冬木アクターズ・ラプソディ ~観光に来た演劇バカの女子大生、うっかり龍之介を轢いてしまったので、キャスターの「ジャンヌ役」として聖杯戦争を完遂します~ 作:斉宮 柴野
彼女はただ舞台の取材に来ただけだった。
だがこの街は、舞台よりも残酷で、
そして観客は一人もいない。
※Fate/Zero本編の重大なネタバレを含みます。
カーテンコールは唐突に
「あー、やっぱり地方都市の空気ってのは独特の味わいがあるねえ。なんていうか、こう、舞台セットの裏側を覗いてるようなワクワク感?わかるかなあ、この感覚。わからない?まあいいや、天才の感性なんて凡人には理解不能なもんだし。……。」
「おや、無視?私のこの高尚な独り言を無視とは、なかなかいい度胸だねえ冬木の風よ。でも嫌いじゃないよ、その冷たさ。役作りのヒントになりそうだ。タイトルはそう、『運命と私と冬木』主演はもちろん私。どう?完璧すぎない?」
新都の歩道で、私はキャリーケースをガラガラと引きずりながら一人ごちる。通行人が奇異の視線を向けてくるけれど、そんなものは私にとって観客の熱視線と同じだ。むしろ心地いいまである。
私は聖上真樹。19歳。表向きはどこにでもいる女子大生だけど、その実態は小劇場界にその名を轟かせる(予定の)超実力派女優。
今回、私がこの冬木市に降り立った理由はただ一つ。次の舞台のための取材だ。テーマは「地方都市に潜む非日常」
日常の皮を被った非日常。それを見つけ出し、吸収し、私の血肉とする。完璧なプランだ。我ながら恐ろしいほどのプロ意識。
コンクリートの冷たい質感、無機質なガラスの反射、行き交う人々の生気のない顔。いいね、すごくいい。まるで低予算のサスペンスドラマのオープニングみたいだ。空気中に漂うこの微細な埃っぽさも、演出効果としては満点に近い。
「ん……?……っ!?」
突風が吹く。計算されていない、無粋で乱暴な自然の暴力。砂埃が舞い上がり、私の顔面を直撃する。
痛い。猛烈に痛い。微細な粒子が容赦なく突き刺さる。
普通の女子大生なら、ここで「キャッ」とか可愛らしい悲鳴を上げて目をこするところだろう。だが、私は違う。この程度のハプニングですら演技の糧にする。
日常のすべては
神が与えたこの「痛み」というシチュエーション、利用させてもらおうじゃないか。私はキャリーケースのハンドルから手を離し、大袈裟に天を仰ぐ。背骨を弓なりに反らせ、指先を痙攣させながら顔面を覆う。意識するのは、そう、あのアニメ映画の悪役。極上の悲劇と喜劇は紙一重。腹の底から声を出す。
「目が!目がぁぁぁぁ~~!!」
いいね。発声、抑揚、間の取り方。どれをとってもアカデミー賞モノのクオリティ。通行人たちの視線が一斉に突き刺さるのを感じる。驚愕、困惑、そして恐怖。ふふん、いいリアクションだわ。
涙で視界が滲む中、ぼんやりと人影が見える。前方から歩いてきていた茶髪の青年。派手な柄シャツに、どこか浮ついた足取り。彼もまた、私の演技に魅入られた観客の一人。さあ、どう出る?私のこの迫真のパフォーマンスに対し、君はどういうリアクションを返す?
「えっ、何!?誰かにやられた!?」
おっと、そうきたか。「誰かにやられた!?」というセリフのチョイス。普通なら「大丈夫ですか?」とか「変な人がいる」という反応がくるところを、いきなり事件性を疑うそのセンス。悪くない。彼もまた、この街の「非日常」を生きる住人なのかもしれない。
あるいは、私への対抗意識か?私の演技に乗っかって、即興劇(インプロ)を仕掛けてきたというのか?面白い。受けて立とうじゃないか。私はさらに演技のボルテージを上げる。苦悶の表情を浮かべながら、よろよろと彼の方へ手を伸ばす。
「視界が……闇に……!誰か、誰か光を……!」
「うわっ、マジかよ!?何か飛んできた!?スタンド攻撃か!?」
青年が過剰に反応して後ずさる。スタンド攻撃。なるほど、そういう世界観の設定でくるわけね。サブカルチャーへの造詣も深いと見た。いいよ、そのノリ。嫌いじゃない。だが、ちょっと動きがオーバーすぎないか?
彼は私の迫力に押されるように、タタタッと軽快なステップで後ろへ下がる。何かに弾かれたような、あるいは見えない糸で引っ張られたような動き。身体能力が高い。しかし、そこは――。
「あ……」
「へ?」
私の口から、演技ではない素の声が漏れる。
私の演技(と彼自身のノリ)に夢中になりすぎて、空間認識がおろそかになっている。注意喚起をするべきか?「危ない!」と叫ぶべきか?いや、待て。もしかして、これも計算?ここまで含めての「演出」なのか?迫りくる大型トラックの影。ヘッドライトの閃光。それはまるで、舞台を照らすスポットライトのように。
「COOOL!!」
キキーッ!!ドンッ!!
鼓膜をつんざくブレーキ音。続いて、重い物体と硬い物体が高速で衝突する鈍い音。物理法則が仕事をする音がした。青年の体が、まるでゴムまりのように軽やかに宙を舞う。
すべてがスローモーションに見える。彼は空中で一度きりもみし、無様に、しかしどこか芸術的にアスファルトへ叩きつけられた。
見た。これは…よい素材だ。生で交通事故が見られるなんて、今後の参考にしよう。演技の幅がまた広がるわ。
ゴロゴロと転がり、歩道の縁石にぶつかって止まる。その体から、鮮やかな赤色がじわりと広がる。
「…………え?」
目の前の光景に、思考が追いつかない。……嘘でしょ。タイミング、音響、エキストラの動き……完璧すぎる。あまりにもリアルな「死」の演技。
え、これドッキリ?私へのサプライズオーディション?あのトラックの運転手も、今のスタントマンも、周りで騒いでいる人たちも、全員が仕掛け人?だとしたら、すごい。国家予算レベルの制作費がかかってるんじゃないの、これ。
「救急車!早く救急車をー!!」
「ひ、人が撥ねられたぞー!」
「おい、しっかりしろ!生きてるか!?」
声の震え、慌てふためく動作、携帯電話を取り出す手つき。どれもが自然で、わざとらしさが一切ない。特にあの「救急車!」と叫んだおばさん。悲壮感がすごい。あそこまで顔をくしゃくしゃにして叫べるなんて、ただのエキストラじゃないわね。ベテランの劇団員か何か?
そして何より、主役である彼の死に様だ。ピクリとも動かない。呼吸をしている様子すらない。手足のねじれ具合とか、解剖学的にも「あ、これ折れてるな」と思わせる角度で固定されている。
「……すごい。血糊の量、ちょっと多すぎない?」
地面に広がる赤い液体。夕日に照らされてテラテラと光っている。これ、どうやって出したの?背中にタンクでも背負ってた?それとも口の中にカプセルを仕込んでいて、着地の瞬間に噛み砕いた?だとしても量が尋常じゃない。1リットル……いや、2リットルはあるんじゃないか?ポンプ式の装置を服の下に隠しているに違いない。
その赤い液体を指先でちょんと触れてみる。温かい。そして、鉄錆のような匂い。粘度も完璧。最近の特殊メイク技術はここまで進化しているのか。映画『シャイニング』のエレベーターのシーンを彷彿とさせる鮮烈な赤。美術スタッフ、いい仕事してるなあ。これ、洗濯しても落ちないタイプの高い血糊だよ絶対。衣装さん泣かせだなあ。
「君!何やってるんだ!触っちゃダメだ!」
「ブラボー!ブラボー!!素晴らしい死に様でした!あなた、どこの事務所?劇団四季?それとも無名塾?その体の張り方、リスペクトに値するわ!」
「……あれ?」
もしかして、長回し?ワンカット撮影で、救急車が到着して搬送されるまでをリアルタイムで撮る手法?ドキュメンタリー風の演出?だとしたら、私も演技を止めちゃいけない。この「頭のおかしい女」というキャラを貫き通さなきゃいけない。
試されてる。私の女優魂が試されてるんだわ!ここで素に戻って「大丈夫ですか?」なんて言ったら、オーディションは不合格。
「日常に潜む狂気」を演じきった者だけが、この冬木という舞台の勝者になれる。そうに違いない。私は再び倒れている彼に向き直る。ピクリとも動かない彼。その顔は安らか……ではないな。驚愕の表情で固まっている。私の「目がぁぁ!」の演技に驚いた顔のまま、時が止まっている。ごめんね、私の演技が上手すぎて。
でも、君も悪くないよ。最期のセリフが「COOOL!!」だったのは意味不明だけど、キャラクターの個性としては際立ってた。脚本家、誰だろう。虚淵とかいう人かな。人の死をなんだと思ってるんだってくらい唐突すぎる展開だけど、インパクトは絶大だ。
「おい、あんた!警察に説明してくれ!一番近くで見てただろ!」
トラックの運転手が降りてきた。作業着姿の中年男性。顔色が真っ青で、足が震えている。うまい。本当にうまい。人を轢いてしまった罪悪感と恐怖、そしてパニック。メソッド演技法の極致だ。過去に本当に人を轢いた経験があるんじゃないかと疑うレベルのリアリティ。私は彼にウインクを送る。
「ええ、もちろん。証言台に立つ準備はできているわ。私の目撃した『真実』を、世界中に向けて語りましょう。スポットライトの準備はいい?」
「は、はあ!?何言ってんだあんた!」
「それにしても……」
「……ふっ、燃えてきた」
私は右目を押さえながら(まだ少し痛い)、ニヤリと笑う。面白いじゃない、冬木市。ただの地方都市だと思って舐めてたけど、ここはとんでもない演劇都市だわ。街全体が舞台。住人全員がアクター。
そして私は、その頂点に立つためにやってきた挑戦者。望むところよ。この聖上真樹が、あんたたち全員食ってやる。まずはこの死体役の彼よりも目立たなきゃ。救急隊員が来たら、どういう演技で迎え撃とうかな。過呼吸で倒れるヒロイン?それとも、事故の瞬間を超能力で予知していたと主張する霊能者?
あるいは、実は私が彼を念力で突き飛ばしたと告白するサイコキラー?選択肢は無限大。私のインプロ力が唸りを上げる。
ピーポーピーポー。
救急車が到着した。ストレッチャー、AED、酸素マスク。手際がいい。毎日訓練しているかのような動き(まあ本職の人をエキストラに雇ってるんだろうけど)。
「意識なし!呼吸なし!脈拍……確認できません!」
「CPR開始!ルート確保急げ!」
かっこいい。医療ドラマみたい。私も混ざりたい。「先生!患者の血圧が下がってます!」とか言いたい。
「君!大丈夫か!?怪我はないか!?」
来た。私へのキュー(合図)だ。右目は充血し、涙で濡れている(砂のせい)。表情は虚ろに、しかしどこか恍惚とした色を浮かべて。
「……見ちゃった。見ちゃったの。赤い……赤い花が咲くのを。彼、飛んだわ。天使みたいに。でも羽がなかったから、落ちちゃったの。可哀想なイカロス……」
「え?」
どうだ。このポエティックかつ電波なセリフ。救急隊員のお兄さん、ポカンとしてる。完全に私の世界観に引きずり込んだわね。勝ちだ。このシーンのMVPは私。
「……過度のショック状態にあるようです!警察の方、保護をお願いします!」
「了解!」
「お嬢さん、大丈夫だよ。もう安全だからね。こっちへおいで」
「あ、はい。……えっと、連行ですか?取り調べ室でカツ丼ですか?」
「はは、カツ丼は出ないけど、温かいお茶くらいは出るよ。さあ、パトカーに乗って」
本物のパトカーに乗れるの?マジで?内部のセットとかどうなってるんだろう。無線機とか触っていいのかな。役得すぎる。
私はお巡りさんにエスコートされながら、パトカーへと向かう。去り際に、ストレッチャーに乗せられる青年を振り返る。白い布を顔に被せられようとしている彼。最後まで顔を見せない演出か。ニクいねえ。
(お疲れ様、名もなき名優さん。君の死に様、一生忘れないよ。次の現場で会ったら、ぜひ演技論について語り合おうね)
「……あ、そういえば」
さっきの彼、最後になんて言ったんだっけ。クール?なんでクール?ホットな状況だったのに。まあいいか。アドリブのセンスはちょっと独特だったけど、それもまた味だよね。
「あ・え・い・う・え・お・あ・お……」
「お嬢さん?気分悪いの?」
「いいえ、絶好調です。喉の調子を整えているだけですのでお気になさらず」
「……あ、お巡りさん。サイレン鳴らしてもらってもいいですか?雰囲気出したいんで」
「ダメに決まってるでしょ」
ちぇっ。ケチだなあ、冬木警察。
◇◇
「……つまり、君が『目がぁぁ』と叫んだせいで、被害者は驚いて車道に出たと」
「はい。発声練習の一環でした。スタジオ作品へのオマージュも込めて、腹式呼吸の確認を少々。まさかあんなに素晴らしいリアクションを返してくださるとは……感無量です」
「……。あのタイミングでの『えっ、何!?』というセリフ回し、そして車道への飛び出し。あれは素人にはできません。相当な訓練を積んだスタントマンの方ですよね?後で名刺交換させていただけませんか?私、ああいう体当たりな演技ができる方とは仲良くなれる気がするんです」
「……君ねぇ」
壁にはシミが一つ、二つ。机の上には使い込まれた灰皿と、湯呑み。
このセット、美術担当は誰?あまりにも「昭和の刑事ドラマ」すぎる。この古臭い空気感、わざと演出してるなら天才的だわ。
この閉鎖空間こそが、今の私に与えられた新しい舞台。目の前に座る刑事役のおじさんも、これまたいい味を出している。くたびれたスーツ、無精髭、そして眉間に刻まれた深いシワ。「家庭に居場所がない中間管理職」あるいは「現場一筋30年、出世コースから外れたベテラン」というバックボーンが、セリフがなくとも伝わってくる。
役作りが細かい。きっと、家を出る前に奥さんと喧嘩してきた設定なんでしょうね。それとも、娘さんが反抗期で口をきいてくれないとか?そういう「哀愁」を背負った演技、嫌いじゃない。私は背筋を伸ばし、あくまで「誤解されて連行された悲劇のヒロイン」というポジションを崩さない。
ここで私がオドオドしたり、泣き出したりしたら、彼の渋い演技が台無しになってしまう。名優は相手の良さを引き出すもの。だから私は、堂々と、あくまでプロフェッショナルとして振る舞う。それにしても、カツ丼はまだかな。取調室といえばカツ丼。これはシェイクスピアにおけるドクロと同じくらい、必要不可欠な小道具のはず。まさか予算オーバーでカット?いやいや、冬木市の演劇に対する情熱を信じたい。
「……まあいい。君の言動が支離滅裂なのは、ショック状態のせいだということにしておこう。……実はあの男、指名手配中の連続殺人犯だったんだ」
「え?」
「雨生龍之介。聞いたことないか?ここ最近、近県で子供や若い女性を狙った残忍な犯行を繰り返していた。……我々も行方を追っていたんだが、まさかこんな形で確保することになるとはな。……。君の奇行が、結果的にこれ以上の被害を食い止めたことになるのか……世も末だな。まったく、事実は小説より奇なりとはよく言ったもんだ」
……連続、殺人犯?雨生、龍之介?ちょっと待って。脳内の脚本データバンクを高速検索。該当なし。え、これオリジナル脚本?それともドキュメンタリータッチの社会派ドラマ?
机の上の資料には、さっきの彼――派手なシャツを着て、見事に車に撥ねられた彼――の顔写真。その横には「重要指名手配」「連続誘拐殺人」の文字。フォントが明朝体で太字。リアリティ重視の小道具ね。でも、言ってることの内容がすごすぎる。殺人犯?あの、コミカルに「COOOL!!」とか叫んで飛んでいった彼が?子供や女性を狙う、凶悪なヴィラン?……嘘でしょ。
いや、待てよ。もしそれが「設定」ではなく「真実」だとしたら。私が偶然、本当に偶然、街角で発声練習をしたその瞬間に、凶悪犯が通りかかり、私の美声に驚いて自爆した……?
「……ふ、ふふふ」
なんてこと。なんてドラマチックな展開!私が突き飛ばした(間接的に、あくまで間接的に!)相手は、本物の悪役(ヴィラン)だったの?通行人Aだと思ってた彼が、実は物語のラスボス級キャラクターだったなんて!ゾクゾクする。背筋に電流が走るようなこの感覚。
やっぱり私は、物語の中心にいるんだわ。ただの観光客じゃない。私は、この「冬木市」という巨大な劇場において、悪を挫くトリックスターの役割を与えられたのだ。すごい。脚本の神様、私のこと好きすぎない?普通、第1話で主人公が何気なく行った行動が、後の大事件解決に繋がるっていうのは王道パターンだけど、ここまでダイナミックな伏線回収は見たことがない。
私が「目がぁぁ!」と叫ばなければ、彼は今も誰かを傷つけていたかもしれない。つまり、私は街を救ったのだ。スーパーヒロイン・聖上真樹、ここに爆誕。
あー、早く記者会見の準備しなきゃ。「どのようなお気持ちで叫ばれたのですか?」って聞かれたら、「悪の気配を感じたので、ソニックウェーブを放ちました」って答えようかな。いや、それはさすがに電波すぎるか。
「偶然です。でも、運命を感じます」くらいにしとくのが、好感度高い女優のムーブよね。妄想が止まらない。私の脳内スクリーンでは、すでに映画化が決定し、レッドカーペットを歩く自分の姿が上映されている。刑事が呆れたような顔で私を見ている。ごめんなさい刑事さん。あなたの渋い演技も素敵だけど、今の私は自分という存在のヒロイン補正に酔いしれているの。
「それで、だ。君にはもう少し詳しく話を聞きたいんだが……その前に、身元の確認をさせてもらう。学生証か何か持ってるか?」
「はい、どうぞ。聖上真樹、19歳。将来の夢は大女優。今の職業は、世界という舞台の観測者です」
「……女子大生だな。了解。……ん?君、その手」
「手?手がどうかしましたか?手タレもいけるくらい綺麗だとは自負してますけど」
「いや、違う。右手の甲だ。……なんだその落書きは。いつの間に描いたんだ?」
落書き?失礼ね。私の肌はキャンバスじゃないのよ。ネイルアートならぬハンドアート?身に覚えがない。さっき転んだ時についた泥汚れとか?
そこには、鮮烈な赤色があった。血ではない。幾何学的な紋様。トライバル柄のタトゥーシールみたいだけど。
デザインのセンスは……うん、悪くない。エッジの効いた意匠だ。いつの間に?
パトカーの中で寝てた時?それとも、さっきお茶を出してくれた婦警さんが、ドッキリでこっそり貼った?だとしたら、冬木警察署のエンタメ精神、高すぎない?
「あら、いつの間にボディペイント?警察の人、粋な計らいするじゃないですか。これ、記念に貰っていいんですか?」
「……は?警察がそんなことするわけないだろ。君、元々タトゥーを入れてたのか?」
「いえいえ、私の肌はバージンスキンです。傷一つない白磁の肌が売りですから。……でも、これカッコいいですね。次の舞台の役作りに使えるかも。『封印されし右腕を持つ少女』とか」
「……ふう。まあいい。事件とは関係なさそうだな。とりあえず、それは洗っても落ちないタイプか?」
手の甲をこすってみる。落ちない。というか、皮膚と一体化しているような感覚。熱い。微かに熱を帯びている。これ、特殊メイクだとしたらハリウッド級の技術よ。シリコンを埋め込んだ?いや、そんな手術を受けた記憶はない。ということは、やっぱりボディペイントの最高傑作か。
冬木市の技術力、底が知れない。もしかして、私が「連続殺人犯を倒したヒロイン」として認定された証?ゲームで言うところの「実績解除」のトロフィーみたいな?「称号:街の守護者」を獲得しました、的な。だとしたら嬉しい。この赤い紋様、気に入ったわ。
「ねえ刑事さん。これ、なんていう模様なんですか?この地方の魔除けとか?それとも、警察署公認の『一日署長』のマークとか?」
「知らん。そんなふざけたマークがあるか。……それより、事故の瞬間の話を戻すぞ。君は彼がトラックに撥ねられる直前、何か叫んだと言っていたな?」
「はい。『COOOL!!』です」
「……クール、か。意味がわからんな」
「私もわかりません。でも、魂の叫びって感じでしたよ。ロックでした」
かわいそうに。凡人には理解できない芸術家の魂(ソウル)に触れて、処理落ちしかけているのね。
……あ、わかった。これ、次の展開への招待状だ。リアル脱出ゲームとかでよくあるやつ。「このマークを持つ者は、指定された場所へ向かえ」みたいなミッションが隠されているに違いない。冬木市全体を使った、大規模な周遊型謎解きイベント。
私が参加者(プレイヤー)として選ばれたんだ。そうとしか考えられない。だって、こんな偶然、現実にあるわけがないもの。殺人犯との遭遇、そして謎のタトゥー。すべては計算されたシナリオ。演出家は誰?この街の市長?
「あの、刑事さん。私、もう帰っていいですか?この右手のペイント、ちょっと調べたいことがあるので」
「……まだ調書が終わっとらん。それに、君は重要参考人だ。しばらくここにいてもらう」
「えー、そんな殺生な。あ、わかった!私をここに留め置いて、その間に外では大掛かりなセットチェンジが行われているんですね?次のステージの準備中ってわけだ」
「……君の脳内はどうなってるんだ。病院を紹介した方がいいかもしれん」
「病院!いいですね、『白い巨塔』ごっこ!私、総回診のシーンで後ろをついて歩く研修医の役やりたかったんです!」
不条理演劇の傑作『ゴドーを待ちながら』を彷彿とさせるわ。私たちはここで、来もしないカツ丼を待ちながら、永遠にすれ違う会話を続ける運命なのかもしれない。それはそれで、前衛的で面白い。
でも、私の右手が疼く。この赤い紋様が、「ここじゃない、外へ出ろ」と囁いている気がする。……気のせい?いや、役者の勘は絶対だ。何かが始まる。この取調室の外で、もっとエキサイティングで、もっとクレイジーな「何か」が動き出している。連続殺人犯なんて、ただの前座に過ぎないような「何か」が。
「ねえ刑事さん。外、騒がしくないですか?」
「ん?……ああ、さっきからサイレンの音が止まないな。今日は厄日か」
「厄日じゃありません。フェスティバルです。きっと、この冬木市全体が、今夜お祭り騒ぎになるんですよ」
「……不謹慎なことを言うな」
◇◇
「……ふう。解放された。いやあ、長かったねえ。取り調べという名の『精神と時の部屋』あの刑事さんの粘着質な演技、嫌いじゃないけど、もう少しテンポアップしてくれないと観客(わたし)がダレちゃうよ」
時刻は深夜。夜霧が立ち込め、古い街灯がぼんやりと頼りない光を落としている。
照明担当さん、いい仕事してる。この「何かが出そう」な不穏な空気感を作るために、スモークマシンを何台稼働させてるんだろう。予算、潤沢すぎない?私はキャリーケースのハンドルを握り直す。さて、ホテルに戻って今日の振り返りを……反省ノートを書かなきゃ。
今日のベストアクトはやっぱり「目がぁぁ!」のシーンだけど、その後の警察署での「電波系ヒロイン」の演技も捨てがたい。自分の才能が怖い。
「……ん?」
その時。私の「役者センサー」が反応した。気配。それも、ただの通行人じゃない。圧倒的な「異物感」を放つ何者かが、私の背後の暗闇にいる。街灯の光が届かない、路地裏の深い闇。そこから、ぬらりと。本当に「ぬらり」という擬音が聞こえてきそうな滑らかさで、人影が現れた。
「…………。……?」
身長は高い。190センチ近くあるんじゃないか?そして、その衣装。漆黒のローブ。ただの布じゃない。重厚なドレープ、複雑な刺繍、そして見るからに高そうな質感。ベルベット?いや、もっと古い時代の、博物館に展示されているようなアンティークの織物だ。
そして何より、顔。青白い……というより、土気色。頬はこけ、眼窩は窪んでいるのに、その中心にある眼球だけが異様に突出している。
爬虫類?深海魚?すごい。特殊メイクのクオリティが、さっきの交通事故の彼(龍之介くん)を超えてる。この冬木市、どんだけハイレベルな人材を抱えてるの?もしや、さっきの『殺人犯役』の彼の役者仲間?まだイベントは続いてるの?私の「カーテンコール」はまだお預けってこと?
「龍之介……ではない。我が主の気配が消え、代わりに……」
「龍之介」って言った?ああ、さっきの彼のことか。「主の気配が消え」ってことは、彼がリタイア(逮捕&死亡)したことを知ってるのね。
情報共有が早い。インカムで指示が飛んでるのかな。男が私を見る。その巨大な瞳が、さらに限界を超えて見開かれる。瞼の筋肉どうなってるの?ドライアイ大丈夫?私は思わず目薬を差し出してあげたくなる衝動に駆られるが、グッとこらえる。今は「観客」ではなく「演者」として対峙すべきだ。
「おお……おおお!!」
男が絶叫する。空気がビリビリと震えるほどの声量。彼はアスファルトの地面に膝をつき、両手を広げて天を仰ぐ。その姿は、神に祈りを捧げる狂信者そのもの。
「ジャンヌ!!ジャンヌではありませんか!!」
「……え?」
ジャンヌ?私のこと?……ああ、なるほど!『ジャンヌ・ダルク』か!
私のこの凛とした立ち姿、汚れなき瞳、そして内から溢れ出るカリスマ性を見て、その役を振ってきたのね?分かる、分かるよその気持ち。私もよく「前世はロシアのスパイだったんじゃない?」って言われるもん。即興劇(エチュード)ね。
お題は「再会」。配役は「聖女」と「狂信者」。望むところよ!私はキャリーケースから手を離す。瞬時にスイッチを切り替える。背筋をさらに伸ばし、顎を少し引き、慈愛と威厳、そして悲しみを湛えた「聖女の仮面」を被る。今の私は女子大生・聖上真樹ではない。オルレアンの乙女だ。
「……このおじさん、誰?」
あ、間違えた。素が出ちゃった。いや、これも計算。記憶喪失の聖女という設定でいこう。深みが出るはずだ。
「私のことを忘れてしまったのですか!?ジルです!ジル・ド・レェにございます!!」
「ジル……ド・レェ……?」
ジル・ド・レェ。知ってる。演劇史や歴史の授業で習ったわ。ジャンヌ・ダルクの戦友にして、フランス元帥。しかし彼女の死後、錬金術と黒魔術に傾倒し、数百人の少年を惨殺したという伝説のシリアルキラー。「青髭」のモデルになった男。
なるほど。私の役(ジャンヌ)に対するアンチテーゼとしての配役。光と闇。聖と邪。ベタだけど、王道ゆえの熱さがある。……よく見ると、この人、まさに『青髭』っぽい!顔色の悪さ、痩せこけた頬、狂気を孕んだ視線。そしてこの禍々しいローブ。完璧だわ。彼、どこの劇団?劇団四季?それともロイヤル・シェイクスピア・カンパニーからのゲスト?それとも、この冬木市が産んだ怪物俳優?どっちにしても、タダモノじゃない。
「よし!演技の稽古をしてる人ね!!」
あえてメタ的な発言をぶっこむ。これも高度なテクニック。相手がどう切り返してくるか試しているのだ。さあ、どう来る?
「け、稽古……?ああ、また神は貴女の記憶を弄ばれたのか……!」
うまい!「稽古」というメタ発言すら、「神による記憶操作」という世界観設定の中に落とし込んだ!アドリブ力が高すぎる。この人、天才か?なら、私も負けてられない。私は一歩踏み出し、諭すように、しかし力強く彼を見下ろす。
「ジル!ジルじゃありませんか!貴方どうしたのです?その姿……栄光あるフランス元帥の騎士の鎧はどこにやりました?」
どうだ。「かつての輝かしい姿」と「現在の落ちぶれた姿」を対比させることで、彼の悲哀を際立たせるセリフ。我ながら脚本家顔負けの回しだ。
「騎士など……!私は騎士ではなく、貴女を取り戻すために全てを捨てたのです……!」
ジル(仮名)が感極まって立ち上がり、私に詰め寄ってくる。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔。汚い。けど、美しい。感情の爆発。でもね。
近い。近すぎる。
ソーシャルディスタンスって知ってる?フランス中世にはなかった概念かもしれないけど、現代日本(冬木市)ではマナー違反よ。
唾が飛んできそう。口臭チェックはした?にんにく料理食べてない?パッションは認めるけど、パーソナルスペースは守って。役者としての生理的嫌悪感が、演技プランを一瞬で書き換える。
「えい!」
「ぐあああっ!!」
私の人差し指と中指が、彼の見開きすぎた両目に綺麗に吸い込まれた。二指真空把。的確な目潰しがジルの目に入る。ごめん、あまりにも目が大きくて狙いやすかったから、つい。
「ジル!!落ち着きなさい!舞台上での興奮は命取りですよ!」
あくまで「聖女としての指導」というテイを崩さない。彼は両目を押さえてのたうち回る……かと思いきや。
「おお……!この鋭い痛み……!まさに戦場でのジャンヌの愛の鞭(目潰し)!!」
恍惚としてる。涙目で、充血した目で、私をうっとりと見つめている。……ドM?いや、これも演技か。
「聖女からの罰すら喜びに変える狂気」を表現しているのか。深い。深すぎるよ、ジルさん。でも、ちょっと引く。ジャンヌ像、ちょっと武闘派すぎない?歴史修正主義者って怒られない?まあいいか。「戦う聖女」って最近のトレンドだし。
「ジャンヌよ……。貴女が戻られた今、我らの願いは一つ。……。聖杯を。万能の願望器をこの手に!」
「聖杯?」
「そうです!この冬木の地で行われる聖杯戦争を勝ち抜き、貴女を真に蘇らせるのです!」
なんてキャッチーなタイトル。、最高のネーミングセンスだ。これは演劇のタイトル?それとも、この町おこしイベントの総称?リアル脱出ゲーム「聖杯戦争からの脱出」みたいな?……繋がった。すべてが繋がったわ。
さっきの交通事故(スタントショー)。警察の取り調べ(没入型演劇)。そしてこの、怪人ジルとの遭遇(路上パフォーマンス)
全部、この『聖杯戦争』という巨大な演目のプロローグだったのね!私が主役(ジャンヌ)で、彼が助演(ジル)
街全体がステージ。市民全員がキャスト。なんて規模なの。ハリウッドも真っ青のスケール感じゃない!燃えてきた。私の役者魂(アクターズ・ソウル)が、マグマのように沸騰する。このビッグウェーブ、乗るしかない。
「聖杯戦争……神への反逆の宴……」
「左様!神などという傲慢な傍観者をひきずり下ろすのです!」
「そういう演劇をまさか町中でやるなんて……参加したい!!」
「おお……!共に戦ってくださるのですね!?この忌まわしき神の理に、共に唾を吐きかけてくださるのですね!?」
あ、ちょっと解釈違いかも。私は神様に唾を吐く趣味はないんだけど。でも、役柄としてはアリだ。「闇落ちした聖女」と「堕ちた英雄」。
タイミングよく雲が切れ、月明かりが私を照らす(照明さん、グッジョブ!)。右手の甲が熱い。あの赤い紋様が、契約の成立を祝うように赤く、激しく明滅した。
「ジル……いえ、貴方がそう言うのなら」
観客がいないのが本当に惜しい。今の私、トニー賞獲れるよ。
「ジャンヌ……!」
「ジル、私は主を恨みはしません。ですが……」
溜めを作る。4秒。
ジルにとっては数百年の時を超えて降り注ぐ、唯一無二の救済の光そのものだ。彼の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。演技を超えた演技。魂の共鳴。
「貴方に会えて、嬉しく思います」
「う、ううううっ!!」
ジルが崩れ落ちる。アスファルトに額を擦り付け、子供のように泣きじゃくる。
よし。決まった。まさに聖処女!自画自賛だけど今の表情、ポスターに使えるレベル!
カメラマンさん、撮った?今の撮った!?それにしてもこのおじさんも上手いな。私のセリフを受けた瞬間の、あの『魂が震えるような』慟哭。
声の裏返り方、肩の震わせ方、そして鼻水の垂らし方。どれをとっても一級品だ。まるで本当に、数百年地獄を彷徨った亡霊が、やっと安息の地を見つけたかのような……。彼、普段は何してる人なんだろう。役所勤めとかだったらギャップ萌えで死ぬ自信ある。
手を差し伸べる。彼はその手を、壊れ物を扱うようにそっと取る(役作り徹底しすぎ!)。
「さあジル、行きましょう。貴方の『脚本』、私が最高に演じてみせるわ」
「はい……はい!!我が聖女よ!!この命、この魂、すべて貴女のために!!」
「あ、キャリーケース持ってくれる?重いんだよねこれ」
「お安い御用です!!」
軽々と。片手で。え、それ20キロくらいあるんだけど。中には衣装とかメイク道具とか参考書とか詰まってるんだけど。力持ちすぎない?彼、ガタイいいもんなあ。鎧を着て戦ってた設定は伊達じゃないってことか。
「まずはどこへ行きますか、ジャンヌ?」
「そうねえ。まずは美味しいご飯が食べたいな。あ、その前にホテルにチェックインしないと。ジル、私のマネージャー役やってくれる?」
「マネージャー……?家令(スチュワード)のことですな?お任せを!貴女の寝所は、最高の生贄の血で清めておきます!」
「うん、比喩表現が独特だね!ロックだわ!」
ジルが最も喜ぶマスターは誰か。
答えはきっと「本気で信じてくれる人」です。
この物語は、たぶん冬木市最大の事故物件です。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
次の助演指導の相手は誰が良い??
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