冬木アクターズ・ラプソディ ~観光に来た演劇バカの女子大生、うっかり龍之介を轢いてしまったので、キャスターの「ジャンヌ役」として聖杯戦争を完遂します~ 作:斉宮 柴野
静かな導入はたぶんありません。
新シーズン第1話です。
魔力ゼロの聖杯と、言峰家の朝
ちょっと待って! 順番! せめて順番を守って!
味噌汁を見ている間にトーストは焼けるし、洗濯機は脱水に入るし、ベビーサークルからは立香の大絶叫。朝から全員で畳みかけてくるんじゃないわよ! お母さんの腕は二本! 出演者を増やしたって裏方は増えてないの!
はいはい、りっちゃん、お腹すいたわね。聞こえてる。ものすごく聞こえてる! バーサーカーみたいに吠えなくても迎えに行くから、あと十秒! その間にパンを――。
「おはようございます。お父様、継母」
出たわね!
顔は可愛い。もう腹が立つほど可愛い! それでいて、どうして朝の挨拶で私に喧嘩を売るのよ。この子の辞書には「お母様」の三文字がないのか。買ってこようか、辞書!
「おはよう、カレン。今日こそ普通に呼んでみない? お母さん、はい復唱!」
「お父様、お父様。継母から身分詐称を強要されています。どうか哀れな私をお救いください」
「誰が身分詐称よ! 戸籍上は紛れもなく親でしょうが!」
「哀れな娘を朝から虐げるとは、なんという邪悪。代行者たる私が、お前に神の裁きを下さねばならんな」
新聞読んでた人が即座に乗ってくるんじゃないわよ!
ねえ、どこを見て邪悪と判断した? 今の私、エプロン姿でトースト持ってるんですけど! 元・人類悪なのは認めるけど、朝食の支度まで有罪にされたら更生の道が険しすぎるわ!
「そこの親子! 朝から結託して――ひゃっ!」
腰! 腰をつかむな! 皿を持ってる時に後ろから来るんじゃない!
肘で迎撃しても手応えなし。くっ、この代行者、無駄に頑丈!
「離せ! 朝食! 洗濯! 子供! 今の私のどこに余裕を感じたのよ!」
「安心しろ。私はお前が余裕を失い、慌てふためく様を愛でるのが好きなのだ」
「最悪! 最低! 悪人!」
「至高の褒め言葉だな」
褒めてないわよ! 何なのその前向きさ! ちょっとは家事の方へ向けてみなさいよ、その意欲を!
「うわあああああん!」
あああ、りっちゃん! 忘れてない! お母さんは決して忘れてないから!
綺礼さんの腕を押しのけてサークルへ。もう、その手足! そんなにばたばたしなくても抱っこします! よいしょ、と脇を支えた途端、胸へしがみついてくるんだから、ああもう可愛い! うちの息子、天使!
元・人類悪の母と、さっきの父から生まれてこの可愛さ。奇跡ってあるのね。声量に関しては、もう少し穏やかな奇跡でもよかったけど!
「はいはい、お腹すいたねえ。お母さん、今日も頑張ってるのよー。ちょっとお父さんに邪魔されてねー」
エプロンをぎゅっと握って、訴えるようにこちらを見上げてくる。うん、そうよね。家庭の事情より今のご飯よね!
「お母さん……私もおなか減った。朝ごはん、まだー?」
「白野ちゃーん! 起きたのね、えらいね! 座って待ってて、今りっちゃんを何とかするから!」
その寝癖も何とかしたいけど後回し! よくそこまで跳ねたわね、寝ている間に何と戦ってきたの?
「じゃあ、先に食パン食べてていい?」
もう袋に手をかけてる! 許可を取る気、ある!?
「待ちなさい、焼いたのがあるから! そっちの皿! 立って食べない、座る!」
よし、白野は着席。立香は抱っこ。これで一人ずつ――。
「早くしてください、継母。私のトーストは焼き目を薄めにお願いしますね」
レストランじゃないのよ、ここは!
「細かい注文つけるなら自分で焼きなさいよ! あと継母って呼ぶな!」
「私が焼こうとすると、危ないから台所に立つなと仰るのは継母でしょう」
ぐぬぬ……!
そうよ、言いました! 熱い物も刃物もあるところへ子供を入れたくないの! だから私が焼くんでしょうが! あれ、これじゃ最初に戻る!
この娘、こちらの弱いところを実によく御存じで。そろそろ私への理解を優しさに使ってくれませんかねえ!
「真樹、味噌汁の火が強すぎる」
「あっ、やばっ!」
火を止めて、ふう、と息を吐く暇もない。立香、ちょっと待って、今その髪を引っ張られるとお母さんの首が!
「もうっ、どうして朝からこんなパニック映画みたいになるのよ!」
「お前自身が家族という名の登場人物を増やしたからだろう」
「私が単為生殖でぽこぽこ増やしたみたいに言うな!」
あなたも当事者でしょうが! いつの間に客席へ移動したのよ! 舞台へ戻れ、父親!
カレンへ皿を渡そうとして、右手の甲に目を留める。
赤い、その模様。
……は?
ちょっと。何、それ。
知っている。知っているから、聞きたくない。何でカレンの手にあるのよ。今、この朝に持ち込んでくるものじゃないでしょう。
「何ですか、その間の抜けた顔は。私の手に何か汚れでもついていますか」
「……汚れどころの騒ぎじゃないんですけど」
「インクの染みではありませんよ」
「知っとるわ! 令呪をシミ抜きで落とせるなら、とっくに洗面所へ連れていってるわよ!」
いつから。どうして黙ってたの。痛みは?
一度に聞いてしまいそうで、口を閉じる。皿を置かなくちゃ。立香も抱いてる。落ち着け、私。
「お母さん、れいじゅってなに?」
白野! 今そこに興味を持たなくていい!
「子供は知らなくていい大人の事情!」
「じゃあ、お父さんの黒い鍵みたいなのも?」
「それはもっと深く知らなくていい闇の事情!」
何なの、この家の教材! 朝ご飯を食べながら覚える単語じゃないわよ!
綺礼さん。あなたからも何か――。
「真樹。今ここで深入りする話ではない」
さっきまでの調子じゃない。
……分かってるわよ。分かってるから、そんな声を出さないで。白野も聞いてる。
「ええ。あとでね」
立香を抱き直すと、また口を開けて泣きそうな顔。ああ、ごめんね。りっちゃんの朝食はまだだった。
令呪をにらんでいたって、この子のお腹は膨れない。カレンも、まだパンを食べていない。
だったら今、やることは決まってるでしょう!
「とりあえず飯! 令呪だろうが世界の終わりだろうが、空腹じゃ脳みそ回んないわよ!」
「継母にしては珍しく、理にかなった正論ですね」
「うるさいわね、この腹黒娘! ご注文のトースト、冷める前に食べなさい!」
その憎まれ口。あとでたっぷり相手をしてやるから、覚えてなさいよ。
綺礼さん、新聞を置く! 白野、パンくず! ああ、りっちゃん、分かった、今度こそご飯!
聖杯戦争なんて、朝から押しかけてくるんじゃないわよ。
こっちは今日も、三人の母親をやってるの!
◇◇
「シロウ、ようやく日本に到着しましたね」
誰のせいだと思ってるんだ。
羽田の到着ロビーまで来て、最初に言いたくなったのがそれだった。ようやく? ああ、ようやくだよ。一週間! 帰国予定を一週間も延ばして!
「アルトリアのわがままで、やっと、な。ケイネス先生もウェイバー先生も、とっくに日本に着いてるんだぞ」
「仕方のないことです。私はブリテンの王。現代の我が国を、この目で見届ける義務がありました」
「ほとんどグルメツアーだったろ!」
そこで目を逸らすな! 思い当たる節があるなら、最初から王の義務を持ち出さないでくれ!
見届けていたのは皿の中だろう。食べ終わるたびに次の店を探して、俺まで腹一杯で歩くことになって。あれほど食べて、どうしてまた夕飯を楽しみにできるんだ。
「シロウも、フィッシュ・アンド・チップスを大層美味しいと喜んでいたではありませんか」
「美味いとは言ったけど、時計塔の授業をサボった言い訳にはならないだろ!」
俺まで共犯にする気か。……食べたけど。全部食べたし、美味かったけど!
駄目だ。この話を続けると、欠席の反省より先に腹が減ってくる。荷物を持ち直して出口を探す。まずは帰ろう。日本に着いたんだ。ここからは、少しくらい落ち着いて――。
「士郎! ようやく帰ってきたわね!」
落ち着ける気がしない声だ。
「ああ、凛。久しぶり。迎えに来てくれたのか」
「勘違いしないでよね。わざわざ来たのは、お父様に頼まれたからなんだから」
「はいはい、分かってるよ。ありがとな」
「その返事、昔から本当に腹が立つわねえ!」
どう返せば正解なんだよ!
出迎えの理由に納得して礼も言った。どこを間違えた? 久しぶりに会ったんだから、もう少し簡単なところから始めてくれないか。時計塔の授業より難しいぞ、それ。
「先輩、おかえりなさい」
ああ、桜。助かった。普通の挨拶だ。
「ただいま。桜も元気そうでよかった」
「私は寂しくて寂しくて、毎日先輩のことを想いながら自分を慰めていたんですよ」
普通の挨拶じゃなかった!
いや、嬉しい。嬉しいんだが、その距離で見上げられると返事に困る! こっちは長旅の直後なんだ。もう少し心の準備をさせてほしい。
「桜! あんた、いきなり何言ってるの!」
「あ、ごめんなさい。今のは姉さんの方でしたね」
「違うわよ!」
俺を見るな、二人とも! 今の話に俺の名前は出たけど、俺に答えを求められても困るんだ!
「え?違うんですか?姉さん、この年齢になってもそういう行為、したことないんですか?」
「は、はあ!?い、いや、せいぜい三日に一回くら……あっ」
……言い切る前に気づけなかったのか、凛。
口を押さえたままこっちを見られても、俺はどうすればいい。聞こえなかったふりか? この距離で? 無理だろ!
到着案内の表示へ目を向ける。そうだ、案内を見よう。とても大事だ。もう到着している俺に何の案内が必要なのかは、今は考えなくていい。
隣で桜はにこにこしている。桜、お前、最初からこれを狙ってたな?
「ふ……リンはまだまだ精神的にお子様ですね」
なぜそこで入ってくる、アルトリア!
腕を組んで得意そうにしてる場合か。こっちは話を終わらせようとしてるんだぞ!
「今、鼻で笑ったわね!? ちょっと、こっち向きなさいよ!」
「なぜ私に怒るのです!? サクラとの話だったでしょう!」
なら入ってこなければよかっただろ!
もう、帰国して何分だ。まだ空港も出てないんだぞ。ロンドンでは飯につき合って、日本では喧嘩の仲裁か。俺の旅行鞄を置く時間はどこにある!
懐かしい。確かに懐かしいよ、この騒がしさは! でも、懐かしめば疲れなくなるわけじゃないんだ!
周りの人までこっちを見始めている。まずい。本格的にまずい。
「お前ら、いい加減にしろ。ここは空港! 凛もアルトリアも声を落とせ。桜、姉さんをからかうのはその辺にしておけよ」
「はーい」
いい返事だな、本当に! その素直さを最初から発揮してくれ!
凛には後で改めて礼を言おう。今、皆の前で何か付け足せば、また桜に拾われる。そこまで分かっていて飛び込むほど、俺も無謀じゃない。
ともかく出口だ。荷物を引いて、今度こそ歩き出す。
親父たちは今、どこにいるんだろう。ケイネス先生とウェイバー先生も先に帰国しているし、時臣さんも凛に出迎えを頼むくらい忙しいらしい。
……あの顔ぶれで、何をしているんだ。
考えた途端、家で落ち着いて飯を食う予定まで怪しく思えてきた。
頼むぞ、親父。せめてそっちは、平穏にやっててくれよ。
◇◇
ない。
もう一度確かめても、ない。
ここは円蔵山の地下で、目の前には大聖杯の祭壇。場所は合っている。わざわざ全員で違う穴に潜って、仲良く首をひねっているわけじゃない。
なのに、肝心の魔力がない。まったくない。
……どういうことだよ。
「やはり、魔力の『ま』の字すら感知できないな」
時臣、ケイネス、ウェイバー。誰か一人くらい、僕の調べ方を笑ってくれないか。
素人はこれだから困る、とでも言ってくれれば喜んで聞くよ。
誰も言わない。困ったな。全員そろって正解らしい。
「しかし、マスターたちには令呪が出ている。開始は告げられたのに、魔力は空。これでは話にならん」
時臣、僕も同じことを言いたい。
呼びつけておいて準備はできていません、なんて儀式に、律儀につき合う必要はない。普段ならそう判断する。こちらの子供たちを参加者に数えてさえいなければ!
「魔力ゼロで令呪の付与が進むだと? 何をどうすればそんな挙動になる! 魔術理論の根底から破綻しているぞ!」
ケイネスの講義でなくてよかった。ここで答えろと言われても、僕には無理だ。
いや、講義の問題ならまだよかったな。解けなくても子供を巻き込まずに済む。
「チッ。どこの誰が手を入れたんだ」
舞弥、その相手を見つけてから舌打ちしよう。居場所さえ分かれば、僕もぜひ会いに行きたい。事情を聞く用意はある。答えさせる用意も。
「ジル元帥が消滅した時の魔力は? 私の小聖杯に流れ込んだ感覚は、確かにあったのよ」
それだ、アイリ。受け入れたところまでは確かなんだ。
入ったものは、どこかへ出た。それなら出口を探せばいい。言うのは簡単だな。さっきから、その出口どころか痕跡も見つからないというのに。
「一騎分を神隠しで済ませられるものか。誰かが持ち去ったなら、随分な横取りだ」
時臣の口ぶりも、穏やかとは言い難い。いいぞ、この状況で優雅に構えていられても困る。僕一人で頭を抱えるのは御免だ。
「今回は魂を回収する小聖杯の器すらない。回収先もなく進めるつもりか? 別の仕組みを用意しているのなら、そもそも我々の想定する儀式ではないぞ」
器もない、魔力もない。なのに令呪は出ている。
必要なものから順に欠けているくせに、始める気は満々なのか。やめてくれ。僕たちは儀式の不具合を直すために集まったんじゃない。
……不具合じゃなかったら?
僕たちには空に見えていても、欲しい場所へ魔力を移し終えた誰かにとっては、これで予定どおりなのかもしれない。
「時計塔から来るのは……天体科の君主、マリスビリーだ」
「彼がこんな極東の儀式へ自ら来るんだぞ。何も企んでいないと思う方が難しい」
時臣に言われるまでもなく、疑ってはいる。
ただ、名前を挙げれば魔力が戻るわけじゃない。相手の目的も分からないうちから襲いかかるのは早計だ。……まだ、という言葉をつけたくなるのが困るな。
「大聖杯の完成が目的じゃないのかもしれない。別のシステムを動かすために、ここの仕組みを利用するつもりなら」
「願望機として使うんじゃなくて、魔力を供給する発電機扱い?」
なるほどね、アイリ。それなら願いを叶えるところまで進める必要はない。
御三家の儀式へ乗り込んで、欲しい魔力を抜いて、あとは御自由に。仮にそんな計画なら、大した度胸だ。巻き込まれる側からの評判は最悪だろうけど。
もちろん、まだ仮説。抜いた痕跡も、移した先も見つかっていない。結局、調べることは増える一方か。
ああ、帰りたい。
「……こっちも、呑気に家へ帰っている場合じゃないな」
「でも、帰るんでしょう? アイリさんに怒られますよ」
舞弥。今、仕事を続ける決意を口にしたところだよ?
しかも本人の隣で言うなよ。返事をする前から逃げ道がないじゃないか。
「怒るんじゃなくて、心配しているのよ」
ほらね。
アイリ、その顔はずるい。「分かっている」と答えれば、じゃあ帰ってきてとなる。「分からない」とは、僕の口が裂けても言えない。
魔術の理論ならケイネスに聞ける。聖杯のことなら時臣にも聞ける。この場で妻への返事を助けてくれる相手は――うん、いないね。舞弥に頼むのは逆効果だ。
「帰るよ。ちゃんと帰る」
だから今、ほっとした顔をしないでくれ。ここからすぐ帰りたくなるだろう。
士郎も戻ってくる。ロンドンの話を聞きたいし、家族そろって食事もしたい。久しぶりの帰国を迎えて、第一声が大聖杯の不具合報告なんて、僕だって嫌だよ。
……もう一度、調べよう。
このまま帰っても気になって、落ち着いて座っていられない。それでアイリに心配されるなら、いよいよ何のために帰ったのか分からなくなる。
早く片づけたいな、本当に。
僕は家で、家族の顔を見たいんだよ。
お読みいただきありがとうございました。
今回は『冬木アクターズ・ラプソディ【stay night】』の本格的な幕開けとして、真樹の語りで一気に世界を広げる回にしました。
朝のホームコメディから始まって、令呪、大聖杯、時計塔の思惑へと繋がっていく構成なので、楽しんでいただけていたら嬉しいです。
また次回から、空っぽの聖杯をめぐる新しい舞台が本格的に動き出します。どうぞよろしくお願いします。