ヤン・ウェンリーはこれまで三つの死と出会った。
一つめは母の死。まだ五歳と幼かったので悲しいというより寂しい気持ちが強かったが、父と一緒に壺を磨いてるうちに癒された。
二つめは父の死。悲しみはあったが、父の資産や会社の整理という雑務に追われるうちに癒された。
そして三つめはリンチ大佐の死。リンチが指揮するエル・ファシル守備隊にヤンが配属されて半年もたたないうちの死だ。
エル・ファシルの戦いののちヤンが三〇〇万の民間人とともにハイネセンに帰還したのはエル・ファシル星域から帝国軍が撤退してさらに半年近くが経過した後だった。間隔があいたのはヤンが補給廠の軌道施設を破壊し、地上へつながる軌道エレベーターを破片で封鎖したせいだ。
救出された三〇〇万の民間人がそれぞれの疎開先へ向かった一方でヤンはエル・ファシル守備隊の生き残りとして何があったかの取り調べを受けることとなった。
ヤンは自分がエル・ファシル補給廠を破壊してデブリで軌道封鎖したのは民間人の生命と安全を最優先するためであり、エル・ファシル守備隊が壊滅する作戦を立案したのは民間人が地上へ逃げ出す時間を稼ぐためであったと話した。
ヤンの証言の裏はすぐにとれた。
リンチ大佐は出撃前に文書とデータの両方で命令を残していた。そこにはヤンの説明したとおりの内容が書かれていた。
「この記録によるとリンチはきみを高く評価している」
「ほめられることをした覚えはないですが校長……ではなくてシトレ監査官」
シドニー・シトレは士官学校の元校長だ。ヤンの卒業とほぼ同時に校長を辞し、今は同盟軍国防委員会の非常勤監査官だ。精神的な持久力が枯れかけているという適性診断の結果を受け、早めの現役引退を決めた。
エル・ファシルの戦いに関する調査委員会のひとりである。
「ほめてはいない。きみに好意は感じなかったようだ。だが評価は別だ」
「はあ、そうですか」
「所感としてきみの才覚は参謀本部でこそ活かされるとあるな。戦史研究をさせるのもよいとある」
「さすがの慧眼です」
「食いつきが違いすぎるぞ、まったくきみってやつは」
シトレ監査官は笑った。すぐ真面目な顔になる。
「だがな。添付されていたきみの作戦草案をみて、調査委員会では新たな疑問が生じた。きみの作戦案は帝国軍の奇襲を受けて押っ取り刀で練ったものではない。細かいところまで綿密に決めてある。民間人が軌道エレベーターで地上に避難する途中で妊婦が出産しそうになったときの対処とかな」
「そこは医療スタッフの助言を受けました。三〇〇万の民間人を急いで避難させるのです。途中で事故や病気、そして出産が起きる確率はあり、実際に二件起きました」
「記録では一件とあるぞ」
「双子だったんです。母子ともに健康でした」
「なるほど。とにかく調査委員会ではきみが事前に帝国軍の襲来を予想していた可能性を確認することとなった」
「わたしが帝国軍と内通していたと?」
「さすがにそこまではないさ。それに士官学校を卒業したての新米将校が帝国のスパイなら、士官学校にも帝国の魔手がのびてそうだ」
「ありえますね。士官学校の元校長が裏切り者で学生の
「なんと。わたしは帝国のスパイだったのか」
「本人も知らない衝撃の事実ですよ」
ふたりで声をあげて笑う。
「冗談はさておきこの作戦案、いつから作った?」
「わたしがエル・ファシル守備隊に赴任してすぐに。かれこれ一年前ですね」
「理由を説明したまえ」
「エル・ファシル守備隊の任務は補給廠の防衛です。そのための計画と訓練は入念になされていました。新参者のわたしが口出しできることはほとんどありません。ですが、準備が不十分なところもあります。守備隊が任務を果たせない状況、つまり負け戦となったときにどう負けて逃げるかでは不十分と判断しました」
「エル・ファシル補給廠を放棄して撤退する計画ならあったはずだぞ」
「ええ。帝国軍の正規艦隊が迫ってきた場合の撤退計画が」
「きみはそれではダメだと考えた理由をのべたまえ」
校長時代の口頭試問の口調でシトレが問う。
学生時代を思い出したヤンは居住まいをただす。背をのばしてこたえる。
「はい。既存の撤退計画は状況が想定内であるかぎり優れたものでした。民間人が輸送船で先に避難する。エル・ファシル守備隊は補給廠を帝国に利用されないよう破壊してから撤退する。いくつかパターンはありますが順番は同じです」
ヤンは既存の撤退計画と
「エル・ファシル補給廠は同盟にとっての重要拠点で守りも固い。帝国軍がこの星域を落とすには十分な戦力が必要だから同盟軍がまったくの不意打ちを受けることはない。なんらかの予兆がある。この撤退計画が採用された裏にはそうした心理があります」
ヤンは首をふった。
「敵が自分たちの想定内でのみ動く。これは危険な先入観です。歴史に残るレベルの敗北は、敵がこちらの想定からはずれたとき発生します。有名なものとしては第二次ヴェガ会戦で
歴史を語らせると長くなるので、シトレが手のひらをあげてさえぎる。
「事前に想定外を防ごうとすると可能性が限りなく低いことまで対策する必要がでるな」
「はい。たとえば超長距離ワープが実現してイゼルローン要塞から一回のワープで帝国軍が同盟領のあらゆる星域にワープできるようになった場合の星域防衛計画とか」
「怖いことを考える」
「
「今回でいえば撤退の準備が間に合わなかったら──か」
「はい。今回やった地表に疎開する手はそのひとつです。他にもこういう作戦案もありますよ。準備はしたものの使いませんでしたが」
ヤンが
「エル・ファシル守備隊が囮となる輸送船を囲んで逃げて帝国軍の目を引きつけ、三〇〇万の民間人は……これは民間人をコンテナに詰め込んで帝国軍が包囲する中を堂々と逃げる作戦か。これでは包囲網を突破できずコンテナごと捕まるだろう」
「そういう反応を期待して画像にちょっと演出をいれました。本当の星域図はこうです」
惑星以外の軌道を消していた画面に小惑星の軌道が重なった。軌跡で画面が見えなくなるほど無数の小惑星がびっしりと飛び交っている。
エル・ファシル星系は星雲ガスが
「補給廠がある第四惑星の周辺には脱出に使えそうな軌道の小惑星が七七〇〇〇個もあります。これらを隠れ蓑として利用しコンテナに詰め込んだ三〇〇万人を脱出させようという計画です」
「どうやって民間人をコンテナに詰め……なるほど、タンク・ベッドを利用するのか。だが医療用をのぞくタンク・ベッドは一〇〇時間以上の連続使用には不適だがそこはどうするのだ」
「そこは専門家の協力を得ました。外付けのバッテリーや循環システムをコンテナ側に組み込むことで市販のタンク・ベッドでも長期間の連続使用が可能になります。ですが今度はコンテナ側の放熱が問題になりまして」
「それはまずい。帝国軍がボンクラでも軌道を往く小惑星から不自然な赤外線放射がでてれば不審に思うだろう」
「そのようなことにならないよう、脱出に使う小惑星は前もって改造することにしました。資材の都合はなんとかつけましたが予算と工期で難航しまして。伝手を頼って
「急に顔をしかめてどうした」
「いえ別に」
「そうか。ところでこれはちょっとした噂話なのだがね。きみ、参謀本部のグリーンヒル中佐は知っているな」
「……はい」
元校長のもってまわった言い回しがどこに向かってるかを察したヤンは、渋々といった顔で答えた。
「そうか。彼の娘さんときみが、エル・ファシルにいる間にずいぶんと親しい関係になったと聞いたのだが、これは真実かね?」
「なにか誤解があるようですね。彼女はまだ子どもですよ」
「ふむ。その誤解とやらを説明してくれたまえ。遠慮は無用だ。この件はどうやらきみの参謀将校としての仕事と深く関係があるようだからね」
「そこまで知ってるなら、わたしの口から説明しなくてもいいでしょうに」
「そうはいかん。これも仕事だからな」
「いや本当に、たいしたことではないのですよ」
ヤンは七ヶ月前の
+++++++++++
今年で一四歳のフレデリカ・グリーンヒルには人生の目標が三つある。
一つは母のあとを継いで〈先行トロヤ群の乙女団〉の団長となること。これはほぼ確定事項だ。千年の伝統をもつ
二つめは
三つめは素敵な男性と恋すること。他の二つの目標は年単位で予定を組んであるが、こちらはまだ想像の範疇だ。まずは新たな出会いがあればと思い、母の出張についてエル・ファシルまできたのだが──
「いやほら、この出会いはさすがにナイって」
フレデリカのかたわらには銀色の男がいた。
比喩ではない。本当に全身くまなく
ここは無重力シャワー室であるから彼女が全裸であるのは論理的に当然だ。
倫理的にいえば銀色の男が無重力シャワー室にいる方がおかしい。
だがもちろん。男がここにいるのも銀色であることにも合理的な理由がある。
「
フレデリカは自分のヘソの上に手をあてて聞いた。
《もちろんだ。仮死状態ではあるがな》
「よかった。命の恩人だもの」
銀色の男を指でつついてみる。金属光沢のある表面は、見た目と違い弾力がある。
まだ若い。二十代前半か。今は口を大きくあけてるので間抜け度が増した
「訓練ではみたことあるけど、使うとこんな感じなるのね」
一般には愛称の方が通りがよい救命具である。使い方は簡単。専用のケースに入れて所持しているだけ。宇宙に放り出されると袋が自動で破れて銀色の
フレデリカはシャワー室のパネルを操作する。扉の外は〇・〇〇〇六気圧。ほぼ真空。シャワーを浴びているときに減圧警報が鳴ったのにもびっくりしたが、続いて男が飛び込んできたときには本気で悲鳴をあげてしまった。
「何があったんだろ」
《外の様子はわからないが、状況から推測は可能だ。説明しようか?》
「お願い」
フレデリカの母親が軍の仕事として請け負った小惑星改造は同盟軍補給廠のあるエル・ファシル星域から民間人だけでも逃がす必要がでたときのための準備として行われている。原始星系であるエル・ファシルには無数の小惑星が飛び交っている。その中から手頃な小惑星を選びタンクベッドで眠らせた市民を詰め込んで帝国軍の包囲を突破するのだ。
しかし無数の小惑星というのが曲者だ。逃走に割り当てた小惑星は安定した軌道にあるものを使っているが、そうではない無軌道な軌道を突っ走る小惑星もまた多い。それらの小惑星同士がぶつかって破片を飛び散らせ、それがさらに別の小惑星に衝突し──という連鎖を繰り返したあげく、人の拳サイズの破片が秒速一〇キロメートルの速度で〈先行トロヤ群の乙女団〉が工事中の小惑星にぶつかった。
「拳サイズ? 秒速一〇キロメートル? 人間に当たれば即死だけど、小惑星ならたいしたことにはならないんじゃ?」
《あたった場所が悪かった。この脱出用小惑星は中のコンテナからの熱が赤外線反応になって外に漏れないよう冷却緩衝材を詰めたタンクを中に設置してある。そこを破片が貫いて運動エネルギーを熱エネルギーに転換したことで内圧が高まりタンクが爆発。衝撃で工事中の内部通路が潰れてしまったのだ》
「で、たまたま潰れた通路に仮置きされてたシャワーをわたしが使ってたわけね」
《この男には感謝だ。工事を発注した軍人のようだが宇宙での活動に心得がある。判断力が早く、行動に迷いがない》
「減圧警報が鳴るなり飛び込んできて説明も何もなしで空気漏れを塞いで回ったものね。で終わると同時にコレだもの」
ツンツン。ぷにぷに。
「
《まてまて。将来は安全な場所で落ち着いて考えるものだ。男女の心理には吊り橋効果というものがあってな。およそ一〇〇〇年前。軌道エレベーターという力学的な吊り橋で遅延事故が発生し居合わせた男女が結ばれた故事に由来し──》
「違うって! そうじゃないって! この
フレデリカは顔を真っ赤にして自分のお腹に抗議し、銀色の男は仮死状態のまま漂っていた。この銀色の男がヤン・ウェンリーである。
ふたりが救出されたのは、それから四時間後のことであった。
+++++++++++
ヤンは簡潔に事情を説明した。
この事故から一ヶ月後に帝国軍はエル・ファシル星域に到来した。
小惑星による脱出の準備は間に合わなかったため、三〇〇万の民間人は惑星表面に逃げることになった。
帝国軍は補給廠の破壊を確認したのち撤退した。
しかし避難民は同盟軍による掃宙が終わるまでの半年を地上で雪隠詰めとなってしまう。
その中に〈先行トロヤ群の乙女団〉とフレデリカもいた。
「それでわたしが仕事の合間に彼女の家庭教師をすることになったんです」
「ここに成績データもある。よい生徒だったようだな」
「記憶力が図抜けた子ですからね。好奇心旺盛でイタズラ好きなのは困りましたが」
「コネの使い方もうまい。父親ではなく母親経由で非公式にこの調査委員会にきみが呼び出されたことを嗅ぎつけたようで、公式のルートをとおして君に伝言を預けてきた。君の身柄に対する陳情ではなく伝言というあたりが頭がよいな」
「当然です」
「母と皆の説得に成功した。〈先行トロヤ群の乙女団〉はいつでもきみに再就職先を用意できる、とある」
「軍をやめたら選択肢にいれておきましょう。で、軍の方はわたしをどうする気で?」
「ふふん。元校長にもそれなりのコネは──ん?」
通知音が鳴った。ふたつ。
ヤンとシトレはそれぞれの端末に表示されたメッセージを読む。
読み終えてそろって首をひねる。
「査問会への召集を受けました。それも至急」
「こちらにも連絡があった。人的資源委員会からだな。即刻調査を中断してきみを送り出せとある」
「人的資源委員会は名前しか知りませんがどういう部署なんです」
「自由惑星同盟の黎明期からある部署だ。当時は全国民あわせても三〇万未満だったからな。国民を増やすことと増えた国民を最適の仕事に就かせることに特化した部署だ」
「最適の仕事に就かせるという
「きみは冗談のつもりだろうが、ありえるのが怖いところだ。何しろ建国当初からある部署だけに人的資源の有効活用という建前の中では今も強い権限をもつ」
「ではちょっといってきます」
ひとりになったシトレはヤンとの会話を振り返る。
「
この時点で。
シトレはエル・ファシル戦の調査がおわったあとヤンに士官学校のポストを世話するつもりだった。ヤンがもつ高い作戦立案能力や思考の柔軟性は後方での育成を任せた方が有効と考えたからだ。
しかし。
査問会から戻ったヤンが選んだのは、前線勤務を続ける道だった。
+++++++++++
もちろん。
ヤンはシトレが自分に士官学校のポストを与えるための根回中であることを見抜いていたし実現すれば大喜びで受けるつもりでいた。
(それに軍人をクビになったらなったで、フレデリカがわたしに仕事の斡旋をしてくれるそうだしね)
ヤンはポケットからバッジを取り出す。
「ヤン先生」
別れ際にフレデリカはヤンにバッジを握らせていった。
「誰がなんといおうとエル・ファシルの本当の英雄はあなたよ。あなたは“味方殺しのクソ野郎”じゃない。民間人三〇〇万人を救うためあなたが力を尽くしたのはママも〈先行トロヤ群の乙女〉のみんなも知ってる。わたしも証言してあげる」
フレデリカがここまでいったのには理由がある。
エル・ファシルの地表に作られたシェルターでの避難民のヤンへの風当たりが危険な水準に上がっていたからだ。三〇〇万の民間人は帝国軍が撤退するまでは自分たちを救ったヤンを褒め称えたが、その熱狂はすぐにさめた。
──味方を囮にする作戦だとよ。
──友軍を死なせておいて自分はちゃっかり生き延びるとか、恥ずかしくないのか。
──味方殺しのクソ野郎め。
狭い避難所でヤンに向けられた悪意と中傷を正義感の強い少女は許せなかった。
出会いこそ最悪の形だったがフレデリカはヤンという青年将校の真摯で誠実な人柄をすぐに見抜いた。そして彼を守ることが自分の使命だと考えるようになった。
(フレデリカが巻き込まれることがなくて本当によかった)
エル・ファシル守備隊は二万人だ。民間人の地上への疎開が完了した時点で七〇〇〇人が戦死し、軌道上に残った一五〇〇人は帝国軍の捕虜となった。
避難した三〇〇万人の中にいる守備隊の家族や友人はヤンを嫌うまっとうな動機がある。
(人の感情を縛ることはできない。同時に感情が
もし彼らがヤンを襲えば本人の中では正しい復讐であっても法で処罰される。そう思うからこそヤンは自分の周囲を常に警護の兵とドローンで固めた。
──臆病者め。そんなに自分だけは可愛いか。
陰口の種類はさらに増えたがヤンは断固として我が身の安全を優先した。ここでヤンが虚勢をはり護衛を遠ざけても不幸が増えるだけ。何よりヤンの周囲でうろちょろしているフレデリカを巻き込むわけにはいかなかった。
かくして肉体的には怪我ひとつなくヤンはエル・ファシルから生還した。精神的にはボロボロになったが。
「あなた優しすぎるわヤン先生。あなたは軍人なんかむいてない。わたしがママから〈先行トロヤ群の乙女〉を引き継いだらあなたを地上事務員として雇ってあげる」
(わたしもそう思うよフレデリカ。敵に恨まれるのは仕方ないが味方にまで恨まれるのはさすがにしんどい。そう考えれば士官学校の教職はわたしに適した職だろうね)
指定された査問会場はハイネセン記念館の地下一七階にあった。
記念館の展示品を収納する倉庫が並ぶ中にある一室で、名前だけは“時間霊廟”といかにも
「よくきたね、ヤン・ウェンリーくん!」
部屋の中でヤンを出迎えたのは小柄だが声の大きい初老の男だった。
ホワン・ルイ。人的資源委員長である。ホワンのかたわらには何本もの太いケーブルが接続された黒い球体がある。
「どうも。ヤン・ウェンリーです。召集を受けて参上しました。他の方は……?」
「いないよ。わたしときみだけだ。ああ、あとひとり、といっていいかわからないが、我が人的資源委員会の最高顧問であるこの
「SQ一? 歴史の本で読んだことがあります。宇宙連邦成立前の西暦時代に植民惑星の統治をサポートした機械知性だと」
「よく勉強している。帝国を脱出した人々が苦難の旅路の果てに到達したここハイネセンには、機械知性をのせた惑星改造船が先回りしていたというわけだ」
「先回り? ここは宇宙連邦最盛期でも星図にすら乗っていない辺境の宙域ですよ?」
「SQ一と惑星改造船を送り出した連中は、そうすることが必要だと考えたんだ。独裁者が台頭した未来に、その弾圧から逃がれた人々のための避難所が」
「なるほど──同盟軍がダゴンの包囲戦でなぜ勝てたか、今ようやくわかりましたよ。未来予測だ。ダゴンの戦い。あれはこの球体が予測していた──そうですね?」
ホワンが笑った。
「『君のように勘のいい青年は大好きだよ』と最高顧問からの伝言だ。ここまで教えたら、七六%の確率できみがダゴン包囲戦について指摘すると。こいつはどういうわけか君にご執心でね。これまで何年間もひたすら演算処理に集中してこちらからの問いかけにはさっぱりだったのが、昨夜になって突然饒舌に語りはじめたんだ。ときどき、いやしばしばまったく的外れの未来について語りだすんで困りものだが、エル・ファシルの戦いについては正確に分析したから無視できなくてね」
「それは……ダゴンの話を思えばゾッとしませんね。どんな不吉な予言なんです」
ホワンはお手上げ、という風に両手をあげてみせた。
「自由惑星同盟は一〇年以内に滅びる。確率は八八%だそうだ」
ヤンは黙ったまま、近くの椅子に腰掛けた。
素早く思考を巡らせる。
──永遠に存在する国はない。自由惑星同盟とていつかは滅びる。
黒い球体がダゴンを予知したことと、自分が呼ばれたことの関係をヤンは考える。
「滅びるのはしかたありません。ですが、滅び方は選びたいですね」
「落ち着いたものだな」
「考える時間はたくさんありましたからね」
帝国軍の戦い方が変化しているのではないか。
ヤンはエル・ファシルの戦いでそう感じていた。
これまで同盟が守りに徹して粘れていたのは、帝国がある意味で本気で同盟を征服しようとはしなかったからだ。
同盟領は帝国にとってあまりに遠すぎる。占領したところでもてあますだけだ。いや、もてあますどころではすまない。直轄領にして代官を置くにせよ、貴族に新たな領地として分け与えるせよ
無能な人間に委ねれば反乱される。
かといって有能な人間に任せれば力をつけて独立しかねない。
帝国政府がそのことを自覚しているのは間違いない。なぜなら艦隊戦に勝利して辺境の星を支配しては維持できず手放すという戦略的に無意味な行為を繰り返してきたからだ。同盟が通商破壊戦略にシフトしてるのは事実だが、これは帝国が同盟の戦略を見過ごし続けて“くれている”から成り立つ側面は大きい。
──エル・ファシルへの襲撃は従来の帝国軍の動きと明らかに違っている。帝国軍はローコスト艦隊で奇襲をかけてきた。
狙いは同盟に対する通商破壊だ。
効果は薄い。同盟はイゼルローンに近い側の星々を低開発宙域とし民間人の立ち入りを制限している。補給廠として有用なエル・ファシルは数少ない例外であったが、今後は無人の資源採掘星系として運用される方針だ。
──では無意味かというと、それも違う。やり方を変えてきたということは従来の戦い方への批判が帝国内で高まっていることを意味する。
変化の先に帝国による自由惑星同盟の征服があるとすれば。
「同盟滅亡が一〇年先というのは、あり得る話です」
「うわー……今の考察、論文か何かにまとめてくれないか? すごく読みたい」
「一〇年後に戦争が終わってヒマになったなら、考えなくもありません」
冗談めかしてヤンがいうと、ホワンの顔から感情がぬける。
「それがね。そうもいかないんだ。内緒できみをここに呼んだのは
「どちらも聞かずに帰りたいんですが」
「ダメだ。両方聞いてもらう」
「では悪い未来予測から」
「帝国は攻勢を強めてくる。ハイネセンに近い高開発星域群までが危うくなり同盟は降伏する。帝国は同盟領を摂政領として皇族によって統治させるが実際の統治は同盟出身者に任せることになる──ヤン・ウェンリー総督。きみにね」
「全力でお断りします」
「それがムリなんだ。この未来予測だときみは戦争末期に帝国の猛攻をひとりで食い止める大活躍をすることになる。“不敗の魔術師”なんて二つ名までつけられてね。戦争による人的被害が大きく同盟にはきみ以外に統治を任せられる人間は残っていない。きみは渋々受け入れ、ムチャばかりいってくる帝国とレジスタンス活動にきみを担ぎあげようとする同盟残党の双方を宥めて統治を行い、五年後にボロ雑巾のようになって過労死する」
ヤンは頭を抱えた。
「きみ、今の未来予測を聞きながらそうなったらどうやって旧同盟領を統治するかスタッフの布陣を考えてたろう。先輩のアレックス・キャゼルヌを起用するとか」
「頭の中を読まないでください」
ヤンは覚悟を決め、正面からホワンをみる。
「では、それ以上に悪い未来予測を聞かせてください」
「うん。こっちの未来予測では自由惑星同盟と帝国は最後まで一進一退を繰り広げる。帝国軍が優勢だが同盟は持ちこたえる。そして“何か”が起きる」
「“何か”って?」
「わからない。未来予測にも書いてない。でもそれによって帝国が先に滅びる」
「は?」
「どうやってかはわからない。そして、その次に同盟も滅びる」
「未知の宙域から謎の宇宙人か何か攻めてくるんですか? それとも銀河規模の自然災害が起きて星々ごと消滅するとか?」
「まっっっったくわからない。わざと削除してある。今の我々に教えてはまずいらしい。その一方で、生き残れる可能性のある人間の数だけは削除せず書いてある。一五万人だ」
「一五万、人?」
「どうやって、なんて聞かないでくれよ。書いてないんだから。この未来予測で書いてあるのはもうひとつだけだ」
「聞かなくてもわかりますよ。この未来を回避できるのはヤン・ウェンリーだけだとあるのでしょう」
「そのとおり」
「最悪極まる話です」
詐欺の常套手段だ。
根拠はださず、恐怖を煽る。そして救いの道をひとつだけ示す。
救われたければ、ヤン・ウェンリーにすがれと。
──今、このタイミングでわたしを呼び出したのもそのためか。
どちらを選ぶにしてもヤンは軍人としての出世コースをはずれる。一〇年後に迫っている同盟の滅亡に関わることはないだろう。
「
「お願いします」
「どちらも無視しろ」
「いいんですか?」
「正直、わたしは怒っている。職務だから伝えたが
「ですが……困ったことにウソはいってないと思うんですね」
「そこなんだよなぁ。正直、あとの方の未来予測がなければ個人の才覚にすがってまで生き延びようとする民主国家なんかさっさと滅びてしまえとしか思わないのだが」
「まったく同感です。それともうひとつ」
ヤンはホワンがペチペチと叩き続けた黒い球体に手をあて、そっと撫でた。
「この球体におさめられた機械知性も我々と同じ考えだと思いますよ。最初の未来予測だけならコイツは我々に伝えることを良しとしなかったと思います。負けて滅びるのはしかたない。納得できないなら自分の力で新たな長征一万光年でもなんでもやれと。だけど、さすがにあとの方の未来予測はそうはいかない。こちらは阻止せねばならない未来です」
「そうだな」
「決めました。わたしは軍に残って出世を目指します。一〇年でどこまで行けるかはわかりませんが大佐になって
「予備役だと“不敗の魔術師”にはなれないが、いいかね」
ホワンの冗談にヤンは苦い笑いを返す。
「わたしひとりの不敗に何の意味があります。勝てないなら帝国軍は誰かひとりにわたしを足止めさせてハイネセンを落とすでしょう。それくらいなら後進を鍛えあげ数で勝負です。全戦線で惜敗を積み重ねて帝国軍を時間切れで撤退に追い込んでやります」
それからの八年間。
ヤンは宣言したとおり出世街道を
自分が関わる未来予測については秘密にしたかったがキャゼルヌやシトレ、アッテンボローら個人的に
軍事的に同盟が滅びるとすれば、それはラインハルトによってだろう。そしてラインハルトについて調べれば調べるほどヤンの中には「彼なら同盟を滅ぼした後も、そう悪い支配者にはなるまい」という思いが強くなる。だからといって負けてやるつもりはない。その未来では過労死が待っている。
問題はもうひとつの最悪の未来予測の方だった。こちらは予兆ひとつない。普通に考えれば未来予測が外れただけである。だがヤンの中には確信があった。
──最悪の方の“何か”はわたしに狙いをつけている、
そしてそれは
「感激です、あなたに会えて」
銃口が禍々しい光を放った。
+++++++++++
アンドリュー・フォークにとって、すべては定められた運命だった。
この日。自分が優勝したことも。
目の前に。ヤンという大罪人がいることも。
自分の手に
公衆の面前で同盟軍大佐を暗殺するのだ。自分は逮捕されるだろう。だがすぐに自分が英雄であると明らかにされるはずだ。
アンドリュー・フォークという男こそが自由惑星同盟という間違った社会を改革する旗手であると万人が認め、称えるだろう。
──ああそうだ。この社会は間違っている。わたしのような優れた人間が正しく評価されず、目の前にいるこんな男が出世している。これこそが社会の歪み。不正の証拠だ。
フォークは適性検査で軍人に不適とされ士官学校を中退したのち、専門学校を経て低開発宙域の監督官に赴任した。最初は無人惑星で四台のロボット鉱夫を使って採掘する仕事だったが、優秀な成績をおさめすぐに出世した。その後も二期に一期は高い成績をだし役職を上げ続けた。今では辺境の無人星域ひとつを任され、そこで活動する無人貨物船、無人ステーション、ロボット鉱夫らを一手に管理している。
ふだんは辺境の無人星域での単身赴任だが、休暇で故郷に帰ることもある。
「フォークじゃないか。久しぶり、元気にしてたかい」
地元の友人と会うのはフォークにとって苦行だった。士官学校に入学したとき壮行会で祝われた身でありながら、適性検査で中退した過去があるからだ。
「聞いたぞフォーク。星域監督官だって。たいした出世じゃないか。さすがだな」
一〇年たった今では、その痛みもずいぶんと薄れてきた。ついつい調子にのって監督官としての手柄話を長々と吹聴してしまうほどに。
「あいつは変わらないな。軍人には向いてない」
別れたあとで友人は苦笑いする。フォークは何をやらせても優秀だが、他人の感情の機微だけは読み取れない。自他を隔てる心の境界線が薄いのだ。
「今の職場なら人間関係のトラブルもないだろう。適材適所だ」
建国以来、自由惑星同盟は適性検査の結果で進路を定めることを当然としてきた。いずれくる銀河帝国の脅威に立ち向かえる強い国を作るためという名目で。それが人的資源委員会
もしもフォークの心に楔が打ち込まれることがなければ、枷にはめられたまま歴史は進んでいっただろう。辺境宙域の監督官として実績を上げることで軍人になれなかった自分を受容できるようになったはずだ。
フォークの楔は、彼の祖母だった。
「あらあら、アンドリューちゃん。お帰りなさい。まあまあ、立派になっちゃって」
「ただいま、おばあちゃん」
両親を早くして失ったフォークを育ててくれたのは祖母だった。人格にいろいろ険のあるフォークだったが祖母だけは素直に愛し、慈しんだ。
「休暇はどのくらいなの? お父さんとお母さんのお墓参りには行けそうかしら」
「ああごめん。明日には出発する。ハイネセンで行われる
「すごいわ、アンドリューちゃん。あなたはなんでもできるのね」
祖母は無邪気に喜び、だが少しの悲しみを込めて小さくつぶやいた。
「あなたが大会で優勝すれば、ちゃんとした軍人になれるかもしれないわねえ」
フォークが士官学校で中退を勧告された時。祖母は心の底から嘆き悲しんだ。何かの間違いではないかと関係各所に訴えかけた。フォークが最終的に中退する道を決断したのは、日に日に
「そうだね」
だからこの時も、フォークはつい言ってしまう。そんなことは絶対にありえないとわかっていなあがら。
「ぼくが優勝して結果をだせば、士官学校の適性検査なんかアテにならないってみんなわかってくれるかもしれない」
「まあ。本当にそう。わたしずっと信じてたもの。こんなのはなにかの間違いで、アンドリューちゃんはきっと立派な軍人になれるって」
潤んだ瞳で自分をみつめる祖母の笑顔。
二度と祖母の期待を裏切ることはしないと、フォークはこのとき心に決めた。
──大会で優勝するだけでは、足りない。
適性検査で進路が決まってしまう同盟社会を改革するには、強い衝撃が必要だ。
社会に改革を訴え、衝撃を与えるためにフォークは暗殺を選んだ。適性検査で士官学校を中退させられた自分が
──そうすれば、みなわかってくれる。
だというのに。
大罪人の胸を貫くはずのビームは、ヤンの太ももを撃ち抜いて床に突き刺さった。
フォークの腕にぶつかった小さく重い箱が、銃口をそらしたのだ。
フォークは顔を引き攣らせ、箱をみる。勲章をいれた箱だった。祖母がみたらどれほど誇らしく思い、喜ぶだろう。それが無造作に床に転がっていた。
フォークの動きが止まる。
そこへ。
「ヤン先生にっ!」
怒りに満ちた女の声が耳朶を叩く。
「何をするっ!」
女のブーツがフォークの顎を蹴り上げ、彼の意識を刈り取った。
+++++++++++
軍病院に運ばれたヤンが面会を許されるようになったのは一〇日後のことだった。重傷であったというよりは、社会的な騒動から隔離する意味があった。
面会を求める大勢の友人知己をさしおき、公権力を使って最初の面会をねじ込んできたのは同盟軍情報部だった。ヤンが負傷することになったテロ事件の捜査という名目だ。
「ヤン大佐。回復されて何よりです」
細面にうっすらと笑みを浮かべた男は軍情報部のバグダッシュ中尉。
「……」
その隣で無言のままヤンを見つめる長身で若白髪の男は帝国軍の軍服を着ていた。肩章で亡命士官であるとわかる。階級は少佐だ。
亡命少佐の目にキラリと奇妙な光が浮かんでヤンを驚かせた。
「失礼した。義眼の調子が悪いようだ」
「パウルちゃん、何度いっても古い帝国製にこだわるから。同盟製にした方がいいって何度もいってるんですけどね」
バグダッシュの馴れ馴れしい言葉を無視し、義眼の男はヤンに名乗る。
「帝国軍亡命少佐パウル・フォン・オーベルシュタインです。今は同盟最高評議会の人的資源委員会に所属しています」
「ホワン委員長のところか」
「はい。ヤン大佐は地球教について何かご存知でしょうか」
「同盟での活動については何も知らない。だが帝国における地球教の活動は職務として調べた。ラインハルト卿の姉であるグリューネワルト伯爵夫人が地球教の聖女として遇されているとか」
「では基礎的な説明は省略します。ヤン大佐を襲ったアンドリュー・フォークは地球教の支援を受けていました」
「
ヤンはため息をついた。バグダッシュがこの場にいる理由も、あえて道化を演じる理由も想像はついたが楽しいものではなかった。
義眼の亡命少佐に向かって聞く。
「取り敢えず、彼はいないものとして話をしないか?」
「それが効率的でしょうな」
「ひどい!」
バグダッシュはいじけてみせたが、それ以上の邪魔はせず寝台わきの椅子に腰かけた。
「では。ホワン委員長からの言伝を先に。
「地球教こそ帝国と同盟をともに滅ぼす勢力ということかな」
「そこはまだ不明です。今から二年以内に自由惑星同盟が滅亡する未来予測は八八%のままです」
「そうか……ねえ、バグダッシュ中尉。そんなにわざとらしく初耳ですという顔はしなくてもいいんじゃないかな」
「失礼。表情筋を動かすのは情報部員の基礎技術でして。使い方を忘れないよう機会があればやってるんですよ」
「それで? それを伝えるだけならわたしの公務復帰後で間に合う。入院中のこのタイミングで面会を求めてきた理由は?」
「確認が必要でした。あなたが地球教によって精神汚染されていないことの」
オーベルシュタインの義眼がチチッと瞬く。
「精神汚染されている場合、こちらのバグダッシュ中尉がヤン大佐を“適切に処理”する手筈となっていました」
「わたしが精神汚染されているか否かの判定はどうやって行うのかな」
「わたしの“目”を使います」
「特別な義眼なのかい?」
「いえ。義眼ではありません。わたしには通常の視力とは別に、相手の精神状態を探る異能の“目”があります。圧力のようなものを感じ取れるのです。失礼ながら大佐については病室に入る前に監視カメラをとおして確認させていただきました。シロです」
「それはよかった。だけど、きみはなぜそんな異能の力を持っているんだ」
「ヤン大佐はルドルフ大帝が制定した劣悪遺伝子排除法はご存知ですな」
「うん」
「あれは本来わたしのような異能を生み出す遺伝子を排除するための法です。長く死文化されていましたが、近年になり再び適応される運びとなっています」
「わたしはシロと判定されたわけだが、クロはいたのか?」
「現時点で地球教によって精神汚染された者は七人。宇宙港の職員や会場の警備担当です。かれらはアンドリュー・フォークが
凶器である
「アンドリュー・フォークも精神汚染されているのか」
「いえ。フォークは精神汚染されていません。彼が行った犯罪行為は彼の視野狭窄によるもの。自業自得です」
手厳しいなとヤンは思う。ヤン自身は今の自由惑星同盟において適性検査が進路を決めつけることを好ましく思っていない。人には自由がある。その自由は自らを傷つけるものであってもよいはずだ。それが他者を傷つける場合に限って制限をつけ処罰をするのが正しいありようだと。
ヤンがそういう意味合いのことを口にすると、オーベルシュタインは鼻で笑った。
ウンウンと頷いたのはバグダッシュの方だった。
「現状では誰がどのようにして精神汚染を行っているのかはわかっていません。精神汚染された側も自覚はない。ですが精神汚染は洗脳の一種であり、洗脳は相手の判断力を奪います」
たとえば精神汚染された宇宙港職員は、フォークが
「判断力の喪失には個人差があります。別の保安職員は、検査機器を作動しないよう切ったあと、勤務交代前にもとに戻しています。何かおかしなことをした自覚はあったようです。ですが監視カメラのログを消去するといった隠蔽工作は行っていません」
「あー、それで確認したいことがある。本当は職務に復帰してから自分で行う予定だったんだが……」
「アスターテ星域奪還作戦のシナリオ改変ですね。機材の最終チェックを行ったイベント運営会社のスタッフに精神汚染された者がいました」
それを聞いたヤンの表情が少し動く。
オーベルシュタインが続けた。
「ヤン大佐以外の
「そうか……うん。そうだったか」
長々とため息をつく。
ヤンは自分でも驚くほどに安堵していた。
アスターテ星域奪還作戦シナリオはイベント前日にヤン自身の手で難易度を下げるプレイヤー救済措置を無効化してある。予選結果をみて不要と判断したからだ。
だから帝国軍が建設中の外郭要塞をプレイヤーが奪取して使うことはできないはずだった。アンドリュー・フォークの
──チームの誰かが精神汚染されたらと考えるだけでこれほど心が苦しいとは。わたしは自分でそうあれかしと願っていたほどの人非人になれていないな。
戦争は力学だ。強い方が勝つ。
敵を弱くすることは味方を強くするのと同じだ。
コストで考えれば味方を強くするのは効率が悪く敵を弱くする方が効率がいい。
だから軍人は敵の嫌がることを考え、敵に嫌がることをされないよう注意を払う。
──わたしはフォークによる一連の騒動で暗殺されなかった。
このままでは負ける。たとえ同盟が帝国と和睦できても地球教を隠れ蓑にした
二年後には帝国も同盟も滅びて一五万の民だけが遺される。
──それでも。
ヤンは諦めない。
──軍人なんてろくなものじゃないな。この期に及んでなお、わたしは勝ち筋を探っている。
「バグダッシュ中尉」
「わたしですかい? わたしはここにはいないものとするんじゃ?」
「すまなかった。聞きたいことがあってね。もしわたしが精神汚染されていたらどう“適切に処理”されたかを」
「ヤン・ウェンリー大佐は怪我が重く負傷退役して予備役に編入。以後は消息不明。
「なるほど。ではそれでいこう」
「え」
「オーベルシュタイン。きみにも手伝ってもらう。裏で動いているやつをあぶり出すぞ」
「おまかせください」
翌日。ヤン・ウェンリーは病室から消えた。
空っぽのベッドの白いシーツに、辞表が置いてあった。