冬木アクターズ・ラプソディ ~観光に来た演劇バカの女子大生、うっかり龍之介を轢いてしまったので、キャスターの「ジャンヌ役」として聖杯戦争を完遂します~ 作:斉宮 柴野
ただし
・脚本は破られます
・演出家は泣きます
・正義の味方は悪人です
それでも
舞台は続きます。
言峰綺礼とアサシンが静かに足を止める。
彼らの目の前にあるのは、どこにでもあるような、見慣れたガラス張りの喫茶店だ。
ここは数日前、彼が、得体の知れない「ジャンヌ・ダルクのそっくりさん」と初めて言葉を交わし、なぜか正義の味方を押し付けられる羽目になった、二人のすべての始まりとも言える因縁の場所である。
今、その喫茶店の屋根を突き破るようにして、禍々しい光の柱が、真っ直ぐに冬木の夜空へと伸びている。
「マスター。どうやら、ここが私たちが向かうべき第七の柱の発生源のようです」
「しかし、なぜこのような普通の喫茶店が選ばれたのでしょうか。世界を滅ぼす人類悪の特異点を支える楔が、街角の喫茶店から生えているというのは、いささか滑稽な光景に思えますが」
「まあ……私と彼女の因縁の地となれば、ここしかないだろうな」
「あの女は、そういう悪ふざけのような演出を好む。彼女にとっては、世界の命運や大層な魔術の儀式よりも、私と初めて顔を合わせたこの場所の記憶の方が、よほど重要で価値があるということなのだろう。全く、呆れた自己中心主義だ」
「それが、ビーストたるゆえんということですか」
「そういうことだ。だが、そこが彼女の面白いところでもある」
「鮮明に思い出せる。あんな人間くさい真似をする人類悪など、後にも先にも彼女くらいのものだろう」
「はっ。マスターが楽しそうで何よりです」
「状況の報告をよろしいでしょうか。私たちが冬木市中を駆け回り、現状を確認しております。他の光の柱も、次々と消え去っております」
「ほう。衛宮やアーチボルト、あるいはライダーの陣営が、彼女の用意した試練を打ち破ったということか」
「はい。彼らは見事に楔を破壊したようです。……ただ、気になる点があります。アインツベルンの城の跡地にそびえる『柱』が、未だに強固に残っていること。そして……間桐邸から伸びている『柱』の色が、先ほど突然、不純物のない純白に変わっていることです」
「間桐の柱の変質……」
「五本目の柱に向かったのは、確か間桐桜とランスロットだったな。柱が壊れるのではなく、色が純白に塗り替えられたか」
「はい。あの柱からは、ビーストⅤとは全く異なる、強大で異質な魔力の波動が感じられます。おそらく、あの少女もまた……」
「まあ良い」
「師の娘(桜)にも、彼女なりの譲れない意地と、成し遂げるべき執念があるのだろう。彼女がどう動こうと、それは彼女の戦いだ。私が口出しすることではない」
綺礼は、懐から黒鍵を取り出し、それを確かめるように握り直してから、再びカソックの奥へとしまう。
「私には私の、やるべきことがある。あの愛すべき演出家が、この喫茶店の中でどんな三文芝居を用意して私を待ち構えているのか。この目でしっかりと見届けてやらねばならない」
「私も、彼女に選ばれた正義の味方としては、他の連中に負けられんな」
「お供いたします、マスター」
綺礼は、一切の迷いなく、アサシンと共にその眩い光の柱の中へと入っていく。
光の壁を抜けた先。
色鮮やかなステンドグラスから、青白い月光が静かに差し込んでいる。
冷たい石造りの床と、整然と並んだ木製の長椅子。
そこは、綺礼にとってあまりにも馴染み深い、静寂に包まれた冬木教会の礼拝堂そのものだ。
「ここは……冬木教会」
「なるほど。彼女らしい、ひどく皮肉の効いた舞台設定だ。私の根城であり、神に祈りを捧げる神聖な場所。人類悪が用意する幻影の檻としては、あまりにも静かすぎるな」
「マスター。周囲に敵の気配や、幻影の罠のようなものは一切感じられません。ただ、ただ静かです」
「そういえば、父上はこの冬木を覆う特異点の異変の中で無事だろうか?」
「この騒動が終わったら、少し親孝行でもしてやらねばならんな」
綺礼が、そんな冗談めいた独り言をこぼしながら、礼拝堂の奥、最も神聖なる祭壇へと視線を向ける。
「……!!」
誰もいないはずの礼拝堂。
その正面、巨大な十字架が掲げられた祭壇のすぐ前に。
一人の少女が、背中を向けて静かに膝をついている。
漆黒の髪。頭には禍々しい角が生えている。
だが、その角の片方――右側の角は、無惨にも途中でポッキリとへし折られている。
彼女は、人類悪――ビーストⅤたる聖上真樹その人だ。
彼女は、静寂に包まれた礼拝堂の中で、胸の前で両手をしっかりと組み、目を閉じて、神に向かって静かに祈りを捧げている。
その姿は、あまりにも無防備で、そして、どうしようもなく孤独に見える。
「主に祈る人類悪って、新しいと思わない?」
真樹が、目を閉じたまま、背中越しに綺礼に向かって語りかける。
「……そうだな。非常に冒涜的で、およそ神が許すはずもない姿だ」
「だが……どこまでも美しい。そう思ってしまうほどに、お前のその祈る姿は、私の胸を激しく打つ」
「私を待っていたのか?」
「ええ。あなたは余計な寄り道なんてせずに、真っ直ぐにここへ私に会いに来ると確信していたわ。綺礼さん」
「それにしても、ずいぶんと派手にやられたようだな。その角、どうした?」
「無敵の演出家も、役者のアドリブには手を焼いていると見える」
「もう、笑わないでよ!」
「ケイネス先生のところのディルムッドさんよ!私がちょっと油断した隙に呪いの槍(ゲイ・ボウ)を投げつけてきたの!おかげで、私の完璧なビジュアルが台無しよ。治癒魔術も効かないし、本当に痛かったんだから!」
「ははは。それは災難だったな。だが、少し不格好なその姿も、人間くさくてお前によく似合っている」
「もう、綺礼さんまでひどい!慰めてくれると思ったのに!」
真樹が、祭壇の階段をゆっくりと降り、綺礼の方へと歩み寄る。
「で?私はどうすればいい?」
「お前の書いた私のための台本は、どのようなものだ?」
「……そんなもの、あるわけないじゃない」
「綺礼さんには、私のごまかしなんて一切通用しないって、最初から分かってるもの。それに、私自身が、綺礼さんに嘘をついたり、試したりするような真似をしたくない。ここはただ私とあなたが話をするためだけの、本当に何もない空間よ」
静寂と、ステンドグラス越しの月光があるだけだ。
「そうか。それは、特別扱いというやつだな」
二人は、もはや言葉を交わす必要すらないかのように、ごく自然に、互いの距離を詰める。
そして、これまでの空白の時間を埋めるように、そっと、本当にそっと抱き合う。
本来ならば、出会った瞬間に殺し合わなければならない、絶対に相容れないはずの二つの存在。
「……綺礼さん」
「私ね、さっき、この祭壇の前で、神様にお祈りしていたの」
「ほう。人類悪が、一体神に何を祈るというのだ?世界の滅亡か?それとも、自分の完璧な脚本の完成か?」
「違うわ。そんなスケールの大きなことじゃない」
「私はただ……綺礼さんが、怪我をせずに、無事に私のところまで辿り着いてくれますようにって。ただそれだけを、ずっと祈っていたの」
「いや、バカなことなどない。それは、お前が誰よりも私を愛しているという何よりの証明だ」
「私も、同じだ。世界がどうなろうと、他の連中がどんな結末を迎えようと、そんなことは私の知ったことではない。私はただ、お前という一人の女に会うためだけに、ここへ来たのだから」
「綺礼さん……」
◇◇
「ねえ、お願いがあるの」
「お願い、か。この特異点の絶対的な支配者であり、全能の演出家であるお前が、この私に一体何を願うというのだ」
「私を助けて?」
「貴方は『正義の味方』なんでしょう?だから、私を助けてよ」
「私が、お前を助ける。それはつまり、お前のこの計画に加担しろということか」
「そうよ。私のために……この優しくて、誰も傷つかない完璧な劇場(ハッピーエンド)を、みんなに認めさせてよ」
「私のやろうとしていることは、間違ってなんかいないわ。ハッピーエンドを、どうしてあの人たちは拒絶するの?意味がわからないわ。だから、綺礼さん」
「貴方が、私を肯定して。貴方が私の味方になって、これが正しいんだって証明してくれたら、私は……」
だが。
「それはできないな」
綺礼は、愛しい女の背中を優しく撫で続けながらも、その言葉だけは、酷薄なまでの冷静さと、絶対の拒絶を持って言い放つ。
「……え?」
「お前のその孤独な願いを聞き入れ、お前の共犯者になること。……そうすることは、私の生まれ持った本質(悪)からすれば、この上なく『楽しい』と感じるだろうな」
「他人の悲劇や絶望を前にして、そこに偽りの救済を押し付ける。それは、私の内なる悪を極限まで満たしてくれる、最高に甘美な愉悦に違いない」
「……だが、それは悪なのだ。私自身の本質がどうであれ、それが世界にとっての悪であるという事実は変わらない。それをしてしまえば、私は正義の味方としての役割を放棄することになる。そして何より、お前のその計画に賛同してしまえば……私は、みんなを救えない」
「みんなを救えないって、どういうこと?」
「さっきも言ったじゃない。私の用意するハッピーエンドは、みんなを救うためのものよ?みんな笑って、後悔を消して、誰も泣いたりしない。そんな完璧なエンディングなのに、どうして救えないなんて言うの?」
「本当にそうか?」
「お前は、みんなが幸せになると言うが、この完璧なハッピーエンドのシナリオの裏には、必ず『犠牲』が出る仕組みになっている。それが分かっているからこそ、私はお前の計画を肯定するわけにはいかないのだ」
「犠牲なんて出ないわよ!」
「私の脚本(シナリオ)は完璧だもの!切嗣さんだって、ケイネス先生だって、ライダー陣営だって、みんなが一番望む最高の舞台を用意してあげたわ!誰も死なないし、誰も不幸にならない!犠牲なんて、どこにも存在しないわ!!」
「いや。存在している」
「この特異点において、一番重くて、一番残酷な犠牲が、たった一つだけ用意されている」
「……だから、誰が犠牲になるっていうのよ」
綺礼は、真樹の肩を両手でしっかりと掴み、彼女から逃げ場を奪うようにして、その事実を突きつける。
「真樹。――君だ」
「っ……」
「お前は、この世界を一つの完璧な劇場に作り変え、みんなに幸せな役を与えて、大団円を迎えさせようとしている」
「だが、お前自身はどうだ?お前は、みんなのその幸せなハッピーエンドを観客席から、あるいは誰もいない舞台裏(演出家の椅子)から、ただ一人で眺めるだけだ。お前は決して、その光の当たる舞台の上には上がれない」
「……」
「他人のための舞台の裏方に捧げる。誰も自分の存在に気づかないまま、永遠に孤独な暗闇の中で、この狂った世界を回し続けるための歯車になる」
「それが、お前がみんなを幸せにするために、お前自身が支払う『犠牲』だ。違うか?」
真樹は、言葉を返せない。
自分は空っぽの偽物だから、せめて他人に最高の舞台を用意してあげたい。自分は幸せになれなくても、みんなが幸せになればそれでいい。
その献身こそが、彼女を人類悪へと押し上げた原動力なのだ。
「私……?私の犠牲なんて、そんなのどうでもいいじゃない」
「私はいいのよ。私はただ偽物だもの。だから、私は脚本家として、演出家として、この暗闇の席に座っていればいい。犠牲になっても、誰も困らないわ」
「それに、一人ぼっちっていうわけじゃないわ。ただ貴方が……綺礼さんが、こうして隣にいてくれたら、私はそれで十分に……」
「君は……『脚本家』ではないだろう」
「……え?」
「君は、他人の人生の脚本を書くような、そんな陰気な演出家ではない。君の本質は、もっと別のところにあるはずだ。君は……『役者』だろう?」
「!!!」
「私は演出家よ。この特異点を作って、みんなに試練を与えて、シナリオを書いているのは私よ。私がビーストⅤとして……」
「私が出会ったのは、ジャンヌ・ダルクの役を完璧に演じきっていた君だ」
「得体の知れない英霊の皮を被り、私という警戒心に満ちた男を相手に、堂々と、見事に聖女の演技をやり通してみせた。あの時の君の姿は、裏方に引っ込むような臆病な演出家のそれではない。スポットライトを浴びて、誰よりも目立とうとする、生粋の役者の姿だった」
「……」
「そして……私が愛したのは、安全な場所から演出家として世界を操り、他人の人生を弄ぶ君ではない」
「誰よりも『役者』として、自分の足で舞台に立ち、懸命に輝こうとしていた君だ。私は、その君の必死な演技に惹かれ、君という存在を愛したのだ」
「でも!でも……!!」
真樹が、首を激しく横に振り、綺礼の手から逃れようとする。
「私の役には『魂がない』って、ずっと言われてきたの!!」
「お芝居の稽古をしても、舞台に立っても、周りの大人たちはみんな私にそう言ったわ!『お前の演技は完璧なコピーだけど、そこには何もない』『お前の芝居は誰の心も動かせない』って!!」
「私は、本物の役者になんてなれない!ただの空っぽの模倣品なのよ!!自分の中に何もないから、他人の皮を被るしかなくて……だから、役者を諦めて、他人の脚本を書く演出家に!!」
「私は空っぽなのよ……!綺礼さんが愛してくれた私は、ただのジャンヌ・ダルクの幻影で……本当の私には、誰も愛してくれるような価値なんて、何もないのよ……っ」
綺礼はその真樹の体をしっかりと支え、決して彼女をその場に崩れ落ちさせない。
「『たとえ魂の本質が悪であっても、善であるという役を最後まで張り通す。そうでないと、負けたみたいで癪でしょう?』」
綺礼の口から、とても穏やかで、聞き覚えのある言葉が紡がれる。
「……それは」
「君が私に言った言葉だ。喫茶店で、己の悪の性質に苦しみ、どう生きればいいか迷っていた私を救ってくれた、君のセリフだ」
「君はあの時、私にそう言って笑ってくれた。本質が何であれ、最後まで自分のやりたい役を演じきればいいのだと。それが君の、そして私の生きる道なのだと」
「だから、私はもう降りない。君に言われた通り、この世界で正義の味方という役を、最後まで張り続ける。たとえ世界中が私を悪だと罵ろうとも、君が私に与えてくれたこの役を、私は絶対に手放さない」
「だから……私はもう、何も諦めない。君をこのまま暗闇の観客席に一人で置いていくような真似は、絶対にしない」
「他人に演技が下手だと言われたからなんだ??他人の評価などどうでもいい。君は、本当は誰よりも、お芝居が好きなんだろう?」
「……っ」
「でも、向き不向きってあるじゃない……っ」
「私には才能がないの……っ。頑張っても、頑張っても、誰も私の本当のお芝居なんて見てくれないのよ……っ」
「なら、私は究極に向いていないな」
「え?」
「生まれついての絶対的な悪人が、世界を救う正義の味方を演じているのだからな。これほどのミスマッチもないだろう」
綺礼は、少しだけ自嘲気味に、皮肉げに、しかしひどく優しく、そして楽しそうに笑う。
「でも……その究極に向いていない役を、最後まで歯を食いしばって貫き通して。そして最後に、『お前は正義の味方にはなれない』と笑った批判者たちや、この理不尽な世界の鼻を明かしてやることができたら……」
真樹の額に自分の額をコツンと軽くぶつける。
「それで、役者冥利に尽きるだろう?」
「…………」
しばらくの間、瞬きもせずに彼を見つめ返し。
やがて。
「……そうね……本当に。貴方の言う通りだわ」
「……敵わないわ。初めて……私が書いた完璧なはずの『演出』が、貴方の不器用な『お芝居』に、完全に負けちゃった」
「いいわ。私の負け。この第七の柱の試練は、これでおしまい」
「……中央(大劇場)に来て、綺礼さん。私から逃げずに、最後まで私の舞台に付き合って」
真樹のその言葉が終わると同時。
彼らを包んでいた、礼拝堂の幻影が。
そして、ステンドグラスから差し込んでいた月光が。
すべてが、光の粒子となってキラキラと溶け落ちていく。
光の粒子が舞い散る中、綺礼の腕の中にいた真樹の姿もまた、足元から徐々に光に包まれ、透明になり、消えようとしている。
これは、幻影の舞台が崩壊したことによる、彼女の精神体(ビースト本体の意識)の強制的な中央への帰還だ。
「真樹!!」
光に包まれ、姿を完全に消していく直前。
「私の試練は終わったけど、私は演出家としての脚本を絶対にやめない!!私はこのまま、世界をハッピーエンドで塗り替えるわ!!」
「だから、皆で全力でかかってきなさい!!妥協なんて一切しないわ!最高の舞台で、最高の演技で、私の書いた完璧な台本を、貴方たちの手でビリビリに破ってみせて!!」
そして、彼女は最後に、綺礼だけを真っ直ぐに見つめ、一人の少女として、心の底からの願いを口にする。
「そして……私を助けて。綺礼。愛しているわ」
光が弾け、真樹の姿が完全に冬木の夜の闇へと溶けて消える。
だが、彼女のその最期の言葉は、確かに綺礼の心に深く刻み込まれた。
「ああ。私もだ」
「狂おしいほどに、君を愛している」
生涯でただ一度きりの、真実の愛の告白。
その言葉は、消えゆく少女の耳に、確かに届き、彼女の心を温かく満たしたはずだ。
「マスター……」
「光の柱は、完全に消滅しました。これで……」
「ああ。分かっている」
綺礼の視線の先。
上空に浮かぶ、巨大な大劇場。
愛するがゆえに世界を終わらせようとする、孤独で不器用な演出家(ビーストⅤ)が、ただ一人、彼らが来るのを待っている。
「行くぞ、アサシン。我々の舞台の、最終幕の開演だ」
決戦の時は、もう目前に迫っている。
最高に熱く、最高に劇的な、最後の舞台の幕が、今まさに上がろうとしていた。
個人的には
・綺礼の「役者論」
・真樹の役者コンプレックス
を書くのが一番楽しかった部分です。
もし
この二人の関係が好き
この会話が良かった
第七の柱の演出が好き
などありましたら、ぜひ感想で教えていただけると嬉しいです。
【超重要・展開が変わります】真樹は聖杯にかける願いを…。
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言う
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言わない