鉄仮面の中のタキシード仮面 ~断罪者カロッゾ・ロナは、なぜか月の騎士の幻を見る~ 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
宇宙世紀0120年1月。
情動の利用という技術的愚行を目の当たりにした俺は、論理による支配を実現するための、最終的なプロセスへと移行していた。
巨大な実験装置の中、鉄仮面を装着し、俺の思考回路と直結させる。
「人類から情動という名のバグを排除するためには、まず、俺自身が論理の純粋な実行者とならねばならぬ」
それは、俺の中に居座り続ける、あの仮面の幻を、永遠に封じ込めるための儀式でもあった。
幻が守るための仮面をつけているなら、俺は断つための仮面を、その上から被る。
俺自身の顔の上に、2枚目の仮面を。
いざ神経同調のプロセスに入ると、予想外の抵抗が起こった。
オペレーターが焦燥の声を上げた。
「適合率、97パーセント。だが、生体情報に未解析のノイズ信号を確認。脳波に異常な振幅があります。過去の記憶、特に愛や絶望といった、強い情動の波です」
そのノイズが神経回路を駆け巡るたび、俺の全身に、肉体が引き裂かれるような激痛が走った。
激痛は、俺の過去の情動の記憶すべてを蘇らせる。
ナディアとの愛憎。
ベラの笑顔。
そして ── 幻の宮殿で微笑んでいた、あの白いドレスの姫君の妄想。
「くっ……これが……情動か……」
その激痛の頂点で、俺の視界に、あの男が現れた。
実験装置の湾曲したガラスに映った、俺自身のタキシード姿。
「やめておけ、カロッゾ。それを切除すれば、君は二度と、あの夢を見られなくなる。娘の温もりも、すべて失う。私を殺すな。私は君の、いちばん柔らかい部分だ」
それは、俺自身が俺に語りかける声だった。
俺は、激痛に耐えながら命じた。
「構わぬ。情動フィルタの出力を最大に上げろ」
「その負荷では、生体機能が停止します!」
「停止すれば、それは論理の敗北。俺は、論理の勝利を選び、このバグを自ら切除する」
俺は、自身の意志でフィルタの最大出力を承認した。
神経回路の接続が完了する直前、脳内で何かが焼け焦げるような、決定的な音が響いた。
激痛は一瞬で消え去った。
同時に、ナディアの顔も、ベラの笑顔も、姫君の妄想も、すべてが曖昧なデータへと変わり、認識の外へ追いやられた。
ガラスの向こうの仮面の男 ── 俺自身が、深く目を伏せたのが見えた。
「……そうか。だが、覚えておけ。切除したものは、消えたのではない。ただ、封じられただけだ。私は、君の奥底で眠りながら、待っている。君がもう一度、誰かを守りたいと願う、その日まで」
そう言い残し、幻は非常灯の赤い光の中へ溶けた。
「適合率、100パーセント。安定化。カロッゾ様、成功です」
俺の視界は、クリアになった。
すべての情報が、数字と計算式として、冷徹に処理される。
俺は、頭部の重い鉄の被り物に手を触れた。
「……これで、俺は論理となった」
鉄仮面は、かくして完成した。
だがそれは、俺という1人の男の顔の上に、2枚目の仮面が重ねられたにすぎなかった。
いちばん内側には、まだ、あの仮面の幻が眠っている。
この日を境に、俺の宣告には、必ず同じ一言が添えられるようになった。
「そこまでだ」
それは、脆い情動に飲まれた者へ下す最終判決の合図であり ── 同時に、俺自身の中で目覚めかける幻を、眠らせ続けるための呪文でもあった。