鉄仮面の中のタキシード仮面 ~断罪者カロッゾ・ロナは、なぜか月の騎士の幻を見る~ 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
宇宙世紀0115年。
アナハイム・エレクトロニクスを離反した俺は、月面グラナダからサイド3宙域へ移り住んでいた。
移住とは名ばかりで、実際には逃避と観察の両方だった。
逃避 ── そう、俺は夜ごと自分の中で目を覚ます、あの仮面の男から逃げていた。
俺の思想は、すでにアナハイムの腐敗への怒りから離れつつあった。
大企業の惰性、技術者たちの怠慢、連邦との癒着。
それらはもっと大きな根源の影にすぎない。
その根源とは、人間の情動という、この宇宙で最も厄介で、最も予測不可能なバグだ。
俺は狭い研究室で、UC0105 ── マフティー動乱の記録を、何度も再生していた。
連邦政治の恐怖。
軍の判断の遅れ。
市民が巻き込まれた地獄の空中戦。
そして拘束後のハサウェイ・ノアの最期。
どれもが、情動によってゆがめられた結果だった。
その夜、俺は奇妙な夢を見た。
銀色に輝く宮殿。
純白のドレスの、悲しげな姫君。
そして ── その傍らに佇む、黒いタキシードの仮面の男。
俺は夢の中で、その男の視点に立っていた。
マントの重さ。
仮面の下の視界。
片手に握った1輪の赤い薔薇。
姫君は俺に向かって、涙をこらえるように微笑んだ。
「あなたも、かつては誰かを守りたかったはずでしょう、私の騎士」と。
目を覚ますと、俺の机の上には、また1輪の黒薔薇が置かれていた。
施錠された研究室に。
監視記録には、深夜3時、俺自身が夢遊病者のように花瓶から薔薇を抜き、机に置く映像が残っていた。
「……幻覚か。情動の残滓が見せる、処理すべきノイズにすぎん」
俺はその薔薇を握り潰そうとして ── なぜか、できなかった。
花弁の柔らかさが、夢の中で姫君の頬に触れたときの感触と、同じだったからだ。
俺はそれを、初期不良のバグとして記録し、意識から追い出そうとした。
なぜ俺の脳が、こんな時代錯誤の宮殿や姫君の幻を紡ぐのか ── その理由は、最後まで俺には分からなかった。
分からないからこそ、それは俺を苛立たせた。
「情動は、技術も政治も、必ず狂わせる」
この単純で残酷な真実に行き着いた瞬間、俺の思考のスケールは大きく変わった。
俺は宇宙の技術体系を刷新したいのではない。
人類というバグの集合体を、根本から修正しなければならないのだ。
「ならば……技術で断罪すればいい。人類の情動という、この宇宙最悪のバグを」
その考えが胸に宿った瞬間、闇に沈む研究棟の窓に、俺自身の影が黒い外套のように広がって映っていた。
まるで、これから生まれる鉄仮面の輪郭を、宇宙が先に描いてみせるかのように。
だが同時に、その窓ガラスには、もう1人の俺の影が重なって見えた。
シルクハットを被り、赤い薔薇を掲げる、あの仮面の男の影が。
否定しようとするほど、それは濃くなった。
俺は嗤った。
「上等だ。俺の中のお前が守るというのなら、俺は断つ。同じ顔に、2枚の仮面をかけてやる。救済の仮面と、判決の仮面をな」
窓の中の2つの影は、1人の男の、分かたれた2つの貌だった。
片方は現実の俺。
片方は、俺の壊れた心が生んだ、実在しない幻。