英雄にはなれない   作:情緒狂う

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第1話 アイリスとレナード

 小さな葬儀場の片隅で、レナード・フォーリーはふと窓の外を見上げる。

 相変わらずの曇り空で、今更増す感傷はない。

 視線を前に戻す。

 前方中央に置かれた額縁の中で、ガードナー夫人はにっこりと微笑んだまま、微動だにしなかった。

 一人の女の子が、最前列の席で、その遺影を見つめながらただじっと座っていた。

 

 レナードの父、ライジェル・フォーリーにマグルと結婚した従妹がいると知ったのは数年前。

 レナードにとっての祖父、ライジェルにとっての父、ガードナー夫人にとっての伯父が亡くなった際の葬儀のときだ。

 けれど、マグル式の写真を見たのは、今回が初めて。

 写真の彼女は瞬きもしなければ、鼻をかくこともない。

 自分を見つめる実の娘に手を振ることもない。

 違和感だ。

 そのことを知るのはもっとずっと後であるべきだったと、レナードは分かっていた。

 

「龍痘ですって? でも彼女、マグルも同然の生活をしていたんでしょう? どうやって感染するのよ」

「魔法界にも度々来ていたらしい。こちらの方がマグルの世界より物価が安いらしくてな」

「ああ、なるほど……大変だったのねえ」

 

 後方からの聞こえよがしな同情の声。

 そこに含まれる嘲り。

 前回もそうだったな、とレナードは思い出す。

 ガードナー夫人の弟夫妻は、かつての祖父の葬式でもその侮蔑を隠そうとしていなかった。

 彼女が若くして亡くなった今でも、それは一切変わらないらしい。

 だからこそ、単なる従兄であるはずのライジェルが喪主を任されることになったのだろう。

 ライジェルは、自身が今回も喪主を務めることについて息子に何も語らなかったが、レナードはそう推測している。

 

「それにしても、あの子は感染してないの? 母親からうつったりしてないんでしょうね?」

 

 フォーリー夫人――レナードの母、アマリリスではない方の――が、ライジェルではない方のフォーリー氏に訊ねた。

 先ほどの同情とは違い、本当に案じているようだ。が、それは「あの子」ではなく、自分たちに向けられたものだろう。

 妻の心配に、フォーリー氏は鼻で笑って答える。

 

「検査の結果、問題ないとわかったそうだ。そもそも龍痘は魔法族の病。姉さんは一応、小鳥の羽を浮かすことくらいはできたが、あの子はそもそも魔法を使えたことがないらしい」

「あら、まだなのね。でももう七歳なんでしょう? そろそろ魔力が発現しないと……」

「おいおい、スクイブとマグルの子だぞ? 姉さんが龍痘で死んだからこちらで葬儀をあげるだけで、本来なら向こうの――」

 

 ガタン、と思ったより大きな音が出て、雑音が鳴り止んだ。

 ここの管理者は、跳ね上げ式の古びた椅子に油を注しすぎたようだ。

 

 レナードは、自分が苛立っていることに気付いていた。

 けれど、その対象は分からない。

 硬くて手入れの行き届いていない椅子に対してかもしれないし、彼の足を締め付けるおろしたての革靴に対してかもしれないし、ひそひそと小うるさいフォーリー夫妻に対してかもしれない。

 または、その声が聞こえていないはずもないのに一切反発しない「あの子」に対してかもしれないし、その嘲笑にも娘の視線にも一切応えないガードナー夫人に対してかもしれない。

 もしかすると、その全てに対してかも。

 

 コツコツと、彼の足音が響く。

 静かになったフォーリー夫妻と違い、最初から静かだった女の子は、微動だにしない。

 それでもレナードは、歩みを止めなかった。

 ぴんと伸びた女の子の背を、軽く叩く。

 一瞬浮かんだ、これでも動かなかったらどうしようかという不安は、すぐに打ち消された。

 

「……何?」

 

 振り向く女の子。

 無機質な声。

 先ほどまで遺影だけに向けられていた瞳が、レナードを映す。

 

「さっき父さんが、始まるまでまだ時間があるって言ってたんだ。少し外に行ってみないか?」

「外?」

「嫌ならいいけど」

「行く」

 

 ガタン。

 こちらの椅子も、重みがなくなるや勢いよく座面が跳ねあがる。

 立ち上がった女の子は、思っていたよりも小さい。

 レナードの顎の位置に、ようやく頭が届く程度だ。

 彼女を先頭に、彼らは葬儀場を後にする。

 フォーリー夫妻がまたひそひそやり始めていることには気付いていたが、彼女も、彼も、そちらには一瞥もくれなかった。

 

 

 

 葬儀場の裏手には、小さな公園があった。

 遊具は一つもない、薄く雑草の生えた砂地に、ベンチがぽつんと置かれているだけの簡素なものだ。

 二人並んでベンチに腰掛け、訪れたのは沈黙だった。

 この女の子が前回の葬儀にいた覚えはない。初対面だ。名前も知らない。

 父さんは何故事前に紹介してくれなかったのだろう、と、思わず人のせいにしてしまいそうになる。忙しかったからだと分かっているのに。

 彼女はやっぱり前だけを見ていて、彼とは目を合わせもしない。

 まずは自分から名乗るべきかと息を吸ったところで、彼女の方が先に口を開いた。

 

「わたし、アイリス・ガードナー。きみは?」

「レナード・フォーリー」

「どっちのフォーリー?」

 

 一瞬意図を掴みかね、けれどすぐに合点がいく。

 

「ライジェル。君のお母さんとは、いとこだそうだ」

「そっか。……そうだよね。叔父さんの子だったら、わたしに話しかけないはずだもん」

 

 どう言えばいいのか分からない。

 言葉の代わりに、レナードは少しだけ口角をあげてみせる。

 幸か不幸か、アイリスは彼の反応を特に気にしていなかったようだ。

 彼女の視線は変わらず前だけに向いていて、レナードのぎこちない微笑みに意味はなかった。

 

「ねえ、きみも魔法使いなの?」

 

 ぽつりと落とされた言葉に、レナードは答えあぐねる。

 先ほどのフォーリー夫妻の言葉が本当なら、今まで魔法に触れてこなかったのであろう彼女は、魔法族についてどこまで知っているのだろう。

 

「……魔法、使えないの?」

 

 黙ってしまったレナードを、アイリスが訝し気に見る。

 紫の瞳にレナードが映るのは、これで二回目。

 もし、ほとんど何も知らないのであれば。

 少しだけ、見栄を張りたくなってしまった。

 

「使える。簡単なものなら」

「へえ……。どんなの? 見てみたい」

 

 レナードは今度こそ、何と答えれば良いのか分からなくなってしまった。

 レナードはまだ九歳。魔法学校には通っていない。

 つまり、感情任せで何度か魔法を使えたことはあるものの、その制御はほとんどできないのだ。

 これはレナードが特段劣っているというわけではなく、魔法界全体で――マグルの親を持っていようが、代々魔法族の家柄だろうが――就学前の子どもに、魔法の使い方を家庭で教える習慣がないことに起因する。

 だからこそ、就学前のレナードには魔法を“使える”かどうかではなく、“使えたことがある”かどうかを訊ねるべきだったし、そのことを知らないアイリスには、レナードがそう教えるべきだった。

 自分で自分の首を絞めるとはまさにこのこと。

 だけれど、こんなに早く絞まることになるなんて!

 

「レナード?」

 

 アイリスがこちらを覗き込んでいる。

 紫がかった自分が、うろたえているのがわかった。

 今更引き下がることはできない、と思った。

 相手は女の子だ。自分より年下で、背も低い。お母さんを亡くしたばかりで、可哀想に、親戚からも馬鹿にされて。

 そこに自分が現れて、彼女を連れ出して、今ここにいる。

 そう、この状況を作ったのは自分だ。

 だったら、格好のつかないことはしたくない、そう強く思った。

 

「……ジャンプ」

「うん?」

「ジャンプを、してくれ。その場で」

「……? わかった」

 

 アイリスは立ち上がり、その場で軽く跳ねる。

 レナードは、初めて魔法が使えたときのことを思い出していた。

 父のライジェルが、レナードの本をふざけて取り上げたときのことだ。

 ちょうど面白いところでちょっかいをかけて来て、無視していたら本を奪って、レナードが取り返せないように飛び跳ねて。

 鬱陶しかった。腹が立った。

 そして、レナードは。

 

「ひゃっ!」

 

 アイリスの小さな悲鳴。

 アイリスは、葬儀場の軒よりも上に飛び上がっていた。

 あの時のライジェルよりも高い。

 彼は天井に頭をぶつけていたけれど、屋外だったらこのくらい飛んでいたのかもしれない。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 一瞬の滞空。アイリスが落ちてくる!

 

「ウワッ!」

 

 何とかアイリスの真下に駆け込み、彼女を受け止め――切れるはずもなく、二人一緒に地面でもみくちゃになる。

 せっかくの正装が砂まみれ。

 もしかすると、あとで怒られるかもしれない。

 レナードのそんな心配をよそに、アイリスはけらけらと笑いだした。

 

「ふふ、あははっ! 何今の、すごいすごい! すっごく楽しかった!」

 

 紫の瞳が細くなり、口をにっこりと大きく開けてレナードの手を取るアイリス。

 柔らかくて、あたたかくて、少しだけ砂っぽい。

 何故か、レナードの胸が締め付けられる。

 

「ね、もう一回やって?」

「それは……その、今日はもうできないんだ。まだあんまり、上手くなくて」

「そうなの? 残念」

 

 見栄と、誤魔化しきれない現実をまぜこぜにした言葉を、アイリスは疑わない。

 

「じゃあ、また会えたら、その時にやってくれる?」

「えっ?」

「また会えるでしょ? わたしたち、もう友達だもん!」

「え、あ……ああ。じゃあまた、次の機会に」

「うん。約束!」

 

 アイリスの顔がぱっと輝いて、きゅっとレナードの手が握りしめられる。

 顔が熱くなる。手を離してほしいような、ずっと握っていたいような、不思議な感覚。

 

 その時、レナードはもう一つの奇跡を見た。

 二人の周りで薄く生えている雑草。その中の一本がするすると伸び、紫色の花を咲かせる。

 当然、アイリスもそれに気付いて。

 

「あれ、これもきみの魔法?」

 

 レナードから手を離し――ほんの少しだけ、それを惜しく感じてしまったことは内緒だ――その花に優しく触れるアイリス。

 

「違う」

 

 と、レナードは答えていた。

 

「違う? でもこの花、さっきまではなかったよ?」

「君の魔法だ、アイリス。君の魔法」

「えっ」

 

 目を丸くするアイリスからレナードは目を逸らしかけ、止める。

 アイリスの紫の瞳には、レナードの澄んだ青い瞳が映っていた。

 

「僕にも何となくしか分からない。けど、それは僕の魔法ではないと思う。君がその花を咲かせたんだ」

「わたし……? でもわたし、魔法なんて……ママも、パパも使えなかったはずで……」

「でも、君は使えたんだ!」

 

 レナードは興奮を抑えきれなかった。

 嬉しかった。アイリスは、こちら側だ。

 レナードは自分からアイリスの手を取った。

 

「アイリス、君は魔女だ!」

 

 その言葉に、アイリスは息をのんだ。

 

「わたしが、魔女……?」

「ああ」

「本当に?」

「ああ、きっと」

「きっと?」

「きっと……絶対!」

「きっと、絶対?」

「絶対の絶対!」

 

 レナードの手に、思わず力が入る。

 アイリスの息が、震えた。

 

「なら……」

「……?」

「わたしが魔女なら、ママのこと、生き返らせられる?」

「え」

 

 ふ、と手から力が抜ける。

 アイリスの手は、そのまま彼女の膝の上に落ちた。

 アイリスの目に涙が溜まっていることに、レナードは気が付いた。

 

「それは……」

「わたしじゃまだ無理? ならレナードは? レナードのパパやママは? 叔父さんたちでもいい。皆、皆魔法使いなんでしょ? だったらママを助けてよ。ママを、返してよ……っ!」

 

 堰を切ったようにしゃくりあげるアイリスに対して、レナードは何もしてやれない。

 自分が無神経だったこと、アイリスはずっとずっと我慢していたこと。

 そのことにようやく思い至り、自分が恥ずかしくなる。

 

「ごめん、その……ごめん」

 

 か細い謝罪は、アイリスの泣き声にかき消された。

 レナードは少し迷って、アイリスを抱きしめる。

 柔らかくて、小さな手が、レナードの背を握りしめるのが分かった。

 肩が生温かく濡れていく。

 それには構わず、レナードはアイリスの背を撫でた。

 もっと小さかったころ、母のアマリリスがそうしてくれたことを思い出して。

 

「どれだけすごい魔法使いでも、死んだ人を蘇らせることはできない」

「何、で……っ」

「……分からない。ごめん。でも、君の花をお母さんの棺に入れることはできる」

「やだ……ママがいい。ママがいなきゃやだぁ……」

「わかるよ。僕も、父さんや母さんがいなくなったら嫌だ」

「じゃあ――」

「でも、僕がいる」

「……きみ?」

 

 レナードは、アイリスから少しだけ身体を離す。

 目を合わせて話したかった。

 そうしなければ、と思った。

 

「僕がいる。ずっと一緒にいる。うちには空き部屋が多いんだ。一緒に暮らせないか、父さんと母さんに頼んでみる」

「へ……」

「だから、その。君がそれで満足するかわからないけど」

 

 もう泣くな、とは言えなかった。

 泣き止まないまま、アイリスは笑った。

 

「じゃあ、一緒にいて」

「……ああ」

 

 アイリスは、自分の背に回っていたレナードの手を握り、紫の花を摘む。

 少しの間それを眺めて、「あ」と声を漏らした。

 

「これ、アイリスだ」

「アイリス?」

「一緒に図鑑見てる時にね、ママの一番好きなお花だって、言ってたの。もともとはパパの一番好きなお花で、ママにもきっと似合うからって、プロポーズの時に貰ったんだって」

「へえ……」

「だからね、これはきっと、本当にわたしが咲かせたお花なんだと思う」

「……!」

 

 潤んだ紫が、彼を映した。

 空は相変わらず雲が覆っていて、けれど雲間から少しだけ陽光が射し込んだらしい。

 涙をあふれさせたまま微笑むアイリスの顔が、きらきらと輝いて見えた。

 

「レナード、魔法界のこと、色々教えてね」

「ああ、もちろん」

 

 アイリスはレナードの手も、アイリスの花も握りしめたまま、「そろそろ戻らなきゃ、だよね?」と立ち上がる。

 レナードもアイリスの手を離さないまま、二人で葬儀場に戻った。

 

 

 

 いきなりいなくなったかと思えば二人とも薄汚れ、更に一方は顔中を涙でべちゃべちゃにした状態でようやく戻ってきた子どもたちに、大人たちは何も言えなかった。

 アイリスは葬儀の間中ずっと、泣き止むことも、レナードの手を離すこともなかった。

 一度だけ、母の棺に花を供えるときに、

 

「わたしが咲かせたアイリスだよ」

 

 と小さく笑った。

 

 故人を見送ったあと、そそくさと帰る弟夫妻に構う者はいなかった。

 それよりももっと大切なことがあったからだ。

 アイリスと手をつないだまま、レナードは両親を見上げる。

 

「アイリスと一緒に、家に帰りたい」

 

 と言うために。

 精一杯の毅然さを見せる息子に、ライジェル・フォーリー氏とアマリリス・フォーリー夫人は優しく微笑む。

 ライジェルはその大きな手を息子の頭に乗せ、わしゃわしゃと撫でた。

 

「葬儀が終わったあと、その話をするつもりだったんだ」

「私達はね、アイリスの後見人なのよ」

 

 アマリリスはしゃがみこみ、アイリスと目を合わせてその笑みを深める。

 

「本当はマーガレットが……あなたのお母さんが亡くなる前に、一度挨拶しておこうと思っていたのだけれど。遅くなってごめんなさいね」

 

 アイリスは一歩下がり、レナードの影に半分隠れながらも、首を横に振った。

 

「もちろん、嫌なら無理に来る必要はないよ。選ぶのは君だ、アイリス。魔法が使えないとなると、我々の世界で暮らすのは少し不便かもしれんが――」

「使える!」「つ、使えます!」

 

 レナードとアイリスが同時に発した言葉に、ライジェルは目を瞬く。

 

「おや。それは一体、どういう……?」

「さっき使えたんだ。アイリスは、アイリスの花を咲かせた。棺に入れたのはその時のだ」

「そう、わたしが魔法で咲かせたの。初めて。これからもっともっと、魔法上手くなります! だから……」

 

 ぎゅ、とアイリスの手に力がこもるのが、レナードに伝わった。

 アイリスははっきりと、大きな声で言う。

 

「わたしを、レナードのおうちに連れて帰ってください!」

 

 小さな葬儀場に、響く言葉。

 ライジェルとアマリリスは、嬉しそうに頷いた。

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