冬木アクターズ・ラプソディ ~観光に来た演劇バカの女子大生、うっかり龍之介を轢いてしまったので、キャスターの「ジャンヌ役」として聖杯戦争を完遂します~ 作:斉宮 柴野
「第一の味覚チェックに続きまして……第二のチェックは『聴覚』です!」
照明スタッフのアサシンさんたちが、ササッとスポットライトの色を青系に切り替えて、知的な雰囲気を完璧に演出してくれる。ホント、裏方の仕事ができる有能なスタッフたちね。時給を上げてあげたいわ。
「一流のサーヴァントやマスターたるもの、味覚だけじゃなくて音についてもよくわかる、素晴らしい耳をお持ちのはずよね!戦場でのわずかな衣擦れの音や、敵の足音、あるいは優雅な社交界でのオーケストラの調べ!どんな音だって聞き分ける絶対音感を持っているに決まっているわ!」
「ふん。我が耳に届かせるほどの音楽など、この時代にそうはありはすまいが……まあ、問題ない!この我の耳は世界のすべてを聞き分ける神の耳ぞ!」
あの十五円の安酒カクテルを神酒だと勘違いして大絶賛していた人のセリフとは思えない説得力のなさね!でも、そのブレない傲慢な姿勢は、バラエティ番組のレギュラーとしてめちゃくちゃ重宝するわ。
「あのさ……僕は……ちょっと教養の授業で、バイオリンを習っているくらいで……全然プロの演奏家とかじゃないぞ。そんな絶対音感なんて持っていないからな!間違えても僕のせいにするなよ!」
予防線を張りまくっているわね。さすが、自己防衛の鬼よ。でも、その弱気な発言を絶対に許さない豪快な男が、彼のすぐ隣にいるのよ。
「ガッハッハ!坊主!何を弱気になっているのだ!お前は将来、世界を巡る楽団志望か!ならば堂々と胸を張って音楽を語れ!」
「痛いっ!!楽団志望じゃない!魔術師だ!!僕の将来の夢を勝手に決めるな!!」
いいコンビね、君たち。そのままM-1グランプリに出場しても、一回戦くらいなら余裕で突破できそうよ。
「さてさて、今回皆様の聴覚を試すためにご用意致しました『本物』の楽器は……ズバリ!名器中の名器、ストラディバリウス!しかもその中でも最高峰と名高い『レディ・ブラント』です!」
アサシンさんが恭しくベルベットの布に包まれたバイオリンケースをステージの中央へ運んでくる。ケースが開かれると、飴色に輝く、まるで芸術品のような美しいバイオリンが姿を現す。
「これ、ただの楽器じゃないわよ!歴史的な価値と、その完璧な音響設計で、オークションに出れば……えーと、これは2011年の東日本大震災のチャリティオークションで約12億円で落札されたっていう……ゴホンゴホン!!」
「と、とにかく!か、かなり高いものですよ!お城がいくつか建つくらいの超ド級の国宝級アイテムなんだから!」
「……おい。ちょっと待て。そんな世界的な超貴重品、博物館か大富豪の厳重な金庫に保管されているはずの代物を、どうやってこんな極東の冬木市の、しかも半壊した城の特設スタジオに用意した?お前の魔術で錬成した偽物か?」
さすが、魔術師殺しの探偵眼ね。鋭いわ。
「ふふふ。偽物だなんて失礼ね!正真正銘の、本物のレディ・ブラントよ!どうやって用意したかって?そんなの決まってるじゃない!アサシンさんに、こっそりと持ち出してもらいました!!」
「なッ……!!窃盗ではないか!!魔術の秘匿どころの話ではない!ただの国際的な大犯罪だぞ!!インターポールが動くレベルの大事件ではないか!そのような盗品を、堂々とテレビ番組……いや、聖杯戦争の場に持ち込むなど、頭がおかしいにも程がある!!」
彼の言う通り、完全に犯罪よ。でも、バラエティ番組の「本物」を用意するためなら、多少の犠牲は付き物じゃない。
「大丈夫ですよ、時臣さん!そんなに青筋立てないで!番組の収録が終わったら、ちゃんとアサシンさんに元の金庫へ返してきてもらいますから!バレなきゃ犯罪じゃないっていう、暗殺者の基本ルールに則っているからセーフよ!」
「セーフなわけあるかぁぁぁ!!」
優雅な英国紳士が、常識の通じない番組制作の闇に触れて、精神をゴリゴリと削られているわ。
「お姉さん。泥棒はいけないことです。持ち主さんが、きっと今頃すごく悲しんでいます。そんな悪いことをして手に入れた楽器で、綺麗な音なんて出るわけありません。すぐに元の場所に返してあげましょう?」
おお……なんてピュアで、心洗われるような道徳的なお言葉!このカオスな空間に舞い降りた、一輪の清らかな花!
「桜……」
彼は桜ちゃんの実のお父さんだものね。遠坂の家から、間桐の家に養子に出した自分の娘。
(ああ、遠坂から離れても、あの子は正しく育ってくれている……。私の選択は、間違っていなかったのかもしれない……!)
「……カカッ!!遠坂の小倅が!わしの芝居に、見事に騙されおって!傑作じゃのう!!」
「……………ッ!!」
(そうだ……!桜は間桐臓硯に乗っ取られていると、さっきアサシンからの報告で聞いたばかりではないか……!純真な娘の顔で、この私を弄ぶか……!桜……いや、おのれマキリィィィ!!)
これよ、これ!「天才子役」こと桜ちゃんの、この完璧な多重人格演技!父親の純情を逆手にとって、一番ダメージの大きいタイミングで裏切るという、サイコパスのお手本のような見事なプレイングよ!
「泥棒はいけないことですぅ」からの落差、本当に芸術的だわ。桜ちゃん、貴女、本当に良い女優になったわね!
「はいはい!親子の感動の再会はそこまでにして!番組を進行するわよ!本物の国宝級バイオリンに対抗して、もう一つご用意した『聴き比べるための楽器』!それは……この『私』が自作したバイオリンです!!」
そこには、見た目だけは本物のストラディバリウスと全く見分けがつかない、ピカピカのバイオリンが鎮座している。
「はあ?お前が自作しただと?」
切嗣さんが、怪訝そうな顔で眉をひそめる。
「そうよ!アイリスフィールさんの全面協力のもと、ドイツの黒い森から、十分に乾燥しブロック状に製材された良質で最高な木材を、アインツベルン家のプライベートジェットで緊急空輸で輸入して……私が昨日の深夜、徹夜でカンナとヤスリをかけて、一晩で作りました!!」
「アイリ!?お前、何に巻き込まれてるんだ!?そんなことのためにアインツベルンの財力と輸送網を無駄遣いしたのか!?」
客席に座っているアイリスフィールさんが満面の笑みでこちらに向かって両手でVサインを作っている。
「イエイ!!真樹ちゃんの工作、とっても楽しかったわよ!私、ノコギリの使い方が少し上手くなったの!」
そう。昨日の夜、私が「明日の番組で使うバイオリンを作りたいんだけど、木材がないわ」と呟いたら、この奥様、嬉々として「私に任せて!」とアインツベルン家の権力をフル活用してくれたのだ。
数時間後には、ドイツから最高級の木材が空輸されてきて、私たちはホテルの部屋を木屑だらけにしながら、夜通しバイオリン作りに没頭したのよ。完全に悪ノリの共犯者ね。深窓の令嬢が、初めて「深夜のDIY」という俗っぽい遊びを覚えて、テンションが爆上がりしているのよ。
(アイリ……お前というやつは……。聖杯戦争のプレッシャーで、ついに頭が……)
◇◇
「それでは皆様!いよいよ第二のチェック『聴覚』に挑む、各陣営の代表者を発表します!」
一流の耳を持つ者たちは、私が一晩で作り上げたDIYバイオリンと、国宝級のストラディバリウスの音色を聴き分けることができるのかしら!
「まずは、未だ『一流』の座を死守している一流席の方々から!代表者、ギルガメッシュ様!」
「良かろう。我の耳を騙せるか、存分に試してやろう。この我の鼓膜は、神々の息吹すら正確に聞き分ける至高の器官であると知れ!」
あらあら。さっき第一のチェックで、スーパーの紙パック安酒を「神酒を遥かに凌駕する!」って大絶賛して間違えた人のセリフとは思えないくらい、堂々としているわね!
「次に、同じく一流席をキープしている、ウェイバー・ベルベット様!」
「い、いくらなんでも、流石に『女子大生が一晩で徹夜して作った手作りの楽器』と、歴史的な名器の違いはわかるはずだ……!ここで間違えたら、時計塔の教養の授業でバイオリンを習っていた僕の面目が丸潰れだ!絶対に落ちられない!」
バイオリンの経験者なのね。それならハードルはさらに上がるわよ?もし間違えたら、「時計塔の生徒は素人の工作と国宝の区別もつかない」って、エルメロイ教室の評判が地に落ちちゃうわね!
「次!一流席、ディルムッド・オディナ様!」
「ケ、ケルトの音楽は、そこまで繊細では……。戦場での雄叫びや、宴での素朴な笛の音ならば聞き慣れているのだが、このような高度な弦楽器の音色となると……」
素直でいい子ね。顔が良いから、ちょっと自信なさげな表情も母性本能をくすぐるわ。
「ランサー!!頑張ってーー!!貴方なら絶対にできるわ!!貴方のその美しい耳なら、どんな音色だって完璧に捉えられるはずよ!!愛してるわーー!!」
完全にアイドルの追っかけね。婚約者のケイネス先生が隣にいるのに、一切お構いなしよ。
「は、はっ!御身の期待に応えてみせます!我が主の婚約者殿の御心に報いるためにも、このディルムッド、全霊を懸けて音を聴き分けてみせましょう!」
ケイネス先生が「私の立場は……」と頭を抱えているけれど、今は見なかったことにして進行するわ。
「次!同じく一流席、ジル・ド・レ様!」
「おお!ジャンヌ!私は準備万端ですぞ!我が耳は、ジャンヌの奏でる美しい音色以外、一切届きませんゆえ!!貴女の作られた楽器の音が全て!貴女の音が正解です!!」
「じゃあダメじゃん。完全に聴き比べにならないじゃないの!」
私の手作りバイオリンを「正解」だって最初から決めつけているんだから、クイズの前提が崩壊しているわ。盲目的なファンって、こういう時に本当に扱いに困るのよね!
「さあさあ、次はランクダウンした方々よ!普通席から、間桐桜さん!」
「はい!魔術師としての教養の深さ、存分にお見せしましょう!……カカッ!小娘の工作など、この儂の数百年の耳を誤魔化せるはずもなかろう!一瞬で見破ってくれるわ!」
桜ちゃんが、天使のように無垢な笑顔で答えたかと思うと……。次の瞬間、彼女の顔が歪み、あのねっとりとした老獪な笑みが張り付く。見事なまでの「間桐臓硯」のインストール!その急激なキャラ変に、隣に控えている漆黒の騎士が、ガタガタと甲冑を鳴らして震えている。
「主よ……。なんと頼もしい……。しかし、そのお言葉の落差、私の心が休まる暇がありません……」
狂戦士のクラスから理性を少し取り戻したばかりなのに、こんな過酷な労働環境に放り込まれるなんて、同情を禁じ得ないわね。
「はい、次!二流席の『衛宮切嗣』!」
「…………に、二流は『さん』付けすらないのか……ただの呼び捨てか……」
そうよ。さっきまで「切嗣さん」って丁寧に呼んでいたけれど、貴方達は第一のチェックでランクが下がったの。二流に落ちた人間には、敬称なんて必要ないわ。この格差社会の厳しさを、その身でたっぷりと味わいなさい!
「そして最後!同じく二流席のアサシン……百貌のハサン様!」
「は、はい!全力で音の差異を分析いたします!」
バニー姿のアサ子さんが、ピシッと背筋を伸ばして元気に返事をする。彼女の返事はとても初々しくて可愛いわ。
「…………おい。ちょっと待て。なぜ、同じ二流席にいるアサシンには『様』付けなんだ?僕には呼び捨てで、サーヴァントには様付け?その基準はどうなっている?」
「決まっているじゃない。アサシンさんたちは、この番組のセット設営から照明、音響、果ては私の肩揉みまで、裏方としてめちゃくちゃ優秀に働いてくれているのよ!私の好感度がカンストしているんだから、『様』付けで呼ぶのは当然でしょ!働かざる者、さん付けされるべからずよ!」
「ちょっと待て!!ずっとおかしいと思ってたんだ!!不正だ!!!これは明らかな不正行為だぞ!!なんでアイツラだけ、ランクが落ちているのにあんなに豪華な席なんだよ!!」
ウェイバー君が指差しているのは、特設スタジオの隅に設置された、ある特定の「陣営」の座席だ。
そう。彼が指差しているのは、第一のチェックで私の幻術を自ら選び、『一流』から『二流』にランクダウンしているはずのアサシン陣営、綺礼さんの席だ。
他の二流メンバーである切嗣さんや、普通席に落ちた桜ちゃんたちが、硬くて冷たい「パイプ椅子」や「丸椅子」に座らされて、みすぼらしい扱いを受けているのに対し……。綺礼さんが座っているのは、ふかふかの最高級ベルベット張りの特注ソファである。
「んん??私には、番組の規定通り、完全に正常な席順にしか見えませんが?」
どこがおかしいの?何も間違っていないわよ?
「正常なわけないだろ!!完全に特別扱いじゃないか!!二流に落ちたのに、なんで一流席よりも豪華なソファに座って、ワインまで飲んでるんだよ!!ルールが崩壊してるぞ!!」
彼の言うことは、一般常識からすれば百パーセント正しいわ。でも、ここは私の番組なのよ。
「だって……私の愛しの彼氏に、あんな安っぽいパイプ椅子を渡すなんて、とんでもないことじゃない!!長時間座っていたら、彼の立派なお尻が痛くなっちゃうじゃないの!!そんな可哀想なこと、私には絶対にできないわ!!愛する人の身体を労わるのは、彼女として当然の義務よ!」
(僕だって、さっきからパイプ椅子で腰と尻がめちゃくちゃ痛いんだが……!!)
「フッ。真樹の愛、確かに受け取った。このソファ、実に素晴らしい。座り心地は最高だぞ、ベルベット君」
その図太さ、そして堂々とした「ヒモ」のような振る舞い!ああ、なんて最高にイケメンで、最高に性格が悪いのかしら!!痺れるわ!!
「うがああああっ!!癒着だ!完全なる癒着だ!!MCと参加者がデキてるなんて、BPOに訴えてやる!!クレームの電話を入れまくってやる!!」
「ガッハッハ!!良いではないか坊主!怒るな怒るな!王たるもの、あるいはこの場の支配者たるもの、時には己の贔屓を堂々と貫き通すのもまた愛嬌よ!愛する者のために法を曲げる。それもまた一つの覇道の形と言えよう!ここは彼女の舞台なのだから、彼女の好きにさせるのが客の務めというものだ!」
さすが征服王!話がわかるわね!細かいコンプライアンスなんて、大英雄の器の前ではちっぽけな石ころみたいなものよ!
「さあさあ、つまらん文句は終わりだ!早くその『手作り』と『名器』の音色を聴かせよ!余の耳が、音楽を求めて疼いておるわ!」
「ありがとうございます、大王様!では、これより第二のチェック、聴き比べを開始します!!」
◇◇
「で、その二つのバイオリン、誰が弾くんですか??まさか、そこらのモブに弾かせる気ではあるまいな?演奏者の腕が違えば、音の良し悪しなど判断できんぞ」
「ふふふ。ご心配なく!もちろん!この『私』が、二つのバイオリンを両方とも同じ条件で弾き比べます!!」
「はあ!?」
「……おい。お前、バイオリンまで弾けるのか?……無駄に万能だな。それも、お前の言う『役作り』の一環か??」
「はい!もちろんです!昔、天才バイオリニストの少女が難病を乗り越えてコンクールで優勝するっていう、感動のお涙頂戴映画のオーディションを受けた時に、猛特訓しましたからね!楽譜も完璧に初見で読めますし、パガニーニの超絶技巧曲だって指から血を流しながらマスターしましたよ!結果的にその役は、スポンサーの社長の娘にコネで奪われましたけどね!!」
あのオーディションのために費やした私の青春の三ヶ月間と、血豆だらけになった指先を返してほしいわ!
「まあ、そういう悔しい経験も、役者としての肥やしになるからいいんですけどね!ちなみに、今は次のオーディションに備えて、トンガの特訓をしています!」
「トンガ……?ポリネシアにある、あの島国のことか?バイオリンの猛特訓の後に、トンガの特訓……。一体、何を特訓しているのだ?トンガ語か?それとも伝統舞踊のシヴァタウか?……いや、そもそも、君のような極東の少女に、トンガの文化を完璧にマスターする必要がある時が来るのか、私には果てしなくわからんな。魔術の探求よりも無軌道ではないか」
ふふっ。時臣さん、甘いわね。甘すぎるわ!魔術の探求なんて、血統と才能で決まる閉鎖的な世界じゃない。でも、エンターテインメントの世界はもっとカオスで理不尽なのよ!
役者たるもの、いつ、どんな監督から、どんな無茶振りなオファーが来るかわからないのよ。「君、来週から南の島の部族の姫役ね!もちろん現地の言葉と踊りは完璧にしてきてね!」って言われた時に、「できません」って答えたら、そこで女優生命は終了なの!
だから、いつ「トンガの王族」や「ポリネシアの戦士」の役が回ってきても即座に対応できるように、あらゆる言語、文化、伝統舞踊、果てはヤシの実の割り方までマスターしておくのが、本物のプロフェッショナルというものよ!備えあれば憂いなし。それが私のサバイバル術なんだから!
「まあ、私のトンガの特訓の成果は、また別の機会にたっぷりとお見せするとして!それでは!これからお一人ずつ、あるいは陣営ごとに目隠しをした状態で、私が演奏するAとB、二つのバイオリンの音色を聴き比べてもらいます!公平を期すために、そして皆さんの耳に最も馴染むように、それぞれの出身国の曲をアレンジして弾きますからね!耳の穴をかっぽじって、よーく聴いてくださいね!」
「まずは、一流席から!出題者でありながら第一のチェックで自爆した、我らがギルガメッシュ王!」
「ふん。出題者である我を、今度は解答席に座らせるというのか。貴様のその怖いもの知らずな無礼さ、嫌いではないぞ。良かろう、この我の神の耳を騙せるか、その安っぽい木箱の音色で試してやろうではないか」
「曲は、ギルガメッシュ王の故郷、メソポタミアの古代の旋律を、現代のバイオリン用に私が独自にアレンジしたものです!タイトルは『ウルクの熱き風(仮)』!では、Aの演奏から、お聴きください!」
顎に挟む。弓を弦に当てた瞬間、特設スタジオの空気がピンと張り詰める。
♪〜(Aの演奏:ストラディバリウス『レディ・ブラント』)
それは、数千年前の古代都市ウルクの乾いた風や、ジッグラトを見上げる人々の活気、そして王の栄華を讃えるような、力強くも哀愁を帯びた旋律。
名器のポテンシャルを、私の「天才バイオリニストの役作り」が限界まで引き出している。
ひな壇の魔術師たちが、その圧倒的な音の美しさに息を呑むのがわかる。時臣さんなんて、「おお……これが国宝の響き……」と、うっとりしてパンダのアイマスクを濡らしているわ。
「…………なるほど。貴様、口先だけかと思ったが、しかと鍛錬しているな。音の鳴りは良い。木の材質の限界を引き出している。人間業としては、まあ上澄みと言ってよいだろう。王宮の楽士として、中堅どころにはなれるかもしれんな」
中堅どころ!?あの十億円以上の価値がある国宝級のストラディバリウスの音色を、そして私の血のにじむような猛特訓の成果を、「まあまあ」と斬って捨てるの!?
どんだけ耳が肥えているのよ、この英雄王は!彼が普段、宝物庫でどんな神々の楽器の生演奏を聴いているのか、逆に興味が湧いてくるわ。
「はいはい、中堅の演奏はお気に召さなかったようですね。では続いて、Bの演奏に参ります!」
でもね。このバイオリンには、私の『プリテンダー』としての最強の魔力が、これでもかと塗り込められているのよ!第一のチェックの『悪魔のカクテル』と同じ原理。
「聴いた者の脳内に直接干渉し、その者の『原風景』を強制的に幻視させる」という、反則級の概念偽装の魔術!さあ、英雄王!貴方のその無駄に高いプライドと神の耳は、私のこのチープな幻術に抗うことができるのかしら!?
「では、Bの演奏です!」
♪〜(Bの演奏:真樹のお手製バイオリン+プリテンダーの魔力)
「……これは……」
音が彼自身の魂の最深部にアクセスしていく。そして、彼の脳裏に、彼が数千年前に置いてきた、決して忘れることのできない「かつてのウルクの風」を、強制的に、そして鮮明に呼び覚ましたのだ。
◇
なんだ、この音は。これは、ただの楽器の音色ではない。我の記憶の底を、泥をすくうように直接撫で回してきおる。
そうだ……我は………あの時……
不老不死の霊薬を求めて冥界を下り、深淵の底でついにそれを手に入れ、希望を抱いて地上へと帰還する、あの長く苦しい旅の終わりの日。
水浴びの隙に、蛇にその霊薬を盗み食いされ、すべてを失ったあの日の記憶。
永遠の命という至高の宝を失い、すべてが無に帰したと悟った時。我の胸に去来したのは、怒りでも、悲しみでも、絶望でもなかった。込み上げてきたのは、どうしようもない「笑い」だった。
無。無こそが、我が旅の報酬。最终的には、我の手には何も残らない。人間は必ず死ぬ。どれほど足掻いても、どれほどの宝を集めても、結局は塵に還る。だが……それこそが「人間」なのだ。限りある命を燃やし、足掻き、悩み、そして死んでいく。
その滑稽で、無様で、しかし美しい営み。それを見届けることこそが……我という「王」の仕事への、最高の報酬なのだと、あの時我は悟ったのだ。
その真理に至った時の、あの突き抜けるような青空と、吹き抜けていた乾いた熱い風の感触。
それが今、この小娘の奏でる音色を通して、我の五感を完全に支配している。
そして。王の瞼の裏に、ただ一人の、無二の友の顔が浮かび上がる。緑の髪を持った、泥から生まれた美しい人形。我と唯一肩を並べ、我を理解し、そして我を置いて先に逝ってしまった男。
エルキドゥ。我が友よ。
お前とこうして、この音を聞くこと叶うなら……また、共に語り明かしたかったものだな。
「ああ……あまりに……」
◇
ギルガメッシュ王、どうしたの?さっきまであんなにふんぞり返って「中堅だ」なんて偉そうに言っていたのに。
今、お手製バイオリン(B)の演奏を聴き終わった瞬間、アイマスクの下から、ツーッと……一筋の涙のようなものが光って見えたような気がしたんだけど!?気のせい!?いや、私の魔眼は確かに彼の目元が濡れているのを捉えたわ!あの冷酷無比な英雄王が、私の十五円カクテルに続いて、一晩で作ったDIYバイオリンの音色で泣いているの!?
「……マキよ。貴様という女は、本当に恐ろしい詐称者だ。貴様のその音は、我の最も触れられたくない記憶の奥底を暴き、白日の下に晒しおった。我の魂に直接、昔馴染みの幻影を見せつけるとはな。……実に痛快なことだ」
痛快……?魂の奥底を暴かれて、幻影を見せられて、それで「痛快」ってどういうこと!?普通なら「俺の心を覗き見るとは万死に値する!」ってキレるところじゃないの!?やっぱりこの王様、根底にある感性が完全にバグっているわね!
「フハハハハ!良い余興であったぞ!その木箱、我が宝物庫のコレクションの片隅に加えてやってもよいぞ!ただし、次に我の前でその音を鳴らす時は、我が許しを得てからにしろよ。さもなくば、その細い首をへし折るからな!」
ええー!また私の手作りを気に入っちゃったの!?酒の次は、バイオリンまで!
「はいはい、畏まりましたー!あとでアサシンさんに頼んで、宝物庫の片隅にでも放り込んどいてもらいますねー!」
◇◇
「さあさあ、次は一流席を未だに死守しているウェイバー君の出番よ!先ほどからずっと予防線を張りまくっているけれど、英国の魔術師の卵たるもの、本物の芸術の音色くらい聞き分けられなくてどうするのよ!というわけで、ウェイバー君のために選んだ曲は、君の母国イギリスの伝統的な民謡、『グリーンスリーブス』よ!耳の穴をかっぽじって、よーく聴きなさい!」
アサシンさんから受け取った「睡眠中」とデカデカと書かれたダサいアイマスクを、震える手で装着する。かつての恩師であるケイネス先生も、下の段から「我が教室の元生徒が、どのような無様な姿を晒すか見物だな」と、腕を組んで冷ややかな視線を送っているしね。
「それじゃあ、まずは一つ目の演奏からいくわよ!皆様、お静かに!」
♪〜(Aの演奏:ストラディバリウス『レディ・ブラント』)
(……なんだこれ、なんかすごく上手い!!いや、上手いとかそういう次元じゃない!弦の震えが、耳膜を通り越して直接胸の奥に響いてくるみたいだ!時計塔の音楽の授業で聴いた、どんなプロの演奏家の音よりも深く、そして重厚だ……!流石にこっちが本物、あの国宝級のストラディバリウスなんじゃないか!?いや、絶対にそうだ!素人が一晩で作った工作の楽器から、こんな歴史の重みを感じるような音色が出るわけがない!)
このままAを選べば、彼は無事に一流の座をキープできる。でもね、私の用意したバラエティの罠は、そんなに甘いものじゃないのよ!
「はい、見事な演奏でしたね!自画自賛しちゃうわ!それでは続いて、Bのバイオリンの演奏に参ります!」
♪〜(Bの演奏:真樹のお手製バイオリン+プリテンダーの魔力)
(……え?)
彼は今、広大な図書室のような場所に立っている。周囲には、山のように積まれた古い魔術書と、葉巻の煙の匂い。そして、彼自身の視線が、今の彼よりもずっと高い位置にあることに気づく。
(僕は……変われるのだろうか?ケイネス先生が、言ってくれたように……僕が、誰かを導く教師に……??)
『拙の顔のことは……嫌ったままでいてください』
深くフードを被った、銀髪の少女の物悲しい声。彼女の抱える重い運命と、それでも彼に向けられる、不器用で絶対的な信頼の響き。
(……なんだ?この、フードを被った女の子は……?僕を「師匠」と……呼んでいるのか?)
ウェイバー君の心が、見ず知らずの少女の言葉に、なぜか強く締め付けられる。
『師匠は馬鹿ですね。そんなの、申し訳なさそうに言わないでください。だって、そんなものは、とっくに預けています。でも、俺はエスカルドス家の魔術師である前に、エルメロイ教室のフラット・エスカルドスなんです。あの教室にいるからには、俺の人生は、もう俺だけの問題じゃないんですよ。ここでその女の子を見捨てるのは、教授と教室のみんなを裏切ることになる。俺にとって、それは……俺の魔術師としての目的を失うのと同じくらい怖いんです』
(これは……僕の、生徒……?『エルメロイ教室』……?『教授』……ロード・エルメロイ……!?嘘だろ、これが……未来の僕か……??あのケイネス先生の教室を、僕が引き継いでいるというのか!?)
「教授」と呼ばれ、生徒たちから、これほどまでに重く、そして温かい信頼を寄せられている未来。血統主義の時計塔の中で、彼のような凡庸な魔術師が、誰かの人生を背負い、誰かの帰る場所を作り上げているという奇跡のような光景。
『先生、先生!こいつ、すごくとっちらかった臭いがするよ!僕が壊していいですか!』
『ええ?!本当にこいつが僕の後輩になるんですか?!だってこのいがいがしてる臭い、絶対先生を困らせますよ!噛まれる前に噛みちぎったほうが手っ取り早いですよ!』
(なんて騒がしい……なんて手のかかる、厄介な連中だ。毎日胃薬が手放せなくなりそうな、最悪の生徒たちじゃないか)
(だけど……悪くない。いや、これ以上の喜びなんて、きっとどこにもない)
「……うん。悪くない……。全然、悪くないぞ……」
「さあ!ウェイバー君!素晴らしいリアクションをありがとう!果たして君は、この二つの音色から、本物の国宝『レディ・ブラント』を聞き分けることができるのかしら!?」
本物とは、値段ではない。
心が震えたかどうかだ。
【超重要・展開が変わります】真樹は聖杯にかける願いを…。
-
言う
-
言わない