鉄仮面の中のタキシード仮面 ~断罪者カロッゾ・ロナは、なぜか月の騎士の幻を見る~ 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
宇宙世紀0122年。
F91計画のデータ強奪作戦を終えた俺 ── 鉄仮面は、フロンティアIV侵攻に向け、クロスボーン・バンガードの戦力を再編していた。
その中でも、最も有能な部下 ── ザビーネ・シャルの動向は、常に監視の対象だった。
有能さとは、それ自体が変数だ。
制御できる有能さは剣となり、制御を外れた有能さは、必ず刃をこちらへ向ける。
「鉄仮面様。F91のデータ、確かに奪取しました。だがサナリィの連中は、あれほどの力を、なぜ貴族ではなく連邦に献上するのか。愚かとしか思えません」
ザビーネの声音には、技術への憧れと、隠しきれぬ嫉妬が混じっていた。
彼は、F91という機体そのものに、恋にも似た執着を抱いている。
それは、俺が最も警戒すべき類の情動だった。
「ザビーネ。情動は、判断を鈍らせるバグだ。F91への執着を、支配の論理へ転換しろ」
俺はデータパッドを投げ渡した。
ザビーネは無重力の中でそれを受け止め、沈黙したまま、画面に映るF91の残像の軌跡を、食い入るように見つめた。
その瞳の奥にあるものを、俺は正確に読み取っていた。
「並び立ちたい」という願望。強き者の隣で、自らもまた強者でありたいという、承認への渇き。
「貴様の情動の揺らぎは捨てろ。支配者を目指すなら、論理だけを残せ」
ザビーネは答えなかった。
ただ、わずかに顎を引いた。それが忠誠の証か、それとも面従腹背の仮面か ──
俺は、その判別を保留した。
侵攻作戦の準備は、着々と整いつつあった。
俺は、クロスボーン・バンガードの旗艦の作戦文書に、個人的な印として1輪の黒薔薇の意匠を添えさせた。
情動を切り捨てた者だけが持てる、静かな美 ──
それが、俺の掲げる秩序にふさわしいと判断したからだ。
棘も、香りも、色さえも削ぎ落とした、純粋な形式だけの薔薇。
それこそが、俺という男の紋章だった。
だが、その最終稿を確認したとき、俺は奇妙な事実に気づいた。
黒薔薇の図案の隅に、誰かが小さな赤い薔薇を1輪、描き加えていたのだ。
設計ログを辿ると、その修正を行った端末の操作者は ── 記憶にない時間帯の、俺自身だった。
深夜、無人の作戦室で、俺は自分の紋章に、自分でもう1輪の薔薇を描き足していた。
断つ色の隣に、守る色を。
俺は、艦橋のモニター群の前に立った。暗いガラスに、タキシード姿の俺が映った。
「君の意匠に、私の薔薇を添えさせてもらった、カロッゾ。
どれほど黒く塗り潰そうとも、そこには必ず1輪の赤が残る。それが、君が捨てきれない心の証だ」
それは、俺が俺に語りかける声だった。
丁度そのとき、ザビーネが艦橋に入ってきて、俺が虚空に向かって呟いているのを目撃した。彼は問わなかった。
ただ、鉄仮面の主が独り言を漏らすほど何かに憑かれているのだと悟った顔をして、静かに一礼し、踵を返した。
その背中に、俺は初めて、監視すべき対象としてではない、名状しがたい感情を覚えた ── だが、それにも名前をつけなかった。
俺は、コートの内側から黒薔薇を取り出し、握り潰した。
「小賢しい。だが無駄だ。俺の印は黒薔薇のみ。俺の中のお前の赤など、いずれ塗り潰される」
握り潰した黒い花弁が、無重力の艦橋に、音もなく散る。
だがザビーネの中に芽生えた小さな疑念に ──
そして、俺自身の中に残る、握り潰しきれない何かに、俺は気づかないふりを続けていた。
守る薔薇と、断つ薔薇。その最終決戦の舞台が、いま、1人の男の中で、静かに整えられていく。