真剣で君に恋したい!   作:球磨川善吉

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掉棒打星

春休みの日曜日。辰子たちの「抱き枕拘束」という檻を抜け出し、一子と修行に励んでいた時のこと。

 

「朝っぱらから精が出るねぇ。あんたらは」

 

不意に投げかけられた、どこか人を食ったような声。

振り返ると、肩まで流れる艶やかな紫髪の女性が腕を組みながら立っていた。

 

「あ、亜巳さん! おはようございます!」

 

一子が突きを止めて弾けるように振り返る。俺も一歩遅れて、背筋を伸ばした。

 

「おはようございます」

「ああ、おはよう」

 

板垣亜巳(あみ)。辰子の姉だ。

前にも何度か顔を合わせた事があるが、彼女の射抜くような瞳は正直未だに慣れない。

 

「今日はどうしたんですか?こんな朝早くに」

「受験がようやく一段落してねぇ。かわいい妹のツラでも拝みに来たわけさ」

 

確か彼女が受けたのは川神学園。総代が校長を務めるレベルの高い学校だ。

 

「お疲れ様でした。辰子なら……まだ寝てますよ。起こしてきましょうか?」

 

彼女は少し考え込んだ後、首を横に振った。

 

「…いや、いい。起こしたところで、すぐに寝るのが関の山だ。元気ならいい」

 

辰子はこの世のどんな理よりも睡眠を優先する。それは実の姉であっても変わらない。

 

「そういえばお前らまだ一緒に寝てるのかい?」

「週に5日くらいですかね」

「辰は寝相が悪いからねぇ。布団から出るのも大変じゃないか?」

「純粋な筋力だけで見たら川神院にいる同年代の誰よりも強いですからね。いつも一子に手伝ってもらってます」

 

亜巳さんは俺の隣でえっへん、と胸を張る一子を一瞥した。

 

「ほう。また腕を上げたね」

「ありがとうございます!! 最近は辰子に加えて京と小雪もいるから、毎朝が生き残りを賭けた戦いで……」

 

一子が困ったように、けれどどこか楽しげに眉を下げて語る。彼女にとっての「修行」は、道場だけでなく、布団の中でも既に始まっているらしい。

 

「へぇ。モテモテな訳だ。コイツは」

 

亜巳さんの切れ長な目が、つま先から頭まで俺を舐めまわすように観察する。

 

「あいつのままだったら恋敵が減ってたかもしれないのにねぇ。まったく、可哀そうな奴だ」

 

亜美さんには俺が灯火の身体に移ったことや京と小雪の事情は伝えてある。

最初に少し眉を動かしただけで、あっさりと納得していたのが意外だったことを覚えている。

 

「中身が変わっても好きな相手が変わらないってのは、辰っぽいっちゃ辰っぽいけどねぇ」

「亜巳さんから見て前の灯火はどんな感じに見えました?」

「…一言で言うなら最高に生意気なガキ、かな」

 

……これはまた、新しい視点だ。

なんか、人から聞けば聞くほど彼の全体像がぼやけてくる。

 

「アイツは勝つためなら何でもする。私とは実力差が開きまくってるのに、無意味な煽りを何度も仕掛けてきて…ほんっとうに腹立たしいガキだった」

「なるほど…」

 

それで腹が立ってるなら、意味があるような…

まあ、口に出すのは野暮か。プライド高そうだし。

 

「辰もあんな奴のどこがいいんだか。……アンタもそう思うだろう? 一子」

 

「えっ。私ですか? え~と……その……」

 

唐突に話を振られた一子が、あからさまに泳いだ視線で困ったように苦笑いする。

 

「そういえば、アンタはかなりアイツと修行してもんねぇ。あんまり悪くは言いたくないか」

「あ、あはは……。まあ、色々と教えてもらいましたし……」

 

亜巳さんの言葉に、一子が歯切れの悪い、けれどどこか懐かしむような返事をした。

 

なんだかんだで、彼も面倒見は良かったのか。

でも、一子からすれば、少し前まで色々と叩き込まれていた師匠のような相手と、同じ姿をした「中身が別人の男」に、今度は逆に自分が武術を教えているわけだ。

 

……冷静に考えると、相当やりづらいよな。

 

「でも、今のアンタも良い()をしている。…どうだい? 一戦交えてみるかい?」

「え。いいんですか? 受験明けで何か予定があるのかと」

「特にないよ。川上学園に入ったら嫌でも忙しくなるし。あんたも少し油が乗ってきたみたいだからね」

「じゃあ、俺でよければ」

「私、蔵から亜巳さんの棒のスペア取ってきます!!」

「じゃあ、その好意に甘えるとしよう。」

 

彼女の武器は棒らしい。

俺は彼女が武器を使う姿を一回も見たことがない。

 

ぶっちゃけ槍とか一子が使う薙刀の方が殺傷能力がありそうで強そうだけど。

 

「そういや…あんたは素手でいいのかい?」

 

蔵へ走った一子を見送った後、亜巳さんが不意に俺の手元へ視線を落とした。

 

「俺は不器用すぎて武器なんて到底使えそうにありません」

「ふーん。そうかい」

 

沈黙が流れる。気まずさを紛らわすため、以前からの疑問を口にしてみた。

 

「ずっと気になってたんですけど…なんで辰子だけが川神院に住み込みなんですか?」

「あいつは私とは比べ物にならないほどの怪物だ。それを灯火が見込んで直接スカウトしたんだよ」

 

それは、以前に辰子自身からも聞いたことがあった。

彼が持っていた、未来を見通すほどの異常な審美眼。

百代や釈迦堂師範代の話によれば、彼はテレビ番組の次のニュースキャスターから競馬の着順に至るまで、まるで最初から答えを知っていたかのように次々と的中させていたらしい。

 

そんな男が、自らの足で出向いてまで引き抜いたのが、板垣辰子。

ぶっちゃけ俺には彼女の強さがよく分からない。

確かに腕力は凄まじいが、彼女が「気」を練っている姿を、俺は一度として見たことがないからだ。

気を満足に使えない俺には、辰子のように力ですべてをねじ伏せるスタイルが理想形に見える。

まあ、ほぼ実現不可能な点に目を瞑れば。

 

「でも亜巳さんもたまに修行に来ますよね。家から通うの結構キツくないですか?」

 

たしか彼女の家は工場地帯で川神院とだいぶ離れていたはずだ。

 

「私が住み込みじゃないのは…辰子以外にアンタくらいの年の妹と弟がいるからだ。蒸発した両親に代わって面倒を見なきゃだし」

「…すみません。変なこと聞いて」

「別に変でもなんでもないだろ。…そういう同情は嫌いだ」

 

きっぱりと言い捨てられ沈黙が下りる。

 

「まあ、アンタら…というかあのじいさんのおかげで、私たちは飯が食えてるからね。あの人には本当に感謝してもしきれないよ」

 

亜巳さんが遠くを見るような目でつぶやいた、その時。

 

「も、持ってきました!!」

 

息の一つも切らさず一子が持ってきたのは2m近くある白い棒だ。

亜巳さんはそれを受け取るや否や縦横無尽に振り回した。

空気を切り裂く鋭い音とともに、棒は流れるように円を描く。

 

「んー。やっぱり少しなまってるね」

 

ピタリと棒を止め、亜巳さんは不満げに眉を寄せた。

今の舞でなまってる、か。本調子だったらどこまで行くんだろう。

 

「アンタも見とれてないで、準備したらどうだい?」

「いや、こっちはさっきまで動いてたんで、いつでも」

「そうかい。じゃあ、ルールはどちらかが戦闘不能、ないしは降参するまで。それでいいかい?」

「はい、問題ありません。その条件で行きましょう」

「一子。立会人を頼むよ」

 

俺と亜巳さんはお互いに距離をとり、所定の位置につく。

欲を言えば長物相手にはゼロ距離から勝負したいけど、しょうがない。

 

亜巳さんは棒を中段に構え、俺は自然体で立つ。

 

一子が大きく息を吸い込み、腹の底から声を張り上げる。

 

「両者、構え!! ……いざ!!」

 

「――始めっ!!!」

 

鼓膜を震わせるほどの鋭い号令が川神院に響く。

 

俺の選択肢は一つだ。リーチの圧倒的な差を埋めるため、爆発的な脚力で前へ突っ込む。

当然、亜巳さんはそれに合わせて、手元の2mの棒を最短距離で突き出した。

 

俺は体を地面スレスレまで沈め、その一撃を紙一重で潜り抜ける。

 

「――甘いさね、坊や」

 

上空から振り下ろされる、轟音。

俺は、自分の鼻先の空気に『気』を流し込み、一点を鋼鉄以上に硬化させた。

 

そこに左手を引っ掛け、支点にする。

慣性を無理やり捻じ曲げ、俺の体は不自然な挙動で亜巳さんの股下へと「ヌルり」と滑り込んだ。

 

――粒子硬化による、三次元的な軌道修正。

 

棒のリーチが完全に死ぬ、ゼロ距離。

 

彼女が地面を払おうとしたその瞬間。勢いよく跳ね、拳を彼女の顔面に送る。

 

「…驚いた」

 

彼女は寸前で首を逸らすと同時に、足首と腰を鋭く捻る。

その表情が驚愕から即座に「武人」のそれに切り替わる。

俺の拳が空を切った刹那、視界の端から凄まじい風切り音が迫った。

 

――二メートル超の長物。その末端(石突き)が、円運動の最外周を描きながら、俺の脇腹を狙い撃つ。

 

……速い! このままだと着地と同時に横から――!!

 

空中で、とっさに右膝を折りたたみ、足裏の空気に『気』高密度で集束させる。

鋼鉄のごとき硬度で固定された、不可視の足場。

その即席の床を渾身の力で踏み切り、爆発的な反動で側方へと身体を弾き飛ばした。

 

バォンッ!! と、耳元で空気が爆ぜるような音がした。

脇腹をかすめていった棒の風圧だけで、服の裾が激しくなびく。

 

「……あ、あっぶな!!」

 

着地と同時に、俺はさらに後方へ跳んで距離を取った。

心臓がうるさいくらいに脈を打つ。

 

「空中で軌道を変えたのかい? アンタ」

 

亜巳さんは棒を中段に構え直したまま、目を細めて俺を凝視している。その目からは、今まであった僅かな慢心が完全に消えていた。

 

彼女の口元に、薄く、けれど確かな愉悦の笑みが浮かぶ。

 

「いいよ、面白いじゃないか。……じゃあ、次は『面』でいかせてもらうよ」

 

亜巳さんが棒を構え直す。

今度は一転して、隙のない円の動き。ブン、と空気を切る重低音が響く。

棒の先端が残像を描き距離を詰めてくる。

 

俺は、あえて正面からその突風へと飛び込んだ。

 

「――っ、つ!!」

 

右脇腹に焼けるような衝撃。鈍い音が脳内に響く。

だが、痛みで思考を止めるわけにはいかない。

円運動の遠心力を利用して、即座に反対から追撃が来る。

 

ここだ!!!

 

左から迫る、中腹による薙ぎ払い。

俺は自分の体の数十センチ先、空を切って通過しようとしている「棒の先端」の軌道一点に、全ての『気』を叩き込んだ。

 

ガキィィィィィンッ!!!

 

何もない空間で、火花が散るような衝撃音が鳴る。

 

俺の脇腹を叩き潰すはずだった中腹が、先端を固定されたことで空中で静止。

行き場を失った莫大な運動エネルギーは瞬時に強大な衝撃力へと変質し、二メートルのリーチを巨大な「テコ」に変えて、亜巳さんの両手首を襲った。

 

「くっ……!? 手が、痺れ――っ!」

 

衝撃で浮いた亜巳さんの懐へ、最短距離で踏み込む。

 

「――蠍撃ち(さそりうち)!!」

 

正拳で相手の内臓――横隔膜の直下、鳩尾の急所へと打ち込む。

俺がモノにしている数少ない、そして確実な殺傷力を持つ技の一つだ。

 

「――ッ、チ!!」

 

亜巳さんの短い舌打ち。

俺の背後から地面を穿つような鋭い衝撃音が響いた。

 

次の瞬間、彼女の身体が後方へと滑る。

突き出した俺の拳は、彼女のシャツをわずかに掠め、虚しく空を切った。

 

直後、目の前の地面を穿つような鋭い衝撃音が響く。

 

……しまっ、棒を「三本目の足」にして跳んだのか!?

 

瞬時に後方へ滑り去ったそのデタラメな機動力に、俺の背筋に冷たいものが走る。

 

空振りの慣性で、俺の体勢がわずかに流れた。

 

「……巻き込んであげるよ」

 

だが、俺も止まらない。流れる勢いを利用して左の拳を解き、中に隠し持っていた「砂」を、退いた亜巳さんの顔面にブチまけた。

 

「小賢しい!!」

 

彼女の叫び声。

 

亜巳さんの姿が沈み込み、俺の視界から一瞬で消える。

 

直後、ミシミシ、 という、何かが軋むような嫌な音が背中の棒から伝わってくる。

 

――しまっ、棒を軸に……!?

 

理解が脳に届くより先に、死角から凄まじい風切り音が円を描いた。

斜めに固定された棒。それを支点にした独楽の如き旋回。

重力と遠心力が合成された、斜め上方からの断頭脚。

 

反応がコンマ数秒遅れた。

 

「ガ、はっ……!?」

 

背中に、杭を打ち込まれたような衝撃が走る。

固い地面と、上からの質量に挟まれ、身体中の酸素が一滴残らず逆流した。

 

「チェックメイトだ」

 

地に伏した俺の後頭部に、六尺棒の冷たい感触がミシミシと押し当てられる。

 

逃げ場は、ない。

 

「まだ続けるかい?」

「…参りました」

「聞き分けが良くて助かるねぇ。ウチの弟とは大違いだ」

 

頭上の圧力がふっと消える。

毎朝毎夜、一子と必死に修行を積んできたつもりだが、本物の才能には届かない。

いくら年が離れているとはいえ、最近修行をサボっていたはずの相手に完敗するのは、本当に本当に本当に悔しい。

 

一子が心配そうな表情で、一目散に駆け寄ってきた。

 

「と、灯火!! 大丈夫!?」

「……ちょっと背中が痛いくらいかな。心配してくれてありがと」

「よかったぁ~……」

 

安堵する一子の横で、亜巳さんが棒を肩に担ぎ直し、こちらを見据えて語る。

 

「肉体の方はだいぶ鍛えてるね。アイツに比べると少し強度は落ちてるけど、並の連中じゃまず壊せないレベルだ」

「……やっぱり、そう見えますか」

「アタシと毎日修行してるもん。当然ですよ!」

「まあ、よく保っている方だよ。それと、さっきの気を空気中に流すやり方……発想は面白いけど、あれは効率が悪すぎやしないかい?」

 

亜巳さんは首を傾げる。その目は、俺の「気」の出力方法にある致命的な歪みを、正確に見抜いていた

 

「俺、どうしても『気』を身体の内側に巡らせることができないんですよ。あんな風に外へ放り出して、無理やり形にするような変な使い方しかできなくて」

「ふーん。まあ、アイツの身体を使いこなすのは、相当な無理難題だろうしねぇ」

 

彼女は何かを見透かしたように笑った。

やはり、内側に気を巡らせて防御膜を作れないのは、格闘戦において致命的な弱点なのだろうか。

 

「でもさ、灯火。アンタは目が正直すぎる」

 

亜巳さんは肩に担いだ棒を下ろし、ジロリと俺の顔を覗き込んできた。

 

「……目、ですか?」

「そう。アンタは何かを仕掛ける直前、無意識にその『場所』を視線でなぞってる。 次にどこを突くか……アンタの目が全部、先に答えを教えてくれてるんだよ」

 

そうか、言われてみれば当然だ。

武術の世界では、視線は情報の入り口であると同時に、自分の意図を漏らす最大の穴でもある。

 

「一点を凝視するってことは、それ以外のすべてに『無防備です』って宣言してるのと同じさ。アタシらみたいな直感で動く手合いからすれば、アンタが次に何をしたいか、ネオンサインでも出してるくらい丸分かりさ」

「…だって見ないと何も分からないんですよ」

「アンタがやってるのは対象を一点に絞って観察する『中心視野』。でも、格闘戦で大事なのは、視界全体をぼんやり捉える『周辺視野』の方だよ。前者は脳がそれを理解しようとして時間がかかる。……そんなの、アタシらの速度域じゃ致命的なラグなんだよ」

「な、なるほど……」

 

脳で処理する前に、景色としての『変化』に体が反応する。それが達人の領域。

理屈では理解できる。だが、一点の座標を固定することに特化してきた俺にとって、その「ぼんやり見る」という感覚は、設計図なしで家を建てるような不安があった。

 

「そういうの師範代とか一子から教えてもらってないのかい?」

 

一子が決まりの悪い顔をする。

 

「……灯火はまず、模擬戦の前に技のレパートリーを増やした方がいいのかなーって思って。小雪のことで寝込んでた分の体力の底上げも必要だったし……」

「なら、これから少しずつでもやった方がいい。こんなに壊しがいのある身体を痛めつけないのは勿体ない」

「お、押忍?」

 

一子が首を傾げる。

 

亜巳さんの言葉は手段と目的が逆転してるような気が…

まあ、筋肉は傷つけないと強くならないってことなのかな?

 

「その、もう一戦お願いできますか?」

「もちろんいいよ。心が折れるまで何度、でも」

 

亜巳さんは嬉しそうに目を細めた。

 

「……次は、その『正直な目』をどう騙してくれるか、楽しみにしてるよ」

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