橙との戦いを終え、マヨヒガの境界を抜けた俺は、再び空へと飛び出した。
冷たい外気が、一瞬だけ肌を刺す。だが、上に向かうにつれて、その冷たさが変わっていく。
暖かい。
下よりも、明らかに暖かい。雪が降り続ける幻想郷の地上とは、まるで別の季節だった。高度を上げるごとに、桜の花びらが増えていく。白とピンクが混ざり合っていた空が、上に行くにつれてピンクだけになっていく。花びらが、雪ではなく花びらだけが、空を舞っている。
雲の上から、降ってきている。
春が、上にある。それは間違いない。
「……暖かいな」
俺は呟いた。誰に言うでもなく。
この暖かさの中に、霊夢の記憶が重なった。桜が咲いた博麗神社の、あの春の暖かさと、似ていた。霊夢が好きだった季節だ。縁側に座って、桜を眺めて、お茶を飲んでいた霊夢の記憶が。
その記憶が、今の俺には、ひどく遠く感じた。
霊夢がこの暖かさを取り戻したいと思っていたなら。この春を、幻想郷に返したいと思っていたなら。俺がやるべきことは、一つだ。
上へ行く。春を取り戻す。それだけだ。
その時、気配がした。
小さな気配が、複数。上の方から、降りてくるように近づいてくる。妖精だ。だが、さっきの氷の妖精たちとは違う。この気配は、暖かい。春の気配を帯びている。
「……春告精か」
俺は呟いた。霊夢の記憶が、その存在を教えていた。春を告げる妖精。春が来ると自然に現れ、春の訪れを人里に伝える存在だ。本来なら、今頃は地上で春を告げているはずの存在が、なぜここにいるのか。
妖精たちが、俺の周りを取り巻いた。羽根を持った、小さな妖精たちが。その手に、春の花びらを抱えている。桜の花びらを、大切そうに。
「巫女さんだ!」
春告精の一人が叫んだ。高い声で。
「こんなところまで来たの?」
「春を取り戻しに来た」
俺は答えた。
春告精たちが、顔を見合わせた。何かを迷っているような顔だった。だが、やがて一人が頷くと、残りも次々と頷いた。そして、弾幕を展開し始めた。小さな光弾が、春の花びらのような形で、俺の周囲に広がっていく。
「じゃあ、ここを通してあげるわけにはいかないわ!」
「なぜだ」
「だって、春はまだ向こうにあるもの!誰かが呼んでるんだもの!あたしたちは、その人のために春を運んでいるんだから!あたしたちにだって、お仕事があるんだから!」
誰かが、春告精を使役している。春を集めさせている誰かが。
「ならば、弾幕ごっこだ」
俺は言った。霊力を高めながら。
「通してもらう」
春告精たちの弾幕が、一斉に放たれた。
花びらのような形の光弾が、複雑な軌道を描きながら、俺に向かって飛んでくる。一発一発は小さい。だが、数が多い。無数の花びらが春風に舞うように、あらゆる方向から押し寄せてくる。上から、下から、横から、斜めから。
美しい弾幕だった。春らしい、軽やかな弾幕だった。避けながら、そう思った。
俺は身体を捻りながら、光弾の間を縫う。一発が肩を掠めた。ちりっとした感覚が走る。次の一発は、頬の横を通り過ぎた。風圧が、髪を揺らした。
数が多い。一つ避けると、別の方向から来る。立体的な包囲網だ。春告精たちは、小さいが連携が上手かった。一人が正面から弾幕を放つと、別の一人が死角から補う。一人が上から攻めると、別の一人が下を塞ぐ。それぞれは小さな力しか持っていないが、束になると厄介だった。
「くっ……」
俺は下に急降下した。光弾の群れが、さっきまで俺がいた空間を埋め尽くす。その下をくぐり抜けながら、右手に霊力を集中させる。指先に、一点に、絞り込む。
春告精たちが、俺の動きを見て隊形を変えようとする。だが、その一瞬の動きの中に、わずかな隙間ができた。
「はっ」
放った。
金色の光球が、その隙間をまっすぐに抜けていく。光弾をかき分けながら、春告精の群れの中心に向かって。
「きゃっ!」
「うわあ!」
中心が崩れた。そこから、連鎖するように崩れていく。一人が弾き飛ばされると、その一人が補っていた部分に穴が開く。その穴に向かって、俺は次の光球を放つ。
二発目。三発目。弾幕を避けながら、間断なく放ち続ける。春告精たちが、一人また一人と弾き飛ばされていく。その度に、花びらが散るように光が広がる。桜吹雪のような、そんな光景だった。
やがて、弾幕が止まった。
春告精たちが、空中でくるくると回転しながら、なんとか体勢を立て直していた。どの顔も、驚きで目が丸くなっている。
「……強い」
一人が呟いた。
「やっぱり巫女さんだ」
別の一人が言った。感心したように。恨めしそうに、ではなく、本当に感心したように。
「通してくれるか」
俺は訊いた。
春告精たちが、しぶしぶというように頷いた。
「……仕方ないわね」
「でも、向こうに行っても、巫女さんには敵わないわよ、きっと。今よりずっと強い相手がいるんだから」
「そうかもな」
俺は言った。強い相手。それは情報だ。この上に、さらに強い相手がいる。
「参考になった」
春告精たちが、きょとんとした顔をした。礼を言われるとは思っていなかったらしい。それから、何人かが照れたように顔を背けた。
俺は、上へと向かった。
*****
「霊夢!待てよ!」
後ろから声が聞こえた。魔理沙だ。
振り返ると、魔理沙が箒に乗って追いかけてきていた。その横に、見知らぬ女性がいた。金色の髪。青い服。何体もの人形を周囲に展開しながら、優雅に飛んでいる。
「…やっぱり、お前もどこかに飛ばされていたか。…遅かったな」
俺は言った。
「悪かったよ、いろいろあったんだ」
魔理沙が言った。肩をすくめながら。それから、横の女性を顎で示した。
「こいつはアリス。魔法の森の魔法使いだ。なんか一緒についてきた」
「なんかは失礼ね」
アリスが言った。涼しい顔で。
「研究目的で同行しているだけよ。魔理沙に頼まれたわけでもないし、あなたに頼まれたわけでもない。ただ、調査の方向が同じだっただけ」
「つまり……あそこか、魔法の森に飛ばされてたのか」
俺は訊いた。
「そう。着地したらアリスがいて、なんか一戦やることになって、それで情報交換して、一緒に来た」
魔理沙が言った。簡潔に。
「なんか一戦やることになって、じゃないでしょう」
アリスが言った。涼しい顔で。
「私が実力を確かめたいと言ったら、あなたが乗ってきたんじゃない」
「お前が挑発したんだろ」
「実力を確かめたいと言っただけよ。それを挑発と受け取るのは、あなたの問題じゃないかしら」
「そういう言い方が挑発なんだよ」
「あら、そう?」
アリスが、口元だけで微笑んだ。
俺は、二人の掛け合いを聞きながら、アリスを見た。霊夢の記憶の中に、この人物がいた。魔法の森に住む魔法使い。人形を操る、七色の人形遣い。魔理沙とは昔からの知り合いで、犬猿の仲だ。会うのは初めてだが、記憶がある分、初対面という感覚が薄かった。
「あなたが霊夢ね」
アリスが、俺に視線を向けた。人形遣いらしい、細かく観察するような目で。
「記憶と少し違う気もするけれど、まあいいわ。今は異変解決が先でしょう」
記憶と少し違う。その言葉が、胸に引っかかった。アリスは気づいているのか。あるいは、気のせいとして流したのか。
「どこまで調べた」
俺は訊いた。二人に向かって。
「春は上にある。春告精が誰かに使役されている。それだけだ」
魔理沙が言った。
「私は少し詳しく」
アリスが補足した。
「春を集める能力を持つ妖怪がいる。そしてその妖怪が春告精を動かして、春をどこかに集めている。ここまでは絞れた。それと——」
アリスが続けた。
「この上に、強い相手がいる。春告精から聞いた。あなたも聞いたんじゃないの?」
「ああ」
俺は頷いた。春告精が言っていた。今よりずっと強い相手がいると。
「なら、情報は合っている」
三人は、並んで上昇を続けた。花びらが、さらに増えていく。暖かさが、さらに増していく。春の香りが、空気に混じり始める。桜の甘い香りが、どこからともなく漂ってくる。
魔理沙が、箒の上で深く息を吸い込んだ。
「……春の匂いだな」
「ええ」
アリスが静かに答えた。その目が、周囲の桜色の空気を眺めている。人形遣いの研究者としてではなく、ただ一人の人間として、この光景を見ているような目だった。
そして、見えてきた。
雲の上に、何かが広がっていた。
「……結界。」
アリスが言った。
確かに、結界だった。薄く、しかし確かに存在する、境界のようなものが。その向こうに、何かがある。気配がする。多くの気配が。春の気配が、濃く溜まっている。桜の香りが、この結界の向こうから流れてきている。
「この先が、目的地らしいな」
俺は言った。
「どうやって入る?」
魔理沙が言った。箒の上で腕を組みながら。
「結界を破るのかしら?それとも、別の入り方があるのか…」
アリスが結界に近づき、人形を一体前に出して、慎重に調べ始めた。人形が結界の表面を触れるように動く。指先で壁の質感を確かめるように、ゆっくりと、注意深く。アリスの目が、細くなる。
「力で破れないことはないけれど……この結界は、ただ閉じているわけじゃない。特定の条件で、開くように設計されている。招かれた者が入れる、という設計よ。外から力で破るには、それなりの時間がかかる。強引に破ろうとすれば、中に反響して危険になる可能性もある」
「じゃあ、どうする」
魔理沙が言った。
「招待状でも持ってたら話は早いんだが」
俺は言った。
「持ってないけどな」
「そうね」
アリスが腕を組んだ。その目が、結界の形状を追いながら、何かを考えている。
しばらく、三人とも黙った。風が吹いた。桜の花びらが、結界の表面を滑るように流れていく。あの内側に、春がある。どうやって入るか。
その時、音が聞こえた。
音楽だ。
どこからともなく、音楽が流れてきた。弦の音、管の音、鍵盤の音が混じり合った、複雑な音楽が。それは美しく、だがどこか不気味で、聴いているだけで現実と夢の境界が曖昧になるような、そんな音楽だった。足元が宙に浮いているような、重力の定義が変わったような、そんな感覚が生まれる。
「……なんだ?」
魔理沙が、きょろきょろと周囲を見渡した。
「騒霊の音楽ね」
アリスが言った。耳を澄ませながら。
「騒霊?」
「実体を持たない霊が、感情を音に変えて操る。その音には、人の感情や知覚を揺さぶる力がある。美しいけれど、油断すると引きずられる」
気配が、三つ。結界の向こうから、こちらに向かってくる。結界をすり抜けるように、三つの影が現れた。
女性が、三人。
一人は金色の髪を持ち、バイオリンのような楽器を持っていた。一人は銀色の髪を持ち、トランペットのような楽器を持っていた。一人は緑色の髪を持ち、ピアノのような鍵盤楽器を持っていた。三人とも、同じような衣装を纏っている。そして、三人とも——実体がなかった。半透明で、光が透けている。影の輪郭が、空気と溶け合っている。夜の星のように、存在しているのに触れられない、そんな姿だった。
騒霊だ。霊夢の記憶が、その存在を教えていた。プリズムリバー三姉妹。騒霊の楽団。幻想郷に名を馳せる、演奏者たちだ。
「あら、人間?」
金色の髪の姉妹、ルナサが言った。不思議そうに、だが嬉しそうに。その目が、三人を順番に見ている。
「こんな場所に来るなんて、珍しいわね。演奏会に来たの?」
「演奏会?」
「そう!」
銀色の髪の姉妹が言った。弾んだ声で。全身からエネルギーが溢れ出しているような、そんな声だった。
「今日はね、お屋敷の方に呼ばれてるの。演奏隊として!お花見のために!」
「お花見?」
魔理沙が繰り返した。
「そう、お花見よ!あの結界の向こうのお屋敷で、盛大なお花見が開かれるの。あたしたちは、そのための演奏隊として呼ばれた!とっても光栄なことよ!お花見に演奏隊が呼ばれるなんて、最高じゃない!」
緑色の髪の姉妹が言った。楽器を抱えながら、誇らしげに。
お花見。
結界の向こうで、お花見が開かれている。そして春が、そこに集められている。
「……つまり」
俺は言った。
「誰かが、自分のお花見のために春を集めた。それが、この異変の原因か」
「それだけのために?」
魔理沙が、呆れたように言った。
「確定ね」
アリスが、静かに言った。
確定だ。結界の向こうに、この異変の黒幕がいる。春を集めて、お花見を楽しんでいる誰かが。
「通してもらえるか」
俺は、プリズムリバー三姉妹に向かって言った。
三姉妹が、顔を見合わせた。ルナサが少し考えるような顔をしてから、微笑んだ。
「通してあげたいのはやまやまなんだけど……招待されていない人を通すわけには、ちょっとねえ。呼んでくださった方に失礼になるし」
「そう、あたしたちにも立場があるから!」
銀色の髪の妹、メルランが言った。腕を振りながら、元気よく。
「でも!」
茶色の髪の末っ子、リリカが言った。楽しそうに。目が輝いている。
「弾幕ごっこで勝ってくれたら、入り方を教えてあげてもいいわよ!演奏隊としては、腕自慢の相手と一戦交えるのも、悪くないし!それに、あたしたちの演奏を聴いてもらえるのは、いつだって嬉しいから!」
「……つまり、戦えば通してくれる、ということか」
俺は確認した。
「そういうこと!」
三姉妹が、声を揃えた。その声が綺麗に重なった。騒霊らしく、声そのものが音楽のようだった。
「その前に……」
ルナサが言った。楽器を構えながら。その目が、戦いを楽しむように輝いた。芸術家が、自分の作品を披露する前の、あの緊張と期待が混ざった目だった。
「あたしたちの演奏、聴いてもらうわね。三姉妹合わせた、最高の一曲を」
「大合葬よ!」
リリカが叫んだ。
「大合奏ね、メルラン」
メルランが訂正した。静かに、しかしはっきりと。
「そう、大合奏!」
三姉妹が、演奏を始めた。
最初は、静かだった。
ルナサのバイオリンが、低く、ゆっくりと弦を鳴らし始める。一音。また一音。その音は美しく、だがどこか哀愁を帯びていた。秋の夕暮れのような音だった。いや、もっと昔の、何かを懐かしむような音だった。その音が空気に溶け込んでいくと、周囲の桜の花びらの動きが、わずかに変わった。風がないのに、花びらが揺れた。音楽が、空気そのものを動かしていた。
次第に、その音に感情が乗ってくる。悲しみとも、怒りとも、喜びとも取れない、複雑な感情が。聴いていると、自分の中の古い記憶が引き出されるような感覚がある。
「……」
魔理沙が、わずかに眉をひそめた。何かを感じているようだった。
メルランのトランペットが、それに重なった。ルナサの低い音の上に、高く鋭い音が乗る。二つの音が絡み合い、不思議な緊張感を生み出す。対比が、激しい。悲しみの上に、強さが乗る。重さの上に、軽さが乗る。その矛盾が、不思議な美しさを生み出していた。
リリカの鍵盤が、最後に加わった。
その瞬間、音楽が変わった。
三つの音が一つになった瞬間、空間そのものが震えた。音楽が、ただの音ではなくなった。空気を揺さぶり、感情を揺さぶり、現実と夢の境界を揺さぶる、そういう音楽になった。足元が不確かになる。空が近く感じる。自分がどこにいるのか、一瞬わからなくなる。
そして、弾幕が現れた。
音符の形をした光弾が、音楽のリズムに合わせて生まれてくる。ルナサの弦が高く鳴るたびに、長い楕円形の光弾が放たれる。柔らかな曲線を描きながら、優雅に飛んでくる。メルランの管が短く吹くたびに、鋭い光弾が直線的に飛んでくる。迷いのない、真っ直ぐな軌道で。リリカの鍵盤が連続して叩かれると、小さな光弾が一斉に広がる。音符が飛び散るように、四方八方に。
「くっ……!」
魔理沙が叫んだ。八卦炉を構えながら、必死に動く。だが、音楽を聴いていると、弾幕に意識が向かない。音に引きずられる。音の美しさに引きずられて、危険を察知するのが一瞬遅れる。
「音と弾幕が連動してる!音楽から意識を切って!」
アリスが言った。人形を盾にしながら。だが、アリス自身も苦しそうだった。人形を動かすための精神集中が、音楽によって乱される。アリスの人形の動きが、わずかに鈍くなっていた。
俺は、一度止まって考えた。
音楽を切り捨てようとすれば、弾幕が読めない。なぜなら、弾幕は音楽と連動しているからだ。音楽を無視して弾幕だけを見ようとしても、弾幕の動きを予測する手がかりがなくなる。
逆だ。
音楽を切り捨てるのではなく、音楽の中に入ればいい。
俺は、避けることを一度忘れた。音楽だけに耳を傾ける。ルナサの弦が、どのタイミングで高く鳴るか。メルランの管が、どのリズムで吹かれるか。リリカの鍵盤が、どのパターンで叩かれるか。
ただ、感じ取る。音楽の構造を、体で感じ取る。
弦が高く鳴る。右に動く。楕円形の光弾が、左を通り過ぎた。管が短く吹く。上に跳ぶ。鋭い光弾が、足元を掠める。鍵盤が連続して叩かれる。体を縮める。小さな光弾の群れが、頭上を覆うように通り過ぎた。
当たらない。
音楽を聴いていれば、当たらない。弾幕は音楽の一部だ。音楽を理解すれば、弾幕が見える。
「……!」
ルナサが、俺の動きに気づいた。演奏しながら、驚いた表情で俺を見ている。バイオリンの弓が、わずかに乱れた。
「音楽を読んでる……!」
「演奏しながら喋っちゃだめ!」
メルランが叫んだ。だが、その声は少し焦っていた。
俺は、攻撃に移った。
音楽のリズムを読みながら、その合間に霊力を放つ。弦が鳴り止んだ瞬間、札を投げる。管が次の息継ぎをした瞬間、光球を放つ。鍵盤が次のフレーズに移る瞬間、大きな霊力を解放する。
音楽の「隙間」を狙う。
「くっ……!」
ルナサが弦をかき鳴らした。音楽が、さらに激しくなる。三つの楽器が競い合うように音量を上げ、弾幕の密度が上がっていく。音符の光弾が嵐のように降り注ぐ。花びらが嵐の中で舞うように、あらゆる方向から。
だが、パターンは変わっていない。速くなっただけで、構造は同じだ。
俺の札が、ルナサに向かって飛ぶ。ルナサが弦を鳴らしながら横に避ける。だが、避けた先にアリスの人形が放った弾幕が待っていた。
「っ!」
ルナサが顔をしかめた。
「合わせるわよ!」
ルナサが叫んだ。三姉妹の演奏が、完全に同期した。バイオリンとトランペットと鍵盤が、完全に一つになった。個々の音が消えて、一つの巨大な音の塊になった。
その瞬間、弾幕が変わった。
三種類の光弾が、完全に連動して動き始めた。それぞれが補い合うように、隙間を塞ぐように、立体的な網を形成しながら俺たちに迫ってくる。ルナサの楕円弾が通路を塞ぎ、メルランの直線弾がその両脇を締め、リリカの散弾が上下を覆う。三次元的な檻が、動きながら迫ってくる。
「これは……」
アリスが息を呑んだ。
避けにくい。一つを避けようとすると、別の弾幕の前に出てしまう。個別に読んでいた時とは、全く違う圧力だった。一つの音楽として完全に動いているため、一つの弾幕を読んでも、連動している他の弾幕に気づくのが遅れる。
魔理沙が舌打ちした。
「これ、一人じゃどうにもならないな」
「三人いる」
俺は言った。
一度大きく後退した。距離を取りながら、全体を見渡す。
三姉妹が演奏している。三つの楽器が、完全に調和している。完全に調和しているということは、一つの音楽として動いている。一つの音楽なら、一つのリズムがある。どれだけ複雑に見えても、根本には一つの拍子が流れているはずだ。
俺は耳を澄ました。三つの音の奥に、一つの拍子を探した。バイオリンが刻む低い拍。トランペットが乗る高い拍。鍵盤がつなぐ中間の拍。三つを貫く、根本のリズムが、確かにある。
感じ取れる。一、二、三、四。一、二、三、四。その繰り返しの中に、弾幕が生まれている。
「魔理沙、アリス」
俺は言った。
「次の四拍目で攻撃する。その瞬間に合わせて、二人も撃て」
「どうやって合わせる。リズムなんてわからないぞ」
魔理沙が訊いた。
「俺が動いたら、すぐに。それだけでいい」
「……わかった」
魔理沙が八卦炉を構えた。アリスが人形を前に出した。
俺は、根本のリズムを数えた。弾幕を避けながら、数える。一、二、三——
今だ。
「はぁぁっ!!!!」
霊力を、両手から一気に解放した。三つの光球が、三姉妹それぞれに向かって飛ぶ。同時に、魔理沙のレーザーが走った。アリスの人形たちが弾幕を一斉に放った。三方向からの同時攻撃が、三姉妹を包んだ。
「きゃっ!」
「うわっ!」
「あっ!」
三姉妹が、同時に弾き飛ばされた。
演奏が、止まった。音楽が、消えた。
静寂が、戻った。
やけに静かだった。さっきまで音楽が満ちていた空間が、今は何もない。その静けさが、かえって不思議な感覚を与えた。
「……負けたわ」
ルナサが言った。空中でくるくると回転しながら、体勢を立て直して。苦笑いのような表情で。その目には、悔しさと、それ以上の何かがあった。
「人間にここまでやられるとは思わなかったけど」
メルランが、額に手を当てながら言った。
「特に……音楽を読まれたのは、初めてだわ」
ルナサが、俺を見た。
「音楽で弾幕を操るなら、音楽を読めばいい」
俺は言った。
「……そうね」
ルナサは微笑んだ。悔しそうに、だがどこか嬉しそうに。音楽家として、自分の演奏を本気で聴いてもらえた、そういう嬉しさが、その表情の奥にあった。
「悔しいけど、約束は約束ね」
メルランが言った。気を取り直したように。
「入り方を教えてあげる」
ルナサが言った。三人の中で一番落ち着いた声で。
「あの結界はね、真上から勢いよく飛び込めば越えられるの。力で越えるんじゃなくて、勢いで境界を押し広げる感じ。招かれた者が入る時と、似た原理よ。飛び込む時に霊力か魔力を全開にすれば、境界が一瞬だけ薄くなる。その瞬間に抜ける。一瞬しか薄くならないから、ためらったら駄目よ」
「参考になった」
俺は言った。
「じゃあ、あたしたちは先に入るわね。演奏の時間に遅れると困るから」
メルランが言った。それから、思い出したように付け加えた。
「あ、でも中に入ったら、あたしたちの演奏も聴いてね!お花見の演奏、力入れるから!」
「機会があれば」
「絶対聴いてよ!」
三姉妹が、結界に向かって飛んでいく。そして、するりと中に入っていった。招かれた者として。その姿が、結界の向こうに消えていく。
俺は、魔理沙とアリスを見た。
「行くぞ」
「ああ」
「ええ」
三人は、結界の真上に位置取った。霊力と魔力を高める。
「一瞬しか薄くならないから、ためらうなよ」
俺は言った。
「わかってる」
魔理沙が言った。箒を強く握りながら。
「…よし……」
アリスが言った。人形たちを周囲に展開しながら。
三人は、同時に急上昇した。真上から、全力で、結界に向かって。霊力を全開に解放しながら。速く。躊躇なく。
境界が、歪む。押し広げられる。ずっ、という感覚が全身を走る。一瞬、空間が歪んだような感覚があって——
抜けた。
結界の、向こうに出た。
そこは、別の世界だった。
桜が、咲いていた。満開の桜が、どこまでも広がっていた。地上では雪が降り続けているのに、ここでは春が完全に満ちていた。温かく、明るく、花びらが舞っている。空気が甘い。
「……」
魔理沙が、言葉を失っていた。
アリスも、しばらく黙っていた。
俺も、しばらくは何も言えなかった。ただ、この光景を見ていた。
地上で雪に苦しんでいる人々がいる。作物が育たず、寒さに震えている人々が。その春が、ここに集められている。一人のために。お花見のために。
「……ここが」
俺はやっと言った。
「異変の、源か」