【幕間連載中】『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
シェリアさんやライル君たちを見送った後。
俺はマルドゥック社屋の応接ソファにどっかりと座り込み、ふうっと大きな息を吐き出した。
隣に座るリゼットさんへ視線を向けると、彼女はこちらを見て、どこか柔らかい笑みを浮かべ「くすっ」と小さく吹き出していた。
「はは……ごめん。つい話が盛り上がってしまって」
俺は気恥ずかしさから頭を掻き、素直に謝罪する。
かつて夢中になって読んでいた本の裏話にテンションが上がりすぎたせいで、完全に彼女をほったらかしにして、シェリアさんを質問攻めにしてしまっていたのだ。
せっかくのデートの待ち合わせ直後だったというのに、我ながら情けない。
「いえ。普段の落ち着いたアル様とはずいぶん違った、可愛らしいお姿が見られましたので」
くすくすと上品に微笑む彼女からの指摘に、俺は誤魔化すように乾いた笑みをこぼすことしかできなかった。
前から呆れ混じりに子供っぽいと指摘されていたことだが、今日ばかりはもう、自分でも完全に否定しきれなくなってきたな……と、内心で苦笑いがよぎる。
それでも、いつまでも気恥ずかしさを引き摺っているわけにはいかない。
俺は気分を入れ替えるように立ち上がると、リゼットさんへスッと右手を差し出した。
「それじゃあ、仕切り直して。……デートに向かいましょうか」
少しおどけたように笑いかけると、リゼットさんはパチリと目を瞬かせ、やがて花がほころぶような満面の笑みを返してくれた。
「――はいっ」
白く細い指先が、俺の手にそっと重ねられる。
軽く力を込めて彼女を立ち上がらせると、俺はごく自然にその手を離した。
二人並んで歩幅を合わせ、眩しい陽光の射し込むマルドゥック本社のエントランスから、オレドの街並みへと歩き出す。
***
街路樹の並ぶオレドの大通りを、リゼットさんと二人、肩を並べてゆっくりと歩く。
風に揺れる緑の葉擦れが、心地よい音を立てていた。
「そういえば、リゼットさんは今までこの辺りを歩いたことはあるの?」
歩調を合わせながらふと尋ねると、彼女は少しだけ思案するように視線を巡らせた。
「義体の適応訓練のために、ミラベルたちと一緒に本社ビルを中心としてある程度は歩きました。ただ、あくまで歩行機能のテストが目的でしたので……」
彼女の言う通り、それは純粋な『訓練』に過ぎなかったのだろう。
どこかの店へ立ち寄ったり、景色を楽しむために目的地へ向かったりといった、いわゆる『散策』としての外出は、これまで一度も経験したことがなかったのだ。
「そっか。それじゃあ――」
俺は少しだけ歩調を緩め、隣を歩く彼女へ笑いかけた。
「俺も、オレドの街の地理にはあまり詳しくないんだ。だから、まずは分かりやすい場所の観光から始めてみようか」
俺の提案に、リゼットさんは立ち止まり、こちらをしっかりと見つめ返す形で、パッと花が咲いたような笑顔を見せる。
「――はい!」
時計を見れば、時刻はちょうど午前十一時を回ったところ。
シェリアさんたちとの思いがけない歓談で一時間ほど使ってしまったが、昼食を取るにはまだ微妙に早い時間帯だ。
俺たちはゆったりとしたペースで、オレドという街の中心部へと向かった。
マルドゥック社のお膝元であり、高度に発展した近代的なビル群と、豊かな自然の緑が見事に調和した美しい街並み。
その中心にそびえ立つランドマークタワーへ足を運び、専用のエレベーターで展望台へと昇る。
「わぁ……」
展望台のフロアに降り立った瞬間。
全面ガラス張りの向こうに広がるオレドのパノラマを一望して、リゼットさんの口から感嘆の吐息が零れた。
「アル様、見てください。あそこが先ほどまで私達がいたマルドゥックの本社ビルですね。ここから見ると、あんなに小さく……」
彼女はガラス窓に少しだけ近づき、眼下に広がるミニチュアのような街の景色を、目を輝かせながら見下ろしている。
俺は少し後ろから、そんな彼女の姿を静かに見守っていた。
通信越しにサポートをしてくれていた時の、あるいは昨日まで見せていた『完璧なサービスコンシェルジュ』としての理知的な表情は、今の彼女にはない。
そこにあるのは、初めて見る外の世界の広がりに純粋な感動を覚え、瞳をキラキラと輝かせる、年相応の女性としての素顔だった。
「すごいな。天気がいいから、街のずっと向こうの山並みまでよく見える」
「ええ、本当に……。こんなに遠くまで見渡せるなんて、想像もしていませんでした」
俺が隣に並んで景色を眺めると、彼女は嬉しそうに振り返り、ふわりと柔らかく微笑んでくれた。
生命維持カプセルという、果てしなく狭く暗い世界の中で命を繋いできた彼女。
その彼女が今、自分の足でこの高い場所まで登り、こんなにも広い世界を眩しそうに見渡している。
その事実がなんだかひどく喜ばしくて、俺は彼女の無邪気な笑顔につられるように、自然と笑みをこぼしていた。
そうして展望台での時間を楽しみ、ゆっくりと街を歩き回っているうちに、時刻はそろそろ正午に近づいていた。
「そろそろ、お昼にしようか。何が食べたいとか、希望はある?」
「そうですね……外での食事自体が初めてなので、少し迷ってしまいます」
そんな会話を交わしながら、賑やかな商店が立ち並ぶ通りを歩いていると――ふと、一軒の本屋が視界に入った。
その瞬間。今朝のシェリアさんとの会話が引き金になったのか、俺の内に眠っていた『本の虫』としての感覚が、小さくざわついた。
思い返してみれば、あのバベル事変のときも。
このシミュラクラの身体で目覚めてからも、腰を据えて本を読むような時間は全く持っていなかった。
そもそも、『本』というもの自体に意識が向いていなかったと言うべきか。
けれど今。
かつて夢中になった物語の作者と直接言葉を交わしたからだろう。
どうしても「本が読みたい」という欲求が、静かに、けれど確かに湧き上がってきていた。
俺は少しだけ足を止め、隣を歩く彼女へ問いかける。
「その、リゼットさん。本とか読んだりする?」
突然の質問に、彼女は目をパチクリと瞬かせた後、少しだけ視線を上げて考え込んだ。
「そう、ですね……」
よくよく考えれば、彼女はつい最近まで、身動き一つ取れない生命維持カプセルの中で長い時間を過ごしてきたのだ。
ミラベルさんが気を利かせて、日曜学校の授業内容に該当するような教育用の電子データを端末越しに見せてくれたり、知識として情報をインプットしたりすることはあったらしい。
だが、『書籍』という物理的な形を取ったものには、この義体の身体になってからも歩行訓練などに大半の時間を費やしていたため、ほとんど触れる機会がなかったのだという。
「電子データで活字を追うことはありましたが、紙の本をめくって読むという経験は、あまり……」
「そっか。じゃあ――」
俺は本屋の店先へ視線を向け、彼女へ笑いかけた。
「よかったら、ちょっとだけ一緒に本を見てみない?」
俺の少しばかりの寄り道の提案。
すると彼女は、俺が朝の応接室で見せたような「子供っぽい一面」を再び覗かせたことを察したのか、どこか愛おしそうな顔でクスッと上品に笑った。
「ふふっ。ええ、構いませんよ」
そうして、昼食前のほんの少しの時間。俺たちは二人連れ立って、インクと新しい紙の匂いが漂う街の本屋へと足を踏み入れたのだった。
店内に足を踏み入れると、紙とインク特有の匂いがふわりと鼻をくすぐった。
本当に、本当に久方ぶりの感覚だった。
かつて日がな一日入り浸っていた図書館の空気を思い出し、俺の心は無意識のうちにソワソワと弾み出している。
横に並んで歩くリゼットさんも、そんな俺の落ち着きのない気配に気づいたのだろう。
どこか微笑ましいものを見るような、優しい笑顔をこちらに向けてくれていた。
まずは二人で、実用書のコーナーを見て回る。
お昼以降も一緒にデートを続けるのだからと、オレドの観光情報が載った雑誌を二人で並んで眺め、「これ、一冊買っておこうか」と俺が手に取った。彼女も「はい。午後の参考にいたしましょう」と嬉しそうに頷く。
それから、小説の並んだ棚へと移動した。
古典から最新のベストセラーまでがズラリと並ぶその本棚には、俺が『演算された歴史』の中で読んだ記憶のあるものもあれば、全く見知らぬ真新しいタイトルも並んでいた。
そんな背表紙の群れをなぞるように眺めていた中で。ふと、一つ、かつて大好きだった本のタイトルを見つけた。
『3と9』――。
「ああ、懐かしいなこれ」
俺は嬉しくなって、無意識にその本へと右手を伸ばしかけ。
……その途中で、ふとあることに思い当たった。
それは、『ソードの3(スリー)』と『ソードの9(ナイン)』と呼ばれる、二人の少年少女の物語。
暗殺組織から抜け出し、裏切りの逃避行を続けるという、スリリングなサスペンス活劇だ。
作中ではずっとコードネームで呼ばれていた二人だったが、たしか物語の最後で、彼らの本当の名前が明かされていたはずだ。
『すーちゃん』と『なーちゃん』。
――スウェンと、ナーディア。
本へ伸ばしかけていた俺の右手が、ピタッと空中で止まる。
……口の端が、ヒクッと引き攣った。
(偶然……だよな?)
心の中で、冷や汗を流しながら自問自答する。
あのバベル事変の折。
ルーファスさんやラピスの傍にいて、巨大兵器エクスキャリバーとの決戦でも俺を助けてくれた、あの若い二人組。
『すーちゃん』と『なーちゃん』と呼び合う、スウェンとナーディアの顔が、嫌というほど鮮明に脳裏へ浮かび上がってくる。
だが、ただの偶然と言い切るには、あまりにも一致しすぎている。
二人の名前だけではない。
あの二人が扱っていた特異な獲物――特殊な双剣と、暗器の仕込まれたぬいぐるみ――も、戦闘スタイルも、この小説の内容にあまりにもそっくりそのままだったのだ。
今朝の、シェリアさんとの会話がフラッシュバックする。
『実体験に基づいた小説というのは、意外と多いものですのよ?』
(いやいやいやいや……!)
そんな馬鹿な。じゃあアレか。
あの本に出てきた恐ろしい暗殺組織――組織の名前もたしか『庭園』だった気がする――も、彼らの過酷な逃避行も、すべて実在の出来事だったとでも言うのか。
俺は空中で手を止めたまま、完全に固まってしまっていた。
ピタッと動きを止めた俺を不思議に思ったのだろう。
隣から、「アル様。どうかしましたか?」と、リゼットさんが心配そうに視線を向けてきた。
「あ、いや……」
俺は誤魔化すように『3と9』の単行本を棚から手に取り、彼女へ向けて軽く笑って見せる。
「昔読んでて、すごく好きだった小説だなって。ちょっと昔の記憶を思い出してただけだよ」
「ふふっ、そうでしたか」
特に気にした様子もなく、彼女は柔らかく微笑んで頷いてくれた。
俺は心の中で、誰にもバレないようにこっそりと深呼吸をして、先ほどの推論を一旦棚の奥底へと放り投げた。
仮にあの本の内容がすべて彼らの実体験だったとしても、どうせ彼らと今後関わることなんてない。
俺が真実を知る機会なんて、この先一生やってこないだろうし、深く考えても仕方がない。
気を取り直して。
二人で小説コーナーの棚をゆっくりと眺めながら、話を続ける。
かつて読んだことのある小説を見つけては、「これはこういう話で、すごく面白いんだ」と彼女に簡単なあらすじをおすすめしたり。
俺が『生きていた』頃にはまだ出版されていなかった真新しい作品を、二人で興味深げに手に取ってみたり。
そんな風にして棚の端まで歩みを進めたところで。俺たちは、ある一角に平積みされた豪奢な装丁の本を見つけた。
著者:シェリア・リーフィールド。
『少女探偵』シリーズ――。
今朝方、本人からその執筆の裏話(という名の爆弾発言)を聞いたばかりの俺たちは、思わず顔を見合わせ、どちらからともなく「くすり」と笑い合ってしまった。
「……ねえ、リゼットさん」
「はい?」
「よかったらこれ、俺からプレゼントするから読んでみない?」
俺がそう提案すると、彼女は少しだけ慌てたように首を振った。
「い、いえ。そのような……! 自分の分は、自分できちんと購入いたしますから」
「いや、実はさ。元々、リゼットさんが専属SCに正式に就任したことの『お祝い』に、何か渡せないかなってずっと考えてたんだ」
俺が正直な思いを打ち明けると、リゼットさんは目を丸くして、それからほんの少しだけ頬を朱に染め、照れたように視線を彷徨わせた。
「お祝い、ですか……」
「もちろん、興味ないなら無理にとは言わないけど。どうかな?」
俺が少し首を傾げて尋ねると、彼女は嬉しそうに口元を綻ばせ、小さく頷いてくれた。
「……そういうことでしたら。ありがたく、お受けいたします」
「よかった。じゃあ、俺も久々に読み返したくなったから、自分の分も買っていこうかな」
俺は彼女の分と自分の分を含めて、シリーズの最初の数巻を二冊ずつ手に取り、レジへと向かった。
会計を済ませ、店を出る。
「はい、これ。就任祝い」
小説の入った紙袋を手渡すと、リゼットさんはまるで大切な宝物を受け取るように、両手でしっかりとそれを抱き抱えた。
「ありがとうございます、アル様。……大切に、読ませていただきますね」
初夏の陽射しの中。紙袋を抱きしめて嬉しそうに微笑む彼女の顔は、今日一番の、年相応の女の子らしい輝きに満ちていた。
https://syosetu.org/novel/420450/
軌跡とは関係のないクロス作品ですが、ちょっとむしゃくしゃしてかいてました。
こっちが落ち着いたら本格的にこっちの連載もしようと思うのでもしよければこちらもよろしくね。
こっちが落ち着くのは まあもう暫く先なのですが