魔防隊の中枢にして、魔都防衛の絶対的な要である十番組寮――魔防隊本部。
七番組、五番組、六番組による合同訓練の二日目。他の隊員たちは、十番組の一般隊員たちと共に広大な専用訓練場へと向かっていった。各組の連携を深め、対八雷神を想定した大規模な戦術機動を学ぶためだ。
しかし、七番組組長の羽前京香、管理人の和倉優希、そして黒嶺真護の三人だけは、他の者たちから引き離されるように、本部施設のもっとも奥深くへと案内されていた。
先導するのは、十番組の通信オペレーターを務める隊員、備前銀奈(びぜん ぎんな)である。
静まり返った重厚な廊下を歩きながら、優希は少し緊張した面持ちで、前を歩く銀奈の背中にそっと声をかけた。
「あの、銀奈ちゃんは……総組長のこと、怖くないの?」
先日、エントランスで山城恋と目が合っただけで、優希は心臓を鷲掴みにされたような悪寒を覚えた。底知れない狂気と、絶対的な力。あんな存在の直属の部下として日々顔を合わせるプレッシャーは、いかほどなのだろうかという純粋な疑問だった。
すると、銀奈はピタリと足を止め、振り返った。
その瞳は、優希が想像していたような怯えの色など微塵もなく、むしろ熱狂的なアイドルのファンか、あるいは狂信者のようにキラキラと眩い光を放っていた。
「怖さもまた、恋サマの魅力ですっ!」
銀奈は両手を胸の前で組み、うっとりとした表情で熱弁を振るい始めた。
「あの圧倒的なカリスマ性! 誰にも媚びず、誰よりも強く、美しく、そして時には残酷なまでに冷徹! その全てが、私たちの心を惹きつけてやまないんです! 恋サマの直属の部下であること、それが私の何よりの誇りです!」
(そ、そうなんだ……。ただ怖がられてるだけじゃなくて、それ以上に強烈なカリスマ性で惹きつけてるんだな……)
優希は、銀奈のあまりの熱量に少しだけ気圧されながらも、魔防隊のトップに君臨する少女の「底知れない求心力」を肌で感じていた。
しかし、銀奈のその熱狂的な笑顔は、優希の斜め後ろを歩く黒嶺真護へと視線を移した瞬間、絶対零度の冷徹なものへと一変した。
「…………」
親の仇を見るような、あるいは道端の汚物を忌み嫌うような、冷たく鋭い軽蔑の眼差し。
当然である。銀奈にとって、黒嶺真護は魔防隊が殲滅すべき『醜鬼』そのものなのだ。いくら人間の形を保ち、言葉を話そうとも、彼から放たれる雰囲気は魔都のバケモノのそれと何ら変わりはない。
山城総組長からの直接の命令がなければ、本部の敷居を跨がせるどころか、この場で即座に討伐対象として警報を鳴らしているところだ。
(……まぁ、そうなるよな。魔防隊としちゃあ、オレは本来ぶっ殺すべき敵なんだから)
真護は、銀奈の刺すような視線を痛いほど感じながらも、気にも留めない様子で肩をすくめ、浅打の刀の柄に手を置いて黙々と歩き続けた。
先日、この本部の主である山城恋に左腕を斬り飛ばされたばかりだ。敵の総本山に足を踏み入れているという強烈なアウェー感と緊張感が、真護の全身の神経をヒリヒリと逆撫でしていた。
やがて、銀奈の案内で一行が辿り着いたのは、本部施設の最奥に広がる、信じられないほど広大な『日本庭園』だった。
「ここは……」
優希は目を丸くした。
魔都の淀んだ紫色の空の下にありながら、そこには見事な枯山水が広がり、手入れの行き届いた松の木や、清らかな水が流れる鹿威し(ししおどし)の音が「コーン……」と風流に響き渡っていた。外界の殺伐とした空気とは完全に切り離された、優雅で雅やかな和の空間。
「今の総組長になってから造られたものだ」
京香が、周囲を警戒するように鋭い視線を巡らせながら、優希に小声で説明した。
「山城総組長は、現世の政府上層部や要人たちからの信頼も極めて厚い。何しろ、あの総理大臣が直々に私的な護衛を頼み込むほどだからな。この庭園も、総組長の権力と、彼女を慰労するための莫大な予算が投じられて造営されたと聞く」
(総理大臣が直々に護衛を……!? 次元が違いすぎる……)
優希がその事実の重さに圧倒されていると、庭園の奥から、無邪気で楽しそうな少女の声が聞こえてきた。
「あははっ! こら、要(かなめ)、雅(みやび)。そっちに行っちゃダメよ」
声の主は、魔防隊の制服を身に纏った少女――十番組組長兼、魔防隊総組長・山城恋であった。
彼女は、庭園の芝生の上で、二匹の可愛らしい犬と戯れていた。一匹は真っ白な毛並みの白柴、もう一匹は艶やかな黒い毛並みの黒柴だ。
「総組長!」
京香が背筋を伸ばし、大声で呼びかけた。
その声に反応して、恋がこちらを振り返る。同時に、二匹の柴犬たちが「キャンキャン!」と嬉しそうに駆け寄り、なぜか真っ直ぐに優希の足元へと向かってきて、彼の周りをぐるぐると回り始めた。
「わっ、とと……」
「和の空間に、ワンちゃんがいる……素敵でしょ?」
恋は、ゆっくりと歩み寄りながら、優希の足元で尻尾を振る二匹の犬を優しく撫でた。
「要(黒柴)も雅(白柴)も、貴方を気に入ったみたいね。……ああ、そうだわ。この子たちは二匹ともメスだから、貴方の『お姉さん』になるわね」
恋は、優希の顔を下からジッと覗き込み、悪戯っぽく微笑んだ。
「お姉さんたちが、貴方の面倒を見てくれるわよ。……『後輩』としてね」
(後輩……犬の、後輩……!?)
優希の顔が引き攣った。
先日「犬みたいで可愛い」と言われたが、まさか本物の犬たちのヒエラルキーの「下」に位置づけられるとは。総組長の独特すぎる価値観と、有無を言わさぬ圧力に、優希は冷や汗を流して愛想笑いを浮かべるしかなかった。
恋は二匹の犬の頭を撫で終えると、スッと視線をズラし、優希の背後に立つ白髪の青年を捉えた。
「……よく生きてたわね。人型醜鬼」
その声のトーンが、数度下がった。
先ほどまでの無邪気な少女の顔から、圧倒的な強者としての冷酷な貌(かお)へと変貌する。恋の視線を受けただけで、真護の身体の傷跡――先日、彼女の理不尽な暴力によって刻まれた痛みが、疼くように熱を持った。
「あんたの慈悲のおかげでな」
真護は、決して目を逸らさず、皮肉交じりに低く答えた。
今にも刀を抜き放ちたい衝動を、必死に理性の底へ押さえ込む。ここで抜けば、優希も京香も巻き込んで、一瞬で塵にされる。それほどまでに、目の前の少女は『絶望的』だった。
「フフッ。威勢がいいのは嫌いじゃないわよ」
恋は楽しそうに笑うと、京香の方へ向き直った。
「さて。わざわざ貴方たちだけをこの庭園に呼んだ理由だけど」
「……はい。何故、我々だけを?」
京香の問いに、恋は事も無げに答えた。
「貴方の能力、『無窮の鎖』の貸出についてよ」
その単語が出た瞬間、京香の顔が険しくなった。
やはり、昨日の五番組・夜雲の貸出の件は、この総組長の差し金だったのだ。
「私にも、貸出を試させなさい」
「……総組長」
「未知の特性が現れるかもしれないでしょ? 八雷神に対抗するためには、手札は一つでも多い方がいい。一度は試さないと。……ね?」
『ね?』という語尾には、一切の拒否を許さない絶対的な命令が込められていた。
仮にここで断れば、力尽くで優希を奪われかねない。京香は、ギリッと奥歯を噛み締め、不本意ながらも承諾した
「……命令ならば……仕方ありません」
「は、はい……!」
優希は、震える足で恋の前へと進み出た。
京香が、自身の能力を解放する。
『無窮の鎖』――発動。
優希の身体が青白い光に包まれ、見慣れた白き獣の姿へと変貌する。
恋は、その巨大な獣の背中に、ひらりと身軽に飛び乗った。
「へぇ……。意外と乗り心地いいのね」
恋は満足そうに微笑んだ。
そして、優希の首元に繋がる『鎖』――主と奴隷を繋ぐ力のパス――に、彼女の細く白い指が触れた。
その、瞬間だった。
ドクンッ!!!
優希の心臓が、破裂せんばかりに大きく跳ねた。
「ガハッ……!?」
優希の獣の口から、苦悶の呻き声が漏れる。
視界が、ぐにゃりと歪んだ。
恋の指先から、想像を絶する莫大で、重く、そして底知れない『闇』のようなエネルギーが、鎖を通じて優希の魂へと直接流れ込んできたのだ。
(な、なんだ……これ……! 意識が……引っ張られ……!)
京香や日万凛、夜雲の時とは次元が違う。
まるで、無限に広がる深淵の宇宙に、己のちっぽけな自我を丸ごと放り込まれ、すり潰されるような圧倒的な力。
優希の意識は、抵抗する間もなく、その重厚な闇の中へと完全に沈み込み、ブラックアウトした。
「優希……っ!?」
京香が、異変を察知して叫ぶ。
白き獣だった優希の身体に、劇的な変化が起きていた。
青白かった光が、ドス黒い赤黒さへと変質していく。純白だった身体はは、まるでインクをこぼしたように根元から真っ黒に染まり上がり、巨大な体躯はさらに一回り大きく、筋肉質に膨れ上がった。
顔の骨格はより獰猛な狼のように鋭く尖り、顎門(あぎと)からは、何でも噛み砕きそうな血のように牙が剥き出しになっている。
その四肢の爪は、触れただけで空間ごと引き裂きそうなほどに鋭利に伸びていた。
そして何より異様なのは、その瞳だった。
主への忠誠を示す澄んだ光はそこにはなく、ただ純粋な『殺戮の本能』だけが宿る、白黒が逆転した赤黒い瞳。
『無窮の鎖・殺牙(スレイブ・ころしきば)』。
魔防隊の頂点たる山城恋の底知れない狂気と絶対的な支配力が、優希の獣の形態を、ただ敵を殺戮するためだけの最凶の魔獣へと作り変えてしまったのだ。
「フフッ……素晴らしいわ。これなら、どんなおもちゃでも壊せそう」
恋は、漆黒に染まった優希の背に乗ったまま、歓喜に震える声で呟いた。
『グルルルルルォォォォォォォォォォォッッ!!!!』
自我を失った優希――いや、『殺牙』が、魔都の空を震わせるほどの、おぞましくも悲痛な咆哮を上げた。
その咆哮には、見境のない破壊衝動がこれでもかと込められており、庭園の木々がその音圧だけで激しく揺れる。
「な……!」
少し離れた場所でその光景を見ていた真護の顔から、完全に血の気が引いた。
優希から放たれるその赤黒い霊圧の波動。自我を失い、本能のままに咆哮を上げるその姿。
それは、真護が自身の精神世界で嫌というほど向き合わされている『虚(バケモノ)』の気配と、ひどく酷似していたからだ。
「優希!!!!」
真護が、血を吐くような悲痛な叫び声を上げる。
幼馴染の魂が、底知れない狂気を持った少女の「玩具」として、今まさに闇の底へと引きずり込まれようとしていた。
庭園の静寂は完全に破られ、赤黒い霊圧の嵐が、三人を飲み込んでいく。
神の箱庭で行われる、絶望的な遊戯が始まろうとしていた。
『グルルルルルォォォォォォォォォォォッッ!!!!』
日本庭園の優雅な静寂は、漆黒の獣――和倉優希が放つ、血を吐くような咆哮によって完全に打ち砕かれた。
青白かった光は禍々しい赤黒さに染まり、身体はインクをぶちまけたようにドス黒く変色している。剥き出しになった血色の牙、白黒が逆転した殺意だけの瞳。
それはもう、魔防隊の盾たる『無窮の鎖』などではない。ただ破壊と殺戮のみを渇望する魔獣の姿だった。
「総組長!! この形態は危険です!!」
京香が、血相を変えて叫んだ。彼女自身が主として使役する時でさえ、優希の内に潜む凶暴性が垣間見えることはあったが、今のこの状態は完全に理性のタガが外れている。主である山城恋の底知れない闇の力が、優希の魂の奥底にある闘争本能を無理やり暴走させているのだ。
京香は能力を解除しようとするが
「解除無用!」
京香の必死の制止を、背に乗る山城恋は冷たく、そして楽しそうに一蹴した。
「せっかくの新しいおもちゃなんだから、壊れるまで遊んでみないと性能が分からないでしょ?」
恋が優希の首元の黒い毛並みを撫でた、その時だった。
ビクッ、と優希の巨体が反応し、庭園の奥、魔防隊本部の結界の外――魔都の荒野の方角へと、ぐるっと首を向けた。
白黒の瞳が、獲物を定めた猛禽類のように細められる。
「あら。醜鬼の気配がするのね」
恋が呟いた瞬間。
ドンッ!!という凄まじい爆発音と共に、優希の巨体が地を蹴った。庭園の芝生が大きく抉れ、土塊が後方へ吹き飛ぶ。
「優希!!」
京香が手を伸ばすが、優希のスピードは尋常ではなかった。瞬きをする間に、彼は恋を乗せたまま十番組寮の敷地を飛び出し、魔都の紫色の空の下へと弾丸のように駆け出していった。
(あんな禍々しく、暴力的な形態は……初めて見た……!)
京香は、自身の奴隷が完全に制御不能のバケモノと化してしまったことに、戦慄を隠せなかった。
魔都の荒涼とした岩場。
地鳴りを立てて疾走する優希と、その背で風を切りながら優雅に座る恋の前に、ワラワラと群れを成す醜鬼たちが姿を現した。
野生の醜鬼の群れ。通常であれば、魔防隊の一個小隊が連携して当たる規模の数だ。
しかし、自我を失った『殺牙』にとって、それはただの肉の的でしかなかった。
優希は速度を一切緩めることなく、群れの先頭にいた巨大な醜鬼に躍りかかり、その赤い牙で首筋を無造作に噛み砕いた。鮮血が舞い、悲鳴を上げる間もなく醜鬼は絶命する。
さらに、前足の鋭い爪を振るうだけで、空間ごと引き裂かれたかのように数体の醜鬼が細切れになって吹き飛んだ。
「あら? 想像以上に大量ね」
瞬く間に十数体を血祭りにあげたものの、岩陰からさらに無数の醜鬼が湧き上がってくる。魔都の瘴気が濃いこのエリアでは、醜鬼の発生も無尽蔵だ。
だが、優希は全く怯むことなく、その赤黒い瞳を群れの中心へと向けた。
『ルルルルルル……!』
優希の喉の奥で、不気味な低い唸り声が響く。
その瞬間。
周囲に群がっていた数十体の醜鬼たちの頭上に、突如として赤黒い光を放つ『巨大な牙の模様』が浮かび上がった。
醜鬼たちは、頭上に現れた死の刻印に戸惑い、動きを止める。
優希が、パカッと大きく、その凶悪な顎門(あぎと)を開いた。
そして、虚空を噛み砕くように、ガリッ!!と強く顎を閉じた。
直後。
メチャメチャメチャッ!!!!
という、肉と骨が同時に粉砕されるおぞましい音が、荒野一帯に鳴り響いた。
頭上に牙の模様が浮かび上がっていた数十体の醜鬼たちが、見えない巨大な顎に咀嚼されたかのように、一瞬にして全身から血を吹き出して原型を留めない肉塊へと変わり果てたのだ。
広範囲の敵を、文字通り「噛み砕いて」殲滅する不可視の全体攻撃。
『贖罪の山羊』。
血の雨が降る魔都の大地で、返り血一つ浴びていない恋が、満足そうに微笑んだ。
「素晴らしいわ。一瞬でこの数を殲滅するなんて……いい眺めじゃない」
恋は優希の首筋をポンポンと叩いた。
だが、その手が触れた瞬間、優希は突如として首を捻り、背に乗っている主であるはずの恋に向けて、その赤い牙を剥き出しにして噛みつこうとしたのだ。
ガキンッ!!
という硬質な音が響く。
優希の牙は、恋の身体に触れる寸前、彼女の周囲に展開された見えないエネルギーの障壁に弾かれていた。
「……私を噛もうとするとは、いけない犬」
恋の瞳から、スッとハイライトが消え失せた。
「主を忘れた愚犬は、徹底的に躾けてあげる」
恋が能力を発動する。
彼女の周囲の空間に、タロットカードのような長方形のエネルギー体が無数に出現し、カラカラと音を立てて彼女の周りを高速で回り始めた。
それと同時に、恋はふわりと優希の背中から宙へと浮き上がり、見下ろすように彼を睨んだ。
自我を失った優希は、目の前の少女がどれほど絶望的な存在であるかを理解できず、再び咆哮を上げて宙の恋へと飛びかかろうとする。
「……怯えないか」
恋は、向かってくる漆黒の獣を見据えながら、ふと、先日この魔都で左腕を切り落としてきた白髪の男――黒嶺真護の顔を思い浮かべた。
「あの男もそうだった。圧倒的な死を前にしても、瞳の奥の反逆の炎を消そうとしなかった。……やっぱり、人間の時とは違うのね。異形に堕ちた者は、本能が壊れているのかしら」
恋は、つまらなそうにため息をついた。
「私の圧に畏れを抱き、平伏する人とは、私はとても良い関係を結べるのだけど」
逆を言えば、畏れない者、反逆する者は、徹底的に叩き潰して格の違いを分からせるのみだ。
恋の左眼の瞳孔の奥に、複雑で神々しい曼荼羅の模様が浮かび上がった。
山城恋の能力、『万物を総該した無限宇宙の全一』。
八仏すべての能力を瞳に宿し、自在に操る神の如き力。
優希が放つ鋭い爪撃や、空間を抉るような突進を、恋は空中で舞うように軽々と避け続ける。
「畏れない輩には……『格』の違いをわからせる」
恋が指を弾くと、彼女の周囲を回っていたカード状のエネルギーが、光の雨となって優希へと降り注いだ。
ズドドドドドンッ!!
優希の巨体が爆発に巻き込まれ、地面に叩きつけられる。
しかし、殺戮本能に染まった優希は痛覚すら麻痺しており、すぐさま跳ね起きて、再びあの広範囲殲滅技『贖罪の山羊』を発動しようと、恋の頭上に牙の模様を浮かび上がらせ、口を大きく開けた。
「遅い」
恋は、一瞬で優希の目の前――鼻先数十センチの距離まで空間を跳躍して距離を詰めていた。
「出す前に、潰す」
恋の細い足が、優希の脳天を無慈悲に踏み抜いた。
ドゴォォォォンッ!!
凄まじい衝撃波が走り、優希の巨体が地面にめり込む。
「また、噛もうとしたわね。悪い子」
恋は、地面に倒れ伏した優希の頭部を、何度も、何度も、容赦なく連続で踏みつけ続けた。
グチャッ、メキッ、という嫌な音が連続して響く。優希の狼のような頭部は、恋の圧倒的な膂力と能力の加護を受けた蹴りによって、文字通りグチャグチャに粉砕されていった。
しかし、主からの莫大なエネルギー供給と、異形の生命力により、優希の潰れた頭部は黒い瘴気を放ちながら瞬時に再生していく。
死なない。壊れない。
その異常なタフさを確認した恋は、嗜虐的な笑みを深めた。
「あら、本当に頑丈なのね。……じゃあ……強く躾けても、いいわよね」
山城恋の瞳の奥で、曼荼羅の紋様が激しく回転を始める。
彼女の恐るべき真価は、八仏すべての能力を知り尽くしていること。そして何より、その強大な能力を「二つ同時に」発動できることだ。
恋は、右足に途方もないエネルギーを圧縮して貯め込んだ。空間そのものが、彼女の足元に吸い寄せられていくような錯覚。
「消し飛びなさい」
圧縮されたエネルギーが、蹴りのモーションと共に解放された。
ドギュゥゥゥゥンッ!!!
光の奔流。隕石が衝突したかのような途方もないエネルギーが優希の巨体を完全に包み込み、魔都の硬い岩盤を数百メートルにわたって消し飛ばした。
爆煙が晴れた後。
巨大なクレーターの中心には、元の青年の姿に戻り、全身ボロボロになって倒れ伏す優希の姿があった。
能力の限界を超え、強制的に『無窮の鎖』が解除されたのだ。
恋は、ゆっくりと歩み寄り、ピクリとも動かない優希の腹の上に、まるで自分の専用の椅子であるかのように優雅に腰を下ろした。
「これが、主の力。……分かった? ワンちゃん」
優希は、全身の骨が砕けたような激痛の中で、微かに薄目を開けた。
口の中に広がる血の味。息をするだけで肺が焼けるように痛む。
視界の先には、自分を座布団代わりにして冷たく見下ろす、美しい少女の顔があった。
(真護のやつ……こんなバケモノ相手にして……生き残ってたのか……)
幼馴染の不屈の闘志に、今更ながらに戦慄を覚える優希。
目の前の少女は、人間という枠組みを完全に超越した、まさに歩く災害だった。
「まぁ、前半の暴れっぷりは見事だったわ。それに、私の蹴りを受けて生きてるなんて、なかなかの耐久力ね」
恋は、クスクスと笑いながら優希の頬を指でツンと突いた。
「いいでしょう。よく頑張ったから、ご褒美の『なでなで』でもしてあげよっか」
恋が優希の頭を撫でようと手を伸ばした。
だが、その時。
彼女の身体が、ピタリと動きを止めた。
「……ん?」
恋の意志とは無関係に、彼女の右手がスッと下がり、自身の着ていた魔防隊の制服の腰のベルトへと伸びたのだ。
カチャッ、と。ベルトのバックルが外される。
恋は、状況が理解できずに軽く眉をひそめた。
山城恋という少女は、生まれながらにして全ての頂点に立つ存在だった。
学生時代の全国模試では常に一位。あらゆるスポーツの大会でも優勝を総なめにし、生徒会長としても完璧な手腕を発揮した。
魔防隊に入隊してからも、その異常性は留まることを知らなかった。
某国某所。彼女は単独でその国の能力者の精鋭部隊を壊滅させた。その圧倒的な力を目の当たりにした某国の大統領が、恐怖と驚愕に震え上がったほどだ。
しかし、その報告を受けた日本の総理大臣は、こともなげにこう言ったという。
『驚くことはありません。彼女はあれでも、まだ手加減しているのですから』
人は古来より天を見上げ、神を信仰し、更なる高みを目指してきた。
だが、その進化の旅の果てに、人類は遂に一人の少女へと辿り着いたのだと、総理は語った。
『生命の極み、山城恋』
『地球の答え、山城恋』
世界中の権力者たちから、ありとあらゆる過剰な賛辞と畏怖を受けてきた完璧な生命体。それが、山城恋という存在だった。
彼女の意志を曲げられる者など、この世に存在しない。
しかし、今。
彼女の肉体は、彼女自身の『万物を総該した無限宇宙の全一』の能力をもってしても、その動きを無効化することができなかった。
スルスルと、制服のジャケットが脱ぎ捨てられる。
続いてブラウスのボタンが外され、白く透き通るような肌と、清楚な白い下着が魔都の空の下に露わになった。
「な……これ、は……」
恋の完璧な頭脳が、この不可解な現象の答えを弾き出す。
『無窮の鎖』という能力の、絶対的なルール。
主は奴隷に対し、その働きに見合った『ご褒美』を必ず与えなければならない。そしてその内容は、奴隷の潜在的な欲求に合わせて、主の身体を強制的に動かして実行される。
恋は、「なでなで」程度のスキンシップで済むと完全に勘違いしていたのだ。
ボロボロになって倒れている優希の顔の真上に、下着姿になった恋の柔らかな胸元が影を落とす。恋の両手が、無防備な優希の頬を優しく包み込み、そのまま彼の顔を自身の胸の谷間へと引き寄せようとした。
世界最強の少女は、自身の身体が強制的に引き起こす甘い奉仕の行動に、かつてないほどの屈辱と、ほんの少しの呆れを交えた冷ややかな視線を優希に向けた。
「……なでなでが、ご褒美だと思ったのに」
恋は、優希の耳元で、冷たく吐き捨てた。
「可愛い犬かと思ったのに……随分と欲張りな、ケダモノね」
魔都の荒野。
破壊の神を自称する八雷神でさえ恐れる絶対者の少女が、血まみれの少年に向けて、初めてその無防備な肌を曝け出した。
強制されるご褒美の時間は、彼女の絶対的なプライドに、奇妙で不純な波紋を広げようとしていた。