【完結済】機動戦士ガンダム 鉄仮面の中のタキシード仮面 ~断罪者カロッゾ・ロナは、なぜか月の騎士の幻を見る~ 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
宇宙世紀0123年、秋。
フロンティアIV戦役の余波は、まだ宇宙のあちこちに渦を巻いていた。
連邦情報局とサナリィは、1つの最優先事項を共有していた。
ベラ・ロナの確保である。カロッゾ ── 鉄仮面の暴走から生き延びたベラは、連邦とサナリィの合同チームによって保護された。
彼女が象徴として政治利用される危険を避けるため、公式には「消息不明」として扱われることになった。
移送艇の内部は、無機質な金属の匂いと、低いエンジンの唸りに満ちていた。
ベラはシートに身を預け、窓の外を流れる光点を見つめた。
その視線の先には、故郷であり、そして戦いの舞台となった月が、静かに浮かんでいた。
あれほどの血が流れ、あれほどの命が消えたというのに、月は何事もなかったかのように、ただ白く輝いている。
その無関心さは、かつて父が見上げていたグラナダの空と、同じ色をしていた。
「あなたは、本当に、守ってくれたのね」
ベラは、誰にともなく呟いた。
彼女は、父が最期に自分を守ったことを知っていた。
崩れゆくラフレシアを、コロニーから、そして娘から遠ざけた、あの最後の一瞬を。
断罪者の論理では、決して説明のつかない行為を。
そして、記憶の底から、幼い日の断片が浮かび上がってくる。夢うつつの中で、誰かが自分の手に、そっと赤い薔薇を握らせてくれた、あの温かい感触。冷たい教育の言葉の裏で、確かに存在していた、もう一つの手。
それが ── 論理と狂気に呑まれてもなお、父の中に最後まで残っていた、父自身の情の名残だったことを、今なら理解できた。
父は、昼は娘を道具に造り替えようとし、夜は夢遊病者のように、娘の枕元へ赤い薔薇を運び続けていたのだ。引き裂かれたまま。誰にも知られぬまま。
移送艇の窓の外、遠い月が、一瞬、強く瞬いた気がした。ベラには、その光の中に、白いドレスの姫君と、その傍らに佇むタキシード姿の男の幻が見えた気がした。
だがそれは、疲れた彼女の目が見せた、ただの錯覚だった。
父が心の中で見ていたのと同じ、ありもしない舞踏会の幻。奇跡も、超常の力も、そこにはない。
それでもベラは、その幻に向かって、そっと微笑んだ。
「ありがとう……お父さん」
彼女は知っていた。
タキシード仮面などいなかったことを。月の騎士も、前世の記憶も、何一つ実在しなかったことを。
いたのは、ただ、不器用に娘を愛し、その愛し方を最後まで間違え続けた、1人の父だけだったことを。それでも彼女は、その不器用な愛を、憎むことができなかった。
移送艇は、中間地点の拠点へと向かった。
ベラの存在は、星々の間から静かに消えていくように見えた。
公式な記録は、この瞬間から空白へと書き換えられようとしていた。
歴史は、彼女を忘れる。
ロナ家の娘も、鉄仮面の遺児も、いなかったことになる。
だが、彼女の胸には、父が最後に守ったものが、確かに灯っていた。
彼女の手には、あの日、崩れゆくラフレシアの残骸が漂う宙域から、救助隊が偶然回収した、1輪の赤い薔薇の押し花があった。
父が最期に、初めて握り潰さずに胸に抱いた薔薇の、たった1枚残った花弁。
それが、鉄仮面カロッゾ・ロナという男の中に、最後まで消えずに残っていた、ただ1つの情の証だったことを ── この宇宙で、ベラだけが知っていた。