直葉「お兄ちゃーん、あの人に手を出されたー。」キリト「お前を〇す」 作:狩宮 深紅
大学の近くにある、落ち着いた雰囲気の純喫茶の夕暮れ。
カラン、とドアベルが鳴り、一人の黒ずくめの青年が店に入ってきた。
「……待たせたな。急に呼び出してどうした?」
向かいの席に腰を下ろした桐ヶ谷和人(キリト)さんは、アイスコーヒーを注文してから、俺の顔をマジマジと見つめた。
そして、怪訝そうに眉をひそめる。
「××さん大丈夫ですか?もしかしてデュエルの疲れがまだ残ってるのか……?目の下に酷いクマができてますが……。。直葉と、何か上手くいってないのか?」
「…………」
俺は、運ばれてきたブラックコーヒーを胃に流し込み、テーブルの上で両手を深く組んだ。
そして、かつて俺をファミレスで殺そうとした、世界で一番恐ろしい『彼女の兄』に向かって、深く、深く頭を下げた。
「……お義兄さん。単刀直入に言います。」
「お、おう。なんだ、改まって。」
「助けてください。俺……直葉ちゃんに、仮想世界(ALO)で、手を出されてます。」
「――――は?」
和人さんの口から、間の抜けた声が漏れた。
それはかつて、直葉ちゃんが放った言葉遊びによる『手を出された』という嘘の、完全なる逆転現象だった。
「いや……待て。手を出されてるって、お前が、直葉に? どういう意味だ?」
「言葉の通りです。……あの夜から、皆さんにご挨拶させて頂いた日から……。俺の精神と理性が、毎晩限界を突破しそうなんです。」
俺の脳裏に、昨夜の……いや、ここ数日のALOでの、あまりにも生々しく、甘く、そして濃密すぎる『事後』の記憶がフラッシュバックする。
――倫理コードを解除した、宿屋の薄暗いベッドの上。
システムの保護という分厚い壁が消え去り、そこにあるのは、現実と何一つ変わらない、圧倒的な『生(リアル)』の感覚だけだった。
『……んっ……はぁ、××、さん……』
シーツの擦れる音。
俺の胸元に頬をすり寄せる直葉ちゃんの、少しだけ汗ばんだ素肌の滑らかさと、そこから立ち上る甘い花の香水の匂い。
彼女の体温は異常なほど熱く、俺の首筋に這わせる細い指先は、背筋が粟立つほどの艶かしさを帯びていた。
『ダメですよ、××さん。……まだ、逃がしませんから』
俺が疲労でログアウトしようとすると、彼女は長い脚を俺の腰に絡ませ、体重をかけて俺をベッドに縫い留める。
上目遣いで俺を見つめるエメラルドグリーンの瞳は、現実世界で見せる「元気で可愛い妹」のそれではない。獲物を絶対に逃がさない、成熟した一人の『雌(女)』としての、重く、甘く、暗い熱情が渦巻いていた。
『現実(リアル)じゃ、まだダメだってわかってます。だから……ここではいいですよね? 全部、私のものになってください。私で、頭の中をいっぱいにしてください……っ』
吐息が耳元を掠め、桜色の唇が俺の首筋に熱い痕を落としていく。
俺のHPゲージではなく、男としての理性と体力が、毎晩毎晩、骨の髄まで搾り取られ、とろけるように削り取られていく。
それは間違いなく至福だったが、同時に、一歩間違えれば現実の自分を見失いそうになるほどの、恐ろしい快楽の沼だった。
またある時は────。
シルフ領の高級宿屋(イン)には、追加のユルド(通貨)を払うことで利用できる、プレイヤー用の貸し切り露天風呂がある。システムによってエリアが区切られているため、当然ながら他のプレイヤーがそれらを覗き見ることはできない。
大量の素材集めクエストに付き合わされ、泥のように疲れていた俺は、一人その温かい仮想の湯に浸かっていた。システム越しでもわかる心地よい温もりに、思わず「ふぅ……」とだらしない声が漏れる。
「あ、ズルいです××さん! 私より先に入るなんて」
不意に、背後からちゃぷり、と湯が跳ねる音がした。
振り返ると、バスタオル一枚(というシステム装備)を身に纏った直葉ちゃんが、湯煙の中から悪戯っぽく笑いながら近づいてくるところだった。
「私たちの仲ですから、これはいらないですよね♡」
そう言って、既に手馴れた手つきで倫理コードを解除する直葉ちゃん。
彼女の手によって倫理コードが解除されたこの空間では、彼女の白い肌を伝う水滴の軌跡すら、生々しいほどリアルに視覚と脳を刺激してくる。
「す、直葉ちゃん!? いや、一緒に入るなんて聞いてない――」
「だって、クエスト頑張ってくれた『ご褒美』、まだあげてませんから♡」
俺が後ずさろうとするのを遮るように、直葉ちゃんは湯の中でスッと距離を詰め、俺の正面にぴったりと密着してきた。
バスタオル越しでもハッキリと伝わってくる、彼女の柔らかな膨らみと、現実の人間と同じ、いや、それ以上に熱く感じる体温。湯の匂いに混じって、甘い花の香りが俺の鼻腔をくすぐる。
「……逃げちゃ、ダメですよ?」
上目遣いで俺を見つめるエメラルドグリーンの瞳が、とろけるように細められる。
湯の中で、彼女の滑らかな足が、俺の足にゆっくりと絡みついてきた。
密室の露天風呂。システムの保護はない。そして、俺の首筋に顔を埋め、熱い吐息を吹きかけてくる最強の彼女。
「……っ、直葉、ちゃん……」という俺の弱々しい抵抗の言葉は、すぐさま彼女の甘い唇によって塞がれ、あとはただ、静かな露天風呂に、水面が激しく揺れる水音だけが夜遅くまで響き続けた。
「それだけじゃなくて、、昨日の夜も────。」
「やー、今日のボス狩り、マジで死ぬかと思った……。」
ALOのログアウト直前。俺は宿屋のふかふかなベッドに、うつ伏せで倒れ込んでいた。エンジョイ勢の俺にとって、高難易度の狩りは神経をすり減らす重労働だ。
すると、隣に座っていた直葉ちゃんが「お疲れ様でした」と優しく微笑み、俺の頭をぽんぽんと撫でた。
「××さん、今日はたくさん私を庇ってくれましたね。……ほら、こっち向いてください。膝枕、してあげますから。」
「マジで? いや、それはちょっと……いや、やっぱりお言葉に甘えます。」
俺は一瞬遠慮するフリをして、すぐに寝返りを打ち、彼女の柔らかい太ももの上に頭を乗せた。
あぁ、天国だ。倫理コードが解除されているおかげで────。
ん?解除されてる?いつの間に?まぁ、快適だから、良いかぁ。(良くない)
彼女の肌の温もりと、布越しの柔らかな弾力がダイレクトに伝わってくる。疑問を浮かべた思考をその感触が蝕み、ぼかしていく。
俺が目を閉じてその至福に浸っていると――。
急に、頭の下にあったはずの『膝枕』が消え、視界がぐるりと反転した。
「……え?」
流れるような身体捌き。気づけば、俺はベッドに仰向けに組み敷かれ、直葉ちゃんが俺の腰の上に跨るようにして、マウントを取っていた。
「す、直葉ちゃん? 膝枕は……。」
「ふふっ。戦士には、もっと『特別』な休息が必要ですよね?」
彼女は、俺の胸元に両手を突き、顔をゆっくりと近づけてきた。
俺がリーファちゃんの顔から目を離せないでいた、その数秒間。
彼女は普段の軽装アーマーではなく、宿屋用の薄いネグリジェのような衣装に変わっていた。襟元から覗く深い谷間と、俺を見下ろす彼女の瞳に宿った、獲物を完全に捕らえた雌(めす)の光。
「今日は、私が『ぜんぶ』してあげます。……××さんは、ただ私に身を任せて、気持ちよくなるだけでいいですよ♡」
「ちょ、待っ……明日、朝イチで大学の講義が───。」
「ダメです。朝まで、寝かせませんから♡」
俺のささやかな抵抗は、耳元で囁かれたその甘く残酷な宣告によって、完全に息の根を止められた。
彼女の細い指が俺の衣装の胸元をはだけさせ、熱い唇が首筋に這う。俺はもう、この恐ろしくも甘い地獄から逃げ出すことを諦め、彼女の深い愛情の底へと、自ら喜んで堕ちていった。
「……というわけで。俺、毎晩ALOで、直葉ちゃんに完全に『食われて』るんです。朝起きると、VRの疲労感がエグすぎて、大学の講義中もずっと意識が飛んでて……。」
「………………。」
俺が事の顛末を包み隠さず(もちろん直接的な行為の詳細は伏せたが)語り終えると。
和人さんは、両手で顔を覆い、テーブルに両肘を突いたまま、完全にフリーズしていた。
「あ、あの。お義兄さん?」
「……頼む、××さん。それ以上は言わないでくれ。俺の精神力(HP)が削り切られる……。それに、やっぱりあの時のこと根に持ってないですか、いや、俺も悪いんだが……。」
妹の彼氏から「妹がVRで性的に積極的すぎて俺が搾り取られている(骨抜きにされている)」という、世の兄が最も聞きたくなかったであろう最悪の悩み相談。
和人さんは、深い、深いため息を吐き出し、天井を仰いだ。
「すみません!そんなつもりは無くて……。それに!誓って言いますが、リアルでは指一本(健全な範囲以上は)触れてません! 直葉ちゃんの将来を考えて、俺も大人の男としてそこだけは死守してます! ……でも、ALOの中だと彼女、タガが外れたみたいに積極的で……。」
「……ああ。××さんが現実(リアル)で一線を越えない誠実な男性だってことは、よくわかってる。だからこそ俺も、あなたを認めたんだからな」
和人さんは、引き攣った顔でアイスコーヒーのストローを噛み締めた。
その顔には、俺の理性を評価する気持ちと、「自分の全く知らない妹の過激な顔」を突きつけられた兄としての複雑すぎる懊悩が、見事にマーブル模様を描いていた。
「しかし……どうして急に、あいつがそこまで……。そういう年頃、だけじゃ片付けられないよな。」
「俺もそれが不思議なんです。俺や和人さんには思い当たらない、何か原因があるんでしょうか……。」
俺と和人さんは、腕を組んで唸った。
現実世界の直葉ちゃんは、あんなに良い子で、健全で、少し照れ屋な普通の女の子なのだ。それが仮想世界に入った途端、どうしてあそこまで男を絡め取るような手管を身につけてしまったのか。
結局、俺たち二人の男の頭脳をいくら捻っても、その『原因』に辿り着くことはできなかった。
「あ、××さーん! お待たせしました!」
十分後。喫茶店の入り口から、パタパタと小走りで近づいてくる足音がした。
清楚な白いブラウスに、膝丈のスカート。待ち合わせをしていた直葉ちゃんだ。彼女は俺の隣の席に座ると、ニコッと花が咲いたような笑顔を見せた。
「ごめんなさい、ちょっと友達との話が長引いちゃって――あれ? お兄ちゃんも居たんだ。」
和人さんの姿を認識した直葉ちゃんは、目を丸くして首を傾げた。
そこにあるのは、完全に『いつもの可憐な妹』の顔だ。昨夜、ALOのベッドの上で俺の理性を焼き切ろうとしていたあの艶かしい表情の片鱗すら、一ミリも感じさせない。
「あ、ああ……。ちょうど、××さんと少し話があってな。」
「そうなんだ! ふふっ、お兄ちゃんと××さんが仲良くしてくれて、私すっごく嬉しいです、」
直葉ちゃんが純真無垢な笑顔を見せるたびに、和人さんは「うっ」と胃を押さえるような顔をして視線を逸らした。
兄としては、もう直葉ちゃんを直視できないのだろう。和人さんは伝票を手に取ると、逃げるように立ち上がった。
「お、俺はちょっと、会計と……トイレに行ってくる。二人でゆっくりしててくれ。」
「はーい! ありがとう、お兄ちゃん!」
そそくさと背を向けて歩き出す和人さんの背中を見送る。
和人さんの姿が、奥の通路に消えた、その瞬間だった。
――直葉ちゃんの脳裏に、数日前のALOでの『ある記憶』がフラッシュバックしていた。
(『――本当に、その人の心を捕まえておきたいの?』)
それは、シルフ領の森の奥深く。
直葉(リーファ)が珍しく一人でALOにログインしていたときのこと。
隠密行動のための『光学迷彩魔法』の習得をしたい、と話すプレイヤーと偶然知り合い、親切心で詠唱の練習などに付き合った事に対してのお礼としてその女性プレイヤーはリーファに尋ねた。
長身で、モデルのようにスラリとした手足を持つ、美しいシルフ族の女性。
しかし、その整った顔立ちの奥にある瞳には、どこか暗く、歪んだ『愛の形』を知り尽くしたような、底知れぬ凄みが宿っていた。
(『なら、私の迷彩魔法の習得の手伝ってくれた見返りに……特別に、いいことを教えてあげる。』)
その長身のシルフ族の女は、リーファの耳元に唇を寄せ、甘く、毒のように囁いたのだ。
(『男なんて、いつどこで他の女に気を引かれるかわからない、危ない生き物よ。……だからね、今の彼と貴方の状況で絶対に逃がしたくないなら、この仮想世界(ルールがない場所)で、骨の髄までとろけさせて、あなたなしじゃ生きられない体に依存させるのが一番なの』)
それは、現実世界で一途な思いを拗らせ、愛する者をその手に収めるためならどんな手段も辞さないという、ある種の狂気を孕んだ恋愛観。
想い人の為ならばPKすら厭わないほど歪んだ愛を貫いた、暗躍する彼女――レンと名乗ったアバターが放つ、悪魔のレクチャーだった。
(『心だけじゃ足りないわ。……あなたの熱で、彼の理性を焼き尽くしなさい』)
その教えは、××の優しさに甘え、彼を手放すまいと焦っていた直葉の心に、強烈な劇薬として沁み込んでしまったのだ。
────────
……お兄ちゃんも、××さんも、私が誰に唆されたかなんて、一生気づかないだろうけど♡。
「――××さん♡」
現実(リアル)の喫茶店の席。
和人が席を外した、ほんの数十秒の空白。
直葉ちゃんは、俺の隣に座ったまま、スッと俺の背後に腕を回した。
そして、俺の首筋に、冷たい指先をゆっくりと這わせる。
「うぇっ……!?」
「ふふっ」
俺がビクッと肩を揺らすと、直葉ちゃんは俺の耳たぶを甘噛みするような距離まで顔を近づけ、ゾクリとするほど熱い吐息と共に、囁いた。
「お兄ちゃんには、ナイショですよ?」
その声は。
昨夜、俺の理性を限界まで追い詰めた、あの『女』の甘い声だった。
「私……××さんのこと、もう絶対に、どこにも逃がしませんから。」
エメラルドグリーンの瞳が、俺の魂の奥底まで絡め取るように、妖しく細められる。
俺は、心臓を鷲掴みにされたように身動きが取れなくなり、ただ顔を真っ赤にして固まることしかできなかった。
「――今夜も、ALOで……待ってますね♡」
悪魔のように、そして世界で一番愛おしい彼女の囁きが終わった直後。
「悪い、待たせたな」と、和人さんが何事もなかったかのように席に戻ってきた。
「おかえりなさい、お兄ちゃん!」
直葉ちゃんは、瞬時にパッと俺から離れ、何食わぬ顔でパフェのメニューを眺め始めた。
残された俺は、顔から火が出るほど赤面したまま、ストローを噛み潰して完全にフリーズしていた。和人さんはそんな俺を見て、「……××。強く、生きろよ」と、哀れみと同情の入り混じった目で、そっと俺の肩を叩いた。
一番弱いエンジョイ勢だった俺は、ブラッキー先生から、一人のお姫様を奪い取ることに成功した。
キリトさんの理不尽な恐怖からは、完全に解放された。
だが、その代償として。俺の平和なモラトリアム生活は、この『最強の彼女による、逃げ場のない甘い愛の沼』へと、永遠に沈んでしまったのだ。
でも。
俺の首筋にまだ残る、彼女の指先の微かな感触と、甘い香水の匂いを感じながら。俺は、この底なしに甘い地獄こそが、俺にとっての最高のハッピーエンドなのだと、誰にも聞こえない声で、そっと笑い飛ばした。
これにて完結です!
色々と悩みましたが、ある程度着地できたかなと思います!
今回の感想や評価をしていただけると嬉しいです!