冬木アクターズ・ラプソディ ~観光に来た演劇バカの女子大生、うっかり龍之介を轢いてしまったので、キャスターの「ジャンヌ役」として聖杯戦争を完遂します~ 作:斉宮 柴野
よろしくお願いします。
ジルの光が、微かな余韻を残しながら、ほんの少しずつ夜空へとほどけていく。
その無数の粒は、酷薄なほどに美しい。あまりにも綺麗すぎて、どうしようもなく腹が立った。私はまだ、彼に何ひとつ返せていない。それなのに、あの人だけが先に、すべてをやり遂げたような晴れやかな顔でこの狂った舞台から降りていくのだ。
役者としての引き際なら、間違いなく百点満点だろう。けれど、ともに戦う仲間としては最低最悪だ。そんな、どうしようもなく重たくて愛おしい置き土産だけを私の胸に押し付けて、彼は逝ってしまった。
「ジル……」
呼んだところで、もう二度と彼が応えてくれることはない。そんなこと、頭では痛いほど分かっている。分かっているのに、堪えきれない喪失感が喉の奥で勝手に彼の名前を転がしてしまう。
喧騒のすべてが、まるで魔法をかけられたかのように一拍だけ完全に停止したのだ。
それほどまでに、ジル・ド・レという男の退場劇は、誰の目にも焼き付くほど鮮烈で派手だった。
「……見事ね」
静寂を破るように、桜ちゃんがぽつりと小さく呟く。
アルトリアちゃんも、黄金の聖剣を固く握りしめたまま、祈るように口を閉ざしている。ケイネス先生は露骨に忌々しそうな顔を作っているけれど、その視線だけは決して宙から逸らさない。
イスカンダルさんも、いつもの豪快な笑みをすっかり潜めている。あの傲岸不遜なギルガメッシュ王でさえ、ひどくつまらなそうな表情のまま、一切の茶化す言葉を口にしなかった。
つまり、ここにいる全員が、彼の残したものをしかと受け取っているのだ。
その尊い静寂を最初に踏みにじったのは、やはり私の本体のひび割れた声だった。
「やれやれ……。かくの如く、出番を終えた役者は壇上から降り、舞台は幕を降ろす」
銀幕を寄り合わせたようなおぞましい触手をうねらせながら、獣と化した本体がゆっくりと裂けた口を開く。
先ほど顕現した醜悪な獣の姿のまま、舞台の奥深くで血のように赤い単眼をぎらぎらと鈍く光らせている。
何度直視しても、その存在の歪さに吐き気がこみ上げてくる。
「最後に残るのは、私よ。もはや『デウス・エクス・マキナ』となった、私」
「やかましいわね。自分で自分を神とか名乗るな。厨二病もそこまで行くと芸術だけど、見た目が完全に邪神だから全然映えないのよ」
私の言葉に、本体の巨大な単眼がぎろりと憎悪を込めてこちらを睨みつける。
「デウス・エクス・マキナの私が、デウス・エクス・マキナたる真樹(プリテンダー)と、デウス・エクス・マキナの貴方(綺礼)に立ち向かう。 ああ………私はきっと、そのためにビーストになったのかもしれない。綺礼さん、私の愛しい人」
本体の折れた片角の断面から、赤黒い魔力がどろどろと不気味に溢れ出す。
あれこそが、この狂った舞台を支配する脚本そのものだ。世界中の悲鳴を無視して、無理やりハッピーエンドという名の結末を貼りつける、吐き気のするような糊。
「さあ!世界は大団円へとねじ曲がる。あるべき未来も、世界のすべてを、私の愛で優しく包んであげる!!」
「――『私たちの攻撃は、貴女に通じる』」
少なくとも本体が垂れ流す身勝手なナレーションを、そのまま素通りさせるほど私はヤワじゃない。
これこそが、私にしかできないアドリブ。私がこの世界に突きつける、真実の定義だ。
「はは!アンタのそのちっぽけな相殺、いつまでもつかしら!それに、見てみなさい、みんなもう限界よ!私の真体を前にして、まともに戦える人なんて……」
「いいえ、『二人』いるわ」
私の言葉が終わるよりも早く、舞台の端から一筋の緑の光が猛烈な速度で突っ込んでくる。
それは単なる風ではない。星が呼吸する命の息吹そのものだ。彼自身が星の力を束ねた至高の兵器なのだから、あの姿はもう、天を駆ける流星となんら変わりない。
「今こそ僕を使ってくれ、マスター!!」
エルキドゥさんだ。
全身全霊を懸けた魔力解放。そこにはもう、一切の出し惜しみも躊躇いもない。
その一撃の名は、当然、あれしかあり得ない。
「『人よ、神を繋ぎ止めよう』!!」
神代の光を纏った槍が、星の瞬きをも凌駕する勢いで、崩れかけた大劇場のど真ん中を一直線に貫いていく。
まともに直撃すれば、この特異点という概念そのものが根底から覆りかねない、まさに神域の絶技だ。しかし、今の歪み切ったこの舞台では、私が紡いだ真実の定義による相殺と、本体による強引な世界の書き換えが複雑に絡み合い、どうにか「拮抗するかもしれない」という際どいラインにまで威力が押さえ込まれていた。
それでも、今の私たちにとっては十分すぎる。
少なくとも、この分厚い絶望を押し切るだけの可能性がそこにある。
――ズドォォォォンッ!!!!
フィルムで編まれた獣の巨大な腕が、真正面から突っ込んできたエヌマ・エリシュの光を、力任せに掴み止めているのだ。
「視えるか?エルキドゥ。お前のその目にも、この私の途方もない『愛』が見えるか!?」
「視えるとも!僕は神の作った兵器だからね!それでも、マスターの温かい愛と、君のがらんどうで『中身のない愛』の違いは、はっきりと視える!」
「君はただ、人を弄んで喜ぶだけの悪しき獣!人の世の理を歪める魔王だ!!」
「魔王役!いいわね、その響き!」
怒りと狂った愉悦がどろどろに混ざり合った、最悪の笑い方だ。
「なら、その力で私を打ち砕いてみせなさい!!貴方が本当に神の作った兵器だというのなら!人に仇なす姦しき鬼を討ち滅ぼして、この退屈な舞台をさっさと終わらせて魅せよ!!」
獣の巨大な腕に、さらに絶望的な力がこもる。
あれは、かなり無茶をしている。エルキドゥさんの放つ星の光を押し潰すための莫大なパワーを、本体はただの意地と執念だけで無理やり絞り出しているのだ。
と同時に、エルキドゥさんの華奢な身体にも無数のひびが走り始める。鎖で編み上げられた身体のあちこちが、悲鳴を上げるようにきしむ音を立てている。
「くうっ!!!」
「……人と共に歩もう。僕は……星の息吹よ!!」
命を削るようにしてさらに魔力を絞り出す。
とうに超えているはずの限界を、さらにその先へと無理やり押し込んでいく。
彼の命に呼応するように、光の槍がもう一度、爆発的に膨張する。
「もう一度!!エヌマ・エリシュ!!!!!」
バキィィィィンッ!!!!
身体が、瞬く間に無数の鎖へと姿を変えていく。腕も、肩も、胸も、そのすべてがそのまま神を縛り上げる本物の天の鎖へと再編成され、本体の巨大な腕を内側から無惨に突き破る。
冷たい銀色の鎖が何重にも、何重にも深く巻きつき、フィルムの獣の巨体そのものを、身動きひとつとれないよう舞台の床へと完全に縫い止めた。
「ハァ……ッ、ハァ……ッ。僕は………ここまで、だ…………。でも」
魔力が枯渇し、声が途切れそうになっても、彼は優しく笑っていた。
その誇り高き背中が、ただ一人の親友へと向けられる。
ここはもう、自分の出番ではない。そう完全に理解しきった、役者の顔だった。
「充分だ!!友よ!!」
王は纏っていた黄金の鎧を一切の迷いなく脱ぎ捨てた。これからの死闘において威厳などという不要な飾りは邪魔だと言わんばかりに。
露わになった逞しい肉体には、血潮のように赤い魔術回路の刺青が不気味に浮かび上がっている。あの傲岸不遜な王が、ついに底知れぬ本気を剥き出しにしたのだ。
「原初を語る。天地は分かれ、無は開闢を言祝ぎ。世界を裂くは我が乖離剣」
三つの円柱が互いに逆向きへと高速回転し、周囲の空間そのものを容赦なく削り取っていく。
「星々を廻す臼、天上の地獄とは創世前夜の終着よ。死をもって鎮まるがいい――!!」
「『天地乖離す開闢の星』!!!!」
裁きのような赤い暴風が落ちる。
エルキドゥさんの命を賭した鎖で縛り上げられ、完全に逃げ場を失った本体へと、世界を裂く開闢の風が真っ向から直撃する。
「くううううううう!!!!」
本体を構成する触手が、次々と消し飛んでいく。フィルムが黒く焼け焦げ、偽物の肉が裂け、銀幕の塊が根こそぎ空間ごと抉り取られる。
舞台の背景さえも巻き込んで、景色が文字通りひび割れていく。
そして、激しい光が収まった後、本体の巨大な真体は完全に崩れ去った。
瓦礫の中に残ったのは、黒いドレスを身に纏った、かつての人間としての姿。
床に力なく転がる一人の少女――つまり、忌まわしき私の本体だった。
「ふん!己の身の程を弁えたか、三文芝居の演出家め」
その台詞、本当に腹が立つくらい格好いい。性格は控えめに言って最悪だけれど、幕引きの台詞だけは毎回ちゃんと王様として完璧に決めてくるのだ、この人は。
「……温う御座いますよ?ギルガメッシュ王?」
倒れていたはずの本体が、不気味なほどスムーズな動作で、床からゆっくりと起き上がる。
だめだ。その静かすぎる声のトーンは、最悪の予感しかしない。
「なに?」
本体の声は、ひどく落ち着き払っている。さっきまでのような狂気じみた怒鳴り声とはまったく違う。だからこそ、致命的に危ない。
フィルムの切れ端が、まるで意思を持った蛇のようにするすると床を這い、ギルガメッシュ王とエルキドゥさんの足元へと気味悪く絡みついていく。
ギルガメッシュ王が、即座にエアを再起動しようと構え直す。
「まだ足らぬと申すなら、もう一度世界ごと貴様を削り取ってくれるわ!!」
だが、彼の動きはそこでぴたりと止まった。
カシュン、と。緊迫した空気に似合わない、ひどく間抜けな音が響いた。
「む?」
王が握る乖離剣の刀身が、妙に安っぽい色合いに変わっているのだ。プラスチックでできたおもちゃのようなチープな偽物だった。
「――『乖離剣は間違えて時臣さんに渡してしまって、今の王様はおもちゃの剣を持っていた』」
「なっ!?貴様、その力は相殺されているはずだぞ!なぜ権能が発動する!!」
「ええ。対象を『世界全体』という大きな書き換えにしてしまえば、上書きされちゃうわ」
「なら……対象を『一つ』にまで極端に絞り込めば、互角でしょ?」
やりやがった。
舞台全体という広大なスケールではなく、たった一点。エアという一個の存在の認識だけを書き換える。
くっそ、本当に腹が立つほど、アンタは演出家としてだけは致命的に優秀なのよ。
「小賢しいわ!!ならば天の鎖よ!!!」
無数の鎖が本体の四肢を完璧に拘束し、そのままギルガメッシュ王は別の剣を引き抜いた。
原罪の剣。メロダック。
「これで終いぞ!!」
「――『王は、私を情熱的に抱きしめる』」
「なッ――?」
容赦なく斬り下ろされるはずだった剣の軌道が、ぐにゃりと不自然に捻じ曲がる。高く振り上げられた腕がだらりと開き、真っ直ぐに本体の胸へと向かっていく。
やめてよ、その悪趣味な台本。言葉の響きだけ聞けば情熱的なロマンスに見えるけれど、実際の絵面は大事故以外の何物でもない。
「アハハ!とても情熱的な抱擁ですね。王様。ですが……」
――グチャッ。
「が、はっ…………!」
肉が裂け、血が噴き出す最悪の音が、劇場に響き渡った。
無理やり抱きしめる形にねじ曲げられたせいで、王が逆手に握りしめていたメロダックの刃が、そのままギルガメッシュ王自身の腹部を深く、残酷に貫いていた。
「貴、様…………」
「これで……元通り、ね」
本体は、大量の血を吐いてよろめく王を、ゴミでも払うように冷酷に突き飛ばす。
ギルガメッシュ王の身体が崩れ落ちるように床を滑り、黄金の血が赤い絨毯の上へと生々しく広がっていく。
同時に、エルキドゥさんも完全に限界を迎えていた。本体を縛り付けていた鎖の維持が解けかけ、がくりと膝をつく。
「ギル!!」
「王様!!」
だが、絶対の誇りを持つ王は、激痛と屈辱に顔を歪めながらも、すぐにはその場から立ち上がることができない。
本体が、周囲に漂うフィルムの触手を不気味に揺らしながら、ゆっくりと私と綺礼さんを見据える。
「これで、目障りなエキストラたちは全員退場したわ。さあ、残るはお相手してね。綺礼さん。――そして、プリテンダー」
お読みいただきありがとうございました。
総力戦らしい派手さと、Zeroらしい嫌な反転を両立させたかった回です。
刺さった場面や、好きだったセリフがあればぜひ教えてください。