冬木アクターズ・ラプソディ ~観光に来た演劇バカの女子大生、うっかり龍之介を轢いてしまったので、キャスターの「ジャンヌ役」として聖杯戦争を完遂します~ 作:斉宮 柴野
私の「虫でできているんですか?」という、直球すぎる指摘に、彼の顔面を構成する無数の蟲たちが、カサカサと不快な音を立てて激しく蠢いている。
普通の女の子なら、このグロテスクな視覚暴力(ビジュアル・バイオレンス)を前にして悲鳴を上げて逃げ出すところよね。
でも、私は少しも怖くない。
むしろ、そのあまりにも精巧な作りに、エンタメ業界の末席に連なる者として心の底から感心してしまう。
人間の皮膚の質感を出すために、極小の蟲たちがパズルのピースのようにカッチリと噛み合っているのよ。眼球の代わりに入っている大きめの蟲なんて、ちゃんとこちらの動きに合わせて複眼をギョロギョロと動かしている。声帯がないのに、羽を擦り合わせる振動を共鳴させて、あの悪役特有のしゃがれ声を完全に再現しているのだ。
これ、アカデミー賞の特殊メイク賞と視覚効果賞をダブルで受賞できるレベルのオーパーツよ。
ハリウッドの巨匠たちが見たら、悔し涙を流して弟子入りを志願するに違いないわ。
(なぜそれがわかった!? 魔術の秘匿の頂点であるこの儂の正体を、ただの目視で!? 雁夜がいない今、ここにいる代行者である言峰綺礼と、ライダーであるイスカンダル、キャスターのジル・ド・レ、アサシンのハサン……そしてこの正体不明の小娘……。これはまずい。四騎のサーヴァントと代行者を相手に、いくら儂とて生き残れる道理はない……!)
その警戒心と危機管理能力の高さは、長生きするプロデューサー(黒幕)としては正しい姿勢よ。
「それは見ればわかりますよ。遠隔操作のスーツですか? それとも最新式のナノマシンとか??」
「真樹よ、ナノマシンとは??」
「えっ、綺礼さん知らないの? SF映画の定番じゃない」
「……真樹。この館は……とても良くないものだ。そういう気配がする。死臭と腐敗、そして陰湿な悪意が染み付いている」
ナノマシンを知らないですって?
ターミネーターとか、マトリックスとか、そういうSF映画の金字塔を見たことがないの?
代行者としての厳しい修行ばかりで、ポップカルチャーの教養が完全に抜け落ちているのね。今度、ホテルの部屋でポップコーンを食べながら、徹夜で映画鑑賞会(お勉強会)を開いてあげなくちゃ。
それにしても、綺礼さんのこのセリフ、完璧な「有能なエクソシスト」の演技ね!
彼が鋭い視線で洋館の奥を睨みつけながら、「死臭と腐敗」「陰湿な悪意」なんて物騒な単語を並べ立てる。
へー、代行者である綺礼さんがプロの目線でそう断言するってことは、世間一般で言うところの悪徳やら何やらが、このお屋敷にはタップリと渦巻いているということね。
これ以上ない最高のお墨付きじゃない!
「最高の悪役の館(アジト)」という美術セットのコンセプトが、これでもかと伝わってくるわ。
ホコリっぽさも、カビの匂いも、すべては観客に「ここは悪い魔術師の家ですよ」と分からせるための、計算し尽くされた空間演出(イマーシブ・シアター)なのよ。
間桐の美術スタッフさん、本当にいい仕事をしているわ。給料を倍にしてあげたい。
「では、臓硯さんにお伝えしますね。今夜、アインツベルンの城にて、この舞台(聖杯戦争)に参加する全主演と助演による宴が開かれます。バーサーカーたるランスロットさんと助演さん……名前は?」
「…………間桐……雁夜、じゃ」
「その雁夜さんに、必ず参加するようにお伝えください。ドレスコード必須なのでその点も。あー、そうですね。臓硯さんもぜひ、お着物で大丈夫ですよ。……あと、地下にいる女の子もね」
「!!! 貴様……そこまで視えて……!」
あら、地雷を踏んじゃったかしら。
でも、私の眼を誤魔化せると思ったら大間違いよ。
見えるのよ。
この薄暗い洋館の、さらにその下。
冷たくて、ジメジメしていて、お爺ちゃんの体を構成しているのと同じような醜悪な蟲たちがウジャウジャと蠢いている、巨大な地下室(蟲毒の穴)が。
そして、そのおぞましい蟲の海の中に、一人でいる、小さな小さな女の子の姿が。
まだ小学生くらいにしか見えない幼い少女。
彼女の体には、蟲たちが群がり、その力(生命力)を啜り、彼女の神経に直接干渉して何かを施している真っ最中だ。
これって、労働基準法違反もいいところじゃない!!
児童虐待どころの騒ぎじゃないわよ!!
子役(エキストラ)をこんな劣悪な環境の地下室に閉じ込めて、しかも虫の群れの中に放り込むなんて、コンプライアンス的に一発で番組が打ち切りになるレベルの大炎上案件よ!
衛生管理はどうなっているの!?
休憩時間はちゃんと与えられているの!?
あの女の子の所属事務所(親)は、一体どういう契約を結んでこんな過酷な現場に子供を送り込んでいるのよ!
臓硯お爺ちゃんの放つ殺気が、物理的な重さを持って私の肌をチリチリと焼く。
戦闘態勢(アクション・シーン)への移行ね。
いいわよ、受けて立つわ。
ランスロットさんの『騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)』を起動して、その辺に落ちている植木鉢でも最強の宝具に変えて、この虫だらけのお爺ちゃんを綺麗にお掃除(物理)してあげようかしら。
それとも、『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』で殺虫剤の概念を纏って、バルサンのようにこの洋館ごと燻し出してあげようか。
が、まさに最初の指示(アクション)を出そうと息を吸い込んだ、その瞬間だった。
『………少し、代わってもらいますよ。真樹』
え??
何? 今の声。
どういうこと??
私の中に、私以外の誰かがいるの?
聖女、ジャンヌ・ダルク。
待って。
ちょっと待ってよ。
今、すごくいいところ(見せ場)だったのに!
どうしてここで、主役(センター)の座を交代しなくちゃいけないのよ!
私の出番は!? 私のセリフは!?
ああっ……。
意識が、完全に遠のいていく……。
スポットライトが消え、幕が下りる。
私の内側から、私ではない「本物の光」が、圧倒的な熱量を持って溢れ出そうとしているのを感じながら、私の意識(エゴ)は、深い深い眠りの底へと落ちていった。
◇◇
深く暗い海の底から浮上するように、ゆっくりとまぶたを開ける。
つい先程までこの体を支配していた、やかましくて、強欲で、しかしひどく純粋な少女の意識は、今は私の内側の奥深くに丸まって眠っている。
代わって表に出た私の魂が、この「聖上真樹」という少女の肉体と同調していくのを感じる。
それにしても、なんという凄まじい魔力の奔流なのかしら。
彼女の体内には、本来ならあり得ないはずの三百本もの魔術回路が、脈動している。
私が生前、神の声を聞きながら戦っていた時の力など比べ物にならないほどの、圧倒的なエネルギーの海。
これを彼女は、ただの「役作りのエフェクト」だと思い込んでいるのだから、本当に恐ろしくて愛おしい器(マスター)だわ。
間桐臓硯。人間の肉体を捨てて、無数の醜悪な蟲の群れに魂を移し替えた、哀れな魔術師。
「確かに……良くないもののようですね。魔術師殿、少し……祈りを捧げてもよろしいでしょうか??」
「……なぜじゃ?」
私が何をしようとしているのか、彼には全く理解できていない様子ね。
「この地には、数え切れぬほどの嘆きと苦しみが山積しています。その者たちに……そして、貴方に」
私は両手を胸の前で組み、ゆっくりと目を閉じる。
私の眼はこの洋館の地下に広がる地獄を、そしてこの老人が数百年かけて喰らってきた無数の無辜の魂たちの悲鳴を、正確に捉えている。
それを放置して立ち去ることは、私が許さない。
「かかっ! 随分とお優しいことじゃな。勝手にせい。祈りごときで、儂の蟲が……」
「主の恵みは深く、慈しみは永久(とこしえ)に絶えず。あなたは人なき荒野に住まい、生きるべき場所に至る道も知らず、餓え、渇き、魂は衰えていく」
「なッ……!? ぐっ!?」
詠唱の第一節を口にした瞬間、臓硯の顔を構成していた蟲たちが、まるで熱した鉄板の上に落とされたように、ボロポロと崩れ落ち始める。
これは魔術を打ち消すような物理的な破壊力ではない。
魂の罪を雪(すす)ぐ、絶対的な浄化の光。
聖典の言葉を鍵として、この世界に神の恩寵を直接ダウンロードする、代行者たちの最大の武器。
「彼(か)の名を口にし、救われよ。生きるべき場所へと導く者の名を。渇いた魂を満ち足らし、餓えた魂を良き物で満たす。深い闇の中、苦しみと鉄(くろがね)に縛られし者に救いあれ」
貴方に今まで食われた者達の魂を癒します。不死を願い、魔道に堕ちた魔術師よ。
今は眠れ、正気を取り戻せ。
「今、枷を壊し、深い闇から救い出される。罪に汚れた行いを病み、不義を悩む者には救いあれ。正しき者には喜びの歌を、不義の者には沈黙を。───去りゆく魂に安らぎあれ(パクス・エクセウンティブス)」
「ぐ……あ……あ……」
熱はない。痛みもないはずだ。
ただ、穢れだけを燃やし尽くす、慈悲の炎。
(儂は……私は……マキリ・ゾォルケン。そうだ、全ての悪を根絶するために……ユスティーツァ……君と……)
長い長い年月が、彼の目的と手段をすり替え、腐敗させてしまっただけ。
おやすみなさい、マキリの当主殿。
「洗礼詠唱……。真樹……君は……」
代行者である彼だからこそ、今の私の詠唱がいかに純度の高い奇跡であったかが理解できるのだろう。
「ジャンヌ! 素晴らしき奇跡です!! ああ、その御姿、その御声……間違いなく、私の聖女!!」
「ジル。貴方が今、狂気を抑え、再び白銀の騎士として戦う様子……誇らしく思いました」
生前、私と共に戦ってくれた大切な仲間。
彼が再び、正しい騎士としての道を歩もうとしていることが、私は何よりも嬉しい。
「マキ殿……?? いや……ジャンヌ……!?」
「私達は既に去った過去の幻影。それでも、こうして招かれた以上、生者を救わなければならない。それだけのことです」
私たちはあくまで英霊であり、この時代の主役ではないのだから。
「真樹、どうしたのだ? 役に入り込みすぎたのか?」
彼はまだ、私が真樹さんの高度な「演技」だと思おうとしているみたいね。
「言峰綺礼さん。貴方の『信仰(我慢)』、とても素晴らしいものです。いずれそれが、『彼女(真樹)』を救う力になる。今は、貴方は自分の闇も、苦痛の光も超えていって。そして、どうか彼女の側にいてあげてくださいね」
彼は自分の中の「悪」を必死に抑え込み、真樹さんの隣に立つために「正義の味方」を演じ続けている。
その痛みを伴う我慢こそが、彼にとっての本当の信仰の形なのだから。
「貴女は……真樹ではないのか?」
ようやく、目の前にいるのが真樹さん本人ではないことに気づいたようだ。
「私はジャンヌ。貴方の聖女ではありませんが……。貴方に祝福が……いえ、貴方にはあえてこう言いましょう。『苦痛に満ちた意地を張り通せることを祈ります』」
彼にとって一番の「祝福」となるであろう、皮肉めいたエールを送る。
安らぎを与えてしまえば、彼は生きる目的を失ってしまう。
苦痛を抱えながら、必死に意地を張り続けること。それが彼と真樹さんの絆の形なのだから。
「…………ええ。必ず。そして真樹を守ります。命を懸けて」
その言葉に嘘はない。
彼の心には、間違いなく真樹さんへの歪で強固な執着(愛)が根付いている。
よし。
これで、私の役目は終わりね。
あとは、地下で苦しんでいる女の子を助け出すだけ。
その美味しい役目(見せ場)は、やっぱりこの体の持ち主(主演女優)に譲ってあげるべきよね。
表層の意識を、真樹さんへと明け渡す。
さあ、起きて。貴女の出番よ、世界を騙るおてんばな役者さん。
◇◇
「ハッ!!!」
「あれ!? また役に入り込んじゃった! 無意識のうちにエチュード(即興劇)やっちゃったみたい! ごめんごめん!」
さっきまで私が対峙していたはずの、虫だらけの間桐臓硯お爺ちゃんが跡形もなく消え去っていて、代わりに足元にこんもりと白い灰の山ができている。
え? 何これ。
私、寝ぼけてお爺ちゃんに消火器でもぶちまけちゃったの?
記憶がすっぽり抜け落ちているけれど、このスッキリとした空気感、どうやら私の中の「聖女の役作り(メソッド)」が限界突破して、自動操縦で最高のパフォーマンスを披露してしまったらしいわ。
女優魂が肉体の限界を超えた結果ね! さすが私! 無自覚の天才!
「(今の御言葉……マキ殿の中に、確かにジャンヌは存在しておられる……!)ジャンヌ! 流石は聖女! 素晴らしい集中力でありました!!」
私の「聖女ジャンヌ・ダルク」の演技が、生前の彼女をよく知るジルにすら本物だと錯覚させるレベルに到達したという最高のお墨付き(レビュー)じゃない!
やったわ! トニー賞も夢じゃない完璧な憑依演技よ!
「…………真樹、よくやった。悪しき気配は消えた。地下に行ってみよう」
そうね、いつまでも灰の山の前で喜んでいる場合じゃないわ。
私にはまだ、大事な仕事(ロケ)が残っているんだから!
「ええ! 行きましょう! このお化け屋敷の地下に、可哀想な子役の女の子が閉じ込められているのよ! ブラック企業の労働基準法違反を、風紀委員長である私が徹底的に摘発してやるんだから!」
臓硯お爺ちゃんが灰になったことで、地下の蟲たちのコントロールも失われ、無害な状態になっているみたいね。
これなら、アクションシーンなしで安全に女の子を救出できるわ!
「さあ、カメラマンさん(アサシンたち)、ついてきて! 感動の救出劇の撮影よ! 涙拭く用のタオルも用意しておいてね!」
悪は滅びない。
ただ、眠るだけだ。
【超重要・展開が変わります】真樹は聖杯にかける願いを…。
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言う
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言わない