さんにんぐらし!   作:歩輪路

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アバターボディの完成。
かぐや復活ライブの成功。
思い描いていた未来の殆どを手にした今、彩葉が次に取り掛かるべきは一つだった。
ただしそれには、母との対決が避けて通れなかった。


短編集としてシリーズにまとめていますが、特に前話以前を読んでいる必要はありません。単話でお読み頂けます。


かぐやの嫁入り

「――あんたがそんなままごと好きやったとは知らなんだわ」

 

 電話越しの言葉に思わず血が上り、立ち眩みになりかけた。

 反射的に怒鳴りそうになったが、深く息を吸うことで抑える。

 

「ちゃんと報告はしましたので。それでは」

 

 意識して標準語で返し、電話を切った。

 

 東京に出てから随分と長くなったが、同じく東京の長い兄は別としても、母や祖父母と話す時は故郷の言葉を使うようにしている。家族だから。

 けれどだからこそ、今は。

 

 隣には心配そうな顔でこちらを見守るかぐや。

 そんな顔させたくなかったのにな。

 勿論すんなり行くとは最初から思っていなかったんだけど。

 

◇◇◇◇◇◇

 

 事の始まりとしては、かぐやが帰ってきてからのアレコレに軒並み片が付いたのがきっかけだった。

 

 味覚をはじめ、アバターボディにまつわるあれこれの課題もひとまずはなんとかなった。改善したいことはまだまだあるが、かぐやもヤチヨも日常生活で困ることはなくなったと言っていい。

 懸案事項だった宇宙船『もと光る竹』の処分と、それと同時に行われたツクヨミからアマテラスへのリニューアルも恙なく終わった。

 未来に向けた宿題はまだ残っているが、それは長い時間をかけて解いていくものだ。

 

 あの日、私が選んだ未来は概ね掴めたと言っていい。

 そうして開いた祝賀会で「そういえばそろそろ彩葉と出会った日だねー」とかぐやが零した。

 

 別に記念日を一つにまとめる必要はないと思う。お祝い事は何回もやったほうが楽しいし。

 でも『その日』にこれ以上相応しい日があるか? と自問すると、他に候補は見つからなかった。

 

 一度そう思ってしまうと、ここを逃したら下手すると一年先か? みたいな焦りも出る。それまでにかぐやから催促されそうだし。

 なんて、これは言い訳だな。私自身、来年まで我慢できるか自信がなかった。

 

 そんなわけで、ちょうどかぐやを拾った日に指輪を送ることにした。

 生活費の折半はもうとっくにしていたわけだし。

 

 受け取ったかぐやの反応といえば――いや、やめておこう。

 逆に私が恥ずかしくなるくらいだったからね。

 私も大概恥ずかしいことをしたし言った気もするが、絶対誰にも言わないよう口止めしたのでセーフ。

 

 そんなわけで、つけた指輪もそろそろ馴染んできたかなという程度の日数が経ったある日のこと。

 

「ねー、彩葉。お母さんには言うの?」

 

 あれから毎日、暇があれば飽きずにずっと指輪を眺めているかぐやだったが、今は真っすぐこちらを見ていた。目的語がない問いだったが、何のことかくらいは明白だ。

 

「お母さんかー……」

 

 もちろん考えていなかったわけじゃない。

 家族に対してちゃんと紹介したいという気持ちはあるし、なによりかぐやが誰はばかることなく堂々といられるようにしてあげたい。

 法律とか戸籍とかそもそも宇宙人なこととか、私に解決できないことはあるけれどせめて家族の中でくらいは。

 

 でも家族に、特に母に打ち明けることでかぐやを傷つける結果となる可能性も低くはない。

 最近はお互い適度な距離が取れてるとはいえ、母は二つの考えがぶつかった時、強い方が弱い方を踏み越えていくものだと思っているところがある。

 

「あのね、別にかぐやはどっちでもオッケーだよ。お母さんに言っても言わなくても」

 

 おっと、心を読まれたか。

 最近は特に以心伝心というか、言葉にせずとも伝わるところがある。

 それはもちろん、私からかぐやへの一方通行ではなく双方向だ。

 なので、かぐやが本当のところどうしたいかくらいは私にもわかる。

 

「次の週末あたり電話しよっか」

 

 どう話すか、伝え方を考えないとな。

 嬉しさを隠せていない彼女の表情を見ながら、この笑顔だけは守らなきゃという想いを改めて強くした。

 

◇◇◇◇◇◇

 

「全部言うのはやめとけ」

 

 見たことないくらい真面目な表情で、兄は簡潔に言った。

 

 先般の報告の時は勿論かぐやを加えた三人だったが、今日は私と兄だけだ。

 レストランの個室が殊更広く感じる。

 ちょうどいいタイミングで兄から食事の誘いがあったので、これ幸いと母にどう伝えるか相談してみたわけだ。

 

 最近は殊更、誰と会うのにも付いてきたがるかぐやだが、今日は自分から留守番をすると言い出した。『配信予定が』なんて言ってはいたが、私から兄への相談があるのを察して二人にしてくれたというあたりだろう。

 

 先日は我が事のように喜び祝福してくれた兄だが、今日の相談内容については渋い顔。真っ先に出ていてもおかしくない話題だったので、前回兄が何も言わなかったのはかぐやを慮っての事だと見える。

 

「母さんは人の話を聞けない人じゃない。だからって宇宙人だのアバターボディだのの話を受け止められるほど柔らかい人でもない。知ってるだろ」

 

 そりゃそうだ。

 というか改めてそう言われると、月から来たってことをあっさり信じて受け止めたこの兄すげーな。

 

「そうなんだよね。……そうなんだけど、隠し事させたくないって気持ちもあるんだよね」

 

 家族だからって何から何まで全て打ち明ける必要があるとまでは思っていない。

 あえて言わない方がお互いにとって丁度いいことだってあるだろう。

 とはいえ、隠し事は少ないに越したことはない。

 

「――『したくない』じゃなくて『させたくない』か」

 

 食後のコーヒーカップを揺らしながら、その波紋でも見るかのように兄の視線は落ちている。

 

「いや、俺もな。いいかげん受け流すだけじゃなく、母さんとちゃんと話をしようかと思ったりもするんだ」

「……乃依くんのこと?」

「ああ。乃依は『めんどくさいからいいよ、マジで』って言うんだけどな」

 

 言いそう。心から言ってそう。

 

「でも、俺は隠し事とかしたくないって思うんだよな」

 

 ツクヨミではあんな俺様キャラをやっている割に、この人の本質は子供の頃から変わらずクソがつくほどの真面目だ。いや、ツクヨミでだって『真面目に』やっているのだろう。

 

「って言ったら乃依には『好きにすればいいんじゃない?』って心底どうでもよさそうにあしらわれたんだが」

 

 兄、空回ってないか。

 相談に乗ってもらうつもりだったのに、私の方が相談に乗ってあげたほうがいい気がしてきた。

 

「まあでもなんか、お前は俺より先まで行ってるみたいだし。さっきはああ言ったけど、好きにすればいいさ」

 どうでもよくはなさそうに、兄は言った。

 

「最悪、母さんと喧嘩する時の加勢くらいはしてやる」

 

 兄より先に行っている、と言われてもそんな自覚はないんだが。

 ともあれ、たとえ誰が敵になっても兄は味方でいてくれるだろう。

 母に向かって一歩進む背が、支えられた気がした。

 

◇◇◇◇◇◇

 

 かぐやとの約束通り週末、母に電話することにした。

 対面で報告することも考えたが、いきなり行って会ってくれるかは微妙だ。単純に母が多忙だというのもある。

 

 そうして迎えた土曜日の朝。

 かぐやは殊更早起きで、朝から気合の入った朝食を用意してくれた。

 何も言ってなかったけれど、彼女流のエールだってわかってる。

 

 ごはんも食べ終え、時計が9時ぴったりを指したタイミング。

 電話帳から母を探し通話ボタンをタップする。

 

 ――呼び出し音が続く。

 この呼び出している時間が苦手だ。

 母への苦手意識が消え切っていないせいだろう。繋がらなければ楽なのに、という想いがほんの少し頭を過る。

 

 緊張のせいか、うっかり出てしまったゲップからは朝食で食べた鮭の後味がした。

 あれは美味しかった。

 そう思うと、頑張らなきゃという気持ちが湧いてきて弱気を塗りつぶしてくれる。

 

 そのまま数秒の後。

 

「はい。もしもし」

「……お母さん?あんな、大事な話があって電話してんねん」

「せやろな。あんたから電話してくるくらいやし、そら大事な用事なんやろ」

 

 のっけからこれだ。これでも慣れた方だが、母との電話は一言一言が斬り合いのよう。

 

「で、どうしたんや。あんたも暇じゃないんやろ」

「うん。……今度な、会ってほしい人おるねん。挨拶、行きたい」

「――――」

 

 おお。母が黙り込むのなんて初めてじゃないか?

 問題は、その後何が飛んでくるかなのだが。

 

「――そうか。わかった、いつ来るつもりや。早めに言ってくれんと時間も空けられんよ」

 

 ここまでは普通の親子の会話だろう。

 ここで打ち切るという選択肢もなくはない。

 後は対面で勝負するという作戦だ。

 

 ただ、その場合の母の反応は読めない。

 最悪、母の刀のような言葉がかぐやに向く可能性すらある。

 なので私は間合いの外、電波越しにジャブを打つことにした。

 

「あんな。連れていきたい子、女の子やねん」

「…………は?」

 

 黙り込むのが初めてならば、母が呆気にとられるのも初めてだ。

 

「いや、あんたな――」

「大事な人なんよ」

 

 母の言葉に被せたのも初めて。今日は初めて尽くしだな。

 そんなどうでもいいことを考える。

 

「大事な人を、紹介したい」

 

 思わずスマホを握りしめる手に力が入っていた。

 

 数秒か、もしくは数十秒か。

 間違えて電話が切れてしまったんじゃないか、そんな静寂の後で。

 

「あんた、この時間でもまだ寝ぼけとるんか」

 母の声は寒々としていた。

 

「同性での結婚が認められてるかどうかくらいニュースの一つも見てれば知ってるやろ。別にあんたが誰と恋愛しようとあんたの勝手や。けどな、結婚ともなれば色眼鏡で見られるのはあんただけやない、相手の子もや。法律も守ってくれんのにどうやってその子とあんた自身を守る言うんえ」

 

 私が打ったジャブに、母は全力のカウンターパンチを返してきた。

 一発どころではない。二発三発と、相手が倒れるまで手を止めないのが母だ。

 

「子供も出来ん、法律も守ってくれん、周りからは揶揄される。そんな中でどうやって家庭が築けるいうんや。熱に浮かされてるうちはいい。けど10年も20年も、繋ぎとめてくれる確かなものもないそんな中で相手とあんた、手繋いだままでおれるんか」

 

 母の激流のような言葉は、言い返そうという気力すら洗い流してしまうようだった。

 

「結婚なんて言ってみても自分のことも相手のことも守れん。そういうのはな、おままごとや。公園で泥団子作って、お人形さんの赤ん坊をあやすのもええやろ。けどおままごとっちゅうのはお迎えが来たらバイバイせんならん。あんたがそんなままごと好きやったとは知らなんだわ」

 

 言いたいことがあるなら言ってみい。

 そう結んで、母の言葉がようやく止まる。

 

 私は怒鳴らないようにするのが精いっぱいで、母とそれ以上の相互理解を諦めた。

 そうしてこの不毛な時間は終了した。

 

 スピーカーモードにしていなくてよかった。かぐやに母の言葉を聞かさずに済んだから。

 それでも私の表情と捨て台詞から、うまくいかなかったことはバレバレだっただろう。

 母の言葉よりも、心配そうなかぐやの顔を見るのが苦しかった。

 ああくそ。平気な顔を出来ない私に腹が立つ。

 

◇◇◇◇◇◇

 

 せっかくの休みだけれど、もうクタクタで何もする気になれない。

 事前に話をしていた兄からは昼頃に一度「どうだった?」とメッセージが飛んできたが「無理」とだけ返す。

 かぐやは何を聞くこともせず、一日中私の背を抱いてくれていた。

 

「彩葉、頑張ってくれてありがとうね」

 

 そうやって慰めるかぐやの声が優しく、だからこそうまく言い返せなかった自分への苛立ちはいつまでも呑み込めなかった。

 

 その晩、一度かぐやと布団に入った後もうまく寝付けず、ベランダで風に当たる。

 高層階のベランダは風が強くむしろ眠気覚ましになってしまうくらいだったが、考えことをするにはちょうどいい。

 

 自分の中の怒りはいい。

 母と分かり合えない失望も許せる。

 ただ、かぐやにあんな心配そうな顔はさせたくなかった。

 

『どうやってその子とあんた自身を守るんや』

 

 ゲームの様に倒せる敵が目の前にいるならいい。

 けどそうじゃない。

 母は、私の中に確かにある不安を切開していった。

 

 大きくため息をついているとふと、握っていたスマホが点灯した。

 ちょっと家の中を移動するだけでもスマホを持ち歩いてしまうのは悪い癖だ。

 

 さておき、点灯したスマホの画面上には。

 

「ヤッチョのAIお悩み相談~! なんでも話してね!」

 

 何年も前にサービス終了したはずのアプリが立ち上がっていた。

 

「……いや、ていうかリアルヤチヨでしょ」

 

 見た目はかつてのアプリにそっくりだが、さすがに映っているヤチヨが本物かどうかくらい分かるよ。一緒に暮らしてるんだしさ。

 

「まあまあ、今日一日限りの復活サービスってことでさ。なんでも話してね!」

 

 力業で押し切ってくる。

 ついつい笑ってしまった。ほんと、どんなにしんどい時でもこれだからヤチヨはすごい。

 

「ヤチヨ、今日は一日向こう(アマテラス)だったけどかぐやから聞いてたりする?」

「なーんにも。でもまあ彩葉の様子見れば大体想像はつくかなあ」

 

 今日、母親にかぐやのことで電話するとはヤチヨにも言ってあった。

 邪魔にならないよう今日は向こうで過ごすね! なんて言ってたけど、私のしょぼくれた顔を見ればどういう結果になったかくらいはお見通しだよね。

 

「どうやってかぐやや私自身を守るんだ、って。それも出来ないのはおままごとだ、って言われちゃった」

 

 返事はなかった。

 アプリの中、フリーズしてしまったかのようにヤチヨは微動だにしない。

 本当になにかトラブルでもあったのかと心配になったあたりで、背後に人の気配を感じた。頭を撫でる手の感触。

 

「――よしよし。ああ、やっぱりこうやって直接撫でられるのって嬉しいね」

 

 ヤチヨの声。

 ツクヨミからアバターボディに戻って、こうして目の前まで来てくれたらしい。

 

「彩葉、よく頑張ったね。まずはちゃんとお母さんと話せたことに花丸あげちゃう!」

「ちゃんとなんて……。言われっぱなしで、かぐやにも心配かけて」

 

 アプリの画面を見たからだろうか。こうしていると、布団の中でヤチヨに悩みを聞いてもらっていた子供の頃に戻ったような気持ちになってしまう。もっと昔には押し入れの暗闇の中、スマホを握りしめていたこともあった。

 

「心配なんてそりゃするでしょ。でもそういうのも嬉しいもんだと思うよ。私はこうして彩葉の悩みを聞けるの、すごく嬉しいもん」

「でも私、かぐやには苦しい思いしてほしくない。辛いのも、悲しいのも、不安なのも、全部」

 

 なのに、お前じゃ守れないと切り捨てられた。

 事実、彼女にあんな顔をさせてしまった。

 

 私が弱いからだろうか。

 頑張って走ってきたつもりだった。

 母の様にはなれなくても、大事なものくらいは守れるように。

 色んな事を叶えたつもりだったのに、肝心なところでは足りていないのだろうか。

 

 高校生の頃の私じゃないんだ。そんな弱気でどうする。

 そう思う一方で母の言葉に揺らぐ弱い私が、いまだ私の中にいた。

 

「なんで彩葉は、そんなに一人で頑張らないといけないの?」

 

 驚いて思わずヤチヨの顔を見る。その声は、かぐやそっくりだった。

 

「かぐやの真似ー。似てた? 言ったでしょ、ずーっと昔」

 

 とっておきのいたずらが成功したように笑うヤチヨの顔は、かぐやのそれにそっくりだった。

 

「彩葉がかぐやの事を守りたいって思うように、かぐやだって彩葉のこと守りたいって思ってるよ。きっと、ずっとね」

 

 知ってる。分かってる。

 でも私は。

 

「喜びは二倍に、悲しみは半分にってよく言うよね。彩葉のお母さんは一人で全部抱えきれる人だったのかもしれない。抱えなきゃいけなかったのかもしれない。でもね、彩葉がかぐやの隣にいるって決めたなら、やっぱり二人で抱えればいいんだよ。ゲームだって、横で見てるだけじゃ勝っても一緒に喜べないでしょ」

 

 ヤッチョはゲームの養殖否定派なのです!と変な締め方で、ヤチヨは笑う。

 

「二人掛かりでもいいってこと?」

「そうそう。何なら三人掛かりでも四人掛かりでもいいんだよ。みんなでやれば負けたって楽しいものでしょ?」

 

 ま、夫婦ならまずはペアプレイからだけどねーとからかってヤチヨは踵を返す。

 お悩み相談はこれで十分、そういうことなのだろう。

 

「……ありがとね、ヤチヨ」

「どういたしまして。パーティに乱入が必要なら、いつでも言ってくれればヤチヨも駆け付けるからさ!」

 

 最後まで変な例えに苦笑する。

 とはいえ、こんなのは二人で挑む最初のクエストだ。これくらいは二人でクリアしてみせたい。一人じゃ無理でもね。

 

「あ、そういえば関係ないんだけど一個気になったことが」

「なんだい?」

 

 振り返るヤチヨに。

「あのお悩み相談さ、実はヤチヨ本人が回答してたとかないよね?」

 

 ――ぴしり、と。笑顔の固まる音が聞こえた気がした。

 

 いや、本当に不意に思っただけなのだけど。

 この10年ヤチヨと共に色んな研究を進め、アマテラスへのリニューアルも行った。その経験から振り返って思うに、あのアプリはいくらなんでも高機能すぎた。

 ずっと昔に一度話したきりの事も憶えている、その程度はいいとしても、全部見てたのかってくらい状況を理解して答えてくれていた。

 アプリを立ち上げただけで、こちらが見えているかのように顔色を心配してくれたり。カメラ映像から自動判定でもしてるのかな、なんて当時はボンヤリ思っていたけれどそれにしても。そのくせ、そんな高機能ぶりに対する評判は聞いた憶えがない。

 

「あー。実はまだアマテラスでのお仕事残してたんだよね。ごめん、今日はこの辺で!」

 

 ヤチヨ?

 ヤチヨさん?

 

 脱兎のごとくとはまさにこれ。兎はかぐやのシンボルなのだけど。

 自分の部屋に駆けこんでいくヤチヨを見送り、私も寝室に戻る。

 

 かぐやを起こさないよう静かに布団に潜り込むと、彼女を軽く抱き寄せる。

 

 ――結構強敵だけど、一緒に戦ってくれる?

 

 声にはしなかったけれど無意識でか、眠るかぐやから抱き返される。

 腕の中の温もりが眠気を誘い、あっという間に意識を手放した。

 

 

 一夜明けて翌日。短いメっセージが届いた。

 

『来週の日曜日なら空けられます。二人で来ること』

 

 母からだった。

 

「どういうつもりだ……?」

 

 おびき寄せてから二人まとめて切り捨てるつもりか?

 いや、母の性格からしてそういうだまし討ちはしないだろう。するなら門前払いだ。

 

 昨日の会話の後でこうなる意図が読めず判断に迷う。

 ……迷ったら相談だな。私たちはパーティーなんだ。

 

 「かぐや、こんなの来たんだけど」

 

 どうしよう? という問いに、間髪入れず返事が来た。

 

「行く!」

 

 あんたならそう言うよね、やっぱり。

 まあ昨日のあんな顔と違って楽しそうだからいいか。

 

 そんなわけで。

 初めての共同作業は母への殴りこみとなった。

 

◇◇◇◇◇◇

 

 立川から京都へは3時間ほど。

 かぐやをこっちに連れてくるのは初めてだ。

 普通こういうシチュエーションだと、片方は緊張しているのが定番であろうが。

 

「彩葉見て! 階段凄くね!?」

「ああもう、危ないから走らないの……!」

 

 こいつにそういう情緒を求めるだけ無駄だろう。

 修学旅行中の子供でももう少しは大人しいってくらいはしゃいでいる。

 実は京都に来てみたかっただけじゃないだろうな。

 

 とは言いつつも、はしゃぎ回るかぐやの手には母へのお土産が握られている。

 特に何を言ったわけでもないのだが、かぐやの方で選んで用意してくれたらしい。

 

 チョイスは完全にかぐや任せだが、流石に母もお土産にケチをつけるようなことはすまい。

 万一そんなことがあったら、お土産を顔面に叩きつけてUターンだ。

 

 ……いかんいかん、つい喧嘩腰になってしまっている。

 相手の態度次第で席を立つ気なのは確かだが、最初から喧嘩腰では上手くいくものもいくまい。

 

 泊まりでもないので荷物は最小限のハンドバックくらいだ。母との約束の時間まで余裕もあるので、時間潰しがてら徒歩で向かうことにする。

 実家は京都駅からほど近く、中学生の頃も駅までは徒歩で通ったものだ。

 

「寺めっちゃでか!むしろ城?」

「城ではないだろ……」

 

 中三の冬に上京し、それから里帰りすることは一度もなかった。

 祖父母には申し訳ないと思ったが、帰れば母との対面を避けられないのが分かっていたからだ。

 高校を卒業する頃に関係性は幾分改善したものの、傍にいないのがお互いにとって最適な距離感なのだという気持ちは強く、やはり帰ろうとは思えなかった。

 この10年、やることが目の前にいっぱいでそれどころじゃなかったというのもある。

 とはいえ、この街の景色はさほども変わっていなかった。

 

「彩葉も子供の頃こころへん歩いたの?」

「うん。自転車とかより歩いたほうが早かったしね」

 

 そっかあ、と何が嬉しいやらクルクル踊るように回るかぐや。

 私にとっては何の変哲もない風景なんだけど、彼女には価値がある物に見えたんだろうか。

 

 体に染みついた記憶というのは凄いもので、そんなかぐやの様子を見ながら半分無意識で歩いていても、自然と足は実家のあるマンションに向かっていた。

 

「ここ?」

 

 確認の声に頷いて、足を止める。

 立川のマンションに比べれば地味ではあるが、久々の実家マンションはエントランスも綺麗に磨き上げられていて経年をあまり感じさせない。

 こんなのは私の気持ちの問題だとわかっているのだけど、生活感をあまり感じさせないソツのなさが、今は私を異物として拒んでいるような気さえした。

 

 エントランスの階段を昇ればすぐにインターフォンだ。

 その前に言っておくことがある。

 

「あのね。知ってるだろうけど、うちのお母さん難しい人だから」

「うん」

「嫌なことも言われるかも」

「お前に娘はやらん! とか?」

「それは言わないだろうけど……。嫌なこととか、我慢なんてしなくていいから。私は絶対どんな時でもかぐやの味方だから」

 

 指輪まで送っておいて今更言うことでもないけれど、改めてきちんと口にする。

 誰が相手でも、どんな時でも一番の味方でいる。

 一人と一人が二人であるための、当たり前のこと。

 

「いやー、かぐや愛されちゃってますなあ」

 

 当の相手はというと、頬に手を当てクネクネと体を揺らしている。

 私としてはこれから真剣勝負に挑むくらいの気持ちだったのだが、かぐやの方はといえば殊の外気楽だ。

 

「もちろんかぐやも彩葉の味方だから! でもさ、彩葉。別にお母さんも敵じゃないでしょ?」

 

 ……そうだといいなとは思う。

 けれど、どうだろう。あの人がかぐやを傷つけないか、正直私は怖い。

 

 私の不安を見てとったか、かぐやは指輪の嵌った手を絡めてきた。

 

「だいじょーぶだよ。かぐや、彩葉と一緒だと無敵だから。――でもへこんだら後でいっぱいナデナデしてね!」

 

 本当、何の不安もないように言う。

 前払いとしてではなく、ただそうしたくて頭を撫でた。

 

「んじゃ行こっか」

 

 もう一度手を握り直して、階段を上る。

 インターフォンを押す指に、震えはなかった。

 

◇◇◇◇◇◇

 

「何をいつまで突っ立ってるんや。面接でもあるまいし、お座りくださいなんて言わんでも座れるやろ」

 

 家に通され、リビングまで移動したところでの第一声がこれだ。

 先が思いやられる。

 

 じゃ失礼しまーすと、気にする風もないかぐやの様子が救いだ。

 努めて感情を消して、私も席に着く。

 

「これ、お口に合うと嬉しいのですが」

 どことなくたどたどしい口調でかぐやが手土産を差し出した。

 対する母は。

 

「……お気遣いなく」

 ちらとも見ずに、受け取った手土産をテーブルの脇に寄せる。

 私たちと母のちょうど中間の位置。

 

 母の意思表示のようでもあるが、そんなことをいちいち気にしていても話が進まない。

 テーブルの下でかぐやの手を握り、その感触を頼りに切り出すことにした。

 

「こちらかぐや。月見(つきみ)かぐや。私が結婚する人」

 したい、ではなく、する。ここを譲る気はなかった。

 

月見(つきみ)、かぐやです。はじめまして」

 ぺこりと頭を下げたかぐやの髪が横に流れ、腕を撫でる。

 

月見(つきみ)さん。月にかぐや、とはまた珍しいお名前で」

 

 母は一瞬怪訝そうな顔をしたものの、それ以上は突っ込んでこなかった。

 変わった名前にもそれぞれの家庭の事情や想いがある。

 家族というものに対して苦労した母は、そこを無遠慮に掻き荒らす人ではなかった。

 

 さすがに苗字がないと不審がられる。

 とは言えフライングで酒寄を名乗らせるわけにもいかない。

 そこでヤチヨの了解を貰って、今だけ月見(つきみ)を名乗ることにしていた。月見(るなみ)では先鋭的すぎて流石に母も突っ込みそうだったし。

 

「で、彩葉。その月見さんがあんたが結婚『する』人やと」

 

 私の言葉を繰り返す母に、黙って頷く。

 

「月見さん、あんたも彩葉と結婚『する』って言うんか?」

 

 放たれる言葉には一切の温度がない。

 母の言葉や視線がかぐやに向く度、彼女の前に立って代わりに受け止めたくなる、けれど。

 

『なんで彩葉は、そんなに一人で頑張らないといけないの?』

 

 1週間前と10年前、二度同じ言葉を聞いた。

 だから今は前ではなく隣で、その手を握る。

 母の問いに、はいと静かに答えるかぐやの手には何の力みもなく、優しくこちらを握り返していた。

 

 母は、そうですかと呟いて目を閉じた後。

 

「好きにすればええ」

 

 そう、短く告げた。

 

 隣からかぐやの喜ぶ雰囲気が伝わってくる。けれど私の気持ちに高揚はない。

 母の表情、母の声音。こういう時はまだ続きがあると経験上知っているからだ。

 

「――ただし、私は認めんよ」

 

 あらかじめ予想していた中にある言葉ではあった。

 けれど意外なほど、心が冷えていくのを感じた。

 冷静に諦めている自分とは別に、どこかで母に認められることを期待していた自分がいたらしい。

 

「なんで、ですか」

 

 半分自動的に口を動かした。

 

「この前言うたのが全てや。あんたらのはただのままごと。そんなもん、よう認めるかいな。でもあんたらは『する』って言うんやろ。どうぞお好きに、以外言うことあるかいな」

 

 不思議と、前回のような怒りはない。

 ただ落胆だけがあった。

 

「……そう。残念です」

 

 激しくやり合うことは覚悟していた。

 怒鳴られることも、怒鳴ることも。たとえ頬を張られても一歩も引かないつもりだった。

 けれど分かり合うことすら拒絶された。

 

 こういう展開も想定していなかったわけじゃない。

 ただ、そうならなければいいなと思っていた。

 

「――わかりました。お邪魔しました」

 

 さようならと言うか迷い、飲み込んだ。

 きっとこれが親子としての最後の会話になる。

 よしんば今後言葉を交わす機会があったとしても、それは酒寄彩葉と酒寄紅葉の間における事務手続きにしかならないだろう。

 言おうが言うまいが何も変わらないとしても、最後の言葉を『さようなら』にしたくない気持ちは、まだあった。

 

 行こう、とかぐやに声をかけて立ち上がろうとする。

 だが。

 繋いだ手が強く引かれた。

 思わずつんのめり、かぐやの胸元に抱かれる形になる。

 

「ちょっとかぐ――」

「諦めちゃだめだよ」

 

 胸元から見上げたかぐやの目は、真っすぐ私を見ていた。

 

「なんで彩葉ここまで来たの? お母さんに認めてほしかったからでしょ? なのに諦めちゃったら彩葉絶対後悔するよ」

 

 黙り込んだ私の背に、母から笑い交じりの声がかかる。

 

「なんや、月見さんの方がよほど根性あるやないか。帰ったら爪の垢でも煎じて貰いよし」

 

 かぐやを引き合いに出されたせいか、殊更イラっとした。

 本当、この人はどうしてこういう言い方しかできないのか。

 

 椅子に座り直す。

 

「なんや、帰るんやなかったん」

 

 煽られたからじゃない。あくまでかぐやに言われたからだ。

 

「帰ってもよかったんやけど。私が根性なしならお母さんは根性曲がりや。いいかげん叩きなおしてやるんも娘の仕事かと思うてな」

 

 おおお、と隣でかぐやが盛り上がっている。

 そして母は、今日初めて笑った。

 

「ええやん。ベソかいてる子供の頭をはたくのもさすがに気兼ねしとったところや」

 

 ようやく泣き止んでくれてホッとしたわ、と大仰に言ってのけ。

「んじゃ、あんたに叩きなおせるもんかせいぜい見せてもらおか」

 

 母との殴り合いが、ようやく始まった。

 

 殴り合いの場は多岐にわたった。

 法律の壁、世間の視線、子供というかすがいを持てないこと。

 社会的な信用、手探りの未来設計。

 

 母の言葉はいつも正しい。

 けれど、だからなんだ。

 正しさなんて一つじゃない。二つの正しさがぶつかった時、どちらかだけが残るわけじゃない。

 

「埒が明かんな」

 

 そう零した母の向こう、ふと時計に目をやれば口論は一時間を超えていた。

 私たちの会話はどこまでも平行線だった。

 

「あんたなりに真剣なのは分かった。けどそれだけや。ぶつかる壁に対して何の解決策も持ってない」

 

 それは。

 いや、確かにそうだけど。

 

「あんたはあんた自身の未来に責任が持てるんか? 隣の子の分は? そんなんで幸せになれる、ってどうやってわかる言うの」

 

 この10年、必死に走ってきた。

 もう一度会いたくて。

 彼女たちに渡したいものがあって。

 けれど煌びやかに光る未来図に背を押されただけじゃない。

 辿り着けないかもしれないという恐怖も確かに私の中にあり、追われるように走り続けた。

 

 未来への不安は今もある。

 その不安が一瞬、私の口を動かなくした。

 それを。

 

「そんなんわかるわけないじゃん?」

 

 かぐやが切って捨てた。

 

「喧嘩するだろうし、浮気……はかぐやは絶対しないけど彩葉はちょっと怪しいし」

 

 おい。

 

「先の事なんてわかんないから、ずっと相手の事を好きでいられるよう、好きでいてもらえるよう二人で頑張るんでしょ。別に今がゴールじゃないんだから」

 

 母に向いていた視線は、徐々に私の方に。

 視線と共に、言葉も。

 

「てか、別にかぐやの未来、全部彩葉に責任取ってもらおうとか思わないし。彩葉とかぐやで、自分と相手を半分ずつ幸せにすればよくない?」

 

 ね? とこちらを向いて笑いかけてくる。

 

 自分を半分幸せにして、相手を半分幸せにする。

 ……なんだ、それだけでいいのか。

 

 まったく、何度言われてもすぐソロプレイに走るのは私の悪癖だ。

 反省、いや猛省が必要だな。

 手を繋いでいるのに一人で走り回ったんじゃ、お互いがただの重りになってしまう。

 

 かぐやの手を握り直し、母にもう一度向き合う。

 

「ずっと幸せかなんてわかんないよ。でも、そうあろうとすることは出来る。かぐやとなら、きっとずっと」

「そうそう。彩葉とかぐやなら絶対大丈夫! 彩葉の事、信じてあげて」

 

 私のきっとを、かぐやの絶対が塗りつぶしていく。

 なので、私も言いなおした。

 

「絶対、ずっと」

 

 母は訝しげな顔をしていた。

 何の根拠も論理もない私の回答に呆れたのだろうか。

 いや、どちらかというとかぐやの発言に反応していたように見えたが。

 

 軽く首を振って、母は表情を改めた。

 怒りでも呆れでもない、いつもの母だ。

 

「なるほど。あんたらの言い分は分かった。もうええやろ」

「お母さん!」

 

 ダメなのか。

 母と私たちはどうあっても交わらないのだろうか。

 

「早合点するんやない。もうええ、というのはあんたとの会話だけや。何年親やっとると思っとるんや。あんたのことはいい加減わかっとる」

 

 ずっとお構いもせず失礼したわな、と軽く頭を下げ。

 

「月見さん、二人でちょっと話そうか。あんたのことも教えて欲しい」

 

◇◇◇◇◇◇

 

 誰も取って食ったりはしないと言っているのに。

 

 二人で話をさせろと言っただけで彩葉の騒ぎようと言ったらまあ。

 一方で肝心の相手は落ち着いたもので、騒ぐ彩葉をあっさり宥めた。

 見ようによっては手玉に取られているという感じで、違った意味で心配になってくる。

 

「出たところ、一本向こうに喫茶店あるやろ。あそこで時間でも潰しとき」

 

 不承不承という感じで、ようやく彩葉が出て行った。

 去り際、なにやらごにょごにょと耳打ちしていたが、大方虐められたら逃げてこいとかそんなところだろう。心配性なことだ。

 

 一方、目の前の子は堂々としたものだった。

 普通、結婚を歓迎してもくれない相手方の親なんて一緒に居たいものでもないだろうに。

 そういう度胸は嫌いじゃない。なので少しだけ踏み込むことにした。

 

「月見さん。月見かぐやさん。面倒やから、かぐやでええか?」

「はい。そっちの方がしっくりくる…来ますから」

「そうか。あんたも気楽に喋り」

「え、ほんと?」

「ああ。その代わり私もあんたを他所の子やと思って気は使わん。――ええやんな?」

 

 少しだけ声に力を籠める。

 子供の頃の彩葉だとこれだけで言い返せなくなってしまい、もどかしく思ったものだ。

 けれどかぐやは。

 

「それって『もううちの子』ってこと?」

「んなわけあるかいな」

 

 反射的に言い返してしまった。

 朝日とはまた違うタイプだが、どうにもつかみどころのない子だ。

 

「探り合いは好きやないし、率直に言おうか。正直な、半分は認めてもいいと思っとる」

「ほんと!?」

「半分な」

 

 自分に向かって彩葉があれだけ意地を貫いて見せたのは驚きだった。

 ああも言い返せるならば、まあなんとかなるだろう。

 この先上手くいくかどうかは知らないが、たとえ上手くいかなかったとしても這いつくばらずに立ち上がれる。そう信じてもいい程度には根性のあるところを見せた。

 もっとも、立ち上がらせたのはかぐやという少女だ。

 

「彩葉のことはそれなり以上にわかっとる。けどあんたのことはよく知らん。だから知りたい。あんたが彩葉を任せて大丈夫な子なんかどうか」

 

 どうだ、と水を向けた先、その表情には怯みも緊張もなかった。

 

「勿論! 私も彩葉ママに聞きたいことあるし」

「誰が彩葉ママやねん。けったいな呼び方しなさんな」

「じゃあお義母さん? 紅葉さん?」

「好きにしよし」

 

 いちいち調子を崩される。

 が、気を取り直し手を伸ばした。

 

「手、握らせてくれるか」

「? うん」

 

 伸ばされた手を取る。

 温かい。些細な違和感すらない、が。

 

「先に謝っとく。不躾なこと聞いて堪忍な」

 

 一拍置いて。

 

「……これが、あの子の開発したっちゅうアバターボディなんやろ?」

「うえっ!?」

 

 反応は覿面だった。

 こちらの顔と、取られた手を交互に見ている。

 返事は聞くまでもなかった。

 

「えと、なんでわかったの……?」

「カマかけただけや」

 

 あんぐり口を開ける。

 打てば響くというか、いちいち愉快な子だ。

 

「正直手を触ってもなんも分からんかった。でもなあ、子供のやっとることくらい知っとるよ。親やしな」

 

 ネットに特別聡いわけでなくとも、復活ライブだなんだであれだけ騒いでいれば耳にも目にも入る。ましてその中に我が子の姿があれば。あんなヒラヒラで踊ってるのを見た時は目を疑ったが。

 

「聞けば10年ぶりにかぐや言う子の復活ライブて言うやろ。10年、彩葉が急に工学部に行きたいやらサイバーボディ作りたいやら言いだしたのとちょうど同じや」

 

 10年前、彩葉にとって人生の行き先を変えるほどの何かがあったのだろう。

 サイバーボディ――アバターボディと呼び名を変えたらしいが――の開発というゴールに到達したことは耳にしていた。

 時を同じくして彩葉の隣に戻ってきた少女。ましてその子をパートナーとして連れてきたとなれば、そこに何らかの関係があると思うのは当然の帰結だ。

 

「あんたにも難儀な事情があるんやろ。別に根掘り葉掘り聞かせろというわけやない。ただ……彩葉はあんたに入れ込みすぎてるように見える。あんたのために、自分の将来を全部変えてしまうほどに」

 

 誰かを強く想うということはその相手がいなくなった時、支えとなるものがなくなるということでもある。

 自分の場合、夫がいなくなっても子供たちがいた。だからなんとか倒れずに立っていられた。

 けれどこの二人は、ただ自分たちだけで支え合っていかなければならない。

 

「あんたがおるとあの子もしゃっきりするのは今日で分かった。けど、あんたがおらんくなって一人になった時が怖い。また泣き虫の彩葉に戻るんやないかと」

 

 だからこそ聞きたい。

「あんたは、彩葉の傍にずっといてやれるんか?」

 

 問うた先、腕を組んで何事か考えていた少女はややあって。

 

「ずっと傍にいられるかなんてわかんないよね。彩葉が死んじゃうかもだし、かぐやが死んじゃうかもだし。でもね、傍にいたいと想い続けることは出来るって知ってる。たとえ8000年の先でも」

 

 言葉は続く。

「たとえかぐやがいなくなっても彩葉は一人になんかならないよ。ヤチヨがいるし、芦花も真実もいる。帝だってそうだし、オタ公だってyukkoだって沢山の人が彩葉のことを好きなんだよ」

 

 知らない名前を楽しそうに挙げる。

 誰だそれはと思う一方、誰かなんて重要ではないとも思う。

 誰かに譲ってばかりだったあの子は、けれど沢山の人に今、愛情を返されているらしい。

 

「それにね、実際かぐやが彩葉とお別れしなきゃいけなくなった時でも、彩葉はかぐやの事連れ戻してくれたから。だからハッピーエンドまで、私たちはずっと一緒だって思うんだ」

 

 彩葉の事、信じてあげて。

 そう言葉は結ばれた。

 

 二度、いや三度目か。

 彩葉を信じてあげて、と言われたのは。

 

「そうか」

 

 この子は彩葉のことを、自分自身の事を信じ切っている。

 だったら後は、私が二人を信じるかどうかだけの事。

 

 仕事柄、信じたものが崩れ落ちるさまなど何度も見てきた。

 夫婦でも親子でも、絶対なんてものはない。

 どれだけ言葉を尽くされようと、絶対大丈夫なんて風には思えない。これはもう自分の性分だ。

 

 それでもまあ。

「……ま、ええか」

 そう思った。

 未来がどうあれ、この二人なら。

 

「そういや、あんたもなんか聞きたいんやったっけ」

 

 当のかぐやはしかし、首を振った。

「ううん。もう必要なくなっちゃった。――おかあさんは、彩葉のことが大好きなんだね」

 

 何を言っているんだ、この子は。

「そんなの当たり前やろ。親なんやから」

 

 そっかあ、と口が綻ぶ。

 それは確かに可愛らしい笑顔で、彩葉が入れ込んだのもわかる気はした。あの子も大概面食いだから。

 

「彩葉には余計なこと言わんでええよ。なんでもかんでも言葉にするもんやない」

「りょーかい。二人だけの内緒ってことで」

 

 椅子に背を預け、伸びをする。

 気付けば随分と時間も経っており、固まった首元からは小気味いい音がした。

 

「長話してたら小腹もすいたな。これ、いただこか」

 

 端に寄せていた手土産を手元に寄せる。

 包装を開くと、甘い果物の香りが香った。

 

「……あんた、これ何なん」

「うちの近所で一番人気のケーキ! めっちゃおいしいよ!」

「こういう時の手土産言うたら普通干菓子とかやろ。こんなん持ってったらお爺さんもお婆さんも腰ぬかすわ」

 

 いや、あの二人なら孫の嫁が持ってきた物なら何だろうと喜んで受け取るだろうが。

 

「ええか。こういうのは舐められんようにするのが大事や。この子は物を知らんと思ったら舐めくさってくるやつもおるから、そういうのを寄せつけんためにもこういう細かいところこそ気を回すんや」

「えー」

「えー、やない」

 苦笑する。だが実のところ、自分でも不思議なほど嫌な気分ではなかった。

 

 箱にはぎっしりと4つも5つもケーキが詰まっており、どうしたものか迷っていると「苺のやつがオススメ!」とやかましい。仕方ないので言われた通り苺のケーキに手を伸ばす。

 

「……まあ、言うだけはあるな」

「でしょ!? これすっごい美味しいから食べて欲しくて!」

 

 しかしまあよく笑う子だ。

 うちにはこんなに屈託なく笑う人間はいなかった。

 いや、あの人が生きていた頃はそうでもなかったけれど。

 

「しかし、こんな沢山のケーキよう食わんで。あんたも食べ。彩葉もどうせ、家のすぐ外でウロチョロしてるやろ。呼んでやり」

 

 電話を掛けるのを他所に、三人分の茶を入れる。

 案の定、電話をしたと思ったらすぐに彩葉がやってきた。

 

「まったく忙しない。茶を淹れるくらい待てんのかいな」

 

◇◇◇◇◇◇

 

 喫茶店なんかで悠長にしている気分にはなれなかった。

 かぐやから連絡があればすぐに駆け付けられるようにと、エレベーターホールをうろうろしてどれだけ時間が経っただろうか。

 何度か住人とすれ違っては、こちらを見る目に不審がありありと浮かんでいた。

 

 そうしていざ電話があって戻ってみれば、二人してケーキを食べている。

 いや、何があればこうなる?

 

「あんたも食べ」

 

 母に促されるままケーキに手を伸ばす。

 いや、ほんと何?

 

 かぐやは上機嫌でケーキを食べている。

 母は……驚いたことに、母も上機嫌に見えた。

 

「2つも3つもよう食べれんわ。痛んでも困るし、後はあんたらが食べ」

 

 そう言って、結局かぐやが3つ食べた。

 紅茶を啜っていた母だが、全員の皿が空になったあたりでカップを置き、言った。

 

「あんたら今日は東京に帰るんやろ?」

「う、うん。明日も仕事だし」

 

 話の脈絡が読めない。が、母はそうか、と頷いて続ける。

 

「次来る時は早めに連絡し。二人やったら布団の用意も必要やろ。朝日の部屋使わすわけにもいかへんやろし」

「――――」

 

「? かぐや、彩葉と一緒でいいけど?」

「あほ、そういうこと言ってるんやない」

 

 想定外のことに固まっていた私よりも早く、母が突っ込んだ。

 

 しかし、そうか。

 二人で来て、いいのか。

 

 珍しく弛緩していた表情を、見慣れたものに戻した母は言った。

 

「ええか、彩葉。あんたのやることがままごとやなくて本気やというなら、最後までやりきって見せ。あんたらの足を掬おうとする奴らは絶対おる。足掴まれたら蹴飛ばしてでも守るんや。その子が家族だって言うんなら、あんただけは絶対最後までその子を一人にはするな」

 

 それは、二度置いていかれた母自身の願いでもあったのかもしれない。

 

 私は。

「――うん。絶対に。約束する」

 私がようやく見つけた、譲れないものに誓う。

 

 それを聞いた母は満足げに笑い。

「かぐやさん。うちの子をよろしゅうな」

 そう言って頭を下げた。

 

 その姿に、自然と私の頭も下がる。

 私が母に頭を下げる時、それはいつも母の叱責や視線から逃れるためだった。

 だけど今はそうじゃない。

 

「はい!」

 

 かぐやの声が、下げた頭の上を通り過ぎて行く。

 新しい家族の声の音はリビングに響きわたり、暫らく反響しているようでさえあった。

 

◇◇◇◇◇◇

 

 帰る前に墓参りをするという二人を見送り、がらんとしたリビングの中、入れなおした茶で一服をする。

 

 ――けったいな子やったな。

 

 それが率直な感想だ。

 まあ案外、ああいう奔放な子の方が彩葉には合うのかも知れない。

 すぐ人の陰に隠れたがる彩葉には、手を引いて連れ出してくれるくらいの子が。

 

 そこまで考えて苦笑する。

 自分のイメージする彩葉のままなら、今日こうして自分のところまで来ることはなかっただろう。子供の時分はしょっちゅう押し入れの中に隠れて泣いてたような子だ。

 それが今日、あの子に手を引かれたのかどうかは知らないが、私の前に立って見せた。

 

 思えば朝日が私にぶつかってきたのも意外だった。あの子は昔からぶつかりそうになるとスルスルとすり抜けていくような子だったのに。

 前回の彩葉との電話の後、朝日があんなに口やかましい電話を掛けてこなければ、彩葉たちと会おうと思ったかどうか。

 子供が子供のままだと思っているのは親ばかり、ということだろう。

 

 ……ま、好きにすればええ。

 諦念でも無関心でもなく、そう思う。

 

 この先上手くいくかなんて誰にもわかりはしない。

 酷い失敗をして泣くことになったとしても、自分で立ち上がるのが大人だ。

 自分で立てるようになった子に対して親が出来る事なんて、泣いて帰ってきたなら布団くらいは掛けてやるのがせいぜいだろう。

 

「にしても『彩葉の事、信じてあげて』か」

 

 押し入れで泣いていた彩葉を思い出したせいだろうか、妙なデジャビュの正体に思い当たった。

 

 

 あれは夫が亡くなって幾らも経たない頃だ。

 彩葉はすっかり塞ぎこんでしまい、見かねた朝日が夫のスマホを持ち出して彩葉に与えていた。あの子らにはまだスマホを持たせていなかったから。

 

 スマホで何をしてるのかと思えばAIに悩み相談をできるアプリだとかで、こっそりやっているのに気付いてはいたものの見逃していた。

 正直あの頃は私も参っていたし、それで少しでも彩葉の気が晴れるなら、と。

 

 さすがにまずいと思ったのは、辛いことがあると押し入れに籠ってはスマホと話し出すようになったあたりだ。

 機械に頼るばっかりで、自分自身で立ち上がれないような子になっては困る。

 

 それで、あの子が居ない間に夫のスマホを処分することにした。

 最後に件のアプリを立ち上げたのはただの気まぐれだ。

 

 今となっては細部まで憶えていないが、女の子のアバターがフワフワと動いていたというのは記憶にある。

 

 なんでも話せというから嫌味半分で尋ねてみた。夫を亡くした辛さに対する八つ当たりもあったかもしれない。

 

 『あんたみたいなのに頼って、うちの子はますます泣き虫になってしもてる。そんなんであの子は幸せになれるんか?』

 

 そのAIは、こんなことを返した。

 

『彩葉はね、物凄く頑張り屋さんだから絶対大丈夫。彩葉ならハッピーエンドに辿り着けるって、私、誰より知ってるよ。だから彩葉の事、信じてあげて』

 

 ――さよけ。

 

 あほくさ、と思ってアプリを落とした。

 こういうのはとにかく人を甘やかす。君なら出来るとか、私は分かってるとか。

 言われた方は気分がよくてのめりこむのだろうが、そこには成長も何もない。

 

 そのまま電源も落とし、かといって廃棄するのは気が引けたので義父母の家に持っていく。二人にとっては息子の遺品でもある。

 帰ってきてスマホがないことに気づいた彩葉は泣くだろうが、いつか別れなければいけないものだ。

 

 

 というのが、彩葉が小学生の頃の話。

 

 思い起こしてみると、あの時自分は彩葉の名前を言っただろうか? 個人情報をわざわざ?

 気にはなったが、結局のところ最終的な感想は一緒だった。

 

 あほくさ。

 

 おおかた彩葉自身が名前を教えたのをアプリの方で記憶していたのだろう。

 今となってはもうどうでもいいことだ。

 

「まあ、頑張り屋なのは当たっとったな」

 ハッピーエンドとやらに辿り着けるかは分からないが、少なくとも今この時の彩葉は幸せそうに見えた。

 今更ながら、八つ当たりしたのを誰にともなく詫びる。

 

 ……さて、そんな益体もないことを考えているよりもやるべきことがある。

 子供というのはこういうのをむしろ迷惑がるのだと分かってはいるのだが。

 

 義父母宅へのコールは直ぐに繋がった。

 

「ご無沙汰しております。――はい。――はい。ちょっと彩葉のことで。

近々伺って、なんやけったいなこと言い出すかもしれませんが、聞いてやっていただけませんか」

 

 どうかよろしくお願いします、と。

 たとえそれが身勝手な押しつけだとしても、子供のためにと信じて下げる頭くらいは持っていたい。

 

◇◇◇◇◇◇

 

 実家を出たその足で、父の墓にお参りと報告をしに行った。

 

「お義父さんなんか言ってた?」

「どうかな。まあお父さんだし応援はしてくれるだろうけど」

 

 帰りの道すがら、そんな会話をした。

 

「というかお母さんと何話したの? あんな打ち解けるとか、ちょっと信じられないんだけど」

「うひひ。秘密―」

 

 何でも話したがりのかぐやには珍しく、この件については聞いてもはぐらかされるばかりだ。

 ……まあいいか。嫌な話ではなかったんだろうし。

 

 時間を確認すると、新幹線の時間まではあと1時間強という所だ。

 今から祖父母宅に寄る時間はないかな。

 母との会話がどうなるかわかったものではなかったので、祖父母への報告は来週以降で考えていた。

 

「なんかかぐや姫の故郷とか言うのがあるんだって! 帰る前に寄ってみない?」

「ここかー……。さすがに時間が厳しいかな。またすぐ京都来ることになるから、その時にしよ」

 

 不平の声を上げるかぐや。

 まあ確かに、3時間かけて遥々京都までやってきたのに、母との会話だけで終わるというのも酷だなとは思う。

 

 そういえば、と思ってスマホで検索する。

 幸いにも目的の店は記憶通りの場所で営業していた。

 

「ここから近くにさ、子供の頃お父さんに連れてってもらった喫茶店あるんだよね。そこ行かない?」

 

 ほら、と画面を見せる。

 お店の看板メニューは抹茶ソースをなみなみとかけたパンケーキだ。

 分厚い三段のそれは幼い頃の私には大きすぎて、結局父や母、兄にも食べてもらった記憶がある。

 ケーキの後でこれはきついが、かぐやならいけるだろう。最悪二人でシェアすれば何とか。

 

「彩葉行きつけのお店!?」

「いや、別に行きつけって程じゃないけどね」

 

 とはいえ家族との記憶が残る場所なのは確かだ。

 変化が緩やかなこの街には、そういったものがそこかしこに残っている。

 

 喜びや悲しみを分け合うよう、思い出も分かち合いたい。

 そういうものでしょ、結婚って。

 

 行くと決まれば一目散。

 急げー! と叫ぶかぐやに手を引かれて走り出す。

 

 分かち合うこれまでの事、一緒に過ごすこれからの事に限りはなく、時間なんて私たちにはいくらあっても足りはしない。

 とりあえず今は。

 先を行くかぐやに置いていかれないよう強く、その手を握り返した。

 

/完




酒寄紅葉さんは非常に解釈が難しいキャラクターだと思っていて、本編よりいくらか彼女についての情報量が多い小説を経るとなおのこと、厳しさばかりが前面に出ているようにも見えます。
ただ、小説の言葉をそのまま借りるなら「脅かして怖がらせて、そんな風にしか心配を伝えられない」人なんだろうと理解しています。

なお普段は原作や小説、ガイドブックの設定と極力齟齬が生まれないよう心がけていますが、今回は明確に小説の設定との齟齬があります。

小説ではかぐやがアバターボディを得る前の段階で、彩葉とかぐやの結婚について母が了解、少なくとも認識をしたという描写があります。
一方、その時点で存在するのはヤチヨとしての要素が強い人格であろうこと、仮想世界にしか存在しない人との結婚を紅葉が認めるイメージがどうしても持てなかったこと、それらの理由からここでは時間軸をアバターボディを手に入れた後としています。こういう可能性もあったかもね、と容赦いただけますと嬉しいです。
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