――やり直せるなら、誰も死なせない――
――やり直せるのなら、誰も悲しませない――
――やり直せるのならば、誰もが幸せな結末を――

例えその中に自分がいなかったとしても

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第1話

棺の中の自分の顔は思ったより穏やかだった。

海水で膨れているはずなのに葬儀屋が丁寧に整えたのだろう。

まるで眠っているみたいだと、誰かが小声で言うのが聞こえた。

 

違う。

俺は眠ってなんかいない。

ここにいる、棺のすぐ横に誰にも見えない形で立っている。

 

焼香の煙が鼻の奥を刺す——いや、刺すはずだった。

霊体になった俺には匂いも温度もない。

白い菊の花弁が棺を埋め尽くしているのに、甘い腐臭すら届かない。

触れようとした指先は花をすり抜け何の抵抗もなく空を切った。

 

斎場は人でいっぱいだった。

芸能関係者、共演者、スタッフ。

俺がこんなに多くの人間に囲まれる日が来るとは思わなかった。

前世の雨宮吾郎が死んだときは、宮崎の山中で白骨になるまで誰にも見つけてもらえなかったのに。

 

皮肉な話だ。

二度目の死はちゃんと見つけてもらえた。

それだけで、前世よりはマシな死に方だったのかもしれない。

 

五反田監督が焼香台の前で長く手を合わせていた。

あの人の背中が、こんなに小さく見えたことはない。

スーツの肩が微かに震えている。

隣にいた助監督が腕を支えようとして、五反田監督は首を横に振って一人で立つ。

あの人はいつもそうだ。

映画のことで何度も衝突して、俺が無茶を言っても最後には付き合ってくれた。

『15年の嘘』の上映を止めさせなかったのも、きっとあの人だろう。

 

MEMちょが泣いていた。

化粧が完全に崩れて、普段のギャルメイクの原型がない。

それでも嗚咽を必死に噛み殺そうとしている。

配信で鍛えた感情制御がこういうときに裏目に出る。

我慢するから余計に苦しくなる。

 

「あの子、ずっと泣いてるの」

 

ミヤコさんの声が聞こえた。

受付の近くで関係者に頭を下げながら小声で誰かに話している。

目の下に濃い隈があった。

黒い喪服は皺ひとつなく、髪もきちんとまとめている。

完璧に取り繕っている。

でも、その手が——焼香台を拭くために握った布巾を、ずっと離せないでいた。

 

俺の育ての親だ。

血の繋がりなんてなくて最初は厄介払いしたがっていたのに、気づけば誰よりも俺たちの味方だった人。

アイが死んでからの十数年、苺プロダクションを潰さないように俺とルビーを路頭に迷わせないようにずっと一人で背負ってきた人。

 

ミヤコさん。

あなたにはもっとちゃんと感謝を伝えるべきだった。

 

そのとき、斎場の空気が変わった。

 

有馬かなが入ってきた。

黒いワンピースに飾り気のない黒のカチューシャ。

まっすぐ棺に向かって歩いてくる。

周囲の視線が一斉に彼女に集まったが、かなは誰の目も見なかった。

 

棺の縁に手をかけて、中を覗き込む。

俺の——正確には俺だったものの顔を、じっと見下ろしている。

 

その瞳が揺れ、唇が震えている。

何かを言おうとしても言葉にならない。

喉の奥で潰れた音が漏れる。

 

「バカ」

 

小さな声だった。

でも斎場の静寂の中では、隅々まで響いた。

 

「この——バカ」

 

次の瞬間、かなの右手が振り上げられた。

乾いた音が斎場に反響する。棺の中の俺の頬に、平手が叩きつけられていた。

遺体の顔が僅かに揺れる。

菊の花弁が数枚、宙に舞った。

 

周囲が凍りついた。

誰も動けない。

その異様な光景に、弔問客の何人かが息を呑む音が聞こえた。

 

「約束したでしょ」

 

かなの声が裏返った。

涙が顎を伝って、棺の中の白い花に落ちる。

 

「ビンタして罵ってやるって——ちゃんと約束通りしたわよ。だからあんたも約束守りなさいよ……」

 

ミヤコさんが動いた。

飛び出すように歩いてきて、かなの頬を張った。

返しのビンタ。

息子を——自分が育てた息子の遺体を叩かれて、黙っていられるはずがない。

 

かなは頬を押さえなかった。

ミヤコさんのビンタなんて、眼中にすら入っていないように。

ただ棺の中の俺だけを見つめて、声を絞り出す。

 

「もう死ぬなんて言わないって約束したでしょ——嘘つき!」

 

献花が崩れた。

かなの手が白い花をかき分け、棺の中に突っ込まれる。

まるで俺を引きずり出そうとするみたいに。

 

「まだあんたにちゃんと好きだって——まだ言ってないのに!」

 

声が割れた。

十秒で泣ける天才子役だったがこれは演技じゃない。

かなの叫びは喉を裂くような生で、斎場の壁に跳ね返って何度も俺の耳を打った。

 

「生き返りなさいよ——お願いだから……!」

 

かな。

 

俺は手を伸ばした。

かなの肩に触れようとして、指先がすり抜ける。

当たり前だ。

霊体の手では、震える肩を支えることも、涙を拭ってやることもできない。

 

ごめん。

 

あかねは斎場の隅にいた。

壁に背をつけて、腕を組んでいる。泣いてはいなかった。ただ、その目だけが異常に乾いていた。涙を流し尽くしたのか、それとも泣くことすら自分に許していないのか。

 

あかねは全部知っている。

俺の計画も、カミキの正体も、この死が自殺であることも。真実を墓場まで持っていく覚悟を、あの子は一人で背負おうとしている。

 

俺があかねに押し付けた荷物だ。

付き合っていた頃、情報を得るために近づいたのが始まりだった。

それでもあかねは俺を好きでいてくれて、別れた後も見守り続けてくれた。

最悪の事態を起こさないように、と。

 

結局、最悪の事態を起こしたのは俺の方だ。

 

あかねの唇が微かに動いた。

音にはならなかったが、読唇術なんて必要ない。

 

「馬鹿」

 

同じ言葉だ、かなと同じ。

でも、あかねのそれには怒りよりも諦めが滲んでいた。

こうなることを、どこかで予感していたような顔。

 

ルビーの姿が見えなかった。

 

斎場を見回す。受付にも、焼香台の近くにも、弔問客の中にもいない。

俺の双子の妹。前世のさりなちゃん。あの子がいない。

 

「ルビーちゃんは部屋から出てこないの」

 

ミヤコさんが電話口で誰かに話しているのが聞こえた。

 

「喪服に着替えたまま、ずっと……ごはんも食べないで……」

 

声が途切れた。

ミヤコさんは電話を耳に当てたまま、しばらく何も言えなくなった。

布巾を握る手の甲に、血管が浮き上がっている。

 

ルビー。

 

俺は斎場を離れた。

壁をすり抜け、廊下を通り、控室のドアを透過する。

物理法則なんて霊体には関係ない。

便利なものだ、生きているときにこの能力があればもう少し楽に動けたのに。

 

控室の隅に、ルビーがいた。

 

黒い喪服のまま、壁と床の角にうずくまっている。

膝を抱えて、顔を埋めている。

その姿は、病室のベッドで膝を抱えていたさりなちゃんと重なった。

 

あのときは俺がそばにいた。

雨宮吾郎として、担当医として。くだらない話をして、アイの動画を一緒に見て、少しでも寂しくないように。

 

今は何もできない。

 

ルビーの肩が小さく震えていた。

泣いているのかと思ったが、違う。声を出していなかった。

涙も流れていない。

ただ震えている。

壊れたおもちゃの部品が、がたがたと音を立てるように。

 

「せんせー」

 

小さな声が漏れた。

 

「せんせー、どこ」

 

ここにいる。

ここにいるよ、ルビー。

 

俺は手を伸ばした。

ルビーの頭に触れようとして——すり抜ける、髪の一筋にさえ触れられない。

指先は何の感触も残さず、空気を掴むだけだ。

 

今度は違うと思った。

転生して、アイの息子として生まれて、ルビーのそばにいられる。

何もしてあげられなかった医師でしかなかった前世と異なり、力になれると思った。

 

なのに、また同じことをしてしまった。

大切な人を一人にして、死んだ。

 

ルビーの震えが止まらない。

喪服の裾を握りしめる指先が白い。爪が掌に食い込んでいるのが見える。

 

これが、俺の選択の結果だ。

 

カミキヒカルを道連れにして死ぬ。

ルビーが「殺人犯の兄の妹」にならないように。世間には「カミキに殺された被害者」として報道されるように。

完璧な計画だった。

ルビーの未来を守るための、最善手だった。

 

——本当に?

 

本当にこれが最善だったのか。

俺がいなくなったルビーの未来は、本当に守られているのか。

 

棺の中の遺体にすがりついたかなの叫び声が、まだ耳の奥で反響している。

壁に背をつけたあかねの乾いた目が、まだ視界にこびりついている。

布巾を離せないミヤコさんの手が、まだ——

 

俺は、何を守ったんだ。

 

葬儀が終わった。

弔問客が帰り、斎場が静まり返る。花の残骸が片付けられ、焼香の灰が掃き清められる。

 

俺はルビーのそばにいた。

控室から動かないルビーを、ミヤコさんが何度も迎えに来た。

そのたびにルビーは首を横に振り、膝に顔を埋め直す。

 

「ルビーちゃん、お水だけでも飲んで」

 

ミヤコさんがペットボトルを差し出す。

ルビーは反応しない。まるで聞こえていないみたいに。

 

「……お願い。ルビーちゃんまで倒れたら、私——」

 

ミヤコさんの声が震えた。

でも、すぐに唇を引き結んで、ペットボトルをルビーの手の届く場所に置いた。

踵を返す。

泣くのは一人のときだけ。あの人はいつもそうだった。

 

ドアが閉まる音がした。

ルビーは動かない。

 

時間が過ぎた。

数時間なのか、数日なのか、霊体になった俺には時間の感覚が曖昧だった。

窓の外の光が変わる。明るくなって、暗くなって、また明るくなる。

 

ルビーは最低限の水だけを口にして、ほとんど食べなかった。

MEMちょが見舞いに来た。

明るく振る舞おうとして、途中で自分が泣き出してしまった。

ルビーはMEMちょの背中をぼんやり眺めていたが、声はかけなかった。

 

かなも来た。

ドアの前で十分ほど立ち尽くして、ノックしないまま帰っていった。

自分があの場で叫んだことが、ルビーにどう響くか怖かったのかもしれない。

 

あかねは来なかった。

あの子は、自分がここに来ても何も変えられないことを知っている。

感情ではなく論理で動く。

それがあかねの強さで、同時に——ずっと一人で背負い続ける理由でもある。

 

ルビーの左目の星が、かすかに揺らいでいるように見えた。

 

消えるんじゃないかと思った。

俺の右目の星が消えたときのことを思い出す。

復讐の対象を見失ったとき、目的を見失ったとき、星は消えた。

ルビーにとって俺は——アクアであり、前世のゴロー先生であり、この世界で唯一の理解者だった。

 

その俺がいなくなった。

アイも、ゴローも、アクアも。ルビーが愛した人間は全員、暴力的に奪われていった。

 

俺まで、自分からいなくなった。

 

生き急いだ。

その言葉が、霊体になった俺の中で鉛のように沈んでいく。

 

もっと時間をかければよかった。

もっと別の方法があったんじゃないか。

カミキを社会的に追い詰める道筋だってあったかもしれない。

あかねと二人で証拠を積み上げて、法の裁きに委ねることだって——

 

でも、それじゃルビーが危険だった。

カミキが野放しである限り、いつルビーが標的にされるか分からなかった。

 

じゃあ、死ぬ以外の方法でカミキを無力化する手段は?

俺は本当にすべてを検討したのか?

 

分からない。

分からないまま、死んでしまった。

 

日が経つにつれて、俺自身の輪郭が薄れ始めていた。

 

最初は手の先だった。

指先が透けて、向こう側の壁紙の模様が見える。

手首まで広がり、肘まで広がり、気がつけば自分の体の半分が霞のようになっていた。

 

消えかけている。

霊体というのは、いつまでもここにいられるわけじゃないらしい。

当たり前か、死者がいつまでもこの世に留まれるなら世界は幽霊だらけだ。

 

でもまだ消えたくなかった。

ルビーがようやくMEMちょの手を取って、少しだけ部屋の外に出るようになっていた。

かなが撮影中にフラッシュバックで倒れたという噂を聞いた。

あかねは仕事を続けていたが、その目の奥に何か取り返しのつかないものが沈殿しているのが分かった。

ミヤコさんは毎晩、事務所の椅子に座ったまま眠っていた。

 

まだ見守りたかった。

でも、見守ることしかできない俺が、ここにいて何になる。

 

かなの声が、まだ耳にこびりついている。

 

「まだあんたにちゃんと好きだって——まだ言ってないのに!」

 

ああ。

俺も何も言えなかった。

 

あかねにも、ちゃんと向き合えなかった。

利用するところから始まった関係を、最後まで清算できなかった。

別れを告げたのは「守るため」だと自分に言い聞かせたけれど、あれは逃げだったのかもしれない。

 

ルビーには——なんて言えばいい。

二度もお前を一人にしてごめんとか。そんな言葉で済むわけがない。

 

ミヤコさん。

あなたの息子で幸せでした、なんて。生きてるうちに一度も言わなかった。

 

右腕が消えた。

肩から先がない。

見下ろすと、胸の輪郭も曖昧になっている。

霞が内側から広がるように、俺という存在が空気に溶けていく。

 

まだだ。

まだ消えるわけにはいかない。

 

でも、何ができる?

触れられない。声も届かない。

存在すら認識されない。

俺はもう、この世界の何にも干渉できない観客だ。

 

後悔だけが、体の代わりに実体を持ち始めていた。

この世に留まる理由が後悔だけなら、それは呪いと同じだ。

 

視界がぼやけた。

ルビーの部屋の天井が霞む。

蛍光灯の白い光が滲んで、輪郭を失っていく。

 

あ。

消える。

 

最後に見えたのは、ルビーの横顔だった。

窓際に立って、外を見ている。

何を見ているのかは分からない。

ただ、その目に——星が、まだ残っていた。

 

消えるな。

お前の星だけは、消えないでくれ。

 

 

 

意識が途切れた。

 

 

闇だった。

 

音もない。

 

光もない。

 

温度もない。

 

何もない空間に、俺の意識だけが浮かんでいる。

 

死後の世界、というやつなのか。

前世のときは、死んだ次はアイの子宮の中にいた。

今回はそうじゃない、ただの暗闇だ。

二度目の死に、転生のチケットは付いてこないらしい。

 

まあ、そうだろうな。

一度目の人生は理不尽に奪われたが、二度目は自分で選んだ死だ。

誰に殺されたわけでもない。

自分の足で海に沈んだ、やり直す権利なんてあるはずがない。

 

このまま消えるのか。

雨宮吾郎として三十年。

星野アクアとして十八年。

合わせて四十八年分の意識が、この暗闇に溶けて終わる。

 

 

悪くない。

 

嘘だ。

悪い、最悪だ。

 

かなの泣き顔が浮かぶ。

あかねの乾いた目が浮かぶ。

ルビーの震える肩が浮かぶ。

ミヤコさんの、布巾を握ったままの手が浮かぶ。

 

もっと、何かできたはずなのに。

 

暗闇が揺れた。

 

最初は気のせいだと思ったが、次の瞬間には光が走った。

暗闇を引き裂くように、一筋の白い光が横切る。

 

次の瞬間——

 

時間が、巻き戻った。

 

そうとしか表現できない。暗闇の中に映像が逆再生で流れ始める。

俺が海に沈んでいくシーンが巻き戻り、崖の上に立っている俺が巻き戻り、カミキと対峙する俺が巻き戻り、映画の撮影が巻き戻り、B小町のステージが巻き戻り——

 

速度が上がる。

すべてが高速で逆行していく。

高校。

中学。

小学校。

幼稚園。

アイの死。

アイの笑顔。

アイの腕の中。

 

そして——

 

圧迫感。

暗くて、狭くて、温かい場所。

体が小さい。

手も足も自分の意思で動かせない。

包まれた世界、規則的に聞こえる心音。

 

知っている。

この感覚を、俺は知っている。

 

子宮の中だ。

 

嘘だろ。

 

光が差し込んできた。

圧迫感が増して、体が押し出されていく。

産道の壁が俺を締め付ける。

冷たい空気が肌を叩いた瞬間、肺が勝手に広がった。

 

泣き声が出た。

自分の声だと認識するまでに数秒かかった。

新生児の甲高い泣き声。

前回と同じだ。

アクアに転生したときと、まったく同じ感覚。

 

目を開けた。

ぼやけた視界に、天井の蛍光灯が滲んでいる。

分娩室の無影灯だ。

前世——いや前前世の産婦人科医としての記憶が、この光景を正確に認識する。

 

誰かの手が俺を受け止めた。

大きくて温かい手。

医療用手袋の、あのゴムの感触。

 

持ち上げられる。

ぼやけた視界の中で、俺を抱き上げた人物の顔が見えた。

 

若い男だ。

白衣を着ている。

ぼやけた新生児の視力では表情まで読み取れない。

でも、その輪郭には覚えがあった。

 

体をひねる。

隣に、もう一つの小さな体がある、双子だ。

また、双子として生まれた。

 

じゃあ、これは——

 

視界がほんの少しだけ焦点を結んだ。

分娩台の上で息を切らしている女性の顔、汗で額に張り付いた髪、紫色の瞳。

 

星野アイ。

 

間違いない。

あの顔を見間違えるはずがない。

前々世で推していた、前世で俺を産み、そして今もう一度——俺を産んでくれた人。

 

頭が追いつかない。

もう一度、アイの子供として生まれた?

時間が巻き戻った?

三度目の人生?

 

混乱する頭で、一つだけ確かなことがあった。

ここは出発点だ。すべてが始まる場所。

 

俺を取り上げた医師が、アイに声をかけた。

 

「お疲れさまです、星野さん。元気な男の子と女の子ですよ」

 

その声を聞いた瞬間、全身の血が凍った。

 

知っている声だった。

聞き間違えるはずがない。

四十八年分の記憶の中で、最も聞き慣れた声。

毎日聞いていた声。

鏡に向かって話すたびに聞いていた声。

 

かつての俺の声だ。

 

視界がさらにわずかに焦点を結ぶ。

白衣の男の顔が、ほんの少しだけ見えた。

まだぼやけている。

でも輪郭だけで分かる。

 

雨宮吾郎。

俺の前前世。アクアの前世。

 

生きている。

 

この世界の雨宮吾郎は——生きている。

 

新生児の体が強張った。

声を上げようとして、出てくるのは赤ん坊の泣き声だけだ。

言葉にならない。何も伝えられない。

 

ゴロー先生が——俺が——アイに微笑みかけている。

 

「双子ちゃん、二人とも元気ですよ。よく頑張りましたね」

 

アイが、汗だくの顔で笑った。

あの笑顔だ。

嘘と本当の境目が分からない、でも確かに温かい、星野アイの笑顔。

 

俺は小さな拳を握りしめようとした。

指先に、自分の肌が食い込む微かな痛みがある。

 

これは夢じゃない。


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