鉄仮面の中のタキシード仮面 ~断罪者カロッゾ・ロナは、なぜか月の騎士の幻を見る~ 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
宇宙世紀0117年。
ナディアが俺の前から消えて1年が過ぎ、俺は、自分の内部で何かが別の構造に変質し始めているのを自覚しはじめていた。
俺は、昼は鉄仮面の思想を練る断罪者であり、夜は無意識のうちに仮面の男として振る舞う夢遊者だった。
1つの肉体に、2人の男が住んでいた。
片方は現実で、片方は俺の妄想だった。
娘ベラ ── 彼女をどう導くかは、俺の思想の核心に関わる問題だった。
ナディアという情動の象徴から、ベラを切り離さなければならない。
俺は、ベラが本来持っていた柔らかな心の反応を、別のかたちへ再設計する教育を開始した。
「ベラ。感情に左右される人間は、いずれ必ず破滅する」
幼い彼女は、不安そうな瞳で俺の言葉を聞いた。
だが、彼女はどれだけ論理を教え込まれても、母を恋しがる気持ちだけは、決して消さなかった。
それは、ごく当たり前の、人間の子供の情だった。
奇妙なことがあった。
ベラが眠る部屋に、俺が置いた覚えのない赤い薔薇が、たびたび現れるようになったのだ。
監視記録を確認して、俺は戦慄した。
深夜、俺自身が夢遊病者のように娘の枕元に赤い薔薇を置いていた。
断罪者たる昼の俺が娘の机に黒薔薇を置き、夜の俺がそれを赤い薔薇に置き換える ── 見えざる2人の俺の、静かな薔薇の応酬。
「くだらん干渉だ」
俺は赤い薔薇を握り潰し、黒薔薇を置いた。
だが翌朝、また赤い薔薇に戻っていた。
俺は、俺自身に負け続けていた。
ある夜、ベラの寝顔を見つめていると、彼女の額に、ほんの一瞬、金色の三日月の紋様が浮かんで消えた気がした。
俺は目を擦った。
何もない。
ただの、疲れ切った俺の網膜が見せた錯覚だ。
だが俺の脳は、その錯覚に、なぜか「シルバー・ミレニアムの王家の証」という、聞いたこともない名を勝手に結びつけた。
「馬鹿な。俺は、どこでそんな言葉を拾った」
俺は震えた。
俺の妄想は、もはや俺の知らない神話めいた語彙まで紡ぎ始めていた。
俺は、その考えを非論理的なノイズとして即座に排除しようとした。
だが、心の奥底で、俺は理解し始めていた。
俺がベラに執着する理由 ── それは、彼女の中に残る「愛」という、情動の中でも最も強く、最も純粋な記憶を、俺が本当は消したくないからだと。
俺の妄想は、そのありふれた父の情を、「月の王国の光」という壮大な物語に仕立て上げて、俺に見せているだけだった。
「ならばなおのこと、切除せねばならん」
俺は決意を新たにした。
「愛の記憶こそ、最大のバグだ。ベラよ、貴様からそれを削ぎ落とし、完全な論理の器に造り替えてやる」
この年、俺は初めて鉄仮面の原型となる構想をノートに書き留めた。
単なる理念の断片 ──
「感情というバグを隔離し、論理だけを残す装置」
だが、俺の中に居座る仮面の幻への、対極の仮面としての意味を、俺は明確に意識し始めていた。
守る幻と、断つ現実。
何かを断ち切ると決めた刹那、俺は必ず低く呟くようになっていた ──
「そこまでだ」
それは、まだ誰に向けたものでもない、俺だけの合図だった。
だが、いつかこの言葉を、俺自身の中の幻に向けて叫ぶ日が来ることを、俺はまだ知らない。