碇シンジと最上イズモ 他人を演じるということ 作:最上 イズモ
人間ってのは、面白い。
自分で作った檻に自分で入り込んで、その鍵を誰かが持っていると思い込む。
組織。
立場。
命令。
責任。
必要とされること。
愛されること。
どれも本当は違うものなのに、長くそこにいると混ざってくる。
ネルフなんて、その見本みたいな場所だ。
誰かが誰かを守ると言いながら、別の誰かを道具として使う。
未来のため。
人類のため。
必要だから。
便利な言葉だ。
大抵のことは、それで押し通せる。
俺も、人のことは言えない。
知るために裏切る。
守るために黙る。
近づくために嘘をつく。
真実を探しているつもりで、その真実に何人巻き込んだか分からない。
だから。
最上イズモという人間を見た時。
最初は、正直。
面倒な奴が来たと思った。
碇シンジの顔をして。
中身は別人。
しかも。
それを隠しているようで、隠し切る気もない。
命令には従う。
でも。
従う理由まで相手に渡さない。
戦う。
でも。
戦うことを義務にはしない。
他人を助ける。
でも。
助けたからって、その相手の人生まで握ろうとはしない。
そういう人間だった。
最初にそれをはっきり感じたのは、学校じゃなかった。
病室だ。
鈴原トウジが眠っていた。
参号機から回収されたあと。
包帯だらけで。
機械に繋がれて。
それでも生きていた。
俺は廊下の奥から、その部屋を一度見た。
イズモは。
ずっと椅子に座っていた。
何か喋るでもない。
手を握るでもない。
ただ。
呼吸を見ていた。
胸が上がる。
下がる。
それを。
何度も確認していた。
ミサトが言った。
「もう二時間よ」
イズモは。
「そうですか」
と返した。
ほんとに。
変な奴だ。
でも。
あの時。
俺は少し分かった。
あいつが守りたいのは。
命そのものだけじゃない。
その人間が。
その人間のまま。
続きを生きられることなんだ。
バルディエル戦。
あれは象徴的だった。
司令は命令した。
ダミーシステムを使え。
敵を排除しろ。
結果だけ見れば。
合理的だ。
速い。
確実。
迷いもない。
でも。
その結果の中に。
誰が壊れるかは入っていない。
発令所の記録を後で見た。
参号機に押さえつけられた初号機。
制御権移行。
ダミーシステム起動。
その直前。
イズモは言っていた。
「この身体はシンジのものだ」
「初号機だって」
「参号機の中にいるトウジも」
「ネルフの所有物じゃない」
大声じゃない。
演説でもない。
むしろ。
事実確認みたいな言い方だった。
それが。
一番効いた。
そのあと。
ダミーシステムは拒絶された。
システム障害。
最初はそう処理されかけた。
でも。
マヤ君が言った。
「障害じゃありません」
「パイロット入力だけ復帰しています」
あの子は。
震えてた。
それでも言った。
数字の向こうに。
意味があるって。
あの時。
初号機まで。
同じ線を引いた。
ここから先は。
お前たちのものじゃない。
そう言ってるみたいだった。
ネルフには。
その線がなかった。
いや。
なかったというより。
消していた。
便利だから。
使徒と戦うため。
人類を守るため。
その言葉で。
十四歳の子供と。
母親の魂と。
大人たちの都合を。
全部同じテーブルに乗せていた。
イズモは。
そのテーブルをひっくり返した。
大げさなことはしていない。
ただ。
これは誰のものだ。
と聞いただけだ。
身体は。
誰のものだ。
選択は。
誰のものだ。
命令は。
誰のためだ。
その問いに。
誰も。
ちゃんと答えられなかった。
ミサトが変わったのも。
あの頃からだ。
ゼルエル戦。
司令は初号機を出すなと言った。
理由は分かりやすかった。
イズモの再構築計画が。
補完計画を壊す可能性があったからだ。
防壁は次々抜かれていた。
零号機と弐号機だけじゃ止めきれない。
それでも。
司令は止めた。
使徒より。
イズモを危険だと見た。
そこで。
ミサトは。
初めてはっきり命令に逆らった。
「戦術作戦部長として判断する」
あの言葉。
俺は。
あとで記録で聞いた。
あれは。
単なる反抗じゃない。
自分の職務を。
自分の責任として引き取った瞬間だった。
今までは。
上から命令が来る。
現場が従う。
失敗すれば。
誰かの責任になる。
でも。
あの時のミサトは違った。
自分で選んだ。
それは。
かなり怖かったはずだ。
イズモは。
ああいう選択を周囲に増やした。
アスカにも。
バルディエル戦後。
病室で。
トウジが目を覚ました時。
アスカが言ったらしい。
「今回は勝手に一人で決めなかった」
「私にも綾波にもちゃんと頼った」
それは。
あの子にとって。
大きな言葉だ。
アスカは。
一人で勝つことを。
自分の価値にしていた。
誰かに頼るのは。
負けることだった。
でも。
共同判断で。
トウジは生き残った。
その経験は。
頭で説教されるより。
ずっと強い。
アラエル戦でも。
その差は出た。
精神攻撃を受けたあと。
以前なら。
あの子は。
壊れるまで残ったかもしれない。
でも。
今回は違った。
「三十秒だけ代わりなさい」
そう言って。
戦線を渡した。
あとで聞いて。
俺は少し笑った。
あのアスカが。
自分から。
交代を頼んだ。
すごい変化だ。
傷が消えたわけじゃない。
母親のことも。
一番じゃなきゃ意味がないって思っていたことも。
全部。
残っている。
でも。
傷があるまま。
他人の前に残れるようになった。
レイもそうだ。
あの子は。
ずっと。
自分は代わりがいると思っていた。
実際。
ネルフは。
そう扱っていた。
でも。
イズモは。
シンジ君の身体を借りている間。
ずっと。
これは自分の身体じゃない。
と扱った。
どれだけ馴染んでも。
どれだけ動かせても。
返す。
そう決めていた。
レイは。
それを見ていた。
ある時。
イズモに聞いたらしい。
「あなたは誰」
イズモは。
「碇シンジです」
と答えた。
嘘だ。
でも。
レイは。
その嘘の中の違和感を拾った。
そして。
最後には。
シンジ君が戻ったあと。
「今は碇君」
と本人に言った。
あれは。
たぶん。
レイ自身にも向いていた言葉だ。
今は。
自分は自分。
そういうことだ。
リツコも。
ずいぶん困っていた。
イズモは。
科学を否定しなかった。
むしろ。
データを見た。
条件を聞いた。
再現性を考えた。
でも。
ある時。
初号機との接続記録を。
「封鎖してください」
と言った。
理由は。
「再現実験が始まるからです」
リツコは。
研究者として。
あの現象を解析したかった。
当然だ。
でも。
イズモは。
「死人が出ます」
と。
そこで線を引いた。
研究できることと。
研究していいことは違う。
あの言葉は。
リツコには。
かなり効いただろう。
だって。
感情論として切れない。
同じ科学の言葉で。
止められたんだから。
そして。
シンジ君。
一番変わった。
いや。
変わったって言い方は。
たぶん違う。
戻ったんだ。
自分に。
帰還後。
初号機搭乗継続の話が出た時。
司令は。
「搭乗を継続する」
とだけ言った。
前なら。
シンジ君は。
何も言えなかったかもしれない。
でも。
あの子は。
「条件があります」
と言った。
ダミーシステムを。
自分の意思に反して使わないこと。
自分が乗れない時。
勝手に自分の代わりとして扱わないこと。
司令は。
「戦況による」
と返した。
シンジ君は。
「じゃあ乗りません」
と言った。
あれは。
イズモじゃない。
イズモなら。
もっと理屈を並べただろう。
もっと。
相手の逃げ道まで計算して。
条件を詰めただろう。
シンジ君は。
震えていた。
怖がっていた。
でも。
それでも。
言った。
それでいい。
あれは。
あの子自身の言葉だった。
ゼルエル戦のあと。
補完計画が。
事実上。
壊れた。
兵器が壊れたわけじゃない。
計画書が燃えたわけでもない。
ゼーレが消えたわけでもない。
もっと。
嫌な壊れ方だ。
前提が。
崩れた。
人間は。
孤独だから。
境界をなくせば救われる。
そういう話だった。
でも。
イズモとシンジ君は。
一度。
本当に混ざりかけた。
互いの痛みを知った。
互いの世界を見た。
互いの身体で生きた。
その上で。
一つになることを選ばなかった。
相手を。
相手のまま返した。
ゼルエル戦の記録には。
二人の声が残っている。
「僕は、碇シンジだ」
「僕は最上イズモ」
ただの自己紹介じゃない。
あれは。
境界を。
自分で選び直した瞬間だった。
しかも。
相手を否定していない。
相手がいることを認めた上で。
自分は自分だと言った。
これ以上ない。
反証だ。
理解することと。
所有することは違う。
つながることと。
同じになることも違う。
人間は。
完全には分かり合えない。
それでも。
一緒にいられる。
嫌なら離れられる。
離れても。
また戻れる。
それでいい。
そんな。
当たり前みたいで。
この世界じゃ。
ずっと誰も採用しなかった答えを。
あいつは。
最後に残していった。
そして。
帰ったあとまで。
妙に影響が残った。
アラエル戦。
ロンギヌスの槍は使われなかった。
代わりに。
以前イズモが改修していたポジトロンライフルが使われた。
超高高度対応。
長距離補正。
出力安定。
記録を見たリツコが。
「なんでこんな状況を想定してるのよ」
って。
本気で頭を抱えたらしい。
俺は。
ちょっと笑った。
本人は。
たぶん。
「射程に余裕あった方がいいので」
くらいしか。
思ってなかったんじゃないか。
でも。
その置き土産で。
ロンギヌスは温存された。
ゼーレの予定は。
また一つ狂った。
そういう奴だ。
いる時だけじゃない。
いなくなったあと。
残した判断。
残した装備。
残した言葉。
周囲が。
それを自分で使い始める。
俺は。
それを救いだとは思わない。
救いなんて言葉は。
便利すぎる。
救われなかった人間もいる。
傷は残る。
過去も消えない。
ゲンドウ司令が。
急に良い父親になるわけじゃない。
アスカの傷も。
レイの問題も。
シンジ君の怖さも。
全部。
残っている。
でも。
選択肢が。
一つ増えた。
それだけで。
世界は。
案外。
変わる。
たぶん。
イズモは。
それを狙ってたわけじゃない。
世界を変えようとも。
ネルフを改革しようとも。
思ってなかった。
自分が帰ること。
シンジ君を返すこと。
その途中で。
勝手に壊されそうなものを。
壊れないようにした。
結果。
周りが変わった。
救世主じゃない。
革命家でもない。
英雄ですら。
本人は嫌がるだろう。
触媒。
それくらいが。
ちょうどいい。
自分が去ったあと。
そこにいた人間が。
自分で考え始める。
自分で選び始める。
それは。
たぶん。
他人に何かを残す方法としては。
かなり上等だ。
人を導くってのは。
後ろから押すことでも。
前から引っ張ることでもない。
道が。
一つじゃないと。
気づかせることなのかもしれない。
……まあ。
そんなことを本人に言ったら。
「そこまで考えてませんけど」
とか。
平然と言いそうだけどな。
それでも。
いいさ。
本人が。
意味を決める必要はない。
残された側が。
勝手に考える。
それも。
他人として生きるってことだ。
さて。
俺も。
そろそろ。
自分の選択をしないとな。
誰かの計画のためでも。
真実のためでもなく。
俺自身が。
何を残したいのか。
今度は。
少しだけ。
考えてみようと思う。