冬木アクターズ・ラプソディ ~観光に来た演劇バカの女子大生、うっかり龍之介を轢いてしまったので、キャスターの「ジャンヌ役」として聖杯戦争を完遂します~ 作:斉宮 柴野
・IFは用意されます。
・救済は提示されます。
・そして役者は、自分でそれを壊しても良いのでしょうか。
「ヒャッハー!!」
奇声を上げながら、闇夜の森を凄まじいスピードで這い進む、巨大でグロテスクな異形の塊があった。
それは、キャスターであるジル・ド・レが召喚した海魔の触手だ。
その触手の、意外にもふかふか(?)とした頭頂部の特等席には、満面の笑みを浮かべるジルと、彼に代理のマスターとして同行するアイリスフィールが乗っていた。
「アイリスフィール殿!我が海魔の乗り心地はいかがですかな!?」
ジルが、夜風に長いローブをはためかせながら、得意げに尋ねる。
「ええ……。スピードは出てるし、揺れも少ないから悪くはないんだけれど……」
アイリスフィールは、自分の純白のドレスの裾を気にしながら、少しだけ困ったように微笑む。
「ただ、この海魔と言うのは、表面がちょっと……その、ヌメヌメしてて……。気をつけないと、お気に入りのドレスが汚れちゃいそうね」
彼女の言う通り、海魔の体表からは、独特の粘液が常に分泌されており、決して衛生的とは言えない状態だった。
「おお!!気にすることはありませんぞ!」
ジルが、何を勘違いしたのか、目を輝かせて熱弁を振るう。
「我が愛しのジャンヌならば……そのように服が汚れるなどといった些末なことは一切気にせず! むしろ、自ら進んで服を脱ぎ捨てて、この海魔の粘液との触れ合いを心から喜んでおりましたぞ!!」
(※ジルは、先日、真樹が海魔の触手に捕まってヌルヌルになりながら「ちょっと!これ触手プレイの導入じゃない!」と(テレビ的においしいと思って)嬉々として触っていた姿を、極端に神聖化して思い出しているのだ)
「そうなの??」
「ジャンヌ・ダルクは、そんなにヌメヌメが好きなのかしら……??裸になってまでヌメヌメしたいなんて……??」
アイリスフィールは、歴史の教科書で見た清廉潔白な聖女の姿と、ジルの語る「ヌメヌメ好きの露出狂」というイメージがどうにも結びつかず、首を傾げる。
「うーん……。聖女様って、私が思っていたより、ずっとアグレッシブで、前衛的な趣味をお持ちなのね……」
彼女の中で、フランスの救国の聖女に対する致命的な誤解(風評被害)が、確固たるものとして生まれつつあった。
だが、この場には、その誤解を訂正し、「違うわよ! バラエティのノリで言っただけよ!」とツッコミを入れる常識人(真樹本人)は、存在しない。
「ここね」
他愛のない(そしてひどくズレた)会話を交わしているうちに、海魔は目的地へと到着した。
森を抜けた先。そこは、本来ならば、彼らが先ほどまでいた、あのアインツベルン城がそびえ立っているはずの場所だった。
しかし、特設スタジオに改造されていたその壮麗な城は、もはや影も形も存在しない。
ただ、すべてが削り取られたような荒涼とした更地の中心から、特異点の空を支えるように、天を突く巨大な光の柱が、煌々と立ち上っているだけだった。
「城が……完全に消えている……。いや、あの空の上の劇場に、丸ごと持っていかれたのですね」
アイリスフィールが、上空の暗雲の向こうにある異界の劇場を見上げて呟く。
その時だった。
『さあ、演目は【あり得ざる未来(IF)】よ……』
空から、ビーストⅤ――真樹の、甘く、鼓膜を直接撫でるような声が響いた。
「え???」
声が響いた瞬間。
彼らの周囲の世界が、パタン、と音を立てて反転した。
上下が入れ替わり、景色がねじ曲がり、回転し、光が反射する。
ジルとアイリスフィールの意識は、真樹の圧倒的な権能によって強制的に分断され、それぞれが全く別の「舞台(幻影)」へと、真っ逆さまに突き落とされたのだ。
◇◇
「ここは……??」
さっきまでいた、冷たい夜風が吹く冬木の森の更地ではない。
そこは、ポカポカとした明るい日差しが差し込む、どこかの家の居間だった。
見慣れたアインツベルンの城の冷たい石造りとは全く違う、木の温もりが感じられるフローリングの床。手入れの行き届いた、日本の普通の家屋だ。
「ママ!!」
元気いっぱいの声と共に、銀髪の小さな少女が、タタタッと縁側を走ってきて、アイリスフィールの胸に勢いよく抱きついてきた。
「イリヤ!?」
驚きと共に、愛しい娘の体をしっかりと抱きとめる。
「イリヤ……!!でも、なんだか、少し大きくなって……!」
アイリスフィールの記憶にあるイリヤスフィールよりも、目の前の少女は少しだけ背が伸び、表情も豊かになっている。
「どうしたのママ?急に大声出して。縁側で気持ちよさそうにお昼寝してたのに、寝ぼけてるの?」
イリヤが、不思議そうに小首を傾げて、アイリスフィールの顔を覗き込む。
「え……?」
アイリスフィールは、娘の言葉に戸惑い、周囲を見渡す。
(ここは……私の家、よね?)
アイリスフィールの脳内に、真樹の強制的な脚本(シナリオ)が、新しい記憶のデータを次々と上書きしていく。
(ここは、冬木市にある、普通の日本の自宅……。そうだ……そうだったわ)
彼女の意識が、用意された「平和な世界線」の記憶と、急速に同期し始める。
(あの悲惨な聖杯戦争が始まる前に。私は、切嗣と一緒にアインツベルンの城から逃げ出したんだわ。そして、時計塔で紹介してもらった、蒼崎橙子という腕のいい人形師に、ホムンクルスではない、普通の人間と同じように生きられる体を作ってもらって……。今は、ここで家族みんなで住んでいるんだったわ)
「どうしたんだ?母さん、昼寝か??」
縁側の奥から、少し不器用そうにエプロンをつけた、赤毛の少年が、お盆にお茶と湯呑みを乗せてやってきた。
切嗣が養子として迎え入れた、義理の息子である衛宮士郎だ。
「そうみたい。ママ、なんだか変な夢でも見てたのかなあ??」
『どうやらそうみたいですよー』
突然、イリヤの背後に隠れていた、星の飾りがついた奇妙なステッキが、空中に浮かび上がりながら、甲高い声で喋り出した。
『イリヤさんの、あんなハレンチで露出度の高い魔法少女姿を見られなくて、お母様は助かりましたね!!もし見られていたら、ショックで寝込んじゃうところでしたよ!!』
「ちょっ、ルビーは黙ってて……!!」
イリヤが、顔を真っ赤にして、慌ててステッキを背中の後ろに隠す。
「イリヤ??魔法少女ってなんだ?」
「何でもない!何でもありません!!お兄ちゃんは気にしないで!!」
慌ててステッキを隠そうとワタワタする可愛い娘と、鈍感で全く事情を察していない義理の息子。
温かい日常の光景が、アイリスフィールには、あまりにも愛おしくて。
「あらやだ。ふふふ」
アイリスフィールは、口元に手を当てて、目を細めてクスクスと微笑んだ。
自分は、こんなにも幸せな時間を手に入れたのだと。
(そうだわ。今夜は、仕事に出かけている切嗣も早く帰ってくるって言ってたから……。晩ご飯は、みんなの好きなものをたくさん作って、奮発しないとね……!)
ホムンクルスとしての短い寿命も。
アインツベルンの当主の冷酷な目も。
世界を救うために自分を犠牲にしようとした夫の苦悩も。
すべては、遠い昔に見た悪い夢だったのだ。
「……ふぁあ……」
彼女の意識は、真樹の用意した、誰も傷つかない、温かく甘い【あり得ざる未来(IF)】の底なし沼の中へと、ゆっくりと、完全に沈み込んでいった。
◇◇
肌を刺すような冷たい突風が吹き荒れている。見上げれば、重力という概念を完全に無視して空に浮かぶ、巨大で異常な建造物が視界を覆い尽くしている。虚栄の空中庭園と呼ばれる、規格外の要塞だ。
足元には、不気味な骨の擦れる音を立てて無数にひしめき合う、竜牙兵の群れが存在する。
それらが、一斉に殺意を向けて一つの方向へと殺到しようとしている。
ジルが混乱した頭で周囲を見渡そうとした、その時だ。
「ジル!ジル!!」
凛とした、しかしどこか悲痛な響きを帯びた声が、戦場の喧騒を切り裂いて彼に届く。
ジルが弾かれたように振り返る。
そこには、美しい金色の三つ編みを激しい風になびかせる、本物のジャンヌ・ダルクが立っている。
真樹が被っていたような「詐称者」としての皮ではない。彼がかつてオルレアンの地で共に戦い、そして火刑台で失った、あの救国の聖女その人が、血と煤にまみれた鎧姿で彼を見つめているのだ。
「ジャ、ジャンヌ……!!ここは一体!!」
「ジル、この旗を任せていいですか??」
ジャンヌはジルの戸惑いなど気にする様子もなく、己の象徴であり、いかなる攻撃をも弾き返す絶対の守りである聖旗(リュミノジテ・エテルネッル)を、迷うことなくジルの前へと差し出す。
「ジャンヌ……それは貴女の……!」
ジルが、差し出された旗と彼女の顔を交互に見る。
彼女がこの旗を手放すということが、何を意味するのか。ジルにはすぐに理解できてしまう。
「剣を使います」
悲壮な決意を込めた瞳で、自らの腰に帯びたもう一つの宝具へと手を伸ばす。
ジルは、その言葉を聞いて、自身の脳内に流れ込んでくる奇妙な情報(世界線の設定)を瞬時に理解する。
ここは、冬木の聖杯戦争ではない。ルーマニアを舞台に赤と黒の陣営が激突した、別の聖杯大戦の記憶だ。
あの天草四郎時貞という男が、アインツベルンの第三魔法を利用し、全人類の魂を物質化して強制的な救済を成し遂げようとしている特異点。
そして、自分(ジル・ド・レ)は本来、赤のキャスター(シェイクスピア)の宝具によって、ジャンヌの心をへし折るためだけに喚び出された、過去の悪逆非道な狂気を煮詰めた「幻影」の役割を与えられているのだと。
だが、この瞬間。愛する聖女の隣に立ち、彼女の最も無防備な背中を守れるのならば、これ以上の喜びはこの世のどこにも存在しない。
「私の祈りが終わるまで……どうか、頼みます」
ジャンヌが、柄に手をかけ、特攻宝具である炎の剣(紅蓮の聖女)をゆっくりと引き抜く。
それは、彼女自身の命を代償にして放たれる、破滅的な一撃の準備だ。
「おお!!!おお、我が聖女よ!!!」
ジルが、ジャンヌから託された聖旗の柄を、両手で力強く握り締める。
狂気の連続殺人鬼としての濁った涙ではない。純粋な、フランス元帥としての誇りと忠誠の涙が、彼の大きな瞳からボロボロと溢れ出す。
「彼女の祈りが終わるまで、我が命、絶えると思うな!!このジル・ド・レが、貴女の背後を完璧に死守してみせましょうぞ!!」
ジルは旗を天高く掲げ、戦場に響き渡るほどの歓喜の咆哮を上げる。
かつての罪を乗り越え、騎士としての誇りを完全に取り戻し、最高の見せ場を与えられた絶頂の瞬間。
どんなハッピーエンドよりも、彼にとってはこれが最高の魂の救済だ。
◇
しかし。
彼が忠臣としての喜びに打ち震え、竜牙兵の群れに向かって魔術を放とうとした、まさにその時。
そして、同じ時間、全く別の幻影(舞台)の中で、アイリスフィールが愛する家族の温もりに包まれ、幸せな日常という甘い夢に微睡みかけていた、その絶頂の瞬間。
二人の耳元で、甘く、冷酷で、そして底意地の悪い「演出家(真樹)」の囁きが、世界そのものを震わせるように響き渡る。
『ねえ、ジル。そのジャンヌ、本当に綺麗でしょう?』
真樹の声が、ジルの鼓膜のすぐ裏側から直接語りかけてくる。
戦場のノイズを完全に遮断し、彼女の声だけが、不気味なほど鮮明に聞こえてくる。
『貴方がずっと欲しかったシチュエーションよね。でもね、ちょっと冷静に考えてみて。もし貴方がここで、彼女の旗を持って「最後まで背中を守り抜く幸せな忠臣」になっちゃったら……』
真樹の声が、クスクスと意地悪く笑う。
『貴方が今まで犯してきた罪、自分の個人的な快楽と神への復讐のためだけに無惨に殺してきたあの無数の子供たちの「死の意味」は、一体どうなるのかしら?』
「ッ……!?」
ジルが、聖旗を握る手に急激な震えを覚える。
『貴方がここで綺麗に浄化されて大団円を迎えたら、あの子供たちは誰にも悼まれることなく、ただの舞台装置として殺され損じゃない。全部ノーカウントで、ハイ幸せなハッピーエンドでしたって、そんな都合のいい話が許されると思う? 貴方には、自分の犯した罪を一生背負って、泥をすするみたいに苦しんで生きる義務があるんじゃないの?』
ジルの目の前に、自分が手に掛けてきた幼い子供たちの、恐怖に引き攣った顔がフラッシュバックする。
そして、その冷酷な囁きは、温かい日本の家屋で幸せな夢に浸っているアイリスフィールの耳元にも、同時に到達している。
『アイリさんもそうよ』
『貴女がここで、過酷な宿命を忘れて「ごく普通の幸せな母親」になっちゃったら……あの冷たいアインツベルンの雪の城で、貴女の無事の帰りをずっと祈って待っている、イリヤちゃんはどうなるの? 彼女は、貴女が幸せになるための踏み台なの?』
「あ…………」
アイリスフィールの手に持っていた温かいお茶の入った湯呑みが、ポロリと滑り落ち、畳の上に転がり落ちて茶色い染みを作る。
『それにね、貴女という奇跡を失って、絶望のままこの先の人生を死んだように生きていくことになる、現実の切嗣さんの痛みはどうするの?この夢の中で彼が笑っているから、それで満足?現実の彼の苦しみは、全部無かったことにする「ただの無駄な犠牲」でいいの??貴女は、そんなに自分勝手な女だったかしら?』
「私は……違う、私はただ……」
目の前で心配そうにこちらを覗き込むイリヤと士郎の顔を見て、顔を青ざめさせる。
真樹の突きつける言葉は、反論の余地がないほどの正論だ。
彼女が用意した「あり得ざる未来(IF)」という名の甘い夢は、彼らが背負うべき現実の責任をすべて放棄することでしか成り立たない、究極の逃避でしかないのだ。
だが、人類悪(ビーストⅤ)に堕ちた真樹の本当の狙いは、彼らを正論で責め立てて絶望させ、ただの精神的な拷問にかけることでは決してない。
彼女は、そんな単純なサディストではない。彼女はあくまで、最高のドラマを追い求める「狂気の演出家」なのだ。
『ふふっ……。どうしたの、二人とも。そんな絶望した顔をして』
真樹の声が、まるで全知全能の神のように、あるいは舞台監督がメガホンで叫ぶように、異常な熱を帯びてそれぞれの世界に響き渡る。
『なら、立ち上がらなくていいの?自分の犯した罪から目を背けて、都合の悪い現実を見ないふりをして、その誰かが用意してくれた偽りの幸せな夢の中にずっと浸って、一生満足して終わるつもり??』
彼らの魂を激しく煽り立てる。
『……違うわよねえ???貴方たちは、そんな安い三文芝居で満足するような、底の浅い役者じゃないわよねえ!!?』
バラエティ番組のポップなノリと、狂気的な熱量が完全に混ざり合った、最悪のディレクションが始まる。
『立ち上がって!!己の罪を悔い、現実の悲劇をしっかりと噛み締めて!その偽りの平和(ハッピーエンド)を、貴方たち自身のその手で、血の涙を流しながら打ち砕きなさい!!』
歓喜に震える絶叫が、ジルの戦場とアイリスフィールの戦場をビリビリと震わせる。
『一度は手に入れた甘い夢を、愛する者のために自ら手放し、再び過酷な現実の地獄へと帰還していく!ああ……なんて美しい、なんて悲壮感に満ちた王道(ストーリー)なの!!!!視聴者は絶対にこういう展開に弱いのよ!涙腺崩壊間違いなしの神回になるわ!!』
真樹の目的は、ここにある。
それは、彼女自身が完璧に計算し尽くして用意した、「感動ポルノ」の台本だ。
登場人物に、彼らが最も望む最高の幸せな夢(IF)をあえて見せる。そして、そこにある矛盾や罪をメタ的な視点から指摘し、彼ら自身の手でその幸せな夢を破壊させる。
自らの手で幸せを手放すという究極の悲劇を演出することで、この舞台を観測している視聴者(世界)の魂を極限まで震わせ、最高のカタルシスを生み出す。
すべては、彼女の考える「一番面白い、最高に泣ける舞台」を完成させるためだけの、ビーストⅤの最悪の「演出」に他ならない。
『さあ、ジル!アイリさん!私の期待を裏切らないで!世界中が泣くような、最高の泣き芝居を、今すぐ私に見せてちょうだい!!』
演出家の容赦のない指示が下る中、ジルとアイリスフィールは、自分たちを縛り付ける甘い夢と、現実の重い責任との間で、魂を引き裂かれるような究極の選択を迫られている。
真樹の掌の上で踊らされていると分かっていても、彼らには、もう元のまま夢に浸ることは絶対にできないのだ。
偽りの空が、彼らの決断を静かに見下ろしている。
「ねえ……それ、本当に幸せ?」
最高の泣き芝居、見せてもらえましたか?
IFに浸る方が幸せか、
それとも壊す方が尊いか。
感想、お待ちしています。
演出家はまだ満足していません。
【超重要・展開が変わります】真樹は聖杯にかける願いを…。
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言う
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言わない