改めて原作の出来事の時系列を追ってみましたが、懐玉・玉折編が2006年なのでこの話は2005年夏あたりですかね。手癖で話の舞台を夏にしがちなので本当に困ってます(夏でさえなければ懐玉編直前って強引な辻褄合わせもワンチャンできたのに…)と、いうワケで文中の【伏黒甚爾】表記を【禪院甚爾】に変更しました。
孔の運転でチャペル付近についたころ、周囲はすでに暗くなりつつあった。
「んじゃ、俺は適当な所で待機してっから。終わったら連絡くれや……お嬢ちゃん、禪院の世話たのむぜ」
「もちろんです」
「世話してやってんのは俺だ」
甚爾が助手席のドアをやや乱暴に閉める。夕闇の中へ吸い込まれるよう走り去る車のテールランプをぼんやりと眺めつつ、ミヲはぽつりと言った。「孔さんて素敵な方ですね」
チャペルへ歩き出そうとした瞬間、それをしっかり耳に入れた甚爾がありえないモノを見るような視線を向けた。
「うわ。お前男の趣味サイアクだな。おっさんだぞアレ」
「甚爾さんだっておじさんじゃないですか」
女子高生から見れば20から上は全部【おじさん】である。世間ではどうだか知らないが、少なくともミヲにとって禪院甚爾という男は恋愛対象に含む異性ではないようだった。
年頃の女子からの容赦ない指摘を真正面から受け、甚爾は珍しく言葉に詰まったらしかった。何かを言い返そうとして結局、
「……俺はまだアラサーだ」
と、やや顔を傾けぼそりと言った。
「それに孔は出会った頃からおっさんだった」
「お付き合い長いんですか」
「まぁな」
路地裏の通路を通り抜け、通常であれば眼前に古びた建物が現れるはずであったが、実際に視界に飛び込んできたのは何か黒い
帳──呪術師が使う基礎的な結界術だ。読んで字のごとく、周囲を闇よりも濃い闇で覆い隠すことで外部からの侵入及び内部の視認を防いでいる。そしてこれがチャペルを覆い隠しているという事は、つまり、今ここに呪術師が来ているという事。呪術師。よりにもよってこのタイミングで。甚爾は髪に手を突っ込んで実にわずらわし気に搔きむしり、溜め息まで吐いた。舌打ち。
「面倒くせえな」
「帳が上がるまで待機しますか?」
「いや、んな退屈な真似してたら獲物を横から掠め取られる。面倒だが行くしかねえ」
「でも帳は……」
降りている以上、外部からの侵入は叶わないハズだ。いかに甚爾と言えど例外ではない。
ミヲのやや戸惑ったような視線を受けたまま、甚爾は手を口元へ持ってきた。黒いシャツ越しに浮かぶ屈筋がわずかに持ち上がる。えづく音とともに吐き出されたのは、ピンポン玉サイズほどの丸まった紫色の何か。
それは芋虫のような姿をした呪霊だった。自分で自分の尾を咥えこみ身体を極限サイズまで丸め、さらにそれを甚爾が自身の腹の中へ隠し込んでいたのである。尾を放し元のサイズに戻ったそれを、甚爾は自身の上半身へ巻き付けさせた。肩に乗せている顔はどこか赤ん坊を想起させる。その口元へ躊躇なく手を突っ込み探り、ずるりと一本の得物を取り出し、軽く振った。
「手品師というよりスパイのようですね。その
ミヲがはしゃいだ声でパチパチと手を打ち鳴らす。
適当な位置で対面に立つと、その手に握った十手のような得物【天逆鉾】で、甚爾は帳の表面を撫でるように斬った。些か変な表現だが【斬った】としか言いようがない。暗い表面にぱっくりと口を開け、チャペルの庭と建物の一部を覗かせる亀裂を、甚爾は悠々と潜り抜けた。
「お前、一応術師だったよな。念のためこっち側から新しく帳を下ろしておけ」
少し遅れてついて来たミヲへ指示し新しい帳を下ろさせると、チャペルを見上げた。建物自体は何ら変哲のない教会風だが、かつてはカルトの集会場で今はゲスなオークションの会場にされている。本来は白かったであろう壁は薄汚れ所々にひびが走り、ツタが絡みついている。手入れする者などいない庭は雑草が高く伸び密集していた。
錆びた門柱が不快な甲高い音を鳴らしながら開く。草を踏みしめて進み、大きな二枚の木板のドアへ耳を付け中の様子を探る。フィジカルギフテッドの恩恵で超常的に発達した五感は、すぐさま中の異変を捕らえた。
「やってんなあ」ドアから身体を離す。「おい、ダウジングで慈善家がまだ生きてるか探れ」
振り子はすぐに反応を示した。だが、その反応がおかしい。いつもならゆらゆらと左右に揺れる水晶が、今回はぐるんぐるんと激しく回転している。甚爾が眉をひそめる。
「甚爾さんのターゲットは生きているみたいです。良かったですね、恐らくは敵襲後すぐに逃げて閉じこもっているのかと……地下にいるみたいです」
「んなことより、そりゃなんだ」
「……別の呪力に反応してるんですよ。私よりも遥かに多い呪力を持った人が室内にいるみたいです。これは──きゃっ!?」
ぱんと破裂音を響かせて水晶が砕け散った。細かい破片が草むらに散り、街灯の光を反射させ輝く。辻占家が抱えている呪具職人に作らせた振り子だった。そう簡単に壊れるはずがない。だが──。
左の手のひらを眺めるミヲの頬へ汗が一筋伝った。
「特級でも来てるってのか? まァいい、ターゲットは地下なんだな? サクッと行ってサクッと殺ってくる。お前は裏口に回って孔へ連絡しとけ」
「はい……」
胸元に放られた携帯を両手でキャッチし、割れた窓ガラスから室内へ入っていく甚爾を見送ってからミヲは建物の外周を回り裏口へ向かった。開け放たれたドアや割れたガラスからは風に乗って血の匂いが漂い鼻腔を打っていく。裏口へ近づくほど血臭は濃くなった。だが、ミヲがいま気にしていたのは壊れた振り子のことだった。正確に言えば、水晶が砕け散るほど強烈な呪力を持つ存在について。
「まさかね。まさか……」
すでに下りていた帳。室内の喧騒と血の匂い。術師。呪術師。東京都立呪術高等専門学校……。
まだそうだと確定した訳でもないのに背がぞくぞくと粟立ち、胸中に確信めいた嫌な予感が湧きあがる。耳元で父・宗助の囁きがハッキリと聞こえた。勝て。五条のガキが来ているぞ。勝て。お前はその為だけに存在を許されているのだから。勝て。勝て。勝て。
甚爾といる時は聞こえなかったはずの忌々しい祝詞が大音量で脳へ直接響いてくる。汗が噴き出す。水でも被ったようにびしょ濡れだ。手足が面白いほど小刻みに震え脱力し、立っていられなくなったミヲはその場にくずおれ、少しだけ吐いた。胃液交じりの吐瀉物の中に得体の知れない虫が混じっていた。
「どうして……」
地面についた手を握る。
甚爾といる時には聞こえないのに。背と肩に死人の重みと冷たさが這った。首に枯れ木のような指が巻き付くと呼吸が苦しくなった。
『あんな男に心を許すからだ』
「違います、私はただ甚爾さんに殺してもらいたいだけ……」
『違わないだろう。お前はあの禪院の落ちこぼれと言葉を交わしている時、少しでも思わなかったのか? 生きたいと。生きてみてもいいかなと。くだらんよ。それは実にくだらんことだ。落ちこぼれ同士の傷の舐め合いにすぎん。よいか
「なんで内側からも帳が下りてるんだよ?」
「私たちの他に何者かが来ているのか……?」
「いやだとしてもおかしくね? 内側からおろされてるって事は、俺らが張った帳をこじ開けて入って来たって事になんだろ」
「少し周囲を確認してみよう」
任務を終え撤収すべくエントランスへ戻って来た五条悟と夏油傑は、すぐに異変に気が付いた。二重の帳。何者かが内部に侵入している。普通ならありえないはずの事象だ。そもそも、地下室の隠し部屋に押し入った時、すでにターゲットだった呪詛師が死亡していたことがおかしい。鋭利な刃物で一太刀されたのか、上半身と下半身が泣き別れになっていた。断面から血と脂と臓物をこぼれさせる男は、その魂ごと斬り裂かれていた。
「いずれにせよ、タダモノじゃないだろうね」
「あ゙~~ダルッ!」
顎抜触れながら考え込むように言う夏油。五条はべっと舌を出した。
二手に分かれて確認しようという事になり、夏油は右を、五条は左側からチャペル周辺を見て回った。闇の中に自分たち以外の人間の姿など見えないが──「あ?」
サングラス越しの青い目に、薄いブルーのワンピースの小柄な背が映った。しゃがみ込み震えているように見える。だが何よりも五条の興味をそそったのは、その背に重なるよう立つ呪霊だった。
「エグいの憑けてんじゃん。カッコイー」
にやりと口の端を吊り上げ草を踏み分けて少女へと近づいていく。距離を詰めるほど呪霊の気配は濃くなり、しゃらしゃらという妙に涼やかな音が夜気に響き耳を打った。
「なあ」真後ろから声をかけると背がびくりと震えた。怯えているようだった。ゆっくりと首が振り向く。
「もう、甚爾さん遅いで──」
「トウジって誰? んなことより帳下ろしたのってアンタか? アンタだろ? アンタだよな? 違うとは言わせねえよ」
上向いた少女のやけに白い顔の中でハイライトのない黒い目が見開かれた。
「……悟くん」
ミヲの口からその名がこぼれると、夜風が木々の枝を揺らした。
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