庭の植木鉢にナゾノクサが居座った。追い出そうとするがうまくいかない。「ポケモン」という、この不思議な生き物と、それがいる世界と、どう向き合う?

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遭遇、へんないきもの

 植木鉢に、大きな草が生えていた。

 ひと抱えほどのサイズの鉢で、昨日土を入れ、苗を植えられるよう準備はしていた。けれど、今はまだ何も植えてはいない。じゃあこれは、いったい何だ?

 植木鉢に近付いて、しゃがみ込む。自分の手よりも長い、先のとがった楕円形の葉が5枚。観葉植物かと思えるほど、植木鉢のサイズにぴったり収まる立派な大きさだ。

 葉はすべて中央の根元から生えている。葉の根元には、青紫色の起伏が見えた。

 そこでやっと、その正体に思い至る。

「まじかぁ……」

 地面に向かって息を吐く。コイツを抜くのはどうしたらいいんだったか。

 数年前に大量発生した時には、あちこちの家の花壇や植木鉢に住み着いて苦労したのだと、近所の人が言っていたっけ。

 

 コイツ――ナゾノクサは、草ではない。ポケモンだ。

 ポケモンは、植物と違い自ら動き回る生き物だ。「わざ」と呼ばれる攻撃で他者と戦うことがある。「進化」と言って、姿かたちを変えることもある。

 ポケモンとは特に関わりの無い人生だったが、それくらいは知っている。むしろ、それくらいしか知らない。

 

 指先でそっと葉に触れてみるが、反応は無い。普通の植物のように、大きな葉が揺れただけだ。

 ――これは本当にポケモンなんだろうか。

 考えにくいが、一晩で大きな雑草が生えた可能性は無いだろうか。最近、朝夕は冷たい風が吹くものの、昼の太陽は暖かく次の季節に移り行くのを感じる。花壇や庭、道端にも、雑草が増え始めた気がする。どこからか飛んできた種子が、たまたまこんな形の葉をつける植物だったとか……

「無いな」

 ガーデニングを始めて日は浅いが、少なくともこの種類の雑草が一晩でこんなに伸びることはないだろう。

 

 それにもうひとつ、コイツがナゾノクサだと思い至った理由がある。

 この町には以前、ナゾノクサが大量に現れたことがあるそうで、引っ越してきたばかりの頃に近所の人たちが教えてくれた。

 「肥料を入れて手入れをしたばかりの植木鉢に入り込んでいた」「抜こうとしたら恐ろしい感じのする鳴き声を出すので抜けなかった」「庭だけでなく道端にも似たような草がたくさん生えていて見分けがつかなかった」

 だいたいこんな内容だったが、困っていそうな状況なのにその話しぶりは楽しげで、当時の写真を見せてくれた人もいた。植木鉢やプランターに埋まっている写真の姿が、目の前の光景と一致する。

 

 あなたもガーデニングを始めたらナゾノクサには気をつけて、と言われたが……すでに侵入されてしまった場合はどうすればいいのだろう。「あの時は大変だった」話はさんざん聞いたが、どのように対処したのかの話を聞いた記憶が無い。

 もしかすると、話してもらったものの自分が覚えていないだけかもしれない。もともとポケモンにさして興味も無く、ガーデニング自体も意欲的に始めたわけではない。暇な時間に余計なことを考えないよう、手を動かしていたかっただけなのだから。

 

 ポケモンならばモンスターボールで捕獲もできる。が、相手がポケモンである以上、「わざ」で反撃される場合もある。ポケモンに詳しくない、捕獲経験も無い自分が迂闊に手を出すのはためらわれる。

 真新しい土の上で揺れる大きな葉は、つやつやしていて元気そうだ。ナゾノクサがどんな「わざ」を使うのかは知らないが、元気のある相手に自分が勝てそうな気はしない。

 

 このまま葉を眺めていても埒が明かないので腰を上げて家の中に戻る。

 ひとまず情報を集めようとパソコンに向かう。

 「ガーデニング」「ナゾノクサ対策」などの単語で検索し、適当にいくつかのページを開いて読んでみた。

 気付いたら庭や畑に埋まっていて困ったという、この町の人たちに聞いたのと同じような状況が出てきた。捕獲するか、ポケモンと戦える人に頼んで追い払ってもらうか、そのうち居なくなるのを待つか……対策もそれなりに紹介されている。

 ただ、捕獲するのはハードルが高く、戦える人を探すのも苦労しそうで、いつ居なくなるかわからないものをただ待つのも現実的ではない気がした。

「うーん……まぁ、これかぁ……」

 ひとつ、少なくとも植木鉢からは追い出せそうな情報を見つけた。

 

 ナゾノクサは夜に活動し、よい土壌を求めて移動して行くのだという。

 夜に土から出たタイミングを狙い、花壇や畑に板やビニールなどでフタをしてしまえば、戻る場所を失ったナゾノクサは新しい寝床を探してどこかへ行くらしい。しかし、必ずしも望んだ結果にはならず、すぐ横の地面に居を移すだけの場合もあったとか。

 

 これを試してみてもいいが、調べているうちにふと思いついた。

 もうひとつ植木鉢を買ってしまえばいいんじゃないだろうか。そうだ、それでいい。ポケモン1匹に邪魔された程度で、予定を変更してしまうことはない。植木鉢1個くらい、くれてやる。こちらは新しい植木鉢を使えばいい。

 調べていた画面を閉じ、さっそく植木鉢を買いに出かけた。

 

 

 

 結果として、うまくいかなかった。むしろ増えた、ナゾノクサが。

 新しく買って手入れをした植木鉢にも、翌日には全く同じ草が生えていた。

「……」

 言葉が出てこない。

 同じ形の大きな葉が生えた植木鉢が2つ並ぶ。そういう観葉植物です、と主張してやろうかと思えてきたが、こちらとしてもそれなりに植える計画を立てていたので、それが崩されるのは納得がいかない。

 パソコンで調べた通り、植木鉢を塞いでみるか。

 

 しかし、これもうまくいかなかった。

 夜になるのを待つと、確かにナゾノクサたちは植木鉢を抜け出しどこかへ走って行った。その隙に植木鉢の上に板を置き、簡単に動かせないよう固定もした。すると、今度はフタをされていない他のプランターにナゾノクサたちは埋まったので、さらにその夜、庭のすべての植木鉢やらプランターやらを塞いだ。朝になると、なんと元の植木鉢に埋まっていた。

 どうやったのかと脇に落ちている板を確認したら、板そのものや固定具の部分が溶けたようになっていた。あとで調べたところ、”ようかいえき”という、物を溶かしてしまう液体を放つ「わざ」を使えるナゾノクサがいるらしかった。人間の皮膚も溶かすらしい。よかった、直接手を出さなくて。

 

 こうなったら、諦めてナゾノクサたちがいなくなるのを待とうと思ったが、次の日さらに1匹増えていた。どうして。

 大きなサイズの植木鉢2つはすでに先客で埋まっている。そのせいか3匹目は、鉢の向かいに置かれた横長のプランターの、ど真ん中に陣取っていた。

 植木鉢2つに、プランターが1つ。大きな雑草に占領されている。

 すべてこれから植える苗のために肥料を用意して手入れが済んだ場所だ。その栄養をナゾノクサたちに吸われていると思うと腹立たしい気もしてきた。腹立たしい気は、したが……

「まぁ、そんなに、やりたかったわけじゃないけど……」

 そうだ。本当のところは、怒りを抱くほど熱心に取り組んでいたわけじゃない。ある日突然、どう生きていいかわからなくなって、仕事をやめて、引っ越して……毎日の暇つぶしに、何かしていたかった。その程度の意欲で始めたことが何者かに邪魔されたとして、なんだというんだ。

 生活費のことを考えると、どうせそのうちまた仕事に行かなければならない。そうなれば、ここを手放すことになる。

 興味もやる気も無い自分なんかより、他に喜んでこの場所を使う生き物がいるなら、それでいいじゃないか。

 

 そう思った途端、何もする気が起きなくなった。

 何かを楽しいと感じる気持ちが消えるような感覚がした。

「だめだ……」

 首を振って、その場にへたり込みそうになる重さを振り払う。

 何も持たずに庭から外へ出て、道なりに歩く。

 住む人が少なく長閑なこの町は、少し歩けば野原や林に行き当たる。そのうちのひとつ、よく陽が当たる原っぱまで足を止めずに辿り着くと、どさっと腰を下ろしてそのまま寝転がる。目を閉じる。

 

 短く生えた草の柔らかさと、ほどよい土の硬さが背中越しに伝わる。日光が強く暑いくらいだが、肌を撫でていく風は冷たくてちょうど良い。

 鼻から空気を吸って、ゆっくりと、ゆっくりと、口から吐き出す。それを数度繰り返す。背中も、腕も、脚も、すべてが地面の上に投げ出されている。

 風の音、草木が揺れる音、何かの生き物の鳴き声。眠りに落ちそうなほどに心地よい雑音。

 ――目を開けて、青空と白い雲が作る世界を見るともなく視界に入れる。

 

 自分が情けなくなった。そんな感じがした。

 物事をうまく解決できない自分も、解決できなかった時にすぐに折れてしまう自分も。自分で自分を好きになれそうな姿が、どこにも見えない気がした。

 

 ガーデニングは好きで始めたわけではない。じゃあ、好きなものはなんなんだ、続けたいことは無いのか。何も思いつかない。

 周りの人間は、幼い頃からポケモンを連れているやつが多くて、身近なポケモンがきっかけで写真家になったとか、美容院で働こうと思ったとか、ポケモントレーナーとして有名になったとか……ポケモンとともに駆けていく彼らが、輝いて見えた。

 一方で自分は、ポケモンにも他のことにも興味が持てないまま学校も仕事もそれなりにこなして生きてきて――、それだけだ。

 ニュースを見ても街を歩いていても、ポケモンとともに華々しく活躍している人たちが、ポケモンがいなくとも毎日を楽しく生きている人たちが、目に入る。別に、有名になりたいとかそういうことではない。ただ、夜眠る前に自分にガッカリするのが嫌になった。

 

 他人の姿を羨むだけの自分を変えようと、仕事をやめ、人の少ない地域に引っ越してみたものの、やることがなく暇すぎて余計なことを考えてしまっていた。気晴らしに周囲を散歩していて、花や何かの植物で飾られている家が多いなと気付いた。近所の人に話しかけられ、話を聞くうちに「じゃあ、自分もやってみようかな」と思ったのが半年ほど前だ。

 ガーデニングを始めてからは「やること」ができて、翌日の行動を考えるのが夜の習慣になった。

 明日のことを考えられる。悪くない生活。

 

 そこに突然ポケモンが現れた。上向き始めた気がしていた生活が、崩される。

 ポケモンが悪いわけじゃない。この程度の出来事でふてくされている自分が、情けない。

 きっとこの世界で生きていく以上、どこにいてもポケモンと遭遇する。もっと恐ろしいポケモンに庭や家を破壊されなかっただけマシだと言える。

 他の人はどうやって、ポケモンと一緒に生きているんだろう。

 

 ふと、なにか丸い、桃色の物体が複数、漂うようにして視界に入ってきた。

 そこらの家の屋根よりも高さがある位置だったが、桃色の上にギザギザした葉っぱのようなものが付いていて、くるくる回っているのが見えた。飛んでいるようにも見えるが、風に飛ばされているだけのようにも見える。

 目で追うようにして自然と身を起こす。

 なんだろうと思っているうちに、近くの林の中へと消えていった。

 

 しばらく呆然と眺めた後、さっき何を考えていたかを思い出そうとした。

 そうだ、実際に聞いてみればいいんだ。ポケモンと生きている人に。数年前、この地域の人がナゾノクサの大量発生で悩んだ時、どうしたのか。

 

 

 

 近所の人のうち、一番話す機会の多い人の家を訪ねた。ガーデニングに関して困った時にも何度か助けてもらっている。

 偶然、庭で手入れをしていたので声をかけながら近づいたが、その足元に見覚えのある葉を見かけて立ち止まった。

「おや、こんにちは。……どうかした?」

 後半の問いかけは、来訪者が足を止めて硬直したのを疑問に思っているものだった。

「いえ、その……」

 急に、どんな言葉を選べば相手に伝わるのかわからなくなり口ごもる。

 相手は庭の手入れの道具を置き、近くに来る。

「聞きたいことがあって」

 それだけ言った時、相手が「あっ」と声をあげた。

 相手の視線はこちらよりもやや上を見ていて、自分の後ろにある何かを見ているのだと察しがついた。

 つられて振り返ると、先ほども見かけた桃色の物体がいくつか見えた。風に流されるようにして、あっという間に飛んで行ってしまった。

「ハネッコかあ。春が近いなあ」

 なんとなく飛んで行った方を見送っていたが、相手がそう発したのをきっかけに視線を戻す。

「ハネッコ……?」

「あのポケモンのことだよ。ハネッコは風に乗って旅をする。この辺りには、春が近くなる頃にやって来るんだ」

 聞きなれない言葉に首をかしげると、すぐに教えてくれた。あの桃色もポケモンだったらしい。

 急なことであっけにとられたが、緊張が少し緩んだ気もした。

 相手は「良いものを見た」とばかりに微笑んでいる。

「春の準備をしている時に見かけると、嬉しくなるんだよね。ところで、さっきは遮ってしまったけど聞きたいこととは?」

 まさにその春の準備についてのことだ、とナゾノクサのことを話す。

 

 話しながら、ちらちらと庭に視線を向けてしまう。この人の庭にも、ナゾノクサがいる。困っていないのだろうか。

「ああ、ナゾノクサね。大丈夫だよ、今年は大量発生しているわけじゃないから」

「……なにもしないってことですか?」

「ポケモントレーナーさんに頼んで追い払ってもらっている人もいるけどね。確かに場所は使われてしまうけど、毎年のことだから」

「毎年?」

「そう。この地域にはずいぶん前からナゾノクサたちが来ているよ。いつ頃からかは忘れたけど」

 そう言って、足元の大きな葉に目を向ける。

「ナゾノクサもハネッコと一緒で、あちこち旅をしているそうだよ。そうして、この季節にここにやってくる。するとね……きみの背中みたいなことになるんだ」

 言われた意味がわからず、指で示されたのにつられて振り向いたが特に何もない。砂利道とか、原っぱとか、点在する民家とか、人が少なく穏やかな風景が広がっている。

「ほら、こっちを向いて」

 わけがわからないまま再び相手を向くと、その手に小さな雑草が、ひとひら。

「背中に付いていたよ。どこかで寝転がってきたんじゃないか?」

 そのとおりだったので驚いた。行動を見透かさて恥ずかしい。そういえば原っぱから直接ここまで来てしまった。背中には土も付いているかもしれない。

「きみが寝転んだ場所は、きっとナゾノクサが来たところだよ。ナゾノクサが来た野原は元気になるんだ。春が来るより前からね。道端にも緑が増える。まあ、手入れした庭や畑に雑草が増えると、困るんだけどね」

 困る、と言いつつ嬉しそうに笑った。

 

 その表情を見ながら、「ナゾノクサが来ると野原が……?」と、言われたことを頭の中で繰り返す。

 ポケモンには不思議な力があると言うし、そのポケモンが現れるだけで何かが起こる……なんてこともあるんだろうか。

 たしかに、最近庭や道端に雑草が増えた気がしているが、それは暖かい季節が近付いてきたからだと思っている。ナゾノクサが関係していると言われても、ナゾノクサが埋まっている姿がそう見えているのでは、としか思えない。それも含めて、緑が増えたと言っているのだろうか。

 

 相手に返す言葉が思いつかないままでいると、

「ナゾノクサたちは、きっと気に入ってくれたんだろうね。この場所を。だから、毎年来てくれる」

 しみじみと、また足元の葉に目を向けて言う。

 この人はナゾノクサが来るのを心待ちにしているようだ。

 確かに、あの心地よい原っぱを生み出すのにナゾノクサが関係している、と言われたら無理に追い出すほうがよくないことに思える。

 それに、ナゾノクサが毎年やってきて同じように過ごしているのなら、どちらかと言えば自分のほうが後からやってきた部外者だ。

 ナゾノクサが問題なのではない。

 自分こそが、この世界での生き方を見つけられないのだ。

 

 急に落胆を感じた。こうやって場所を変えても、そう簡単に生き方は変えられないのかもしれない。

 もう帰ろうと思い、お礼を言ってその場を離れようとした。

「ああ、そうだ。もしよかったら、夜にナゾノクサたちについていってご覧よ。ここじゃ今の時期しか見られないから」

 今の時期しか見られないってなんだ?

 不思議に思ったが、特に聞き返さずその場を離れた。会話する気力が尽きてしまっていた。

 家に戻る道中、ちらほらとナゾノクサの葉を見かけた。

 道端にも、人の家の庭にも、風景に溶け込むようにして存在している。もちろん、自分の家の庭にも。

 ここは自分の家なのに、馴染んでいないのは自分の方みたいだ。

「……」

 とても庭を眺めてはいられず、家の中に入ってそのまま眠った。

 まだ日は高かったが、立っているのが苦しかった。この世界に、立っていられそうになかった。

 

 

 

 目が覚めて窓の外を見ると、ちょうど日が沈んだ頃だった。

 暗くなり始めた空。明るい月が見えた。半月からは少し膨らんできた頃だろうか。

「あっ」

 反射的に外へ飛び出した。ちょうど、ナゾノクサたちが土から出ていくところだった。

 葉を揺らす後姿を見えると同時に夜風の冷たさが襲ってきて、慌てて家の中に戻る。上着をひっつかみ、また外に出る。

 幸い、ナゾノクサの足はそこまで速くはないらしく、前方にまだ姿が見えた。

 警戒されないよう距離を取って、小走りについて行く。だんだんと他の場所からやってきたらしいナゾノクサも増え、ちょっとした行列になった。

 

 ナゾノクサは葉の部分こそ大きいが、その根元の紫色の体は人間の膝よりも低い位置にあり、小さな生き物に見える。

 球体の体から2本の足が生えていて、テンポよくひたすら前へ前へと歩いていく。

 なにぶん、人間に比べれば歩幅が狭いので、ついていくのは難しくなかった。

 途中で、近所の人の言葉どおりにする必要は特になかったことに気付いたが、寝起きだったこともあって流されるままここまで来てしまった。それなら、もう行ってみるしかない。

 

 ナゾノクサの集団は、野原が多い辺りにやってきた。空の明るい部分はもう少なくなっていた。

 周囲を見ると、追いかけている集団の他にも、何か生き物の集まりがいるような感じがした。それらがナゾノクサなのかどうかはわからない。暗くなっていく中では、ぼんやりしたシルエットが動いているようにしか見えなかった。

 

 ふと、前方のナゾノクサたちが歩くのをやめた。やめたと思ったら、今度はぴょんぴょん飛び跳ね始めた。

 同時に不思議な音があちこちから聞こえてきて、少し経った後にそれがナゾノクサの鳴き声だと気付いた。

 

 月明かりが、飛び跳ねるナゾノクサたちを照らす。

 ナゾノクサたちはくるくると身をひるがえし、まるで踊っているように見えた。紫色の体にある目や口元も、どことなく楽し気に見えた。

 よくよく見ると、飛び跳ねる時にナゾノクサの体から何かの粒のようなものが放たれている。なんだろうと目を凝らしているうちに、この場所は昼間に自分が寝転んでいた原っぱだと気が付いた。

 さらに、ナゾノクサ以外の生き物の影もあった。具体的な名前まではわからないが、周辺の野生ポケモンだろう。ナゾノクサが跳ね回る後を追ったり、原っぱに寝転がったり、じゃれあったり、何かを食べている様子のやつも……その合間を、ナゾノクサたちがあちこちに散っていきながら、踊るように跳ね回る。その緑の葉に、月光を受けて。

 まだ風の冷たい夜、明るい月の光に照らされた原っぱは、それはもう大賑わいだ。

「へんな、いきもの……」

 思わず言葉が漏れた。目の前の光景に見とれて、その場に座り込む。

 ナゾノクサのことも、他のポケモンのことも、全然知らない。彼らがどうしてこんなに集まっているのか、まったくわからない。けれど、この月夜の野原は今、ポケモンたちにとってのお祭り会場なんだ。

 祭りの夜とくれば、なんだか心が浮き立つ。調子に乗って、口笛をぴゅいと吹いてみる。

 ナゾノクサたちは人間が居ようとお構いなしのようで、こちらを気にする様子も見せず、跳ね回る。

 一度、背中から頭の上を踏まれたが、前方に逃げていったナゾノクサが飛び跳ねる姿があまりにも楽しそうで、怒るどころか笑い声すら出た。

 ずいぶんと久しぶりに、自分が何かを楽しいと思えた気がした。変な生き物たちが、好きなように伸び伸びと過ごしている。生き方を見失ってまともに立てない人間も、今やその仲間入りだ。

 この不思議な夜は、ナゾノクサたちが寝床に帰っていくまで続いた。

 

 

 

 翌日、思い立って、さらに新しく植木鉢を購入した。

 すでに2匹のナゾノクサが入っている鉢と同じように土を入れ、整える。

 ナゾノクサたちがいったい何をお気に召したのかはわからないが、板を溶かすほどに入りたかった環境なのは間違いない。

 整え終わった新しい植木鉢を、ナゾノクサ入り植木鉢の横に並べる。

 

 ちらと周囲に人がいないのを確かめ、緊張で詰まったのどを開けるように咳払いをした。

 プランターに生えた大きな雑草の前でしゃがみ、あまり大きな声にならないように気を付けながら言う。

「あのさ、ナゾノクサ」

 ポケモンに人間の言葉が伝わるのかどうかは、わからない。ポケモントレーナーたちがバトルをする時に「わざ」の指示をしていると言うから、伝わるポケモンには伝わるのかもしれない。このナゾノクサにも伝わるかどうか……

 そもそもポケモンに話しかけるなんて人生で初めてだから、伝わらなかったらと思うとちょっと恥ずかしい。

「新しく植木鉢を用意したんだ。もしよかったら、そっちに移らないか」

 目の前の緑の葉は、特に反応が無い。

 ナゾノクサは夜に活動するのだから、日中は眠っているのだろう。言葉が通じる以前に、寝ている相手に一方的に話しかけているのだから、反応が無いのは当然だ。

 そりゃそうか、と思いながら立ち上がる。

 

 だいたい、どうしてわざわざ話しかけようなんて思ったのだろう。そして、新しい植木鉢を買ってきたのはなぜだろう。

 植木鉢のことはまだ、わかる。複数植えられるプランターを占拠されるよりも、植木鉢の方がナゾノクサが抜けた後も手入れがしやすいからだ。これは合理的だ。

 だが、話しかける必要はない。放っておいてもナゾノクサは勝手に新しい植木鉢に入るかもしれない。話しかけて誘導したって、プランターが気に入っていて動いてくれないかもしれない。

 

 まったく自分の気持ちが整理できていない。

 ただ、以前のような「ナゾノクサを追い出さなければいけない」気持ちは無くなっていた。

 ポケモンに興味が持てなくて、かと言って自分の好きなことも見つけられなくて、この世界をどんなふうに歩いて行けばいいのかわからなくなって……どこに踏み出していいのかわからなかった一歩が、今ようやく踏み出せた。そんな気がする。

 そうして、プランターに背を向けて歩き出した時、背後で物音がした。昨夜さんざん聞いたあの鳴き声も。

 そっと振り向いて庭を視界に収める。

 

 プランターから出たナゾノクサが、こちらには目もくれず空いている植木鉢に走り寄り、飛び乗って、土に体を埋めていく。

 完全に埋まる前に、隣に並んだ2つの植木鉢の方を見て声をかけた。すると、葉だけ出ていた植木鉢からも顔がひょっこり現れる。一度鳴き声を交わした後、すぐに引っ込んだ。

 新しい植木鉢に移ったばかりのナゾノクサだけ、土にもぐるのが少し遅れて、その瞬間に、目が合った。

 葉を震わせて、喜んでいるように見えた。

 短く声をあげたあと、さっと土の中に埋まった。

 ポケモンのことなんてわからない。なにもわからないけれど。ナゾノクサが、お礼を言ったように思えた。ばかな。人間の勘違いだ。

 ……けれど、悪い気はしなかった。悪くない。

「こんにちは」

 庭先から声がかかってハッと振り向く。今度は人間の声だ、と認識し直すように「こんにちは」と返す。

 昨日相談しに行った近所の人だ。この人だけでなく近所の人は時々こうして通りかかるついでに声をかけてくるので不思議ではないが、正直驚いた。いつから居たのだろう。タイミングによっては恥ずかしい気がして、なんてことない挨拶ですらうろたえてしまう。

「ナゾノクサはここを、気に入ったみたいだね」

 3つ並んだ植木鉢に目をやりながら言う。"ここ"というのが、この町を意味しているのか、この庭を意味しているのか判然しなかったが、

「そうですね」

 と、うなずいた。どちらの意味だとしても、そのとおりだろう。

「きみも、ここが気に入ったかい?」

 一瞬、言葉の意味がわからなかった。

 不意を突かれたように、唖然と見返してしまう。

 気に入った、と言うのは、好きになった、と言うことだろう。自分は…自分は、どうなんだろう…ここが好きなんだろうか。

 暇つぶしに始めた程度のことをポケモンに邪魔されて勝手に落ち込んで、かと思ったら昨夜のポケモンたちを見ているのが楽しくて、結局植木鉢を新しく買って……

 それに、新しく植木鉢を用意したのは――返事があるかもわからない相手に話しかけたのは、興味からではない。

 悪くない、と思ったからだ。そんなふうに行動しようとする自分自身の姿を見るのが、悪くないと。

「そう……かも」

 悪くない。そう思ったのは嘘ではないから。

 相手に答えるというより、自分で納得するように呟いた。

 小さな声だったので聞き取れてはいないかもしれない。

 それでも近所の人は満足気に微笑んだようだった。

 もしかすると、自分がここに馴染めるのか気にしてくれていたのかもしれない。まだ先のことはわからないけど、少なくとも今は、ここに居たいと思えた。

「あの、この辺りで働ける場所、ありますか?」

 我ながら突然がすぎる質問だ、と思った。

 でももし、この町に毎年ナゾノクサが来て、彼らの旅のほんの一時を過ごす場所に”ここ”を選んでくれるなら、彼らがまた辿り着けるようにしておきたい……そう思った。

 

 今度は相手の不意を突いてしまったかもしれない。言葉の意味を取りかねるように首をかしげたので、「仕事探してて」と付け加える。それでやっと「ああ」と頷くと、

「いいよ。この家から通える仕事がないか、周りにも聞いてみるよ」

 と言ってくれた。

 こちらの意図を言っていないのに察してくれたような気がして、ありがたかった。

 

 お礼を伝えると、去り際に「そうそう」と思い出したように言う。

「ナゾノクサはタネを撒くんだけど、ときどき大変なことになるから、気を付けてね」

 そういえば以前、「ナゾノクサが来ると野原が元気になる、雑草が増える」と言っていた。そのことと関係あるんだろうか。

 昨日の夜、あの原っぱで飛び跳ねながらまき散らしていたのは「タネ」だったということか。でもいったい、なんの「タネ」だろう?

 聞き返す前に、近所の人は去っていってしまった。

 

 一旦休憩をしようと家に戻り、玄関近くにかけた上着がふと目に留まり、視界から外した後、もう一度見た。

「く、草ぁ!?」

 上着のフードから原っぱにあるような小さな草がもさもさと生えていた。もさもさと。

 もしかしてこれか!? ナゾノクサが撒くタネってつまり……雑草のタネ!?

 そんなタネ、いったい、いつ――そういえば昨晩、背中側からナゾノクサがのぼってきてこちらの頭を踏みつけ華麗なジャンプをしていた。あの時!?

「…………ナゾノクサぁ~!!」

 思わず声を上げるが、当の本人たちは土の中でお休み中だ。

 やっぱり彼らはこちらを困らせる。困らせるけれど、困っているけれど、「次はどんなことが起こるだろう」と未来に期待できる今の自分は、悪くない。

 こんな気持ちにさせるポケモンって、やっぱり、へんないきもの。




▼あとがき
ポケモン30周年を迎え、「あなたのポケモンはどこから? 私は、ここから」という人もいるのではと思い立ち、加えて、ポケモンプレゼンツの夜の楽しさを残したくて書きました。

( この作品は「pixiv」にも投稿しています。 https://www.pixiv.net/users/92051 )

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