんで、成人した男性だった。

そして、そのことをみはりはずっと黙っていた。

 

裏切られた――という言葉が正しいのかどうかさえ、正直まだ分からない。

それでも、抱きしめ合って泣いている二人を見ていると、今までの全部が嘘だったとも思えなかった。

 

ふと、かえではみはりを見る。

 

みはりは、抱き合う二人をじっと見つめていた。

その目に浮かんでいるのが、どんな感情なのか、今のかえでには読み取れない。

 

(……やっぱり、聞かなきゃいけないことは山ほどありそうだ。)

 

かえでは小さく息を吐いた。

 

 

 

 

 

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