冬木アクターズ・ラプソディ ~観光に来た演劇バカの女子大生、うっかり龍之介を轢いてしまったので、キャスターの「ジャンヌ役」として聖杯戦争を完遂します~ 作:斉宮 柴野
士郎は桜のもとへ急ぐため、これまでにないものを投影します。
独自設定、原作とは異なる主従関係、未来に関する重要な展開を含みます。
「――――この魔力……!」
士郎の背筋を、冷たい悪寒が駆け抜けた。
遥か上空。星の瞬きすら霞むほどの高度から、幾重もの光輪を従えた極光が地上へと降り注いだ。
白く灼けた光の柱は、遠く離れたここからでもはっきりと輪郭を捉えられるほどに巨大で、夜の闇を白昼のごとく塗り替えた。
遅れて衝撃波が、窓を激しく震わせる。
大気が焼け焦げる臭いが鼻腔を突き、霊脈が軋むような悲鳴を上げている。
「まさか、桜が……!」
エプロン姿で夕食の支度を手伝いながら、困ったように微笑む桜。
味付けに小さな注文をつけては、言い過ぎたかと慌てて身を縮める桜。
その平穏のすべてが、あの光の根元にある。
「アルトリア!」
主の危機感に同調し、アルトリアが地を蹴った。
「委細承知!ランサー、覚悟!」
「って、結局こっちに来るのかよ!」
不可視の聖剣が、夜の空気を断ち割って振り下ろされる。
ランサーは、反射で魔槍を跳ね上げた。視認できない刃と槍が激突し、火花の代わりに極限まで圧縮された風の塊が炸裂する。
伝わる震動が、ランサーの踏み込みが庭の土を深く抉ったことを告げていた。
「てめえ!今の流れで俺を見逃すんじゃなかったのか!?」
「桜のもとへ向かう以上、背後に脅威を残すことはできません!」
「理屈は通ってるが、容赦がなさすぎんだろ!」
刹那、ランサーの視界の端から黄金の斬撃が吹きつけた。
「おいおい、我が王の剣を前に余所見とは、随分と余裕があるな!」
獅子心王リチャード一世。
黄金の剣を振るうもう一騎のセイバーが、ランサーの死角へと入り込んでいた。
「くそっ!二対一とは聞いてねえぞ!」
赤い魔槍が空気を裂いて唸りを上げる。
リチャードの剣先を弾き、返す石突きでアルトリアの追撃を牽制する。常人の動体視力では認識すら不可能だ。
だが、このまま戦いが継続すれば不利になるのは明白だ。
二騎の剣士はどちらも規格外の英霊なのだ。
「二人とも、やめろ!」
士郎の声に、アルトリアの刃が停止した。
「今は桜のところへ向かう!ランサーを倒すのは二の次だ!」
「ですが士郎、この者は――」
「あの光を見ただろ。ここで何分も使っている場合じゃない!」
その判断を見たリチャードは、拍子抜けするほど軽やかな仕草で剣を肩へと担ぐ。
「ほうほう、なるほど!ならば、そこのランサー!帰っていいぞ!」
「お前はお前で、さっきまで殺す気満々だったくせに切り替えが早すぎんだろ!」
「戦場では、目的が変われば剣の向きも変わるものだ。まして、我が主君の大切な女性に危機が迫っているとなればな!」
「主君じゃない。俺はマスターだ」
「馬鹿にしてんのか、と言いてえところだが……こっちも撤退命令が出てる。今回は引かせてもらうぜ」
槍を肩に担ぎ直す。
敵意が消失したわけではない。だが少なくとも、ここで無意味に散るつもりも、命令に背いてまで闘争を継続する意志もないらしい。
「けどよ、一つだけ聞かせろ」
「セイバー二騎を連れてる規格外。片方は受肉してるみてえだが、もう片方はどう見ても今の戦争で喚ばれたサーヴァントだ。お前、一体どういう魔術師だ?」
「答える義務はない」
士郎は言葉を短く断ち切り、右腕を前方へと突き出した。
選択肢は限られている。
車を出したところで到底間に合わない。アルトリアとリチャードだけならば疾走できるが、自分自身が足手まといになる。
何より、桜を救出した直後に彼女を安全な場所へ移送する手段が不可欠だ。
ならば、空を行くしかない。
「――同調、開始」
基本骨子を想定する。
構成材質を複製する。
製作技術を模倣する。
成長に至る経験を共感する。
蓄積された年月を再現する。
だが、今構築しようとしているものは、今まで作ってきた剣とは次元が違った。
かつて神代の空を駆け、黄金の王を座乗させた飛行宝具。英雄王ギルガメッシュの宝物庫の奥底に秘蔵された、遥かなる古代インドの天舟。
天翔る王の御座――ヴィマーナ。
以前、ギルガメッシュが宝物庫の扉を開いた際、士郎はその威容を脳裏に焼き付けていた。
一度きりではない。
真樹に買い物の足として呼びつけられ、ギルガメッシュが不満を口にしながら黄金の舟を展開する光景を、士郎は幾度となく目撃していたのだ。
着陸時に展開される脚部。船体の内側を脈打つ魔力経路。浮上の瞬間に広がる翼。王の座へと接続される制御核。
あの宝具が内包する神代の神秘、本来の来歴、恐るべき武装群、真の性能。その大部分は、現代の魔術師である士郎の処理能力を遥かに超えている。
だが、空を飛ぶための構造だけならば。
人を運ぶという機能だけに特化するならば。
そして何より――。
『贋作だと弁えているなら、それでよい』
黄金の王は、かつて一度だけそう言い放った。
だが、士郎にとってはそれで十分だった。
「投影、開始――トレース・オン!」
庭の空間を、眩い黄金の光が満たしていく。
最初に虚空へ描かれたのは、空中を走る無数の設計線だった。
竜骨が組み上がり、外殻が編み込まれ、黄金の翼が左右へと大きく展開していく。無数の魔術文字が船体の表面を滑るように駆け巡り、互いに強固に噛み合いながら巨大な構造体を物理世界へと定着させていく。
「ぐ……っ!」
複製しきれない複雑な機構を容赦なく切り捨て、用途を飛行と輸送の二点のみに絞り込む。一切の兵装は再現しない。自律航行機能も排除する。防御術式も最低限度。
神代の燃料機関は、士郎自身の魔力で強引に代用する。
そうして現界した天舟は、本物よりも一回り以上小ぶりだった。
黄金の輝きには明らかな濁りが混じり、王が座るべき玉座はひどく簡素で、船体の細部には魔術で補いきれなかった空白が痛々しく残っている。
それでも、その舟は確かに夜空へと浮かび上がっていた。
「おいおいおい……マジかよ」
ランサーが呆然と目を見開く。
「素晴らしい!空飛ぶ黄金の城か!我が主君は、ついに船まで剣と同じように作るのだな!」
「同じじゃない!武装もほとんどないし、長くは保たない!少し魔力を食うし、飛ばしながら修復し続けないと崩れる!」
「ならば急ごう。贋作であろうと、誰かを救うために空を駆けるなら、その働きに偽りはない!」
士郎は小さく息を呑み、すぐさま天舟の甲板へと飛び乗った。
「アルトリア、リチャード!行くぞ!」
「はい!」
「応!」
士郎は制御核へと手を伸ばし、自らの魔力を惜しみなく流し込んだ。
贋作のヴィマナが重低音を響かせて唸り、夜の庭に金色の突風を巻き起こす。
◇◇
「――待ちやがれ!」
ランサーの足が地を蹴るよりも早く、その動きが止まる。
意識を相手へ向けた刹那。
三条の黒い刃が、夜闇を縫って首筋へと迫っていた。
「っ!」
「む……。流石に躱すか。ランサーを名乗るだけはある」
「誰だ――いや、その声……!」
男が歩み出てくる。
黒い聖職衣。胸元で揺れる十字架。夜に溶け込むような、足音の存在しない歩法。
言峰綺礼。
遠坂邸で弓兵を撃破した後、自身はこの衛宮邸に単独で回ってきたのだ。
凛たちだけでも桜の捜索は可能だろう。だが、弟子を放置して桜のもとへ直行すれば、後で真樹から何を言われるか分かったものではない。
何より綺礼自身が、一人でも多くを救う正義の味方を演じ続けると決意している。
「言峰!どういうつもりだ、てめえ!」
「師匠!」
「……師匠?」
「どうした、士郎」
「そのランサー、師匠のサーヴァント……じゃないんだよな?」
「少なくとも、私が契約しているのはアサシンだ。お前のような青タイツではない」
「青タイツ言うな!というか、アサシンってどういうことだ!?」
「お前こそ誰だ?」
「…………は?」
綺礼の顔には、一片の嘘もなかった。
「どうやら、お前も別の世界の私を知っているらしいな」
「俺もってことは、他にもいるのかよ」
「先ほど、よく似た別人を殺したところだ」
「正確には霊核を破壊し、現界を終了させた。本人が死んだとは限らん」
「余計に訳が分からねえ!」
ランサーが怒りを露わにした、その間。
何かが致命的に断裂した。
この世界へと魂を繋ぎ止め、絶えず魔力を供給していた不可視の血管。
マスターとサーヴァントを結ぶパスが消失したのだ。
「……おい」
「マスターとの繋がりが……消えた?」
命令違反に対する懲罰ではない。
マスターの命が絶たれたときの、暴力的な途絶とも感触が異なる。
「消滅しかけているな」
「見りゃ分かる!くそっ、何がどうなってやがる……!」
「師匠、時間がない!」
甲板から、士郎の焦燥に満ちた声が降ってくる。
「俺たちは先に行く!」
「ああ。助けは要らなかったようだな。流石は我が弟子だ」
「……照れるな」
黄金の舟が高度を上げようとする。
綺礼は空を仰ぎ、それから、現界の維持すら危うい槍兵へと視線を戻した。
「ふむ」
「何だよ、その目は」
「私は桜を捜しに行かねばならん。士郎の投影も長くは保たない」
「だったら行けよ!俺に構ってる場合か!」
「だが、目の前で消えかけている者を放置すれば、正義の味方として失格だ」
「……は?」
「どこにも行くところがないなら、私と契約するといい。ランサー」
綺礼は、魂の底から嫌悪を滲ませた表情でそう告げた。
「迷える子羊を救うのは聖職者の務めだ。誤解から殺し合おうとしていたとしても、語り合う余地があるならば語る。それが正義の味方というものだろう」
言葉だけを切り取れば、非の打ち所のない聖人の慈悲だ。
しかし、その眉間には深い皺が刻まれ、口元は劇薬でも噛み砕いたかのように苦々しく歪んでいる。
「……言ってることは分かる」
「けどよ。何でそんなに嫌そうなんだ?」
「私の本性は悪なのでな。善行を積むたびに虫酸が走る。困っている者を助けるなど、気持ちが悪くて仕方がない」
「………そうかよ」
あまりにも純粋な悪性の吐露だった。
「まったく、師匠の露悪趣味も仕方ないな。正義の味方のくせに」
上空から士郎が呆れたように声を落とす。
「ふむ。急ぐのではなかったか、士郎」
「そうだった!」
「選べ、ランサー。この場で消えるか。私の不愉快な善行に付き合うか」
「最悪な選択肢をよこしやがって」
「ああもう、分かった!契約すらあ!ただし俺は犬じゃねえ!気に食わねえ命令には従わねえからな!」
「構わん。私も犬を飼う趣味はない。妻と子どもで手一杯だ」
綺礼が右手を差し出す。
ランサーは一瞬だけ躊躇い、その手を握り締めた。
魔力が奔る。
途絶した経路の代わりに、強靱なパスが二人の間に確立された。
不確かな状態に陥っていたランサーの輪郭が、明瞭な実体を取り戻す。
「成立だ」
「やけにあっさりしてんな」
「契約とは、本来そういうものだ。互いが選べばよい」
「行くぞ、ランサー」
不完全な黄金の舟は激しく震動し、間桐邸のあったはずの方角へと夜空を駆け出していった。
◇◇
間桐邸のあった方角へ近づくにつれ、光の柱が穿った破壊の規模が輪郭を帯びてくる。
森の一角が存在しない。
建造物が倒壊したという次元の騒ぎではなかった。
地形そのものが、物理的に抉り取られている。
かつて間桐邸が建っていたはずの座標には、底すら見えないクレーターが口を開けていた。土は超高温によって硝子化して照り返し、周辺の木々は爆風に薙ぎ払われ、放射状に倒伏している。
「桜……!」
士郎は夜の空へと身を躍らせた。
「士郎!」
アルトリアの制止の声は、鼓膜を通り抜けるだけで意味を結ばない。
強化魔術を施した脚力で急斜面を蹴り、転がり落ちるようにして底へと到達する。
リチャードとアルトリアが後を追い、やや遅れて綺礼とランサーも跳躍した。
魔力供給を絶たれたヴィマナは、その役目を終えたように空中で自壊を始める。
「む。シロウか」
腕を組み、焼け焦げた大地を不機嫌そうに睨み据えているギルガメッシュ。
「遅いぞ衛宮!何なんだよ、これは!桜はどこに行ったんだよ!」
衣服を引き裂かれた間桐慎二。
その傍らでは、白銀の騎士ランスロットが片膝をつき、大地に手を触れて何事かを確かめようとしていた。慎二の手元で偽臣の書が開かれたままになっているが、頁の上を走るはずの桜の魔力文字は完全に途絶している。
「桜!」
士郎は三人の横をすり抜け、まだ高熱を放つ土を狂ったように掘り返し始めた。
「桜!いるなら返事をしてくれ!桜!」
土塊を掻き分けるたび、指先に焼け焦げるような激痛が走る。
「この辺りに屋敷があったはずだ。地下室は?桜なら虚数へ逃げられる。転移だってできる。ランスロット、契約はどうなってる!?」
「我が主との繋がりは、完全には失われておりません」
「しかし、場所が分からない。偽臣の書も応答しない。魔力が遠すぎるのか、何かに遮断されているのか……」
「なら、生きてるんだな!?」
「断言は……できません」
「何でだよ!」
己の無力感に耐えきれなくなった慎二が、ランスロットの胸倉へ縋り付いた。
「お前は桜のサーヴァントだろ!あいつが死んだか生きてるかくらい分かるだろ!」
「慎二!」
士郎が制止に入るより早く、ランスロットは一切の抵抗を放棄して深く首を垂れた。
「申し訳ありません。私は、また主の傍にいなかった」
「……っ」
慎二の腕から、力が抜け落ちる。
自分も同じだ。
桜から魔力を預かり、偽臣の書を託され、妹を守護する立場を手に入れたはずだったのに、あの瞬間に自分は遥か遠くの空にいた。
「さっきの魔力は何だったんだ」
「お前なら分かるだろ。桜はどこだ」
「我を便利な鑑定機のように扱うな、たわけ」
紅蓮の双眸が、クレーターの底と虚空を交互に鋭く値踏みする。
「天より放たれた光だ。術者は遥か上空。規模だけなら、神代の神罰に比肩する」
「そんなことを聞いてるんじゃない!」
「黙れ、シロウ。死骸はない。魂の散った痕跡も、今のところ我は見ておらぬ」
「それじゃあ……」
「生存の証ではない。あの光は肉体だけでなく、空間と術式ごと焼いた。何も残らなかった可能性もある」
だが、それでいい。
根拠のない気休めを与えられるより、まだ捜索の余地が残されているという事実の方が、今の士郎を支えるには十分だった。
「なら、探す」
その時、斜面を駆け下りてくる複数の足音が響いた。
「士郎!」
「凛!」
凛とアーチャーだった。
凛はクレーターの底へ降り立つなり、焼け爛れた大地を見渡した。
屋敷の形跡はない。
「…………桜は、その魔力に飲まれたわ」
「私、感じたの。桜の魔力が膨れ上がって……そのすぐあとに、全部……」
「凛」
エミヤが労わるように身を乗り出す。
だが、凛はその手が届く前に、糸の切れた操り人形のように膝から崩れ落ちた。
「アーチャーも見つけられない。何度捜しても、どこにもいないの……!」
「凛、お前は無事だったのか?」
「私は大丈夫よ!そんなこと、どうでもいい!」
「私、お姉ちゃんなのに……間に合わなかった……!」
士郎は掛けるべき言葉を見つけられなかった。
慎二はいたたまれずに顔を背ける。
ランスロットは跪いたまま固く拳を握り込み、エミヤは凛の傍らでただ静かに立ち尽くしている。
鉛のように重い静寂が、クレーターの底を冷たく満たしていく。
そこへ。
「イリヤちゃん!離したら駄目よ!絶対に離さないでね!」
「分かってるけど!分かってるけど、真樹さん重いぃぃぃ!」
悲壮な空気を粉砕するような、場違いな声が降ってきた。
全員の視線が上空へ向く。
月明かりを背にして、赤と桃色の光の軌跡がフラフラと不規則に近づいてくる。
イリヤスフィールが、白銀の甲冑を纏った真樹の両腕を必死に掴み、空中で危ういバランスを取りながら降下していた。
先ほどまで狂戦士と死闘を演じていた反動で、イリヤの魔力残量は危険域に達している。カレイドルビーの光の翼は激しく明滅し、飛行軌道は右へ左へと蛇行していた。
「私、そんなに太った!?ねえ、太ったの!?」
「鎧よ!鎧が重いの!たぶん!」
「たぶんって言った!」
「三人育ててるんだから多少は仕方な――ああもう暴れないで!」
「今、年齢関係なくない!?」
ドタバタと騒ぐ二人の横では、モルガンが呆れ果てた表情で並走するように浮遊していた。
「私が魔術で持ち上げましょう」
「本当!?早くお願い!」
「ただし、現在の疲労では術式の精度を保証できません。手元が狂えば撃ち落とします」
「それ、持ち上げるって言わない!」
「落下点はあの穴です。問題ないでしょう」
「問題しかない!」
イリヤの腕力がついに限界を迎え、二人は最後の数メートルをほぼ自由落下に近い速度で落ちてきた。
「真樹!」
綺礼が一歩前へ踏み出す。
「あ!綺礼さん!綺礼さーん!」
真樹はイリヤの手を離すと、空中で鮮やかに体勢を立て直した。白銀の甲冑が光の粒子へと還元され、着地の直前に自身の重量を殺す。
焼け焦げた地面へふわりと降り立つなり、満面の笑みで綺礼の胸へと飛び込んだ。
綺礼もまた、両腕を広げて最愛の妻を受け止める。
平時の冷徹な無表情が幻であったかのような、穏やかな笑みがそこにあった。
「無事だったか」
「もちろん!でも聞いて!バルドル役の人がね、十二回くらい生き返りそうで――」
「その話は後です!」
「……その女は何者だ?」
唐突な登場に、ランサーが目を丸くして呆気にとられている。
「私の妻だ、ランサー」
「これが?」
ランサーの視線が、真樹の姿を頭の先から足元まで観察する。
「めちゃくちゃいい女じゃねえか!」
ランサーの張り詰めていた緊張が弾け、感嘆の息が漏れ出した。
「………お前のことを誤解していたようだ、ランサー」
綺礼の声に、確かな感動の響きが混ざる。
「君は実に素晴らしい英雄だ」
「急に何だよ!気持ち悪いな!」
「私の妻の魅力を一目で理解した。見どころがある」
「評価基準がそれでいいのか、正義の味方!」
「綺礼さん、こちらの青い方は?」
「先ほど拾った」
間桐邸を消し飛ばした光は、その何百、何千倍という途方もない魔力を平然とこの座標に注ぎ込んでいたのだ。
一個の生命体が耐え切れるような次元の事象ではない。
「桜ちゃんが、あれで死ぬとは思えないけど……」
今の真樹は完全に受肉を果たした一介の人間だ。聖女の旗と礼装を現界させることはできても、共感の獣であった頃のように、世界中の感情と存在を強制的に読み解く権能はすでに失われている。
見えないものを、見えると偽ることはしない。
「少なくとも、ここで『死亡』って判定を出すのは早いわ」
真樹は凛の前へ歩み寄り、視線を合わせるように身を屈めた。
「遺体もない。魂が砕けた証拠もない。ランスロットさんとの契約も、偽臣の書も完全には消えてない。だったら、まだ終演じゃない」
「でも……どこにもいないのよ……!」
「うん。だから捜すの」
◇◇
「ええ。桜さんは生きています」
よく通る声がクレーターの底を撫でた。
その場にいる誰のものでもない声。
全員の視線が、一斉に声の発生源へと突き刺さる。
「何奴!」
アルトリアの不可視の聖剣が空気を斬る。
声の主は、クレーターの縁に近い暗がりに立っていた。
足音一つ、魔力の揺らぎ一つなかったはずの場所に、今は二つの人影が並んで立っている。
「アルトリアさん、私ですよ。……と言っても、今の私では分かりませんよね」
先に歩み出てきたのは、茶色の髪を背中に流した若い女性だった。
年齢は十代後半ほど。
すべてを見透かしたような落ち着いた眼差し。柔らかな表情。致死量の武装と殺気を向けられているというのに、呼吸一つ乱さない、達観しきった立ち姿。
もう一人は、黒髪の青年だった。
こちらも年齢は十代後半程度。精悍な顔立ちだが、そこに敵意の欠片も見当たらない。
大勢の英霊たちから一斉に殺気を浴びせられながら、ひどく困ったように頭を掻いている。
その何気ない仕草を目にした瞬間、真樹の胸の奥底で、理由の分からない強い動悸が走った。
「いやあ……分かってはいたけど、全員揃うとすごいな。これ、出ていく順番を間違えたんじゃない?」
「今さら戻って出直す方が怪しいでしょう」
「もう十分怪しいと思うけど」
二人は小声で言葉を交わし、同時にこちらへ視線を向けた。
「貴様ら、どこから現れた」
「我の目を盗み、この場へ転移したつもりか?」
「いいえ、英雄王。私たちは今、ここへ転移したわけではありません」
女性の応答は、水面のように静かだった。
「私たちにとっては、ずっとここへ向かって歩いてきたんです。ただ、歩き始めた時間が違うだけで」
「まず、桜は生きているという言葉の根拠を示せ」
綺礼が、油断なく一歩前へ出た。
青年は呆れたように呼気を漏らす。
「相変わらずだなあ、お父さん。最初に確認するのは桜さんのことなんだ」
「……お父さん?」
「私だよ、お母さん。お父さん」
その呼びかけは、あまりにも自然で、一切の淀みがなかった。
演技には聞こえない。
真樹は、他者の虚言や役作りを見抜く直感においては、並の魔術師を遥かに凌駕する感覚を持っている。
目の前の女性は、自分たちを両親と呼んだその根底にある感情だけは、絶対に偽りではなかった。
「ちょ、ちょっと待って」
「うちの白野ちゃんは、今はまだ小学生!立香くんは赤ちゃん!家でエルキドゥさんとカレンが見てるはず!」
「うん。今の私たちは家にいるよ」
「私たちって言った!じゃあ、あなたたちは何!?」
「改めて名乗るよ」
茶髪の女性が、真樹の瞳を真っ直ぐに見つめ返す。
「言峰白野」
黒髪の青年は、照れくさそうに頭を掻いた。
「言峰立香」
そして二人は、長い旅の果てに、ようやく我が家へと帰り着いたかのように、心からの微笑みを浮かべた。
「ここに見参ってね」
それは紛れもなく、真樹と綺礼が愛してやまない二人の子供たちの名だった。
桜は生きている。
その一言とともに、絶望の淵で停止しかけていた物語の歯車が、再び力強く廻り始めた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
今回は、士郎によるヴィマーナの投影、綺礼とランサーの契約、そして成長した白野と立香の登場となりました。
「桜は生きている」という言葉が何を意味するのか、次回以降も見届けていただければ嬉しいです。