夜の帳が色濃く支配する京都。その市街地に張り詰めた空気は、文字通り殺気で満ち満ちていた。
12月24日、クリスマスイブ。
本来であれば、絢爛たるイルミネーションと聖夜を祝う人々で賑わうはずの日。だが、今年に限り往来には一般人の影は一切無い。いや、より正確に言えば、静まり返った街の暗がりには疎らに人影が存在していた。しかし、ソレは睦まじく肩を寄せるカップル達などでは断じて無い。血の匂いに餓え、今にも獲物に襲いかからんとする群狼が如き集団――呪術師と呪霊、そして呪詛師達である。
最悪の呪詛師・夏油傑が宣言した『百鬼夜行』当日。新宿と京都の二地点に分かれて配置された呪術師達は、夏油の尖兵たる呪霊や呪詛師を迎え撃つべく牙を研ぎ続けてきた。そして今まさに、両陣営の天下分け目の死闘の火蓋が切られようとしていた。
「…凄い数ね」
京都の街並みを一望できる一頭高いビルの屋上。眼下に渦巻く千の呪霊の群れを見下ろし、準一級術師・庵歌姫が苦い表情で呟いた。
「えぇ、いくら本命がこちらでないと分かっていても、この数はさすがに圧巻ですね。悪い意味で…ですが」
一級術師・七海建人は人差し指でモノクルの位置を正しながら、冷静に相槌を打つ。二人はビルの上層から戦場全体を俯瞰し、開戦の好機を伺っていた。
「でも、本当なの? 夏油の目的が乙骨君だって」
未だどこか半信半疑の面持ちを浮かべる歌姫へ、七海は感情を挟まず淡々と返答する。
「あらゆる角度から菅公君が導き出した答えです。ほぼ間違いないでしょう」
その時だった。
『数だけは揃えて来た様ですね』
突如として二人の背後から、大気を震わせる声が響いた。
驚愕して即座に振り返る歌姫。その視線の先に立っていたのは、焦茶色のフードを目深に被り、同色の長ローブを羽織った少年――土師菅公であった。
しかし、普段の彼を知る者からすれば、今その身に纏う雰囲気はあまりに異質であった。ローブの隙間から溢れ出る呪力は、研ぎ澄まされた極上の刃のごとく鋭利に澄み渡り、フードの陰から覗くその瞳は、暗闇の中で琥珀色に爛々と輝いている。そして何より異なるのはその声だった。普段の凛とした声の通りとは異なり、まるで人工的な機械音を思わせる重圧な低音が響いていた。
「す、菅公君?」
異様な威圧感を全身から放つ菅公に対し、歌姫は思わず語尾を疑問形にして問いかける。
七海は視線を崩さず、静かに菅公へ尋ねた。
「菅公君、準備の方は?」
『えぇ、準備は万端整いました。いつでも奴等を根絶やしにできます』
一切の揺らぎなく断言する菅公。歌姫は千を超える呪霊の群れを前にして「根絶やし」と言い切る少年に戸惑いを隠せない。
「根絶やしって、一体どうするつもりなの?」
その問いに対し、菅公は眉一つ動かさず、ただ短く術式の名を呟いた。
『飛雷遠雷』
菅公が呟いた瞬間、すぐ真横にいた七海と歌姫の全身に鋭い悪寒が駆け抜けた。
菅公が両腕を左右に大きく広げた刹那、その指先から天空へ向けて爆発的な『赤雷』が解き放たれる。真紅の光柱が夜空を突くと、京都の上空には瞬く間に広大な雷雲が拡散し、漆黒の天幕を埋め尽くした。
――ドォンッ!!!!
直後、天地を揺るがすけたたましい轟音と共に、天から数千、数万の真紅の雷が地上へ向けて一斉に打ち下ろされた。
「キャァァァァーーーー!!」
大気を激しく叩き割る暴風と衝撃波に、歌姫の身体が浮き上がる。それを間一髪のところで七海が受け止めた。しかし、一級術師である七海をもってしても、降り注ぐ圧力を前にその場を踏みしめて耐えるのが精一杯であった。
地上の様相は、まさに一瞬にして具現化した阿鼻叫喚の地獄絵図であった。
解き放たれた無数の赤雷は、寸分狂わぬ精度で地上の呪霊群を直撃。密集していた呪詛師たちをも纏めて一瞬で焼き尽くし、消し炭へと変えていく。
「ヒッ……!? ぐあぁぁぁぁッ!!」
悲鳴を上げながら逃げ惑うことしかできない呪霊と呪詛師達。ある者は屋内に滑り込み、またある者は建造物の物陰へと身を隠した。だが、地面に到達した赤雷は留まることなく縦横無尽に地表を走り、正確無比に敵対者たちの肉体を穿ち、討ち滅ぼしていく。
「落ち着け! 一旦、下がって体勢を整えろ!!」
夏油一派の幹部・祢木利久が、パニックに陥り逃げ回る味方の呪詛師たちへ必死に指示を飛ばす。しかし、あまりの惨状に歯止めはかからず、混乱はさらに加速するばかりであった。
「じ、冗談じゃねぇ! こんな化け物がいるなんて聞いてねぇぞ! 俺は降りる!!」
「そうだ! こんなのどうやったって勝ち目なんかねぇ!!」
理性を失い、戦線を放棄しようとする男たち。まさに部隊が完全に瓦解しようとしたその時――
「ぺぃ!!!!」
腹の底まで直接響くような凄まじい爆音が戦場に轟いた。
「落ち着きなさい貴方達」
その重厚な低音ボイスで場を一喝したのは、祢木と同じく夏油一派の幹部・ラルゥであった。
「この戦争に参加すると決めた時から、遅かれ早かれ強敵と対峙するのは分かってたでしょう。私達が先頭を切って奴等と戦うわ、だからアンタ達も性根を入れて戦いなさい! …あんまりシノゴノ吐かすと……“掘るわよ”」
呪詛師たちが思わず両手でお尻を隠してしまうほどの強烈な脅し文句。恐怖で顔を青ざめさせた呪詛師たちは、一目散に前線へとUターンしていく。それを見送りながら、祢木とラルゥはこの開戦直後の異常事態について会話を交わした。
「すまん、ラルゥ。あのままだったら完全に崩壊していた」
「まぁ、仕方ないわよ利久ちゃん。元々、私達以外は金で集められた烏合の衆。私や貴方の様に心底、傑ちゃんを慕って集まった“家族”じゃない。傑ちゃんが言ってた様にどの道、使い捨ての駒よ」
淡々と、冷徹にと言い切るラルゥ。祢木は苦虫を噛み潰したような渋い顔で言葉を継ぐ。
「しかし、この事態は完全に予想外だ。土師菅公が京都方面に派遣されているのは確認していた。建造物やインフラへの被害を気にして、広域を巻き込むような強力な術式は使うまいと踏んでいたのだが……」
「何方にせよ土師菅公を全力で止めなきゃね。このままだと私達を全滅させた彼の矛先が傑ちゃんに向きかねないわ。ソレだけは何がなんでも阻止するわよ、利久ちゃん!」
「あぁ、夏油様の理想の実現の為にもな」
互いに頷き合い、改めて戦意を高め合う二人。
――チュドーーーーーン!!!!
その瞬間、何の前触れもなく天から降り注いだ一筋の真紅の稲妻が、祢木利久の頭部を骨ごと完全に吹き飛ばした。
「利久ちゃん!!!」
あまりに唐突な死に、ラルゥの叫び声が夜の街にこだま作する。
『他人の理想の心配より、まずお前達自身の身の心配をするんだな』
焦土と化した街路の只中、荒れ狂う雷光を纏った菅公がラルゥの目前へと静かに降臨した。忌むべき悪鬼共を地上から一残らず抹殺するために。
「よ、よくも私達の家族を……!」
ラルゥは奥歯が砕けらんばかりに噛み締め、怒りに瞳を血走らせて菅公を睨みつける。だが菅公はその激昂など意にも介さず、ただ機械的かつ冷徹に告げた。
『夏油傑が京に放った呪霊の群れは粗方、祓ったぞ。お前達が引き入れた呪詛師共も全滅した。此処から先は掃討戦だ、勝負はついたな』
「まだよ! まだ他の家族が戦ってる! 傑ちゃんも健在、私達の戦いはまだ終わってない!!」
激昂するラルゥを、菅公の琥珀色の瞳が見下ろす。
『ソレは夏油が乙骨憂太に取り憑いている祈本里香を取込むとか言うお粗末な作戦の事か?』
作戦の核心を突かれたラルゥは、一瞬息を呑み驚愕に目を見開く。
「ど、どうしてその事を!?」
『ふん、お粗末なのは発案者も同じだったな。私達が気がつかないとでも思ったのか?』
冷ややかに切り捨てる菅公の声に、ラルゥの表情が絶望に染まる。自分たちの綿密な目論見が、初めからすべて見透かされていた事実に。
『ソレにお前達は乙骨憂太を舐めすぎだ。腹を括った男は自分の女を守る為なら悪鬼にも羅刹にもなれる。ソレはお前達、夏油一派の様な擬似的な家族じゃない、幼い頃から生涯を誓い合った本物の家族だけが出来る命を懸けた誓いなんだからな』
「ソレでも私は、私達は!!」
ラルゥは叫びながら術式を発動し、巨大な手の形をした呪力を構築して菅公へと襲いかかる。
『雷化舜動』
菅公が短く呟くと同時に、その姿が雷光となって消失した。術式反転――自らの肉体を雷そのものへと変化させ、光速の領域で駆動する移動術式。
「ッ――!?」
ラルゥの視界から菅公の姿が完全に消え去る。反応すら許されぬ光速の踏み込みから放たれた衝撃がラルゥの体を穿ち、彼はなす術もないまま地面へ激しく倒れ伏した。
『ここまでだな』
立ち上がる力すら奪われたラルゥを見下ろし、菅公は息の根を止めるべく、その掌を相手へ向けて極大の『飛雷遠雷』を練り上げる。
――ズガーーーーン!!!!
極限まで高められた赤雷が放たれた瞬間、凄まじい質量の呪力が横合いから干渉し、その雷光が明後日の方向へと荒々しく弾き飛ばされた。
一瞬の静寂。菅公は眉をひそめつつも、弾き飛ばした何者かの呪力の質を即座に感知し、その琥珀色の瞳に猛烈な殺意を宿させた。
『私の仕事を妨害する以上、命を捨てる覚悟があっての事でしょうね? 返答如何によってはブチ殺すぞ九十九由基!』
額に青筋を浮かべ、殺気を剥き出しにする菅公。その視線の先、立ち込める土煙を押し分けて姿を現したのは、特級術師・九十九由基であった。
「おやおや、随分とご機嫌斜めじゃないか。短気は損気だよ、菅公君♪」
不敵な笑みを浮かべ、緩やかな足取りで歩み寄る九十九。
『貴方と違ってこっち暇じゃ無いんですよ……分かったらササっとそこをどけ、九十九由基』
殺意全開で命じる菅公に対し、九十九はなおも余裕の笑みを崩さない。
「おやおや、年上の乙女に対する口の利き方がなってないぞ」
僅かに怒気を滲ませて挑発する九十九に、菅公は容赦なく言葉の刃を突き立てる。
『はなから敬うつもりが無いんでね。ソレに貴方、乙女なんて年齢はとうに過ぎてるでしょう? オバサン』
女性に対して決して口にしてはならない言葉を、至極平然と言い放つ菅公。九十九の笑みがピクリと引きつった。
「お、オバサン!? ……ま、まぁいいや」
咳払いを一つ挟み、九十九は強引に会話の軌道を引き戻す。
「ココに来たのは他でも無い、そこのオカマ君を私に譲って欲しいんだよ」
そう言って、九十九は足元で倒れているラルゥを指差した。
『ほぉ』
殺気を収めることなく、先を促す菅公。
「彼の術式が私の研究に役立つ可能性があるんだ。今、君にオカマ君を殺されちゃ困るんだよ〜。だからお願い、彼を譲って(キャルン♪)」
語尾に可愛らしい仕草を添えてねだる九十九に対し、菅公は至極冷めた顔で当然の問いを返した。
『ソレで? コイツを貴方に譲って私に何のメリットがあるので?』
「私の可愛いスマイルじゃダメかい?」
首をかしげてウインクしてみせる九十九。その瞬間、菅公の瞳から温度が消えた。
『…殺す』
迷いなく術式を打ち込もうとする菅公に、九十九は慌てて両手を広げて取り繕う。
「じ、冗談じゃないか!?」
『九十九さん、この世は全て等価交換だ。貴方が自分の目的の為にそのカマ野郎を譲れと言うので有れば、ソレに見合った見返りが無くてはならない』
菅公は親指と人差し指を擦り合わせ、露骨に金銭的な報酬を要求してみせた。九十九は引きつった顔で溜息を漏らす。
「ぐっ………いくらだい?」
『大二本(二億)、今日中に振り込んでもらう。ソレが出来ないならアンタの“特級資格”を総監部に剥奪させる。総監部の中にはアンタの事が気に入らない輩も多いだろう、奴らがこの話しを聞けば飛びついて来るぞ。そうなればアンタは目出度く呪詛師認定、私も遠慮なくそこのオカマ共々狩れる』
一切の妥協を許さぬ最後通牒。九十九は降参を示すように両手を上げた。
「分かった、分かった!言う通りにするよ」
九十九は頭を抱えながら、苦笑交じりに愚痴をこぼす。
「まったく! 流石は冥の弟子だよ。しっかり踏んだくってくな〜」
その言葉を聞き、菅公はフードの下で不敵な笑みを浮かべた。
『昔から言う通り“タダほど怖いものはない”ですよ、九十九さん』
と言う訳で京都側の戦いはコレにて終了です。夏油一派のメンバー一人死亡させました。まあ、原作でも全く存在感が無かったのでサクッと退場させました。ラルゥがいつ九十九由基の下に身を寄せたのか原作では語られていないのでこの展開にしました。皆様の評価と感想をお待ちしております。