鬼殺隊隊士、獪岳
彼が鬼にならないだけ
それだけのお話

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獪岳が鬼にならないだけ

 

俺は俺を評価しない奴なんぞ相手にしない

 

 

 

圧倒的強者に跪く事は恥じゃない

 

生きてさえいれば何とかなる

 

死ぬまでは負けじゃない

 

 

 

 

最初の記憶はクソだった。

 

「────ッ!」

 

「────⁉︎ ────ッッ!!」

 

人間の頭っていうのは生まれてから約三年ほど経った頃から周りの出来事を記憶し始めると聞いた事があるが

だとしたら俺の周りの環境は三つの歳の時点で既にクソだったんだろう。

 

「アンタがねぇッ!もう少しマシな仕事でも────」

 

「うるせェッ!!ブチ殺すぞこのクソアマ────」

 

親の顔も、何人兄弟姉妹がいたかも、何処に住んでいたのかさえ朧げだが

程度の低い罵り合いに明け暮れるゴミ共の醜悪な様子だけは鮮明に記憶している。

 

 

五つを過ぎた頃、俺は家を放り出された。

口減らしだった。

労働力としてこさえた癖に、増え過ぎたら今度は邪魔だと言わんばかりに野良犬みてぇに野に捨てるのかよクソが!

 

 

 

孤児になってから二年近く、物乞いや盗みで飢えを凌いできたが

いよいよ限界が来た。

 

「チッ……腹、減ったな…………クソが……」

 

古びた廃屋の壁にもたれ掛かりながら

幼少から今に至るまでのいクソに満ちた記憶が走馬灯のように頭を過ぎる。

 

幸せな事なんて何一つなかった。

 

「(何も成さず、何も残さず、ここで死んじまうのか……?)」

 

何のために生まれてきたのかさえ分からず、ここで死ぬのかと思うと腸が煮えくり返りそうになる。

だが、その不平不満を叫び散らす余力すらもう残ってない。

 

 

痩せ細った身体からも感覚が抜け落ちて、次第に意識が深い微睡みへと────

 

 

 

 

「そこの君、大丈夫か?」

 

一つの光明が、クソみたいな俺を拾い上げた。

 

 

 

 

「さぁ皆、それでは…………」

 

「「「いただきます!」」」

 

森の奥にひっそりと建つ寺。

食膳を前に俺は、先生や他の子供たち同様に手を合わせて食事を始めた。

 

数年前、道端で行き倒れていた俺を先生────悲鳴嶼行冥さんが拾ってくれた。

 

光明とは言ったが、先生が目が見えていない全盲だ。

小さい頃に高熱を患って目が見えなくなったらしい。

また自身の両親も幼い内に亡くした為、ずっと寺暮らしなのだそうだ。

 

「獪岳も、遠慮せずにしっかり食べなさい」

 

「はい!ありがとうございます、先生!」

 

それなのにも関わらず、俺みたいな孤児を引き取ってはこうして寺で育ててくれる。

クソのドブ沼に浸かっていた俺を掬い上げた、さながらお釈迦様の様なお人だ。

 

「先生、今日はご馳走ですね」

 

「ああ、干物の行商人と出会ってね。売れ残りをタダ同然で譲ってくれたんだ。親切な人に感謝しよう」

 

お世辞にも恵まれているとは言えない貧困の毎日だが、明日の衣食住すら保証されてなかったあの頃に比べれば

見違えるような幸福な日常と言える。

 

 

……ただ、

 

「(ただ一つ、気に入らない事があるとすれば)」

 

 

「へへっ、今日の汁物はいつもより味噌が多いな!」

 

「もう良太郎!ちゃんと味わって食べなきゃ!」

 

「…………」

 

 

「(……他の奴らと、俺の食事の量が同じだって事だ)」

 

貧しい生活から救ってくれた先生には感謝してもしきれない。

だからこそ、俺は炊事や洗濯も、寺の掃除だった人一倍やっている。

それなのにこの仕打ちは、おかしいんじゃないのか?

 

「(…………いや、これ以上考えるのはよそう)」

 

先生だって俺の頑張りはちゃんと評価してくれている。

俺の事を認めてくれている筈だ、俺は"価値のある人間"だって。

 

それに、他の連中だって俺と同じように親を亡くしたり捨てられた孤児ばかりだ。

炊事や洗濯の当番だって代わる代わるだ。

何も俺だけが特別偉いって訳でもない。

 

「(……たしかに、今日の味噌汁は美味ぇな)」

 

俺は気を紛らわす様に、味噌汁を啜る。

良太郎の言うとおり、確かに美味かった。

口の中に、味噌の味が広がる。

 

「獪岳、美味しいか?」

 

「……ッ!は、はい!」

 

目が見えない筈の先生は、優しい眼差しでこちらを見た。

俺の心の内まで見透かされたような気がしてドキリとしたが

すぐに平静を装う。

 

先生は俺たちに分け隔てなく平等に優しい。

そんな先生の事を悪く思うだなんて、俺が間違っていたんだ!

俺はそう己を納得させ……

 

 

 

「…………」

 

「どうしたんだ、沙代?」

 

「沙代のお魚、先生にあげる。先生、ガリガリだもん。もっと食べて」

 

俺はそれを聞いた途端、信じられないものを見るような顔になった。

沙代は俺たちの中じゃ最年少の、まだ四歳だ。

そんな子供が、なぜ自分の飯を差し出す?

 

「(……いや、沙代だって、先生に世話になってる事を自覚できるだけの年齢だ。せめて世話になってるだけの恩を返したいってだけだろう)」

 

「心配は嬉しいが、私は厳しい修行の身故、空腹でも平気だ。これは沙代がしっかり食べなさい」

 

「……うん!」

 

やはりと言うべきか、優しい先生は沙代の魚を受け取るような事はしなかった。

俺はそんな二人のやり取りを笑顔で眺めた後、食事を再開した。

 

 

 

 

…………心の中に、妙な蟠りが生まれた。

 

 

 

 

「なぁ沙代」

 

俺は朝食を終えた後、寺から少し離れた薮で焚き火様の枝を探していた沙代に声をかけた。

 

「どうしたの、獪岳おにいちゃん」

 

「お前なんで、先生に食事を分けようとしたんだ?」

 

沙代が自分で言っていた「痩せた先生を見兼ねて」という理屈は分かる。

だが、本当はそれだけじゃない筈だ。

 

「やっぱり、その……なんだ。普段あまり先生の手伝いが出来ないから、その『埋め合わせ』、みたいなやつか……?」

 

沙代はまだ小さい。

寺の手伝いも殆ど出来ない。

だからこそ、立つ瀬がないと思って、自分の食事を提供したんじゃなかろうか。

 

「(人から貰ったんだったら、その分人に差し出す。逆に、人に差し出したらその分見返りがある。それが道理というもんだ)」

 

俺はそう考えた、少なくとも俺ならそうする。

 

 

「うーん…………ちがうよ?」

 

だが、沙代は首を傾げながらこう返した。

 

「だって、先生にはいっつもお世話になってるから。だから私も何かしたいなって」

 

「………………だからつまり、貰った分だけの対価を」

 

俺の中の常識、俺の中の当たり前……俺の中にある価値観に照らし合わせた、限りなく正解に近い筈の推測。

 

「んー?……『うめあわせ』とか、『たいか』とか、むずかしい事はわからないけど……」

 

 

そんな俺の予想の範疇を超えたものを、沙代は提示した。

 

 

「……いつも親切にしてくれてる人には、なにもなくたってやさしくしてあげたいと思ったの!」

 

屈託のない、朗らかで、あどけなくて

 

 

…………そして、穢れの欠片もない心清らかな……

 

 

「……分かった、もういい。悪かったな、忙しいのに声掛けて」

 

俺はそれだけ言って、半ばうわの空で寺の方へと戻っていった。

後ろで不思議そうな顔をした沙代から、逃げる様に早足で。

 

 

 

「(つまり……何か?世話になってるからって、『無償の奉仕をした』とでも言いてぇのか?)」

 

 

理解できない。

何故、何の得にもならない事をする?

そこに何の利点がある?

先生には確かに恩があるが、だからと言って只々こちらの身を割く事に何の意味がある?

 

「(じゃあ何かよ。俺の日頃の行いは……人一倍やっている行いは、全部『無償の奉仕』として処理されて、見向きすらされてないってのか?)」

 

損得なんて概念すらまだ理解できない無垢で幼い沙代ならいざ知らず、俺にソレをしろと?

 

 

「巫山戯てやがる……」

 

……納得できない。

そんなの納得できない!

 

「クソが……俺を正しく評価してくれないだなんて、絶対に認めない……!」

 

俺は怒り心頭で荒々しく足踏みしながら、寺の中へと入る。

 

 

 

 

そして、無償などではない、それ相応の"報酬"のある場所へと向かっていった。

 

 

 

 

「ちくしょう……ちくしょう……

 

 

……ちくしょうッ!!」

 

日が沈み、辺りが真っ暗闇になった丑の刻。

そんな時間に、俺は泥まみれになりながら森の中を駆け抜けていく。

 

「(ハァ……ハァ……!……何処で間違えた?)」

 

 

癇癪を起こして寺の金を盗んだからか?

 

 

「(……いや、俺は間違えてなんかいねェ!あいつらが悪い!)」

 

 

それがバレて、他の連中に夜中に寺の外へと叩き出されたからか?

 

 

「(香炉……あんなちっぽけな…………"藤の花の香炉"ッ……!あんな物、あっても無くても変わらねぇよ!どの道寺は襲われてたに決まってる!!)」

 

 

『鬼』に出会って、食い殺されそうになったから

代わりに寺のみんなを差し出して助かろうとしたからか?

 

 

「(誰だって……誰だって、命は惜しいだろッ!?それに提案したのは俺じゃねえ、あの鬼だ……!だから俺は悪くないし、何も間違った事なんざしてねぇ!!)」

 

 

俺は何一つ悪くないと必死に念じながら、寺とは正反対の方向へと走り続ける。

 

きっと全部悪い夢だ。

朝日が昇れば目が覚めて、また寺での穏やかな日常が戻ってくる。

また先生が、『先生』が、俺を褒めてくれる。

 

 

 

「はぁ……はぁ……ハァ……!」

 

 

「ハァ……ハァ……!!」

 

 

 

「ぜェ…………ゼェッ……ゼェ……!」

 

 

森を抜けた。

 

 

村か町へと続いてるであろう畦道まで来た。

 

 

日が昇った。

 

 

 

 

 

悪夢は覚めなかった。

 

 

 

 

「……おお、獪岳。朝から精が出るな」

 

「あっ、先生、おはようございます!」

 

毎朝の日課である素振りの稽古をしていると

背後から『先生』が近づいてきた。

 

 

鬼殺隊の元柱にして、今は隊士を育てる『育手』の一人、桑島慈悟郎。

 

髭を蓄えた小柄な老人だが

左頬にある大きな疵と、義足となった右足が

鬼との幾度もの死闘を潜り抜けた歴戦の剣士たる証だ。

 

そして、今の俺の師匠でもある。

 

そう、小さい頃からずっと孤児で、泥を啜りながら必死に生きてきた俺を

この方は路地裏で拾ってくれ、しかも鬼を狩る剣士として育ててくれている。

 

俺の人生の、ただ"一つの転換点"にあたる人物だ。

 

 

 

 

 

「(………………俺は寺でなんか……寺でなんか、育てられちゃいねぇ)」

 

あの夜は悪い夢だ。

 

風の便りだと

多くの孤児を引き取っていた一つの寺が壊滅しただとか

下手人が捕まっただとか

そんな物騒な噂が何度か俺の耳に入ったが、全くもって無関係だ。

 

俺はこうして、先生の下で立派な鬼殺隊の剣士になるべく日々精進している。

順風満帆、とんとん拍子、清らか且つ曇り一つない人生の上り坂。

 

 

「……ところで獪岳、今日はお前に紹介したい者が居ってな」

 

 

 

全てが万事順調で、俺の望む方向へ事が進む。

 

 

 

 

 

「……我妻善逸、と言ってな。今日からこの者も儂が育てる事となった。つまりはお前の兄弟弟子にあたる」

 

「じいぃ゛ぃ゛ぃ゛ちゃァァァァん!!!俺そんな話聞いてないんだけどぉぉオォォォッッッ!!!」

 

貧相な風体の、カスみたいな"ソレ"は

遥か向こうの木の幹にしがみついていた。

 

 

俺の晴れ晴れとした人生に、暗雲が立ち込め始めた。

 

 

 

「あっ……あのさ獪岳、お願いがあるんだけど……」

 

「失せろ」

 

昼前の稽古を終えて早々、金髪頭の目障りなカスが俺の視界に入り始めた。

熟れた桃に舌鼓を打っていた俺の心の内が不快感で満たされる。

 

この"我妻善逸"とかいう固有名詞のついたカスは

惚れた女に貢ぎすぎて借金まみれになった所を先生に救われたらしい。

しかもその惚れた女は別の男と駆け落ちする為の金を欲していたのだとか。

 

「その両目は節穴なのか?俺は今食事中なんだよ」

 

見下げ果てたカスと目も合わせないまま、俺は投げやりに言い捨てる。

 

「……だ、だけどさ!俺まだ、壱ノ型しか習得できてないんだよ!弐ノ型より後のさ、せ……せめてコツとかを」

 

「消えろよ」

 

驚いた。

カスの今の発言を分かりやすく噛み砕くと、「雷の呼吸の二の型以降を教えて欲しい」と俺に乞い願っているという事になる。

 

このカスは、自分で自分を剣士か何かになれる高邁な存在のつもりでいたらしい。

 

 

…………雷の呼吸の六つある型のうち、"壱ノ型"は全ての型の基本だ。

俺は弐から陸まで習得したが、未だに壱ノ型だけは物にできていない。

 

だがこのカスは"壱ノ型"だけは使える。

 

「わかるだろ?朝から晩までピーピー泣いて恥ずかしくねぇのかよ、愚図が」

 

「………………」

 

だから何だ?

俺は壱ノ型しか使えないコイツと違い壱ノ型以外は全て使える。

全集中の呼吸の練度も剣士としての格も俺の方が遥か高みにいる。

 

「お前みたいな奴に割く時間がもったいない」

 

先生の気紛れでここに連れてこられた時は黒髪だったが、どうやら雷に打たれた影響でこのなんとも珍妙な髪色に変色したとか。

天の気紛れなのか、それともこいつなりの願掛けでわざと打たれたのかは知らねぇが。

 

雷に打たれてくらいで雷の呼吸を物にできるのなら苦労はしない。

そのくらいで上達するってんなら俺は何度だって打たれたいくらいだ。

 

「(……雷が直撃するのは死ぬかもしれないから、流石にわざわざ打たれる様な馬鹿な真似はしねぇが)」

 

俺は一刻も早く壱ノ型も会得して先生の期待に応えなくちゃならないんだ。

このカスに割く時間の余裕はない。

そしてそれは先生も……

 

「先生はなァ、凄い人なんだ」

 

「…………で、でも、じいちゃんは……ッ!」

 

 

 

あぁ、まただ。

 

 

 

「────じいちゃんなんて馴れ馴れしく呼ぶんじゃねぇ‼︎」

 

俺はカスの囀りを遮って怒号を放った。

 

「先生は"柱"だったんだ、鬼殺隊最強の称号を貰った人なんだよ!!」

 

何百年もの鬼殺隊の歴史の中でその称号を貰った剣士は数少ない。

先生はそういう御人だ。

 

「元柱に指南を受けられる事なんて滅多にないッ!!」

 

それをこのカスは事あるごとに「じいちゃん、じいちゃん」と、孫が祖父に懐くみてぇに宣う。

 

「先生がお前に稽古をつけてる時間は完全に無駄だ‼︎目障りなんだよ消えろ‼︎」

 

俺がコイツに割く時間の余裕はない。

同じく、先生がコイツに割く時間も本来なら無い筈だ。

だがお人好しな先生はみすぼらしい風体のコイツに同情してか、貴重な老後の時間をドブに捨てさせられている。

 

「なぜお前はここにいるんだ!!なぜお前はここにしがみつく!!」

 

何らかの答えを求めての疑問形の問答ではない。

このカスを思っての叱咤じゃない。

 

 

行く当てが無いという本質的な理由から目を逸らし、実る事のない無駄で不相応な教えをズルズルと乞うているコイツが不快で仕方がないのだ。

 

誰かに認められたい?

 

大嫌いな自分自身を変えたい?

 

どうせそんなくだらねぇ理由なのだろうが、生まれてから今に至るまで

過去も現在も未来も、人より性根が歪んでいて人間的に劣っているコイツが何かを変えられる筈がないんだよ!

 

「…………ごめん、俺もう行くよ。食事の邪魔して悪かった」

 

案の定、カスは何か言い返すでもなく

すごすごと帰っていった。

 

 

 

目障りなクズが居なくなって、胸の疼きが治った。

 

 

 

 

「獪岳、少しよいか」

 

朝食が終わって膳を片付けようとした時、先生はやにわに俺を呼び止めた。

 

「……?何でしょうか、先生」

 

「なるべく早く渡そうとは思っておったのだが、拵えるのに時間が掛かってしまってな」

 

そう言って先生は、青色地に白い三角を散りばめた羽織りを俺に渡してくれた。

 

「……ッ!……先生」

 

先生と色違いの鱗文様の羽織り。

代々の鳴柱たちが着ていた柄のコレを渡された事が意味するのは一つ。

 

「あと数ヶ月もすれば、お前が先に最終選別へと向かう。必ずしも生き残れるとは限らん、大変厳しい選別だ。……だが、お前なら必ず乗り越えて、立派な隊士になれると信じておる」

 

 

……俺は認められたんだ。

この数年もの努力が、鍛錬が、頑張りが先生に認められたのだ。

 

 

「先生……!俺は────」

 

 

 

 

()()()()、今日まで厳しい修行をよくぞ乗り切ったな」

 

そう言って先生は、俺のとは色違いの羽織りを

隣にいたカスに手渡した。

 

「じ、じいちゃぁぁぁん……!!」

 

「これ泣くな善逸、喜ぶのは最終選別を突破してからじゃ!」

 

「だって俺、じいちゃんに認めて貰えたのが嬉しくって!…………最終選別には別に行きたくないけどじいちゃんの弟子として一歩前に踏み出せたんだなって……」

 

「だから行ってから喜べと言っておろうが!それに最終選別には否が応でも行ってもらうぞ!いや行かせる‼︎」

 

 

 

泣き喚くカスを先生は怒鳴りつける。

いつも見慣れた光景だ。

 

いつもと唯一違うのは…………俺が渡された、俺の証である……俺だけが渡される筈の羽織りと同じ柄の物をカスが携えているという点だ。

 

「………………」

 

我妻善逸……こいつはカスだ。

いつもベソベソと泣いている、何の矜持も根性もない。

落ちこぼれで泣き虫でドベでグズで堪え性の欠片も持ち合わせていないただのカスだ。

 

そんな美点も取り柄も何もないカスが俺と同列だと?

失礼だとは重々承知しているが、先生はトチ狂ったのか?

 

「獪岳が行ってから少ししてからお前も必ず行くんだ!分かったな!?」

 

「い゛ぃぃぃィィや゛ァァぁぁあだァァァ!!!行きたくな゛い゛ぃぃぃッッ!!!!」

 

「まったく…………すまんな獪岳、こんな世話の焼ける弟弟子ではあるが。()()()()()()なら必ず雷の呼吸の後継者として大成すると────」

 

()()()()()()

まさか俺とこのカスとで共同で後継をしろと言っているのか?

 

「……………………はい、分かってます。俺は必ず選別を合格してみせます」

 

揃いの羽織りに続いて、とても正気とは思えない発言に絶句したが

俺はそれを表には出さずにその場を乗り切った。

 

 

「………………」

 

頂いた時はあれほど嬉しかった羽織り。

 

それが今では酷く不愉快な物に映る。

 

 

 

選別の日まで、俺はそれに一度として袖を通す事は無かった。

 

 

 

 

「おい獪岳、お前いい加減にしろよ!」

 

「…………吠えるんじゃねぇよクソが」

 

任務が終わり、帰路に着こうとしていた俺を低俗な下級の隊士達が呼び止めた。

 

「お前、鬼と戦っている時も、全然連携を取ろうとしないじゃないか!少しは協力しようって発想はないのか!?」

 

「無いな」

 

連中の中から一歩前に出て叫ぶそいつの訴えを、俺は一蹴する。

 

確かコイツの使う呼吸は……"風"、いや"水"だったか?

どちらだったかいちいち覚えちゃいないし、見分けもつかない。

攻撃に偏重した型と、防御を重んじる型とでは対極に位置するというのに

あまりに練度が低すぎて違いすら分からねぇ。

 

「お前らに足並みを揃えていたら、いつまで経っても鬼を殺せないからな。俺は俺のやりたい様にやるだけだ」

 

「足並みを揃える」などという言葉は実力差が少ない、そして最低限の実力が備わった複数人がいる場合に限る。

臆病でチビでみすぼらしくてすぐに気絶して壱ノ型しか使えないあのカスですら

コイツらと比べればまだマシな強さだろう。

というより、あのカスにすら劣る隊士がこれだけ居る事に驚きを隠せない。

 

「お、お前……ッ!!」

 

怒りに駆られて掴みかかろうとするが、グッとそれを堪えている。

当たり前だ、隊士同士で問題を起こすのは御法度だからな。

そもそも仮に掴みかかられた所で、この程度の奴らにどうこうされる様な俺じゃないが。

 

「お前はそうやって、いつも身勝手な奴だよな。…………聞く所によると、支払われた給与だって育手に仕送ろうともせず、賭け事に注ぎ込んでるそうじゃないか。少しは師匠に恩返ししようとは思わないのかよ」

 

「……うるせぇな」

 

俺は最早クソどもには見向きもせずにその場を後にした。

 

「……あいつ、壱ノ型が使えないらしいぜ」

 

「雷の呼吸って壱ノ型が基本だろ?なのに使えないんじゃなぁ……」

 

「どうせすぐ死ぬって」

 

背後からヒソヒソと聞こえる負け犬の遠吠えには耳すら貸さない。

俺は乱暴な足取りで宿家へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜、その隊士達が全員惨殺死体で発見されたらしいが

知った事ではなかった。

 

 

 

 

『おい、お前、寺の金を盗んだだろ』

 

『俺たちを鬼に売った』

 

『お前は我が身が可愛くて、鬼に仲間を売る様なクズだろう?』

 

『それに壱ノ型が使えないような奴じゃなぁ』

 

『師匠に恩返ししたいとすら思わないんだな』

 

『裏切り者、卑怯者、薄情者、半端者…………お前みたいな奴、誰も──』

 

 

「うるせえェ!!!」

 

怒りに任せて枕を壁に投げつけ、俺は起床した。

 

「……クソがよ……」

 

ガタガタと五月蝿い奴らが罵ってくる夢を見て、最悪の寝覚めだった。

頭を掻きむしりながら寝巻きを脱いで着替える。

 

 

『……少しは師匠に恩返ししようとは思わないのかよ』

 

「(俺だって、先生に恩返しくらいしてぇよ)」

 

先生には感謝している。

数年もの間面倒を見てくれた恩を返したいという気持ちもある。

元柱だから蓄えはそれなりにあるのだろうが、上から支払われた金を仕送ったり、その金で何か買って贈り物の一つでもするのが常識だしそんな良識くらいは俺にだってある。

 

だが、

 

 

『獪岳、やはり壱ノ型は難しそうか?』

 

『はい……申し訳ありません……コレが雷の呼吸の基本中の基本だというのに……』

 

『そう落ち込むでない、お前の頑張りは儂が一番よく見ておる。それに、もう肆ノ型まで出来ているじゃないか。残り二つも完璧にしてから"霹靂一閃"はゆっくり覚えればよい』

 

 

優しい口調でああは言っていたが、本当は陰で駄目な弟子だと呆れ、見下していたのではないだろうか?

 

あのカスは俺とは対照的に壱ノ型だけは使える。

いつも厳しい口調で叱咤していたが、それはつまり俺よりアイツに期待していたという事ではないのか?

 

あの羽織りの件といい、どうしても先生の心の裏に何かあったのではと邪推してしまう。

それが金を仕送ろうという俺の意思を妨げる。

 

「(……それに、賭け事に使ったら悪いってのかよ)」

 

どれだけ努力しても身を結ばない。

 

頑張った分だけ報われるとは限らない。

 

そんな現実に苛立った俺は、賭け事に手を出した。

 

『どうして寺の金を盗もうとしたんだよッ!?なぁ!』

 

「……」

 

あとは纏った金が手元にあると、不思議と落ち着かなかったのもあるのだろうが

そんなのはどうだっていい。

 

鬼殺隊の給料はかなりの額だが、俺はそれの殆どを投じている。

最初はそこそこ楽しかった。

 

だがすぐに飽きた。

 

「(負けたらムカっ腹が立つし、勝っても何故かイライラする)」

 

「その場は運が良かっただけ」で、世の中運が全てという事実を突きつけられるみたいでイラつくのだろうか。

 

「(……いや、運が良かったならいいじゃねぇのか?どれだけ地べたを這いずっても、最後に立ち上がって生きてた奴が勝者だ。)」

 

物乞いをしていたガキの頃に比べて裕福になったし、鬼を倒せば他人から感謝される。

 

だけど心の底から幸福だとは思えない。

 

 

 

『お前は我が身が可愛くて、鬼に仲間を売る様なクズだろう?』

 

 

「…………チッ、うるせぇ」

 

先生や、助けた民間人が優しい顔の裏で

そうせせら笑っている様な錯覚に稀に襲われる。

この間死んだあの隊士達が良い例だ。

 

「俺の人生なんだから、俺の勝手だろ」

 

そうやって後ろ指を刺される事そのものすらも我慢ならない。

俺は俺を正しく評価する奴以外は認めない。

それ以外の連中はクソ喰らえだ!

 

 

 

適当に飯を済ませた俺は隊服に着替えて表に出る。

鬼殺隊としての任務は常にある。

幸運にも今の俺にはそれが気晴らしであった。

 

「(第一、俺の過去だなんて誰も知り得ないだろうがよ。頭がどうかしていたぜ)」

 

俺の心の内を見透かせる奴なんて存在しないし、俺の過去を見透かしてこようだなんて烏滸がましいにも程がある。

きっぱり"過去"と縁を切った今の俺は鬼殺隊の隊士であり圧倒的強者だ。

 

俺は物乞いじゃない

 

口減らしでもない

 

そして俺は寺で過ごす孤児でも────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「任務明け早々に済まない。急を要する伝達がある」

 

「………………………………へっ?」

 

 

過去が、俺の背後からにじり寄ってきた。

 

 

 

「────ッッッ!!!!」

 

反射的に手で口を覆った。

 

「(いや、有り得ない)」

 

背後から俺を呼び止めた声……低く重厚で、まるで仁王像が口を開いたかの様なその声にはあまりにも聴き覚えがあった。

 

「…………どうかしたのか?」

 

不思議そうに呼び掛ける声の主。

その声のせいで俺は全身の震えが止まらない。

こんなに怯えるのは生まれて初めて鬼に遭遇して以来だ。

 

「…………」

 

俺はゆっくりと、声の主の方へと振り返る。

 

 

 

 

 

 

「私は鬼殺隊の岩柱、悲鳴嶼行冥だ」

 

 

『先生』だった。

 

 

「二日ほど前、任務から戻った隊士九名のうち八名が殺されて遺体で発見された件はもう聞いているとは思うが────」

 

 

最初に浮かんだのは「なぜ先生が?」という疑問だった。

先生はあの夜、寺にいた他の連中と同様に鬼に殺された筈。

 

しかし今、目の前にいるのは俺の幻覚や妄想の産物の類ではない。

白濁した瞳や七尺以上はある長身。

額に付いた横一文字の大きな傷痕や、痩せ細っていた頃とは打って変わって筋骨隆々となった体躯などあの頃と差異はあるが

紛れもなく悲鳴嶼行冥その人だ。

 

「その九名の隊士達の内で唯一、(ひのと)の隊士が一名生き残っていると聞き────」

 

次に湧き出たのは「勝ち目は無い」という絶望感だった。

剣士として修行を積み、全集中の呼吸を学び、幼少とは比べ物にならない力を手にした今の俺が逆立ちしても勝てないと一目で分かる圧倒的な個の強さ。

 

幾重もの念仏が書き連なる物々しい羽織の下の身体は極限まで鍛え上げられている。

巨体でありながら決して鈍重なんかじゃない。

剛力にして鋭敏、どの呼吸を使うのかは定かではないが

どんな呼吸でも俺より力強く、防御力に長け、そして遥かに素早い。

 

恐らく今ここで全力での逃亡を計っても

瞬きする間もなく追いつく事など容易いだろう。

あの枯れ木みたいだった先生が、何故ここまでの変貌を遂げたのか。

 

「本来であれば鎹鴉を経由して伝達するのだが、丁度私も別の任務でこの近辺に来ていた故に直接────」

 

先生はずっと一方的に喋っているが、俺は沈黙を破らない。

 

「死因は刀傷。……無論、君の事を疑っている訳ではない。検死の結果、八名全員が、それもひと呼吸の内にほぼ同時に殺されたと思われる。まず間違いなく鬼の仕業だろう。ともすれば上弦────」

 

目を伏せて、必死に声を押し殺し続ける。

 

「(バレたらヤバい、バレたらマズい)」

 

先生は目が見えない分、耳が良かった。

 

「(ほ、本当はもうバレてんじゃねェだろうな……?)」

 

「────先程から一言も口を開かないが、もしや緊張しているのか?」

 

「ッッッ!!!」

 

図星を突かれた瞬間、俺の肩は大きく跳ね上がった。

 

呼吸だけでなく心臓の鼓動すらも止めてしまいたい。

視覚以外のあらゆる五感が優れた先生に、音や匂いや気配から探りを入れられるのが怖くてたまらない。

 

「…………い、いえ。……は、柱にお目通りが叶う機会など滅多にナく、その、思わず動転を…………あッ!、イや……そう、はい……おっしゃる通り緊張して……」

 

しどろもどろになりながらも、俺はなるべく落ち着いて返答した。

あの頃から声変わりしているとはいえ、用心に越した事はない。

なるべく地声から遠ざけた低い声でだ。

 

「…………そうか」

 

少しの沈黙の後、先生はそう言った。

 

「(ご……誤魔化せたか……?)」

 

なんの『そうか』なのか意図は不明だが、深掘りして墓穴を掘るほど馬鹿じゃない。

 

「如何に鬼との戦いの中で犠牲が付きものとはいえど、見知った仲間を失った哀しみは君にとって大きかろう……」

 

南無阿弥陀と唱えながら数珠をジャリジャリ鳴らした後、先生は再び口を開く。

 

「今日はもう一つ伝達すべき内容がある。"とある事件"以来、鬼の出没がピタリと止み────言った側から被害が一件ありはしたが」

「……普段は担当地区の警備などに忙殺されている我ら柱が一同に集い、特別な訓練を実施する事となった」

 

「と……特別な稽古……ですか?」

 

話が変わった。

助かった。

これ以上先生から『俺ひとりだけが鬼から生き延びた事』について突っつかれていたら

気がどうかしちまいそうだった。

 

「左様、名を『柱稽古』。私たち柱が直々に下の階級の者達を指導し、鬼殺隊全体の組織力強化を図る催しだ」

 

柱が直々に?

なんという僥倖だろう。

鬼殺隊最強にして最高戦力である柱から手解きを受けるというまたと無い機会。

一応俺は、育手にして元柱から教えを受けてはいたが

在籍中の柱からとなれば更に学べる事が数多くある。

 

「(俺はもっと強くなれる、もっと高みに登れる……!)」

 

受ける以外に選択肢など無いだろう。

 

「……俺の様な若輩者の為に、貴重な時間を設けて頂き、恐悦至極に存じます!この度の柱稽古を通して、剣士として、鬼殺隊士として、精進していく所存です!」

 

俺は深々と頭を下げる。

 

俺の為、雷の呼吸の後継者である俺の為に鍛錬をつけてくれるという強い感謝の意を込めて。

 

「…………?うむ、良い心掛けだ。稽古には私も参加するが、生優しい訓練にするつもりは毛頭ない。それでも着いてこられるか」

 

「勿論です!」

 

「宜しい、その意気込みを片時も忘れずに持ち続けなさい」

 

 

 

 

 

 

 

「はい!ありがとうございます、岩柱!」

 

 

俺を評価してくれる人に俺は着いていく。

 

俺を認めてくれる人だけに俺は付き従っていく。

 

 

 

 

俺は柱稽古を順調に突破していった。

 

 

元音柱の基礎体力向上稽古。

 

「(片腕しか無い野郎だったが、ありゃ俺より強い。単純作業みたいな稽古だったが、一から己の基礎体力を仕上げ直せる良い機会だったぜ)」

 

 

霞柱の高速移動稽古。

 

「(俺よりずっと年下の餓鬼だが、俺より強い。……雷の呼吸にとって速度は生命線だ。口の利き方が生意気で少しイラついたが、それでも実りのある稽古だった)」

 

恋柱の地獄な柔軟稽古。

 

「(俺より強くて馬鹿力な女だった。身体をへし曲げられるかと思ったが、筋肉の力みと緩みを使い分ける点で有意義な稽古だった)」

 

蛇柱の太刀筋矯正稽古。

 

「(とにかく愛想がなくて腹の立つ奴だが俺より強い。内容も滅茶苦茶で最初こそやる意義を見出せなかったが、刀の軌道にどれだけ無駄が多かったか見直せた稽古だ)」

 

風柱の無限打ち込み稽古。

 

「(俺より強いのは分かるがクソだなあいつは。修行内容も蛇柱以上に滅茶苦茶だし、性格もとにかく悪い。……一定の日数が経ったら合格が出たが、何を基準に合格なのかも曖昧な稽古だった)」

 

 

 

そしてその次は、岩柱による筋肉強化稽古。

 

「……なぁ、まだ続けるのか?獪が──」

 

「うるせぇぞカス。気安く俺の名前を口にするな」

 

隣でへばっているカスを一瞥もせずに、俺は黙々と丸太の束を担ぎ上げる稽古に打ち込む。

 

「ご、ごめん……!でもさ、もうそろそろ陽も暮れるし。あのおっさ……岩柱様だって休憩していいって──」

 

「そう言われた途端に、まだ済んでもいない稽古を中断してすごすご帰れと?他の腑抜けた奴らみてぇに?……俺をあいつらと一緒にするなと言ってんだろうが」

 

先生の稽古はやはりキツい、そのキツさはこれまでの稽古より頭一つ抜きん出ていた。

 

「(まぁ……風柱の野郎が直々に痛めつけてくるやつだけは、ぶっ飛んでいるという点では同等だが)」

 

最初は滝行、身体の芯まで凍りそうな水が凛冽に打ち付ける中、ひたすらに念仏を唱え続ける。

次に丸太担ぎ、水分を多く含んだやたらと重い丸太3本を背負う。

そして最後は、背丈ほどある大岩を素手で一町先まで押す。

 

「(……単純だ、他の複雑怪奇な修行に比べたら単純な作業でしかない)」

 

そして同時に、途方もない苦行でもある。

それは最初の滝行の時点で身を以て思い知らされた。

今まさに俺が行なっている丸太担ぎも、最初の数秒程度ならどうという事はないが

これを背負ったまま同じ姿勢を維持するとなると数分もせずに足腰の筋肉が悲鳴をあげる。

ここから更に岩を押す工程もあるというのだ、狂気の沙汰としか思えない。

 

 

だが、

 

「(この狂った修練を積んだ先に、今の先生が在るんだろうがよ……!)」

 

先生はこれらに加えて下から火で炙る苦行まで行っている。

俺にもやらせてくれと志願したが、危ないから駄目だと断られた。

 

……流石に今になって考えれば、火で炙るのは危ねぇよな。

命の危険だって伴う、冷静さに欠けていた。

先生の気遣いに感謝だ。

 

 

だがその分、他の三つは確実にこなす。

 

「ッ……ぬ、ううぅぅぅあああああッ!!」

 

咆哮と共に、石かと見紛う重量の丸太を担ぎ上げる。

太腿の筋肉がブチブチと鳴り、両の肩にザラついた樹皮が深くのし掛かる。

あの痩せ細っていた先生はこんな厳しい修練の果てに今の身体を造り上げたんだ。

 

「…………じゃあ、俺は先に戻ってるよ。あんたの分の握り飯もちゃんと取っておくから──」

 

「御託は結構……ッ!気遣いも……不要……ッ!!途中で投げ出す……腰抜けの……カスは……ッ……さっさと帰りやがれェ!!!」

 

「………………」

 

……ようやくカスは失せやがった。

まったく、他の連中が帰り支度始めた時も

俺と同じ丸太担ぎをやろうと必死こいてウロチョロして、目障りこの上なかった。

この俺に張り合おうって魂胆でもあったのか?

 

「……ガハぁ!!!……はぁ……はぁ……」

 

一定の時間担ぎ続けた俺は丸太を下ろし、荒れた呼吸を整えるのに専念する。

 

「……さて、そろそろ岩押しの方にも励むか」

 

既に陽が落ちた中、俺は誰に言うでもなく、次なる目標を見据えた。

 

 

 

 

あれから数日が経った。

 

「(……クソッ、何が足りねぇんだ!?)」

 

俺は未だに岩を動かす事が出来ずにいた。

全集中の呼吸を極限まで張り詰めても、岩は地に根を張ったかの様にビクともしない。

他の腰抜けどもが下山する中、俺は岩と睨み合いを続けている。

ちなみにカスはあの後も丸太の修行を続けているらしい。

カスの分際で無駄に見上げた根性だ。

いずれこの岩押しの修行に移るのだろうが、俺に出来ない難行をあのカスでは到底突破など出来ないだろう。

 

そもそも、俺を含めてこの岩押しを乗り越えた奴なんぞ……

 

「…………一人、居たんだったか……?」

 

額に火傷の痣がある野郎はこの岩押しの修行すらも成し遂げ、次の柱の下へ向かったそうだ。

 

「(確か……カスとよくつるんでた奴だよな)」

 

いつも明るくヘラヘラ笑って、少し頭が足りてなさそうな奴だが、実力面では疑う余地のない強さを持っていた。

カスが上弦と戦って生き残り、しかも戦いに貢献したと聞いた時は

明日は槍でも降るんじゃないかと動転したが、あんな奴が一緒に居たなら納得はいく。

ついでに、猪の被り物をした馬鹿丸出しの野人も共に戦ってたとか。

 

「(どうせカスの事だ、あの二人の後ろに引っ付いていたんだろう)」

 

もういいだろう?カスの無様な様子をいちいち予想するのは。

俺が励まねばならねぇ相手は目の前の巨岩だ。

これを動かさせない事には何も始まらない。

そう、俺は────

 

「……見事だ。他の者が諦める中、ひたすらに打ち込む君の気骨、しかと見届けた」

 

重厚な足音が近づいてきた。

息を荒げる俺が振り返ると、先生がそこに立っていた。

 

「……ッ、岩柱……」

 

「君は、誰よりも己を追い込み、高みを目指そうとしている。その執念……いや、覚悟。非常に感銘を受けた」

 

「……!そ、そんな勿体なきお言葉ッ!俺はまだこの修行を全く終えられておらず……!」

 

三つ全てこなさずとも下山していい。

先生がそう言ったとしても、そんな甘い考えが許される筈がない。

次期鳴柱となる以上、今の自分から成長せずに己を甘やかす様な在り方じゃとても……

 

「君は少し肩肘が張っている。何か高い目標があり、それを支えに努力しているのだろう?」

 

「……!」

 

やはり先生は人の事を、俺の事をよく見てくださっている。

 

「しかし、無理は良くない。時には心と身体を休め、落ち着いた視点から己を見つめ直す事もまた、立派な修行だ」

 

「……は、はい。肝に銘じます」

 

先生の大きな掌が、俺の肩を静かに、だが力強く叩いた。

 

不思議な気分だ。

寺に居た見窄らしい餓鬼(おれ)と、鬼殺隊で鍛錬に身を削る隊士(おれ)とじゃ全くの別人だというのに

まるであの頃に戻ったかのようだ。

 

「(俺は……俺は、先生に認められたんだ)」

 

岩を動かせたわけじゃない。だが、俺は最強の柱に認められた。

俺の「在り方」を、先生が肯定してくれた。

それが何よりも誇らしく、腹の底から熱いものが込み上げてくる。

俺は一刻も早く、この喜びを噛み締めながら、更なる高みへ手を伸ばしたかった。

 

 

それから数日後。

俺は一人、宿舎へと続く夜道を歩いていた。

身体の節々は悲鳴を上げ、皮膚はボロボロだ。

 

「(明日はきっと岩が動く。きっと……いや絶対に、動かしてみせる)」

 

だが、心はかつてないほど澄み渡っていた。

 

見上げれば、今の俺の心情のように澄んだ満天の星空の中に

三日月からやや肥えた美しい半月が浮かんでいる。

 

「(俺は誰よりも強く、誰よりも正しい)」

 

あのカスや、運良く生き残っただけの連中とは立っている地平が違うのだ。

 

「そうだ、俺は価値がある。俺は特別だ。……俺は──────」

 

独りごちる声が、静寂に溶ける。

その瞬間。

 

 

 

────ベベン

 

場違いな、弦の音が鼓膜を弾いた。

 

「────なっ!?」

 

視界が歪む。

 

踏み締めていた土の感覚が消え、上下の概念が消失する。

 

身体が、底なしの沼に引き摺り込まれるような感覚。

 

「(なんだ!?何が起きた!?)」

 

反射的に刀の柄に手を伸ばすが、天地が目まぐるしく回転し、平衡感覚が掻き消される。

 

目に飛び込んできたのは、月明かりの夜道ではなく

重力を無視して縦横無尽に、不気味なくらい整然と配置された、広大な"城"の内部だった。

 

「(何だよ此処は!?……なんだってんだよ……!!)」

 

俺を包み込んでいた心地よい肯定感が、一瞬にして冷え切った。

周囲を漂うのは、柱稽古の山には無かった…………濃厚で、圧倒的な殺気を孕んだ血の匂い。

着地した畳の感触が、現実であることを冷酷に告げている。

俺は一気に現実へ引き戻された。

 

「……クソッ、ふざけるな……!……クソ!!俺はまだ、これからなんだぞ……!」

 

 

 

ここは、誰かに認められるための稽古場ではない。

 

命を奪い合う殺戮の場だ。

 

 

 

 

「ちくしょう……ちくしょう……

 

 

……ちくしょうッ!!」

 

 

……沈むどころか、昇る太陽すらない世界。

和洋折衷と呼ぶには、和も洋も、大陸由来と思われるものも……俺が及びもつかない遠い異国の様式の部屋が入り混じり、周りにはそれらの国に対応した行灯が仄暗く照らす。

 

俺は時折り迫り来る異形の鬼を斬り捨てながら、城の中を駆け抜ける。

 

「(襲って来るのはどいつもこいつも雑魚……雑魚鬼ばかりだ……ッ!)」

 

現れる雑魚共を雷の呼吸で斬り捨てながらそう心の中で言い聞かせるも、城を駆ける俺の五感は恐怖で塗り潰されていく。

奥底から這い寄る不安に……平静が足元から瓦解する不快感に胃がせり上がる。

 

 

「(何処まで走れば、森を抜けられる?)」

 

 

鍛え続けた健脚で、只管に城内を走る。

 

 

「(何処まで行けば、村か町に辿り着く?)」

 

 

見えない終点に向かって、がむしゃらに身体を動かす。

 

 

「(どうやったら……悪夢から覚めるんだ?)」

 

 

 

ようやく、終点に辿り着いた。

 

そこを地獄を煮詰めたような光景だった。

 

年下の癖に生意気だが、俺より強い霞柱の餓鬼が

片腕を斬り落とされた挙げ句に己の刀で壁に縫い付けられ

 

性格がクソだが、俺より強い風柱の野郎が

腹から出血して息を乱している。

 

「(あれは確か……)」

 

更に向こうには風柱の弟の、玄弥とかいう奴が

身体を上下に断たれ転がっている。

どう見ても即死の傷だが、まだ息があるらしい。

 

「(なんだ……何故、俺の方を見ていやがる?)」

 

三者三様に、状況や怪我の具合は異なれど

全員が同じ表情で俺を見ていた。

 

 

 

理由はすぐに分かった。

 

「その刀……雷の呼吸の……使いか…………」

 

全身を悪寒が駆け巡った。

 

「────ッッッ!!!?」

 

振り返ると、そこには"死"が立っていた。

 

六つの眼を持つ、古風な着流しの剣士の姿をした"死"そのものが立っていた。

 

「先鋒の二人と比べれば、些か見劣りする……が…………稀なる才に加え、弛まぬ修練を重ねてきた……それだけは相違なし……」

 

賞賛の言葉だ、これ以上にないくらいの褒め言葉の雨霰だ。

だというのに、

 

「今宵……鬼擬きのみならず……」

 

その口から低く重厚な言葉が紡がれるたびに

 

「(あ、ああ……あああ……!!)」

 

俺の膝はガタガタと震え、積み上げた自負や自尊心のすべてが塵のように吹き飛ぶ。

 

「現役の柱二名……それも一人は、我が末裔…………更には」

 

いつも握り慣れた刀さえも、重さが数倍に膨れ上がったかの如く感じられ、

 

 

 

「………………未だ伸び代に溢れた剣士をもう一名……屠らねばならぬとは……実に、口惜しきこと……この上なし……」

 

そこで俺の恐怖の堰は限界を超えた。

 

「────なッ!?」

 

風柱の驚愕の声が広間に木霊する。

 

俺は考えるより先に、地面に額を擦り付けていた。

 

「ほう……この期に及んで……命乞い……」

 

「お、お助けください……!俺はなんでもしますッ、ですから……ッ!!」

 

無様だ、自分でも無様この上なかった。

駄目元でもこうしなきゃ死ぬんだ。

 

「………………いいだろう」

 

長い沈黙の後、剣鬼は自らの手首を切り裂いた。

滴り落ちる、毒々しいほどに濃密な血。

 

「まともに戦える上弦は最早私一人……丁度、手駒を欲していた」

 

この儀式が何を意味するのかは、自ずと理解できた。

 

「飲み干せば……お前も……我らの仲間となる……鬼となり……研鑽の道を歩む……資格を得るのだ」

 

震える掌に、その血を注がれる。

 

「鬼となり……更なる強さが……欲しいか……お前も……」

 

あぁ、欲しい!この場を生き残り、もっと高みに行けるのなら、なんだっていい!!

 

「もし……溢せば……頭と胴が……泣き別れると……思え……」

 

六つ眼がギョロリと俺を睨んだ瞬間、思わず肩が跳ね上がったが、掌の中の血を一滴として溢すヘマはしない。

 

「てめェ……!! 自分が何してんのか分かってんのかァ、あァ!? 殺すぞクソ餓鬼!!」

 

風柱の怒号が飛んできた。

壁に縫い付けられた霞柱の、氷のような蔑みの視線も突き刺さる。

俺が間違っているのか?

 

「(……いや、俺は間違えてなんかいねェ!何も間違えていない!)」

 

そんなものはどうでもいい。

奴らの怒鳴り声も目線も、今の俺には心底どうだっていい。

 

「(こうするしか無いだろうがよ!!)」

 

生きてさえいればいい。勝てない相手には跪き、認められる側へ回る。それが俺の正義だ。

 

「(誰だって命は惜しいだろッ!それに…………『鬼になりたい』と提案したのは俺じゃねえ、コイツだ……!だから俺は悪くないし、何も間違った事なんざしてねぇ!!)」

 

俺は、その血を掬い取り、口元へ運んだ。

 

これを飲めば、俺は鬼になる。

 

「(俺は俺を評価しない奴なんぞ相手にしない)」

 

誰よりも強く、誰にも見下されない、

 

「(圧倒的強者に跪く事は恥じゃない、生きてさえいれば何とかなる)」

 

そして……誰からも認められる、不滅の存在に

 

「(死ぬまでは負けじゃない────)」

 

口の中に、血の味が広がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

『獪岳、美味しいか?』

 

 

「────ッッッ!!!!」

 

気が付けば、口に含んでいた血は

目の前の剣鬼の顔面に吐き捨てられていた。

 

「い……今だァ!風柱!こいつの視界が潰れてる内に……ッ」

 

 

────ザンッ

 

「…………あァ?」

 

間抜けな声が漏れた、視界がグラリと傾く。

 

俺は側頭部から床に倒れた。

 

「(何が、起きたんだ……?)」

 

言葉を発しようにも、パクパクと口が動くばかりだ。

 

 

 

ふと目線を上げると、頭部を失った俺の身体が

力無く地面に伏していた。

 

「言った筈だ……一滴でも溢せば……頭と胴が泣き別れると……!」

 

奴の、苛立ちを孕んだ低い声が聞こえた。

六つの眼は返り血で塞がっているというのに、それを拭いもせずに冷徹に俺を見下ろしている。

その片手の刀は鮮血に濡れていた。

 

 

「(…………あり得ない。…………耐えられない……耐えられない、

 

 

 

 

 

耐えられないッ!!!)」

 

耐えられない耐えられない!!

 

こんな事実は受け入れられない!!

 

なぜ俺は首を斬られている?

俺が死ぬのか?こんなところで?

頭が変になりそうだッ!

 

畜生!

 

思い返せばどいつもこいつもクソばかりだ!

 

俺を生んだクソ共がまずクソだ!!

俺がこんな所で惨めに死ぬのはあいつらのせいだ!

何処にいるのか知らねぇが野垂れ死んでいて欲しいぜ!!

 

次にクソなのは…………そうだ!あの……あのジジイだッ!

 

あんなカスと同格として扱って俺のことを最後まで認めなかったクソジジイだッ!

あいつの事を贔屓しやがって、あれだけ尽くしてやったというのに寝惚けた事を言いやがった耄碌ジジイめ!

俺に対する時と違って、カス相手には態度も口調も世話焼きの年寄りみたいだったよなァ!?

不出来で世話の焼けるカスが俺より可愛くて仕方がなかったに違いねぇ!

今になってムカっ腹が立ってきやがった、腹切ってもがき苦しみながら死に晒しやがれ!

 

あとはそう、寺にいたアイツらもそうだ。

少し金を拝借したくらいで俺を真夜中に寺の外に放り出しやがったクソガキ共だ!

鬼に殺されて清々するぜ!

 

あとは……あとは、御館様………………そう、産屋敷もそうだッ!

 

刀一つ振れないひ弱の分際で俺に指図するクソだ!

 

 

あと、あと………………あと、そうッ!柱も奴らもッ!

 

 

視界がボヤけてきたが、まだはっきり見えてるぞ、あいつらの無様な姿がよォ!?

おい、何見てやがる!なんだその顔は?そんなに今の俺の姿が面白いかよ、えェ!?

 

何が鬼殺隊の最高戦力だ。

 

俺より年若い自称天才がなんだって?

片腕斬り飛ばされて磔にされるクソだろうがよ!

 

知性も理性も品性もなさそうな奴が風柱?

腹をブッ裂かれて死に掛けの分際が偉そうな口利くんじゃねェよクソがッ!!

 

 

あと、そう……他には…………あとは………………沙代だ。

 

 

そう、沙代だ!

 

あいつが小さい餓鬼の癖に妙にませた事を宣ったのが全てのケチの付き始めだッ!

 

クソがよ!あいつももう死んだんだろうが、まだ死に足りねぇ、地獄の責苦を味わいながら死にやがれッッ!!

 

 

クソ!クソ!全部クソだ!この世のもん全部クソ喰らえだッ、クソッ…………クソ……クソ………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………あぁ、先生

 

 

 

 

「最後まで……愚かな男だ」

 

首を刎ねられた獪岳の身体を見ながら、黒死牟は厳かに言う。

 

「只人より優れた点があろうとも……心の在り方次第でこのような……つまらぬ終わり方をする……」

 

刎ねられた獪岳の頭は、既に思考を止めていた。

 

光を失い濁った眼球に、その瞳が最期に視た男の姿を映したまま。

 

「芯の通った(こころざし)の一つもなければ……その場限りの激情に駆られ……折角の好機を無下にする……短慮で……浅はかで……そして蒙昧な……」

 

「黙れ」

 

瞳に映るその男は、怒りを激らせながら、静かに告げる。

 

「その子は立派な鬼殺隊の一員であり……

 

 

 

 

 

 

私の大切な教え子だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「爺ちゃん、俺さ……あいつともっと、仲良くなれたと思うんだ」

 

鬼舞辻無惨と鬼殺隊の千年に及ぶ戦いの歴史。

その歴史に数ヶ月前、ようやく終止符が打たれた。

とはいえ、その犠牲は決して少なくはない。

 

鬼と戦い、死んでいった全ての隊士達が眠る墓地。

その一角にある、勾玉の首飾りが添えられた墓石の前で

我妻善逸と桑島慈悟郎は静かに手を合わせていた。

 

「俺、あいつの事が嫌いだったんだ。すぐに悪態ついてくるし、性格も最悪だったし。…………でも、ずっと尊敬していた」

 

「……そうか」

 

既に言うべき相手はこの世に居らず、つらつらと述べる善逸に桑島はただ相槌を打つ。

 

「誰よりも努力していたし、ひたむきだった。根は真面目だし、俺はあいつの背中をずっと見てきたんだ」

 

「…………」

 

「俺なりに、歩み寄ろうともしてみたんだよ。柱稽古の時も、本当は辛くて苦しくて、すぐ逃げ出したかったけど、あいつは辛い修行から逃げずに励んでた。だから俺も同じくらい辛い事も続けられた」

 

そこでひと呼吸を置いて、善逸は続ける。

 

「だけど、駄目だったんだ。……爺ちゃん、今だから言うけど…………あいつからはずっと──」

 

「不満の音がしとった、じゃろ?」

 

そこで桑島は、善逸の台詞の続きを口にした。

善逸は目を丸くする。

 

「えっ、マジ?爺ちゃんもしかして、俺と同じくらい耳が良かったの……?」

 

「お前の聴いとる音なんぞ儂にはまるで聴こえとらんわ!……ただな」

「あいつがお前と不仲な事は勿論、お前が弟弟子に来てから不満気だったのはとっくに知っておった。……いや、お前が来る前から……そう、何処か『心が満たされぬ』ような顔をしておった」

 

「…………うん、あいつの心の中の、なんて言えばいいんだろう……『幸せの箱』に、穴が開いていたんだと思う。だから、どんなに嬉しい事を入れても穴から溢れてく、穴を塞がなきゃいつまでも満たされない」

 

「儂はその穴を、お前たち二人が共に後継者となる事で塞げると思っておった。……じゃが、今となってはその選択が正しかったとは言えんのかもしれぬな」

 

「爺ちゃんの選択は間違ってなんかないッ!きっと誰か……もっと誰か別の人に塞いでもらわないといけなかったのかもしれない」

 

「そもそも穴を塞げる者など、居やしないのかも」とは、口にしなかった。

今となっては、何が正しかったのかすらも誰にも分からない。

当事者本人が、既にこの世に居ないのだから。

 

「最期まで上弦の鬼と戦い、そして鬼殺隊としての本分を全うした。……あいつが儂の誇りな事だけは、確かだ」

 

二人は墓の前に花を添える。

この行為は毎日欠かさずやっている。

墓地に他の誰もいない時も。

 

「…………あれ?」

 

ふと善逸が視線を上げると、今日は自分たち以外にも人影があった。

その人影が立っている墓の位置は一つ向こう側の区画で、納められているのは……

 

「ええっと、そのぉ……すみません。もしかして、そのお墓の方のお知り合い……だったりします……?」

 

善逸が声をかけたのは、自分たちと同じように墓前に佇む一人の若い娘だった。

彼女が立っていたのは、岩柱・悲鳴嶼行冥の墓の前。

 

「……あ、いえ。……はい。昔、本当にお世話になった先生なんです」

 

その娘は目元を腫らし、何度も何度も、見知った名前が刻まれた墓石に縋るように手を合わせていた。

 

「私、ずっと謝りたかったんです。あの夜、私がちゃんと本当のことを言えていれば。……先生は誰も殺していない、私たちを守ろうとしてくれたんだって。なのに、私は……あんな……」

 

善逸と桑島には何の話なのかは皆目見当も付かない。

しかし、悲鳴嶼のかつての知人で、彼が鬼殺隊に入っていた事と、最期まで戦い抜いて死んだ事を何処からか聞き及んだのだろう。

 

「先生、ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

善逸はかける言葉が見つからない。

 

「行くぞ、善逸。儂らが居ても弔いの邪魔だろう」

 

見兼ねた桑島は、そう言って場を離れる。

 

「うん、爺ちゃん」

 

二人は娘に静かに会釈をし、夕闇が迫る墓地を後にしようとした。

 

その時、

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんね、みんな…………ごめんね、獪岳お兄ちゃん……」

 

背後から聞こえた娘の言葉に、善逸と桑島の肩が小さく揺れた。

思わず、振り返りかける二人。

 

「………………あいつの穴、もしかしたら、塞げたのかも」

 

「……そうじゃな」

 

だが、振り返る事はせず、夕闇が迫る墓地を後にした。

 

 

不満の音が鳴り止んだ墓石には

師と、弟弟子と、もう一人が手向けた瑞々しい花が彩りを添えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【おまけ】

 

大正の世から百余年もの時が流れた遠い未来────

 

《現代・東京》

 

「あっ、やった!!うおおお!!」

 

「凄ぇ!!みんなで鬼のボス倒したじゃん!!やったじゃん!!……あだッ!?」

 

「またひいおじいちゃんの嘘小説読んでるの!?テスト前なのに信じられない!!」

 

庭の物置からけたたましい喧騒が聞こえる。

一人は、我妻善逸に見た目も中身も何処となく似た黒髪の少年。

もう一方は、性格にさえ目を瞑れば、竈門禰 豆子を想起させる少女。

 

「いや凄いんだよみんな!?命懸けで戦っててさ!!……それにほら!鬼との戦い以外にもこんなに、笑い有り涙有りの綿密なストーリーがさぁ!!」

 

「その綿密なストーリーが嘘だって言ってるの!!読み辛い、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんの紹介は長いのに、他の登場人物の解説短すぎ!時系列も話の場面転換も支離滅裂!ひいおじいちゃんに都合が良すぎ!第一、あの怖がりなひいおじいちゃんが一緒に戦える訳ないでしょうが!!」

 

「ギャアッ!!耳が裂けるゥゥッッ!!!!」

 

 

 

 

「あと、一番都合がいいのはここよここッ!『"壱ノ型"だけ使えないから、"壱ノ型"が使える俺に教えを乞い、一緒に仲良く練習していた兄弟子』!?こんな都合の良い登場人物いる訳ないでしょ!!」

 

「ちょ、ちょっと待ってよ! でもほら、この後のページ見てよ! 『雷に打たれて髪が金色になった俺と、お揃いの羽織を着て、二人で桃を食べながら笑い合うシーン』! ここ、挿絵まで描いてあるんだから! ひいおじいちゃんの渾身の……」

 

「……その挿絵の兄弟子、表情がヘンテコじゃない!!無理やり笑わされてるようにしか見えないわよ! ほら、さっさと勉強しなさい!」

 

「ギャアアアア!! 夢を壊さないでよ姉ちゃぁぁん!!」


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