【幕間連載中】『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
キィンッ――!
硬質な金属音と共に弾き飛ばされたナイフが宙を舞い、乾いた音を立てて訓練場の床に転がった。
その直後、踏み込んできた《神速》の斬撃をまともに胴へと受け、俺は衝撃に抗えず、バタリと背中から床へ倒れ込んだ。
「ぐ、ぅ……っ」
刃を潰した訓練用の模造刀とはいえ、彼女の踏み込みの速度が乗った一撃だ。
装甲の上からでも、内臓が揺れるような鈍い痛みが響く。
痛む脇腹を片手で押さえながらゆっくりと上体を起こし、目の前に立つデュバリィさんを見上げる。
そこに立つ彼女の姿は、手も足も出ずに完膚なきまでに叩き伏せられた最初の立ち合いの時とは、明らかに違っていた。
白磁のような額には玉の汗が浮かび、肩はわずかに上下して、少しだけ呼吸を乱している。
「……くっそ、まだダメか……。はははっ」
あと一歩届かなかった悔しさと、それでも確かな手応えを感じられた充実感に、俺は床に座り込んだまま笑いを漏らした。
対するデュバリィは、細身の剣をカチャリと鞘へと納めながら、乱れた呼吸を深く吐き出し、努めて落ち着いた様子で床の青年を見下ろしていた。
『貴方――腑抜けていませんか?』
あの日、かつての死線を知る者として我慢ならずに厳しい言葉を投げつけてから、こうして彼と手合わせをするのは、もう何度目になるだろうか。
最初こそ、文字通り赤子の手を捻るように圧倒してみせた。
だが、自分自身の『腑抜け』を自覚し、かつての泥臭い執念を取り戻した彼は、手合わせの数を重ねるごとに、恐ろしい速度でこちらへと肉薄してくるようになっていた。
ナイフと銃を組み合わせた変幻自在の立ち回りはもちろん、あの厄介な手甲――《パルスストライカー》から放たれる力場の衝撃波。
初戦では思考が追いつかず、引き出すことすらできなかったその新武装を、今の彼はすでに己の手足の一部として完全に組み込んでいる。
だが、何よりも厄介で、脅威なのは――こちらの一瞬の『繋ぎ』に、強引に割り込んで合わせてくる、あの『目』だ。
純粋な速度でも、剣の技量でも、依然として自分の方がはるかに上回っている。
にもかかわらず、彼は圧倒的な速度差の中で必死に思考を回し、こちらの挙動や呼吸の癖を冷徹に見計らい、神速の連撃のほんのわずかな『継ぎ目』へと、自殺行為すれすれのタイミングでカウンターをねじ込んでくるのだ。
その異常なまでの器用さと、泥を啜ってでも食らいつく執念の前に、ここ数戦はヒヤリとさせられる場面が確実に増えていた。彼の成長を通して、逆に自分自身の剣の隙や甘さを突きつけられた形でもある。
デュバリィは誰にも聞こえないように大きく息をつき、小さく唇を噛んだ。
(……わたくしも、まだまだ未熟ですわね)
心の中で厳しく自らを戒める。だが同時に、自分の言葉をきっかけに、ここまで見事に牙を取り戻してみせた目の前の青年に対し、武人として確かな清々しさを感じているのも事実だった。
デュバリィはふっと表情を和らげると、一歩歩み寄り、床に座り込む彼へとスッと片手を差し出した。
「――そう簡単に届かれても困りますので。わたくしも、まだまだやられるつもりはありませんわ」
凛とした声でそう告げると、彼は少しだけ目を丸くした後、小さく笑いながらその手を取った。ぐっと力を込めて引き起こしてやると、彼は軽やかに立ち上がり、埃を払いながら満足そうに笑みを浮かべていた。
***
それから少し後。
立ち合いを終えて汗を拭うと、ちょうど昼食に良い時間になっていたこともあり、俺たちはどちらからともなく連れ立って、拠点内のラウンジへと向かった。
カウンターで適当な軽食を用意し、デュバリィさんと同じテーブルの向かいに腰を下ろす。すると彼女は、自分の荷物から可愛らしいランチバスケットを取り出し、明らかに手製とわかるサンドイッチに手をつけようとしていた。
思わずじっとその手元を見つめていると、視線に気づいたデュバリィさんがピタリと動きを止め、少し警戒するようにこちらを見た。
「……なんですの?」
「いや、デュバリィさん。それ、自分で作ったんですか?」
素直な疑問を口にすると、彼女はほんの少しだけ頬を染め、気恥ずかしそうに視線を逸らしながら、小さく頷いた。
「……今のわたくしは、正式に結社へと戻った身の上ではありませんから。拠点の設備や食料を我が物顔で使うのもどうかと思いましたので、自分の分は自分で用意しているだけですわ」
「あー……」
なんというか、どこまでも筋を通そうとする彼女らしい理由だった。
そのあまりにもクソ真面目なところがおかしくもあり、同時に少し微笑ましくもあって、俺は吹き出しそうになるのを堪えながら「なるほど」と頷き、そのまま二人で静かに食事を始めた。
互いの食事を終え、食後の飲み物を口にしながら一息ついていた時のことだ。
ナプキンで口元を押さえていたデュバリィさんが、ふと真剣な眼差しを向けてきた。
「……アルシュ。一つ、お聞きしてもよろしいですか?」
「はい、なんでしょう?」
促すと、彼女は少しだけ言いあぐねるように視線を彷徨わせた後、意を決したように口を開いた。
「かつての『バベル事変』の折……わたくしは貴方と直接剣を交える機会はありませんでした。ちゃんとした形で貴方の戦いぶりを目にしたのは、あのクロスベルの拘置所で、ルーファス・アルバレアやスウィン、ナーディアたちを相手取った時の動きのみですわ」
デュバリィさんはそこで一度言葉を区切り、「……ごほん」と軽く咳払いをしてから、どこか気遣うように続けた。
「その、あの時の貴方は……お世辞にも、精神的に正常な状態とは言えないご様子でしたけれど。それでも、純粋な動きの『キレ』そのものは、今の貴方よりもあの当時の方が上回っていたように思われますの」
真っ直ぐな蒼い瞳が、俺をじっと見つめる。
「こうして幾度か手合わせを重ねてきて、貴方の本来の実力も、用いる手管もおおよそ分かってまいりました。……ですけれど、そうなるとますます、あの拘置所で見た貴方の動きとは繋がりづらいところがありまして。……立ち入ったことかもしれませんが、理由を伺ってもよろしいものでしょうか?」
どこか遠慮がちに、けれど武人としての純粋な疑問を隠せない様子で、彼女はそう尋ねてきた。
「あー……」
カップを持ったまま、少しだけ言葉に迷う。
そうだった。あの拘置所での戦いを、デュバリィさんはルーファスたちのすぐ後ろで一部始終見ていたのだ。
ラピスにいきなり本名を呼ばれて激しく動揺し、頭の中がぐちゃぐちゃになったまま、ほとんど無意識の反射だけで暴れ回った――あまり褒められたものではない、あの無様な戦いを。
あの時の極限状態の動きと、今の俺の動きとを比べられれば、彼女ほどの達人が疑問を覚えるのも無理はないだろう。
観念したように小さく息を吐き、苦笑しつつ口を開いた。
「……そう、ですね。まあ、結論から言うと、不甲斐ない話なんですが……あの頃より弱くはなってますね」
そう切り出すと、デュバリィさんは少し意外そうに目を瞬かせた。
「実のところ、博士が言うには、今のこの身体の性能は当時と変わっていないどころか、むしろ上がってるらしいんです。ただ、それを実感できるほど、まだ俺自身が引き出せていないというだけで」
まあ、あのプライドの塊のようなノバルティス博士が、一度作り上げたものの後に、わざわざ劣化したものを作るわけがない、と言われれば至極当然の話なのだが。
「じゃあ、何をもってあの頃より劣っているのかというと……単純に、《エリュシオン》がなくなって、あっちの演算で拡張されていた部分がごっそりなくなったから、だそうです」
カップの中の冷めた飲み物に視線を落としながら、当時の感覚を思い返すように言葉を続ける。
「バベル事変の最終局面……あの《エクスキャリバー》とやり合った、生身と同程度まで出力が落ち込んでいた時に比べれば、今の身体の方がずっと能力は高いんですけどね。それでも、独立国騒動の渦中で、ああやって複数人を同時に相手取っていた頃に比べると、どうしても感覚や反応の面で結構落ち込んではいるんですよ」
あの拘置所での戦いは、精神こそ乱れていたものの、身体の制御や空間把握の裏には、常に《エリュシオン》の膨大な演算補助が働いていた。
今の俺には、もうそのチートじみた後ろ盾はない。
一通りの事情を伝えると、デュバリィさんは納得したように小さく頷き、「……そうでしたか」と静かに受け止めてくれた。俺は肩をすくめ、自嘲気味に笑う。
「まあ、結局のところ、今の俺の未熟さのせいなんですけどね」
事実、それ以上でもそれ以下でもない。
与えられた素体のスペック自体は以前より上がっているのに、俺自身の技量と慣れが、それを十全に引き出せる領域にまで辿り着いていないというだけの話なのだから。
すると、ふと何かを思い出したように、デュバリィさんが口を開いた。
「その身体……『シミュラクラ』ということでしたけれど。あの事変の折、わたくしも何度か、その……拝見いたしましたわ」
俺の出自に関わる話題だからか、少しだけ言いづらそうに言葉を選びながら、彼女は続ける。
「拘置所などであの《風の剣聖》が複数人現れて、わたくしたちの前に立ち塞がりましたの」
「…………はぁ!?」
思わず素っ頓狂な声が漏れた。
(アリオスさんを、複数人!? あの爺さん、裏でそんなことまでやらかしてたのかよ!?)
事変の最中に俺が直接目にした博士謹製のシミュラクラといえば、あの規格外の《火炎魔人》の複製体くらいのものだったが……まさか、アリオスさんのコピーまで、しかも複数体も量産してぶつけていたなんて。あまりのやりたい放題っぷりに、呆れを通り越して乾いた笑いがこぼれた。
そんな俺の反応を見ながら、デュバリィさんは当時の苦戦を思い返すように眉を寄せる。
「実力も、ご本人にかなり近く……いえ、同じ場にいた《風の剣聖》ご本人からすれば造作もない相手だったようですけれど、わたくしたちから見れば、オリジナルの九割程度はその恐るべき力を引き出せていたかと」
「はぁ〜……」
達人の領域にあるアリオスさんの力を九割再現した人形が、複数体。
聞けば聞くほどあんまりな所業に、肺の奥から大きく、深い溜息が漏れた。
今はこうして調整を受け、ある意味で博士の『共犯者』の真似事をやり出した俺が言えた義理ではないのだが――本当に、つくづくろくでもないマッドサイエンティストだと、心の底から呆れ返るしかなかった。
「そもそもシミュラクラっていうのは、対象になった本人の完全な再現……まあ、実際には一部の再現にとどまった部分もあったみたいですけど、それが本来の目的だったのは確かなようです」
話を戻すと、デュバリィさんは「ええ、そう聞いておりますわ」と真剣な面持ちで頷いた。
「で、俺のこの身体なんですが……実はこれ、あの博士がちょっと余計な手を加えた『特別製』でして」
「特別製、ですの?」
首を傾げる彼女に、言葉で説明するより早いかと思い、テーブルの上で右手の掌を広げて、彼女の前へと突き出した。
「デュバリィさん、ちょっと手を貸してくれません?」
「……? なんですの、突然」
怪訝そうに眉を寄せつつも、彼女は律儀に右手を伸ばし、俺の掌にぴたりと重ねてくる。剣ダコはあるものの、俺の手よりずっと小さくて、しなやかな掌だ。
俺はそのまま、彼女の手を向こう側へとぎゅっと押し始めた。
「ちょっ……な、なんですのこれ!? 力比べのつもりですか!?」
意図が分からないまま、負けず嫌いな性格が顔を出したのか、デュバリィさんも咄嗟にぐっと力を込めて押し返してくる。
体格差もあって俺の方が少し強めに押し込んではいるが、それでも彼女が片手で十分に押し留められる程度の拮抗状態だ。
目を白黒させながら押し返してくる彼女の顔を見て、思わず「ふふっ」と笑みがこぼれた。
「デュバリィさん。今、俺が出してるこれくらいの力――これが、俺の『本来の力』なんです」
「……え?」
押し返していたデュバリィさんの手がピタリと止まり、その瞳がハッと見開かれた。
「……あ」
すぐに思い至ったらしい。
つい先ほどまでの立ち合いの最中、俺は何度か力任せに彼女の盾ごと身体を弾き飛ばしたり、強引に投げ飛ばしたりしてみせた。
あの人間離れした剛力に比べれば、今こうして掌を通じて伝わっている力は、あまりにもささやかなものだ。
それこそ、そこそこ鍛えた一般の成人男性とさほど変わらない。
重ねていた手をそっと離し、自分の掌をグーパーと握ったり開いたりしながら、言葉を続ける。
「博士からの受け売りなんですけどね。俺がこの身体で『本来の生身の自分』以上の力を引き出そうとする時は、頭の中で『今からその力を振るうぞ』って意識的に認識しないと、出力できない仕様になってるらしいんです。……なんというか、その認識自体がスイッチになってるみたいで」
「スイッチ、ですか……。つまり、普段はリミッターがかかっているような状態ということですの?」
「ええ、感覚としてはそれに近いです。ただ、俺はもともと頭で色々と考えを巡らせながら戦うタイプなもので……立ち回りの中で『ここで出力のスイッチを入れる』っていう工程を挟むのが、思考する上で結構なノイズになってるんですよね」
もちろん、この身体になってからもうそこそこ動かしているわけだから、最初の頃に比べれば随分と最適化されて、無意識の思考の中にその工程が自動的に組み込まれている部分もあるのだが。
すると、腕を組んで真剣に耳を傾けていたデュバリィさんが、鋭い指摘を飛ばしてきた。
「……なるほど、あの拘置所の時との『キレ』の違いは、そこにあるわけですわね。あの時は《エリュシオン》とやらが、そのスイッチの切り替えをすべて肩代わりしていたと」
「ご名答です。おかげで当時は、何も考えずにスペックの上限を垂れ流せていたわけですよ」
苦笑して頷くと、彼女は少し考えるように顎に手を当てた。
「ですけれど、その仕様自体はどうにもならないのですか? ノバルティス博士に調整していただくとか……」
「それが、博士が言うには身体側の問題じゃなくて、俺自身の『認識の幅』の問題みたいでして。俺の脳が、この規格外の出力を『自分の当たり前の力』として完全に馴染ませて認識できるようになれば、わざわざ意識しなくても自然に振るえるようになるそうです」
そこで一拍置き、肩をすくめてオチをつける。
「まあ、あの爺さんの言葉をわかりやすく要約すると――『つべこべ言わずに死ぬ気で鍛えて慣れろ』だそうですよ」
「……ぷっ。ふふ、あはははっ!」
あんまりな要約に、デュバリィさんは思わずといった様子で吹き出し、珍しく声を上げて朗らかに笑った。俺もつられて一緒に笑ってしまう。
ひとしきり笑った後、彼女はスッと表情を引き締め、どこか嬉しそうに目を細めて俺を見た。
「なるほど、事情はよく分かりましたわ。……そういうことでしたら、この手合わせはこれからもみっちり続けなくてはいけませんわね」
「お手柔らかに、よろしくお願いしますよ」
「ふふん、手加減などいたしませんわ!」
すっかりいつもの調子に戻った彼女を見て、俺はふと、テーブルの上の空になったランチバスケットに目を留めた。
少しだけ悪戯心が湧き上がるのを感じながら、何気ない風を装って切り出す。
「あ、そうだ。ねえ、デュバリィさん。……もし俺がいつか、立ち合いでデュバリィさんから一本取れたらさ。その時は、俺にも食事をごちそうしてくれません?」
「…………へ?」
ピシリ、とデュバリィさんの動きが固まった。
数秒後、その白い顔がみるみるうちに耳まで真っ赤に染まり、ガタッと椅子を揺らして身を乗り出してくる。
「なっ、な、何を突然言い出しますの貴方は!? し、食事をごちそうって……なぜわたくしがそんなことをっ!」
「あはは、いや、深い意味はないんですけどね。俺、自分じゃ料理が全然ダメなもので……さっきデュバリィさんが食べてたサンドイッチ、すごく手際よく作られてて美味しそうだなと思って」
「っ……!?」
素直にそう褒めると、彼女は「うぐっ……」と喉を詰まらせ、恥ずかしさと動揺で視線をあちこちへと泳がせた。
「べ、別に大したものではありませんわ! ただのあり合わせを挟んだだけで、人様に振る舞うようなものでは……っ」
「そういう家庭的なのが一番美味いんですよ。どうです? 俺としても、何か具体的な目標やご褒美があった方が、『死ぬ気で鍛える』のにも一層気合が入るっていうか」
ニヤリと笑ってそう畳み掛けると、デュバリィさんは真っ赤になった顔を隠すように腕を組み、ギリギリと悔しそうに唇を噛んだ。
武人としてのプライドと、持ち前の面倒見の良さが、頭の中で激しくせめぎ合っているのだろう。やがて彼女は大きく息を吐き出すと、ビシッと俺の鼻先へ指を突きつけた。
「わ、わかりましたわよ! そこまで言うなら、約束して差し上げます!」
ヤケクソ気味にそう言い放ち、彼女は照れ隠しのようにツンと顎を上げて、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「――もっとも! この《神速》のデュバリィから、貴方が見事一本でも取れたら、の話ですけれど! せいぜい精進することですわね!」
怒っているような、それでいてどこか楽しそうなその宣言に、俺は声を上げて笑ったのだった。
https://syosetu.org/novel/420450/
以前一度あげたクロス小説ですが、色々落ちついたので
こちらも正式な形で連載始めました。あっちは週に一回連載できたらいいなくらいの感覚なのですが
よければよろしくおねがいします
こちらももう数回おまけつづけたらイーディス編ですね。
次回作が出るまでに界の終わりまで行くことを目標にしてます