冒険者ドラフトのある異世界で敏腕スカウトマンやる話 作:ひつーじ
安宿。
鏡の前で服の襟を正す。
鷲の王冠の徽章が胸元についていたので、ちぎって投げ捨てた。
胸元は思った以上に軽くなった。
誇り、重責、驕り、全てから解放されたのだろう。
晴れ晴れしさと、寒々しさが同居して、上手く言葉に出来ない。
財布だけを持って、チェックアウトする。昨日着ていた制服も捨ててきた。
何にもなくなっちゃったな。
昼下がりの都市を歩く。
今からギルド設立のために、色々と行く予定だ。
追放されて、一日が経過した。
昨日、鷲の王冠、宿舎に全てを置いたままギルドをやめた。
私財も最低限の金銭だけ持ち、あとは意地張って『自由に使ってくれ』と一声かけて置いてきた。
いや、王冠時代に得たものを見て、未練を感じるのが嫌だったのかもしれない。
振り返る。逆さ塔に最も近い、奈落縁区。そこには、本部を置くことを許された巨大ギルドばかり。鷲の王冠の本部も昨日と変わらず、聳え立っている。
あの白い本部の中で、『鷲の王冠』人材本部査定室長兼、再評価部門責任者として歩いていた。査定、仮採用継続判断、配置転換、若手再評価。肩書だけ聞けば立派なものだったし、実際それなりの立場だった。
だが今は違う。
王冠の人間ではない。
ただの無職だ。
制服も徽章もなければ、通り過ぎる市民は、当然のように俺を見ない。
夜勤明けらしい解体師。パンを抱えた使い走りの少年。治癒院へ向かう回復士見習い。荷車を引く運搬夫。御三家を追われた男が今ここを歩いていることなど、この都市にとっては何の関係もない。
巨大な街というのは、誰か一人が居場所を失ったくらいでは、振り向きもしない。
それは鷲の王冠とて同じ。俺一人がいなくなったところで、回り続ける。
「……そりゃそうか」
思わず漏らした声は、自分でも驚くほど乾いていた。
やはり俺はどこまでいっても何者でもないみたいだ。
坂を下る。
奈落縁区の白い石畳を抜け、中央区へ入ると、街の空気が目に見えて変わる。学院塔の尖塔が日の光を受けて輝き、教会の白壁が眩しい。金融会館の前には今日の相場板がすでに掲げられていた。
アビスバベル産高密度魔晶、上げ。
深層変質鉱、やや上げ。
希少生体素材、横ばい。
数字の上下に、人と金が群がっている。
その先、市場環区へ下ると、もう完全に別の街みたいだった。
露店の呼び声。荷車のガラガラとした音。異なる言語での値切り合い。鍛冶屋から漏れ出る金属音。食事処の入り口からは料理の良い匂い。白門街へ向かう通りは、朝から人が多い。
もとより賑やかな場所ではあるが、今はより一層といった感じ。
理由は簡単。
春季新人登録会が近い。
その一言だけで、ブルーアークの空気は変わるのだ。
学院卒業生、地方推薦の若者、神殿付きの候補生。見送りの家族。推薦元の担当。仲介人。記録画師。宿屋の客引き。酒場の野次馬。
誰もが、この街で何かが始まる日を知っている。
「今年は王立魔術院の首席が来るらしいぞ」
「神殿の特待枠もいるって話だ」
「獣人圏からも大物が入るってさ」
「御三家のどこが先に取るかで相場が動くな」
そんな声が、あちこちから聞こえる。
ブルーアークで初めて冒険者資格を得る新人は、原則として全員この登録会を通る。
最初にあるのは登録査定日だ。
都市が身元を確認し、試験で基礎能力を見て、本当に冒険者資格を与えていいかを判断する。戦えるかどうかだけじゃない。危険に耐えられるか、連携に致命的な問題がないか、どの職域に向いているかまで、ここで大まかな値がつく。
次が面談、意思確認日。
ギルドが候補者を見に来る日で、候補者の方もギルドを見定める日だ。どういう仕事をさせるつもりなのか、どこまで潜るのか、どんな生活になるのか。そういうものを聞いて、自分が入りたい場所かを考える。
最後が本指名日。
ここで初めて所属先が決まる。
この街で冒険者になるっていうのは、登録証をもらって終わりじゃない。最初にどのギルドの管理下へ入るかまで決まって、ようやく入口だ。
昔はもっと雑だったらしい。
好き勝手に拾って、好き勝手に使って、駄目なら捨てる。大手の囲い込みも、無責任な零細も、無所属新人の事故死も、その後の揉め事も、全部まとめてこの街に溜まった。
だから今は、初回登録者だけは都市がまとめて見る。
資格と所属を、最初から切り離さない。
少なくとも制度としては、その方がましだ。
昨日までは、上位候補の顔ぶれと推薦元の強さを調べ上げ、どこが誰を獲得するかを読み、先手を打つことばかりに囚われていた。だが今の俺は、それとは別のところを見ていた。
学院首席や神殿推薦がいる、と群がる野次馬を横目に、視線を少しずらす。
付き添いが弱い者。
服装は整っているのに、自信がない者。
虚勢を張ってはいるが、足運びが浮いている者。
人の流れの端へ押し出されていく者。
明後日に初日を控えた、この都市に馴染んでいない人間は良くわかる。
こういった中に本物はいる。
市場は上澄みを丁寧に掬う。
その代わり、荒いものは雑にまとめる。
たぶん今年もそうだ。
本指名日は、全ギルドが一斉に取り合うわけじゃない。御三家から始まり、A、B、Cランクと、フェーズごとに参加権が広がっていく。最初の数段で上澄みはだいたい消える。
となれば、後に残るのは決まっている。
数字が荒い連中。
評価が割れる連中。
扱いづらいと見える連中。
上が、わざわざ枠を切るほどじゃないと流した連中。
そこに本物が混じる。
俺はそれを知っている。
市場の角に、簡易資料の写しを売る屋台が出ていた。各地の学院や神殿、推薦元から流れてきた事前情報を、勝手にまとめて売っているのだろう。それだけじゃない、どこのギルドが誰を取るかの賭場まで開かれている。
こういう連中はこの街じゃ珍しくない。
むしろこれこそがブルーアーク。
ダンジョンが中心に位する都市なのだ。
「おや、ヘラルドさん。見てくれ、資料の信ぴょう性はなかなかだろう?」
屋台の親父が声をかけてきた。情報を扱うだけあって、裏方の俺の顔もご存じらしい。
差し出された紙束を一枚取り、ざっと目を通す。
中央学院系、今年は豊作。
地方近接職、例年並み。
神殿推薦の回復補助、やや少なめ。
地方魔術院出身者に記録の荒い者が目立つ。
「……へえ」
素人にしては悪くない。
ただ甘い。
「悪くないんじゃないか」
屋台の親父がにやりと笑う。
「元鷲の王冠、スカウトが悪くないってよ! さあ張った張った!」
活気のいい声、場の熱気が上がるのを苦笑する。
どうやら俺が追放されたことは、噂が回っているらしい。
情報は鮮度が命。この都市は、話が回るのも早いのだ。
俺は紙束をひらひらとさせる。
「情報量だ。もらってくぞ」
親父が一瞬だけ目を丸くして、それから面白そうに笑った。
「あいよ!」
景気のいい声を背中に、俺はその場を離れた。
南外縁へ向かう。市場環区の喧騒を抜けるにつれて、通りの顔つきは少しずつ変わっていった。露店の客層が落ち、看板の塗装が剥げ、建物の幅が狭くなる。
質流れの武器屋。
安宿。
日雇い斡旋所。
小さなギルド看板。
再起を狙う者と、沈みきった者が混じる通り。
南外縁23区、通称『沈殿区』。
上手く浮かべなかったものが、最後に溜まる場所。
だが俺には、ここがただの終わりの街には見えなかった。
大きな器から零れ落ちたものが、全部駄目になったわけじゃない。
切られたからといって、価値まで消えたわけじゃない。
そういうものを拾うなら、こういうところから始めるしかない。
というより始めるしかない。懐は寒いのだ。
細い路地の奥で、古びた貸事務所の札が目に入った。
空室あり。
管理人に声をかけ、二階の一室を見せてもらう。扉はきしむし、窓も狭い。机が一つ、椅子が二脚、壁際に棚があるだけ。御三家の本部と比べるのも馬鹿らしいくらい小さい。
ただ安い。
今の俺に要るのは、広さじゃない。
持てることだ。
最後まで、途中で切られずに持てること。
自分の意志でここを出る、その最後の日まで持てること。
「どうする?」
管理人がぶっきらぼうに聞く。
俺は部屋を一巡り見てから、頷いた。
「借りるよ」
書類が出される。代表者名、所在地、用途。そこに書き込んでいくうち、管理人が最後の欄を指で叩いた。
「このギルドの名は?」
俺はそこで少しだけ考えた。
王冠みたいな大層な名前はいらない。
強さを誇る牙や爪も要らない。
「時計塔」
日が昇っても、日が落ちても、針が時間を指す。
ただそれだけの場所、そんなギルドがいい。
管理人がその文字を覗き込んだ。
「……えらく静かな名だな」
「そういうギルドがいいんだ」
「ふうん」
興味がないのか、あるいは深入りしない主義なのか、管理人はそれ以上何も聞かなかった。
こうして、時計塔は生まれた。
だが、居場所を作っただけでは足りない。
認可を受けなければ設立したことにならない。
このまま俺は、南外縁の管理棟へ向かった。新設ギルドの正式登録と、登録会参加条件の確認をするためだ。
窓口に書類を出すと、中年の係員が一枚ずつ目を通した。
「新設ギルド『時計塔』代表者、ヘラルド。経歴は……」
そこで一度だけ、係員の目が上がった。だが、余計なことは言わない。書類に目を戻し、淡々と確認を進める。
「所在地、南外縁二十三区。活動内容……探索、人材育成、適性に応じた編成運用」
そこで係員の眉がわずかに動いた。
「珍しい書き方ですね」
「そこが一番大事なんだろ?」
俺がそう返すと、係員はふっと鼻を鳴らした。
申請が通るかどうかには、コツがある。それを押さえていると笑ったのだろう。
「登録自体は可能です。仮登録で新設扱いのE級になります」
ギルドのランクは御三家のSから、Fランクまである。
新設のギルドは最初Eランクから始まり、実績に応じて上がっていく。
が、大体のギルドはこの都市の要求に応えられず、数か月の間にFへ。
そしてまた数か月の間に、審査にかけられ潰れてしまう。
「理解している」
「はい。次に、問い合わせいただいた春季新人登録会について、ご説明させていただきます」
係員は次の紙を引いた。
「このままでは春季新人登録会の本線参加資格はありません」
「やっぱりダメか」
「はい。登録会で資格を得たばかりの新人は、どこにも所属していない状態です。受け入れ側に補償、監督、居住の最低限がない場所へ割り当てるわけにはいきません」
「当然」
係員は少しだけ意外そうな顔をした。
「新設ギルドの代表はたいてい、ここで文句を言います」
「最後まで持てないなら、文句を言う資格もないでしょ」
「……なるほど。特認の申請が本命ということですね」
頷くと、係員は机上の書類を揃えた。
「通常、新設がいきなり登録会に参加することはできません。受入資格を持つ中堅以上のギルド、または特認持ちに限られます」
そこで初めて、係員は別の紙束を出した。
「条件付新人受入特認資格。通称、C種です」
こくり、と頷く。俺が狙っているのはこの制度だった。
「独立したばかりの小規模ギルドや、有資格者が新しく立ち上げたギルドに、最初の採用機会を完全には失わせないための制度です」
実力や実績があっても、独立直後は格付けが低い。通常の受入資格が整うまで待たせれば、その間に人材獲得の機会がゼロになる。都市としても、そういう独立の芽を最初から潰したくはない。そのための制度だ。
係員は紙束を指先でそろえながら続けた。
「ただし、人を預ける以上、生活も監督も事故時対応も必要です。C種では初年度一名限定、供託あり、育成計画あり、重点監査あり。本線のうち、特認枠が解放される最終フェーズにだけ参加を認めます」
第六フェーズ。
御三家が一名指名できる第一フェーズ、御三家が二名とAランクが一名指名できる第二フェーズ。
つまりは、御三家や上位が粗方取り終えたあとで、ようやく一人を取りにいける位置だ。
完全に締め出すほど閉じてもいない。
かといって、看板だけ作った新設に何人も預けるほど甘くもない。
独立したい人間に、最初の一歩だけは残す。
その代わり、預けるのは一人だけ。そこから先は自分で示せ、という制度でもある。
「条件書を見せてくれ」
係員が差し出した紙には、項目が並んでいた。
代表者実績の照会。
活動拠点の実在確認。
供託金。
監督体制。
事故時補償計画。
受入可能人数一名。
最後の項目に、目を通して
「うん。申請書を出してくれ」
係員が少しだけ顔を上げる。
「早いですね。必ずしも申請が通るわけではありませんし、むしろ通らない可能性は高いですよ?」
そう言って差し出された紙は薄い。だが、そこに書かれている責任は軽くない。審査もそれ相応のものになる。
「承知してる」
申請書を記入し、提出した。
「では明日以降、審査結果をお待ちください」
「早いな」
「登録会は明後日。ギリギリに申請する人は、幸いあなただけでしたから」
俺はすまないなと苦笑し、管理棟を後にする。
借りたばかりの部屋へ戻る頃には、日が少し傾いていた。
まだ何もない部屋の机に、賭場でもらった資料を置く。
王冠の執務机とは比べものにならない、ただの木机だ。
だが、その上で決めることは、今の俺にとって王冠の会議よりずっと重かった。
椅子に座り、窓の外を見る。遠く、白門街の方角の空だけがまだ明るい。人が増え、熱を持っているのがここからでも分かった。
明後日、登録査定日。
新人に最初の値段が貼られる日だ。
上澄みはすぐに見つかる。
御三家も上位ギルドも、明確な有望株を先に囲う。
だが、それで全部じゃない。
数字が悪い。
結果に波がある。
連携に難。
扱いづらい。
そういう外れ枠に押し込まれた中に、本来の場所を与えられていないだけの人材は必ずいる。
うちが最初に取るべきなのは、そういう一人だ。
強いだけの人間じゃない。
他より派手な人間でもない。
低く見られているが、実際に価値が低いわけじゃない。見方を間違えられ、居場所を間違えられたせいで、本来の力を出せていない。
そういう相手でなければならない。
そういう相手を花開くまで、開かなくとも枯れて命を終えるその日まで、水をやり続けるための場所にしたいんだ。
そうでないと俺がギルドを作る意味がない。
俺は紙へ目を落とす。
条件付新人受入特認資格申請。
受入可能人数は一名。
ギルドの最初の一人は、今後ギルドが成功するか失敗するかに大きく左右する。
俺の理想の場所を作るには、ただ捨てられたやつを拾うだけの慈善事業であってもダメだ。
必ず、ギルドを成長させられる埋もれた人材でなければならない。
だから……間違えられない。
上が先に囲う棚は決まっている。
なら、俺が最初に見るべき場所も決まっている。
ろうそくが短くなくなるまで、紙束と向かい合う。
いつしか窓の外の空は白んでいる。
ふっ、と小さな灯に息を吹きかけた。
あとは、その場に立つだけだった。