武術の王『虎杖悠仁』   作:やめろ小僧、その技は俺に効く

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待たせたな、ブラザー!!

 

 

 

 

 人外魔境超常決戦。

 

 その言葉が誰の口から生まれたものなのか、正確に記録している者はいない。ただ、後にこの戦いを知る者達は皆、その呼称以外に相応しい名前を見つけられなかった。死滅回游から端を発したこの戦いは、2018年11月13日に始まった。10月31日に渋谷事変が起こり、そして死滅回游が開始され、一ヶ月も経たないうちに日本は三度目の呪術災厄へ見舞われる事となったが、それはもはや単なる災害ではなかった。国家機能を内部から侵食し、社会構造を歪ませ、人間という種が“呪い”と共に生きるしかない現実を突き付ける、歴史そのものが軋むような異常事態である。

 

 この人外魔境超常決戦は後の呪術史、いや日本の歴史に於いて最も凄惨で、最も崇高とも呼べる戦いと呼ばれるようになるのは、まだ誰も知らない。

 

 それは、強者達の祭典などという綺麗なものではなかった。そこには勝者を称える観客も、敗者を悼む拍手も、試合開始を告げる合図も存在しない。ただ瓦礫と血と呪力が満ちた都市の中心で、時代ごと蘇った怪物達が互いの存在を認識し、己の強さを証明するために歩み寄っていくだけだった。京都という古都は、千年の歴史を蓄えた霊脈と結界の上に成立している場所である。その土地が今、死滅回游によって生じた歪みと、各時代の術師達が放つ濃密な呪力によって、まるで巨大な炉のように熱を帯び始めていた。

 

 東京、大阪、名古屋、仙台、桜島。各地で発生した結界は既に人間社会の常識を破壊していた。空へ浮かぶ黒い帳、突然発生する呪霊暴走、行方不明者の増加、街路へ転がる説明不能な死体、そして情報統制をすり抜けて拡散される不鮮明な映像。一般人達はそれを地震、テロ、ガス爆発、未知の感染症、集団幻覚など、それぞれ理解できる言葉へ無理矢理押し込もうとしていたが、既に世界はその段階を越えていた。見えない者達ですら、空気の重さだけは感じ取っている。夜道を歩く時、背後を振り返らずにはいられない。閉じたカーテンの向こうに何かが立っている気がする。そうした小さな恐怖の積み重ねこそ、呪いが社会へ染み出している証拠だった。

 

 そして、その中心地こそ京都だった。

 

 京都には各コロニーから術師が集結した。自身が最強だと思う者、強者を求める者、戦乱そのものへ愉悦を感じる者、死滅回游の点数を狙う者、誰かを追って辿り着いた者、あるいは何となくノリで入った者。理由は様々だったが、結果として数多の術師が京都へ集まっていた。だが、集まった者達の顔ぶれを並べれば、それはもはや軍勢ではなく災害一覧に近かった。

 

 如来神掌会得者であり、宿儺の器にして西中の虎、虎杖悠仁。

 

 天与呪縛のフィジカルギフテッド、禪院真希。

 

 九陽神功を開花した禪院直哉の肉体を奪い、完全受肉した呪いの王、両面宿儺。

 

 獄門疆内で如来神掌を会得し、自力で脱出し、羂索を瞬殺してやって来た五条悟。

 

 平安の討魔頭、“黒きライコウ”の異名を持つ源頼光。

 

 頼光四天王の一人、怪力無双の坂田金時。

 

 伏黒津美紀の肉体へ受肉した平安術師、万。

 

 その他大勢。

 

 文字面だけでも頭痛がする。

 

 実際、京都周辺では現在進行形で地盤沈下、局地的気圧変動、呪力嵐、超高密度結界干渉など、既存呪術理論では説明困難な現象が連続発生していた。術師同士が衝突する度に建造物は基礎から砕け、地面は内側から捲れ上がり、地下構造物は裂かれた腹の臓腑のように露出し、空気は見えない巨大な掌で押し潰されるように軋んでいる。呪力が濃すぎるせいで雨雲は不自然に渦を巻き、夜空には雷でもない黒い発光が走り、遠く離れた地域の窓ガラスまで細かく震えていた。

 

 最早、呪術戦ではない。

 

 怪獣災害へ近かった。

 

 しかも最悪なのは、そこに集まっている連中の大半が“加減”を知らない事である。宿儺は言うまでもない。五条悟もまた、自身が本気を出した際の余波などほとんど気にしない。源頼光は平安時代を生きた討魔の怪物であり、坂田金時は戦う事そのものへ異様な高揚を見せる男だった。万に至っては宿儺への感情が重過ぎて、行動原理の半分ほどが恋愛感情で構成されている。

 

 更にそこへ、“普通に人助けをするつもり”でいる虎杖悠仁まで混ざっていた。

 

 意味が分からない。

 

 だが、それが現実だった。

 

 京都市内では既に一般人避難が大規模に進められていたが、結界干渉の影響で交通機関は半壊状態に陥っていた。道路には放置車両が連なり、信号機は沈黙し、停電区域は夜の街を黒く塗り潰している。遠方で呪力衝突が起こるたび、空気は腹の底を殴られたように震え、建物の壁から粉塵が落ち、泣き疲れた子供達が母親の腕の中で声もなく震えた。

 

 人々は理解していた。

 

 あそこには近付いてはいけない、と。

 

 そして現在、その京都市郊外。

 

 崩壊した高速道路の上へ、一人の男が腕を組み、中心部を見据えていた。

 

 虎杖悠仁の超親友、東堂葵。

 

 身長190cmを超える巨躯が、崩落した高速道路の中央へ仁王立ちしている。分厚い首、丸太のような腕、黒い学生服の上からでも分かる異常な筋量、そして何より、その全身から放たれる圧力が尋常ではなかった。吹き荒れる夜風が髪を揺らし、遠方から届く超高密度呪力の衝突が肌を焼くように撫でている。普通の術師なら近付くだけで胃液を吐く濃度だったが、東堂葵は笑っていた。

 

 「フフ……」

 

 口角が吊り上がる。

 

 感じる。

 

 虎杖悠仁の気配。

 

 超親友の、底知れぬ熱い何か。

 

 あの男はまだ強くなっている。だが東堂も負けていない。

 

 高田ちゃんへの愛、研ぎ澄まされた肉体、積み重ねてきた戦闘経験、そして虎杖悠仁の親友であるという絶対の自負が、東堂葵という男を更なる高みへ押し上げていた。

 

 遠方で黒い呪力雷が炸裂し、数秒遅れて衝撃波が到達する。崩壊した高速道路が激しく揺れ、砕けたアスファルト片が跳ね、ガードレールが金属音を立てて歪んだ。

 

 東堂の笑みが深くなる。

 

 「今行くぞ!!ブラザー(虎杖)!!!!」

 

 東堂葵の両脚が高速道路を踏み砕き、爆音と共に巨体が夜の京都へ突撃した。

 

 

 

 

 薨星宮。かつて日本呪術界の根幹として存在していた巨大結界の中心地は、今や見る影もなく崩れ去っていた。五条悟が呪術高専直上から放った第七式《天仏降世》によって、大地そのものが一直線に穿たれている。砕けた岩盤の裂け目から陽光が差し込み、崩壊した結界術式の残滓が塵のように空気中を漂っていた。本来なら完全隔離されている筈の地下空間へ風が吹き込み、崩れた岩肌を撫でるたび、細かな砂塵がさらさらと音を立てながら落ちていく。千年以上もの間、外界から隔絶され続けていた神域は、今や“壊された場所”として剥き出しになっていた。

 

 その中心に、夜蛾正道、楽巌寺嘉伸、そして九十九由基が立っている。砕けた石床には未だ羂索との戦闘痕が残り、周囲へ散乱した瓦礫には高密度呪力によって焼かれた黒い焦げ跡が刻まれていた。薨星宮全域を覆っていた重苦しい閉塞感は既に消えている。だが代わりに漂っているのは、長く続いた時代そのものが終焉へ向かっているような空気だった。

 

 「天元様、死滅回游を終わらせる為に浄界の解除をお願いいたします」

 

 夜蛾の声は低く重い。それは単なる提案ではなく、呪術界という文明そのものへ終止符を打つ覚悟を含んだ言葉だった。元東京都立呪術高専学長として、結界術がどれほどこの国へ根付いているのかを理解しているからこそ、その一言には迷いより責任が滲んでいる。日本という国家は、既に人間だけの社会では成立していない。帳、補助監督、結界、霊脈制御、呪霊発生率の安定化、呪具封印、それら全てが天元を核とした浄界の上で成立しているのである。

 

 「……それしか手が残されていないようだ」

 

 天元が静かに言った。以前より更に人外へ近付いたその姿は、もはや“人間”という輪郭を辛うじて残しているに過ぎない。長く伸びた頭部、異様に薄い皮膚、周囲へ絶え間なく滲み続ける古びた呪力。その存在そのものが巨大結界術式の塊だった。差し込む陽光が天元の輪郭を照らすたび、その肉体はまるで現実へ半分だけ存在している亡霊のように見える。

 

 死滅回游。羂索が発動した殺し合いのゲーム。それは単なる術師同士の戦場ではない。日本全土を呪力によって満たし、人類を“呪い”へ慣れさせ、最終的には天元との同化へ導く為の巨大儀式だった。泳者同士の殺し合いによって生まれる呪力循環、受肉によって蘇った過去術師達、結界内部で加速する術式環境、その全てが“人類の次段階”を強制的に作り上げる為の工程として組み込まれている。そして羂索は、その果てに存在する未知を本気で信じていた。

 

 だが——今の京都で起きている事は、そんな悠長な実験段階を遥かに超えていた。

 

 九陽神功を開花させた禪院直哉の肉体を奪い完全受肉した宿儺。

 

 獄門疆内で如来神掌を会得し、自力で脱出して薨星宮をぶち抜き、羂索を瞬殺した五条悟。

 

 如来神掌会得者であり宿儺の器にして西中の虎、虎杖悠仁。

 

 平安の討魔頭、“黒きライコウ”源頼光。

 

 頼光四天王、“怪力無双”坂田金時。

 

 その他、死滅回游によって蘇った数多の受肉者達。

 

 過去と現代、それぞれの時代最強格が一斉に同じ土地へ集まり始めている。その結果、京都周辺では既に呪力嵐、地盤沈下、局地的気圧変動、超高密度結界干渉など、既存呪術理論では説明困難な現象が連続発生していた。土地そのものが悲鳴を上げている。呪力濃度が臨界点を超え、空気すら重く軋み始めていた。

 

 「浄界を解除すれば、千年間脈々と続いてきた呪霊との戦い、結界術の叡智、あらゆるものが無に帰すことになる」

 

 天元の声音には感情らしい感情は存在しない。だが、その言葉の重さだけは誰よりも理解していた。千年。個人の人生など遥かに超えた時間だ。呪術界はその長い年月を掛け、呪いと共存する為の術式体系を積み上げてきた。帳、結界、封印術、呪具管理、霊脈制御、術師教育。その全てが浄界という巨大基盤の上で成立している。それを失えば何が起きるか、誰にも予測できない。結界暴走。霊脈崩壊。呪霊発生率の激増。封印呪物の解放。最悪の場合、日本列島そのものが“呪いへ適応した土地”へ変質する可能性すらある。

 

 「分かっています……だが死滅回游で人類が天元様と同化するよりも、我々がまだ猛獣の中で暮らす方がマシだという状況になってしまった」

 

 夜蛾の言葉と共に、薨星宮内部へ重苦しい沈黙が落ちた。

 

 猛獣。

 

 その表現は比喩ではない。今の京都には、本当に“人類の制御外にいる怪物達”が集まり始めている。しかも最悪なことに、その怪物達の多くが理性と人格を持ったまま暴れているのである。宿儺は愉悦で動き、鹿紫雲は死合いを求め、頼光は討魔として戦い続け、五条悟は己の最強を疑わない。そして虎杖悠仁は、人を助ける為にその中心へ踏み込んでいく。誰も止まらない。だからこそ恐ろしい。

 

 九十九由基が崩れた天井を見上げる。五条悟が穿った巨大な縦穴。その向こうには青空が見えていた。本来なら絶対に陽光など差し込まない筈の地下神域へ、今は風と光が流れ込んでいる。その光景そのものが、既に“時代の破壊”だった。

 

 「皮肉だねぇ」

 

 九十九が小さく笑う。

 

 「羂索は人類の進化だの次段階だの好き勝手語ってたけど、結局アイツ自身が制御できない怪物達を呼び起こしただけじゃないか」

 

 「……否定はできない。だがそれこそあの子が求めた混沌とも言える」

 

 天元が静かに答えた、その瞬間だった。

 

 地の底から突き上げるような重低音が薨星宮全体を震わせる。崩れかけていた岩盤から細かな砂塵が降り注ぎ、砕けた結界残滓が空気中で揺らいだ。夜蛾と楽巌寺の視線が同時に上を向き、九十九だけは口元を吊り上げる。

 

 感じる。

 

 遠く京都方面から伝わってくる異常な呪力衝突。

 

 空気そのものが悲鳴を上げていた。

 

 そして、その中心には——

 

 

 虎杖悠仁が掌を打つ。

 

 腰を沈め、踏み込んだ足裏で砕けた道路を掴み、背骨を軋ませながら全身を巡る“流れ”を掌底へ一気に収束させた瞬間、圧縮された掌波が爆風を伴って前方へ炸裂した。空気そのものを押し潰しながら進む巨大な衝撃は、直線上に存在していたビル群をまとめて吹き飛ばし、コンクリート壁面を内側から圧壊させ、窓ガラスを粉末状へ砕きながら鉄骨ごと夜空へ捻じ曲げていく。崩壊した建築物が轟音を鳴らしながら連鎖的に倒れ、吹き荒れる粉塵と熱風の中を掌波だけが一直線に宿儺へ突き進んでいた。

 

 宿儺は笑っていた。

 

 完全受肉した肉体へ浮かぶ黒い紋様が脈動し、その下では九陽神功によって活性化された経絡が金色に発光している。四本の腕がゆっくりと開かれ、宿儺は迫り来る掌波へ向かって片腕を振るった。不可視の斬撃。“解”。空間そのものへ線を刻むように放たれた斬撃が、大地ごと掌波へ衝突した瞬間、圧縮されていた衝撃が中央から真っ二つに裂け、逃げ場を失った余波が左右へ暴風となって吹き荒れる。砕けた道路が抉れ、瓦礫が砲弾みたいな速度で周囲へ飛散し、掌波を切り裂いた斬撃は勢いを失わないまま虎杖悠仁の首筋へ向かって走った。

 

 だが、その軌道へ黒い雷が横から割り込む。

 

 源頼光。

 

 黒雷を纏った拳が真正面から不可視斬撃へ叩き込まれ、黒閃特有の空間歪曲を伴った衝撃が宿儺の“解”と正面衝突した瞬間、周囲数十メートル規模で空気が爆縮するように震えた。不可視斬撃が黒雷によって削り取られ、衝撃余波だけで周辺ビルの外壁がまとめて吹き飛ぶ。頼光はそのまま歯を剥き出しにしながら笑い、黒雷を散らしつつ宿儺へ視線を向けた。

 

 「余所見をするな宿儺ァ!!」

 

 その横から、坂田金時が何故か虎杖悠仁へ踵落としを放っていた。

 

 意味が分からない。

 

 本人にも分かっていない。

 

 ただ“そこに強そうな奴がいたから殴る”という極めて単純な理由だけで動いている。巨体から振り下ろされた踵が空気を裂き、落下軌道上の大気を圧縮しながら虎杖の頭上へ迫る。直撃前にも関わらず地面が陥没し始め、砕けたアスファルトが踵圧だけで跳ね上がった。その軌道へ横から飛び込んだ影がある。

 

 禪院真希。

 

 天与呪縛によって極限まで研ぎ澄まされた肉体が地面を砕き、回転を乗せた蹴りが金時の踵へ叩き込まれた。肉体同士の純粋な出力衝突。爆音が鳴り、衝撃波が周囲へ吹き荒れ、近くに転がっていた車両がまとめて横転する。金時の踵軌道が強引に逸らされ、砕けた瓦礫が散弾みたいに夜空へ飛び散った。

 

 「邪魔だゴリラ!!」

 

 真希が叫ぶ。だが、その直後だった。横合いから突っ込んできた巨大な影が、真希の身体へ真正面から激突する。

 

 万。

 

 構築術式によって形成された虫型外殻が全身を覆い、その外骨格は昆虫とも甲殻類ともつかない異形へ変質していた。複数の脚部が地面へ突き刺さるたび砕けた道路が沈み込み、そのまま放たれたタックルが真希へ直撃する。真希の身体が数十メートル規模で吹き飛び、崩壊していたビル残骸へ突っ込んだ瞬間、鉄骨がへし折れ、壁面が崩落し、粉塵が噴煙みたいに立ち昇った。

 

 万はそんな真希へ一切興味を示さない。

 

 視線は宿儺だけを見ている。

 

 「宿儺ァァァァ!!」

 

 熱に浮かされた叫び声と共に、万が虫鎧を軋ませながら宿儺へ向かおうとした、その瞬間だった。足元が凍る。いや、正確には“大地ごと”凍結した。空気中の水分が一瞬で結晶化し、白い霜が爆発的速度で広がっていく。砕けた道路、瓦礫、放置車両、その全てが厚い氷層へ呑み込まれ、万の脚部が地面ごと拘束された。

 

 裏梅。

 

 掌印を結んだまま静かに立っている。周囲温度が急激に低下し、吐息は白く、漂う冷気だけで肺の奥が凍り付きそうな寒気が戦場全域へ流れ込んでいた。

 

 「宿儺様へ近付くな!!」

 

 裏梅はそのまま、更に宿儺へ向かおうとする虎杖悠仁へ視線を向ける。掌印が変化し、氷結呪力が周囲空間から一気に収束を始めた。瓦礫表面へ霜が走り、空気中の水分が凍結しながら鋭利な氷片へ変質していく。放たれる。そう全員が理解した瞬間だった。

 

 裏梅の視界から五条悟が消えた。

 

 否。

 

 最初からそこにいた。

 

 音もない。予兆もない。無拍子。ただ次の瞬間には、五条悟の拳が裏梅の顔面へめり込んでいた。金色の“流れ”を纏った拳が接触した瞬間、裏梅の頬骨が陥没し、歯が砕け、顔面全体が衝撃によって歪む。そのまま身体が吹き飛び、凍結していた道路を何度も跳ねながら瓦礫山へ突っ込んだ。氷塊が粉砕され、崩れた建物残骸が連鎖的に崩落する。

 

 「邪魔」

 

 五条悟が静かに言った。

 

 そのまま地面を蹴る。爆音。五条の身体が上空へ跳び上がり、戦場全体を見下ろす位置で静止した。揺れる白髪。破れた黒衣。その隙間から覗く肉体には、金色の“流れ”が血管みたいに走っている。そして五条悟が掌印を結ぶ。帝釈天印。与願印。その瞬間、戦場全域の空気が変わった。

 

 重圧だった。

 

 圧迫感だった。

 

 京都コロニー全域へ、巨大過ぎる何かが降りてくる感覚が広がる。宿儺、頼光、金時、万、真希、虎杖、全員が反射的に空を見上げていた。五条悟の周囲で、“流れ”と無下限呪術が混ざり合い始めている。青い呪力。金色の“流れ”。それらが螺旋状に絡み合い、空間そのものを軋ませながら超高密度へ圧縮されていく。上空の雲が押し退けられ、周囲数百メートル規模で大気が震動を始めた。

 

 「第十式——」

 

 五条が呟く。

 

 その瞬間、虎杖悠仁の顔色が変わった。理解したのである。五条悟が今から何を放とうとしているのかを。

 

 「先生ー!!それはヤバいって!!!」

 

 虎杖が叫び、同時に施無畏印と与願印を結ぶ。全身の“流れ”が一気に活性化し、掌周囲へ金色の発光が広がっていく。宿儺は嗤っていた。四本の腕を広げ、戦場そのものを愉しむみたいに笑っている。頼光は黒雷を迸らせ、金時は全身へ呪力を巡らせ、万は狂気じみた笑顔のまま真球を構築し始め、真希は釈魂刀を握り締める。裏梅は崩れた瓦礫の中から血を吐きながら這い出ていた。

 

 そして。

 

 上空で五条悟が告げる。

 

 「『天上天下唯我独尊』」

 

 瞬間、五条悟が光を放った。

 

 それは“流れ”と無下限呪術が融合した、純粋な破壊の光だった。

 

 全体へ眩く広がった光は、まず最初に近くのビル群へ触れた。

 

 次の瞬間、巨大建築物がまるで存在そのものを分解されたみたいに崩れていく。爆発ではない。切断でもない。コンクリート壁面、鉄骨、ガラス、配線、その全てが超高密度の破壊光へ触れた瞬間、粒子単位で砕けながら白い粉塵となって消滅していった。高層ビルが崩壊音すらまともに残せないまま風化し、砂みたいに夜空へ吹き散っていく。その余波だけで周囲一帯の空気が震え、熱を持った暴風が戦場全域へ吹き荒れていた。

 

 五条悟の如来神掌第十式「『天上天下唯我独尊』」

 

 “流れ”と無下限呪術が融合した純粋破壊。

 

 それは触れた物質へ、存在維持そのものを許さない。建築物だけではない。砕けた道路も、転がる瓦礫も、周囲へ漂っていた呪力残滓すら光へ触れた瞬間に掻き消えていく。空間そのものが耐え切れず軋み始め、空気中へ無数の亀裂みたいな歪みが走っていた。

 

 「ッ——」

 

 虎杖悠仁が掌印を組んだ。

 

 合掌。

 

 その瞬間、虎杖の全身を巡っていた“流れ”が一気に活性化する。筋肉が軋み、骨格が唸り、血管の奥を流れる金色の脈動が皮膚表面へ浮かび上がった。周囲へ散っていた呪力残滓が虎杖の周囲へ引き寄せられ、砕けた瓦礫が微かに浮き上がる。虎杖悠仁という肉体を中心として、空間そのものが収束を始めていた。

 

 「これはもうやるしかないでしょ!」

 

 虎杖が叫ぶ。

 

 その視線は真っ直ぐ五条悟を見上げていた。理解しているのである。このまま第十式が完全解放されれば、京都コロニーそのものが消し飛ぶ。宿儺も、頼光も、金時も、万も、裏梅も、自分達すら関係なく呑み込まれる可能性があった。いや、今の五条悟は恐らく“どこまで壊れるか”を完全には制御していない。

 

 だから止める。

 

 真正面から。

 

 宿儺が四つの瞳を見開いた。そこへ浮かんでいるのは驚愕ではない。歓喜だった。肉体へ浮かぶ黒い紋様が脈動し、九陽神功によって活性化された経絡が金色に発光する。四本の腕をゆっくりと広げながら、宿儺は裂けた口元を吊り上げた。

 

 「クククッハッハッハッハッハ!!小僧!!まさかできるのか!!」

 

 宿儺が嗤う。

 

 虎杖悠仁が今から何をやろうとしているのかを理解したのである。

 

 領域展開。

 

 それも単なる領域展開ではない。

 

 “流れ”そのものを核とした何か。

 

 虎杖の周囲で呪力と“流れ”が混ざり合い始める。空気が震え、大地へ刻まれていた亀裂が微かに浮き上がり、周囲数十メートル規模で重力感覚すら歪み始めた。虎杖の髪が逆立ち、皮膚表面を走る金色の脈動が徐々に強くなっていく。その密度は異常だった。宿儺ですら愉悦を隠せないほどに。

 

 「領域展開——」

 

 虎杖が口を開いた。

 

 その瞬間だった。

 

 拍手。

 

 乾いた音が戦場へ響く。

 

 一回ではない。

 

 連続。

 

 高速。

 

 パン、パン、パン、パン、と小気味良い音が崩壊しかけた京都市街へ連続して鳴り響いた瞬間、戦場全体の座標が一斉に捻じ曲がる。宿儺、頼光、金時、万、真希、裏梅、虎杖悠仁、その全員の位置が強制的に切り替わった。

 

 視界が反転する。

 

 空間感覚が引き剥がされる。

 

 次の瞬間には、五条悟の放つ破壊光から大きく離れた位置へ全員が立っていた。

 

 虎杖が目を見開く。

 

 (これ東堂!?)

 

 その思考とほぼ同時だった。

 

 「ブラザー!!」

 

 聞き慣れた大声が夜空へ響き渡る。

 

 崩壊した高速道路の上。

 

 筋肉の塊みたいな巨躯が、腕を広げながら立っていた。東堂葵。虎杖悠仁の超親友。京都校最強。その両掌は未だ赤く熱を帯びており、連続使用された不義遊戯によって周囲空間へ独特の違和感が漂っている。

 

 東堂は笑っていた。

 

 吹き荒れる熱風の中で。

 

 崩壊していく京都を背後に。

 

 人外魔境そのものみたいな怪物達を前にしてなお、心底嬉しそうに笑っていた。

 

 「待たせたな、ブラザー!!」

 

 その直後だった。

 

 五条悟の第十式が、完全に解放される。

 

 上空から放たれた破壊光が一直線に地表へ降り注ぎ、接触した瞬間、京都市街の一角が音もなく消滅した。爆発ではない。熱線でもない。存在そのものが削り取られている。地面が消え、ビルが消え、空気すら歪みながら白く掻き消えていく。その余波だけで数百メートル規模の暴風が吹き荒れ、吹き飛ばされた瓦礫群が夜空を埋め尽くした。

 

 そして東堂葵だけは、そんな地獄みたいな光景の中心で満足そうに頷いていた。

 

 「やはり最高だなブラザー!!この戦場は!!」

 

 「東堂葵……何故小僧の邪魔をした……」

 

 先程まで恍惚とした笑みを浮かべていた宿儺が、思い出したみたいに東堂へ視線を向けた。直哉の肉体へ浮かぶ黒い紋様が脈動し、四つの瞳がゆっくりと細められる。先程まで五条悟の第十式と虎杖悠仁の領域展開未遂へ向けられていた興味が、今度は東堂葵という存在そのものへ移っていた。

 

 東堂は胸を張っていた。

 

 崩壊した高速道路の中央。吹き荒れる熱風によって学ランがはためき、巨躯が夜空を背負うみたいに立っている。周囲では未だ五条悟の第十式によって焼かれた空気が熱を残し、倒壊したビル群から粉塵が立ち昇っていたが、東堂葵だけは一切気にしていない。

 

 「邪魔ではない両面宿儺よ!人類みなブラザー!お前もブラザーだから守ったまでのこと!」

 

 真顔だった。

 

 本気で言っている。

 

 だからこそ怖い。

 

 宿儺の口元が僅かに歪む。

 

 「守るだと?痴れ者が……」

 

 その声音には呆れと苛立ちが混ざっていた。だが完全な侮蔑とも違う。理解不能な生物を見る目だった。千年前、平安最悪と恐れられた怪物ですら、東堂葵という男の思考回路だけは読み切れないのである。

 

 「あ!おい宿儺!」

 

 虎杖が顔色を変える。

 

 止めようと地面を蹴る。

 

 だが間に合わない。

 

 宿儺の指先が僅かに動いた。

 

 それだけだった。

 

 不可視の斬撃——“解”が東堂へ向かって放たれる。斬撃は音もなく空間を走り、直線上の大気を切断しながら東堂の首筋へ迫った。その密度は先程までとは比較にならない。宿儺が“鬱陶しい”と判断した相手へ向ける、本気の斬撃だった。

 

 その瞬間。

 

 拍手。

 

 乾いた音が夜空へ響く。

 

 次の瞬間、斬撃の座標が強制的に入れ替わった。東堂のいた位置には拳大の石が落下し、代わりに数百メートル離れた高層ビルへ“解”が直撃する。巨大建築物が中央から滑らかに切断され、数秒遅れて上半分がズレ落ちた。鉄骨が軋み、爆音を響かせながら高層ビルが倒れていく。

 

 宿儺の四つの瞳が細められる。

 

 「ほぉ……」

 

 純粋な興味だった。

 

 虎杖が目を輝かせる。

 

 「すげぇ!東堂!」

 

 東堂が腕を組んだ。

 

 その顔には圧倒的自信が浮かんでいる。拍手によって発生した呪力波形が未だ空気中へ残っており、周囲空間には独特の違和感が広がっていた。宿儺の斬撃軌道。瓦礫。石片。呪力。位置情報。その全てを東堂は瞬時に認識し、拍手一つで座標を書き換えている。

 

 「俺の不義遊戯は進化したのだよ!両面宿儺!絶対に人を傷つけず、守るという縛りを課してな!」

 

 東堂が叫ぶ。

 

 その言葉と同時に、虎杖悠仁の表情が少しだけ変わった。理解したのである。東堂葵が、この混沌みたいな戦場へ来るまでに何を積み重ねてきたのかを。

 

 以前の不義遊戯は、敵を翻弄する為の術式だった。

 

 位置を入れ替え、隙を作り出し、読み合いを支配する為の能力。

 

 だが今の不義遊戯は違う。

 

 “守る”為に変質している。

 

 人間を傷付けない。

 

 味方を絶対に死なせない。

 

 その縛りを自らへ課した結果、不義遊戯そのものが異常な精度へ到達していた。

 

 宿儺が嗤う。

 

 裂けた口元がゆっくり吊り上がり、四本の腕が僅かに開かれる。その瞬間、周囲空間へ張り詰めていた殺気が更に濃くなった。京都コロニー全域へ散っていた呪力残滓が引き寄せられるように揺れ、砕けた道路の破片が微かに浮き上がる。

 

 「面白い」

 

 低い声だった。

 

 だが、その一言だけで空気が重く沈む。

 

 虎杖が前へ出た。

 

 「東堂、下がってろ。アイツ今かなりノってる」

 

 「何を言うブラザー!親友が戦うなら俺も戦う!それが友情だ!」

 

 宿儺が嗤う。

 

 裂けた口元がゆっくり吊り上がり、四本の腕が僅かに開かれる。

 

 「貴様はつくづく呪術師だ。東堂葵」

 

 そして虎杖悠仁は、そんな怪物達の中心で東堂葵を見ながら、小さく笑う。

 

 「やっぱ東堂は東堂だわ……」

 

 

 

 一方その頃、京都コロニーの別地点では、中心部とはまた違う意味で異様な空気が流れていた。宿儺、虎杖悠仁、五条悟達が暴れている中心地から数キロ離れているにも関わらず、その余波だけで周辺環境は既に都市としての機能を喪失している。道路は裂け、ビル群は中途半端に崩れ、横転した車両の警報音だけが虚しく鳴り続けていた。遠方から断続的に響いてくる爆音は、もはや戦闘音というより天変地異に近い。空気そのものが薄く震え、その度に割れた窓ガラスが細かく鳴った。

 

 その崩壊した市街地を、一人の男が歩いていた。

 

 鹿紫雲一。

 

 江戸時代最強。

 

 死滅回游によって現代へ受肉した戦闘狂であり、その全身からは常時青白い電流が迸っている。細身の肉体。鋭い眼光。前傾した重心。歩いているだけなのに周囲の空気が焼けるような圧迫感があり、靴裏がアスファルトを踏むたび、微弱な放電によって焦げ臭い匂いが漂っていた。

 

 鹿紫雲は不機嫌だった。

 

 理由は単純である。

 

 宿儺。

 

 五条悟。

 

 虎杖悠仁。

 

 中心部で暴れている怪物共の気配が、離れた場所にいる今ですら嫌というほど分かるからだ。空気が震えている。地面が軋んでいる。呪力そのものが悲鳴を上げている。それほどの存在が一箇所へ集結しているというのに、自分はまだそこへ辿り着けていない。

 

 気に入らなかった。

 

 「チッ……」

 

 鹿紫雲が舌打ちした瞬間、漏れた電流が近くの信号機を爆ぜさせた。火花が散り、赤信号だったランプが砕け落ちる。だが鹿紫雲本人は一切気にせず歩き続ける。その時だった。

 

 「ぬぅぅぅぅん!!」

 

 突然、建物影から巨大な影が飛び出してきた。

 

 鹿紫雲の目が細まる。

 

 現れたのは河童だった。

 

 筋骨隆々の肉体。頭頂部には綺麗に水が張られ、褌一丁のまま仁王立ちしている。その肉体は異様なまでに鍛え上げられており、分厚い胸筋と肩が呼吸に合わせて盛り上がっていた。どう見ても河童である。だが、放たれている圧は本物だった。呪力だけではない。肉体そのものが長年戦い続けてきた猛者特有の重さを持っている。

 

 河童は鹿紫雲を見るなり目を輝かせた。

 

 「相撲をやらんか!!」

 

 「は?」

 

 鹿紫雲の顔が本気で歪む。

 

 意味が分からない。

 

 死滅回游。

 

 京都コロニー。

 

 怪物共が暴れている戦場。

 

 そんな状況で、初対面の相手から第一声が“相撲をやらんか”だったのである。流石の鹿紫雲も一瞬理解が止まった。

 

 だが河童は止まらない。

 

 「見れば分かる!!お主強いな!!ならば相撲だ!!相撲を取れば全て分かる!!」

 

 「知らねぇよ……」

 

 鹿紫雲が本気で嫌そうな声を出す。その瞬間だった。

 

 「ぬ」

 

 別方向から声がした。

 

 瓦礫の山を踏み越えながら、一人の男がゆっくり歩いてくる。

 

 大道鋼。

 

 ボサボサ頭。

 

 無精髭。

 

 着流し姿。

 

 そして腰には一本の刀。

 

 外見だけならどこにでもいる薄汚れた浪人みたいな男だった。だが、その目だけが異様だった。濁っているようで、刃だけを見続けてきた人間特有の鋭さがある。視線がまるで剥き身の刀そのものだった。

 

 大道は鹿紫雲を見る。

 

 次に河童を見る。

 

 そして静かに口を開いた。

 

 「強ぇ奴の匂いがするな」

 

 「おぉ!!お主も相撲を嗜むか!?」

 

 「いや儂ァ刀だ」

 

 「そうか!!」

 

 会話が成立しているようで成立していない。

 

 鹿紫雲が頭を押さえた。

 

 「なんなんだテメェら……」




日下部「もうやってらんねぇよ!!」

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