機動戦士ガンダム クロスボーン外伝 ~腐敗した宇宙を焼き尽くす者~ 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
宇宙世紀0121年。
サナリィ(S.N.R.I.)のF90は、連邦軍に実装され、いくつかの実戦でその有効性を示し始めていた。 だが、俺—鉄仮面—が収集したデータは、同時に明確な限界を示していた。
F90の反応速度、機動性、火力は理論値に迫る。 だがパイロットの処理能力には明確な天井があった。 高G持続時に生じる視界の歪み、情報過多による意思決定の遅延、そして戦闘終盤に見られる“情動的判断”――それらは定量化可能な現象としてログに刻まれている。
『人間がボトルネックだ』
と、端末は淡々と告げていた。
セリアは、その分析を見て、人間的な反応を示した。
『機体側のサポートを強化して、パイロットの負荷を下げるべきよ。 それは技術者として当然の答えだわ』
と彼女は言う。
だが俺は首を振った。
『思いやりは美しい。だがそれは技術の純度を汚す。 我々は“人間の限界”に寄せて機体を調整しているだけだ。根本的解は別にある』
俺の視点は冷徹だ。 パイロットの負荷軽減という対症療法は、長期的にはシステム全体を脆弱にする。 人間を前提にした設計は、情動という不確定要素を恒常的に温存するのだ。
サナリィ内部では、既に“サポート”だけでなく、もっと積極的な解が議論されていた。 それがバイオコンピュータの適用である。 人間の脳波や情動パターンを直接機体制御に組み込むことで、応答遅延を補い、限界を超える――その主張は技術書としてのロジックを持っていた。
F90のパイロットだったベルフ・スクレットや彼の一派は、その可能性を説いた。
『感応波を演算に取り込めば、機体とパイロットは真の意味で融合する。守るべき対象の存在が出力を押し上げるなら、それを利用すればいい』
――と。
それは魅力的だ。実際、データ上は一時的な性能上昇が観測された。だがその“倍率”は、予測不能な揺らぎを生む。 情動が与える付加値は、同時に暴走の火種でもある。
『確かに、利得は得られる。だがそれは非線形だ。ある閾値を越えれば急速に不安定化する。統計的に担保できない要素をシステムに入れるのは設計原理に反する』
と俺は主張した。
サナリィの技術者たちは熱論を交わす。だが技術的な議論の裏には、倫理と政治が横たわっている。 情動を活用することは強力だが、失敗したときの代償は計り知れない。連邦はそのリスクに怯えた。
俺はF90の戦闘ログを繰り返し解析した。 高負荷状態でパイロットが見せた“守る”という意思は、確かに出力を引き上げた。
だが同じ瞬間に、制御系の措定値が逸脱し、機体挙動が急峻に変化している。
それは“情動がトリガーとなって臨界を超える”という定性的な説明だけでは済まない、一つの現象だった。
『それは検証可能な危険だ』と俺は結論した。
セリアはそれでも懸念を示す。
『でももし我々がその利得を使いこなせれば、被害を減らせる場面だってあるはずよ。人を切り捨てるのではなく、技術で補償するのが使命じゃないの?』
彼女の問いは、技術者としての温度を含んでいる。 俺はそれを論理的に分解する。
『補償というのは、根源的解ではない。パッチワークだ。 我々が求めるのは再現性と安定性だ。確率モデルで担保できない利得は、設計に紛れ込む爆薬だ』
だがサナリィの一部は情熱に突き動かされていた。 ベルフは、可能性の火を消すことなく、安全回路の多重化で応じようとした。 彼らの提案は技術的には成立する余地がある。だが“誰が最後のスイッチを握るのか”という根源的な問いが残る。
もし人間が判断するなら、情動が判断を歪める。もし自動化するなら、その自動化が絶対に信頼できるという前提が必要だが、完璧な自動化など存在しない。
その穴を埋めるため、連邦は規制の論理に傾倒した。 研究は表向きに継続するが、倫理委はバイオコンピュータの運用基準を厳格化し、最悪のケースを前提とした“封印”を推進した。
俺はその流れを見て、皮肉めいた満足を覚えた。 俺の断罪は、純粋な論理から導かれた結論だ。情動を禁忌とする規範が形成されつつあることは、結果的に技術の安定を促すだろう。
しかし、事実は複雑だ。 実戦での必要性と技術的欲求の間で、多くの者が揺れている。 F90は小型化の成功を証明した一方で、人間という要素の限界をも顕在化させたのだ。
俺は、自分の計算を進める。パイロットを前提にした性能向上と、パイロットを排除する方法――二つの道が並存するこの段階で、どちらを採るかは、戦略的な選択というよりも文化的な決断だ。
その夜、ベラが眠っている寝室の前で足を止めた。 幼い顔は穏やかだ。 だが俺は知っている。彼女の内側には、既に“残滓”が残っていることを。
『情動は、削り落とせる』と俺は自分を説得する。『だがそれには装置が必要だ。倫理も情も、物理的に隔離するための装置――鉄仮面だ』
UC0121。F90の限界は、単なる性能問題ではなく、社会と倫理と技術の境界線を引き直す触媒となる。 この年の議論と決断が、後にF91の封印と、俺のラフレシア計画へと直結していった。
だが、ここで一つ覚えておかなければならない。 技術は常に可能性を孕む。誰かが「使える」と信じれば、それは現実になる。だからこそ、我々の選択は致命的だ。
俺は端末の画面を閉じた。次の計算へと戻るために。