「お兄ちゃんってウルトラマンが現れるといつもいなくなるよね」
ある日、俺を呼び出した妹は面と向かってそう言った。
さて、どうしたものか…
「お兄ちゃんってウルトラマンが現れるといつもいなくなるよね」
俺と対面の席に座った妹は出しぬけにそう言った。
今朝、起きて直ぐに一人暮らし中の妹からメールで連絡があった。
スマホの画面を開くと話したい事があるので指定する場所に来て欲しいとの事だった。
俺は手短に済む事ならば、メールか電話でやり取りすれば良いと送ったが直接会って確認したいと返信が来た。
俺は一抹の不安を感じながら指定された喫茶店へと向かった。
以前から家族で利用していた店だった。
初老の店主が経営する少し古ぼけた店なのだが、田舎から上京してきた俺たち一家にとってはどこか懐かしさを感じさせる店だった。
それが気に入った要因の一つだろう。
以前より重たくなったドアを開けると、直ぐに店主が低い声でいらっしゃいと言った。
妹は人を呼び出しておきながら先に来ていない様だった。
視力の低い店主の元へと向かうと、店主はゆったりとした動きで老眼鏡をかけて俺を見つめた。
「おぉ、君か」
店主は髭が濃くなった顔を僅かに綻ばせて言った。
「ご無沙汰してます。今日は後から妹も来るんですが」
「そうかね、妹さんは元気にしとるかね?」
「えぇ、最近は一人暮らしをしているんですが相変わらずですよ」
妹は騒がしいと言っても良いほど天真爛漫な性格だった。
「所で少しあいつと込み入った話がしたいんですが」
「何かあったのかね?」
人の良い店主は心配そうに言った。
「それが本人と会うまでは分からないんですよ。あいつの方から僕に聞きたい事があるとかで」
「そうかね、まぁこの店はあんまり人が来ないから内緒話にはちょうど良いからね」
それは嘆くべき所だと思うのだが店主はむしろ嬉しそうにへっへっへと笑った。
「まぁ、そう言う訳で窓際の席をお借りします」
店に来て席をお借りしますと言うのも変かもしれないが、ある種の礼儀として俺はそう言った。
「構わないよ、さっきも言った通り滅多に人は来ないからね」
そう言うと店主はまた笑った。
「ではいつも通りのコーヒーのブラックで」
「あいよ」
店主は尚も楽しそうにへっへっへと笑いながら豆の入った瓶を取り出した。
宣言通り窓際の席に座って俺は妹とコーヒーを待っていた。
席は小さな木製のテーブルがあって、対面して座れる様に二つの椅子が備え付けられていた。
少しずつ強くなるコーヒーの香りを楽しみつつ、妹の俺に聞きたい事とやらについて思考を巡らせていた。
俺に聞きたい事は一体なんだろうか…
いや、現実逃避はよそう。
本当は分かっているのだ。
多分、あいつは勘付いたのだろう。
もしそうならまずい事になる。
俺と“彼”との約束は絶対に彼女にだけは秘密にしなければならない。
何とかしてはぐらかさなければ。
そう考えたその時、入り口の開く音がした。
心臓が飛び跳ねると言う事がどう言う事か実感した。
間髪入れずに店主が低い声でいらっしゃいと言った。
聞き慣れた声がこんにちはと言った。
そうしてつかつかと足音がこちらに近づいてくる。
「ごめん、遅くなっちゃった」
俺の目の前の席に鞄を置きながら妹はそう言った。
そして腰掛けるなり、俺の目をまっすぐ見据えて口を開いた。
「それで聞きたい事なんだけど…」
俺の体は緊張に震え、顔は僅かに強張った。
「お兄ちゃんってウルトラマンが現れるといつもいなくなるよね」
予想していた、そして聞きたくなかった言葉が脳内に響いた。
ウルトラマンとは数ヶ月前に竜ヶ森のキャンプ場に出現した巨人の名前である。
名前と言っても巨人がそう名乗ったのではなく、怪獣や怪現象を調査する国際科学警察機構「科学特捜隊」がそう呼称したため、世間で定着したある種のコードネームである。
そして俺と妹はウルトラマンが初めて出現したその日、竜ヶ森のキャンプ場にいた。
「ねぇ、お兄ちゃん。ウルトラマンってさ、いっつも私達の近くに現れると思わない?」
妹は俺を訝しむ目つきでそう続けた。
俺は乾燥した唇を舐めて声を絞り出した。
「そうかな?まぁ、最初に竜ヶ森のキャンプ場にベムラーが出た時もそうだったけど俺たちはしょっちゅう怪獣に出くわすからな」
俺の声ははっきりと分かるほど震えていた。
「そうだね、不自然な位ね」
「確認したい事ってそれか?」
そんな訳はないと分かっていたが俺は半ば祈りながらそう尋ねた。
「そんな訳無くない?」
だろうな、知ってたよ。
「あぁ…じゃあ何?」
「…取り敢えず色々整理しようか」
妹は俺を非難するかの様な目つきで見つめながら言った。
「最初に怪獣に出くわしたのは竜ヶ森のキャンプ場でベムラーに襲われたんだったよね」
「あぁ、あの時は大変だったな。ウルトラマンも出てきて戦いが始まって…」
「その時、お兄ちゃんはいなかったよね?」
「そうだっけ…俺は俺でお前とは別方向に逃げたんだったような」
「私もはっきりとは覚えてないけど、お兄ちゃんが一緒にいてくれなかったのは覚えてる」
「あぁ、うん、ごめんな。俺も初めての事だったから本当に大変で」
正直、今のこの状況の方が大変だ。
「で、その次は青少年科学館でバルタン星人に襲われた。その次はネロンガ、その次は海底原人。そしていつもお兄ちゃんは私の目の前からいなくなった」
いや、そんな事はない。
少なくとも俺は毎回その場にいたんだ。
いつも必死だった。
「ねぇ、はっきり言わないといけないの?」
出来ればやめて欲しい。
「えぇと…何を?」
妹は大きなため息を吐いた。
俺は心臓を鷲掴みにされた様な気分だった。
「お兄ちゃんってさ、ウルトラマンなんじゃないの?」
俺の頭の中は真っ白になった。
そして何一つ答えられないまま時間だけが過ぎていった。
店主がコーヒーを俺の目の前に置いている間も、妹が俺と同じ物を注文している間も、店主がカウンターの奥へと去っていく間も俺は固まったままだった。
「で、どうなの?」
妹はいつまでも黙りこくったままの俺を喋らせようとした。
「…そんな訳無くない?」
狙った訳ではないが数分前の妹と同じ台詞を吐いてしまった。
「何で?状況証拠的に明らかじゃない?」
まだだ。まだ誤魔化せる。
「状況証拠って?」
「だから、怪獣が出る度に私を置いてお兄ちゃんがいなくなるって事」
いや、いなくなってはいない。
どちらかと言うと俺の目の前からいなくなるのはお前の方だ。
「いや、それがどうウルトラマンと関係するんだよ?」
「だってお兄ちゃんがいなくなるといっつも決まってウルトラマンが現れて怪獣をやっつけるでしょ?で、ウルトラマンがいなくなってからお兄ちゃんが戻ってくる。毎回そう」
「そりゃ50メートル級の巨人と生物が暴れ回ってるんだから、お互いを見失うのはおかしな事じゃ無いだろう」
「巨人の方はお兄ちゃんがいなくなるまでは出てこないけどね」
何とかこの話を有耶無耶には出来ないだろうか?
「まぁ、もし仮に俺がウルトラマンだったとして」
「認めるの?」
妹は突然身を乗り出した。
机の上のコーヒーカップがガチャガチャと揺れる。
「いや、仮の話ね?」
「…まぁ、良いや。それで?」
「俺がどうやって50メートルの巨人になるってんだ?」
「そんなの私が知る訳ないじゃん」
「じゃあ俺がウルトラマンってのは変だろ」
「いや、何の関係性も無い方が変だよ」
「だって実際ないもん」
少しずつ冷静さを取り戻してきた。
上手く言いくるめられる気がする。
「じゃあ変身して見せてよ。それで解決じゃん」
いかん。完全に俺がウルトラマンと決めつけて話している。
「変身って何だよ?そんなヒーロー番組じゃあるまいし」
「いや、人間がウルトラマンになるんだから変身でしょ」
「何で人間がウルトラマンになるって分かるんだよ?俺はそんなの知らないぞ」
そうだ、こいつの言う事には客観的な証拠が無い。
「知らない訳ないじゃん。本人なんでしょ?」
「いや、だから俺はウルトラマンじゃないって。ずっと一緒に育ってきたじゃないか」
「宇宙人なら融合とか擬態とかなんか色々出来るでしょ」
「ウルトラマンが宇宙人ってのはあくまで仮説の域を出ないだろ。それに人によっては地底人だとか神だとか言うのもいる」
まぁ、実際の所“彼”は宇宙人なんだが。
そのことを知っているのは彼自身と俺だけだ。
「どっちでもいいよ、正体はお兄ちゃんなんだし」
こいつ、ついにはっきり言い切りやがった。
「だから違うって。ウルトラマンが何者だろうと俺じゃないの。どぅーゆーあんだすたん?」
「じゃあ誰が正体なの?」
その方向に持っていかれるのはまずい。
「そもそもだ。俺はウルトラマンじゃないがもし本当に誰かがウルトラマンだったとして、人間が急激に50メートルになる訳ないだろう。質量保存の法則に反している」
「私はそう言うの詳しく無いけど宇宙人ならそんくらいどうとでもなるんじゃない?」
「いや、そこが説明できないとお前の仮説は証明できないから」
「私の仮説が証明されて欲しいの?されて欲しくないの?」
「だからさ、俺がウルトラマンになれるってのは物理的に不可能なんだって」
「だからさ、私にとってそこはどうでもいいの」
「いや、良くないだろ。自分の仮説の根拠が薄弱なんじゃ…」
「あのさ、勘違いしてるでしょ」
勘違い?
「私はウルトラマンが宇宙人だろうが地底人だろうが神だろうがどうだっていいの」
「えっ?でもお前はウルトラマンの正体を…」
「私が重要視しているのはお兄ちゃんがウルトラマンかどうか。それだけ」
うぅむ…こいつは手強いな。
「って言うかさ、そんなに否定するならお兄ちゃんがウルトラマンで無い事を証明すればいいじゃん」
「ちょっと待ってくれ、それは無理だ。悪魔の証明だ」
「何それ?」
「えぇと、つまりだな。ある物事は存在しないと言う事は論理的に証明できないとする理論だ」
慌てていて今の日本語ちょっと変だったかも。
「そんな訳無くない?」
「いや、実際そうなんだよ。例えば白いカラスがいない事は証明できないんだ」
「何で?カラスは黒いじゃん」
「だが世界のどこかに白いカラスが存在する可能性は常に存在する」
「うーん、まぁそうかもね」
「だから白いカラスが存在しないと言う事は証明できないんだ。何故なら世界中のカラスを捕まえて確かめる事は物理的に不可能だからだ」
「そんなの屁理屈じゃん」
「いや、ちゃんとした理論だ」
「…それで?」
「それでじゃ無いだろう。俺は自分がウルトラマンでない事を証明する必要はないんだ」
「それは分かったけど。ウルトラマンである事を証明する事は出来るんじゃない」
「いや、それも不可能だよ。なんせ俺はウルトラマンじゃないからな」
妹は深く考え込んで瞼を閉じて唸り出した。
俺はようやく目の前のコーヒーカップを取って口元へ運んだ。
コーヒーは既に緩くなっていた。
喉を潤して俺は安堵の息を吐いた。
良かった。これで“彼”との秘密を隠し通せる…
突如、外から爆音が鳴り響き店内ががたがたと大きく揺れた。
俺は激しく鼓動する心臓を押さえながら窓から外を確認した。
巨大な影が大通りのど真ん中で蠢き、ビルを解体した時の様な巨大な土煙がもうもうと立ち上っていた。
四足歩行の巨影は大口を開けて咆哮した。
窓ガラスが空気の振動で音を立てて振動し、俺は窓が割れるのではと不安に駆られてのけぞった。
すぐ横で妹が勢いよく立ち上がる気配がした。
ゆっくりと開かれた彼女の瞳は青白く輝いていた。
「…行くのか」
俺は妹の中の“彼”に問いかけた。
「あぁ」
宇宙人は短くそう答えた。
竜ヶ森のキャンプ場へと訪れたあの日は妹の誕生日だった。
俺たちは兄妹を持つ友人達に羨ましがられる程、仲が良かった。
二人で楽しい時間を過ごす筈だった。
だが、奴が現れた。
宇宙の悪魔とも言うべき巨大生物ベムラーが。
ベムラーの襲撃にあった妹は俺を庇って死んだ。
俺は目の前に光と共に現れた巨大な宇宙人に妹を助けて欲しいと願った。
そうして、彼女はウルトラマンになった。
「記憶の改竄処理はもっと丁寧にやってくれ。これであいつがウルトラマンについて尋ねてくるのはもう5度目だ」
俺は窓の外の怪獣を睨んでいる彼に言った。
「済まない。だが矛盾のない記憶を捏造するのはかなり苦労する」
妹は神経質な所がある。
自分が日夜、怪獣と戦いに明け暮れているその記憶をはっきり認識したら壊れてしまう。
事実、もう何度も精神的に追い詰められた時があった。
俺と彼は結託して妹の記憶を消して偽の記憶を上書きしていった。
それが俺と宇宙人の誰にも知られてはいけない秘密。
「…やはり私の力が必要な様だ。行ってくる」
妹の身体の主導権を握った彼はそう言うと素早く身を翻し出ていった。
俺はカップの中に残ったコーヒーを一息に飲み干すと立ち上がった。
「頼んだぞ、ウルトラマン」
俺の呟きは目も眩む程の閃光と共に鳴り響いた足音にかき消された。