葬送フリーレン~アフターオレオール~ 作:rvr75_raiden
領主シュタルクのクレ地方再建生活 其の5【完】 ~Lord Stark’s Reconstruction Journal of the Klee Region~
https://syosetu.org/novel/402356/36.html
■幸せな敗北
中央諸国 クレ地方 元戦士の村があった地に建つ一軒家の寝室
明日は休日と言う日の夜。時刻はもう丑三つ時と言われるような時間を過ぎた頃合い。
明かりも無い闇夜の寝室に響くのは、軋むベッドの音と2人の荒い息遣い。
「フェルン!フェルン……!」
「シュタルク様……!!」
艶のある声が灯りの消えた寝室に木霊する。
薄い月明かりが映し出す微かな影が大きく動き、何かが解き放たれたかの様に震える。
影が重なり、静かな吐息だけが満ちる甘い空気が部屋を満たしていく。
「……なぁ、フェルン」
「……はい、なんですか?」
呼吸を整えた二人、情事の後の静かな睦言の時間。
些細な日常に幸せを感じている事を確認し合う、なんでもない会話を交わすのが二人のルーティン。
だが、少し様子がいつもと違ったシュタルクが上半身を起こす。
フェルンから見た夫の顔は薄い月明かりに照らされ、汗でしっとりと濡れた赤い髪が光を僅かに反射させている。
「あのさ……」
「はい……」
ゆっくりと、覆い被さってくるシュタルクの顔がフェルンに迫り、耳元で囁くような姿勢となった。
『大好きだよ』『おやすみ』『明日も頑張ろうな』。顔つきに反して実直で優しい、シュタルクの言葉ならおそらくその辺り。
そんなふうに思って小さく微笑み見つめるフェルンに、彼が告げたのは――
「まだ……良いかな?もう一回だけ……」
それは、愛のお代わり宣言だった――
✧ ✧ ✧ ✧
「えっ……?」
というフェルンの声に、二人は想定外の事態に陥った様な顔で見つめ合う。
いやいや、勿論即座に『はい』と答えるべきだと分かっている。応えるべきだ。応えてあげたい。
正直言って、求めてもらっているのはフェルンにとって妻冥利に尽きる。
1人目の子を宿して長らくお預けしてしまっていたのだ。お互いに。募る気持ちもあるし、フェルンだって産後万全を期して挑んだのだ。
「え……?あれ?」
「あの、シュタルク様。本気……ですか?」
「うん。フェルン。そのフェルンを見てたら……やっぱりまだ……俺」
シュタルクはフェルンという女性を前に何一つ萎えることも、力尽きることもなく無尽蔵に湧き出る愛をぶつけてくれる。
それは素晴らしい事だ。嬉しい。大好きだ。愛が心地よい。必要とされる事実が何より心を満たしてくれる。
だがしかしだ。
―― ぶっ続けの結果、そろそろ外が白み始めそうな時間でなければ、である。
(数時間後に起きて、ご飯を用意して……シュタアルにミルクをあげて……それで……それで……)
「あれ……フェルン?……フェルン?」
概ね、フェルンの体力の限界で眠ってしまうと試合終了ということになる。
「ごめーん!!」というシュタルクの申し訳なさそうな声でフェルンの意識は夜に沈んでいくのだった。
✧ ✧ ✧ ✧
シュタルクとフェルンが結婚し、第一子が生まれ、産後の肥立ちを超えて、合体OKが出てから数週間。
フェルンには深刻な悩みがあった。
「シュタルク様に……全く歯が立たない……だなんて」
「何の勝負?」
うなだれるフェルンの様子を見て不思議そうにしているのは、第一子である男の子のシュタアルを抱く夫シュタルク。
きょとんとした顔でこちらを見ていると、本当に遺伝子って不思議だなぁって思う。
大人と子供なので同一とは言わないが、よく似た顔立ちで同じ表情で見つめてくるとなんだか笑える。
「はい。長らく、長らく自堕落な生活をしてしまったため、体が鈍ってしまったなと……あれほど実戦で努力して一時期は互角近くまで持ち込んだと思ったのですが、今ははるか遠くです」
「え、冒険者的な能力の話?いや、妊娠中は仕方ないでしょ。自堕落じゃないよ。フェルンは凄く頑張ってた」
「私なりに工夫して、可能な範囲で体力面でも不足しない様に努力してきたのに……」
「う……うん?」
まだちょっと腰が本調子ではないため椅子に座ったままフェルンが拳を強く握りしめながら続ける。
「……だというのに、不甲斐ないです……」
「ちょっとよく分からないんだけど」
「あう~?」
ちなみに朝食は、オルデン家から来た老メイドのライニに依頼したら至極うれしそうに用意してくれた。
大変申し訳ない。
「シュタルク様!どうしてですか!?」
「何が?」
「うー?」
フェルンが珍しく悔しそうな顔つきで「ぐぬぬぬ」と言う様子を見せた。
シュタルクとシュタアルが図らずも同じ角度で顔を傾けた表情が不覚にも可愛い。
「どうして……?」
「うん……?」
「どうして……!?シュタルク様も久しぶりなはずなのに……」
「あい……?」
だん!とテーブルに手をついたフェルンの様子に親子は似たような表情でびくっとする。
「どうして……!?シュタルク様は夜だけは圧倒的な本調子なんですかっ!?なんかムカつきます」
「えっ……ぶほっ!!そういう話!?」
そんなフェルンの訴えにシュタルクは激しくむせ込んだ。
両親のドタバタに抱きかかえていたシュタアルの表情が徐々に崩れてくる。
「ふぇぇ……」
「あ、待ってシュタアル!」
大きな声にびっくりした我が子シュタアルはお腹もすいていたのもあり大泣きを始めてしまった。
✧ ✧ ✧ ✧
シュタアルのミルクをあげる傍ら。シュタルクは一度部屋から退出した。
代わりにやってきたのはフリーレンとメイドのライニ。
「なるほど。フェルン様はシュタルク様に負けたくないと」
「はい……」
「何の勝負の話?」
フェルンの言葉に深くため息をついたライニは胸に手を当て答えた。
「お気持ち痛いほどわかります。フェルン様。私も若き日は、体力自慢の夫の欲望をどう抑えるか……そして翌日の仕事に如何に影響を与えない様にするか。毎日工夫の連続でございました」
「え、毎日……?疲れたら……休んだらよくない?無理はよくないよ?」
フリーレンはなんだかよく分からないという様子で首を傾げる。
だが、フェルンとライニは思いのほか真剣に答える。フリーレンには分からない。
さすがに、夫婦になったシュタルクとフェルンの愛情表現といわゆる家族を形成するための生殖行為として、世間一般に言うならば「えっちな事をしている」ということは理解できる。
これは、シュタアルの生誕までを考えるとごく自然な流れだ。二人は協力し、愛し合っていた。
だが……勝ちとは?負けとは? 全く分からない。
「フリーレン様。だめでございます。女の矜持として……夫に負けたからと翌日の仕事が出来ぬなど、到底受け入れられません」
「はあ……」
シュタアルにミルクをあげているフェルンはコクコクと頷く。
「そうなんだ……難しい。夫婦にも勝ち負けがあるんだね……勉強になるよ」
「はい。あるのでございます。古今東西負けられぬ闘いが……」
「そうです。愛しているからこそ……愛するが故に、妻として負ける訳にはいきません」
怒涛の勢いで言われるとフリーレンとしてはしょんぼり顔になるしかない。
「要するに、フェルンはこれからもシュタルクとえっちな事はしたいの?」
「当然です」
「当然なんだ……」
ミルクをあげ終わったフェルンがシュタアルを抱きしめ、背中をトントンしながらげっぷを終わらせたあたりでドアがノックされる。
「あのー。そろそろ入ってもいい?なんか、休日に一人で廊下にいるの寂しいんだけど」
フェルンとライニの方を見ると二人とも神妙にこくりと頷いた。
「いいよ。シュタルク」
「おじゃましまぁす……」
ゆっくりと入ってくるシュタルクは、低い腰つきでこそこそ移動している。
フェルンの前に正座で座り「シュタアルを抱っこさせてください」とばかりに両手を差し出してきた。
苦笑したフェルンが眠そうにしているシュタアルを手渡すと、シュタルクは滅茶苦茶嬉しそうに我が子を受け取った。
これが――フェルン曰く、我が家の勝者の姿である。
「やっぱりよく分からないな」
そうつぶやいたフリーレンは、シュタアルの頬をつんつんしているシュタルクとフェルンの様子を眺めながら微笑んだ。
■知見者に聞くしかない
シュタルクには「少しペースと体力差を考えて欲しい」「だが浮気だけは絶対に許さん」という二つのお願いをしておいた。
「ごめんよぉ」と言いながら快く応じてくれるのはいい夫なのだろう。最中にタガが外れること以外は。
そんなことはさておき。
「それでは繋ぎます」
オイサーストで現在はラヴィーネの家に預けている遠隔通話のアーティファクト。
1セットあって、同じタイミングで双方から魔力を通す事で、かなりの遠距離でも会話ができるという貴重な魔道具だ。
問題は同時に起動しないといけない事だ。そのために手紙で事前連絡して時間を決めてからやるしかない。
『おーい、映ってるかー?』
「はい、ラヴィーネ様、カンネ様、感度は良好です」
『フェルン、こないだぶりー。シュタアル君も元気かなー?』
「あい!」
投射される映像ではカンネが手を振っている。
フェルンの腕に抱かれるシュタアルは投射される映像に興味津々でパタパタ動き出した。
抱っこされたままなので何ができるわけでもないけれど。
『それで……折り入って相談したいことって?あー、ちょっと前に同じようなノリで相談受けたことあったなー』
「はい実は……」
という訳で、二人に今の事情を説明する。
✧ ✧ ✧ ✧
老メイドのライニもその知識と実践能力を伝授してくれるとのことだったが、フェルンも独自で調査することにしたのだ。
まずは知り合いのつてから、近年どういうふうにするのが普通なのか?シュタルクのようなケースが普通なのか稀なのか。
フェルンにとってサンプリング数が1なのでこの辺も踏まえて知っておきたい。
『知るかぁ!!』
「そうですか……残念です」
『え、旦那さんに愛されすぎて困るって惚気……?』
「いえ、相談です」
『いやいやいや、よしんば知っていたとしてどうやって伝えろと……!?』
ラヴィーネの突っ込みに数秒考え、居住まいを正したフェルンは真顔で答えた。
「そこは、お二人いらっしゃるので実演を」
『阿呆かぁ!ていうかいたいけな子供を抱いて言うなそんなこと!何を見せるつもりだったんだよ』
「いえ、ちょっとした冗談です。もちろんシュタアルはまだ言葉を理解していませんので、大丈夫ですよ」
『私らが嫌だよ!』
とはいえ、なかなか難問である。こればっかりはやはり男性に聞くわけにはいかない。故にまさかデンケンに相談するわけにもいかない。
領民の奥様勢にこんなことを聞いて回るとさすがにいろいろ問題が出てしまう。と言うかシュタルクの耳に入る。
そんな折、カンネがひらめいた風にポンと手を叩いた。
『あ、そうだ……既婚者いた!しかも新婚さん!』
『おお、そう言えば……』
「??」
カンネの表情には『我に秘策アリ』といった確信が読み取れる。
頼りになるかと言われると際どいが、お願いした手前、彼女の案をまずは聞いてみることにした。
✧ ✧ ✧ ✧
30分ほど待ってほしいと言われ、しばらく待機。
シュタアルのほっぺたを弄ったり、『いないないばぁ』をしていたら一瞬で時間が溶けた。子供の可愛さは恐ろしい。
「時間ですね」
とフェルンは手をかざして、アーティファクトに魔力を通す。
すると、相手側から手を振るラヴィーネと、その横で笑顔のカンネが映し出された。
『おーす。フェルン聞こえるか~』
「はい。大丈夫です」
『心強い、特別ゲストをお呼びしたぞ~』
「はあ、特別ゲスト……ですか?」
固唾を呑んで投射された像を見つめる。そこに映ったのは――
『ああぅー』
向こうも可愛い赤ちゃんだった。
フェルンもシュタアルも目を点にして眺めていると裏から別の声が聞こえる。とても聞き覚えのある声だ。
『あら、近すぎましたか。ごめんなさい。フェルンさん。お久しぶりです。結婚式にお邪魔して以来ですね』
「メトーデ……様?」
『あらあらあら、その子が話に聞いたシュタアル君ですね。フェルンさんとシュタルクさんに似て可愛らしい~』
「は……はい。ありがとうございます」
『この子はうちの娘のエイルちゃんですよ~よろしくお願いしまちゅねー』
若干赤ちゃん言葉が混ざりつつ、メトーデはエイルを掲げてアーティファクトに近づける。
エイルは不思議そうにアーティファクトをぺちぺち叩きはじめた。
ちなみに、投射されているフェルンからは像いっぱいに赤ちゃんの手が映り込んで画面を占拠しているがとりあえず黙っておく。
日ごろからフリーレンが妙なものを見せて慣れているのか、シュタアルも泣きはしなかった。ただ目は点のままである。
『あと、もう一人だ。これは本当に偶然、オイサーストに来ていたところを捕まえてな……よし、アーティファクトの方向変えるぞ。よっと』
「もう一方?」
『そう、話してみたら、絶対に参加したいって言ってなー。入って良いぞ~』
だれだ?そんな人いたっけ?と見上げていると、にゅっと現れたのは――
『やっほ~、フェルン元気~』
呑気な声と共に別の赤ちゃんの顔がドアップで映し出される。
ちょっと鋭いようでアンニュイな印象のある独特の目つき、母親は一声目の『やっほ~』でわかってしまったが。
「お久しぶりです。ユーベル様」
『パッと見は相変わらずだねー。フェルン。一緒にいた戦士の彼と結婚したんだっけ?』
無言でうなずくフェルンにユーベルは『やっぱりそっかぁ、ずっと好きそうだったよね~』などと言ってくる。
その隣でメトーデも頬に手を当てて苦笑いを浮かべている。
「……普通です」とフェルンがそっけなく返すと、ユーベルは『へえ、そうなんだ』と興味深げに笑った。
『ところで、抱いてるのが噂のシュタアル君?なかなかいい目をしてるね。戦士の目……をしてる子だねぇ。将来が楽しみだ。ねー?』
ユーベルは胸元の娘に同意をとる。当然返答は返らないのだが、その子は笑ったようだ。
戦士になりそうというユーベルの言葉にフェルンはちょっぴり頬を膨らませる。
「まだ、分かりません。魔法使いになりたがるかもしれませんよ」
『どうかなぁ~、まあ言葉を話す様になったら聞いてみると良いよ。ああ、この子がヘリヤ。ちょうど同い年になるなんてなかなか面白い巡り合わせよね。よろしくねー』
ユーベルは、ヘリヤと呼ばれた子を抱き直してその手を小さく振った。
(そう言えば、ライニ様が許嫁の候補に名前を挙げていましたね……二人とも)
申し込む気はないがキョトンとするシュタアルに対して、像の向こうの二人の赤ちゃんはじーっとシュタアルを観察している様子だった。
エイルは慎重に見定める様に、ヘリヤは獲物を見る様に――
■それは共感と労りと……搾取である
子供たちの、将来的にまず記憶にも残らないであろう邂逅はさておき――
『ではでは、フェルンさんたっての男性介入禁止の相談という事ですが』
「はい……死活問題です」
メトーデが身を乗り出し、楽しそうに話し始めた。
『ところで、その子、男の子じゃなかったっけ?』というのは横にいたユーベルの小さなツッコミ。
『まずは、私達も課題を認識するべきだと思うのです。フェルンさんとシュタルクさんの普段の様子をお話して欲しいのですが』
なるほど、一理ある。と、フェルンはこくりと頷く。
妙にメトーデの息が荒いのは若干気になるがこちらから仕掛けた相談ではあるのだ。
『ではでは、日中におけるフェルンさんとシュタルクさんのやり取りや二人のパワーバランスなどをお伺いしましょうか!』
「パワーバランスですか……それは、必要あるのですか?」
なんとなく疑問だったので首をかしげて聞いてみるとメトーデは指を立ててさらに身を乗り出してきた。
『大いにあります!私生活のパワーバランスとは心の距離感と相手への欲望に密接に関係します。その二つを把握することこそがこの相談の肝です。さあ、お話しください!さあ、さあ、さあ!』
ちょっと身悶えする様な様子のメトーデにフェルンは若干引きつつもユーベルを見てみると――
『まあ、私の経験からも否定はしないかなぁ。ラント君面倒くさいから。ちゃんと把握してあげないと』
「なるほど……」
どうやら重要らしいという事でフェルンは瞳を閉じて普段のシュタルクの姿を思い起こす。
(普段のシュタルク様……)
とにかく、いつも頑張っている。彼が奮闘する理由を問われれば自惚れでもなく家族のため。
出会った頃から随分と頼りがいのある凛々しい夫となったと思う――だというのに――
―― 『ごめんなァァァァ』
―― 『ごめんなさいっっ!!』
―― 『違う、フェルン!違うってば!!』
思い起こすのが揃いも揃って謝罪シーンなのはなぜだろう?
✧ ✧ ✧ ✧
『なるほど……想像に難くない関係性ですね。普段はフェルンさんがしっかりと手綱を握っていらっしゃるようですね』
「そうでしょうか?」
『聞く限りだと、シュタルクさんも……そうされることがお好みなのかもしれませんね。少しゲナウさんと似ています』
「はあ……」
何故かうっとりした様子で感想を述べるメトーデ。まるで極上の甘味でも口にしたかのような表情にフェルンは眉をひそめる。
『しかし、味わい深い!時々出てくる少し辛辣目な言葉の端々にフェルンさんの愛情が隠れていて……
どれほどシュタルクさんの事を頼り、甘え、情けない姿に心を打たれ、凛々しい姿に惚れ直し、そして……』
「……」
まるで、演劇の女優の様に声高に感想を語るメトーデ。あながち否定も出来ないような事をそこまで口にされるとコメントし辛い。
『フェルンさんが、その愛の重さと大きさを周囲に悟られてないと思っていそうな部分があまりにも尊い!!』
エイルを片手で抱きしめて、空いた手を虚空に、流れるような手つきで掲げるメトーデ。
『ああ!フェルンさん!これは尊いエンターテイメントとして極上の――』
『時々聞くけど、その”尊い”って、どういう感情なんだよ……』
メトーデが乗りに乗っている後ろでツッコミを入れたのはラヴィーネだった。
『失礼しました、つい、熱くなってしまいましたね……
しかし、普段のお二人の関係性やパワーバランス、そしてその他もろもろのことがまろびでました……御馳走様と言わせてください』
「まろび……?」
メトーデのテンションが高すぎてよく分からない。ユーベルに確認してみると。
『まあ、普通に惚気話だよね……何回”好き”って言ったか覚えてる?』
「覚えていません……」
『まーでも、ちょっと共感するところはあるから面白かったかなぁ』
「……そうですか」
なんだか一方的に、個人情報が流れてしまった気がする。しかしこれは相談するための対価であろうとフェルンは自分を納得させた。
『では、背景も把握したところで……具体的なフェルンさんの課題……夜の情事……もとい事情に関して切り込んでみましょうか』
✧ ✧ ✧ ✧
―― とりあえず、言えることも言えない事もあるのでいろいろと端折って説明した。
母親が何を言っているのか理解できない子供たちは、投影される像の先にいるお互いをじーっと観察してフリーズ状態である。
投影されている二人の赤ちゃんもシュタアルの方を睨んだまま。当人たちは互いの運命を未だ知る由もなく。
「―― と、いう感じです」
『なるほど。概ね理解しました。シュタルクさんは懸命なのですね。フェルンさんに愛を伝えたいと』
「はい……まあ、そうかも……?」
瞳を閉じ、口元に手を当て、深く頷きながらメトーデは納得した様子を見せた。そこはかとないドヤ顔がちょっと気になるが。
少し間を開け、隣に座るユーベルも頬に手を当ててニヤニヤしながら眺めている。
『つまり、フェルンさん』
「はい」
ビシッ!とメトーデはフェルンに指をさす。
『はっきりと言うと、愛の受け身姿勢過ぎです』
「っっ!! 愛の受け……身……?」
ズガーン!という擬音が背後に流れたような姿勢で固まるフェルン。そして、母の様子にキョトン顔のシュタアル。
「そ、それは……どどどど、どういう事で……しょうか?」
『おい、フェルンが動揺しているぞ。初めて見た……』
『うん……』
映像の向こうでラヴィーネがカンネに耳打ちしている。目の前で繰り広げられた様子が珍しかったらしい。
『フェルンさん、夜の営みとは夫婦の共同作業です。一方的ではいけません』
「一方的……私は、妻としてシュタルク様の気持ちを受け止める。それこそが妻の務めだと――」
『それです!!』
食い気味に、覆いかぶさる様な勢いでメトーデは身を乗り出してきた。
その場にいないのに威圧してくる謎の迫力にフェルンは気圧されながらのけぞった。
『確かに行為の本質はシュタルクさんからフェルンさんへと行われるものですが、思い出してくださいフェルンさん。
貴女は普段どのようにしてシュタルクさんとの関係性のバランスをとっているのですか?何故シュタルクさんは普段からフェルンさんに頭が上がらないのですか!?』
「それは……私が、シュタルク様に……攻めているから……!?」
画面の向こうでは相変わらずラヴィーネとカンネが半眼でひそひそ話している。
『攻めてる意識あったんだ……
いや、おい、これいいのか……?アドバイス求めたのは私たちだけどさ……』
『いいんじゃない。私はメトーデの意見に賛成かなぁ……うちのラント君も、こう、私から攻めると結果的に燃え上がるしねぇ』
『わからん……私たちには何が正解なのか……分からん』
胸元ではちょっと退屈になって来たらしいシュタアルが小さくあくびをしている。
だが、フェルンはメトーデの言葉に焦りを覚えていた。
「ですが、それは……愛しあう夫婦の営みとは……少し違うような……」
『あら、フェルンさん。ゾルトラーク必中、あまねく魔族を討つあなたが何を躊躇しているのですか?
いいですか。夫婦の営みとは一進一退の攻防、バランスを欠いてはいけないのです。
たとえ体力差があろうとこれは重要な事ですよ。貴女はシュタルクさんに―― 攻め負けているのです!』
「そ、そんな――」
フェルンは謎の敗北感でひざを折りそうになるが、母の矜持としてこれを耐える。
今はメトーデの言葉にも屈してはならないのだ。膝を折り、手を大地につけてはならない。
何故なら、今手元には眠くなってきてむにゃむにゃし始めたシュタアルを抱っこしているから!!
「っっ!!……分かりました。メトーデ様。認めます。私の姿勢がただでさえ体力差のあるシュタルク様に更なる付け入る隙を与えていたのだと……」
『なあ、カンネ……盛り上がってるけど私にはこの話の中身があるように思えないのだが』
『当人たちが楽しそうだからいいんじゃないかな……』
ラヴィーネとカンネが蚊帳の外になりながらも、ユーベルが『そろそろ私の出番かなぁ』と身を乗り出してきた。
『じゃあ、フェルンには私が今まで試してきて、うちのラント君に効果があったことのいくつかを教えてあげようか。口頭説明になるけどねぇ』
「そのように、日々、模索と鍛錬が必要になる……という事なのですね……感服しました」
『おい……いいのか……そんなこと赤裸々に語って。絶対お前の旦那怒るぞ』
『大丈夫。バレなきゃいいし、どうせばれてもラント君にするの私しかいないし』
『怖いよこの女……ファム・ファタルってやつだ……』
フェルンは一度瞳を閉じ、大きく深呼吸をしてから覚悟を決める。
「分かりました。ユーベル様お願いします。かつて、私の手を引き、生きるための魔法を教えてくれたフリーレン様の如く、私を導いてください」
『いいねぇ、その意気やよしってやつかなぁ』
『楽しくなってきましたねぇ』
半眼をあけながら薄く、至極楽しそうに微笑むメトーデと不敵に笑うユーベル。そして覚悟の表情のフェルン。
状況はカオスを極めつつある。若干後悔し始めたラヴィーネは小さくつぶやいた。
『私が一級魔法使いになれなかった理由、分かった気がするよ』
彼女の小さなつぶやきは――
「えっ、そっ、そんな……!まずは口で……ですか……!?まさか!さらに挟むのですか!?」
『フェルンなら出来るよ。間違いない』
ユーベルの話す過激なトークにかき消され、誰も聞くことはなかった。
■妻の矜持と先達の教え
―― 『いいですか。夫婦の営みとは一進一退の攻防、バランスを欠いてはいけないのです』
メトーデに言われた言葉を反芻しながら、フェルンはこれからの事を考えていた。
ユーベルから、効果的であることを教えてもらった。彼女から強調されたこと、それはまず、行為に至る前に攻めに転じる事。
通常の男女でもその傾向はあるが、相手はシュタルクだ。今や大陸屈指の戦士。その膂力には天と地ほどの差がある。
――『気持ちで、攻められていると思わせるだけでも違うから、いきなり始める前に試してみてよ』
そんなことを考えながら、午後からの業務を開始したフェルン。手元の仕事のタスクと目下の課題を切り離しつつも並列で思考する。
シュタルクの体力と精神はほぼ無尽蔵。だが、貯えた物理的な愛はある程度限界がある。要するに打ち止め……いや、満足させるまで耐え抜けばフェルンの勝ちといえるわけだ。
「つまり……至る前の、攻めの姿勢が重要……」
「フェルン様」
「――はいっっ!!」
碌でもないことを妄想している自覚はあったため、フェルンは突然声を掛けられてビクンと跳ね上がった。
「失礼しました。少々、隠密に過ぎましたね……」
「いえ、何でしょうライニ様。次の書類ですか?」
「はい。長らく黙々とお仕事を成されているため、休憩の紅茶とお菓子をお持ちしました」
よく見れば彼女の隣にはティーワゴンがあり、そこには紅茶のセットとスコーンとドーナツが並んでいる。
あと、何か古い書物が下段においてある。
「……おそらく、ご満足いただけると思いますよ?」
「分かりました。休憩を取ります」
表情を崩さぬライニ。おそらくフェルンへ何か言いたいことがあるのだろうとフェルンは頷いた。
✧ ✧ ✧ ✧
「これは……っ!」
「オルデン家のお庭番に伝わる、表48手、裏48手の極意の書でございます。
遥か昔の人の戦乱の時代、情報戦を行う我らは篭絡の秘術としてこのような技術を持っていた時期もございました。
今では頻繁に使われる手ではありませんが……」
「全く使われないわけではないと……」
その言葉に少しライニが困った表情をする。フェルンには分からない事情もあるのだろうか?
「実は現在、次期オルデン家当主であるムート様が縁談から逃げ回っておられまして……」
「……はい?」
「若い子達が……いわゆる玉の輿を……まあ、とにかくややこしいことが起こる前に、ガーベル様に依頼して没収――いえ、
取り寄せたものでございます」
何やらオルデン家も色々あるらしい。ライニは頬に手を当て、上品に困ったポーズを作っている。
「その件は大旦那様も懸念されておりまして、いずれご相談いたしますので、シュタルク様とご協力いただければと思います」
「はあ……」
で、目下のところフェルンに手渡された古い蔵書である。
古来この手の技術は口伝により不思議と伝わるもので、具体的な方法論はシュタルクとフェルンの様な身寄りのなかった2人には縁遠いものであった。
なんやかんや一子相伝で伝わる技術というものは不思議とあったりなかったりなのだが――
とはいえ、人がいて、生活水準が安定すれば必然的に子供も生まれる。
技術はなくとも愛と情熱でシュタアルは生まれた。とはいえ――
「こ、こんな……こんな方法論が……ライニ様!?」
思わず、目の前の人物を尊敬のまなざしで見上げるフェルンにライニは淑女の様に微笑み、優雅に頭を下げる。
「主の願いに万全を期して用意をする、これこそが使用人の本懐にございます」
「ありがとう……ありがとうございます!!これならば……シュタルク様に拮抗できる!」
「その意気でございます。フェルン様の覚悟こそはいずれ、クレ地方、ひいては大陸の平和と未来に繋がる、至高の宝にございます」
誰もツッコまないのでどんどん話が大きくなっていく。が、当人たちは至って真剣。
なんだか相手にされないので黙っていたが、おやつと一緒にやってきていたフリーレンはため息を漏らした。
「夫婦ってのは思ったよりも難しいんだなぁ」と胸元のシュタアルをあやしながらぼやいていた。
✧ ✧ ✧ ✧
「こ……こんな体勢で……、こんなことを……!!これが古くから伝わる技術!?」
「参考になりますか」
ライニから渡された秘伝の書を読み進めるフェルンはわなわな震える。
「分かりません……口で……そして、挟んで……更に、あんな体勢で……これをシュタルク様に!?全部しちゃって良いんですか!?」
「微妙にうれしそうだねフェルン……」
「………気のせいです。初めての試みに、不安で胸が張り裂けそうです」
いつもの表情でケロッと答えるフェルンにフリーレンは「そうなんだ」と返す。
「フェルン様。シュタルク様に負けないという心意気で挑めども、決して敵対者ではないのです。
これはあくまで、相互性のある営み……フェルン様がしたいことを、シュタルク様におねだりすることもまた手段」
「おね……だり……っ!?」
「そうでございます。おねだりとは、受けを装う高度な攻めの技術!」
「なるほど……そういう事ですね……。少し分かった気がします」
もう、この話に交じっても何も言えないのでフリーレンは黙っていたのだが、フェルンは一体何を理解したのだろうか。
「フリーレン様……教え子が育つ姿というものは、いつ見ても尊きものでございますね……」
「うん、魔法の話と今回の話は流石にちょっと分けて欲しいかな……。良いとか悪いとか無いけど、なんとなくね……」
フェルンのモチベーションは、俄然高め。頬をパシッと叩いた彼女は休憩を終えて残りの仕事を再開する様子だった。
「この状態から普通に仕事できるのすごいよね……」
「煩悩と瞬間の最優先事項のタスクを切り替え、あるいは切り離せるのは生存能力に直結しますから」
「……なるほど、確かに」
と、仕事の邪魔になるのも良くないので撤収しようとした矢先に、フェルンが顔を上げた。
「フリーレン様、ライニ様」
「はい?」
呼び止めたフェルンは、何か言いたげに二人の顔を見つめている。
「あの……その……今日は」
「どうしたのフェルン?」
「今日は!シュタアルを抱っこして寝たいので決行は明日以降で!」
どうやら、フェルンにもいろいろ事情はあるらしい。
「御意。フェルン様はシュタアル様の母親ですから、当然の権利でございます」
果たして、覚悟までの時間が欲しいのかそれとも川の字で眠らないと落ち着かないのか。
フリーレンの腕の中でフェルンに向かって手を伸ばすシュタアルを見ていると――
「まあ、どっちでもいいか」
フリーレンにとって大事なのはフェルンとシュタルクと、この子が笑顔でいることだ。
■夫と妻の事情
基本、フェルンより後に帰宅するシュタルク。
そんな彼は帰宅したらまずフェルンにお洗濯の魔法をかけてもらい、手を洗うと真っ先にシュタアルのもとへと駆け付けて抱っこしようとする。
が、本日はフェルンに捕まり――
「なんで耳掃除?夕食の準備は?」
「したくなったからです。もうほとんど終わってます」
「そうなんだ……あふっ」
ちなみにシュタアルは、横になっているシュタルクの胸元にちょこんと鎮座し、お父さんの顔をぺしぺしし始めた。
「シュタアル~お父さん今動けないからぁ、唇掴まないでぇ……」
「あ~う~」
とまあ、この様にフェルンが普段と違う行動をとるときは、大体何か言いたいことがあるのが定番だ。
「あのさ、フェルン。なんかあった?」
「別に何も……」
「そっか……」
油断した瞬間のシュタルクの耳の弱いところに、フェルンの吐息が吹きかかる。
「ちょっ!何なのぉ!?」
「いえ、細かい感じのが取れたので……つい。まったく。完全に他意はありません」
(いや、全然なんかあるなこれ)
どうも先日から、いろいろ調べ事をしている様子なのはシュタルクもなんとなく把握している。
切っ掛けとなったのは先日の休日前の夜の逢瀬からだ。
(あれはいろいろ、ダメだったよなぁ……無理させちゃったもんなぁ)
だが、どうしても、湧き上がる感情は抑えきれない時があるのだ。普段は完全にシャットアウトできているのに。
一度解放されると、どうにも収まらない。というのは、長年の精神修行と旅の間で培われた本能的自制心によるものだ。
旅の間の寝食を共にする同世代の女性に対してよこしまな感情を抱くのはとても失礼に当たる。
本能的にそう感じて、シュタルクは鉄の精神で雁字搦めにした感情がある。
それはどんどん膨らんでいたことを見て見ぬふりをし続けて……膨張限界を迎えた旅の末……解放していいことになってしまった。
許しを得てしまったのだ。求められてしまった。という訳で、なかなか止めがたいのだ。
とかなんとか、考えていると――
―― シュタルク様、気持ちいいですか? ――
掃除中の耳のすぐ近くで吐息を漏らすようなフェルンの声が聞こえた。
「はうっ!!ちょ、ちょっとフェルン」
「失礼しました。シュタルク様終わりです。反対にしましょう」
「は、はい……じゃあ、フェルンが移動して俺も逆向きに……」
立ち上がろうとすると頭をロックされる。
「不要です」
「いや逆側でしょ?反対向かないと!」
「シュタアルと一緒に私の方を向いてください……」
「まってくれ、だって……!」
「何か問題が?」
「ありません……」
逆らえない圧を感じ、しぶしぶ逆側を向く。
膝枕状態でフェルンの方を向くと、当たり前だが物凄くフェルンの良い匂いと温度を感じる。
一体どうしたというのだ、夕飯の支度はどうしたのだろうか?
(聞ける感じじゃないなぁ……)
✧ ✧ ✧ ✧
一方のフェルンはユーベルの言葉を思い出していた。
『耳はねぇ……色んな神経が集中してるんだよ。だからね、拷問するときにも良いんだけど。そうじゃない時にも攻める価値がある』
なるほど。と思う。シュタルクの耳掃除は今までも何度か行って来た。
――が、攻める糸口という発想はなかった。確かに、いかな超人ともいえる夫のシュタルクでも、耳の中は鍛えられない。
いや、当人がその気になれば鍛えるかもしれないが、普段の耳掃除を思い起こすと、今のところはそうではないようだ。
(こういう事なのですね、ユーベル様、メトーデ様、ライニ様)
納得した様にコクコク頷く。おそらく耳の中でも神経が過敏に反応してしまう場所に触れると――
「あふっ!!」
変な声を上げて、びくっと肩が跳ねて反応する。
「ふふふ……ふふふっ」
「何?どうしたの?」
「いえ、天啓を得てしまいました」
「耳掃除中に?!何なの怖い!」
母のおかしな様子に、シュタアルもちょっと驚いた表情をみせていた。
「ちょっ、耳掃除中でよく分からないけどフェルンどうしたの?あと夕飯の準備は?」
「ふふ、シュタルク様、ちゃんとしますよ。だからもう少しだけ我慢してくださいね」
という言葉と共に吹きかけた吐息にシュタルクは「ひゃう!」というどこかの拳法家のような変な奇声で答えた。
―― これは、勝利の道筋が見えたかもしれない ――
と、この時はフェルンも思ってはいたのだ。
✧ ✧ ✧ ✧
その後、フェルンから時々鋭い視線を向けられてはびっくりしていたのだが、
結果論から言えば、特になんという事もなく就寝の時間になった。
「シュタアル~、今日はお父さんとお母さんと一緒に寝ような~」
こういう日の夜は早い。
普段はベッド脇のベビーベッドで寝かせているのだが、今夜はフェルンの強い希望もあり、シュタアルを真ん中に置いて寝るための準備をする。
シュタアルも完全におねむモードなのでずっとむにゃむにゃしている。すごくかわいいので頬ずりしたい衝動に駆られるが、起こしてしまうからと必死に自制した。
「おやすみなさい、シュタルク様、シュタアル」
「うん、おやすみ」
支度も整い明かりを消して布団に入り、川の字というにはまだシュタアルが幼いのだが――そんな体勢で眠りについた。
この状態になるとシュタルクもフェルンも完全にお父さんお母さんモードになるので、いわゆる煩悩的なものが全く湧いてこない。
そして湧いてこない故に、ちょっと今日の様子が気になってしまう。
明鏡止水の如く清らかなる気持ちで、今日の耳掃除中のフェルンを思い出すとなんか、背中がこそばゆくなってきた。
「なあ……フェルン……やっぱなんかあった?」
「いえ、何も……」
と、いう彼女を真ん中のシュタアル越しに見ると口元は微笑んでいる。
「??」
なぜか、勝利を確信したかのような顔だった。普段見せない顔も可愛いなと思いつつも、長年鍛えた冒険者としての体はすぐに深い眠りに落ちてくれたようだった。
■決戦の夜
翌日、いつも通り仕事を早めに終えたフェルンはライニからシュタアルを受け取って、いそいそとドレスルームに向かった。
この部屋は実質的にほぼフェルンの私室となる。フリーレンは寝室も兼ねた一人部屋があるのでそこで事足りる。
クローゼットに入れるべきものがシュタルクの礼服とあとはフェルンの服ぐらいしかないのだ。
それはさておき、シュタアルを小型のベビーベッドに寝かせると、部屋の片隅の小箱を開けた。
そこにはライニから受け取った秘伝の書が収められていた。
表48手と裏48手の技術が書かれた書籍である。
「せめて、いくつかは手順を覚えて……シュタルク様を討ち取る!」
当人が聞くと、涙目で「なんでぇ?」といいそうな妻のセリフだが彼女は本気である。
真剣に本を読み込み、流石に実践できないので、脳内で対シュタルクを精密にシミュレートする。
(シュタアルが生まれる前から、何度も何度もシュタルク様と対峙した……今の私であれば、形、大きさ、動き、感触、匂い、全て予測することは造作もない)
椅子に座り、背筋を伸ばし、瞳を閉じて、静かに集中する。魔力を研ぎ澄ますときの感覚と同じ。
「……シュタルク様のあれを……こう掴んで……足を絡めてこう……」
しかし、脳内のシュタルク像はそう安々とフェルンの想定通り動いてくれない。
「……まさか、シュタルク様!そのような体位で、攻勢に転じる……!?」
手強い。脳内シミュレートなのに。いや脳内シミュレート故にか。
実際のシュタルクは精神に脆弱性がある。言葉責めか、あるいは態度で押せば必ず初手はたじろぐ。
もちろんここまではフェルンも過去何度かやれた話だ。シュタルクは精神的スロースターターである。
徐々に温まってくると、リミッターがはちきれるのだ。単純にそうなると手が付けられない。
だから、そのリミッターが外れないうちに、骨抜きにし、優位を取るのが今回のフェルンの狙いである。
「責め、甘え、おねだり、甘やかし。手札は複数ある。いったいどれが有効か……」
そしてその狙いを達成するためには、脳内シミュレーションだけでは足りない部分が多々あると彼女は気付いていた。
「やはり、経験が足りません。ですが――」
頬を両手で挟み込むように軽く叩き気合を入れ直したフェルンは、背筋を伸ばして決意を新たにする。
「足りない分はシュタルク様への気持ちで補いますッッ!」
そう、最後はやはり本番の実践の中で磨く。常にアップデートしていくのだ。
どのようにすれば、相手はどう反応するのか。観察し、思考し、いくつかの対策分岐点を準備し――
(待っていてください……シュタルク様)
なお、ベビーベッドで寝転ぶシュタアルは「?」という顔で真剣に思案する母の姿を眺めていたが、
「あ~う~」
そろそろかまって欲しくてじたばたし始めた。
✧ ✧ ✧ ✧
ちょっと拗ねそうになったシュタアルを可愛がった後、本日の夕食の準備を始めたフェルンにフリーレンが声をかけてきた。
ちなみにフリーレンの腕には、料理中お任せされたシュタアルが収まっている。
「……地走鶏の肉、ニンニクと香草……フェルン。今日は随分と、体力の付きそうな夕食だね」
「はい、相応に気合を入れようと思いまして」
「そうなんだ、でもいいの?シュタルクも食べるよね?」
一応、事情を知っているフリーレンは不思議そうに問いかける。
フェルンはシュタルクとの体力差を懸念していたはずと首をひねっている。
師匠らしい素朴な疑問の持ち方にフェルンは苦笑した。
「シュタルクも元気になるけど」
「はい、ですが、シュタルク様が元気じゃなかったら、そもそも本末転倒です」
「……あ、そうなんだ……そういうもの」
「はい、そうなんです」
そんな二人のやり取りに背後から、メイドのライニがフリーレンへと補足する。
「フリーレン様。おっしゃる通り敵対する相手との闘いであれば、貴方様のおっしゃることは正しい。相手の弱体化は戦術の基本です」
「まあ、そうだね」
「ですが!」
声を張り上げるライニは胸に手を当て真剣なまなざしでフリーレンに告げる。
「これは、戦いではなく夫婦の情事!夫を弱らせるのは妻の矜持に反するのです!
もちろん、この程度でシュタルク様が弱ることはありません。しかし、お互い万全の状態で相対する事こそフェルン様の妻としての愛なのです!」
「そ、そうなんだ……」
思わず、フリーレンはシュタアルと共に呆ける様な顔で見上げてしまう。
「やっぱり夫婦って難しいね……シュタアル」
「あう~」
論理と理屈で考えると、愛という非合理的なブースターがあってなかなかフリーレンの思考と一致しない。
「まあ、フェルンが楽しそうならいいか」
しかし、フリーレンから見て今のフェルンはここ最近でもなかなか見ないぐらいに足取りが軽い。
背中から『楽しみで仕方ない』という気持ちが見て取れる。
「君のお父さんとお母さんは昔から、私の想像の上を行く……」
フリーレンを見上げるシュタアルはまだ状況は理解不能という純真な顔。
いたいけな子供に状況を理解させたい訳でもないが。
「いつか話せるようになるかな。楽しみだね」
フリーレンはテーブル席に座ってからシュタアルのほっぺたをぷにっと手で挟んだ。
✧ ✧ ✧ ✧
「たっだいま~」
「おかえりなさい、シュタルク様」
台所から手を洗ってタオルで手を拭きながらパタパタと新妻スタイルで出迎えるフェルン。
上着を受け取って、服の汚れをきれいさっぱり落とす魔法で綺麗にする。
「ありがとう、フェルン。シュタアルは?」
「ここだよ。おかえりシュタルク」
フリーレンがシュタアルを抱っこした状態で現れた。
「うん、ただいま。シュタアル~お父さん頑張ってきたぞ~」
我が子を受け取ったシュタルクは、嬉しそうに頬擦りをしてから高い高いと持ち上げる。
既にそう言う扱いには慣れっこのシュタアルはキャッキャと歓声を上げながら喜んでいる。
「シュタアルと交流しているところ悪いんだけど、今夜はシュタアルは私と一緒に寝るからね」
「え、そうなの?」
「そういう日だから」
後ろのフェルンに視線を向けると、ちょっと赤くなりながら小さな咳ばらいを落として頷いた。
(あー、そういう日?)
フェルンが、スススっとシュタルクの隣に近寄ってきてきゅっと腕にしがみ付いてきた。
「えっ、と……フェルン?」
「……あの、お夕食、いっぱい食べてくださいね」
「え、あ、うん……」
なんだか、フェルンの仕草と匂いが甘々しくて一瞬クラっときた。
シュタルクは額を押さえながら、心を穏やかに我に返れと自身に言い聞かせる。
「……」
「あの、どうしたのマジマジ見て」
「いえ。なんでもありません。手を洗ってから居間に来てください」
「分かった」
なんか、ちょっといつもと違うなぁとぼんやり思う。いや、まったく、ちっとも、シュタルクはなにも困らないのだけれど。
✧ ✧ ✧ ✧
「なんか、元気出そうな夕飯だな」
夕食のテーブルに並ぶ、鶏肉の料理には食欲をそそる匂いのソースがたっぷりとかかっている。
香草と相まってとても美味しそうなんだが、一言で言うならものすごくスタミナが付きそうなタイプの料理だ。
いやいや、間違いなく物凄く美味しそうなんだけれど、どこか意図を感じずにはいられない。
「そうですね。毎日頑張らなければなりませんから」
「まあ、確かに……」
うん。きっと、言葉通りの意味だろう。他意はない。だって毎日頑張らないといけないから。
シュタルクはお父さんなのだ。家族の為に元気であらねばならない。
「では、日々の恵みに感謝して」
3人で両手を合わせて、日々の糧への感謝を告げた。
シュタルクは瞳を閉じて、大きく深呼吸してからフォークとナイフを握った。
「よし、フェルン。食べるぞ」
「はい。召し上がってください」
フェルンが若干赤くなりながらこくりとうなずいている。
普段、表面的に感情が読みづらい彼女の考えがなんとなく読めるようになってからはや何年か?
小さな瞳の動きや口調、様々な仕草から大体わかる。そんな彼女がちょっと赤くなってるのは相当である。
(今夜は楽しみにしているって事か……?)
二人が、本格的に行為に及んだのは結婚式で祝福された日の夜だ。
シュタルクがフェルンへと想いを伝えたあの日からずっと心の中には彼女に触れる以上の欲望を持った獣がいて。
最初はフェルンがそれをどう思っているのかよく分からなくて。首輪をつけ鎖で雁字搦めにしていたけれど。
それを彼女も求めていることがある日から分かった。
我が子のシュタアルが生まれて時間が経った今改めて分かるのは――
彼女も心に何かを飼っていて、それが常にシュタルクを求めているということ。
それにはうまく応えてあげたいとは思うのだけれど――
(つまりは、そういう事なんだな!フェルン!)
並々ならぬ覚悟を込めてシュタルクは夕食の肉を咀嚼し、飲み込んだ。
と、どこか大げさな二人だが。結局のところ『今夜は頑張るぞい!』というだけの話なのでフリーレンは半眼でぼやく。
「ねえ、フェルン、シュタルク……もうちょっと、なんか会話しようよ。
決戦前の冒険者みたいな不敵な顔で笑ってないでさ……」
「はい、フリーレン様。賑やかな夕食にしましょう。
そうですね、シュタルク様は攻撃と防御どちらがお好みですか?」
「何の話?」
フリーレンの言葉にフェルンが反応し謎の質問が飛んでくる。
「俺は……攻撃かな」
苦笑して答えるシュタルクにフェルンは微笑んで応じる。
「そうですか、今日は私もです」
「うふふふ」「ははは」と笑う二人にフリーレンは深いため息を漏らす。
彼女はベビーベッドでキョトンとした顔をしているシュタアルの方に視線を向ける。
「シュタアルに弟妹が出来るのは割とすぐかもね……」
と二人に聞こえない程度の声で小さく呟いた。
■二人の寝室事情
浴室で髪を洗い、身体を清めたフェルンは寝室に向かう。
扉の前でドアノブに手をかけた彼女は大きく深呼吸を行う。
「髪OK、身体綺麗、匂い問題ない、技術は今できる範囲で、気持ちと愛は――」
ガチャリと開いた扉。ベッドの上には座禅を組んで瞳を閉じているシュタルクの姿があった。
おそらくは精神統一をしているのであろう。
「――あふれて破裂しそうです……シュタルク様」
ちょっと大げさな気もするが、今回は自分も大概なので甘んじて受け入れる所存。
そして、流石、伝説の魔法使いフリーレンと一級魔法使いフェルンを守り続けた最強の戦士シュタルク。
フェルンから見ても今の夫には全く隙が無い。家の寝室ではフェルン以外に特に襲ってくる存在もいないのだが。
「フェルン……今夜は、いつもとは何か違う。俺にだってわかる」
「はい、シュタルク様。今夜は、いつもの私ではありません」
フェルン自身に一切の隙は無いが、気持ちは”好き”で満ちている。
あふれ出す想いで震えてしまう唇を噛みしめて、フェルンはシュタルクが座るベッドへと歩を進めた。
✧ ✧ ✧ ✧
扉を開けて、部屋に入って来たフェルンの姿。薄い月明りに照らされた美しい肌と髪。引き込まれるような瞳。
何度見ても綺麗だと思うし、気持ちが高ぶってしまう。
旅の頃の寝間着に比べると、定住してからは薄手で綺麗なシルク生地を着る夜のフェルンはまさに月の下で踊る妖精の如く――
と、シュタルクは本気で思っているが、ちょっと前にそう言うとポコポコされたので口には出さない。
精神統一の姿勢を解いたシュタルクが椅子の上に座ると、目の前のフェルンに向かって両手を伸ばす。
こういうふうに迎え入れるとフェルンは割と喜ぶ。
「シュタルク様。今日のために私は様々な努力をしてきました」
「えーと、前に言っていたズルいって話の答え?」
そうすることが当然の様に、フェルンは膝の上に、いわゆる”お姫様抱っこ”の状態で収まる。
「はい。いつも、こういう時はシュタルク様任せにし過ぎていました。だから今日は――」
「今日は?」
シュタルクの首に絡めた腕を引き寄せ身体を密着させて抱きしめる形になり、フェルンはシュタルクの耳元に口を寄せる。
「私も、出来る事をしようと思います。夫婦とはそうあるべきと聞きました」
「そうなんだ……」
夫婦とはどうあるべきかという話はシュタルクにも実はよく分からない。
ずっと、今まで、多少の見聞きした知識と、身体に刻まれた本能で彼女に愛をぶつけてきた。
「分かった。フェルンの思う様にしよう」
「……はい。では、覚悟してください」
抱きしめられた姿勢から、ベッドを背に、フェルンが覆いかぶさる様に倒れ込む。
倒れ込んだと同時にフェルンが耳たぶに甘噛みしてきた。その感触にシュタルクは思わず変な声を漏らした。
✧ ✧ ✧ ✧
(今まで学んだことを生かして、シュタルク様を――)
そんな決意を胸にフェルンはシュタルクの身体に触れていく。フェルンが触れた箇所からぞくりと鳥肌が立ち、シュタルクも耐えているのが分かる。
(ユーベル様、メトーデ様、攻めの姿勢の心得、活かさせていただきます)
シュタルクの触り心地の良い、弾力のある筋肉の溝を指でなぞりながら耳から首筋へ舌を這わせていく。
神経が集中する場所というのはとにかく敏感であり、その場所を相手にゆだねるというのは服従感という快楽を脳に刻み込む――
という倒錯的な発想はユーベルから聞いたのだが、シュタルクの表情を見ると、なんとなく納得は出来た。
「シュタルク様……我慢してないで、声を聞かせてください」
「……フェ、フェルン……いったい、どこで」
いつもフェルンがされるように、今度はシュタルクの首筋に吸い付く様に口を付ける。
その後につく痣はまるで自分の所有物であることをアピールしているようにも見える。
いっそ肩口と首筋を痣だらけにしたくなる嗜虐心に襲われてしまう。
「たくさんの知己に先人の知恵を学びました。総力を結集し、今日はシュタルク様を蕩かします」
「ちょっ!ふぁ……」
シュタルクの上着を剥ぎ取り、いよいよ、ここからが本番だとフェルンも息を飲んだ。
✧ ✧ ✧ ✧
フェルンからの猛攻。これはシュタルクの想像を絶するものだった。
何が?何がと言われると説明が難しい。もどかしい、こそばゆい、切ない、ぞくぞくするという感情が全部合わさって、なんとも言えない感情が渦巻いている。
「くっ……!フェルン……!くぅ……!あぁ……っ!」
「48手の一つ、『竜の谷渡り』です。谷を這うが如く蠢く竜の動きからそう呼ばれた技術です」
要するに腰から腹筋を上るようにフェルンの愛撫と舌が迫ってきているのだけど48手って何なんだという疑問が尽きない。
そんな感じで、フェルンは不敵な笑顔、妖艶な眼差し。嗜虐心が乗った表情で、色んなことをしてくる。
「シュタルク様……私にも……」
一方的に攻められ、仰向けになったシュタルクの上にフェルンが馬乗りになるその刹那――
―― 立て。シュタルク。
―― どんなにボロボロになっても倒れることだけは許さん。
―― 戦士ってのは最後まで立っていた奴が勝つんだ。
(師匠……俺は……)
シュタルクの脳裏に師の言葉が浮かんだ。そう、愛するが故にここで果てるわけにはいかないのだ。
隆起する分身はすごく元気だが、臨界領域に達する訳には――
(――そうだ、俺はまだ……)
「シュタルク様、今日こそは、私の中で果てていただきます――」
(俺自身に負けていられないっっ――!)
瞳を開いたシュタルク。その覚悟に染まった視線は旅の中でフェルンも何度も見たことがある。
頼りになる、勇ましく、たくましく、美しく、惚れ続けたその真っ直ぐな視線はフェルンを捕らえている――
「フェルン。俺も、ここで気持ちで負ける訳には」
―― シュタルクの心の中の獣が、自らの首と身体を雁字搦めにしていた鎖を噛みちぎり
「――いかない!」
「シュタルク様――!」
解き放たれた――
と、大げさなことを言っているが、要するに頑張るフェルンを前に興奮しすぎて我慢できなくなっちゃっただけなのである。
✧ ✧ ✧ ✧
星空と花畑の中。シュタルクと手を取り合い、思いをぶつけ合った日。
『だから……その。―― 俺のお嫁さんになってくれますか!?』
『はい!喜んで!』
月夜の下で、お互いのわだかまりを捨てて、ようやく不器用な二人の道が一つに重なったあの日からずっと――
『私もずっと、今でも。シュタルク様のことが、大好き――』
伝えた言葉は何一つ、変わることもなく、歪むこともなく――
ただひたすら大きくなって、日々膨らんで、抑えも利かないまま、今、ここに――
✧ ✧ ✧ ✧
ふわふわとした夢見心地。とても幸せで、もうこのまま、蕩けてしまいたい――
言葉に出来ない感覚に包まれている。蕩けてしまって――で、今日はそれで良かったんだっけ?
というセルフツッコミで我に返った瞬間、フェルンは自身が眠りに落ちていたことに気付いた。
「――はっ!?」
「お、気が付いた?」
そんなフェルンに声をかけてきたのは、隣で微笑んでいたシュタルク。
「私……眠って……!?」
「あー、うん。さっきまで幸せそうに寝てた」
シュタルクの言葉にフェルンは悔しそうに奥歯を噛みしめた。
予定では、立場が逆で、『気が付きましたか、シュタルク様?』と耳元で囁くつもりだったのだが。
「……万全を期して挑んだのに……」
フェルンの悔しがる表情に、シュタルクは優しく微笑んで頭を撫でた。
だんだん頬が膨れていくフェルンは、シーツを奪い取る様に引っ張って顔を覆って隠れる。
「まあ、俺もさっき起きたばかりだけどね」
「……」
怒っている様子でもないフェルンをシーツごと後ろから抱きしめると、ビクンと震えるのが分かった。
ふてくされているのか、照れているのか、あるいはそのどっちもなのか。どっちにしても可愛らしくて愛おしい。
「今日、ヤバかった……途中で気を失っちゃうかと思った。いや、途中からよく分からなくなったけど」
「……」
「こういうのもいいなって……」
シーツから顔を半分だけ出したフェルンはシュタルクの方を見つめる。
「……えっち」
「はい……自覚しております」
「シュタルク様の超えっち……底なし助平さん……」
「はい……俺は、フェルンに対してえっちです……だから顔見せてよ」
くすっと小さく噴き出したフェルンはゆっくりと顔を見せた。
「結局どうしたの?なんか気合入ってたし、ちょっと前にも『ムカつきます』って言われたし」
「……不公平だったかなって思ったので」
「不公平?」
フェルンの言葉の意味が分からずシュタルクは首をかしげる。いつもの行為に不公平性ってなんかあっただろうか?
「……私ばかり、シュタルク様から愛を受け取っているだけの様な気がしてて」
「そう、かな……?」
本気で分からなそうなシュタルク。だが、彼の場合はそうなんだろうなとも思った。
「私もシュタルク様の事が大好きなのに、シュタルク様の方が私の事を好きみたいでなんかムカつきます」
フェルンはシュタルクの頬を掴んでムニッと横に伸ばす。
「シュタアルの方がぷにぷにもちもちで柔らかくて気持ちいいですね」
「赤ちゃんと比べないで!でも、そんなこと気にしてたのか」
苦笑したシュタルクにフェルンが頬を膨らませて「大事なことです!」と付け加える。
「俺、フェルンから愛されてるって、毎日感じてるけどなぁ……愛の負債抱えない様にいつも必死だぞ?」
「……じゃあ、もっとがんばります」
シュタルクの言葉が嬉しくてフェルンは背中に手を回しながら顔を胸に押し付けた。
張りのある筋肉質な体の感触と、独特の匂いが心地いい。
「お手柔らかに。今日は俺もこのまま寝たいな――」
「じゃあ、離さないでください……おやすみなさい……シュタルク様」
微睡むなか、お互いの体温と感触と匂いだけが確かで。思ったよりもすぐに二人の意識は眠りの中に落ちるのだった。
■そんな二人の家族事情
しばらくは、そんな攻防が2日に1度は続いた。毎日じゃないのはシュタアルを抱いて寝ないとフェルンとシュタルクも別の限界を迎えるため。
しかし、だ――そのペースで何の対策もなく、解き放つだけ解き放つとどうなるか。火を見るよりも明らかな結論がある。
領地開拓で多忙を極める最中、別の意味でも盛り上がってしまった結果であった。
「シュタルク様、私もちゃんと手伝いますからしっかりと――うっ!!」
「フェルン!?」
口元を押さえて、洗面所に向かうフェルンを呆然と見送るシュタルク。
「おや、これは……」と、ライニは苦笑いを浮かべている。
簡単に言うと、シュタアルがまだ1歳にも満たない頃に、年子の誕生が確定してしまった。
✧ ✧ ✧ ✧
「ラヴィーネ様、カンネ様。聞こえますか?」
『おー聞こえてるよー』
「ご無沙汰しております」
『久しぶりー。で急にどうした?』
「はい、先日のアドバイスに関して、なんというか、お礼を差し上げるべきかなと思いまして」
『どうしたの?』
いわゆる先日の通信用アーティファクトでラヴィーネ&カンネと通信中である。
「はい。実は――」
という訳で、ここ最近の経緯を洗いざらい説明することにした。
色々あって、まだシュタルクを完封するには至らないが、なんとなくフェルンとしては納得のいく形になった。
納得でもしなければ再戦は随分と先になるし、濃密に堪能したというかさせられたというか――
「とりあえずお礼をした方が良いかなと」
『なんか微妙に惚気の気配がするが……』
「いえ、あるのは、全く普通の、ごく普通の夫婦の日常です」
✧ ✧ ✧ ✧
『聞くんじゃなかったぁ!!』
『ねぇ……何だろうねぇ……私たちもそろそろ、いい人見つけないとねぇ……何処にいるんだろうなぁ……』
投影される先では這いつくばるラヴィーネが何故か悔しそうに地面を叩いている。
「いえ、これはただの序の口で、決め手となったのは、おそらく48手の第5の業の女神像抱きという――」
『説明しなくていいよ!』
『名前が罰当たり過ぎだねぇ……まぁ、なんにしてもメトーデさん呼んでくるね……多分喜ぶよ』
カンネはよろめきながらテーブルに置いてあった水差しから水を右手に集めて魔法で鳥を形成する。
『んでぇ、これからどうするんだ?』
「どうもしません。いつも通りです。シュタルク様とフリーレン様と一緒にクレ地方の復興をしながら待ちます」
『そーかい……楽しそうでよかったよ』
✧ ✧ ✧ ✧
『フェルンさん!お伺いしましたよ!おめでとうございます!!』
『フェルンおひさー。聞いたよー。頑張ったってねぇ~。成果出すぎちゃったねぇ』
ドタバタと映像の前にやってきたのは、あの日と同様にそれぞれの娘を抱いたメトーデとユーベルだった。
今回もメトーデを呼びに行ったら偶然にもユーベルも見つけてしまったらしい。フェルンとしては手間が省けたという所。
『フェルンさん!どうでしたか!あれから気になって気になって気になって、あまりに気になりすぎて眠れなかったのでゲナウさんに発散してもらう日々でした』
「そうですか。大変でしたね。ゲナウ様にお疲れさまですとお伝えください」
『伝えておきますねー』
のほほんとエイルを片手に応えるメトーデはいつも通り。
『私のアドバイス役に立った~?』
「はい、ユーベル様の言う通り、人の急所は……重要ですね。研究しておきます」
『危ないことしちゃだめだよー。魔法で切り裂くとか絶対にね~』
彼女も娘を抱いたまま、いつもの表情でにこやかに告げる。
後ろのラヴィーネとカンネが『こいつ、いけしゃあしゃあと……』とぼやいていた。
『ま、なんにしても、二人目か。これから大変だな』
「そうですね、しかし、一度経験したことなので、多分何とかなると思います」
そう、これから目指すフェルンの目的からするとまだまだ道半ば。
「フリーレン様と約束しましたし、シュタルク様も協力しあっていこうと誓いました。だからまだまだです」
『……まだ、頑張るのか、すげえな。頭上がらねぇよ』
「縁があればすぐですよ。リヒター様も応えてくれます」
『おい、こら、喧嘩売ってるのか?』
「いえ、老婆心です」
ラヴィーネは『こんにゃろぉ』とぼやいてから苦笑いして『まあ、そっちも頑張れ』と付け加える。
『なんかあったら私たちも手伝うからいつでも呼んでよ~。フリーレンと旦那様にもよろしくね』
「はい、ありがとうございます。では、また近いうちに」
通信をそろそろ終了しようと手をかざすと、笑顔のメトーデがひょっこりと顔を出す。
その腕にはエイルが収まっていてこちらをじっと見つめている。いや、多分フェルンの腕の中でうとうとしているシュタアルを、と思われるが。
『ところで、フェルンさん、シュタアル君ですけど、うちのエイルに会わせてもらえますか?』
『あ、ずるーい。ヘリヤが珍しくずっと気にしているからうちもー』
メトーデの呼びかけに横からぬっとユーベルが出てきた。
「機会があれば、ですが、さすがにこの歳の子と一緒にオイサーストまでは行けません。いずれもう少し大きくなったら一緒に伺いますよ」
それには二人もまあ仕方ないか、という顔を見せた。クレ地方からオイサーストまではどんなにぶっ飛ばしても数日かかる。
赤ん坊を連れての移動は無謀というものだ。
『何なら、許嫁にどうです?』
「それも、この子達が自らの意志で決めることです。親が先んじて決めてしまうようなことはしません」
『フェルンらしいね。まあ、私たち貴族じゃないし。じゃあ、いつか出会う可能性に期待しよっか』
「はい、それでいいと思います。ではまた」
通信を終えたフェルンは、ふぅっと一息つく。
胸元に抱きついたまますやすやと眠るシュタアルの頭を優しく撫でて、フェルンは苦笑してしまう。
「シュタアル。妙に人に好かれるところは、お父さんに似ていますね」
概ね伝えるべきことは伝えたと立ち上がると、背後の扉が開き、シュタルクとフリーレンが顔を見せる。
「フェルン。話し終わった?」
「はい、つつがなく。フリーレン様。皆さんもよろしくと」
フリーレンが、シュタアルを受け取り、シュタルクは立ち上がるフェルンの手を取る。
「大げさですよ。まだ普通に動けます」
「いいの、俺が安心するの!心配させて!」
夫らしい心遣いにフェルンは口元を綻ばせ、彼の腕に手を回してからしがみ付く。
「じゃあ、こうします」
「おう。それが一番安心だ」
「シュタルク様……勝負は、また10か月ほどお預けです」
「それまだ続いてたの?」
困った顔をするシュタルクにフェルンは腕に力を込めてより強く身体を寄せる。
「ずっと続きますよ」
「そっか、そうかも……? とりあえずライニさんが今日の体温を測りたいって待っているから行こうぜ」
「はい。シュタルク様」
そうして、シュタルクとフェルンは寄り添ったまま部屋を出て行く。
やれやれと呟いたフリーレンはシュタアルを抱いたままその後に続く。
「シュタアル、楽しみだね。君はお兄ちゃんになるんだよ」
自覚を持つにはまだ早いであろうシュタアルは気持ちよさそうに眠ったまま。
もう少しすると更に賑やかになるのだろう。そんな未来に胸躍らせながらフリーレンは歩きだした。
~ 新妻フェルンの寝室事情改善生活 fin ~